南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘
Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー
それで
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/05/05 23:01 投稿番号: [5321 / 41162]
で、
>食料は現地調達を旨とした日本軍ですから、「こんばんわ、隣の晩ご飯よろしく、頂きました」ついでに、嫁さんも、娘さんも頂いた様です。
って、言う以上は何らかの資料があるんだろうな?
これは メッセージ 5318 (yominokuni56 さん)への返信です.
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靖国参拝は日本国首相の責務
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/05/05 22:50 投稿番号: [5320 / 41162]
>この合祀の後、昭和天皇は靖国神社への参拝を行われなくなりました。
>そして、1985年8月15日に中曽根首相が靖国神社に「公式参拝」を行ったのをきっかけに、中国政府も日本政府に対し、首相、外相、官房長官が靖国神社への参拝をしないよう求めるようになりました。
天皇、皇后両陛下の参拝がなくなったのは1975年からだが、A級戦犯の合祀(1978年)云々は、チンピラの言い掛かりを正当化する詭弁だよ。
昭和天皇は、A級戦犯が罪人じゃないことは百も承知していた。
高野孟がテロ朝の「サンデープロジェクト」で、「昭和天皇がA級戦犯の合祀に反対していた」と言っていたが、あれはでっち上げだよ。
天皇自身の意思とは関係ない邪悪な圧力が天皇の靖国参拝を妨害したのだろう。
昭和天皇は、たえず靖国参拝の御意向を持ちつづけられていたようです。
田中正明氏は、陛下の靖国神社参拝は、「内閣の指示があって、はじめて可能となる」といっています。
陛下の御製の歌
「この年のこの日にもまた靖国のみやしろのことにうれひはふかし」
(昭和六一年八月十五日)
《1986年、中曽根首相が靖国神社参拝を断念した年に詠まれた昭和天皇御製》
いずれにせよ、昭和天皇は、最後の最後まで「靖国神社御親拝」ができないことを御心痛なさっていたそうです。
>1972年に日中共同声明に署名をしたのは田中角栄であり、大平正芳でしたが、この二人は個人として署名したわけではなく、首相、外相という日本を代表する役職として署名したわけですから、この役職にある人物は、共同声明における合意事項を誠心誠意守るよう努力するべきだというのが中国側の主張です。
おい、おい。
大平正芳なんてクリスチャンだったのに、その後首相になってから靖国神社を参拝したぜ。
つまり、クリスチャンだった大平正芳が靖国神社を参拝した理由は、靖国参拝は日本の首相としての責務だったと認識していたからだろ?
これは メッセージ 5291 (yominokuni56 さん)への返信です.
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靖国参拝、首相、官房、外大臣は自粛。
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/05/05 22:26 投稿番号: [5319 / 41162]
2004年12月1日(水)
中国側の言い分
総理の靖国神社参拝に関して、いろいろなご意見があると思いますが、なぜ中国政府が総理の参拝に抗議するのか、その理由を知らずに議論している方がいらっしゃるようです。
相手側の主張も知った上で、ぜひ議論して頂きたいと思います。
(河野太郎)
もともと靖国神社に日本の総理大臣が参拝することに対して、中国政府から抗議や反発はありませんでした。
三木武夫首相は在任中に靖国神社に参拝していますし、昭和天皇も靖国神社に参拝されていました。
1972年9月に、当時の田中角栄首相と大平正芳外相、二階堂進官房長官が中国を訪れ、毛沢東主席や周恩来総理と会談し、日中共同声明に署名して、日中国交正常化への第一歩を記しました。
その日中共同声明のなかで、日本は「過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」との立場を明確に文書にしました。
当時の中国国内には、日本に戦時賠償を求めよとの世論もありましたが、毛沢東主席、周恩来総理をはじめとする中国の指導者は、戦争は日本国内の一部の軍国主義者によって発動されたものであり、大多数の日本国民も戦争の犠牲者であるとの認識を示して、戦争の被害者が同じ戦争の被害者に賠償を求めることはできないとの立場を取りました。日本側が戦争の責任をきちんと受け止めて反省していることを前提に、共同声明では中国側が賠償を放棄することを明確にしました。
ここでいう一部の軍国主義者の象徴が、極東軍事裁判で戦争の指導的責任を問われたA級戦犯です。
そのA級戦犯が、1978年に、靖国神社に他の戦没者と一緒に合祀されてしまったことが、この靖国神社問題の発端です。
戦後、憲法上の政教分離の原則の下、靖国神社も一つの宗教法人になりました。そして、宗教法人に対して政府が介入することもできなくなったため、靖国神社の運営は全く政府とは別個のものとなったのです。そして、靖国神社は宗教法人としての独自の判断で、A級戦犯の合祀を行ったのです。
この合祀の後、昭和天皇は靖国神社への参拝を行われなくなりました。
そして、1985年8月15日に中曽根首相が靖国神社に「公式参拝」を行ったのをきっかけに、中国政府も日本政府に対し、首相、外相、官房長官が靖国神社への参拝をしないよう求めるようになりました。
つまり、日中共同声明の中で確認した、戦争と中国国民に対する重大な損害に責任のある「一部の軍国主義者」が神として祀られている場所に、その日中共同声明に責任のある首相、外相、官房長官という役職にあるものが参拝することは、共同声明の合意に反することになるという主張です。
1972年に日中共同声明に署名をしたのは田中角栄であり、大平正芳でしたが、この二人は個人として署名したわけではなく、首相、外相という日本を代表する役職として署名したわけですから、この役職にある人物は、共同声明における合意事項を誠心誠意守るよう努力するべきだというのが中国側の主張です。
つまり、首相を辞めた田中さんが靖国神社に参拝するのは良いが、現に首相の役職にある小泉さんが靖国神社に参拝するのは、中国側から見れば、日中の合意に反するということになります。
中国国民から見れば、本来多額の賠償を取るべきだったにもかかわらず、同じ戦争の被害者だからという中国指導部の主張に沿って賠償を放棄したら、その責任を取るべき「一部の軍国主義者」が神として祀られてしまった。
まあ、そのことは日本政府とは関係のない一宗教法人の行為ですが、その宗教法人に首相が参拝すれば、共同声明に合意した日本政府の代表が宗教法人の行為を追認したことになってしまいます。
日本側が共同声明の合意をほごにするのならば、こちら側も賠償放棄を取り消して、賠償を求めようではないか、ということになってしまいます。
だから、中国政府は、日本政府に対し、A級戦犯が合祀されている靖国神社に、首相が参拝することは、日中間の合意を踏みにじる行為だから、やめてほしいと言ってくるのです。
実に明快ですね。信義誠実に外交は行って頂きたいものです、姑息な手段で日本国民を騙してはいけませんよ、、小泉さん。
これは メッセージ 5304 (okunomasaru42 さん)への返信です.
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学習しよう、黄泉の国(ボス)座布団一枚
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/05/05 22:23 投稿番号: [5318 / 41162]
>『上陸後引き続いて追撃作戦に移った当初は、各師団の追撃隊は、補給給養が意の如くならず、現地物資によったのであるが、南京攻略当時(12月10日以後)は後方兵站も漸く追随していた。
なんと間抜けな作文だ事(笑)
自ら、現地物資に頼ったと書いているではないの?(笑)
何日間で日本本土から食料が届いたのでしょうかね?
上海上陸時の上海派遣軍は八万人ほどでしたが、後に増援されて十五万にほどに膨れあがっていますが、、、ね。
上海〜南京間
約400km〜500kmありますよ、食料とどくまで、昼寝でもしていましたか?
中国兵を追いかけていたのではありませんかね(笑)
これは メッセージ 5317 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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学習しよう、黄泉の国(チンピラ)
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/05/05 22:08 投稿番号: [5317 / 41162]
>食料は現地調達を旨とした日本軍ですから、「こんばんわ、隣の晩ご飯よろしく、頂きました」ついでに、嫁さんも、娘さんも頂いた様です。
こっちのチンピラも昔から掲示板に参加している割にはまったく成長しない。
学習能力が著しく欠如しているようだ。
不如意の補給・給養
上海〜南京間約二百里を概ね三十日間で進撃した(追撃発起11月11日前後、南京占領12月13日)。したがって、一日の行程は平均七里であり、当時の軍兵站の常識から見れば、第一線への補給追随が困難な作戦ではなかった。
試みに当時の弾薬・糧秣を見てみたい。各兵士は非常用の携帯口糧三日分(乾パンと米、固形調味料とカン詰)を持っていたが、この携帯口糧は後方から補給途絶した非常の場合、指揮官の命令によらなければ使用できなかった。
歩兵連・大隊には大行李(糧食一日分)、小行李(弾薬)があり、師団輜重兵連隊は通常六ヶ中隊で、歩兵弾薬二ヶ中隊、砲兵弾薬二ヶ中退、糧秣二ヶ中隊(二日分)に編成されていたので、師団では七日分の糧秣を携行していたことになる。
さらに、第一線師団への常続補給をつづけるために、軍には兵站自動車中隊が配属され、上陸基地には兵站補給諸厰が設けられ日本本土と補給線をつないでいた。
『上陸後引き続いて追撃作戦に移った当初は、各師団の追撃隊は、補給給養が意の如くならず、現地物資によったのであるが、南京攻略当時(12月10日以後)は後方兵站も漸く追随していた。
したがって、将兵が飢えのあまり掠奪を行うような状態にはなかったのである。』
これは メッセージ 5289 (yominokuni56 さん)への返信です.
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出すぎてゴメン
投稿者: good_g3 投稿日時: 2005/05/05 19:06 投稿番号: [5315 / 41162]
そうですね「総力戦」というのがこの時代からの戦争でしょう!
正直に言えば
ja2047さんのお話とその進展をみて今日書かせていただきました。
資料が云々と言う前に自ら体験,検証する重大性を考えていただきたかったためです。
>これは緊急時対応の射撃教範で有り当然の事です。
ところが、そもそも軽機関銃の腰狙射撃は不可能であると主張する人が結構いるのですね。
この軽機関銃の腰狙射撃話が話題になったのは、
『南京戦
閉ざされた記憶を尋ねて
元兵士102人の証言』
が出版され、テレビで紹介された時だったのですが、
この本が下関の殲滅戦の情景を「虐殺」として紹介してしまったものだから、
「軽機関銃の腰狙射撃は不可能である」という変な合唱が起こってしまった。
普通に戦記として出てくれば、そんな話にならなかったと思うのですけどね。
「虐殺」という言葉が入った途端に、思いつきで発言する人がどっと群がってくるのです
(−−;
おじさんはこの記事にある元兵士は恐らく正直に話していると思います。
歴史を辿る場合
必ずその中にあるプロパガンダ,ノイズを如何に排除して真実を見極めるかと言うことに尽きます。本多氏が批判されるのは当然で、検証作業が不足しているからと思います。
思いつきと判断せず検証して結論を出すのが科学的,現代的思考方法と思います。
諸兄の研究,検証を願わずにはおれません!
では
これは メッセージ 5314 (devilguri さん)への返信です.
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日本は貧しかったのですよ!
投稿者: devilguri 投稿日時: 2005/05/05 18:08 投稿番号: [5314 / 41162]
列強の中で背伸びしすぎたのですね。
フランスやイタリアもおなじですね:
ノモンハン事件でソ連の戦車舞台と戦い
初めて近代戦を知ったが手遅れだったんですね。
ヨーロッパでの戦いがいかに進んでいたか、
知る由もなかったのでしょう!
ソ連のBT戦車に対して火炎瓶の肉薄攻撃
くらいしか有効な戦術しかなかった事実!
当時主力の89式戦車でもまったく
戦車戦を想定したものではなく、あくまで、
歩兵の援護(第一次大戦の用法)が目的
の戦車ですから、砲弾を跳ね返す装甲すら
無い戦車です。
いくら現地部隊から要請しても「そんなことは
わかってる」と言う上層部!
大量に近代兵器を作る金も工業力も日本
には無かったんですね。
フランス、イタリア・・・近代化の送れた
国から敗戦しているのも事実です。(工業力)
も低い国からですね。
これは メッセージ 5312 (gezywibpq さん)への返信です.
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これこそ立派な捏造写真です >devilguri
投稿者: ptwk198269 投稿日時: 2005/05/05 17:31 投稿番号: [5313 / 41162]
http://post.baidu.com/f?kz=1771046
一目で見るとヒドイ、惨めだっていう実感が浮かんできたが、devilguriさんの話から見ればこれも捏造写真にすぎないね!でも国民党宣伝部より情報操作能力がずっと上手だよね!だから謙遜しないでね!
タイトル: 立派な捏造写真ですね >ptwk198269
投稿者: devilguri
日時: 2005年5月05日 午後 3時23分
国民党宣伝部の情報操作能力の高さが
うかがえます。
日本軍に一番足りないものは情報を軽視
し過ぎたということでしょうね!
これは科学の海軍でもそうですから、陸軍
などは考えつきもしないことです。
残念ながら日本の近代戦認識の欠如ですね!
情報戦に敗れた日本です。
これは メッセージ 5310 (devilguri さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/5313.html
devilguri あんた馬鹿?
投稿者: gezywibpq 投稿日時: 2005/05/05 17:22 投稿番号: [5312 / 41162]
>時代錯誤の状態であったと言うのは常識
でしょう(NHKの映像記録史)などでも
述べられています。
どうやら三八式のようなボルトアクションライフルを時代錯誤とようですな。じゃあ、(第二次)大戦直前にボルトアクションライフルを新たに開発したフランスとイタリアも時代錯誤ですねw
サブマシンガンがシロートには最強に見えるようだが、はっきり言ってライフルのほうが使えるんですけどね、戦場では。サブマシンガンはピストル弾を使うのでライフルよりも命中率は遥かに劣り、銃をしっかりと保持しながら撃つので狙い辛いんですけど。それに射程も短くて、十分狙える距離に近づくまでにライフルか機関銃で撃ち殺されますな。そんな物が使えるのは突撃する場合か、敵と遭遇した場合など至近距離で敵と撃ち合う時ぐらいだな。まあ、こういったら「そういう場面は結構あるだろ」なんて言いそうだな。だから言っておくが、大抵の戦いは歩兵は遮蔽物に隠れ、無い場合は地べたにうつ伏すかスコップで穴を掘り、遥かかなたの敵に銃撃あるいは砲撃を延々と繰り返すものだぞ。その為に銃弾も砲弾も大量に消費して、やっと一人の敵兵を倒すと。何を言っても無駄かな。どうせ日本軍は神風か銃剣突撃くらいのことしか分からないDQNでは(ワラ
まあ馬鹿マスゴミのトンデモ解説や、偏見だらけのアメの戦争映画をせいぜい鵜呑みにでもしていたまえ(pu pu
これは メッセージ 5308 (devilguri さん)への返信です.
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レスを頂き 調子に乗って日本刀
投稿者: good_g3 投稿日時: 2005/05/05 17:04 投稿番号: [5311 / 41162]
皆さん日本刀本物のこと知ってます?おじさんの父は元関東軍で終戦直後まで在籍していましたので南方南支の戦局と無縁で結構のびのびやっていたらしく、一寸ドジな父のひざの上で子供の頃聞いた話です。
日本軍の将校は通常3本の軍刀を持っていたそうです。礼装用,通常指揮用,恩賜
となっていたようです。作戦行動に出る時は通常指揮用あるいは恩賜を1本を持つことが普通だったようです。終戦直前は将校は恩賜の刀のみ携行して南方他に移動したそうです。そのため関東軍倉庫内に大量の軍刀が預けられたそうです。
おじさんの父は工兵でしたので、直接の戦いに望んだことはありませんでしたが、置いた刀を踏んだり(鞘入りですよ)もたれかかりしたら曲がってたといっておりました。その時は鍛冶屋さんが本部に付属していて、直してくれたとの話を聞いたことがありました。
その後「日本人とユダヤ人」の著者の山本七平氏の作品(作品名忘れました)の中で彼が元日本刀修理の鍛冶屋さんであったこと
人を切った刀はしばしば曲がり鞘に収まらず修理に出されてきたとの記述がありました。また血糊油で殺傷は3人までだろうという記述も有りました。
さあ
そこで100人切りを考えると
そういうことを見聞しておりましたので100人切りにはいささか「眉につば」です。
何人も人を切ったら確実に曲がるぞ!使った方が凄腕だったのか?
曲がった刀は直しながら使うのであれば
鍛冶屋さんが部隊について歩いた?通常は師団本部に行かないと鍛冶屋さんはいないのでは?中国人の野鍛冶に依頼する?部下に鍛冶屋さんがいた!?
修理に何日も掛かるから何本の軍刀を帯同したのだろうか?3本でローテーション?
おかしいと思いません。日中どっちもどっち!
アホなプロパガンダ記事をネタにしていると思いませんか?
戦争なんぞろくなもんじゃない!人間を不幸にする!との言葉を何度も父は言っていました。皆さん平和が一番!
これは メッセージ 5310 (devilguri さん)への返信です.
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立派な捏造写真ですね >ptwk198269
投稿者: devilguri 投稿日時: 2005/05/05 15:23 投稿番号: [5310 / 41162]
国民党宣伝部の情報操作能力の高さが
うかがえます。
日本軍に一番足りないものは情報を軽視
し過ぎたということでしょうね!
これは科学の海軍でもそうですから、陸軍
などは考えつきもしないことです。
残念ながら日本の近代戦認識の欠如ですね!
情報戦に敗れた日本です。
これは メッセージ 5305 (ptwk198269 さん)への返信です.
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>ひさびさにお邪魔 年寄りのタワゴト
投稿者: devilguri 投稿日時: 2005/05/05 15:16 投稿番号: [5309 / 41162]
貴重な卓見ありがとうございます(^^)
これは メッセージ 5306 (good_g3 さん)への返信です.
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>gezywibpq
投稿者: devilguri 投稿日時: 2005/05/05 15:08 投稿番号: [5308 / 41162]
会戦当初のことを言ってるんでしょう!
100式単機などは殆どの日本兵がみた
事もない兵器でしょう!
それも戦争終盤になってごく一部にしか
配備されていない言わば高級兵器ではないですか!
会戦時、ようやく日本軍の装備が第一次
対戦の標準装備に追いついたと言うのは
事実であり。
時代錯誤の状態であったと言うのは常識
でしょう(NHKの映像記録史)などでも
述べられています。
あなたが揚げ足取りの左翼の詭弁家なら
これ以上の議論は問答無用です。
これは メッセージ 5302 (gezywibpq さん)への返信です.
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ひさびさにお邪魔 年寄りのタワゴト
投稿者: good_g3 投稿日時: 2005/05/05 14:44 投稿番号: [5306 / 41162]
皆さん
機関銃とマシンガンを混同してるのではないでしょうか。
トンプソンのように拳銃用弾を用いる連続連射可能なものをマシンガンといいますドイツのMPもこれに当たります。
機関銃とは小銃弾を用いるものを通常言います。これは弾を銃身に送りこむ遊底部分が拳銃弾ですと反動(威力)が余りないため遅延ブローバック方式で簡単に構成できたことによります。但しこれです有効射程は拳銃より少しマシな程度でした。
但しこれは本当に反動が少なくバリバリ撃てます。
機関銃は小銃弾を使用しますので、遊底は簡単な構造ではなく38式のようなボルトアクションのような回転して閉鎖,弾が銃身先端部を飛び出す瞬間に火薬の燃焼ガスの一部の力を利用して閉鎖した遊底を動かして薬夾の排出,装弾を行います。
したがって反動の大きさは圧倒的に機関銃の方が大きくなります。機関銃を腰ダメにして打つことは可能ですが、銃の暴れを抑えるには相当の腕力が必要です。64式,M16,AK47という現代の突撃銃での連射を体験しましたが2⇔5発程度で銃身が振れだめでした。
機関銃は足を出して伏せ撃ちの形でしたら若干の連射は可能です。その場合銃床と呼ばれる肩に当たる部分が直線状のものはいいのですが、曲線状で照準が取りやすいタイプのものは連射時の暴れが大きく2⇔10発程度連射が狙いを付けて撃てる限界です。(おじさんマニアではありませんから)
その当時の日本の軍用機関銃がどのようなものかまたどのように据付られたかは知りませんが十分重量のある台座に据え付けられれば連射は可能ですが・・・・。
また連射数についてですがほぼ200⇔500発程度までは可能ではなかったかと思います。
これは皆さんが銃身温度について言及されていますので、理由だけ説明させていただきます。
これを決めるのは当時の工作機械の精度が1/100mm程度まででした。現在では3/1000mm
程度の工作精度が出せるためそれ以上の連続発射が空冷にて可能になっております。当時連続発射を要求されるものは水冷としたのではないでしょうか。
そして当時の技術力では個々の銃の公差精度により相当のバラツキがあったと思います。
また当時は銃身内にクロームメッキ,浸炭などの対磨耗処理が技術的に?でしたので恐らく5000発程度で「横弾現象」等を起こすため銃身を取り換えたと思います。
予備部品に銃身が3本あったとしても5000×3=15000発が1つの機関銃の最大でないでしょうか。
上海からの戦いを想像すればその時3本持っていたことかどうか?1本程度予備があったらいい方でしょう。
おじさんは自分の体験から機関銃で長時間バリバリ撃つことは戦後の作文かと思います。
日本にマシンガンあったのでしょうか?
甚だ疑問です。
皆さん体験しましょう。ちょっとアメリカ,ロシアに行けば体験させていただけます。
TV,映画では分かりませんよ!あれは冗談か余程の体力の持主でないと出来ないことが多すぎます。
これは メッセージ 5302 (gezywibpq さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/5306.html
ご覧になってください、日本人は立派だな
投稿者: ptwk198269 投稿日時: 2005/05/05 13:11 投稿番号: [5305 / 41162]
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/5305.html
天安門事件も知らないお国柄
投稿者: okunomasaru42 投稿日時: 2005/05/05 13:03 投稿番号: [5304 / 41162]
わずか20年足らず前の
天安門事件も知らないお国柄なのである。
どうして60年前のことが正確にわかるというのであろうか。
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/5304.html
>>*4:でりちゃん、常識で判断しよう
投稿者: asdll58 投稿日時: 2005/05/05 12:46 投稿番号: [5303 / 41162]
>>ダーディンは、見ていないことは見ていない、聞いていないことは聞いていない、と言っているだけで、「情報が欠落している」という事実があったことを証言しているに過ぎません。
これは、虐殺の有無について、別段何の裏付けにもならない、というだけのことです。
問題の箇所をもう一度見てみましょう。
>――そういう地域の住民はどうなったのですか。
「大多数は戦闘の始まる前に避難しました。南京の方向へと逃れ、市内に入った避難民もかなりいました。漢口のほうにまで逃げていった民間人もかなり多数いました」
――上海から南京近郊に到達するまでの過程で日本軍が中国側の捕虜や民間人を多数殺したという話しは当時あったのですか。
「いや、それはありませんでした。中国軍は日本軍に正面から戦いを挑まず、撤退していたし、地元の住民もみな避難していたからでしょう。。
私は当時、虐殺に類することはなにも目撃しなかったし、聞いたこともありません。虐殺は日本軍が南京を占領してからなのです」
http://jpn.dyndns.ws/~nanking/dathin.html単に聞いていないからあったともなかったとも言えないと言っているのではなく、自分はなかったと思う、そんなことは見たこともないし話にも聞いていないから、と言っていると思います。
なぜそのような話を聞かなかったかといえば、「中国軍は日本軍に正面から戦いを挑まず、撤退していたし、地元の住民もみな避難していたから」だろうとダーティンは推測していますね。
小森の
>ダーティン氏のこの言葉も、「上海から南京への進撃途中に日本軍が中国人を大量虐殺した」という説に疑問符を突きつけている。
もしそうした虐殺があったならば、南京陥落時に市内に中国民間人が多数、残っていて、歓迎の姿勢さえみせるということもなかったはず、と考えるのが自然だろう。
http://jpn.dyndns.ws/~nanking/dathin.htmlは、トンチンカンな発言ではないと思います。
>>おそらくそうだったのでしょう。「蝗軍」の略奪進撃からは逃げられなかったのでしょうか。進撃が速すぎて。予告も何もなく襲ってくる津波みたいなものだったのでしょう。
ちょっとした皮肉がこめられています。よく調べていないので不正確ですが、上海―南京進軍はおそらく数日から十数日を要したことでしょう(津波より遅いような気がしますが、間違っているかもしれません)。ダーティンの「地元の住民もみな避難していた」という推測が正しければ、虐殺される現地民の数には限度があっただろうし、残っていた現地民が噂を聞いて逃げる余裕もあったのではないでしょうか。避難(と噂)は普通害悪とは反対の方向(ここでは南京方面)に走ると思うのですが。
ダーティンの上記の推測(「地元の住民もみな避難していた」等)が間違っていたとしても、彼自身は、そのような推測に基づいて、「上海から南京近郊に到達するまでの過程で日本軍が中国側の捕虜や民間人を多数殺したという」ことはなかっただろうと言っていると思います。ですから、ダーティンは、上海―南京進撃途上での日本軍による民間人虐殺については、自分の立場は、あったともなかったともノーコメントだと言っているのではないと思います。なかったようだと言っていると思います。
これは メッセージ 5258 (ja2047 さん)への返信です.
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>>旧日本軍装備と南京事件(検証)
投稿者: gezywibpq 投稿日時: 2005/05/05 12:44 投稿番号: [5302 / 41162]
>日本軍にはアメリカのトンプソンやドイツ
のシュマイザーのように兵士が簡単に
扱える突撃銃のようなものはありません。
はあ?トンプソンやシュマイザーが突撃銃ですか(藁
>開戦直後、陸軍精鋭の落下傘部隊
のフィルムを見ても普通の38式を短く
した改銃…
落下傘部隊の装備している銃は二式ライフルか、百式機関短銃で三八式の改造ではありませんけど(プ
>第一次大戦の装備で第二次大戦を戦った
日本軍に同情します。(世界から20年
遅れていた)と言われています。
なんの根拠ですか?ドイツ歩兵の主装備はあくまでKar98という三八式よりも古いボルトアクションのライフル銃なんですけど。イギリスはリーエンフィールド、イタリアはカルカノ、フランスはベルチャー…大部分の歩兵に与えられた銃だが、みな三八式と同じボルトアクションなわけだが。サブマシンガン標準装備の国はソ連だけなんですがね。
>地面に設置して射撃するタイプです
地面に設置射撃するタイプ(激藁
もう少し勉強しなされ。しったかは恥ずかしいぞwww
これは メッセージ 5281 (devilguri さん)への返信です.
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領事が、こんな事言ってる国だから…
投稿者: senor_libido 投稿日時: 2005/05/05 11:15 投稿番号: [5301 / 41162]
一国の領事が、公の場でこんな事言ってる国のことだから
中国発信のお話は、どれも信用できない。
中国駐米総領事が事実に反する発言
「日本は侵略認めず謝罪拒否」
賠償要求「3500万人殺害」
【ワシントン4日=古森義久】
中国政府の公式代表であるサンフランシスコ駐在 総領事が地元で
の公開のシンポジウムで日本政府が中国その他のアジア諸国 への
過去の侵略を認めず、謝罪もすべて拒んでいるとする、事実に反す
る言明 をしたことが四日までに明らかになった。
同総領事は日本が戦争中に中国人三千 五百万人を殺したという
根拠のない数字をあげる一方、日本政府に中国側への 賠償支払い
までを求めた。
中国のサンフランシスコ駐在の王雲翔総領事は四月二十二日に
サンフランシスコ 大学で開かれた「日本の戦争記憶問題と対決
する」と題するシンポジウムで基調 演説者の一人として発言した。
王氏の発言内容は複数の参加者による録音報告 で一般にも明らか
となった。
王総領事はまず日本の対中侵略についてとして
(1)一九三一年の中国東北部の 占領から四五年の終戦まで日本軍
は中国人民に対しホロコーストを働き、合計 三千五百万人の
中国人を殺した
(2)三七年に南京を占領した日本軍は六週間で 三十万人の中国人
を殺した
(3)その際、日本軍将兵は殺人の競争をした(「百人 斬(ぎ)り」
への言及)−などと述べた。
王氏はさらに日本はフィリピンその他の近隣諸国をも侵略し、
残虐行為を働いた と述べたうえで「こうした残虐や長年の経過
にもかかわらず、日本の政治家も政府 も現在にいたるまで近隣諸国
への侵略を認めず、残虐行為を否定し、中国、韓国 を含むこれら
諸国に対し口頭でも法的にも謝罪することを一切、拒んでいる。
日本 政府は犠牲者への賠償支払いも拒否した」と言明した。
王総領事はまた日本政府が戦争中の侵略や残虐の記述を教科書
から削除し、 国際社会への責任を果たしていないため、
近隣諸国の間には日本がまた侵略戦争 を始めるのではないか
という懸念があると非難したうえで、「中国政府としては
日本政府に対し(侵略の)犠牲となった諸国に対し公式、
かつ法的に謝罪し、犠牲者への 賠償を支払うことを厳粛に
要求する」と述べた。
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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>国民党軍の行動
投稿者: asdll58 投稿日時: 2005/05/05 10:59 投稿番号: [5300 / 41162]
>このあたりは探せばいっぱい見つかるはずです。
ご指摘のリンクを一読しましたが、それらしきものはほとんどみつかりませんでした。それに近いものは、
>また、第19旅団長草場辰巳少将は、北支作戦の時、隆平県城の城壁の上から、10月13日未明、はからずも敗残兵による掠奪の場面を見たと言っている。
すなわち「隆平県城になだれこんだ敗残兵は、まず住民から衣類を奪って便衣となり、次に食糧を奪い、財宝を奪い、明け方を待って逃げ出す算段で、城壁がすでに日本軍によって占領されているのも知らず、城内は敗残兵による掠奪、暴行殺傷等で阿鼻叫喚のちまたと化し、日本兵はただしばし呆気にとられて、この地獄図を城壁から眺めていた」というのである。
http://jpn.dyndns.ws/~nanking/nanking.html#08隆平県城とは南京のことなのでしょうか。
>掠奪が始まり暴徒が横行し、警察がその数人を銃殺すると逆に興奮し、暴徒が増え掠奪も激しくなった。
http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/tyousa01/nanking2.htmこれは、到底、以下の証拠にならないと思いますが。
>>また、国民党軍が逃亡するとき、前方を帯になって逃げていく一般市民の群れを無差別に殺害して退却していますし、
>>逃げそこなった兵士は安全区の市民を次々に殺害して衣服を奪って便衣兵となって潜伏しました。
これは メッセージ 5263 (n_o_i_s_e_m_a_n さん)への返信です.
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>やたら確信しちゃいけない
投稿者: kintakunte2002 投稿日時: 2005/05/05 10:16 投稿番号: [5299 / 41162]
ありがとう。
よくわかりました。
お二人ともよく研究されているので、
楽しみに読んでるんですよ。これでも。
これは メッセージ 5295 (ja2047 さん)への返信です.
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しつこいのは特性
投稿者: kanntaroudayo 投稿日時: 2005/05/05 10:03 投稿番号: [5298 / 41162]
最終的に誹謗中傷を極めるのも同様。本当は何処の人かわかるでしょう。無視が一番。
これは メッセージ 5272 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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まず謝罪と賠償を
投稿者: fjaouw6 投稿日時: 2005/05/05 09:52 投稿番号: [5297 / 41162]
天安門虐殺事件の犠牲者とその遺族に謝罪と賠償を!
中国政府はまず実行せよ。
それから反日デモを禁止するな。
暴動は論外だが、自由で無制限の表現の自由を認めよ。
日本が嫌いな人民がいるならいくらでもデモさせろ!
個人の自由だ!
・・まあ天安門虐殺を謝罪しても、
チベットだ文革だといろいろ課題が多いから、
日本に矛先をむける資格は永久に中国政府にはないが。
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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>軽機関銃の用法
投稿者: ishiis1512 投稿日時: 2005/05/05 09:32 投稿番号: [5296 / 41162]
ja2047さん、せっかくご意見いただいて心苦しいのですが、
大事な事をお忘れのようです。
>これは勘違いしている人が多いのですが、銃本体の重量が重いということは、「反動は小さい」ということなのです。
これは「反動」ではなく「反動距離」が小さいということ。
質量保存の法則上、重量が大きくなると使われる移動距離が短くなるだけです。
(エネルギーが消えることは無い)
そしてもう一つ、
人間が構えて射撃する場合、人間も銃の一部に含まれるということです。
>ところが、それぞれに与えられるエネルギー量は、1/2mv^2ですから、mの大きい銃本体の受け取るエネルギー量は
質量は銃+人体です。
そのため、小銃でも軽機関銃でも、
一発あたりの反動は、構えている限りほとんど変わりません。
3発点射なら、反動はほぼ3倍、
必死で抑えないと、弾丸はどこに行くか分かりません。
>調べていただけば解りますが、日本の軽機関銃には着剣装置が付いており、歩兵と共に銃剣突撃をやることになっています。
これも、機関銃のいろいろな資料に共通して注意書きが載っています。
『着剣装置はついているが、コケオドシでしかないので・・・』
これは メッセージ 5287 (ja2047 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/5296.html
>>やたら確信しちゃいけない
投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/05/05 09:29 投稿番号: [5295 / 41162]
>で、総括として何を言いたいのかね。
ガセネタを確信的にばらまいちゃいけないと言うことですね。
事が南京事件になると、結論さえ正しければ、根拠は少々曖昧でもいい。
という精神としか思えない人が群がってくるのです。
私は一軍事マニアの立場から淡々と事実を確認する、政治的主張を優先することはしない、
というスタンスなので、主張をはっきりさせるために資料をおろそかにする人がいたら、
ちょっと違うんじゃないかなあということを言います。
私の目下の見解は、「大虐殺」と呼ばれておかしくないことが実際に起きているのだが、
犠牲者数30万は過大な見積もりであろう。
戦史上の事実というのは冷静に考察されるべきものであって、
政治カードにするために宣伝合戦にしちゃあいけない。
ということです。
これは メッセージ 5294 (kintakunte2002 さん)への返信です.
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>やたら確信しちゃいけない
投稿者: kintakunte2002 投稿日時: 2005/05/05 09:17 投稿番号: [5294 / 41162]
で、総括として何を言いたいのかね。
あまりにも各論に過ぎて、君の主張が
何なのかぼけてきている。
ミクロの検証もいいが、マクロの見解も聞きたいね。
ちなみにDELIさんのほうの主張ははっきりしている。
これは メッセージ 5290 (ja2047 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/5294.html
>腰狙撃ち
投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/05/05 09:15 投稿番号: [5293 / 41162]
>これは緊急時対応の射撃教範で有り当然の事です。
ところが、そもそも軽機関銃の腰狙射撃は不可能であると主張する人が結構いるのですね。
この軽機関銃の腰狙射撃話が話題になったのは、
『南京戦
閉ざされた記憶を尋ねて
元兵士102人の証言』
が出版され、テレビで紹介された時だったのですが、
この本が下関の殲滅戦の情景を「虐殺」として紹介してしまったものだから、
「軽機関銃の腰狙射撃は不可能である」という変な合唱が起こってしまった。
普通に戦記として出てくれば、そんな話にならなかったと思うのですけどね。
「虐殺」という言葉が入った途端に、思いつきで発言する人がどっと群がってくるのです
(−−;
>小銃、軽機関銃等は主力の戦いが終わった後の掃討作戦、治安維持に使います。
「虐殺」と呼ばれる事柄は、当然主力の決着がついた後に行われたわけで、
日本軍としては掃蕩戦、治安確保のための行動として実行したわけです。
>南京で大虐殺?を機関銃や銃や日本刀で殺害したと言われていますが物理的に考えて^^不可能だと思います。
総勢力20万の日本軍が2ヶ月がかりでやったという主張は、「物理的に不可能」ではないのです。
要は、30万殺害という信頼すべき記録があるかどうかです、・・これが信憑性がない。
私は実際には戦死者を含めて10〜15万人の犠牲だったのではないかと思っています。
>ナチのように騙して収容所に連れ込みガス、毒殺で殺害しそのまま焼き尽くす非常に合理的です。これだと大量の殺害も可能です。
ホロコースト否定論の人は逆の主張をするんですね。
大量殺害が目的なら、なんでそんなガス室なんて手間のかかることをするんだ、と。
効率だ理由だということで起きたとされることを否定しちゃうとどんな理屈でもつく。
>もしその時5千人殺害したとしてもその後の遺体処理だけでも重機類の無い時代膨大な人的労力が要ります。
幕府山事件の時は殺害後にだいぶ労力を投入したようです。
山田旅団長の日記では二日に亘り隊総力で死体の始末をしたとありますし、
兵士の日記を見ても65連隊中のかなりを投入して二日に亘って死体の始末をしたようです。
実際に発生した死体の総数が正確に幾らであったのかは記録されていませんが、
山田支隊の捕虜総数で1万5千〜2万と推定されていますので、これ以下です。
ところが、この幕府山付近での大量殺害と思われるものが、
中国側では草鞋峡の5万7千人、延子磯の5万人の虐殺として記録されているのですね。
日本側記録から辿ると、最大2万人、数千と推定する人もある大量殺害が、
中国側記録によれば10万人以上ということになる。
私は、このあたりの実態と中国側の数字の差が、
そのまま南京事件全体の実態と中国側の言う犠牲者30万の差に繋がっているのではないかと思うのです。
これは メッセージ 5292 (kaka8950jc さん)への返信です.
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腰狙撃ち
投稿者: kaka8950jc 投稿日時: 2005/05/05 08:14 投稿番号: [5292 / 41162]
>森林、市街、村落及び壕内で不意に敵と衝突正規の射撃姿勢を取る遑もなく且つ一挙の突入困難なる場合等に於いては腰狙射撃を行う要する事あり。
これは緊急時対応の射撃教範で有り当然の事です。隊の移動中襲われたら命の危機ですから、やけど等にかまっておれません。
通常、軽機関銃は攻撃時には二脚を立て突入兵の後方支援、守備の場合土塁、トーチか等での要撃射撃が主な役割です。
戦争での戦いは小銃、機関銃はあくまで補助的なもので主力は重火器の砲弾、空爆、戦車です。
大規模な部隊の衝突では劣勢な方は砲弾が届かない時期に撤退します(中国戦線では敵はいつも逃げてます南京でも然り)
小銃、軽機関銃等は主力の戦いが終わった後の掃討作戦、治安維持に使います。
南京で大虐殺?を機関銃や銃や日本刀で殺害したと言われていますが物理的に考えて^^不可能だと思います。
ナチのように騙して収容所に連れ込みガス、毒殺で殺害しそのまま焼き尽くす非常に合理的です。これだと大量の殺害も可能です。
日本軍が広場に無抵抗の人を集め貴重な弾薬を機関銃や銃で撃ちまくり殺害する。
もしその時5千人殺害したとしてもその後の遺体処理だけでも重機類の無い時代膨大な人的労力が要ります。
これを20回くり返すやっと10万人か後40回残ってる誰も逃げないのかな?
これは メッセージ 5287 (ja2047 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/5292.html
日中国交回復覚え書きを知らない日本人人
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/05/05 07:43 投稿番号: [5291 / 41162]
2004年12月1日(水)
中国側の言い分
総理の靖国神社参拝に関して、いろいろなご意見があると思いますが、なぜ中国政府が総理の参拝に抗議するのか、その理由を知らずに議論している方がいらっしゃるようです。
相手側の主張も知った上で、ぜひ議論して頂きたいと思います。
(河野太郎)
もともと靖国神社に日本の総理大臣が参拝することに対して、中国政府から抗議や反発はありませんでした。
三木武夫首相は在任中に靖国神社に参拝していますし、昭和天皇も靖国神社に参拝されていました。
1972年9月に、当時の田中角栄首相と大平正芳外相、二階堂進官房長官が中国を訪れ、毛沢東主席や周恩来総理と会談し、日中共同声明に署名して、日中国交正常化への第一歩を記しました。
その日中共同声明のなかで、日本は「過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」との立場を明確に文書にしました。
当時の中国国内には、日本に戦時賠償を求めよとの世論もありましたが、毛沢東主席、周恩来総理をはじめとする中国の指導者は、戦争は日本国内の一部の軍国主義者によって発動されたものであり、大多数の日本国民も戦争の犠牲者であるとの認識を示して、戦争の被害者が同じ戦争の被害者に賠償を求めることはできないとの立場を取りました。日本側が戦争の責任をきちんと受け止めて反省していることを前提に、共同声明では中国側が賠償を放棄することを明確にしました。
ここでいう一部の軍国主義者の象徴が、極東軍事裁判で戦争の指導的責任を問われたA級戦犯です。
そのA級戦犯が、1978年に、靖国神社に他の戦没者と一緒に合祀されてしまったことが、この靖国神社問題の発端です。
戦後、憲法上の政教分離の原則の下、靖国神社も一つの宗教法人になりました。そして、宗教法人に対して政府が介入することもできなくなったため、靖国神社の運営は全く政府とは別個のものとなったのです。そして、靖国神社は宗教法人としての独自の判断で、A級戦犯の合祀を行ったのです。
この合祀の後、昭和天皇は靖国神社への参拝を行われなくなりました。
そして、1985年8月15日に中曽根首相が靖国神社に「公式参拝」を行ったのをきっかけに、中国政府も日本政府に対し、首相、外相、官房長官が靖国神社への参拝をしないよう求めるようになりました。
つまり、日中共同声明の中で確認した、戦争と中国国民に対する重大な損害に責任のある「一部の軍国主義者」が神として祀られている場所に、その日中共同声明に責任のある首相、外相、官房長官という役職にあるものが参拝することは、共同声明の合意に反することになるという主張です。
1972年に日中共同声明に署名をしたのは田中角栄であり、大平正芳でしたが、この二人は個人として署名したわけではなく、首相、外相という日本を代表する役職として署名したわけですから、この役職にある人物は、共同声明における合意事項を誠心誠意守るよう努力するべきだというのが中国側の主張です。
つまり、首相を辞めた田中さんが靖国神社に参拝するのは良いが、現に首相の役職にある小泉さんが靖国神社に参拝するのは、中国側から見れば、日中の合意に反するということになります。
中国国民から見れば、本来多額の賠償を取るべきだったにもかかわらず、同じ戦争の被害者だからという中国指導部の主張に沿って賠償を放棄したら、その責任を取るべき「一部の軍国主義者」が神として祀られてしまった。
まあ、そのことは日本政府とは関係のない一宗教法人の行為ですが、その宗教法人に首相が参拝すれば、共同声明に合意した日本政府の代表が宗教法人の行為を追認したことになってしまいます。
日本側が共同声明の合意をほごにするのならば、こちら側も賠償放棄を取り消して、賠償を求めようではないか、ということになってしまいます。
だから、中国政府は、日本政府に対し、A級戦犯が合祀されている靖国神社に、首相が参拝することは、日中間の合意を踏みにじる行為だから、やめてほしいと言ってくるのです。
実に明快ですね。信義誠実に外交は行って頂きたいものです、姑息な手段で日本国民を騙してはいけませんよ、、小泉さん。
これは メッセージ 5288 (okunomasaru42 さん)への返信です.
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でりちゃん、やたら確信しちゃいけない
投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/05/05 07:14 投稿番号: [5290 / 41162]
>>あのね、言葉を切り貼りして、自分の都合のいいところだけ取り出しちゃあいけない。
>>それはね、「トリミング」と言って、議論をする人間がしてはいけないことなのです。
>全然。
えー、いや、やっぱり「してはいけない」ことだとおもうよ。
>ダーディンは、日本軍が上海から南京近郊に到達するまでの過程で、「虐殺はありませんでした。虐殺は日本軍が南京を占領してからなのです」とハッキリ言っているよ。
だから一部を切り取っちゃあいけない。
「――上海から南京近郊に到達するまでの過程で日本軍が中国側の捕虜や民間人を多数殺したという話しは当時あったのですか。」
という古森質問に対して、
「私は当時、虐殺に類することはなにも目撃しなかったし、聞いたこともありません。虐殺は日本軍が南京を占領してからなのです」
と答えたというのは、
ダーディンが当時の見聞に対して尋ねられて、当時の見聞と認識について正確に答えた。
これだけなんだよね。
ここから、
>「日本軍が上海から南京近郊に到達するまでの過程では虐殺の話がまったくなく、虐殺は日本軍が南京を占領してからだ」というのは彼の確信で、
という結論を引き出すから、話が飛躍する。
「確信」しているのはでりちゃんであって、ダーディンは「確信」を述べているわけではない。
あくまで、自分の見聞と認識について冷静に事実を証言しているだけだ。
元の話に戻せば、
ダーディンの
「南京を掌握するにあたり、日本軍は、’これまで続いた日中戦争の過程で犯されたいかなる虐殺より’野蛮な虐殺、略奪、強姦に熱中した。」
については、この虐殺は日本軍のものに限った話ではないと読むべきだろうし、
具体的な話は一切出てないのだから、小規模なもの、未確認のものを含めての話だろうね。
ダーディンが認識していたいかなる種類の
虐殺よりも大規模であったということで、
何も問題はないだろう。
さらに、これと、上記ダーディン証言は、
「実際に上海−南京間の進撃途上」で残虐行為があったかどうかに関わらず、
ダーディンがそれを見聞していないということについて述べているだけだから、
何も矛盾する要素はない。
矛盾に見えるのは、自分が把握した「事実」を述べているダーディン・インタビューに対して、
でりちゃんがそこから「確信」を読みとろうとするからなのだよ。
これは メッセージ 5272 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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本当にしつこい。(まるでチンピラかな?)
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/05/05 07:09 投稿番号: [5289 / 41162]
>ダーディンが推測したのは『理由』だよ。
「日本軍が上海から南京近郊に到達するまでの過程では虐殺の話がまったくなく、虐殺は日本軍が南京を占領してからだ」というのは彼の確信で、その『理由』は推測だから「でしょう」と述べたんだろ。
虐殺の話がないから、無かった?
知らなかっただけじゃないか?
知らないことを理由に確信するとは、とんでもない、思い上がった奴だったんだな(笑)
ジャンク屋さんのアンタよりも上手か?(笑)
上海派遣軍は上海近郊の治安が回復すれば、日本に帰国する予定であった軍隊ですよ、しかも正規に編成された、軍隊ではない、後備役、予備役の軍隊で、松井石根大将にしてから、退役将校であり、呼び戻されて、指揮を執ったという。
その軍隊が南京侵攻の計画も無く、いきなり上海から南京へ侵攻します、もちろん兵站部隊など準備出来る訳がありませんよ。
これを画策したのは武藤章という参謀本部作戦課長です。東京裁判で絞首刑になっています。彼は南方での虐殺事件にも関与した人物です。
食料は現地調達を旨とした日本軍ですから、「こんばんわ、隣の晩ご飯よろしく、頂きました」ついでに、嫁さんも、娘さんも頂いた様です。
ジャンク屋さん、、頑張って下さいね。(笑)
これは メッセージ 5272 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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天安門事件の真実を知らない中国人
投稿者: okunomasaru42 投稿日時: 2005/05/05 06:31 投稿番号: [5288 / 41162]
むろん一部の為政者は知っているが、
圧倒的な中国国民は
わずか20年足らず前の天安門事件を知らないのである。
留学生の中には、ビデオを見せても
「捏造」と
言い張る始末である。
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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軽機関銃の用法
投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/05/05 06:28 投稿番号: [5287 / 41162]
>ただ、軽機関銃と呼ばれるものでも、銃本体のみで10〜11kg、
照準機や銃弾などを入れると、20kg近くなるようです。
立ち撃ち、腰狙撃ちは反動なども考えると、ほとんど無理と思われます。
これは勘違いしている人が多いのですが、銃本体の重量が重いということは、「反動は小さい」ということなのです。
発射される弾の銃口初速が同じであるとして考えますと、MV=mvなのであって、銃と弾に与えられる運動量は
同一になります。
ところが、それぞれに与えられるエネルギー量は、1/2mv^2ですから、mの大きい銃本体の受け取るエネルギー量は
その分vが小さく、結果として吸収しなくてはならないエネルギー量は重量に反比例して小さくなります。
発射薬によるエネルギーは銃と弾丸の双方に与えられるにもかかわらず、撃たれたほうが傷つき、
撃った方は傷つかないということの理論的な説明がこれです。
軽機関銃の銃本体重量は歩兵銃の約3倍ですので射手が吸収しなくてはならない反動は歩兵銃の1/3になります。
目標距離300m以内では、一度に3発すつ発射する3発点射が旧日本軍の標準射撃法なので、反動については
歩兵銃と同程度ということでよろしいかと思います。
大正期以降、日本の歩兵部隊の編成は、一小隊に軽機関銃一挺なのですが、これが現場でどのように使われるかは
容易に想像が付くと思います。
軽機関銃というものは歩兵部隊の一部として、これを携えて突撃を行うことを前提に作られているのです。
調べていただけば解りますが、日本の軽機関銃には着剣装置が付いており、歩兵と共に銃剣突撃をやることになっています。
「支那事変」の間を通じて、軽機関銃の突撃銃的用法は定着しており、昭和十四年以降はこれが制式の射撃法として採用されています。
下記の通りです。
「諸兵射撃教範
第四部
昭和14年6月
陸軍総監部
九八頁」
其ノ三
腰狙射撃
第一
森林、市街、村落及壕内等ニアリテ不意ニ敵ト衝突シ正規ノ射撃姿勢ヲ取ルノ遑ナク且一挙ノ突入困難ナル場合等ニ於テハ腰狙(コシタメ)射撃ヲ行フヲ要スルコトアリ
第二
腰狙射撃ハ小銃、軽機関銃等ヲ以テ或ハ行進中或ハ瞬間停止シ之ヲ行フモノニシテ其ノ要領ハ概ネ左ノ如シ
ま、実状については、一個ずつ確実に証拠資料を確認していくと言うことで
(^^
ひとまずはこれを確認しておきましょう。
これは メッセージ 5279 (ishiis1512 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/5287.html
補足ですが
投稿者: devilguri 投稿日時: 2005/05/04 23:01 投稿番号: [5286 / 41162]
日本の機銃は空冷式だった為、少し連続
射撃をすると銃身が加熱して暴発の危険
があった為、濡れ雑巾に水をかけながら
打ったようです。
とても、起動性が良かったとはいえませんね!(^^;
これは メッセージ 5284 (ishiis1512 さん)への返信です.
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余談ですが・・・確か?
投稿者: devilguri 投稿日時: 2005/05/04 22:51 投稿番号: [5285 / 41162]
このクリップ式の給弾方式を開発し
たのがホッチキス社で、今の文具
のホッチキスはこの方式を利用した
ものだったと記憶しています。
これは メッセージ 5281 (devilguri さん)への返信です.
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>>旧日本軍装備と南京事件(検証)
投稿者: ishiis1512 投稿日時: 2005/05/04 22:44 投稿番号: [5284 / 41162]
devilguriさん、情報ありがとうございました。
それにしても、機関銃の弾丸が、
爪止めに一つずつはめ込む方式だったとは・・・^^;。
調べててショックでした。
これは メッセージ 5281 (devilguri さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/5284.html
>機関銃について
投稿者: ishiis1512 投稿日時: 2005/05/04 22:41 投稿番号: [5283 / 41162]
kaka8950jcさん、レスどうもです。
>私は南京での戦争で民間人が巻き添えを食い多くの市民が犠牲になったのは事実だと思います。
私も、それは全く否定しません。
友好の努力はしていかねばならないと思っています。
共産党の捏造と自己欺瞞は全く別として!!。
これは メッセージ 5280 (kaka8950jc さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/5283.html
猟奇的殺人・レイプ魔の正体を考える
投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2005/05/04 22:35 投稿番号: [5282 / 41162]
>しかしはっきり言って、これは「中国や朝鮮の文化そのもの」であって、とても日本の文化とは言えません。
私は当初「このような猟奇的な殺害事件」は「当局に追い詰められた南京市民が口からでまかせを言ったに過ぎない」と考えていました。
だいたい、日本軍の残酷行為の証言集などを読むと、「数人の日本兵が突然夜中に民家を襲い、哀願する市民に流暢な中国語で残酷で下品なジョークを交えて脅して暴行したり家族を猟奇的に惨殺する」場面などが頻繁に出てきます。
もちろん残酷なジョークで中国人と対話するなどほとんど不可能で、大抵の日本兵は中国語が片言程度にしかしゃべれません。
(日本軍はそのため通訳として半島系日本人(朝鮮人)を軍属として多く連れてきていました。朝鮮人は、元々清の属国として中国語が堪能な人が多くいましたし、新日本人として日本語を勉強しています。)
夜中に出歩いているのも不自然です。
ところが、「同様の猟奇的な虐殺が南方でも発生しているし、それは法廷でも証言できる」という欧米からの指摘があります。
これはどのように解釈すればよいのでしょう?
考えてみると、中国人のつく嘘というのは基本的に「針小棒大型」で捏造もすぐばれるようなものばかりで、それに比べると証言は内容に真実味があります。
もし実際に、数件の猟奇殺人レイプ事件が実際に起きていたとしたら、犯人像はどのようなものになるでしょう?
(数件でもあれば中国人は鬼の首を取ったように数万件でも水増し・捏造できます。)
1)殺害方法について日本風ではなく中国圏に近い文化を持つ
2)中国人に民族(血族)的な深い恨みを持ち、負けて落ちぶれ果てた相手に哀れみや同情を覚えない
3)中国語に堪能
4)南京占領や南方戦線に日本兵と同様の格好をしてかなりの人数で参加しており、捕虜と接する機会が多い
5)他民族に対して差別的・暴力的である
といったかなり際立った特徴を持つことが分かります。
つまり、「これらの特徴を全て兼ね備えた存在」こそが「猟奇犯の正体である」可能性が極めて高いということです。
これは メッセージ 5245 (n_o_i_s_e_m_a_n さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/5282.html
>旧日本軍装備と南京事件(検証)
投稿者: devilguri 投稿日時: 2005/05/04 22:31 投稿番号: [5281 / 41162]
そのとおりですね!
日本軍にはアメリカのトンプソンやドイツ
のシュマイザーのように兵士が簡単に
扱える突撃銃のようなものはありません。
全て、地面に設置して射撃するタイプ
です。開戦直後、陸軍精鋭の落下傘部隊
のフィルムを見ても普通の38式を短く
した改銃で、日本人としてある意味近代化
の遅れのショックを受けた記憶があります。
第一次大戦の装備で第二次大戦を戦った
日本軍に同情します。(世界から20年
遅れていた)と言われています。
日本でサブマシンガンが装備されたのは
確か、終戦間近、沖縄戦の義烈空挺隊の
特攻作戦など特殊な一部隊しかなかった
ように思います。
これは メッセージ 5279 (ishiis1512 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/5281.html
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