南京事件に至るまで〜8
投稿者: kinngyoya301 投稿日時: 2004/08/05 06:21 投稿番号: [5787 / 29399]
南京事件に至るまで〜8
ブリュセルで開催された9カ国条約会議(11月3日〜24日)
国際条約違反国日本に対して制裁措置が検討されたが、日本の中国侵略に対して警告を発しただけで終わった事は、日本軍部の強硬派、海軍軍備拡大主義者の間に「米英あえて恐れるに足らず」とする増長意識が生まれた。
9カ国条約=
1922年にワシントン会議において、米、英、仏、伊、オランダ、ベルギー、ポルトガル、中国、日本の9カ国において調印された中国における条約である。
中国の主権と独立とその領土的、行政的保全の尊重および各国の中国に関する門戸開放、機会均等などを規定、
日本の中国侵略は、この条約に違反するものである。
国際連盟からすでに脱退、ロンドン海軍軍縮会議からも脱退して(36年1月)国際的孤立を深めていた、世界の非難が経済制裁や武力制裁に及ばない限りは何も聞き入れないという国になってしまっていた。
(早い話が、現在の北朝鮮を想像していただければ、お分かりと思います、それよりももっと、悪い状況でしょう、同盟国など数か国ですからね)
激しい国際世論の非難にも関わらず、海軍航空隊の南京空襲は激しさを増していた。
「南京に対してどれほどの空襲をやったかと言いますと、空襲回数36回
飛行機の延機数は600機、投下爆弾は 約300トンであります」(海軍航空本部教育部長大西龍次郎 、11月15日経済クラブ講演)
8月15日から10月15日までの間の2ヶ月間に65回の空襲があり、被害は南京城区の全区域におよび、市民死者392人、負傷438人 破壊された家屋1949間(7〜800戸)(侵華 日軍)
日本海軍の記録では8月15日の渡洋爆撃に始まって12月13日の中支那方面軍の南京占領に至るまで海軍航空隊の南京空襲は54回に及び、参加延機は936機、投下爆弾は数百屯に達する。(海軍省海軍軍事普及部支那事変における海軍の行動)
南京は2日半に1回の空襲を受けた事になる。連日の空襲により、約130万人の人口を数えた南京市民は政治、経済、生活の機能はマヒし、多くの南京市民は富裕な階層から順に遠隔地へと避難して行った。
国民政府が首都南京を放棄し、重慶に遷都する事を宣布し、実質的な首都機能をもつ漢口に政府、軍機関、教育、経済施設などが移転していくと、南京は防衛軍をのぞいて、4〜50万人の市民、難民だけが残留する死の街となったのである。(笠原著)
南京事件に至るまで〜9(上海派遣軍につづく )
これは メッセージ 5767 (kinngyoya301 さん)への返信です.
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