南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | [ メッセージ # オフセット ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

>>ありがとう、ja2047さんへ1

投稿者: asdll58 投稿日時: 2005/07/15 09:05 投稿番号: [6540 / 41162]
>もうひとついえば、「市民30万を組織的に殺した」などとは、
中国でさえ公式に主張してはいないのですね。(6448)

ちょっと異論があります。

南京の虐殺記念館では、30万人のチャイニーズピープルが日本軍によって虐殺されたとあるようですね。当時南京防衛のチャイニーズ軍は総数何万人だったのでしょうか。その数を30万から差し引くと、チャイナ側が公式に主張する虐殺された市民の数がでてくるのじゃないでしょうか。「組織的に」はでてこないかもしれませんが。

しかし、私は、チャイナ側は、軍民の区別をほとんどせず、犠牲者全員ひっくるめてピープル(人民、人々)ととらえていると思います。しかも、その犠牲者は、軍人市民の区別なく全員無実(イノセント=罪汚れのまったくない赤ん坊のような無垢無邪気な状態)であると。無実という意味で、南京事件の文脈では、「市民」と「ピープル」はほぼ同義だと思います。

以下敷衍します。

虐殺記念館のあげる数字は、城内と城外の区別があいまいのようですが、はっきり区別しているのでしょうか。それにこの30万という数字は軍民の区別が(故意に?)あいまいのようです。

推測するに、チャイナ側にしてみれば、城外、城内、軍民の区別などより、日本鬼子がいきなり侵略してきて、抵抗するもの(チャイナ軍、市民をも含むゲリラ)、無抵抗のもの(捕虜、市民)無差別に、そして残虐に、殺しまくり、姦りまくり、略奪しまくり、破壊しまくったという認識であり主張なんでしょう。

チャイナ側の本などでは、たとえば、チャンの「レイプオブ南京」では、

おそらく34万人の人民[ピープル]が―そのうち19万人が集団で、15万人が個別に―殺害された。(Iris Chang, The Rape of Nanking: The Forgotten Holocaust of World War II, 102-103)

などとありますが、この「集団で」というのは「組織的に」というのとほぼ同義のように思いますが、そうだとすると、19万人を組織的に殺害したというのは、無視できない数字だと思います。

ここでも、軍民ひっくるめて、人民[ピープル]と言っているようですが、ようするに、暴虐な侵略者によって軍民ともに無実のチャイニーズピープル[人民]が何十万人も大虐殺されたという基本的認識なんでしょう。

同書、同頁で、チャンは、Yin とYoungの数字を引いて、南京虐殺の数は40万人にのぼるだろうとも言っています。チャンの主張は、チャイナ政府の公式な主張ではないかもしれませんが、それにまさるとも劣らない強烈な衝撃印象を多くの一般の読者のこころに与え刻み込むもので、公式な主張に準ずるものと思います。

>日本人どうぞ入って。

投稿者: yousunwai 投稿日時: 2005/07/15 00:01 投稿番号: [6539 / 41162]
>本当の歴史を隠すことより平和を守る事が大事だと思う。

俺もそう思う。チベットのこと。東トルキスタンのこと。

隠さないで、平和を守ろう。

ja2047さんへ

投稿者: yousunwai 投稿日時: 2005/07/14 23:59 投稿番号: [6538 / 41162]
お返事が遅れました。

ありがとうございました。

実は、あといくつか、教えていただければと思うことがあります。

その時また、よろしくお願いします。

ドイツができること?

投稿者: kintakunte2002 投稿日時: 2005/07/14 23:57 投稿番号: [6537 / 41162]
たしか、国家としての反省も賠償もしていないはずですよ。

ナチがしたことに対する批難とそれに対する賠償をしただけと思いますが。

戦争なんてどちらにも正義があるからおきるのであって、(独りよがりの正義であることは否定しませんが)
きれい汚いの問題ではないと思いますよ。

その当時おかれていた状況を打破するための行動が、
結果的に甚大な被害を双方にもたらしたと見るのが正当でしょう。

deliciousicecoffeeさんへ

投稿者: yousunwai 投稿日時: 2005/07/14 23:55 投稿番号: [6536 / 41162]
ちゃんと読んでから、お返事したいと思います。

とにかく、ありがとうございました。

ひとまず、お礼まで。

日本人どうぞ入って。

投稿者: xiaozhou8811 投稿日時: 2005/07/14 23:21 投稿番号: [6535 / 41162]
やる勇気があるならなぜ認める勇気がないの?ドイツができることはなぜ日本ができないですか?自分の歴史をいくら美しく飾っても汚いものは汚いんだ。認める勇気がなければ他国に侵略するなよ。今のわれわれの世代は本当の歴史を隠すことより平和を守る事が大事だと思う。

>>日本兵の捕虜の扱いは?

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/14 22:55 投稿番号: [6534 / 41162]
>2.日本兵の捕虜はほとんど殺戮されたと思われます。
>   かなり、悲惨な方法で殺されたと推定される例が、
>   いくつかあります。


もっと詳しく教えて頂けませんでしょうか?




>とりあえず、通州事件は中国軍が起こしたわけではないので、
>これは別に考えた方がよいかと思います。


国民政府の御用放送局が、冀東防共自治政府の保安隊を国民党軍に寝返させることを狙ってデマ放送を流し、その結果、狙いどおりに支那保安隊が日本人居留民約260人を大虐殺したのだから、支那軍の仕業と考えても良いと思います。

惨!通州事件
保安隊、デマ放送に踊り反乱す
http://www.geocities.jp/nanking1937_matsuo/showa/tushu.html

>ja2047さんに質問です

投稿者: nattoudame1985 投稿日時: 2005/07/14 22:44 投稿番号: [6533 / 41162]
ja2047さんは、
よくデリさんとの議論(?)の中で
”中国、中国”とよく使用されますが、
その”中国”とは「中華民国」と
解釈してもよろしいでしょうか?

yousunwaiさんへ(虐殺否定論の定義)

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/14 22:40 投稿番号: [6532 / 41162]
>南京では、戦闘があった。したがって、多くの死傷が出た。日本人はそれを否定しないし、それは大陸侵略として認め、謝罪してきた。虐殺否定論は、その戦闘行動とは別に、組織的に市民が虐殺されたという中国側の主張とイメージ作りを否定するものである。


日本は大陸を侵略していません。
無知な政治家が認めて謝罪したからと言って、真実を見失ってはいけません。
イメージだけで、大陸を侵略したと考えるのはやめて下さい。
支那事変の真相については、以下に示す投稿で述べているので上から順番に読んでみて下さい。

#6391(7月7日〜8月9日)
#5787(8月12日頃)
#5799(8月9日〜11月6日)
#5867(11月2日〜12月1日)

したがって、虐殺否定論の定義は、
―――――――――――――――――――
南京では、戦闘があった。したがって、多くの死傷が出た。日本人はそれを否定しないし、それは戦争の結果だからやむを得ない。虐殺否定論は、その戦闘行動とは別に、組織的に市民が虐殺されたという支那側の主張とイメージ作りを否定するものである。
―――――――――――――――――――
に訂正するほうが良いと思いますが、いかがでしょうか?




ちなみに、私が#6522で提案した虐殺否定論の定義は、日本語がおかしいので、訂正します。

>「南京虐殺」というのは、9年経った戦後になって突如でっち上げられた事件で、日本軍が無辜の市民を殺害したという事件で普通の裁判で有罪にできるような事件は1件もありませんでした。
↓   ↓   ↓   ↓   ↓
「南京虐殺」というのは、9年経った戦後になって突如でっち上げられた事件で、普通の裁判で有罪にできるような日本軍による無辜の市民殺害事件は1件もありませんでした。


これを踏まえて、4文でまとめてみました。
―――――――――――――――――――
「南京虐殺」というのは、9年経った戦後になって突如でっち上げられた事件で、普通の裁判で有罪にできるような日本軍による無辜の市民殺害事件は1件もありませんでした。
当時あった他の虐殺事件と比較してみても物証(犠牲者名簿、命令書、その他公文書など)が存在せず、南京軍事法廷において罪状を否認したまま死刑にされた4人は全員が無実だったことが明らかになっています。
当時は、蒋介石や毛沢東などの支那側も日本側も国際社会も「南京虐殺」を認識しておらず、戦後、GHQは東京裁判のために南京の虐殺目撃証言者を長期間かけて必死に探しましたが、なかなか見つかりませんでした。
それもその筈で、日本軍占領後の南京の人口は減らずにむしろ増えたくらいだったのです。
―――――――――――――――――――
こんなのは、いかがでしょうか?
南京大虐殺の否定論としては、こちらのほうがハッキリしていると思います。

まあ、あとは、お任せします。
ただ、何百人・何千人の虐殺を認めたり、「侵略」を認めることは、決して正しい認識ではありません。
イメージはだめです。

なお、私の過去の投稿は、いつでもどこでも、必要に応じてどんどんコピペして使用して下さい。

支那人を殺したのは支那軍だ!

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/14 22:01 投稿番号: [6531 / 41162]
>それはスマイスの調査の対象になっていないが?


へ?
関係ない。
単に、「紅卍字会の埋葬記録では女の死体は83名、子供の死体は46名であった」ことから、引き取り手のなかった女子供の死体が極端に少なかったことを述べた。
この事から、「…青壮年以外の敵意の無い支那人民、とくに老幼婦女子に対しては寛容の心をもって接し、…」という『掃蕩実施に関する注意』が実践されたことが窺える。




>でも、やっぱり、そういうのは世間では   根   拠   が   な   い    と
>言うのだと思うよ    (^^


支那人犠牲者の大半が、支那軍や支那人盗賊による殺害だったことを示す資料あり


●支那軍による苛酷な徴発・略奪、そして徴兵

【支那軍と支那住民の殺し合い】


私はうけ合ってもいい、抗戦八年のあいだにこうしてふみにじられた同胞、いわゆる壮丁から弱丁になり、弱丁から病丁になり、病丁から死丁になって行った同胞の数は、戦死したもの、日本軍に殺されたものにくらべて、最低百倍は超えているに違いない。

『抗日戦回想録』郭沫若自伝



  一般住民に対して、徴発と略奪があまりしばしば行われたので、農民は日本軍(1)よりも彼等自身の軍隊(2)をさらに一層憎んだ。穀物を略奪されまいとして抵抗する農民を飢えた中国兵が殺したり、日本軍の進撃を免れるために逃亡兵が村民を殺し、その衣類を自分が着こんで変装するということも起こった(3)。日本軍の進撃を鈍らせて鄭州の町を守るために、政府は1938年に黄河の堰を開いた。すると、黄河は1世紀近く前から打ち捨てられたままになっていた古い河道を再び流れた。「思い切った」決定であったが、このために、河南省東部の数十万の農民が命を失った。彼等は水に溺れ、或は飢えて死んだのである。

(1)日本軍は食べ物が良かったので、中国兵ほどには盗みをする必要がなかった。

(2)この表現が不適当であることはいうまでもない。彼等はこの軍隊を決して自分たちの軍隊とは考えなかった。日本軍の兵士も国民党の兵士も、外からやってきた同じ禍であるのに変わりはなかった。

(3)例えば、1941年の春に、河南省と山西省の省境の山岳地帯で起こった。

  Ω   Ω   Ω

  軍隊の行動や戦争のやり方からだけでも、農民がどのような反応を示したかは想像に難くない。彼等は自らを守って生き延びようと努力したのである。彼等は国府軍の徴発する米に砂を混ぜ、白痴や片輪者を徴募兵として送り出し(1)、敵軍がその必要とする軍用道路の工事に働く苦力に高い賃金を払うとなると、たちまち大挙して日本占領地帯に移住した。時には、彼等は隊を組んで国府軍の敗残兵を襲撃し、団結して徴募係の役人どもを虐殺した。河南省では、当局の無関心、無能力、穀物のトン積、さらには投機のために、1942年から43年にかけて起こった飢饉(2)が大いに悪化したので、日本人が1944年にこの省に再び(3)侵入した時、彼らにとっては事はことのほかに容易だった。彼らが前進してくるにつれて、農民は国民党の軍隊を襲撃し、武装解除し、時にはこれにリンチを加えたのである。

(1)長々と述べるよりは、農民層の徴兵に対する態度を一層よく説明するような挿話をもう1つ紹介しよう。これは外敵の侵略による農民ナショナリズムの誕生を分析しようとする場合に、無視できないような生の事実の1つである。河南省の鞏県に住む或る貧農の夫婦は炭鉱の坑夫をしている1人息子の賃銀のおかげで漸く暮らしていた。年の頃は40歳前後のこの夫婦に突然2人目の息子ができたときに、徴募係の役人どもがやって来て、長男は軍隊に入らなければならないと夫婦に告げた。法規によれば、1軒の家で息子1人だけが徴兵を免除されることになっているからというのである。妻はもしその息子がいなくなれば、自分たちは飢え死にすると説明して、嘆願した。だが土地の役人たちは耳を傾けようとしなかった。すると、彼女は家に帰って、赤ん坊を地べたに続けざまに打ちつけて死なせてしまった。

(2)未確認の数字であるが、この飢饉のために凡そ200万の死者を出したといわれる。

(3)戦争の初期に、彼等は1度ここを占領したことがある。

『中国革命の起源1915-1945』ルシアン・ビアンコ著



上海一九三七年十二月八日発「東京日日新開」は次のように報じている。「南京衛戌司令唐生智はどさくさに乗ずる市民の暴動を恐れて七日朝来市内警備を一層厳重にして少しでも怪しいものは手当たり次第に銃殺し、すでにその数、百名に及んでいると支那紙は報じている」

『南京戦史』二七三頁

人口調査と被害者調査の違い

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2005/07/14 19:23 投稿番号: [6530 / 41162]
○人口調査
「南京の市部調査においては、家族調査員は入居中の家屋50戸に一戸の全家族を家族調査表に記入するように指示をうけた。」

  これだけでは外出中の家族をどう処理したかが分かりませんが、「全家族を家族調査表に記入するように指示」されているのであって、「家族構成を聴取し記入する」とは指示されていないので、少なくとも在宅だった家族の頭数は、実際に調査員が確認していると見るべきではないでしょうか。
  誰かが代表して家族構成を調査員に申告し、それを照合もせずそのまま調査票に転記した、ということであれば、人口調査の信頼性は一から崩れてしまいます。スマイスは社会統計の専門家ということですので、そこまで杜撰な真似はさせなかったと思われますが。
(私が調査の指揮を取ったとしても、そんな杜撰な真似はさせません)

○被害者調査
  負傷者については、調査員が実在を確認することもできたでしょう。
  しかし、その場にいない死者を数えることはできません。
  死者数とその内訳については、家族の申告を鵜呑みにして、それを集計しただけとしか考えられません。
  特にその死因については、マス調査の限界から、鵜呑みにする以外無かったのでしょう。
  スマイス報告の死因別死者数に関して、良く指摘されるエスピー報告との矛盾点を検討してみます。

○スマイス報告より抜粋

12/11以前の死者
  軍事行動    600名
  兵士の暴行    無し
  不明       無し

12/12、12/13の死者
  軍事行動     50名
  兵士の暴行   250名
  不明       無し

  ここで言う「兵士の暴行」が、一般に「日本兵による暴行」と解釈されているのはご存知の通りです。

○エスピー報告より抜粋
>>
しかしながら、ここで触れておかなければならないのは、中国兵自身も略奪とは無縁でなかったことである。彼らは少なくともある程度まで、略奪に責任を負っている。日本軍入城前の最後の数日間には、疑いもなく彼ら自身の手によって、市民と財産に対する侵犯がおこなわれたのであった。気も狂わんばかりになった中国兵が軍服を脱ぎ棄て市民の着物に着替えようとした際には、事件もたくさん起こし、市民の服欲しさに、殺人まで行った。この時期、退却中の兵士や市民までもが散発的な略奪を働いたのは確かなようである。
<<

  スマイスがエスピー報告を知っていたかどうかは不明です。
  しかし、アメリカ大使館が南京の治安に特別な役割を果たしていたという記録はありませんから、エスピーの認識は当時の外国人の間で一般的なものであったはずです。
  日本軍入城前数日間は中国兵の暴行によって死者が出ている、と明らかに親中反日であったアメリカの、大使館員が報告書に書かざるを得なかったくらい、中国兵の暴行による死者は無視できないものでした。それなのに、スマイス報告には中国兵の暴行による死者がカウントされていません。
  この事実は、死者に関するスマイスの調査が、調査した家族の申告を鵜呑みにして、その真偽を検証しなかった有力な状況証拠になると考えます。

> ま、詳細は週末ということでカンベンして下さい。

  まっ、私もスマイス報告の英語原文を当たり直してみることにしますよ。
  洞富雄の訳文は信用できませんから。
  暫くご無沙汰になると思いますが、悪しからず。

>日本兵の捕虜の扱いは?

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/07/14 19:19 投稿番号: [6529 / 41162]
>中国のことだから   皆殺してしまったのでしょうか?

1.捕虜になった日本兵はきわめて少数と思います。
  負け戦でも捕虜になることが少なかったのと、
  大陸では負け戦がほとんどなかったことによります。

2.日本兵の捕虜はほとんど殺戮されたと思われます。
  かなり、悲惨な方法で殺されたと推定される例が、
  いくつかあります。

3.仮に捕虜になって無事に帰ってきた人間がいたら、
  日本軍から自決を強要されたのではないかと思います。
  日中戦争では具体例を知りませんが、ノモンハン事変では
  多数例があります。


>通洲事件でも   判るようにすごい拷問を受けているんでしょうね。

とりあえず、通州事件は中国軍が起こしたわけではないので、
これは別に考えた方がよいかと思います。

deliciousicecoffeeさんへ

投稿者: yousunwai 投稿日時: 2005/07/14 12:25 投稿番号: [6528 / 41162]
南京では、戦闘があった。したがって、多くの死傷が出た。日本人はそれを否定しないし、それは大陸侵略として認め、謝罪してきた。虐殺否定論は、その戦闘行動とは別に、組織的に市民が虐殺されたという中国側の主張とイメージ作りを否定するものである。

虐殺否定論の定義をこんな風に作ってみましたが、どう思いますか?

↓ 2ちゃんでやれや

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/07/14 12:20 投稿番号: [6527 / 41162]

ここでネット右翼の特徴を見てみよう

投稿者: net_uyo_issyou_doutei 投稿日時: 2005/07/14 11:44 投稿番号: [6526 / 41162]
ヒキコモリ
高卒    
中国人、韓国人に対して差別的
もともとノンポリのただの馬鹿だったが、右翼コピペを見て感涙。左翼偏向教育、マスコミ偏向報道から覚醒した自分だけが正しいと酔っている。
実社会では1%の支持者もいないカルト思想を書き散らす。
しかし、孤立が怖く支持政党は自民党にとどまるヘタレなので自分は多数派だと勘違い。
実際は国会に1議席もないカルト右翼思想。
ネット右翼仲間の書いた捏造を無条件で信じ込みコピペし続けて大恥をかく傾向
南京大虐殺の犠牲者数に対する自分の考えをかけない。(逆に1000万とか1億とか書いて幼児的に喜ぶ)
朝日新聞を意味もなく批判しつづけるのが何よりの幸せ
戦争論(小林のマンガ)並みの寒い侵略戦争の美化、正当化を飽きもせず書き続ける
論争に負けそうになると行き当たりばったりで、まわりのネットウヨでもフォロー不可能なトンデモ理論が登場
論争で追い詰められるとウイグルとチベットが登場。
朝鮮植民地化では学校建設と治水工事などがお気に入り。
民主党や朝日新聞の左翼性を過大評価。強敵を倒すことが俺の使命とばかりに外出もせず大張り切り。
戦争は国際法上合法だの、外交手段だの、明後日を向いた作文を突然披露
貧乏w無知w

スマイス調査の読み方  2)

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/07/14 06:08 投稿番号: [6525 / 41162]
>特に解説は必要ないと思いますが、調査方法に関する要点を整理します。

幾分不正確な点もありますが、よく調べられたことには感心しました。
よく調べられたものを詳細に討議したいのはやまやまですが、
本日の私は、その時間的余裕を持ちません。
詳細は週末に譲り、簡単に触れます。


>しかし、人的被害の推定値については主観的データ及び判定が困難なサンプルに基づくものであり、人口の推定値と同レベルの信頼性を置くことはできません。

調査方法は人口、人的被害とも同手法です。
「実際に数えた」、とは、実地調査した家庭の誰かが答えた家族数を記入したのであり、
人的被害の調査方法と全く変わりません。
回答者側に実態を歪める意図があれば、どちらも不正確な答が可能です。
でも、それは想像でしかありません。

スマイス自身も、その心配はしていることが、次の一文からも明かです。
「占領軍の報復を恐れて日本軍による死傷の報告が実際より少ないと考えられる理由がある。実際に、報告された数が少ないことは、暴行による幼児の死亡の例が少なからずあったことが知られているのに、それが一例も記録されていないことによっても強調される。」
(同   P222−223)

ま、詳細は週末ということでカンベンして下さい。


スマイス調査の読み方

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/07/14 06:07 投稿番号: [6524 / 41162]
>1万人前後の人口減があれば当然言及してしかるべきだと思うのですが。

被害者数の推定と人口の推定は、同じ報告書の別の章でなされているわけですから、
「言及していない」とは言えません。
また、報告書の中で、あなたの引用した表1.の注釈ではなく、本文の「1.人口」の部分
を見てみることにしましょう。
「われわれが三月におこなった抽出調査で報告された人員を五〇倍すれば、すぐさま市部調査で表示されている二二万一一五〇人という人口数がえられる。
この数は当時の住民総数のおそらく八〇ないし九〇パーセントを表わしたものであろうし、住民のなかには調査員の手の届かぬところに暮らしていたものもあった。(「南京大残虐事件資料集   第2巻」   P219)
と、あります。
二二万一一五〇人と書かれると、50人まで正確に数えたように見えますが、あくまで
3月時点でのサンプリング調査を50倍したものであり、しかも人口の10〜20%分は
未調査のままでの報告ですので、1万人前後の犠牲が数字として大きな意味を持って
いないと判断されても不思議ではありません。
というか、ここは、人口調査によって得られたデータと、被害調査によって得られた
データをごちゃごちゃに記述するようなことはしなかったという、スマイスの学者としての
データ処理の手法の手堅さを示しているということでしかないと思いますけどね。

では、人口調査の部分では念のため、スマイス報告の一.市部調査の1.人口の中で、
明らかに戦争被害について言及している箇所を拾ってみましょう。
「もっとも重大なことは十五歳ないし四十九歳の年齢層中の男子比率の激減であるが、これは大まかにいって、人口中生殖をおこないうる人びとを代表している。この層では124人が111人に、すなわち11パーセント減少している。この変化によって多数の婦女子が家庭を支える男子を失ったという事実がわかる。」
(同   P221)

「南京に残留している家族の構成員のうち14.3パーセントが他所へ移っているのに、妻のうちわずか2.2パーセントがこの移動によって夫を失ったにすぎないことを考えれば、破壊された家族の増加をいっそうよく知ることができる。
  これに加えて四四〇〇人の妻、つまり妻全体の8.9パーセントは、夫が殺されたか、負傷を負ったか、あるいは拉致されたものである。これらの夫のうち三分の二、すなわち6.5パーセント(*)が殺されたか拉致されたものである。
  またさらに痛ましいことに、三二五〇人の子供(子供全体の5パーセント)は、彼らの父が殺されたり、負傷をうけたり、拉致されたりしたものである。
  これらの破壊された家族のうちごくわずかのものが市内に住むものとして分類されている。そのような報告は3パーセントしかなかったのである。
移動、殺害あるいは拉致されたもの、別かれ別かれになった家族といった三つの要因によって、五五〇〇家族、つまり南京に残留している家族の11.7パーセントが破壊された。」
(同   P222)


ごらんの通りです、「1.人口」の章にも、戦争被害については詳しく言及されているのですが、
「犠牲者総数   1万前後」という、別個のデータによる独立した結論によって人口のデータを
論ずるというようなことはしていません、学者の書いた報告書ですから、そこらがごちゃごちゃに
なってはいない。
これだけの話です。


もちろん、私は学者ではないので、ここいらをぐちゃぐちゃにした議論もしますが   (^O^




>まあ、これはこれとして、私は常々思っているんですが、資料を探し解説することには熱心な人も、資料それ自体の信頼性を検証することには何故か無関心な人が多いようですね。

信頼性の検証も大事ですし、まずは資料を正確に読むことが大事です。
どちらも欠かせません。

あはは、そりゃそうだ

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/07/14 06:07 投稿番号: [6523 / 41162]
>>>その死因も病死だったり事故死だったり支那軍や支那人盗賊による殺害の可能性が高いので、
>>また根拠もなく確信する

>根拠はある。
20万人居れば、単純に計算すると1年間で約5千人が寿命や病気や事故で死亡することになる。

それはスマイスの調査の対象になっていないが?
「南京地区における戦争被害」の調査だから、自然死は項目にはないのだよ。



>殺害された支那人犠牲者の殆ど全てが、日本軍ではなく支那軍や支那人盗賊によるものだったことは、今さら説明を要しないことと思う。

まあ、単なる「確信」は、本人にとっては明確な事実であるにもかかわらず、
説明しても、なかなか他人が納得しないからね。
「説明しても無駄だ」とか「説明の必要はない」にしておいた方が
無難かもしれない。

でも、やっぱり、そういうのは世間では   根   拠   が   な   い    と
言うのだと思うよ    (^^


yousunwaiさんへ

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/14 01:34 投稿番号: [6522 / 41162]
>ところで、虐殺否定論について一文で説明する場合、どんな言い方が適当でしょうか?


一文というのは難しいですね。

無理に一文にする必要もないと思いますが、私なら、
―――――――――――――――――――
「南京虐殺」というのは、9年経った戦後になって突如でっち上げられた事件で、日本軍が無辜の市民を殺害したという事件で普通の裁判で有罪にできるような事件は1件もありませんでした。
―――――――――――――――――――
としたいです。

人口が増えたことや目撃者がいないことや当時は誰も認識していなかったことで、大体の説明はつくと思います。

さらに、当時あった他の虐殺事件と比較して、犠牲者名簿や命令書(公文書)が存在しないことで裏付けられると思います。

これらのことを2つか3つの文に分けるほうが良いと思います。

なお、過去の私の投稿は、いつでも遠慮なくコピペして使用して下さい。

deliciousicecoffeeさんへ

投稿者: yousunwai 投稿日時: 2005/07/14 00:36 投稿番号: [6521 / 41162]
ところで、虐殺否定論について一文で説明する場合、どんな言い方が適当でしょうか?

何か良い説明文があれば、今後、それを使いたいと思います。

了解しました

投稿者: yousunwai 投稿日時: 2005/07/14 00:33 投稿番号: [6520 / 41162]
はい

>日本兵の捕虜の扱いは?

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/13 23:47 投稿番号: [6519 / 41162]
>戦時中に   中国でも少数でしょうが   日本兵が捕虜になることも有ったと思いますが   どうなのでしょうかね?


支那軍に投降した日本兵が極端に少なかったためなのか、私はあまり多くの資料を知りません。
ただ、通洲事件(7月29日)や大山中尉惨殺事件(8月9日)などの惨殺ぶりは有名です。
私が資料で確認できた範囲においては、人数などの面で日本軍投降兵・捕虜への虐待・虐殺が酷かったのはソ連軍とアメリカ軍です。


・ソ連軍

言わずと知れた【終戦後】の「拉致・シベリア強制連行・殺害事件」。

これは、日本の政府やマスコミも隠匿している事実なのですが、1945年、満州、樺太、択捉、国後、その他から、ソ連に拉致された人数は100万人以上で、シベリアで殺害された日本人の人数は約50万人と考えられます。
http://ryutukenkyukai.hp.infoseek.co.jp/marxsyugi1.html#前野   徹   「第四の国難」   扶桑社



・アメリカ軍(イギリス軍)

#2886、#2887、#2902をご参照ください。



・支那軍

「南京にて」

12月13日、光華門城壁を占領   城壁付近で彼我不明の焼死体を発見、まだかすかに息をしていた。
これを見た大隊長芳賀少佐は激怒し犯人捜しを命じた。私の部下に犯人はいなかった。
検死の結果、焼死体は日本兵と判明。捕虜となった日本兵が、生きたまま焼かれたようだ。
第九師団・山砲第九連隊・第七中隊長   大内義秀氏(要約)


12月13日、南京の南方の城門から入ると、彼我の戦死体が転々と散在していた。
その中に、一人の日本兵が手足を立ち木に縛られたまま、身に数弾を受けて死んでいた。
一見して、捕虜となった日本兵が支那軍によって虐殺されたと感じ、縄を切って降ろした。
第三師団・野砲兵第五連隊・第一大隊観測班長   大杉浩氏



【終戦後】の支那共産党による日本軍捕虜への虐待

「認罪運動」

「私はこんな酷いことをした」と戦犯全員の前で自白する発表会がもたれた。
この「坦白大会」には、中共党幹部も同席し、管理所の洗脳工作経過を視察するものであったが、戦犯達も自分が何を要求されているのかが判り、いよいよ追いつめられていった。

認罪学習は、徹底して行われた。みんなでしつこく何回も何回も犯罪行為を確認し、自己批判・相互批判が繰り返された。
「学習」とは言うものの、罪の自白とつるしあげ合戦である。「なんだ、それぐらい、俺なんかもっと凄いもんね」「お前、それぐらいじゃ足りんだろう」などとエスカレートしていったのだった。

こういう経過で、日本語にはない罪行や、中共側のでっち上げや過剰な言い分まで認めざるを得なかった。

また、中共側は余計な自白を歓迎した。
本人の罪状だけでなく、伝聞した日本軍の罪状まで採集していった。

戦犯たちは総括書という形で、文章にして提出した。当然、文章の巧拙や想像力の大小によって、罪業に迫力の差がでてくる。
文章の上手い戦犯はほめられ、他の戦犯の文章指導や代筆までやり、悪鬼そのものの日本軍が作成されていった。

理由もなく6年も監禁されたのに、自ら戦争犯罪人を認める自白をし、そのうえ不起訴になったら中共の温情に感謝する、看守達と抱きあって泣いたりしたのだ。

http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/doyoyon/doyoyo7.html
撫順2(戦犯管理所と戦犯裁判)より抜粋

yousunwaiさんへ(2)

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/13 23:22 投稿番号: [6518 / 41162]
>私には、ずっと、分からないことがあります。
>南京事件は、多くの場合否定派というのは、「南京で日本軍兵士の犯罪が一件もなかったとか、中国兵の処刑が一件もなかったという主張ではなく、中国側主張の"軍事行動とは無関係に○○万市民を殺害した"という事件の存在を否定しているのです。」
>なんだと思うんですね。


yousunwaiさんのこの書き方だと、万単位の市民虐殺はなかったが、千単位の市民虐殺はあったようなイメージを与えてしまいますよ。
イメージだけで、何十件〜何百件の市民虐殺があったように考えるのはやめて下さい。
南京では、日本軍兵士による掠奪や強姦のような犯罪はありました。
ただし、7件の強姦犯人は厳しく処罰されました。
当時の日本軍は、道端に落ちていた支那の婦人靴片足を持ち帰っただけでも軍法会議にかけられたのです。
虐殺が0件だった可能性は十分にありますよ。

また、日本軍による支那兵の処刑は、違法行為とは言えません。


15人の安全区国際委員会のメンバーは、南京に長期間居ましたが、1件も虐殺を目撃しませんでした。
通報によって安全区国際委員会が日本大使館に訴えた日本軍による殺害犠牲者は約50人でしたが、デマが多くてマトモな訴えによる殺害犠牲者は0人でした。
普通の裁判において、有罪にできるほどの証拠が揃っていた日本軍による無辜の市民の殺害事件は、0件だったのです。
したがって、日本軍が、南京で虐殺した無辜の市民の人数は0人〜(あったとしてもせいぜい)10人くらいだと考えるべきなのです。
イメージだけで、何十件もの市民虐殺があったように考えるのはやめて下さい。

南京事件の支那人犠牲者の名簿は、日本も蒋介石政府も汪兆銘政府も南京安全区国際委員会も南京市民も誰も作成しませんでした。
当時、日本人が虐殺された済南事件(犠牲者十数人)や通州事件(犠牲者200人超)では、日本人が犠牲者の名簿を作成しました。
また、ソ連による「日本人拉致・シベリア強制連行・殺害事件」でも、数十万人に及ぶ犠牲者全員の名簿や死亡年月日、死因、埋葬地などをソ連が作成していました。
その名簿の一部(数万人分)は、ゴルバチョフ来日の際に日本に渡されました。
誰ひとりとして南京虐殺の犠牲者が分からない以上、南京虐殺で犠牲になった人数は0人〜数人だったと考えるべきです。

当時は、蒋介石も何応欽も毛沢東も日本も国際社会も、日本軍兵士が南京市民を虐殺していたという認識がありませんでした。
戦後の南京軍事法廷や東京裁判までの9年間、日本軍が南京で無辜の市民を虐殺したという話はなかったのです。
「南京大虐殺」というのは、戦後の作り話なのです。
戦後の南京軍事法廷において虐殺の罪で4人の日本人が処刑されましたが、実は4人全員が無実でした。
4人のうち、1人が300人斬り、2人が100人斬りの罪でしたが、全部出鱈目でした。
南京軍事法廷の後に行われた東京裁判では、この無実の4人を含む「膨大な出鱈目有罪判決」を証拠に、司令官だった松井大将を死刑にしました。

今日に至っても、虐殺があったことを証明するマトモな証拠がありません。
マトモな証拠がなかったので、東史郎や朝日新聞は、「東日記」や「宇和田日記」に作り話を書いて、南京虐殺の証拠にしたかったのですが、彼らの嘘はバレてしまいました。

誰にも見られず、誰にも知られず、女子供の死体を残さず、人口を減らさずに、南京市民を虐殺することは不可能です。
日本軍が、南京で虐殺した無辜の市民の人数は0人〜数人だったでしょう。
イメージだけで、何件かの虐殺があったように考えるのはやめて下さい。
イメージはだめです。

もっと詳しいことは、#5701と#5702の目次にある44の投稿を参考にして下さい。

>資料を検証するということ

投稿者: kintakunte2002 投稿日時: 2005/07/13 23:05 投稿番号: [6517 / 41162]
>私は常々思っているんですが、資料を探し解説することには熱心な人も、資料それ自体の信頼性を検証することには何故か無関心な人が多いようですね。

ほんとにそうですね。
資料の信憑性、検証の限界   それについて熱心になる必要があると常々感じていました。

資料を検証するということ(2)

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2005/07/13 22:48 投稿番号: [6516 / 41162]
  特に解説は必要ないと思いますが、調査方法に関する要点を整理します。

(1)人口は抽出調査の実測(居住者の人数を実際に数える)から推定。
(2)物的被害については調査員の鑑定により判断。但し、誰が被害を与えたかについては不明。
(3)人的被害については家族からの聞き取り調査により推定。
  (ここには明記されていませんが、調査票に基づく聞き取り調査であったことは広く認められています)

  つまり、人口と物的被害の規模は調査員が客観的に確認したものであるのに対して、人的被害、特にその内訳については、被害者の家族の主張に依存する主観的なデータなのです。
  都市部調査における日本兵の暴行による死亡者2,400人、この人数が実際より少なく申告されたものであるとは考え難い(少なく申告したということは、南京市民が日本軍を庇っているということ)ですから、推定最大2,400人と考えられるでしょう。
  但し、その死因が正しく申告されているという保証もありません。攻略戦によって家族が犠牲になった南京市民が日本兵に対して当然持っていた悪感情を勘案すれば、実際には戦闘による死亡でも暴行による死亡と申告されたケースもあるでしょうし、中国兵によって殺された事例が日本兵の暴行によるものと申告されたケースも当然考えられます。
  南京都市部における日本兵の暴行による死亡者推定値は、
「0人以上2,400人以下」
と解釈するのがスマイス報告都市部調査の正しい見方だと考えます。
  また、農業調査においては、人的被害を埋葬者数で推定するという方法を併用しています。この場合問題となるのは、遺体から戦闘員と非戦闘員を本当に区別できたのかということです。スマイスの調査が行われた3月時点では既に遺体の腐敗が進行していました。従って、民間人かどうかを見分ける手段は、第一に服装だったと考えられます。
  ここで大きな疑問点が浮かび上がります。遺体により死亡者数を推定した農業調査は、民間人と便衣兵を区別できたのでしょうか?
  入念な調査の結果中国兵は含まれていないと結論付けられていますが、腐敗が進行している数千体の遺体の傷痕を検証してそれが戦闘によるものか暴行によるものかを判定することが果たして可能であったのかどうかさえ疑問であるのに、民間人の死体とされた物の中に便衣兵の死体が相当数混入していた可能性が無いとは残念ながら考えられません。
  結局、農業調査の結果を勘案しても、日本兵の暴行により死亡した民間人の数は
「0人以上12,000人以下」
と解釈すべきです。
  実際に何人が戦争犯罪の犠牲になったかを判断する為には、上限12,000人を念頭に置いた上で、別の証拠を探す必要があります。スマイス自身の意図に反して、スマイス報告から日本軍の戦争犯罪によって死亡した民間人が12,000人と推定される、という結論は出てきません。数千人規模どころか、数百人規模の殺害があった、と結論付けることすらできません。

  スマイス報告の人口の推定値は客観的な統計調査に基づくものであり、信頼性が高いと見ていいでしょう。
  しかし、人的被害の推定値については主観的データ及び判定が困難なサンプルに基づくものであり、人口の推定値と同レベルの信頼性を置くことはできません。
  スマイス報告は、南京の人口推定値と、民間人の戦争犯罪被害者の上限推定値を示した物であると考えるべきです。

資料を検証するということ

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2005/07/13 22:46 投稿番号: [6515 / 41162]
> スマイスは市街地の死者1万前後と推定していたわけですから、
> 人口に大きな変化がないという認識は全く当然だと思うのです。

  1万人前後の人口減があれば当然言及してしかるべきだと思うのですが。

> 2月・3月には大した変化はなかったが、市の近辺の秩序の乱れた地域から著しい人口の流入があったので、おそらくそれは転出者をわずかながら上まわっていた。

  こんな細かい但し書きまでつけているのですから。

  まあ、これはこれとして、私は常々思っているんですが、資料を探し解説することには熱心な人も、資料それ自体の信頼性を検証することには何故か無関心な人が多いようですね。
  念の為に書き加えておきますと、別に貴方がそうだ、と言っている訳ではありませんので誤解なさらないように。

  以下はスマイス報告の調査方法です。少々長くなりますが、誤解のないように引用可能な全文を掲載します。

●調査方法

実地調査の手続き
  南京の市部調査においては、家族調査員は入居中の家屋50戸に一戸の全家族(every family in every 50th inhabited house)を家族調査表に記入するように指示をうけた。「家屋」(house)は若干の場合には一番号に数軒のアパートや建物(building)があったけれども、「家屋番号」(houuse   number)に従うものと定められた。三月には多くの出入口が封鎖され、どの家に人が住んでいるのか知るのは少しばかり困難であった。その結果、若干の家を見過してしまったかも知れない。脱落した地域を点検するのに対照地図が役に立った。各人は地図上で特定の地区を割当てられ、各自五○戸ずつ人の住んでいる家を抽出して、住宅番号を数えてはそれに記入してうめてゆく。調査員は委員会の評判が良かっため親切に迎えられたが、調査員は、ただ事実を質問するために来たこと、委員会の通常業務の仕事を目的とする家族救済調査員として来たのではないことを注意深く説明した。これら両者の活動に参加しだ人びとのきわめてはっきりした考えでは、家庭調査の方が救済調査の場合よりもはるかに損失報告の誇張が少ないということだった。
  市部調査における建物調査員には二つの仕事があった。すなわち(一)市内の建物(building)を数えて、軍事行動・放火・略奪による被害をうけているどうかを記述する。(二)一〇棟の一棟割合で(on every 10th buikdings)損害の見積りをおこなう。この目的のために一家屋番号が一棟と見なされたれたが、それは若干の場合には一つ以上の建物(structure)を含んでいた。熟練した建築技師が並列の建物(consutruction)にそれぞれ単位コストを割出したので、正確な見積りをおこなうのが非常に容易となった。さらに、二人一組になった調査員のうち一人は土木の方を受けもった。現在居住者のない建物(building)の家財の損害の見積もりは、その建物の性質および近所の人々に対する質問にもとづいておこなわれるべきであるとされた。対照地図によって見落した地域が位置づけられ、そこは入念に再調査された。
  家族調査・建物調査の双方とも城内全域をカバーし、城門のすぐ外側にある若干の地域をも含めた。しかし浦口その他の周辺小都市を含む旧南京地区全体を調査したわけではない。旧日本軍人および一般日本人の住む特定の小地域と点在する個人住宅のみが調査の対象外とされた。
  農業調査においては、三つの団体の通行証をもった二人の調査員が、べつの県へそれぞれ派遣された。調査員に主要道路にそって進み、それから8の字を描きながらその道路をジグザグに横断して戻り、道路の後背地にある地域をカバーするように指示された。この一巡のさいに道筋にある村三つから一つを選んで村落調査票を作製し、それらのそれらの村で毀損している農家のうち、一〇家族に一家族を選んで農家調査票に記入することにした、市場町の物価表については、通過する市場町全てで質問の回答を記入することになった。

asdll58さん宛 (陣中日誌の件)

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/13 22:39 投稿番号: [6514 / 41162]
>これは、おもしろい点ですね。軍規がどれくらい厳守されていたのか当時の事情に詳しい人の意見が聞きたいですね。そして、問題になっている件は、当時の状況からしてありうることかありえないことかなど。


・略奪に関する参考資料


「捕虜、外国権益に対する注意」

(一〜三は省略)

四、外国権益内に敗残兵が多数いる見込みであるが、これに対しては語学堪能者を選抜してあたらせるから、各隊は外方より監視しておけ。

五、言語不通のため外国人との間に誤解を生じ衝突することがないよう気をつけよ。


第九師団第三十六連隊長の脇坂次郎・陸軍大佐は東京裁判に提出した宣誓口供書の中で、ある主計中尉が道端に落ちていた中国の婦人靴片足を持ち帰っただけで軍法会議にかけられたことを紹介している。主要貿易相手国である米英との摩擦を避けるためにも、日本軍は南京で日本兵が不法行為を起こさないよう細心の注意を払い、たとえ靴一足でも軍法会議にかけたのである。

「速記録第三〇九号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』二三九頁。東京裁判に弁護側証人として出廷した第九師団第三十六連隊長の脇吸次郎(陸軍大佐)は宣誓口供書をもって次のように証言している(検察は反対尋問の機会を与えられたが、行わなかった)。「私の部隊が南京に入った直後、ある主計中尉が公用外出の途中、支那婦人靴が片足遺棄してあるのを発見し、その美麗な型式を友人に見せる積もりで隊に持ち帰ったところ、これを憲兵が探知して奪掠罪の嫌疑で軍法会議に書類を送付したので、その中尉は私の面前で涙を流して自分の無罪を主張し、私もその事実を認めて上司に伝えました。結果は微罪却下となったと記憶します。当時、南京における日本憲兵の取締りは厳重を極め、如何に微細な犯罪も容赦しませんでした」



・強姦に関する参考資料

(前略)

東京裁判に提出された証拠の中で強姦事件二万件について触れているものはない。

東京裁判で証言台に立ったペイツは自分自身が強姦事件を目撃したことはないと証言しつつ、このラーベ説(強姦の被害者二万人)を否定し、「安全地帯の委員会の報告のみによりまして、強姦事件は八千」と述べた。

ペイツが唱えた"八千人強姦説"の根拠とは「安全区委員会の報告」であった。

では、安全区委員会が記録した「被害届」に記された強姦事件(未遂を含む)は何件か。集計すると合計で三百六十一件である。しかも誰が事件の目撃者であったのか、誰が誰に聞いて記録したのか、記録者のある事例は僅かに六十一件であった。この内、日本兵がやったという確証があり、真相究明ないしは逮捕のために日本軍に通報された件数は僅かに七件であった。どうすれば、これらの強姦事件報告からペイツは八千人強姦説を導さ出せるのか、理解に苦しむ。

なお、日本軍に通報があった七件については、「シカゴ・デイリーニューズ」(一九三八年二月九日)に報道されているとおり、日本軍は犯人を厳しく罰している。処罰は厳しく、部隊から不満の声が漏れたほどであった。

http://www.ne.jp/asahi/unko/tamezou/nankin/alleged/chapter2-2.html#chapter2-3

パルチザン戦法かい?

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/13 22:14 投稿番号: [6513 / 41162]
都合の悪い課題はおざなりにしたまま、イチャモンを付け易いことにのみに横レスをするパルチザン戦法かい?



>3、遁走する敵は大部分、便衣に化すると判断せられるをもって、【その疑いがある者はことごとく検挙し適宜の位置に監禁す。】


当然の措置と言えよう。




>4、【青壮年は全て敗残兵または便衣兵とみなし、全てこれを逮捕監禁すべし。】青壮年以外の敵意の無い支那人民、とくに老幼婦女子に対しては寛容の心をもって接し、彼らをして皇軍の威風に敬迎させよ。


当然かつ立派な措置と言えよう。




>>その死因も病死だったり事故死だったり支那軍や支那人盗賊による殺害の可能性が高いので、

>また根拠もなく確信する


根拠はある。
20万人居れば、単純に計算すると1年間で約5千人が寿命や病気や事故で死亡することになる。
女子供は全体の約3分の2を占めるだろうから、これまた単純に計算すると1年間に3千人くらい死亡する。
現実には年寄りの方が多く死ぬから、女と子供の年間死亡者数は3千人より遥かに少なくなる。
更に、引き取り手がない遺体として紅卍字会に埋葬されたのは、結局は百体くらいだったということ。

殺害された支那人犠牲者の殆ど全てが、日本軍ではなく支那軍や支那人盗賊によるものだったことは、今さら説明を要しないことと思う。

いずれにせよ、上記のことから日本軍が南京で無辜の民間人を虐殺した様子は全く窺えない。

鉄人2号

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/07/13 20:36 投稿番号: [6512 / 41162]
>・埋葬記録では、女の死体は83名、子供の死体は48名あるいは46名でした。
これは、女子供の死者が少なく、その死因も病死だったり事故死だったり支那軍や支那人盗賊による殺害の可能性が高いので、日本軍による無辜の市民虐殺がなかった裏付けとなります。


紅卍字会による埋葬記録の内訳は、確かに女性83名子供46名なのです。
ここでは紅卍字会の他にも、南京市衛生局や紅十字会の埋葬記録が何万も
あることには触れません。

ではなぜ、女性や子供の遺体は少なかったのか、二つ理由が考えられます。
1.一つは、軍の行動による一般市民の殺害については、その大部分が、
「兵士とみなされた市民の殺害」として行われたということです。
これにより、男性の、それも、青壮年の殺害が多かったことは理解できます。

六旅団作命甲第138号
12月13日午後4寺30分
南京城内掃蕩要領
3、遁走する敵は大部分、便衣に化すると判断せられるをもって、【その疑いがある者はことごとく検挙し適宜の位置に監禁す。】
掃蕩実施に関する注意
1、軍司令官注意事項を一兵に至るまで徹底せしめたる上、掃蕩を実施すべし。
2、外国権益の建物を敵がこれを利用しある場合の外、立ち入りを厳禁す。重要なる箇所には歩哨を配置すべし。
3、掃蕩隊は残敵を掃蕩を任とし必ず将校(准尉を含む)の指揮する部隊をもって実施し、下士官兵以下、各個の行動を絶対に禁ず。
4、【青壮年は全て敗残兵または便衣兵とみなし、全てこれを逮捕監禁すべし。】青壮年以外の敵意の無い支那人民、とくに老幼婦女子に対しては寛容の心をもって接し、彼らをして皇軍の威風に敬迎させよ。

実際には、逮捕監禁しただけではなく、杜撰な選別をした後、すべて殺害したわけです。
というわけで、男性の死体が圧倒的に多い。
女性、子供の殺害というのは、軍命令による組織的なものとしてより、兵士の個別の
乱行、暴虐行為として行われたケースが多いと考えられますので、犠牲者数は
男性よりも少なかったと思われます。


2.もう一つは、慈善団体や公的機関は引き取り手のない遺体を埋葬した、ということを
考えて下さい。
家族や近隣が引き取って埋葬した遺体というのもあります。
男性の遺体を、残された老人や女性、子供が引き取って埋葬することは困難ですが、
女性や子供の遺体は、家族が引き取って埋葬することが考えやすいのです。
(ラーベ日記には家族が引き取ったケースの話が出てきます)
こういうのは、公式記録に残りませんから、どれぐらいあったのかの立証は困難ですが、
そこは、常識と理性にしたがって、一度考えてみて下さい。

なお、城内の女性の遺体が少なく、城外の女性の遺体の方が多いというのは、
私の推測の一つの裏付けではないかと思います。
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/mondai/maisou/koumanjikai.html


ま、この辺で私の推測が正しかったとしても、スマイス報告とのギャップが
埋まるだけで、30万、40万とのギャップが埋まるとは思いませんが   (^^



>その死因も病死だったり事故死だったり支那軍や支那人盗賊による殺害の可能性が高いので、

また根拠もなく確信する    ε = (- -;)
ま、いいか。
断言せずに「可能性が高いので、」と言ってるのだから、
これでも、でりちゃんにしては良心的な記述だしな。

>日本兵の捕虜の扱いは?

投稿者: chankoro_kirai 投稿日時: 2005/07/13 11:09 投稿番号: [6511 / 41162]
済みません中国兵は日本兵の捕虜は拷問の後、食べてしまいました。

こうすれば証拠が残らないので。

日本兵の捕虜の扱いは?

投稿者: heven992002 投稿日時: 2005/07/13 10:24 投稿番号: [6510 / 41162]
戦時中に   中国でも少数でしょうが   日本兵が捕虜になることも有ったと思いますが   どうなのでしょうかね?
中国のことだから   皆殺してしまったのでしょうか?
日本側では   実体が掴めずに   不明者か戦死の扱いになっているのでしょうね。
通洲事件でも   判るようにすごい拷問を受けているんでしょうね。   御気の毒です。

>ja2047さんへ

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/07/13 06:26 投稿番号: [6509 / 41162]
>これはどういうことなのでしょうか?真実と事実の違いについてです。

たとえばですね。
「日本は中国に多数の将兵を送り込んだ」
これは事実です。    動きません。
「日本は中国を侵略した」
これは真実です。
私がここで真実というのは、見方が変わればそれを認めない人もいる、
という意味で言っているのであって、「真実だから絶対動かせない」と
言う意味で言っているのではありません。
評価、とか結論の部分といってもいいかと思います。
「事実」で意見が食い違えば、その説は「トンデモ」ですが
「真実」というのは食い違うもんです。

南京事件に関する議論の奇妙なところは、「真実」が優先して、
「事実」はどこかに追いやられてしまう傾向があることです。


>このことで、今の海外の日本人が暴行を受けたり、政争の道具にされたり、中国人が日本で犯罪を犯す時の正当性の道具として使われたり、国益に損失があったりしないようにするのはどうしたら良いのかと思ってしまいます。

ちょっと時間が足りなくなってきたので、きちんとした話は後に譲りますが、
基本を言えば、今日のトラブルは、戦後処理、講和条約や、日中共同声明
の枠組みに問題があるから起きているのではなく、それを覆そうという
動きによって、軋轢が発生しているのだと思います。

人口問題

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/07/13 06:22 投稿番号: [6508 / 41162]
結局、でりちゃんも、犯罪情報計画氏も、人口については
陥落前20万説に明確な根拠がないことは理解しておられるようで、
スマイス報告の判断が最も信用できるという考えのようです。

結局、スマイスの結論は次のようになろうかと思います。

1.陥落時から1月にかけて人口には大きな変化はない。
  2、3月はわずかに上昇に転じた。
2.城内市街地における犠牲者数は、戦闘に巻き込まれたもの850人
  兵士の暴行によるもの2400人、拉致されて帰らないもの4200人の
  計約7500人と推定される。
3.城外農村部における犠牲者数は南京地区全体で2万7千人と推定される。
4.別の根拠から市内及び城郭周辺では1万2千人が暴行により死亡したと推定される。
http://www.geocities.jp/yu77799/smythe3.html
http://www.geocities.jp/yu77799/smythe2.html
http://www.geocities.jp/yu77799/smythe.html

私が30万説過大と考えるのは、被害者の目撃証言を積み上げたものが
スマイス調査以上の信頼性を持っているとは考えられないことによるものですが、
それはそれとして、

スマイスは市街地の死者1万前後と推定していたわけですから、
人口に大きな変化がないという認識は全く当然だと思うのです。


結局結論は、城内人口(市民)に関する限り、
「増えたという根拠はない」
「大きな変化はなかった」
ということでよろしいのではないかと思います。


さてと、どこから手を着けるかな

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/07/13 06:20 投稿番号: [6507 / 41162]
まずは、でりちゃん   m9(^_^)

暑かったんで上着を脱いだら、
下に着ているシャツが同じじゃあないか。

マネするな。

アバターを設定したのは、私の方が先だ。


<児童が問題だ。マイケル裁判を知らん?.

投稿者: bazzy17jp 投稿日時: 2005/07/13 00:38 投稿番号: [6506 / 41162]
児童を海外から騙して拉致。それも売春目的。日本は人権問題では現在でも勝ち目はない。
http://japan.usembassy.gov/j/p/tpj-j20050603-50.html

<小泉の靖国参拝は総裁選の公約の為、本音は行きたくない、馬鹿ウヨが怖いだけ。 総理になる前に参拝してたんか?.北と日朝国交正常化を唱える奴、のいうことを信じるのも、信じる靖国馬鹿だ。
1939年
「産めよ殖やせよ国のため」
「結婚十訓」の中の一句。他に「なるべく早く結婚しましょう」「式は質素に届けはすぐに」というのもあった。
「日の丸弁当」
ご飯の中央に梅干し一つを置いた質素な弁当。戦地の兵隊さんの苦労をしのび感謝の意を表そうと強制された。
「靖国の母」
靖国神社の例大祭に参列した子を失った遺族のこと。
「ヤミ」
公定価格以上の高値で行われた裏取引のこと。

1940年
「一億一心」(近衛首相のラジオ放送)
日本の人口が1億人に達しようというときであり、国民が心を合わせて一つとなって戦争を遂行しようという檄。
「バスに乗りおくれるな」
時流に乗り遅れるなの意味で合言葉のように用いられた。
「ぜいたくは敵だ!」
東京市内のいたるところに立てられた立看板に書かれた戦時標語。1字挿入して「ぜいたくは素敵だ!」に、また「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」から1字削除して「足らぬ足らぬは夫が足らぬ」というイタズラもあった。他に「日本人ならぜいたくは出来ない筈だ」もある。   最初の設置
「零戦」(ぜろせん)
紀元2600年の末尾の0をとって「零式(れいしき)艦上戦闘機」と名付けられた戦闘機の略称。
「隣組」
国民統制のために作られた地域組織。一単位十戸内外だった。町内会・部落会の下に作られ、食糧その他生活必需品の配給などを行なった。また、国民による国民の相互監視の機関にもなった。

1941年
「生きて虜囚の辱めを受けず」(戦陣訓)
死んでも捕虜になるなということは、捕虜になるしかない戦況では死ねということ。一線の兵士にはもちろんのことすべての国民にとっての呪いの言葉となった。
「米英軍と戦闘状態に入れり」(大本営)
開戦を伝える臨時ニュース。  
「月月火水木金金」
土曜も日曜もない日本海軍の猛訓練ぶりを評したもので海軍の標語になった。ルーツはレコードのタイトル。
「進め一億火の玉だ」
国民の戦意を昂揚するための標語。
「大本営発表」
大平洋戦争の期間中、陸軍・海軍の統帥機関である大本営が国民に向けて発表した戦況報告。意図的な情報のみを一方的に国民に押し付けた。  
「八紘一宇」
世界を一つの家にするという意味。「八紘」とは四方と四隅、八方の非常に遠い果てを意味し、「一宇」は一つの家のこと。

guckblueさんへ

投稿者: yousunwai 投稿日時: 2005/07/13 00:26 投稿番号: [6505 / 41162]
私には、ずっと、分からないことがあります。

南京事件は、多くの場合否定派というのは、「南京で日本軍兵士の犯罪が一件もなかったとか、中国兵の処刑が一件もなかったという主張ではなく、中国側主張の”軍事行動とは無関係に○○万市民を殺害した”という事件の存在を否定しているのです。」

なんだと思うんですね。

で、これに対してguckblueさんは、あったと考えていらっしゃると思うのですが、その根拠となった客観的証拠を有するものとして、メインになるものとして、一つその証拠を挙げるとしたら、どの証拠を採用されているのでしょうか?

必ず鄰あり、ですね

投稿者: guckblue 投稿日時: 2005/07/12 23:39 投稿番号: [6504 / 41162]
>ここへは最近登場したばかりですし、居着くつもりはございません   (^^
>でも、「徳孤ならず」とは思っています。
>ここで少なくても、私は常識の立場からものを言っているつもりです。

ここで論語が出て来る辺り、かなり尊敬してしまいます(^^;
私は論語は知らないのですが、類は友を呼ぶっつーか、トンデモがトンデモを増産している気がする今日この頃。テレビで堂々と、それなりに名のある方が「南京には民間人が二十万人しかいなかったのにどうして30万殺せるんだ?」などととぶたれているのなどを見るに付け、悲しくなります。世間てそんなもんかなぁ、振り込め詐欺やリフォーム詐欺なども横行してる世の中だしなぁ、とか思ってしまう。

>>彼ら否定派が果たした貢献は、南京事件に関する資料の発掘や収集・刊行が進んだことでしょうか。

>いや、むしろ、そこに一番貢献していないような・・・    (−−;

いえいえ、否定派の「刺激」が、「南京事件に関する資料の発掘や収集・刊行」を謂わば後押しした、と言いたいわけですよ、私は。まあ、彼らがいなければ込みいった論争もなく、南京事件のようなことが戦時中にはあった、って程度の認識だったでしょうがね。

でわ。

人口は増加した。(百歩譲って横ばい)

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/12 23:29 投稿番号: [6503 / 41162]
タイトルを訂正しておきます。(恥)

yousunwaiさんへ

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/12 23:20 投稿番号: [6502 / 41162]
>私は、戦闘行為による死者を否定はできないと思いますが、それを、大虐殺と冠して、この南京攻略戦として扱ってはいけないと思います。


戦争をしているのですから、当然です。




>中国側の悪意に対してという意味においては、こちらも客観的資料を揃えて、対抗しなくてはならないと思います。


nmwgipさんも仰っていましたが、日本軍による市民虐殺の証拠は、「あった」と主張するほうが揃えなければならないのです。
市民虐殺の客観的資料が揃っていないので、日本軍による市民虐殺はなかったのです。

戦後の南京軍事法廷で虐殺の罪で4人の日本人が処刑されましたが、実は4人全員が無実でした。
4人のうち、1人が300人斬り、2人が100人斬りの罪でしたが、全部出鱈目でした。

その後にあった東京裁判では、この無実の4人の有罪判決を証拠にされて、司令官だった松井大将に死刑の判決を出されてしまいました。

戦後の南京軍事法廷や東京裁判までの9年間、日本軍が南京で無辜の市民を虐殺したという話はありませんでした。
「南京大虐殺」というのは、戦後の作り話なのです。




>さらなる、強力な客観的証拠が出てくることを願って止みません。


と言うか、虐殺があったことを証明するマトモな証拠が未だに出てきません。

マトモな証拠がなかったので、東史郎や朝日新聞は、「東日記」や「宇和田日記」に作り話を書いて南京虐殺の証拠にしたかったのです。
結局、彼らの捏造は、バレてしまいました。

誰にも見られず、誰にも知られず、女子供の死体を残さず、人口を減らさずに、南京市民を虐殺することは不可能です。

人口は増した。(百歩譲って横ばい)

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/12 23:01 投稿番号: [6501 / 41162]
>ガセネタの鉄人が、すでに破綻したネタを繰り返してますので
>一日一件ずつリンクを貼っていきます。


そのように他人を誹謗・中傷する暇があるなら、まず、キミのガセネタを何とかするべきではないのか?
―――――――――――――――――――
>南京事件について言えば、擦り付けの工作を開始したのは日本側が先ですね。
>「ニューヨークタイムズ   1月3日記事    安全区の敗残兵による攪乱工作」
>ですが、外国人発信を装っていますが、この情報の出所は明らかに日本側なのです。
(#5998)
―――――――――――――――――――




>>・日本軍が南京を占領した1ヵ月後には、南京の人口が増えました。

>ウソです。   増えたと言うことは確認されていないし、状況から考えて
>増えたとは考えにくいのです。


それについては、ちゃんと反駁し、「南京の人口は増えたことは有り得ても、減ったことは有り得ない」という結論に達している。
南京の人口は、増加、もしくは、百歩譲って横ばいだった。
違うと言うなら、日本軍占領直前の人口が何万人で、日本軍占領後の人口が何万人になったのか根拠を示して述べよ。


●1937年11月〜12月の南京の人口推移


1937/11/23日「50万」
「調査によれば本市(南京城区)の現在の人口は約50余万である。将来は、およそ20万と予想される難民のための食料送付が必要である」
南京市政府書簡


11/27「30〜40万」
在留外国人に対して「避難勧告」が出された。
「市民の脱出は続いているが、市長の話では30万から40万の市民がまだ南京に残っているとのこと」
米大使館報告


日本軍占領直前(12月12日前後)の南京の人口に関する資料
―――――――――――――――――――
安全区国際委員会公式文書【20万人の市民】
ステール【10万人の市民】
アベンド【10万人以上】
ダーディン【10万を越す非戦闘員たち+民間人は5万以上】
リリー・アベック【15万人】
米ライフ紙【15万人の南京市民】
張群思少佐【非戦闘員10万】
劉啓雄少将【20万】
松井大将【12万余】
―――――――――――――――――――

以上、安全区国際委員会公式文書などの資料を総合的に見て、更にスマイスの後日修正分まで含めても12月12日頃、日本軍占領直前の南京の人口は、【10万人から20万人、最大でも25万人】とみて間違いなく、日本軍占領後の生存人口が約25万人(安全区国際委員会公式文書)だから人口は増えたことはあっても、減ってはいない。



■日本軍が南京を占領してからは、減るどころか逆に増えている。

そして、南京で戦闘が始まる前に、多くの市民が南京を脱出したが、そのうちの多くは日本軍が開放した上海に行っていた。


もう一度、南京の人口推移を長い期間で見てみる。


●1937年前半(支那事変以前)〜1938年9月の南京の人口推移


1937年前半    「100万人」
  ↓
11月初旬〜11月23日   「50万人」(支那軍が南京に来て減少)
  ↓
11月27日    「30〜40万人」
  ↓
12月13日    「20万人」
  ↓
1938年1月14日   「25万人」(日本軍が占領し支那軍が南京を去ったため増加に転じる)
  ↓
1938年9月23日   「45万人」


・1938年9月23日「45万人」の資料

『文藝春秋』P193   第十六巻   第十九號   昭和十三年十一月特別號 (1938年)
  従軍通信/上海より廬州まで/瀧井孝作
  九月二十三日。晴。南京にて。
  午前九時、特務機関に行く。大西大佐より南京施政状況の説明あり。人口は戦前は百萬そのうち二十五萬漢口に行き、二十五萬は上海に在り、五萬は香港に行き、現在は四五十萬どまりなり。


しばらく南京に戻って来なかった人々のうち、漢口に行っていた25万人は支那の政府関係者が多く、上海に行っていた25万人は一般市民だから、やはり市民は日本軍の居る上海に行っていた。


文句があるなら、日本軍占領直前の人口が何万人で、日本軍占領後の人口が何万人になったのか根拠を示して述べよ。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | [ メッセージ # オフセット ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)