> 解決を望まない一団 ソ連の条約破り?
投稿者: kinngyoya301 投稿日時: 2004/08/08 22:35 投稿番号: [5829 / 29399]
貴方は日中戦争における一連の数々の日本軍(関東軍)の謀略とされる事件についてはどのように
お考えなのでしょうか?
日本軍(関東軍)の不可解な一連の行動に対しても貴方自身が明確な結論をなされていない状況に置いて、敵国の行動、あるいは状況にお詳しいとは、一体全体どのようなお考えをお持ちになっているのだろうか想像しますに、多少困難を伴いますね。
>「日中戦争を望む一団」は日中双方にあったのです。
当然、中国側としてみれば、侵略者を排除することは自衛権の行使でしょうね。
蒋介石も、張学良も、毛沢東、周恩来も、中国統一の為には抗日は避けては通れない関門でしたよ。
「侵略」があれば「防衛」する勢力があるのは当たり前です。
>>現地解決を望まない一団が陸軍内部に存在したからでしょう。
はあまりに単純な回答です。
難しい問題、複雑な問題でしょうかね?
日本国民の総意の下に中国侵略することが、軍人にとって難しいことでしたでしょうか?
石原完爾ですら止めることは出来なかったのです。
>「西安事件」では、不思議な解決の仕方をしています。
即ち、事件の首謀者・張学良がわざわざ蒋介石と共に南京に出向き逮捕されていること。
これは記事をお読みになられての書き込みでしょうか?
張学良が蒋介石とともに帰ったのは、彼の威信を傷つけたことの名誉を回復させるためと、蒋介石への忠誠を表す為ではなかったでしょうか?
又、張学良軍の分裂を避ける為でもあったと思いますね。
一つにまとめる事が最大の目標であったと思います。
中国統一には蒋介石は欠かせない人物であったようです、張学良、周恩来もその点で理解は一致していたのではないでしょうか。
ですから、蒋介石が先頭に立つべき人物でしたのでしょう。
たしか、その様に張学良は発言していたと思いますよ。
さすがのインテリでした。
>実際に国共合作があったにも拘らず国共合作の発表は上海事変の後になっていること等です。
別に発表はいつになっても、構わないのではありませんでしょうか?
何か不都合でもありますか?
本日8月8日読売新聞朝刊2面に
面白い記事が載っていましたので紹介しましょう(すでにご存知かもしれませんが、、、)
我々は太平洋戦争を聞く度にソ連との「日ソ中立条約、不可侵条約」について
終戦間際に条約を破って、ソ連は攻め込んできた、実にずるい国だ!!などと聞かされ、教えられてきたものです。
が、本日の記事では、
「駐ソ日本大使、対日開戦通告され条約破りを非難せず、受け入れていた」
「宣戦布告」をソ連からされ、それを了解していた、と言うのですよ。
こんな情報を今まで、日本政府は隠していたのでしょうね?
国益を損ねる行為でしょうね。
「モスクワ1945年8月8日ビャチェスラフ・モロトフ・ソ連外相が佐藤尚武駐ソ大使に対日開戦を通告した会談のソ連側議事録が明らかとなった。
佐藤大使はなぜか 日ソ中立条約を踏みにじって開戦するソ連の背信を咎めず、モスクワ駐在中の厚遇に感謝さえしていた。」
会談は午後5時から20分間でソ連外相が読み上げる「宣戦布告」を「大使は動揺した様子でもう一度、テキストを読みなおしてもよいか?と小さな声で許しを求めた」とある。
又、佐藤大使は「極東の平和維持の視点から開戦決定に遺憾の意を表した」だけで、依然有効な日ソ中立条約に背いて日本に戦争を仕掛けるソ連の行動を非難してはいない。」
さらに、
大使は「ソ連に滞在した3年4ヶ月の間、自分の為にモロトフ外相がしてくれた全てのことに対し深い感謝をあらわさねばならない」「ソ連政府は自分と日本政府に対し常に丁重だった」と礼まで述べたことまで記されている。
そして退出するときにはモロト外相に握手まで求めたとある。
佐藤氏自身の回顧録には「もはや万事窮す」形勢を盛り返す努力をあきらめたと記している、、
そうな!
ソ連の侵攻は条約破りではなかったのだね!!
驚きですね、、、外にもまだまだ、秘密が在りそうです、この国は、、、ね。
日本軍(関東軍)の不可解な一連の行動に対しても貴方自身が明確な結論をなされていない状況に置いて、敵国の行動、あるいは状況にお詳しいとは、一体全体どのようなお考えをお持ちになっているのだろうか想像しますに、多少困難を伴いますね。
>「日中戦争を望む一団」は日中双方にあったのです。
当然、中国側としてみれば、侵略者を排除することは自衛権の行使でしょうね。
蒋介石も、張学良も、毛沢東、周恩来も、中国統一の為には抗日は避けては通れない関門でしたよ。
「侵略」があれば「防衛」する勢力があるのは当たり前です。
>>現地解決を望まない一団が陸軍内部に存在したからでしょう。
はあまりに単純な回答です。
難しい問題、複雑な問題でしょうかね?
日本国民の総意の下に中国侵略することが、軍人にとって難しいことでしたでしょうか?
石原完爾ですら止めることは出来なかったのです。
>「西安事件」では、不思議な解決の仕方をしています。
即ち、事件の首謀者・張学良がわざわざ蒋介石と共に南京に出向き逮捕されていること。
これは記事をお読みになられての書き込みでしょうか?
張学良が蒋介石とともに帰ったのは、彼の威信を傷つけたことの名誉を回復させるためと、蒋介石への忠誠を表す為ではなかったでしょうか?
又、張学良軍の分裂を避ける為でもあったと思いますね。
一つにまとめる事が最大の目標であったと思います。
中国統一には蒋介石は欠かせない人物であったようです、張学良、周恩来もその点で理解は一致していたのではないでしょうか。
ですから、蒋介石が先頭に立つべき人物でしたのでしょう。
たしか、その様に張学良は発言していたと思いますよ。
さすがのインテリでした。
>実際に国共合作があったにも拘らず国共合作の発表は上海事変の後になっていること等です。
別に発表はいつになっても、構わないのではありませんでしょうか?
何か不都合でもありますか?
本日8月8日読売新聞朝刊2面に
面白い記事が載っていましたので紹介しましょう(すでにご存知かもしれませんが、、、)
我々は太平洋戦争を聞く度にソ連との「日ソ中立条約、不可侵条約」について
終戦間際に条約を破って、ソ連は攻め込んできた、実にずるい国だ!!などと聞かされ、教えられてきたものです。
が、本日の記事では、
「駐ソ日本大使、対日開戦通告され条約破りを非難せず、受け入れていた」
「宣戦布告」をソ連からされ、それを了解していた、と言うのですよ。
こんな情報を今まで、日本政府は隠していたのでしょうね?
国益を損ねる行為でしょうね。
「モスクワ1945年8月8日ビャチェスラフ・モロトフ・ソ連外相が佐藤尚武駐ソ大使に対日開戦を通告した会談のソ連側議事録が明らかとなった。
佐藤大使はなぜか 日ソ中立条約を踏みにじって開戦するソ連の背信を咎めず、モスクワ駐在中の厚遇に感謝さえしていた。」
会談は午後5時から20分間でソ連外相が読み上げる「宣戦布告」を「大使は動揺した様子でもう一度、テキストを読みなおしてもよいか?と小さな声で許しを求めた」とある。
又、佐藤大使は「極東の平和維持の視点から開戦決定に遺憾の意を表した」だけで、依然有効な日ソ中立条約に背いて日本に戦争を仕掛けるソ連の行動を非難してはいない。」
さらに、
大使は「ソ連に滞在した3年4ヶ月の間、自分の為にモロトフ外相がしてくれた全てのことに対し深い感謝をあらわさねばならない」「ソ連政府は自分と日本政府に対し常に丁重だった」と礼まで述べたことまで記されている。
そして退出するときにはモロト外相に握手まで求めたとある。
佐藤氏自身の回顧録には「もはや万事窮す」形勢を盛り返す努力をあきらめたと記している、、
そうな!
ソ連の侵攻は条約破りではなかったのだね!!
驚きですね、、、外にもまだまだ、秘密が在りそうです、この国は、、、ね。
これは メッセージ 5827 (htfgs719 さん)への返信です.