南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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これが事実

投稿者: pesiticider 投稿日時: 2004/08/09 12:01 投稿番号: [5834 / 29399]
>>「日中戦争を望む一団」は日中双方にあったのです。
>当然、中国側としてみれば、侵略者を排除することは自衛権の行使でしょうね。

そうではなくて、「国共内戦」で「国民党軍」に追われて敗走を繰り返し、ついに勢力が2万人前後にまで減少していた「共産党軍」が、起死回生を狙って「盧溝橋事件」を演出し、それが当たって「日中戦争」にまで発展したということです。

>蒋介石も、張学良も、毛沢東、周恩来も、中国統一の為には抗日は避けては通れない関門でしたよ。

1937年の時点では、「国共内戦」で壊滅寸前の状態だった「共産党」の幹部である毛沢東や周恩来は、「中国統一の為には抗日は避けては通れない関門」などと、暢気なことをいっている余裕などなかったですよ。むしろ、「この窮地を脱するためには、国民党と日本軍を戦わせる以外にない」と切羽詰っていたのではないでしょうか。
蒋介石にしても、日本に軍事留学していた人ですから、「今、日本とまともに戦っても勝ち目はない」と知っており、1930年代始めには日本化運動ともいえる「新生活推進運動」を推進していたくらいで、むしろ親日家だったのです。それが急速に、親米派となり反日色を強めていった背景には、妻の宋美齢及びその兄で在米「華僑」のボス的存在だった宋子文を介して、ある時期に英米との間に何らかの密約が成立したからではないでしょうか。
あまり親子仲はよくなかったとはいえ、父親の張作霖を「関東軍」に爆殺された張学良が、個人的な恨みから、「国民党」と「共産党」が一致して「抗日戦線」を結成すべきと訴えたことは理解できます。

>「侵略」があれば「防衛」する勢力があるのは当たり前です。

「侵略」されても「防衛」する勢力も力もなかったのが、清末から民国初期の中国だったわけです。特に民国初期には、国が四分五裂して、お互いに内戦を繰り返し、まさに戦国時代のような状況で、中国の統一政府といえるようなものも明確には存在していませんでした。中国大陸が曲がりなりにも統一されたのは、1949年になってからです。

>日本国民の総意の下に中国侵略することが、軍人にとって難しいことでしたでしょうか?

「日本国民の総意の下に中国侵略」といわれますが、1937年7月7に「盧溝橋事件」が発生した当初は、「現地解決」を望んでいた現地司令官はもちろん、当時の「近衛内閣」も「不拡大方針」を打ち出していたことは御存知のことと思います。それが「通州事件」などを切っ掛けに、軍部の一部が主張していた「対支一撃論」が台頭してきて、ついに8月14日の「閣議」で「対中軍事行動」が認められることとなったのです。ついでに申し上げますと、中国との本格戦争を覚悟しての「大本営」設置は、それよりさらに三ヶ月後の11月20日であり、このことからも日本政府が当初から「日中戦争」を意図していたわけではないことは明らかです。

>>「西安事件」では、不思議な解決の仕方をしています。
  即ち、事件の首謀者・張学良がわざわざ蒋介石と共に南京に出向き逮捕されていること。
>張学良が蒋介石とともに帰ったのは、彼の威信を傷つけたことの名誉を回復させるためと、蒋介石への忠誠を表す為ではなかったでしょうか?   又、張学良軍の分裂を避ける為でもあったと思いますね。一つにまとめる事が最大の目標であったと思います。中国統一には蒋介石は欠かせない人物であったようです、張学良、周恩来もその点で理解は一致していたのではないでしょうか。ですから、蒋介石が先頭に立つべき人物でしたのでしょう。たしか、その様に張学良は発言していたと思いますよ。さすがのインテリでした。

蒋介石が秘書の陳布雷に書かせた「西安半月記」によれば、蒋介石を拉致した張学良が、蒋介石に「国共合作して抗日戦を戦い、日本を中国大陸から駆逐すべき」と進言した時、蒋介石は「それは現時点では不可能、日本の実力を全く知らぬ者の考え」と一蹴し、張学良の用意した「八項目」への調印を断固拒否したとのこと。
ただ蒋介石は、この席に同席した周恩来を評価し、「共産党」に対する考えを幾分改めたとのこと。

一方、蒋介石に同行し南京に入った張学良は、そこで逮捕され、「軍法会議」にかけられ有罪の判決を受け、その後は重慶、蘇仙嶺、鳳凰山、麒麟洞、さらには台北(新竹、陽明山、北投)などで何十年間も軟禁状態に置かれて、やっと許され人前に出られるようになったのは、蒋介石の死後十五年が経過した1990年のことです。また張学良と共に、「西安事件」を起こした楊虎城(「第十七軍」長)は、重慶で「坑刑」に処されています。
このことからも、蒋介石が「西安事件」を起こした張学良らを決して許していなかったことが分かります。
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