なぜ日中戦争が回避できなかったか?
投稿者: kinngyoya301 投稿日時: 2004/08/07 16:14 投稿番号: [5816 / 29399]
>しかし、当初この盧溝橋事件は昭和12年7月11日現地の停戦協定調印で一応の決着しています。
>
では、なぜこれが拡大したかです
>なぜ日中戦争が回避できなかったか?
それは現地解決を望まない一団が陸軍内部に存在したからでしょう。
南京事件に至る〜10からに、、、
>これによると
昭和11年12月12日、西安で蒋介石が共産党軍に捕らえられたが、スターリンの仲介で助けられました。
しかしその結果第二次国共合作が成立したのです。
というで共産党軍が半年後の盧溝橋に堂々といただけではなく少なくとも国民党軍と対等の立場であったことになる訳です。
西安事件に関しては紹介石と張学良の意見の対立から、張学良が蒋介石を逮捕監禁し、周恩来との会談に引き出し、国共合作を成し遂げ、その後、蒋介石によって、終戦後まで軟禁状態に置かれていたというのが事実でしょう。
蒋介石の考えはまず、北伐後、中国の統一、共産党軍を破り、その後に抗日を起こすというもの、
張学良は共産軍と共同して、まず、日本軍と戦うことが必要である。とした事です。
「張学良の証言」としてNHKが96才でしたか?彼の誕生日に台湾に帰国した際、独占インタビューに成功した時の
証言が本となって出版されています。
現在、中国では張学良は英雄視されています。
もし、蒋介石が共産党軍に逮捕されていたとするならば、、張学良の存在は名前すらなかったでしょう。と思います。
http://www.asyura.com/2002/bd18/msg/356.html7月25日
郎坊
日本側に大きな責任があると思います。
日本軍は精鋭部隊を送りこんだのでは在りませんかね。(やる気満々の兵士を、、)
7月29日
通州
これは陸軍の誤爆から発生した、逆襲と多くの辞典には書かれています。
この残虐性を関東軍は巧みに利用したと書かれてもいますね。
残虐性を比較検討するものでしょうかね?
大戦の被害者の数からすれば2百数名の犠牲者など、霞んでしまうのではありませんでしょうか?
それとも、被害者意識としては
これくらい言わなきゃならないとすることでしょうかね?
この事件だけで中国人の残虐性を責めるのはいかがなことでしょうか?と思いますね。
取り急ぎ、簡単にご返答いたします。
詳細につきましては後日にお願い致します。
急ぎの野暮用で、、、すみませんね。
これは メッセージ 5814 (htfgs719 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/5816.html