南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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原爆被害調査を行った人物の証言

投稿者: YellowFlute 投稿日時: 2004/08/05 18:13 投稿番号: [5800 / 29399]
http://www5.tok2.com/home/JOHNVOID/

  十二月二十七日。この日は市内の西部を重点的に見回る予定であった。が、前々日の光景があまりにも鮮明に記憶に残っていたので、念のために、まず、再び下関に行くことにした。
  下関の処刑場に近づくと、この日もまた、城内の方から、中国人を乗せた無蓋のトラックが、続々とやってきて、倉庫地帯に消えていた。
  再び、警戒中の哨兵にことわって、門を入ったところ、前々日と同じような処刑が行なわれていた。そこで、ある種の疑間が生じた。
  それは、
「多数の中国人を、大した混乱もなく、どうして、ここまで連れてくることができるか」
ということであった。
  そこで、処刑場の入口付近にいた一人の下士官に、その理由を尋ねた。ところが、彼は、何のためらいもなく、
「城内で、戦場の跡片付けをさせている中国人に、〃腹のすいた者は手を上げよ〃と言って、手を上げた者を食事の場所に連れていくかのようにして、トラックに乗せているとのことです」
  と説明してくれた。
  そこで、更に、
「日本刀や銃剣で処刑しているのはなぜか」
と質間したところ、
「上官から、弾薬を節約するために、そうするように命じられているからです」
との答が返ってきた。
  このような処刑が、南京占領から二週間近くを経た後の二十五日と二十七日に手際よく行なわれていた。もっとも二十六日と二十五日前と二十七日後にどのような処刑が行なわれていたかは分からなかったが(註   第三○旅回長佐々木到一少将の手記によれば、十二月二十四日までに約一万五千人以上、十二月二十四日から翌年一月五日贖までに数千人の処刑をしたとのことである)、二日間のことから察して、それが戦場にありがちな、一時的な、興盲状態での対敵行動であるとは私には思われなかった。この日もまた、一連の処刑が、ある種の統制のとれた行動であるように感じた。
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