南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実
Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー
いるんだね〜
投稿者: border04425 投稿日時: 2004/08/09 23:13 投稿番号: [5843 / 29399]
南京大虐殺があったことの納得させれるだけの説明を…。
これは メッセージ 1 (yuukouheiwa さん)への返信です.
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可愛そうに
投稿者: giro_tama 投稿日時: 2004/08/09 22:30 投稿番号: [5841 / 29399]
文章もまともに読めないのね・・・
これは メッセージ 5836 (mituru171819 さん)への返信です.
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re:ソ連の条約破り=破棄=反古=解消
投稿者: kinngyoya301 投稿日時: 2004/08/09 22:07 投稿番号: [5840 / 29399]
>「依然有効な日ソ中立条約に背いて日本に戦争を仕掛け」ってね。
これはね、新聞記事をそのまま抜粋しただけなのですよ。
私もこの記述は、おかしいと思います。
宣戦布告を発した段階ですでに、日ソ中立条約は破棄され、反古となったと見るべきでしょう。
破ったというよりも、解消でしょう。停止条件、あるいは成就条件あるいは
何年まで守りますとかの期限を切ってあったのであれば、約束違反で信義を破ったとか裏切ったとかになるでしょうが、両国の都合の良い思惑のあげくに結んだ条約です、理想を求めて両国が歩みやったとか言う代物ではないことはご存知でしょう。
ですから、一方的に破棄する事も可能でしょう。
と思いますよ。
貴方の思惑どおりにはなりませんね。
これは メッセージ 5833 (tm_bit さん)への返信です.
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おまえの存在は
投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2004/08/09 19:37 投稿番号: [5839 / 29399]
世界の非常識だな?それとも歩く非常識って言ってやろうか?
これは メッセージ 5836 (mituru171819 さん)への返信です.
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>> 解決を望まない一団 ・・
投稿者: htfgs719 投稿日時: 2004/08/09 19:14 投稿番号: [5838 / 29399]
>貴方は日中戦争における一連の数々の日本軍(関東軍)の謀略とされる事件についてはどのように
お考えなのでしょうか?
との問ですが、言われている本質が生憎掴めません。
もし、盧溝橋事件、北支事変、上海事変のことを対象とされているのでしたら、私は中国共産党軍による謀略という考えをもっています。
もし、日本軍の謀略であるとするならそれなりの説明を頂きたいと思います。
また
>7月25日
郎坊
日本側に大きな責任があると思います。
は盧溝橋事件から近衛内閣の判断で兵力増強を決めたことは、
武力衝突の危険性は高まると予想されるかもしれませんが、
逆に通常ならば兵力増強による中国側からの挑発抑止の潜在力になると考えられ正等な軍事行動の範疇と思います。
尚、これら盧溝橋事件、北支事変、上海事変の軍事行動を「日本軍の侵略行為」と言われるのでしたらその理由もお聞かせください。
これは メッセージ 5829 (kinngyoya301 さん)への返信です.
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お前本気?
投稿者: sayoku_ha_shineyo 投稿日時: 2004/08/09 18:53 投稿番号: [5837 / 29399]
きみは常識が真実だと思ってる馬鹿だね。
まあどっかの三流高校にでも行ってるんだろう。
これは メッセージ 5836 (mituru171819 さん)への返信です.
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Re虐殺は無かった!
投稿者: mituru171819 投稿日時: 2004/08/09 18:35 投稿番号: [5836 / 29399]
あったのさ(笑
世界の常識だぞ
馬鹿
これは メッセージ 5809 (giro_tama さん)への返信です.
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これが事実
投稿者: pesiticider 投稿日時: 2004/08/09 12:01 投稿番号: [5834 / 29399]
>>「日中戦争を望む一団」は日中双方にあったのです。
>当然、中国側としてみれば、侵略者を排除することは自衛権の行使でしょうね。
そうではなくて、「国共内戦」で「国民党軍」に追われて敗走を繰り返し、ついに勢力が2万人前後にまで減少していた「共産党軍」が、起死回生を狙って「盧溝橋事件」を演出し、それが当たって「日中戦争」にまで発展したということです。
>蒋介石も、張学良も、毛沢東、周恩来も、中国統一の為には抗日は避けては通れない関門でしたよ。
1937年の時点では、「国共内戦」で壊滅寸前の状態だった「共産党」の幹部である毛沢東や周恩来は、「中国統一の為には抗日は避けては通れない関門」などと、暢気なことをいっている余裕などなかったですよ。むしろ、「この窮地を脱するためには、国民党と日本軍を戦わせる以外にない」と切羽詰っていたのではないでしょうか。
蒋介石にしても、日本に軍事留学していた人ですから、「今、日本とまともに戦っても勝ち目はない」と知っており、1930年代始めには日本化運動ともいえる「新生活推進運動」を推進していたくらいで、むしろ親日家だったのです。それが急速に、親米派となり反日色を強めていった背景には、妻の宋美齢及びその兄で在米「華僑」のボス的存在だった宋子文を介して、ある時期に英米との間に何らかの密約が成立したからではないでしょうか。
あまり親子仲はよくなかったとはいえ、父親の張作霖を「関東軍」に爆殺された張学良が、個人的な恨みから、「国民党」と「共産党」が一致して「抗日戦線」を結成すべきと訴えたことは理解できます。
>「侵略」があれば「防衛」する勢力があるのは当たり前です。
「侵略」されても「防衛」する勢力も力もなかったのが、清末から民国初期の中国だったわけです。特に民国初期には、国が四分五裂して、お互いに内戦を繰り返し、まさに戦国時代のような状況で、中国の統一政府といえるようなものも明確には存在していませんでした。中国大陸が曲がりなりにも統一されたのは、1949年になってからです。
>日本国民の総意の下に中国侵略することが、軍人にとって難しいことでしたでしょうか?
「日本国民の総意の下に中国侵略」といわれますが、1937年7月7に「盧溝橋事件」が発生した当初は、「現地解決」を望んでいた現地司令官はもちろん、当時の「近衛内閣」も「不拡大方針」を打ち出していたことは御存知のことと思います。それが「通州事件」などを切っ掛けに、軍部の一部が主張していた「対支一撃論」が台頭してきて、ついに8月14日の「閣議」で「対中軍事行動」が認められることとなったのです。ついでに申し上げますと、中国との本格戦争を覚悟しての「大本営」設置は、それよりさらに三ヶ月後の11月20日であり、このことからも日本政府が当初から「日中戦争」を意図していたわけではないことは明らかです。
>>「西安事件」では、不思議な解決の仕方をしています。
即ち、事件の首謀者・張学良がわざわざ蒋介石と共に南京に出向き逮捕されていること。
>張学良が蒋介石とともに帰ったのは、彼の威信を傷つけたことの名誉を回復させるためと、蒋介石への忠誠を表す為ではなかったでしょうか?
又、張学良軍の分裂を避ける為でもあったと思いますね。一つにまとめる事が最大の目標であったと思います。中国統一には蒋介石は欠かせない人物であったようです、張学良、周恩来もその点で理解は一致していたのではないでしょうか。ですから、蒋介石が先頭に立つべき人物でしたのでしょう。たしか、その様に張学良は発言していたと思いますよ。さすがのインテリでした。
蒋介石が秘書の陳布雷に書かせた「西安半月記」によれば、蒋介石を拉致した張学良が、蒋介石に「国共合作して抗日戦を戦い、日本を中国大陸から駆逐すべき」と進言した時、蒋介石は「それは現時点では不可能、日本の実力を全く知らぬ者の考え」と一蹴し、張学良の用意した「八項目」への調印を断固拒否したとのこと。
ただ蒋介石は、この席に同席した周恩来を評価し、「共産党」に対する考えを幾分改めたとのこと。
一方、蒋介石に同行し南京に入った張学良は、そこで逮捕され、「軍法会議」にかけられ有罪の判決を受け、その後は重慶、蘇仙嶺、鳳凰山、麒麟洞、さらには台北(新竹、陽明山、北投)などで何十年間も軟禁状態に置かれて、やっと許され人前に出られるようになったのは、蒋介石の死後十五年が経過した1990年のことです。また張学良と共に、「西安事件」を起こした楊虎城(「第十七軍」長)は、重慶で「坑刑」に処されています。
このことからも、蒋介石が「西安事件」を起こした張学良らを決して許していなかったことが分かります。
これは メッセージ 5829 (kinngyoya301 さん)への返信です.
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re:ソ連の条約破り=破棄
投稿者: tm_bit 投稿日時: 2004/08/09 07:46 投稿番号: [5833 / 29399]
>>「ソ連の条約破り」はあったが佐藤大使は非難しなかった、ということでしょう。
>ソ連からの宣戦布告は中立条約の破棄を意味するものです。
「破棄を意味するもの」って?
「破棄」って条約破りのことでしょう。
貴方は以下に、このように書いているんですよ。↓
「依然有効な日ソ中立条約に背いて日本に戦争を仕掛け」ってね。
「日ソ中立条約に背いて」って書いてあるんだから条約を破ったことを指しているんでしょう?
これは メッセージ 5832 (kinngyoya301 さん)への返信です.
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横れす>>ソ連の条約破り=破棄
投稿者: kinngyoya301 投稿日時: 2004/08/09 07:25 投稿番号: [5832 / 29399]
>「ソ連の条約破り」はあったが佐藤大使は非難しなかった、ということでしょう。
ソ連からの宣戦布告は中立条約の破棄を意味するものです。
>日本はこのとき、非難をできる戦況ではなかったということです。
非難も何も、相手が条約の履行を破棄したのですから、どうしようもないのが現実ですよ。
せめて、守ってくれと行って欲しかったというだけでしょう。
それで好転するとは考えられない。ソ連政府の考えですから、一外務大臣ではどうしようもありません。
我々も日本国政府に騙されていた?ような、妙な気分ですな!!
これは メッセージ 5830 (tm_bit さん)への返信です.
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横れす>>ソ連の条約破り
投稿者: tm_bit 投稿日時: 2004/08/08 23:11 投稿番号: [5830 / 29399]
>又、佐藤大使は「極東の平和維持の視点から開戦決定に遺憾の意を表した」だけで、
>依然有効な日ソ中立条約に背いて日本に戦争を仕掛けるソ連の行動を非難してはいない。」
>・・・・・・・
>ソ連の侵攻は条約破りではなかったのだね!!
??
「依然有効な日ソ中立条約」ってかいてあるんだから
「ソ連の侵攻は条約破りではなかった」ってどういう意味ですか?
「ソ連の条約破り」はあったが佐藤大使は非難しなかった、ということでしょう。
日本はこのとき、非難をできる戦況ではなかったということです。
これは メッセージ 5829 (kinngyoya301 さん)への返信です.
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> 解決を望まない一団 ソ連の条約破り?
投稿者: kinngyoya301 投稿日時: 2004/08/08 22:35 投稿番号: [5829 / 29399]
貴方は日中戦争における一連の数々の日本軍(関東軍)の謀略とされる事件についてはどのように
お考えなのでしょうか?
日本軍(関東軍)の不可解な一連の行動に対しても貴方自身が明確な結論をなされていない状況に置いて、敵国の行動、あるいは状況にお詳しいとは、一体全体どのようなお考えをお持ちになっているのだろうか想像しますに、多少困難を伴いますね。
>「日中戦争を望む一団」は日中双方にあったのです。
当然、中国側としてみれば、侵略者を排除することは自衛権の行使でしょうね。
蒋介石も、張学良も、毛沢東、周恩来も、中国統一の為には抗日は避けては通れない関門でしたよ。
「侵略」があれば「防衛」する勢力があるのは当たり前です。
>>現地解決を望まない一団が陸軍内部に存在したからでしょう。
はあまりに単純な回答です。
難しい問題、複雑な問題でしょうかね?
日本国民の総意の下に中国侵略することが、軍人にとって難しいことでしたでしょうか?
石原完爾ですら止めることは出来なかったのです。
>「西安事件」では、不思議な解決の仕方をしています。
即ち、事件の首謀者・張学良がわざわざ蒋介石と共に南京に出向き逮捕されていること。
これは記事をお読みになられての書き込みでしょうか?
張学良が蒋介石とともに帰ったのは、彼の威信を傷つけたことの名誉を回復させるためと、蒋介石への忠誠を表す為ではなかったでしょうか?
又、張学良軍の分裂を避ける為でもあったと思いますね。
一つにまとめる事が最大の目標であったと思います。
中国統一には蒋介石は欠かせない人物であったようです、張学良、周恩来もその点で理解は一致していたのではないでしょうか。
ですから、蒋介石が先頭に立つべき人物でしたのでしょう。
たしか、その様に張学良は発言していたと思いますよ。
さすがのインテリでした。
>実際に国共合作があったにも拘らず国共合作の発表は上海事変の後になっていること等です。
別に発表はいつになっても、構わないのではありませんでしょうか?
何か不都合でもありますか?
本日8月8日読売新聞朝刊2面に
面白い記事が載っていましたので紹介しましょう(すでにご存知かもしれませんが、、、)
我々は太平洋戦争を聞く度にソ連との「日ソ中立条約、不可侵条約」について
終戦間際に条約を破って、ソ連は攻め込んできた、実にずるい国だ!!などと聞かされ、教えられてきたものです。
が、本日の記事では、
「駐ソ日本大使、対日開戦通告され条約破りを非難せず、受け入れていた」
「宣戦布告」をソ連からされ、それを了解していた、と言うのですよ。
こんな情報を今まで、日本政府は隠していたのでしょうね?
国益を損ねる行為でしょうね。
「モスクワ1945年8月8日ビャチェスラフ・モロトフ・ソ連外相が佐藤尚武駐ソ大使に対日開戦を通告した会談のソ連側議事録が明らかとなった。
佐藤大使はなぜか
日ソ中立条約を踏みにじって開戦するソ連の背信を咎めず、モスクワ駐在中の厚遇に感謝さえしていた。」
会談は午後5時から20分間でソ連外相が読み上げる「宣戦布告」を「大使は動揺した様子でもう一度、テキストを読みなおしてもよいか?と小さな声で許しを求めた」とある。
又、佐藤大使は「極東の平和維持の視点から開戦決定に遺憾の意を表した」だけで、依然有効な日ソ中立条約に背いて日本に戦争を仕掛けるソ連の行動を非難してはいない。」
さらに、
大使は「ソ連に滞在した3年4ヶ月の間、自分の為にモロトフ外相がしてくれた全てのことに対し深い感謝をあらわさねばならない」「ソ連政府は自分と日本政府に対し常に丁重だった」と礼まで述べたことまで記されている。
そして退出するときにはモロト外相に握手まで求めたとある。
佐藤氏自身の回顧録には「もはや万事窮す」形勢を盛り返す努力をあきらめたと記している、、
そうな!
ソ連の侵攻は条約破りではなかったのだね!!
驚きですね、、、外にもまだまだ、秘密が在りそうです、この国は、、、ね。
これは メッセージ 5827 (htfgs719 さん)への返信です.
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解決を望まない一団
投稿者: htfgs719 投稿日時: 2004/08/08 20:17 投稿番号: [5827 / 29399]
>現地解決を望まない一団が陸軍内部に存在したからでしょう。
はあまりに単純な回答です。
「日中戦争を望む一団」は日中双方にあったのです。
その一方がロシア・コミュンテルンの指示を受けた中国共産党でした。
「西安事件」では、不思議な解決の仕方をしています。
即ち、事件の首謀者・張学良がわざわざ蒋介石と共に南京に出向き逮捕されていること。
実際に国共合作があったにも拘らず国共合作の発表は上海事変の後になっていること等です。
西安門事件は更に研究が必要のようです。
日中戦争の原因となった盧溝橋事件から北支事変、上海事変に至るまで中国側の挑発行為とされています。
これらは中国共産党軍の策略と見なして良いと考えられます。
ところが中国共産党の策略に気がついた蒋介石軍は昭和16年1月6日に皖南事件(かんなん)を起こします。
蒋介石軍が中国共産党軍に対して戦闘を始め、中国共産党主力部隊で有った新四軍に死者一万人を越す粛清を行ったのです。
(この皖南事件は、ちょうど南京事件の裏返しの様な事件であるとも言われています)
そのため中国共産党軍は体制建て直しの為に、蘇北地方への撤退を余儀なくされました。(国共合作の解体)
一方日本も同様ロシア・コミュンテルンによる策略が期を一にしてあったのです。
近衛内閣は盧溝橋事件の現地解決が進んでいるに係わらず、その解決を待たずに兵員増強を決定した不自然さがあリます。
それを紐解くと、ドイツ人ゾルゲと朝日新聞記者・尾崎秀實に突き当たります。
資料
1
「ゾルゲ事件」
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1
資料
2
「朝日新聞のゾルゲ事件報道に見る朝日の狂気」
http://touarenmeilv.infoseek.livedoor.com/zoruge.htm
昭和10年8月の第7回コミンテルン大会では、政府も知らないところで
中国共産党と国民党が手を組み日本と戦うという方針を決定。
中国共産党に対して、日本帝国主義打倒のための民族解放闘争をスローガンとして抗日人民戦線運動を巻き起こすことを指令。
中国共産党は8月1日「抗日救国宣言」を発し、一切の国内闘争の即時停止、全面的抗日闘争の展開を企図。
がすでに決定されていました。
さてロシア・コミュンテルンのスパイ、ゾルゲと朝日新聞社の特派員尾崎秀実はアメリカ人左翼ジャーナリスト、アグネス・スメドレーを通じて知り合ったのです。
ゾルゲを通じコミンテルンの指示を知っていた尾崎は、監禁された蒋介石の安否が不明の段階から、「中央公論」に「蒋介石が今後の国共合作を条件に、無事釈放されるだろう」と予測する論文を発表。
この予測が見事に的中して、尾崎は中国問題専門家としての地位を固めました。
昭和12年の4月ごろから尾崎は「昭和研究会」に入り、「支那問題研究部会」の中心メンバーとして活躍。
昭和13年4月、近衛内閣の嘱託。その立場を利用して国内世論を誘導するだけでなく、和平の動きそのものも妨害しました。
しかし、昭和16年10月、日米開戦の予告をモスクワに通信したのを最後に、彼とそのグループは検挙され、彼らのほとんどが終戦をまたずに刑死・獄死しました。
ゾルゲや尾崎秀実や日本共産党の戦前の反日活動が、反戦平和活動だったなどと言う輩がいるようですが、彼らはソ連の野望の下働きにすぎなかったのです。
日本・中国国民党はロシアの陰謀に乗せられて日中戦争に突き進んだものと解釈できますがいかがでしょうか。
これは メッセージ 5816 (kinngyoya301 さん)への返信です.
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あと気づいたこと
投稿者: qa19582000 投稿日時: 2004/08/08 16:23 投稿番号: [5826 / 29399]
時間をかけれませんので、このあたりで失礼します。
あと、気づいたことですが、
正規軍の兵士が、敵国の軍服や民間人の服を意図的に着て行動している時に、捕まったら捕虜としての当然の権利を主張することはできません。もちろん捕虜にしてもかまいませんが、射殺されても文句は言えません。
(軍人が民間人の服を着て行動する戦術があり、当時はこれを便衣兵と呼んでいたのですが、これにはむろん子どもや女性や老人が含まれることはありません)
当たり前の簡単な常識なんですよ。それをどうにかして虐殺にしようと、いろんな論理をこねくりまわしている日本人たちがいますが、総てトンチンカンな議論です。
これは メッセージ 1 (yuukouheiwa さん)への返信です.
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出兵問題について
投稿者: qa19582000 投稿日時: 2004/08/08 16:05 投稿番号: [5825 / 29399]
>西安事件、そして通州事件の日本人虐殺から上海事変という流れの中で
戦後の洗脳教育を受けた世代の方には、この辺の事情はわかりにくくなっているのですよね。
例えば、昨日のアジアカップで混乱がありましたよね。通州事件なんていうのは、例えてみると日本人サポーターたちがいきなり虐殺されて全滅したみたいなもんです。それも切り刻まれたり針金を体に通されて連行されたりしてね。そういうのは歴史的には中国特有の方法なんですけど、日本人には理解しがたいわけです。
それで、次ぎに上海が大軍に囲まれて少数の日本軍陸戦隊が防衛するんですが、上海には何万もの日本人が住んでいて、通州の二の舞になったら軍は国民に顔向けできないわけです。それで上海の居留民を救出せよと、派遣軍が編成されるわけです。
ただ、上海を包囲する中国軍は最新式の軍備とドイツ軍顧問団の応援も受けていて、日本軍はおもいもかけない苦戦をしてしまうのです。あまりにも死傷者が多くて、日本国内では遺族たちが連隊長の家を襲って投石したりする事件も起きるわけです。
そんなこといろいろなことがあり、途中でドイツを仲介した和平交渉もありましたが、、南京を落せば、中国も反省して終るであろうということで上海救出の後に南京への進撃になるわけです。
でも一番のもとは西安事件なんです。これがあったから、本来親日的な蒋介石は日本と本格的に戦うはめになったし、中共が政権をとれたわけです。
だから中共にとっては、あの馬賊の息子は恩人なわけです。しかし、蒋介石にしてみれば彼に対して複雑な思いがあるわけなんです。
これは メッセージ 5823 (qa19582000 さん)への返信です.
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>旧日本軍兵士の証言 補足
投稿者: qa19582000 投稿日時: 2004/08/08 15:41 投稿番号: [5824 / 29399]
これは、もちろん旧日本軍兵士の証言についてのことです。日時や部隊がわかれば、戦友や部隊の行動などで検証できますからね。
中国人の証言は、終戦直後からしばらくは虐殺の証言はあまりなくて、南京の捕虜の日本軍や日本人居留者と中国人との関係はそんなには悪くなかったのです。
中国人の南京虐殺の証言は、主に1960年代以降に作られていますが、こちらは検証のしようがないんです。
これは メッセージ 5821 (qa19582000 さん)への返信です.
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>南京事件に至るまで〜10 (松井石根)
投稿者: qa19582000 投稿日時: 2004/08/08 13:41 投稿番号: [5823 / 29399]
松井将軍は中国と中国人を愛し、蒋介石とも仲が良かったのです。く日中の和平を目指して話合いを続けていたのです。
しかし、西安事件、そして通州事件の日本人虐殺から上海事変という流れの中で、派遣軍の司令官になつてしまいました。病身を押して指揮をとり、旧知の中国側の将軍たちと戦いました。戦いの途中で孤児の中国人の幼女を助け、自分の養女にしています。
そして南京を攻略しましたが、南京で軍法会議に問われた何人かの日本軍人の不祥事のことを聞いて涙を流しました。彼は理想主義者だったのです。
これは メッセージ 5820 (kinngyoya301 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/5823.html
ソースを出してください。
投稿者: seekthetruth24 投稿日時: 2004/08/08 13:33 投稿番号: [5822 / 29399]
そういう
重要な発言をされるからには
しっかりした根拠があるんでしょうから。
東京朝日日日新聞の
戦意高揚記事
では
使い物になりませんが
ね。
これは メッセージ 5817 (lebenkorper さん)への返信です.
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>旧日本軍兵士の証言
投稿者: qa19582000 投稿日時: 2004/08/08 13:25 投稿番号: [5821 / 29399]
それが本当かどうかが問題。
しかし、ベトナム戦争の時の米軍のように、残虐行為はあったかもしれない。
中国軍(中国軍という統一された軍隊があったわけではないけど)の自国民に対する残虐行為はすごいものでしたが、日本人のメンタリテイからそういうのはさすがにないでしょう。しかし、戦争には残虐行為はつきまといます。
でも、南京大虐殺における実名の虐殺証言は、今のところ総て嘘があばかれています。だから最近では匿名の証言が作られています。
これは メッセージ 5817 (lebenkorper さん)への返信です.
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南京事件に至るまで〜10 (松井石根)
投稿者: kinngyoya301 投稿日時: 2004/08/08 10:32 投稿番号: [5820 / 29399]
南京事件に至るまで〜10 (松井石根 )
「今次の上海出兵は海軍が陸軍を引きずって行ったものといっても差し支えないと思う、、私は上海に絶対出兵したくなかったが実は前に海軍と出兵する協定があった。」(石原完爾中将回想録)
第2次上海事変は軍令部並びに第3艦隊が周到に作戦準備をして開始したものとされている。(日中戦争と海軍=笠原)
参謀本部、軍令部=「北支作戦に関する陸海軍協定」(37年7月11日)
「帝国居留民の保護を要する場合においては、青島、上海付近に限定して陸海軍所要兵力共同してこれにあたる」により、8月15日に第3師団と第11師団による上海派遣軍の「編祖」と上海への派兵を命じた。
松井石根大将に与えられた任務は”上海地区の日本人居留民保護という限定された小規模兵力の派遣である”
ところが、松井石根大将にはこの命令を墨守するつもりは最初からなかった様子である。
「陸軍を増派して南京攻略まで、行うべきである」と陸軍大臣官邸で行われた三長官(参謀総長、陸相、教育総監)の送別会での挨拶で述べている。
さらに、参謀本部首脳との会談でも
「国民政府存在する限り、解決出来ず、、蒋介石下野、国民政府没落せざるべからず、、結末を何処にすべきやの議論あるも、だいたい南京を目標としてこの際断乎として敢行すべし、その方法はだいたい五〜六個師団とし、宣戦布告をし、堂々とやることを可とす、、、かく短時日に南京を攻略す、、、蒋介石は南京を攻略せば下野すべし、、、」
と司令官として中国に全面戦争を布告し、五〜六師団の兵力をもって南京国民政府を敗退させる決意まで述べている(次長、総務部長、第一,第二部長、会談)
松井石根大将は南京を落とせば中国は屈服すると安易に考え、崩壊させた後、
新政権を樹立し、軍司令官として、君臨することを望んでいた。よって、
上海居留民保護など、どうでも良い問題であったのである。
日本軍の「最高司令官」として 国民政府を倒し、謀略宣伝機関を設置支、「満州国政府」と同様な新政府樹立工作を行いたいというのである。
石原完爾第一部長は「個人としては長引けば全体の形勢が危ういものと考えあり、、」と懸念を表明し、参謀次長多田駿中将は「南京攻略の着想は、、具体的に研究すれば困難ますます加わる、、」と婉曲に反対し、松井司令官の命令違反を諫めるような厳重な注意を怠った。
松井司令官は見送りに来た杉山元陸相にも「どうしても、南京まで進撃しなければならない。」と力説している(八月一九日東京駅)
後に日本政府と軍部首脳は南京国民政府との和平を早期に実現し戦局を終結させるために駐華ドイツ大使トラウトマンに仲介を依頼して、蒋介石との和平交渉を本格的に推進するが(トラウトマン和平工作)、
松井指令官は国民政府との和平交渉など念頭似なく、やがて参謀本部の統制を無視して上海派遣軍を独断で南京攻略へ向かわせる事となる。
*ブリュッセル会議における対日経済制裁の可能性と、現地軍の無統制な戦線拡大による戦争の全面化と長期化をおそれた政府と軍部首脳は10月初旬から日本側の停戦条件を作成、ドイツ外務省と駐華ドイツ大使トラウトマンに斡旋を依頼して本格的に交渉するが最終的には日本軍の南京占領に幻惑されて、近衛内閣は三八年一月一五日、和平交渉の打ち切りを決定、日中全面戦争は長期泥沼化していく。
松井石根大将
陸軍士官学校第九期の卒業、九期から陸軍大将は5人輩出している。
(松井石根、荒木貞夫、真崎甚三郎、本庄繁、阿部信行)
松井石根は陸軍士官学校を二番の成績で卒業、陸軍大学校を主席で卒業している。
にもかかわらず、同期のなかで出世が遅れ、現役を退いて予備役になるのはもっとも早かった。
突然の日中全面戦争の開始出、現役の大将の数が不足したため、招集され、現役に復帰し司令官に任命されたのである。
松井は満五九才、陸軍最長老の大将として軍功をあげる最後のチャンスが到来したのである。
松井石根の野心を知りながら、陸軍首脳が命令、任務の厳守を松井に確約させなかったのは彼が陸軍最長老であったための遠慮があったといえる。
が
戦争指導者層の無責任な対応が、南京事件を起こす要因の一つとなっていた。(江口圭一「上海戦と南京進撃」)
南京事件に至るまで〜11(近衛文麿)
これは メッセージ 5815 (kinngyoya301 さん)への返信です.
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日本人妻の真実!
投稿者: tm_bit 投稿日時: 2004/08/08 06:31 投稿番号: [5819 / 29399]
2003/10/11 15:11
メッセージ: 2183
投稿者: jackey_pabirion
日本人妻の真実
「在日と結婚し北に行った日本人妻」はほとんどが好きこのんで在日と結婚した
のでは無いよ。朝鮮進駐軍と名乗って在日が暴れ回っていた頃に結婚してる人が
ほとんど。なぜか?
在日が日本人女性を当時多く強姦してたから。
妊娠してしまい、親との縁を切られた人も結構いた。そういう人たちを奴らが嫁
(事実上の奴隷)にしたんだよ。朝鮮人が日本人女性を嫁にする=征服、という
価値観が彼らにあったんだよ。 という書きこがあった。
自分はこの話しを信じる。なぜなら樺太に残留した日本人女性を支援する活動 を
しているという女性が、NHKのラジオで同じようなことを話ていたからだ。
樺太に残留した日本女性は、ほとんどが終戦後レイプや脅迫によって朝鮮人 の妻に
させられた女性です。脅迫というのは、自分と結婚しないと、ソ連当局に密告して
家族全員を収容所送りにしてやる、というような脅しだったら しい。終戦から
2年後ぐらい後に日本の船が日本人を迎えに行ったときは、すでに妊娠していた
ため帰るのをあきらめたという。
朝鮮人はなぜ樺太に残ったのか。当時彼らは「戦勝国民」であったので樺太から
追い出されず、それで樺太に残ったにすぎないのに、今になってあたかも日本人
が彼らを置いてけぼりにしたような主張があることだ。
そういう説を広めたのは、「サハリン棄民」とかいう本を書いた、東大の大沼という
教授だ。大沼というやつは、学生のころは過激派だったらしい。それでNHKが
この話を取り上げて、当時の夜11からの番組で連続してサハリンの 朝鮮人の
取材レポートを放送し、山根一真と道傳アナウンサが、神妙な顔つきで、サハリン
に放置された朝鮮人の方々のことを思うと胸が痛みますってなことを言てったんだ。
その結果、社会党政権のもとで、日本が300億円だったか700億円だったか
金を出して、サハリンから韓国に帰国する朝鮮人のための集合住宅を建ててやっ
たんだ。そしてそれが完成したときそのことをテレビで放送していた。だが確認
はしていないが、その建物には、戦後北朝鮮から労働力としてサハリンに送られた
朝鮮人が、ソ連崩壊後北朝鮮でなく韓国に戻り、その建物に入っているという
ような話も聞いたことある。嘘に騙されてマスコミが煽って自虐して金出して
それがまた嘘を呼ぶ典型的な例だ。
被害者づらして騙しているけど、朝鮮人ってほんとに悪いことやっている。
朝鮮半島で、鮮人が日本女性に襲いかかってきただけじゃなくて、日本国内でも
戦後、 三国人と呼ばれた鮮人は本性をあらわにし、戦勝国民を自称して日本女性への
強姦を繰り返した。警察予備隊は、朝鮮戦争出撃の米軍に代わり三国人鎮圧目的
で設立され たが、1951年、社会党委員長に就任した鈴木茂三郎が予備隊に
反対して、「青年よ、銃を取るな」と呼び掛けたとき、当時の日本社会では日本
女性の強姦の危機と受け止められたほどだったという。
「サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか」 新井佐和子 (草思社 )
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4794207980/ii-22
これは メッセージ 5817 (lebenkorper さん)への返信です.
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だから?
投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2004/08/07 23:37 投稿番号: [5818 / 29399]
んで、それが日本が組織的に行なったって言う証拠は?なんかあんのか?韓国の従軍慰安婦みたいに証言に嘘がある可能性もあるのにそれだけで、信じ込むのは馬鹿のすることだな?所詮、おまえは証言者がいるから正しいなどと寝惚けたことを言う輩なんだろ?仮に一部の兵士が行なったとしてもそれが即、日本への賠償問題につながらんてこともわからん馬鹿なんだろ?愚かだな。
これは メッセージ 5817 (lebenkorper さん)への返信です.
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旧日本軍兵士の証言
投稿者: lebenkorper 投稿日時: 2004/08/07 21:10 投稿番号: [5817 / 29399]
「従軍慰安婦」訴訟における旧日本軍兵士の証言
旧日本軍兵士は山西省に配置されていたときの体験から41年に
「先輩たちは輪姦のうえ、女性を全裸で連行した。途中で女性の乳児を
ガケ下に放り投げると、女性も後を追って身を投げた。死んだと思います」
と証言。
また、作戦中、女性の拉致をたびたび目撃し、将校が強姦する場にも
立ち会ったという元兵士は「自分も一度だけ輪姦に加わった」と告白した。
これは メッセージ 1 (yuukouheiwa さん)への返信です.
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なぜ日中戦争が回避できなかったか?
投稿者: kinngyoya301 投稿日時: 2004/08/07 16:14 投稿番号: [5816 / 29399]
>しかし、当初この盧溝橋事件は昭和12年7月11日現地の停戦協定調印で一応の決着しています。
>
では、なぜこれが拡大したかです
>なぜ日中戦争が回避できなかったか?
それは現地解決を望まない一団が陸軍内部に存在したからでしょう。
南京事件に至る〜10からに、、、
>これによると
昭和11年12月12日、西安で蒋介石が共産党軍に捕らえられたが、スターリンの仲介で助けられました。
しかしその結果第二次国共合作が成立したのです。
というで共産党軍が半年後の盧溝橋に堂々といただけではなく少なくとも国民党軍と対等の立場であったことになる訳です。
西安事件に関しては紹介石と張学良の意見の対立から、張学良が蒋介石を逮捕監禁し、周恩来との会談に引き出し、国共合作を成し遂げ、その後、蒋介石によって、終戦後まで軟禁状態に置かれていたというのが事実でしょう。
蒋介石の考えはまず、北伐後、中国の統一、共産党軍を破り、その後に抗日を起こすというもの、
張学良は共産軍と共同して、まず、日本軍と戦うことが必要である。とした事です。
「張学良の証言」としてNHKが96才でしたか?彼の誕生日に台湾に帰国した際、独占インタビューに成功した時の
証言が本となって出版されています。
現在、中国では張学良は英雄視されています。
もし、蒋介石が共産党軍に逮捕されていたとするならば、、張学良の存在は名前すらなかったでしょう。と思います。
http://www.asyura.com/2002/bd18/msg/356.html7月25日
郎坊
日本側に大きな責任があると思います。
日本軍は精鋭部隊を送りこんだのでは在りませんかね。(やる気満々の兵士を、、)
7月29日
通州
これは陸軍の誤爆から発生した、逆襲と多くの辞典には書かれています。
この残虐性を関東軍は巧みに利用したと書かれてもいますね。
残虐性を比較検討するものでしょうかね?
大戦の被害者の数からすれば2百数名の犠牲者など、霞んでしまうのではありませんでしょうか?
それとも、被害者意識としては
これくらい言わなきゃならないとすることでしょうかね?
この事件だけで中国人の残虐性を責めるのはいかがなことでしょうか?と思いますね。
取り急ぎ、簡単にご返答いたします。
詳細につきましては後日にお願い致します。
急ぎの野暮用で、、、すみませんね。
これは メッセージ 5814 (htfgs719 さん)への返信です.
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南京事件に至るまで〜9 石原と武藤
投稿者: kinngyoya301 投稿日時: 2004/08/07 10:26 投稿番号: [5815 / 29399]
南京事件に至るまで〜9
石原完爾と武藤章
廬溝橋事件をきっかけとして陸軍は作戦計画も動員準備も不足のまま、場当たり的に全面戦争へと突入していった。
陸軍中央内部に「不拡大派」と「拡大派」の対立があり、やがて、「拡大派」が作戦の主導権を握るようになったのである。
不拡大派の中心人物は”石原完爾(参謀本部第1(作戦)部長)少将であり、
拡大派の先鋒は”武藤章(同部作戦課長)大佐である。(A旧戦犯絞首刑)
参謀本部は天皇の統帥権を補佐する陸軍中央統括機関で、陸軍に関する最高作戦指導機関である。
廬溝橋事件が勃発した時の参謀総長は「閑院宮載仁親王元帥」で、事実上の統括責任者は参謀次長の今井清中将は病気欠勤中であり、そのため、第1部長の石原完爾少将が次長を代行する立場であった。第2情報部長渡久雄中将は病気療養中で第3部長塚田攻少将第4部長下村定少将は拡大派であった。
(武藤章大佐は2.26事件を処理した際の辣腕ぶりが石原完爾部長に認められ、統帥部の最重要ポストである第1作戦課長に抜擢されていた。(37年3月)
廬溝橋事件の一報が7月8日に届いた時、石原完爾は「事件不拡大、現地解決」の方針を各部長を説いて同意を取り付けて、病臥中の今井参謀次長にかわって閑院宮参謀総長の決裁を受けて、「参謀本部の不拡大方針を決定」した。
「目下は満州国の建設の完成に専念し、対ソ軍備を完成し、これによって国防の安固を図らねばならぬ時に、もし、支那に手を出して、この計画を支離滅裂にしてはならない。
今や支那は昔の支那ではなく、国民党の革命は成就し、国家は統一競られ、国民の国家意識は覚醒している。日支全面戦争になったならば支那は広大な領土を利用して大持久戦を行い、日本の力では屈服出来ない。
日本は泥沼にはまった形となり、身動き出来なくなるで在ろう。
日本の国力も軍事力も今は貧弱である。日本は当分絶対に戦争を避けて、国力、軍事力の増大を図り、国防、国策の完遂を期する事が必要である。」(軍務局長武藤章回想録)
これに対して、通例ならば上官の決定に従って自分の考えを改めるか、引っ込める立場に在った武藤作戦課長は、そうし態度はとらず、石原第1部長に正面から対抗し、拡大方針を強硬に主張した。
*武藤の拡大論は陸軍中央の中堅層の多数派を代表するものであった。
「支那は統一不可能な分裂弱体国家であり、日本が強い態度を示せば、直ちに屈服する。この際、支那を屈服させて概して北支五省を日本の勢力下に入れ、満州を相まって対ソ戦略体勢を強化することが必要で、廬溝橋事件はそれを実現するため、願ってもない好機の到来を示すものである。
この事件は楽観を許さない、これに対処するには力をもってする外はなく、それには北支に兵力を増派して、状況によっては機を失せず一撃を加える。
これによってのみ、「時局の収拾」が出来るのである。」(軍務局長武藤章回想録)
不拡大派は拡大派に押し切られ、廬溝橋事件の現地停戦協定が成立したにも関わらず、
参謀本部は内地3個師団の華北派遣と支那駐屯軍の武力行使を指示、命令し、「北支事変」は 一挙に華北に拡大してしまったのである。
石原は、その後も北支事変の早期収拾を画策して奔走するも、陸軍内部に拡大派の下克上の風潮が強く参謀本部内をまとめる事が出来なかった。
(石原完爾は関東軍参謀時代中央、上層の統制を無視して謀略による柳条湖事件を引き起こして満州事変を主導し、成功した為、中央要職に栄転した過去がある。功さえ立てればどんな下克上の行為を冒しても、やがては賞され 、抑制しようとした上官は追い払われ、統制不服従者がこれに変わって統制者となる得るものだという軍規紊乱 の気運を醸成したとされる)
武藤章を典型として、独断専行をものともしない下克上の野心をもった中堅幕僚達が、拡大派の主力であった。
南京事件に至るまで〜10に続く(松井石根)
これは メッセージ 5787 (kinngyoya301 さん)への返信です.
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なぜ日中戦争が回避できなかったか
投稿者: htfgs719 投稿日時: 2004/08/06 21:58 投稿番号: [5814 / 29399]
kinngyoya301さんの「南京事件に至るまで」シリーズを途中まで読ませていただきました。
記載内容で
「なぜ日中戦争が回避できなかったか」
についてよく分からなかったもので私なりに書き込ませていただきます。
異論もあろうかと思います、ご意見を聞かせてほしいと思います。
まず盧溝橋事件ですが、きっかけとなった最初の一発は中国共産党紅軍の仕業ということが定説になっているようです。
しかし、当初この盧溝橋事件は昭和12年7月11日現地の停戦協定調印で一応の決着しています。
では、なぜこれが拡大したかです。
日本政府は盧溝橋事件の停戦協定調印を待たずに7月11日
午後の閣議で華北出兵が決定してしまいす。
これに対し7月18日
石原少将は、杉山陸相に「・・・この際、思いきって北支にある日本軍全体を一挙に山海関の満支国境まで引き下げる。・・・」という提案をし日本側の妥協による戦争回避の可能性はあったのです。
陸軍が内実は戦争を避けたがっており、文民統制回復のチャンスでした。(不成功でしたが)
一方中国国民党政府の場合は
7月17日蘆山で、蒋介石総統が「・・この事変を片付けるかどうかが最後の関頭の境目である・・徹底的に抗戦するほかない」と演説します。
そして7月19日、宋哲元の妥協的行動を牽制するため、この演説をラジオで公表、7月22日、蒋介石は北京撤退を進める宋哲元のもとに参謀次長を派遣し、国民政府の戦争決意を伝えます。
こうして7月11日の停戦協定調印はたった約2週間で破られることになったのです。
7月25日
郎坊(ろうぼう)にて、日本軍に対し、突如中国兵が小銃、機関銃を乱射してくる事件。
北京の広安門から北京城内に入城する日本軍に対して、中国側から突如襲撃が行われた広安門事件。
7月26日
支那駐屯軍の戦闘許可具申を受けた日本軍参謀本部は戦闘を決意し、武力行使を許可します。
7月28日
支那駐屯軍が北京を占領、同日日本軍は総攻撃を開始し,北平・天津一帯を占領,さらに華北の重要都市を次々に攻略。
7月29日
通州にて非戦闘員である日本人男女子供が虐殺される通州事件。
このようにして石原少将の不戦構想も崩壊しました。
こうした一連の事件はロシア・コミュンテルンに繋がる共産党紅軍主導による日本への戦争誘発行為が深く係わっていたと考えられます。
資料
1
「盧溝橋事件を拡大させたコミンテルン指令と日本人虐殺事件」
http://www.history.gr.jp/showa/228.html
これによるとソ連・コミンテルンは次のような指令を発しています。
1.「あくまで局地解決を避け、日支の全面的衝突に導かなければならぬ。
2.日本への譲歩に依(よ)って、支那の解放運動を裏切ろうとする(中国人)要人を抹殺(まっさつ)してもよい。
3.下層民衆階級に工作し、・・・・国民政府をして戦争開始のやむなきにたち到らしめなければならぬ。
4.党(中国共産党)は対日ボイコットを全支那的に拡大しなければならぬ。
5.紅軍は国民政府と協力する一方パルチザン的行動にでなけらばならぬ。
<興亜院政務部興亜資料政治篇「盧溝橋事件に対するコミンテルン指令」>
資料
2
「「西安事変」の禁区をこじ開けよ」
http://www6.plala.or.jp/GEKI/geki/1/42seian.html これによると
昭和11年12月12日、西安で蒋介石が共産党軍に捕らえられたが、スターリンの仲介で助けられました。
しかしその結果第二次国共合作が成立したのです。
というで共産党軍が半年後の盧溝橋に堂々といただけではなく少なくとも国民党軍と対等の立場であったことになる訳です。
こうして日中戦争の起点となる第二次上海事変へと繋がってゆくのですが、
資料1の記載内容に注目していただきたいのですが、
2.日本への譲歩に依(よ)って、支那の解放運動を裏切ろうとする(中国人)要人を抹殺(まっさつ)してもよい。
は同国人を守る姿勢がない内容になっていることです。
この2の内容と二つの中国軍の戦法として知られる「更衣兵作戦」と「清野作戦」(焦土作戦)のうちの「清野作戦」(焦土作戦)に通ずるところがあります。
清野作戦を裏付ける記載は
資料
3
「昭和12(1937)年12月13日の南京陥落時の状況 」
http://www.history.gr.jp/nanking/nanking.html
これは メッセージ 5664 (kinngyoya301 さん)への返信です.
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言論弾圧
投稿者: giro_tama 投稿日時: 2004/08/06 19:47 投稿番号: [5813 / 29399]
☆中国本土からアクセスできないHP(一部)☆
○チベット亡命政府公式HP
○法輪功公式HP
○国際人権団体 アムネスティ・インターナショナル
○民主化活動家 王丹HP
○民主化運動家団体 民主倫壇
○中華民国(台湾)行政院新聞局
○中国時報(台湾)
○香港の民主化を主張する「リンゴ日報」
○ 〃 「民報」
○ジャーナリスト 曹長青HP
これは メッセージ 5812 (takigawamasuuji さん)への返信です.
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ふう
投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2004/08/06 19:24 投稿番号: [5812 / 29399]
困ったもんだねえ。中国からの日本政府に向けてのサイバーテロ!韓国人もそうだが、呆れるよな〜。やることがマジで子供だ。己のダブルスタンダードを棚に上げて日本を批難するなど言語道断!所詮、民度が伴わない民族などはこの程度なのだろう。
これは メッセージ 5809 (giro_tama さん)への返信です.
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>【反日】 YellowFluteオフ会 【工作員 】
投稿者: fighter8823 投稿日時: 2004/08/06 11:16 投稿番号: [5811 / 29399]
これは メッセージ 5794 (new_ji_ba_dan さん)への返信です.
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虐殺は無かった!
投稿者: giro_tama 投稿日時: 2004/08/05 22:28 投稿番号: [5809 / 29399]
>難民区には大勢の中国人がいて、車から見た限りでは、平時の中国の他の都市とあまり変わらないようであった。そこでは、一軒の民家に日本機一機が墜落して、家族全員が死亡したとの気の毒な話を聞いた。が、機体は片付けられていたし、搭乗員の遺体は他に持ち去られていた。
>その後、市の南部にある中華門を出て、雨花台方面を調査したところ、計九名の遺体を発見することができた。二人は九六式艦爆の搭乗員で、七人は九六式陸攻の搭乗員であった。いずれも土葬で、立派な木製の棺に納められていた。私はそのような手厚い取り扱いをしてくれた紅卍会の人々に感謝せずにはいられなかった。
>この日、多くの中国人と接触したが、城内でも、城外でも、多くの人々が積極的に、私の質問に答えてくれた。また、雨花台方面の道路で出会った農民たちは、笑顔さえ浮かべ、頭を下げて、われわれに挨拶をしていた。それは、わが国の地方の農村にもよくある光景と同じであった。
民間人に対する虐殺は無かったってことやね。
これは メッセージ 1 (yuukouheiwa さん)への返信です.
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おじゃまします。
投稿者: kurekure_china 投稿日時: 2004/08/05 22:18 投稿番号: [5808 / 29399]
結局、大陸(朝鮮を含む)はイマダ戦後なんだよね。国もバラバラ。
矛盾しまくりの政策を誤魔化すために仮想敵国つくって嘘の教科書で子供を洗って。
現在の中国(台湾含む)はアメリカ等の白人国が大大好き!もうメロメロ。
白色人種に騙されている事に早く気づいた方が良いのに。。
歴史は繰り返される。
これは メッセージ 1 (yuukouheiwa さん)への返信です.
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私は馬鹿です。
投稿者: yume365niti 投稿日時: 2004/08/05 22:17 投稿番号: [5807 / 29399]
あんたも馬鹿!
あんたのような馬鹿を世の中の人は、「見てきたようなうそを言う」と言います。
もちろん、表題のこと。
以上、反論許さず。
これは メッセージ 5797 (mituru171819 さん)への返信です.
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共産党に利用される反日バッシング
投稿者: seiron_sya 投稿日時: 2004/08/05 22:15 投稿番号: [5806 / 29399]
中国は議会制民主主義制度がないから、国政選挙がない。そのため
民衆的支持基盤をすでに失っている中国政府には、常に存在自体の正当性、
正統性を問われるという弱みがある。
政府は毛沢東らの革命第一世代、訒小平らの第二世代の時代がとうに過ぎ、
江沢民以降の革命後の世代からは、かつての社会主義革命の「栄光の歴史」
に頼るだけでは民衆を取りまとめることができなくなっている。
それだけの権威(正当性)を喪失しているのである。しかも、改革開放路線に
転換してからは、実質的に社会主義を放棄しているのだから、なおのことである。
現在なおも「四つの原則」を堅持してはいるものの、それは単なるスローガンだ。
もはや社会主義政権存立の正統性を証明できるものはなく、民衆を納得させる
こともできないし、反政府勢力弾圧の口実すらなくなっている。
現在の中国には自由も民主主義もなく、人権も人間としての尊厳も保障されず、
官僚汚職は深刻で、「先富起来」(富める者から先に富め)と豊かな生活が奨励
されても、実際豊かになったのは一部の党幹部や特権階級だけで、圧倒的多数の
民衆は相変わらず「貧窮落伍」である。「二十一世紀は中国の世紀」と喧伝されても、
民衆には実感がなく、党がいくら「社会主義新文明を創出する」と党大会のたびに
決定しても、いまだ何も創出されていない。
このような八方塞がりの状況で現政権は、経済面では非社会主義に追いつくことが
できない以上、かつての中華帝国の光栄を取り戻し、アジアに覇権を打ち立てるなどで
国民を納得させようと、目下社会主義イデオロギーに代わる、愛国主義、民族主義の
高揚に躍起になっているのである。
そのためび絶対不可欠となったのが仮想敵国の創出であり、そしてこの「敵国」に
対して高姿勢で臨み、それを国内に見せつけることで国民の欲求を満足させ、政権の
安泰を図ろういう目論見である。そこで格好の餌食、つまり「敵国」に指定されたのが
日本である。
日本は圧力をかければかけるほど意のままになる国だから、このように強力な政府の
姿を見せることは、国民に対しても恫喝効果があるから、反日は、まさに一石二鳥の
国内引き締め政策であるといえる。
『中国こそ逆に日本に謝罪すべき9つの理由』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/detail/-/books/4413034600/contents/ref=cm_toc_more/250-1419766-6917052
これは メッセージ 4761 (seiron_sya さん)への返信です.
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平時と
投稿者: hinekurwmono 投稿日時: 2004/08/05 22:01 投稿番号: [5805 / 29399]
戦時と同列に判断は出来ませんが。
何ゆえ、箸の上げたてのように
根ほり葉堀、日本軍の行動を責立て
る。
戦争には相手がある。
その、相手がにっく気にっぽん軍であつたのか。
はたまた蒋介石の国民党軍であったのかが統括されないまま、敗戦を迎えた日本軍の所為とするには、
ちと、無理があると思いますが。」
これは メッセージ 5804 (oityantyan さん)への返信です.
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原爆被害調査を行った人物の証言3
投稿者: oityantyan 投稿日時: 2004/08/05 21:48 投稿番号: [5804 / 29399]
>彼らのほとんどは,戦意を失って,ただ、生きるために、軍服を脱ぎ、平服に着替えていた。したがって、彼らを通常言われているゲリラと同一視することは適当とは思われない。
当然です、彼らは軍服を平服に着替えていたが武器は所持してはいなかったのです。
武器を携行しているかどうか?を問題とすべき所です。
彼らを射殺することは条約違反であることは明白です。
日本軍は「捕虜として囲う事」を認めませんでしたので、当然ながら殺してしまいました。(命令書には処理と書かれている)
又、便衣兵にかぎらず、若者はすべて、敵方兵士として捕らわれ、射殺したのでした。
これは南京にかぎらず、マニラでもインドシナでも在ったことです。
もっとも
自分たちの食料も十分には確保出来てはいなかったので、捕虜を捕まえたところで、与える食料などなかったでしょう。
これは メッセージ 5802 (YellowFlute さん)への返信です.
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お前が
投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2004/08/05 20:19 投稿番号: [5803 / 29399]
死ねや!てめえ、まだ書き込みしてやがんのか?日本語もまともに理解できんくせによ。
これは メッセージ 5797 (mituru171819 さん)への返信です.
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原爆被害調査を行った人物の証言3
投稿者: YellowFlute 投稿日時: 2004/08/05 18:15 投稿番号: [5802 / 29399]
また、この章の「虚構説」の冒頭で紹介した論文には、「南京市民立ち会いのもと兵士と市民を区別した」とある。そうであれば、たとえ便衣を着ていようとも、中国兵がわが陸軍部隊に捕らえられていたことになる。そうであれば、彼らを処刑することは、へーグ条約はもとより、ジュネーブ条約の違反ではないか。
なお,同じ論者達が別の著作で、南京での便衣兵をゲリラと同一視していることにも問題がある。というのは、ゲリラとは元々欧米諸国で使われてきた用語で、通常、愛国心やその他の特殊な意図から、積極的に、大敵行動をする軍人ではない人々を指す言葉である。従って、彼らは積極的に武力の行使や妨害活動に従事している人々である。
(中略)
私の知る限り,彼らのほとんどは,戦意を失って,ただ、生きるために、軍服を脱ぎ、平服に着替えていた。したがって、彼らを通常言われているゲリラと同一視することは適当とは思われない。
奥宮正武「私の見た南京事件」p60-61
これは メッセージ 5801 (YellowFlute さん)への返信です.
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原爆被害調査を行った人物の証言2
投稿者: YellowFlute 投稿日時: 2004/08/05 18:15 投稿番号: [5801 / 29399]
私は、この二目間に下関で見た合計約二十台分の、言いかえれぱ、少なくとも合計五百人以上の中国人の処刑だけでも、大虐殺であった、と信じている。もっとも、どれだけの被害者があれば大虐殺であるかについては、人それぞれに見解の相違があるかも知れないが。
それらに加えて、玄武湖の湖上や湖岸で見た大量の死体のこととも考え合わせて、正確な数字は分からなかったが、莫大な数の中国人の犠牲者があったのではないか、と考えざるをえなかった。
そうだとすれば、それは、明らかに、国際法上の大間題ではないかと思われた。が、当時の私には、そのことを突っ込んで検討する時間的な余裕がなかった。その後間もなく、私自身が作戦飛行に従事せねばならなかったからであった。
下関での第二日目の処刑場を確認したのち、本来の遺体捜索活動に移った。そして、下問付近を見回ってから、再び福一江門から城内に入り、主として、市内の北西部と中心部にある難民区を調査した。
城内では、幹線道路の両側を、なしうる限り、約一千メートルの問隔をおいて支線に入って、日本機の消息を間いて回った。難民区には大勢の中国人がいて、車から見た限りでは、平時の中国の他の都市とあまり変わらないようであった。そこでは、一軒の民家に日本機一機が墜落して、家族全員が死亡したとの気の毒な話を聞いた。が、機体は片付けられていたし、搭乗員の遺体は他に持ち去られていた。
その後、市の南部にある中華門を出て、雨花台方面を調査したところ、計九名の遺体を発見することができた。二人は九六式艦爆の搭乗員で、七人は九六式陸攻の搭乗員であった。いずれも土葬で、立派な木製の棺に納められていた。私はそのような手厚い取り扱いをしてくれた紅卍会の人々に感謝せずにはいられなかった。
この日、多くの中国人と接触したが、城内でも、城外でも、多くの人々が積極的に、私の質問に答えてくれた。また、雨花台方面の道路で出会った農民たちは、笑顔さえ浮かべ、頭を下げて、われわれに挨拶をしていた。それは、わが国の地方の農村にもよくある光景と同じであった。
これは メッセージ 5800 (YellowFlute さん)への返信です.
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