解決を望まない一団
投稿者: htfgs719 投稿日時: 2004/08/08 20:17 投稿番号: [5827 / 29399]
>現地解決を望まない一団が陸軍内部に存在したからでしょう。
はあまりに単純な回答です。
「日中戦争を望む一団」は日中双方にあったのです。
その一方がロシア・コミュンテルンの指示を受けた中国共産党でした。
「西安事件」では、不思議な解決の仕方をしています。
即ち、事件の首謀者・張学良がわざわざ蒋介石と共に南京に出向き逮捕されていること。
実際に国共合作があったにも拘らず国共合作の発表は上海事変の後になっていること等です。
西安門事件は更に研究が必要のようです。
日中戦争の原因となった盧溝橋事件から北支事変、上海事変に至るまで中国側の挑発行為とされています。
これらは中国共産党軍の策略と見なして良いと考えられます。
ところが中国共産党の策略に気がついた蒋介石軍は昭和16年1月6日に皖南事件(かんなん)を起こします。
蒋介石軍が中国共産党軍に対して戦闘を始め、中国共産党主力部隊で有った新四軍に死者一万人を越す粛清を行ったのです。
(この皖南事件は、ちょうど南京事件の裏返しの様な事件であるとも言われています)
そのため中国共産党軍は体制建て直しの為に、蘇北地方への撤退を余儀なくされました。(国共合作の解体)
一方日本も同様ロシア・コミュンテルンによる策略が期を一にしてあったのです。
近衛内閣は盧溝橋事件の現地解決が進んでいるに係わらず、その解決を待たずに兵員増強を決定した不自然さがあリます。
それを紐解くと、ドイツ人ゾルゲと朝日新聞記者・尾崎秀實に突き当たります。
資料 1
「ゾルゲ事件」
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1
資料 2
「朝日新聞のゾルゲ事件報道に見る朝日の狂気」
http://touarenmeilv.infoseek.livedoor.com/zoruge.htm
昭和10年8月の第7回コミンテルン大会では、政府も知らないところで
中国共産党と国民党が手を組み日本と戦うという方針を決定。
中国共産党に対して、日本帝国主義打倒のための民族解放闘争をスローガンとして抗日人民戦線運動を巻き起こすことを指令。
中国共産党は8月1日「抗日救国宣言」を発し、一切の国内闘争の即時停止、全面的抗日闘争の展開を企図。
がすでに決定されていました。
さてロシア・コミュンテルンのスパイ、ゾルゲと朝日新聞社の特派員尾崎秀実はアメリカ人左翼ジャーナリスト、アグネス・スメドレーを通じて知り合ったのです。
ゾルゲを通じコミンテルンの指示を知っていた尾崎は、監禁された蒋介石の安否が不明の段階から、「中央公論」に「蒋介石が今後の国共合作を条件に、無事釈放されるだろう」と予測する論文を発表。
この予測が見事に的中して、尾崎は中国問題専門家としての地位を固めました。
昭和12年の4月ごろから尾崎は「昭和研究会」に入り、「支那問題研究部会」の中心メンバーとして活躍。
昭和13年4月、近衛内閣の嘱託。その立場を利用して国内世論を誘導するだけでなく、和平の動きそのものも妨害しました。
しかし、昭和16年10月、日米開戦の予告をモスクワに通信したのを最後に、彼とそのグループは検挙され、彼らのほとんどが終戦をまたずに刑死・獄死しました。
ゾルゲや尾崎秀実や日本共産党の戦前の反日活動が、反戦平和活動だったなどと言う輩がいるようですが、彼らはソ連の野望の下働きにすぎなかったのです。
日本・中国国民党はロシアの陰謀に乗せられて日中戦争に突き進んだものと解釈できますがいかがでしょうか。
はあまりに単純な回答です。
「日中戦争を望む一団」は日中双方にあったのです。
その一方がロシア・コミュンテルンの指示を受けた中国共産党でした。
「西安事件」では、不思議な解決の仕方をしています。
即ち、事件の首謀者・張学良がわざわざ蒋介石と共に南京に出向き逮捕されていること。
実際に国共合作があったにも拘らず国共合作の発表は上海事変の後になっていること等です。
西安門事件は更に研究が必要のようです。
日中戦争の原因となった盧溝橋事件から北支事変、上海事変に至るまで中国側の挑発行為とされています。
これらは中国共産党軍の策略と見なして良いと考えられます。
ところが中国共産党の策略に気がついた蒋介石軍は昭和16年1月6日に皖南事件(かんなん)を起こします。
蒋介石軍が中国共産党軍に対して戦闘を始め、中国共産党主力部隊で有った新四軍に死者一万人を越す粛清を行ったのです。
(この皖南事件は、ちょうど南京事件の裏返しの様な事件であるとも言われています)
そのため中国共産党軍は体制建て直しの為に、蘇北地方への撤退を余儀なくされました。(国共合作の解体)
一方日本も同様ロシア・コミュンテルンによる策略が期を一にしてあったのです。
近衛内閣は盧溝橋事件の現地解決が進んでいるに係わらず、その解決を待たずに兵員増強を決定した不自然さがあリます。
それを紐解くと、ドイツ人ゾルゲと朝日新聞記者・尾崎秀實に突き当たります。
資料 1
「ゾルゲ事件」
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1
資料 2
「朝日新聞のゾルゲ事件報道に見る朝日の狂気」
http://touarenmeilv.infoseek.livedoor.com/zoruge.htm
昭和10年8月の第7回コミンテルン大会では、政府も知らないところで
中国共産党と国民党が手を組み日本と戦うという方針を決定。
中国共産党に対して、日本帝国主義打倒のための民族解放闘争をスローガンとして抗日人民戦線運動を巻き起こすことを指令。
中国共産党は8月1日「抗日救国宣言」を発し、一切の国内闘争の即時停止、全面的抗日闘争の展開を企図。
がすでに決定されていました。
さてロシア・コミュンテルンのスパイ、ゾルゲと朝日新聞社の特派員尾崎秀実はアメリカ人左翼ジャーナリスト、アグネス・スメドレーを通じて知り合ったのです。
ゾルゲを通じコミンテルンの指示を知っていた尾崎は、監禁された蒋介石の安否が不明の段階から、「中央公論」に「蒋介石が今後の国共合作を条件に、無事釈放されるだろう」と予測する論文を発表。
この予測が見事に的中して、尾崎は中国問題専門家としての地位を固めました。
昭和12年の4月ごろから尾崎は「昭和研究会」に入り、「支那問題研究部会」の中心メンバーとして活躍。
昭和13年4月、近衛内閣の嘱託。その立場を利用して国内世論を誘導するだけでなく、和平の動きそのものも妨害しました。
しかし、昭和16年10月、日米開戦の予告をモスクワに通信したのを最後に、彼とそのグループは検挙され、彼らのほとんどが終戦をまたずに刑死・獄死しました。
ゾルゲや尾崎秀実や日本共産党の戦前の反日活動が、反戦平和活動だったなどと言う輩がいるようですが、彼らはソ連の野望の下働きにすぎなかったのです。
日本・中国国民党はロシアの陰謀に乗せられて日中戦争に突き進んだものと解釈できますがいかがでしょうか。
これは メッセージ 5816 (kinngyoya301 さん)への返信です.