南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘
Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー
Re: もうすぐ自民も 創価学会も潰れる?
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2008/08/31 20:33 投稿番号: [25722 / 41162]
>「核武装推進」
、、、
仮想敵国は?
支那、北朝鮮、ロシアなど。
>>「宮沢・村山・河野談話撤回」
>従軍慰安婦問題も
被害国に謝罪しちゃった事実を覆すことは
日本の政治がいい加減ってことを
公言するようなものだけど
それでいいのかい?
それで良い。
日本が謝罪する必要はなかったのだから、過去の謝罪は取り消さなければならない。
>>「犯罪国家北朝鮮に拉致された同胞救出のために武力行使を辞さず」
>ここまで
云っちゃうと
詐欺
ペテンだよ
憲法九条改正しなきゃ出来ない事だよね
改正すれば良いだろ。
新風は既に案を作成していおり、そんな何年も課からない。
俺は、拉致被害者救出を自衛の範囲だと思っているが。
>>「安易な食糧輸入を排し安全性と自給率及び備蓄向上の食糧政策確立」
>これは
いいね
最高だね
問題は
農業はコストで作るものではないってことね
どこまで理解してるかね?
まずは、全ての加工食品や外食料理にも原材料の原産地表示を義務付けること。
これだけでも食糧自給率は大幅に上昇する。
>>「小学校の英語教育反対」
>おいおい
これこそ
おろかな政策だよ
日本の孤立化でも狙ってるのか?
小学校の英語教育は、日本人の国語力やその他数学などの学力低下を招く。
更に国語力が低下することにより、成長するに連れ、最終的には英語力も伸び悩む。
新風の政策公約「小学校の英語教育反対」の説明
学ばせるべきは誇り高き日本の文化
母国語こそが文化の中核
日本語教育の実効性あげよ
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/23131919.html>国連脱退するつもりか?
俺個人は国連脱退主義者だが、新風は国連脱退までは訴えていない。
これは メッセージ 25652 (todorigafuti さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/25722.html
Re: 南京虐殺は、なぜ起きたのか?(1)
投稿者: japaneseboy0000001 投稿日時: 2008/08/31 17:52 投稿番号: [25721 / 41162]
>↑参謀本部は甲乙丙丁と分かれており、情報課なるものは存在しない、暗奔丹。
ソースをお願いします。
これは メッセージ 25713 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/25721.html
Re: wadatumi_voice21よ
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/08/31 17:51 投稿番号: [25720 / 41162]
>少なくともニャンコは読んでるし、反論までしている。
↑反論ではない。
捏造の指摘をしている、暗奔丹。
これは メッセージ 25718 (japaneseboy0000001 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/25720.html
Re: 職歴
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/08/31 17:48 投稿番号: [25719 / 41162]
>せっかく、まあまあの和訳が出来たんだから、あんまり、くだらん屁理屈を
言わないほうがいいぜ。
↑実にその通り、日本語の勉強をすることだな、暗奔丹。
これは メッセージ 25714 (fukagawatohei さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/25719.html
Re: wadatumi_voice21よ
投稿者: japaneseboy0000001 投稿日時: 2008/08/31 17:43 投稿番号: [25718 / 41162]
>黴の生えた使い回しコピペなぞ誰も読まないぞ(大笑)
そんなことはない。
少なくともニャンコは読んでるし、反論までしている。
これは メッセージ 25717 (thirteen_satan さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/25718.html
wadatumi_voice21よ
投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2008/08/31 17:40 投稿番号: [25717 / 41162]
黴の生えた使い回しコピペなぞ誰も読まないぞ(大笑)
これは メッセージ 25711 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/25717.html
Re: ほれであとは、koudousuru (笑
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2008/08/31 17:23 投稿番号: [25716 / 41162]
>絶対に逃がさんからな!
ノ〜タリン、いいから、早くこれを訳せよ:
↓
Best Answer - Chosen by Asker
I think right and just are moral questions needed to be answered by the indivual taken in the context of the times.
This link has good information on the practical decision to drop the bomb including facts leading to that decision.
いつまでも、ちょろまかして、逃げてるんじゃね〜ぞ。
これは メッセージ 25715 (koudousuru009 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/25716.html
ほれであとは、fukagawatohei (笑
投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2008/08/31 15:39 投稿番号: [25715 / 41162]
以下を全て認める訳だな
(笑
イサギヨク
(大笑
オマイが貿易実務歴が35年もあって、
日本語より英語の方が達者だなどと書いたのは、
うそ、だろう?
うそ、だよな!
浅はかな口答えをして、自分でバラしてしまったな
(笑
どうして、ツクリバナシばかりするんだい
(怒
どうして、ツクリバナシで被爆者を傷つけるんだい
(怒
絶対に許さんと言ってあるだろう!
絶対に逃がさんからな!
これは メッセージ 25683 (fukagawatohei さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/25715.html
職歴
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2008/08/31 15:22 投稿番号: [25714 / 41162]
>↑この様に「暦」は「歴」同様に使用するのが日本語なんだな。>
せっかく、まあまあの和訳が出来たんだから、あんまり、くだらん屁理屈を
言わないほうがいいぜ。
(履暦書)って印刷されている(履歴書)が日本で市販されているか?
あったら見せてみろよ。
それから、古本屋の和訳の中で、どこが(アメリカの良心)を
意味するのか、言ってみろ。
ところで、古本屋の別の投稿で良心的兵役拒否者であるアメリカ人の
話を取り上げていたが、やっぱり、被告民のセガレは
同じ被告民であるアメリカ人の気持ちは、よく理解できるようだな。
これは メッセージ 25684 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/25714.html
Re: 南京虐殺は、なぜ起きたのか?(1)
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/08/31 14:50 投稿番号: [25713 / 41162]
>この人物は、南京戦のときは中佐で、
上海派遣軍の参謀兼中支那方面軍参謀情報課長だった。
軍司令官の専属副官だった大佐が
投書で、当時の方面軍司令部内部の
雰囲気を示すものとして、次のような出来事を
記録している。
↑参謀本部は甲乙丙丁と分かれており、情報課なるものは存在しない、暗奔丹。
お前の嘘八百は見飽きたぞ、暗奔丹。
これは メッセージ 25693 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/25713.html
wadatumi_voice21へ
投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2008/08/31 13:26 投稿番号: [25712 / 41162]
止めなさいよ、
こんなに大量にコピペしたって誰も読まないよ。
事実派はこんなことしか出来ないのかって、逆効果だよ。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/25712.html
南京虐殺は、なぜ起きたのか?(19)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/08/31 13:05 投稿番号: [25711 / 41162]
参謀総長が異例の通達を出すほど、日本軍の軍紀風紀は
頽廃していた。
開戦後2年間のみに限っての軍紀風紀にかんする犯罪非違の調査によると、
日中戦争の戦地における犯罪非違は、日清・日露に比べても
はるかに高率となっている。
大本営陸軍部が調査した開戦2年後の調査によると、軍隊内の犯罪数は
次のとおりだ。
日清戦役(全戦役)
3387
内地1906
戦地1481
日露戦争(全戦役)
5234
内地3780
戦地1454
日支事変(2年間)
5221
内地2047
戦地3147
(無形戦力軍紀風紀資料第一号「支那事変に於ケル犯罪非違ヨリ視タル
軍紀ノ実相並ニ之ガ振粛対策」大本営陸軍部研究班昭和十五年十一月)
この数は
憲兵隊のとり扱ったものだけであり、
「実数ハ之ヨリ増加スベシ」
とされている。
そのうえで
戦地での犯罪数は、日清・日露戦争よりも
「今次事変ニ於ケル犯罪数著大ナルヲ知ルベシ」としている。
また、非違の発生件数は、日清・日露の記録がないので比較できないが、
「今次事変」では3万2964名に達し、しかも「刑法処分ニ処スベキモノ
本人ノ功績ト犯行ノ情状トヲ酌量シテ行政処分ニ附シタルモノ相当数アリ」
「シカモ軍紀上相当悪性ナルモノ多数発生シツツアルニ於テオヤ」
とされている。
つまり、
軍法会議に付された犯罪、懲罰権者の処罰ですませた非違の双方とも、
日中戦争下で軍紀風紀犯罪が多発しているという結果が示されているのだ。
こうした犯罪のなかで、もっとも多かったのが
掠奪だった。
上海から南京への追撃戦は
補給を無視しての急進撃で、
給養はすべて
占領地での徴発に頼った。
徴発といっても、そこは敵国であり
実態は掠奪にほかならなかった。
兵士の日記には、ほとんど例外なく、毎日
無人の集落から
何を徴発したかが書かれているが、それは無統制に、
兵士が勝手におこなう掠奪であったことを
具体的に示している。
占領地で徴発するには
国際法があり、規則があった。
しかし、中国戦線で
それが守られることはほとんどない実態にあった。
次のような
南京攻略戦のさいの第九師団経理部将侯の記述がある。
徴発品の代金の支払は如何にされて居つたか、
軍隊は強盗でも山賊でもない。
必ず代金を払って買はねばならないのである。(中略)
後日所有者が代金の請求が出来るようにして置かねばならない
故に徴発書はかねて印刷配付して所要の事項を記入すればよいように
して(中略)ある。しかるに後日所有者が代金の請求に持参したものを
見れば其記入が甚だ出鱈目である。
例へば○○部隊先鋒隊長加藤清正とか退却部隊長蒋介石と書いて
其品種数量を箱入丸升とか樽詰少量と云ふものや
全く何も記入してないもの
甚だしいものは単に馬鹿野郎と書いたものもある。
全く熱意も誠意もない。
でたらめな記入をした徴発書では、代金の支払いはできない。
中国の人々は、食糧などの物資を
だまし盗られたことになる。
国際法規も無視し、中国人民を侮蔑して略奪の対象としかみなかったことが
南京での残虐行為の誘因となったと考えれば
その理由が理解できる。
これは メッセージ 25710 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/25711.html
南京虐殺は、なぜ起きたのか?(18)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/08/31 13:04 投稿番号: [25710 / 41162]
虐殺事件の背景には、幕僚層の国際感覚の欠如とモラル低下だけでなく、
軍紀風紀の頽廃があったことは
以前にものべたとおりだ。
戦争の拡大と軍隊の大量動員が、軍の素質の低下をもたらしたことも
先に明らかにしたとおりであるが、それに伴って
軍の規律がゆるみ、
軍紀風紀が乱れたことが
犯罪非行を続出させた原因となった。
大量虐殺は、軍の組織的行為である
捕虜の殺害や敗残兵狩りが
原因であることは
もちろんだが、軍紀の乱れから
兵士個人による
行為によって起こった場合も多出したことが、いっそう事件を大きくした。
この点は軍上層部でも認めており、事件が国際的非難を浴びたのを受けて、
南京占領直後の38年1月4日付で
参謀総長は
中支那方面軍に対して
次のような要望をおこなっている。
同じ内容の要望は
北支那方面軍にも出されているが、これは軍紀風紀の
粛正が、この時期の日本軍にとって、大きな問題だったことを示している。
顧ミレバ皇軍ノ奮闘ハは半歳ニチカシ
其行ク所常ニ必ズ赫々タル
戦果ヲ収メ
我将兵ノ忠誠勇武ハ中外斉シク之ヲ絶賛シテ止マズ
皇軍ノ真価愈々加ルヲ知ル
然レ共一度深ク軍内部ノ実相ニ及ベバ未ダ暇謹ノスクナカラザルモノ
アルヲ認ム
就中軍紀風紀ニ於テ忌々シキ事態ノ発生近時漸ク繁ヲ見
之ヲ信ゼザラント欲スルモ
尚疑ハザルベカラザルモノアリ
惟フニ一人ノ失態モ全隊ノ真価ヲ左右シ
一隊ノ過誤モ
遂ニ全軍ノ聖業ヲ傷ツクルニ至ラン
(中略)
遡テ一般ノ情特ニ迅速ナル作戦ノ推移或ハ部隊ノ実情等ニ考ヘ及ブ時ハ
森厳ナル軍紀節制アル風紀ノ維持等ヲ困難ナラシムル幾多ノ素因ヲ
認メ得ベシ
従テ露見スル主要ノ犯則不軌等ヲ挙ゲテ直ニ之ヲ外征部隊ノ責ニ
帰一スベカラザルハ克ク此ヲ知ル
然レ共実際ノ不利不便愈々大ナルニ従テ益々以テ之ガ克服ノ努力ヲ
望マザルヲ得ズ(後略)
(中支那方面軍参謀長「軍紀風紀ニ関スル件通牒」)
参謀総長から
このような要望がでたことは、まったく異例のことだった。
それだけ
在中国軍の軍紀風紀の頽廃が、
軍中央部にとっては
頭の痛い問題だったのだ。
これは メッセージ 25709 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/25710.html
南京虐殺は、なぜ起きたのか?(17)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/08/31 13:03 投稿番号: [25709 / 41162]
さまざまな記録資料や証言を検証していくなかで、
南京虐殺につながった原因には、当時の日本軍の国際感覚の欠如、
中国人民への蔑視と敵愾心の増幅、日本軍の軍隊としての資質の低下など
様々な要因が
絡んでいたことが
理解できる。
ここで、その誘因のひとつとなったと考えられる当時の中堅幕僚層の性格や
国際感覚の実情を示す資料を
みてみよう。
まず、第十軍司令部が37年11月に作成した「南京攻略ニ関スル意見」
(丁集団参謀部『南京ヲ急襲ニヨリ奪取シ得サル場合ノ攻略案』)
をあげることができる。
湖東会戦を終了して南京にむかって追撃している
この時期に
軍司令部が作成した
この意見は、第一、第二の両案に分かれており、
第一案は
追撃の態勢のまま一挙に南京を急襲奪取するというものだ。
第二案は
急襲が成功しなかった場合のもので、つぎのように述べている。
南京ヲ急襲ニヨリ奪取シ得ザル場合ノ攻略案
此ノ場合ニ於テモ正攻法ノ要領ニヨリ力攻スルコトヲ避ケ左記要領ニ
依リ攻略ス
急襲案ト同一要領ニヨリ先ヅ南京ニ急追シテ包囲態勢ヲ完了シ主トシテ
南京市街ニ対シ徹底的ニ空爆特ニ「イペリット」及焼夷弾ヲ以テスル
爆撃ヲ約一週間連続的ニ実行シ南京市街ヲ廃墟タラシム
右方法ニヨルモ敵若シ要塞ヲ死守スル場合アリトセバ軍ハ努メテ
僅少兵力ヲ以テ包囲態勢ヲ持続シ敢テ力攻スルコトナク前要領ノ空爆ヲ
続行シ敵ノ自滅ヲ図ルモノトス(中略)
本攻撃ニ於テハ徹底的ニ毒瓦斯ヲ使用スルコト極メテ肝要ニシテ
此際毒瓦斯使用ヲ躊躇シテ再ビ上海ノ如キ多大ノ犠牲ヲ払フ如キハ
忍ビ得ザルトコロナリ
(『陸支密大日記』昭和十三年陸支密受5267号防衛研究所図書館所蔵)
猛毒のイペリット使用も
市街に対する無差別爆撃も、なんの躊躇もなしに
計画をたてていたのだ。
念のため言っておけば、毒ガス兵器使用は、当時も国際法規違反行為だ。
結果として、第一案の急襲が成功したため、無差別空爆も毒ガス使用も
なかったが、こうした幕僚層の
国際法にも人道にも無関心な態度が、
大虐殺の背景に存在していたといえるだろう。
これは メッセージ 25708 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/25709.html
南京虐殺は、なぜ起きたのか?(16)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/08/31 13:03 投稿番号: [25708 / 41162]
南京大虐殺のような残虐行為を、どうして日本軍が起こしたのだろうか。
日本人が
もともと残酷で、人殺しはその本性だとはとても考えられない。
むしろ、長い歴史の事実が示すように
日本人は
本来
温和で、
人や自然を愛する
民族だったと考える。
それが、このような事件の主役になったのには、相当の背景と
原因があったはずだ。
もともと
軍隊とは暴力組織であり、明白な自律意識が保たれなければ
残虐行為に走るのは当然だ、と言ってしまえば
それまでであるし、
他国の戦争にも、いくつも
その例を
見出すことはできる。
しかし、南京事件は、あまりにも大規模で
しかも組織的な行為だった。
それを行なった旧日本軍=「皇軍」の性質に、
事件を誘発する原因があったのだ
と考えられる。
第1に、近代の日本軍の特徴は、世界にも稀なほど厳しい規律と、
兵士に対する服従の強制があり、兵士の自主性を尊重することなく、
がんじがらめの規則と厳しい罰則とで、軍隊の秩序を維持していた。
兵士の人権は極度に制限され、苛酷なまでの絶対服従が強要された。
古参兵士が新兵にたいしてふるった私的制裁としての暴力などは有名だ。
自国の中でも、また自己の軍の中でも、人権と自由を尊重しないのだから
敵国軍の捕虜や民衆に対する処遇に、人権の尊重を求めるのは無理な話だ。
第2に、皇軍の特徴には、非合理な精神主義の強調があった。
明治の建軍にあたって、日本軍の幹部は
すべて士族だった。
近代軍でありながら、「武士道」が持ち込まれた。
このことにより、死ぬことが名誉であるという武士の価値観が、
天皇のために死ぬことが軍人の最高の美徳という位置づけとなり、
やがて玉砕や特攻などという、およそ近代軍にあるまじき作戦の立案と
実行にまで
行き着くものになった。
いさぎよく死を選べ、生きて虜囚の恥はさらすな、という思想が
兵士一人ひとりに
徹底して刷り込まれた。
自軍の捕虜を認めないぐらいだから、相手国の捕虜の処遇も
非道なものとなったのは
当然だったといえる。
日本人が、日本人らしさを最も失っていた軍国時代に起きた悲劇。
その現実に向き合わなければ、未来に責任を持つことはできない。
歴史を省みることは
自虐でもなければ
恥でもない。
恥だとすれば、自国にのみ都合よく歴史を歪曲することだ。
そうした恥ずべき歴史の改ざんに躍起になりながら、
国際社会が進展している現代にあっても、いまだに他国の人々を
侮蔑しようとする傲慢な日本人がいる。
しかし、他国民衆への侮蔑的感情が、
違法な残虐行為の要因になったことを
忘れてはならないと思う。
これは メッセージ 25707 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/25708.html
南京虐殺は、なぜ起きたのか?(15)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/08/31 13:02 投稿番号: [25707 / 41162]
ドイツ本国に送られた大使館の報告によれば、
直接ドイツ人が見聞した日本兵の殺人や強姦の例が多数あげられている。
ドイツ大使館にまで、女性を渡せと日本兵が侵入してきたことまで報告し、
37年12月24日には、「日本兵による民間人に対する行為のもっとも
忌まわしい事実があきらかになった」
「ドイツの政策目標である共産主義拡大防止に明白に対立するものだ」
としている。
38年1月15日の報告では、
「日本軍が占領してから1月以上もたっているのに、女性や少女の連行と、
暴行も同じく続いている。この観点から言えば、日本軍はここ南京において
みずからの恥辱の記念碑をうちたてた」
とまで記録されている。
同年2月10日の報告には、米国人神父が撮影した映画フィルムを同封する
とし、このフィルムは
残虐行為を雄弁にものがたっているから、
「総統にもぜひ、映画をご覧いただきたいと願う」
としている。
このとき同封された解説文は
ベルリンに残されているが、
フィルムは残されておらず、ヒトラーが
実際に、これを見たかどうかは
今となっては
知るすべがない。
当該フィルムは、米国で発見された『マギーの遺言』と題する映画と
おそらく
同じものであったと考えられる。
当時、南京の国際員会委員長は、ドイツ人の
ジョン・H・D・ラーべ
という人物だった。
彼は、38年2月に帰国して報告書を作成している。この報告書には、
日本軍が捕虜を数千単位で処刑したり、集団で略奪や強姦を繰り返した
と記録されており、非戦闘員で殺された者については
「5万から6万人ぐらい」と
述べている。
ラーベが記した非戦闘員犠牲者の数は、彼が居た安全区内
もしくは
周辺市街だけに限ったものだ。
一般住民の被害は、市内よりも
周辺農村部のほうが多かったのであるし、
調査が十分に行われたわけではないので、これらの数字は
最低限のもの
と考えるべきだろう。
一般市民の被害者数を
正確に数えることは
もはや困難なことだ。
問題は、日本軍による一般市民への残虐行為
とくに殺人、強姦が
多出した
という事実だ。
否定派は、その数がきわめて少ないから大虐殺ではないと主張している。
極端な主張では、市民の殺害は47人だけだ
などという主張まである。
これは、国際委員会が
47人の市民殺害について日本軍に抗議したことを
根拠としたものらしい。
しかし
それは、スマイス調査はじめ第3者のあげる数字も、
まして被害者側のなまなましい証言も
すべて無視するものであって、
まったく根拠に欠けるものだ。
これは メッセージ 25706 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/25707.html
南京虐殺は、なぜ起きたのか?(14)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/08/31 12:46 投稿番号: [25706 / 41162]
一般市民の被害を
調査した第三者の記録として
残されているものは、
金陵大学社会学教授ルイス・S・C・スマイス博士が行った
「南京地区における戦争被害1937年12月−1938年3月
都市および農村調査」(日中戦争資料編集委員会編『日中戦争資料9
南京事件Ⅱ』河出書房新社、所収)がある。
この調査は、日本軍占領下で行動が制限されているという困難な状況下で、
南京の市部と、南京市の行政区にふくまれる周辺6県について行われた
サンプル調査である。
ただし、市部の中でも調査員の立ち入りが困難な地区もあり、
周辺部についても
県城を除外した純農村だけが対象となっているので、
その数字は
総数をあらわしているものではない。
この調査によると、市部(城内および城門外の下関と中華門外を含む)で、
死傷者6,750名、拉致された者
4,200名となっている。
死者は3,400名で、そのうち兵士の暴行によるもの2,400名、
爆撃や砲撃その他によるもの
1,000名となっている。
域内の農村部では、5県の県城をのぞく純農村で、死者30,905名、
そのうち殺されたもの26,870名、また「村に帰って来ない」ものは
133,230名
となっている。
「拉致された者」や「帰って来ない者」の多数も殺された可能性は高いが、
これをのぞいても、この調査で
日本兵の暴行による死者、
または
殺された者として計上されているのは、29,270名にのぼる。
これに、調査で除外されている県城での被害をたせば、
犠牲者総数は、はるかに多いことが
分かるだろう。
南京虐殺否定派は、当時の英米人は日本に敵意をもっていたはずだから
その証言や調査は信用できない、と言うかも知れない。
しかし、日本と同盟を結んでいた友好国ドイツの在中国大使館の報告でも、
日本軍の残虐行為を
くわしく報告している。
当時、ドイツ大使館の書記官が、直接
本国の外務省に報告を送っていた。
この報告は、ベルリンの旧東ドイツ国立公文書館に残されており、
ドイツ統一後に公開されている
(0102在大使館報告「2208日中紛争203〜205」)。
これは メッセージ 25705 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/25706.html
南京虐殺は、なぜ起きたのか?(13)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/08/31 12:46 投稿番号: [25705 / 41162]
11月11日付の
第三師団歩兵第六聯隊第二大隊の攻撃計画は、
大隊長から将兵に対して
次のように命じるものとなっていた。
「一般ノ領民ハ総テ城内ニ避難シアルヲ以テ城外ニ在ル一切ノ者ハ
敵意ヲ有スルモノト認メ之ヲ殲滅ス」とし、さらに
次の項では
「掃蕩ニ方リテハ家屋ヲ焼却スルヲ便トスルヲ以テ之ガ材料ヲ
準備スルコト」
と示していた。
つまり、城外にいる一切の人間を殺し、家屋を焼き払うことを命じたのだ。
それでなくとも
日本兵は、中国軍の予想以上に頑強な抵抗により
苦戦を強いられ、味方に多くの犠牲者がでたことで
中国人への憎悪と
敵愾心にあふれていた。
さらに
後方補給のないまま
強引な物資の「現地徴発」を重ねて
追撃していったのだ。
そのうえに、「支那住民ハ老人、女、子供ト雖モ敵ノ間諜ヲ勤メ」ている
と刷り込まれ、区別なく敵と見なし、村落も焼き払え
と命じられれば、
極限状態にあった兵隊たちが
どのような行動をとったかは、
想像するに
難くない。
その第一線部隊の後方にも、大量の軍隊が
進軍していった。
道路や橋が破壊されていたため、馬や車両をもつ部隊の前進はとどこおり、
行李や輜重、砲兵や通信隊などの特科部隊は、後方から第一線を追いかける
ことになったのだ。
上海戦での損害も大きかったので、各隊には
次々と補充員が送られた。
この補充員たちが、各隊ごとに
先任者の引率で第一線を追いかけるので、
これも後方の混乱の原因になった。
こうして
上海から南京への江南の平地は、第一線の通過したあとも、
雑多な部隊が
長期間、広範囲にわたり、まるでイナゴの大群のように
「現地徴発」を繰り返しながら
進んでいった。
第一線部隊が通りすぎ、避難していた住民が集落に戻ったあとに、
三三五五と
またやって来た日本兵に、殺されたり強姦されたりした例が
多いという中国側被害者の証言があるのは、このためであった。
一般市民の被害の状況を
全体としてあきらかにすることは非常に困難だ。
兵士の日記や証言などに、個々の掠奪や殺害の記録があるが、
加害者である日本軍側が
まとまった記録を残しているわけがない。
したがって
一般市民への残虐行為、特に
どれだけの人が殺されたかは、
概数を第三者の記録にたよるほかはない。
これは メッセージ 25704 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京虐殺は、なぜ起きたのか?(12)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/08/31 12:45 投稿番号: [25704 / 41162]
国際法にも人道にも反する
大量の捕虜殺害が行われた
という事実は、
日本軍の公式記録でも明らかであり、外国人の捏造だなどと否定できない。
そこで
南京虐殺否定派は、苦し紛れに
戦闘継続中のゲリラ掃討のようなものだから
違法行為ではない
などと
主張するかもしれない。
しかし、どの記録や証言をみても、難民区を含む地域での
「敗残兵の剔出」、あるいは
自ら投降した捕虜たちを
「処断」したのであって、「戦闘による」ものではない。
仮に、敗残兵の中に
戦闘継続を図る者がいた
と言うのであれば、
入城後において
日本軍側に
どれほどの犠牲者が出たか、
その記録があれば
「戦闘」の証拠として
示すべきだ。
さて、このような
中国軍捕虜および「敗残兵と見なされた」中国人の
大量殺害とともに、南京大虐殺の
核心というべきは、
非戦闘員への残虐行為、とりわけ
婦女に対する強姦殺人だろう。
なぜ、このような残虐な行為が行われ、また
それを防げなかったのか。
南京攻略より以前、すでに日本軍は
退却する中国軍を追撃するなかで
一般民衆と接触する機会が頻繁となっていた。
第十軍は、杭州湾上陸に先立つ10月21日、将兵に対して
「軍参謀長の注意事項」を通達したが、その中の「支那住民ニ対スル注意」
では
次のように
一般住民に対する断乎たる処置は求めているが、
その保護については
いっさい
触れていない。
北支殊ニ上海方面ノ戦場ニ於テハ一般ノ支那住民ハ老人、女、
子供ト雖モ
敵ノ間諜ヲ勤メ、或ハ日本軍ノ位置ヲ敵ニ知ラシメ、
或ハ敵ヲ誘導シテ日本軍ヲ襲撃セシメ、或ハ日本軍ノ単独兵ニ危害ヲ
加フル等寔ニ油断ナリ難キ実例多キヲ以テ、特ニ注意ヲ必要トス、
殊ニ後方部隊ニ於テ然リトス、斯ノ如キ行為ヲ認メシ場合ニ於テ
些モ仮借スルコトナク断乎タル処置ヲ執ルベシ
(防衛研究所図書館所蔵「昭和12年陸支密大日記」)
これは、中国一般住民は
老人、女性、子供であっても敵に通じ、
日本軍に危害を与える存在であるから
油断するな、
怪しい者は
断固として処置せよ、という指示であり、
どこにも
一般市民は保護すべきだという考えは
示されていない。
むしろ、すべての民衆を敵とみなせ
という命令さえ下していた。
その具体的例としては、
上海南方地域の掃蕩にあたった第三師団の歩兵第六聯隊第二大隊の
11月11日付の大隊長命令による攻撃計画などがある。
これは メッセージ 25703 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京虐殺は、なぜ起きたのか?(11)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/08/31 12:44 投稿番号: [25703 / 41162]
国際委員会の要請を無視して行なわれた
難民区での「掃蕩作戦」は、
凄惨をきわめた。
第九師団第七歩兵聯隊長の日記では
「三日間ニ亘ル掃蕩ニテ約六千五百ヲ厳重処分ス」
とあり、
また、戦闘詳報には
「刺射殺数(敗残兵)六六七〇」
(資料集「南京城内掃蕩成果表」)との記録が残されている。
この市内掃蕩は、国際委員会が難民保護にあたっていた安全区を
主な舞台として行なわれたことから、
当時から
世界に広く知られることになった。
そのやり方は、青壮年を狩り集め、額に日焼けの線がある者、
靴ずれのある者、姿勢のよい者、眼つきの鋭い者などの
いい加減な基準で
「兵士」を選び出し、これを処刑の対象にしていった。
殺したのは「兵士」だけだったと言い切ることは到底できるはずがない。
この難民区での「掃蕩」については、たくさんの国際委員会関係者の証言が
残されているだけでなく、日本軍側の聯隊長や兵士の証言も残されており、
歩兵第七聯隊の戦闘詳報の裏づけとなっている。
大虐殺否定論者は、この掃蕩は「戦闘行為の継続」なのだから、
不法行為ではない、などと
主張してみせる。
だが実際は、きわめて曖昧な基準で「便衣兵」を選び出して処刑したのだ。
また、たとえ兵士であったとしても、
裁判にもかけず
いきなり殺すのは
違法であり、非人道的な行為だ。
日本も批准公布していた
ハーグ会議での陸戦法規条約は
「武器を捨て又は自衛の手段尽きて降を乞える敵を殺傷すること」を
禁じている。
武器を捨て、軍服を脱ぎ、ひたすら死を逃れようとしていた者を、
それが兵士であったとしても、すぐに殺していい
ということはない。
それは
不法殺害であり、当然、虐殺という部類に入るものだ。
一個聯隊だけの市内掃蕩で6,000名以上の「敗残兵」に、国際法に背く
虐殺が実行されたことが、公式に記録され、証言で裏づけられている。
大虐殺否定派の中には
苦し紛れに、便衣兵はゲリラ活動する者だから
国際法の捕虜としての資格はない
などと主張している者もいる。
しかし、すくなくとも南京の場合、「便衣兵」がゲリラとして
意図的・組織的に敵対行動をとっていたという事実はない。
いずれも
殺されるのを怖れて
平服に着替え、隠れていた
戦意を失った兵士や、兵士の疑いのある市民が
殺害されたのだ。
しかも
その舞台の一部が、国際安全区だったのだ。
これは メッセージ 25702 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京虐殺は、なぜ起きたのか?(10)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/08/31 12:43 投稿番号: [25702 / 41162]
“宮様”も参加する入城式を成功させるために、
すでに戦闘能力を失った敵に対し、徹底した掃蕩作戦が展開された。
12月13日午前8時30分に第十軍が発した南京城内攻撃作戦命令では、
「各兵団は城内に対し砲撃はもとよりあらゆる手段を尽くし敵を殲滅すべし」
「要すれば城内を焼却し特に敗残兵の欺瞞行為に乗ぜられざるを要す」
と示していた。
仮に、市中に中国の敗残兵が潜んでいたとしても、
非戦闘員である市民の居住区、さらに外国人も残留している城内に対して、
砲撃や焼き払いなどを行なう
というのは、まさに無差別攻撃だ。
さらに、驚くべき命令が出る。
第十六師団の歩兵第三十旅団が12月14日午前4時50分に下達した
城内掃蕩の命令では、「各隊ハ師団ノ指示アル迄捕虜ヲ受付クルヲ許サズ」
すでに城内の各所で掃討作戦が行なわれている時点で、
「敵を捕虜にするな」とは、いったい
何を意味するのか。
13日から14日にかけての城内掃蕩によって、
どれだけの中国兵もしくは敗残兵と見なされた中国人が殺されたのか
今となっては
明確ではないが、中山路以南の掃蕩を担当した
第九師団だけに限っても、「7千余ノ敗残兵ヲ殲滅セリ」
(「南京戦史資料集」第九師団作戦経過概要)と記録していることから、
他の師団を合わせれば、何万人もの無抵抗の中国人が、
短期間に殺されたことが判る。
日本軍の市内掃蕩で
多くの中国人が殺されたが、
その一部は
国際委員会が管理する難民区に逃げ込んだ。
これについて
国際委員会のラーベ委員長(ドイツ人)は、
彼らを武装解除して収容しているから
その生命を助けてくれ、
という要請書を日本軍に提出した。
(笠原十九司「南京難民区の百日」、岩波書店)
これを受けて中支那方面軍は、難民区には入らないように指示した。
しかし、この指示は
まったく守られなかった。
入城直後から日本兵が難民区に侵入し、掠奪や強姦を繰り返した。
このことについては、おびただしい数の外国人の証言があるし、
さらに
第九師団歩兵第七聯隊の戦闘詳報や従軍者の日記にも
日本軍が難民地区にまで侵入し、徹底的に敗残兵の捕捉殲滅作戦が
行なわれていたことが
記録されている。
これは メッセージ 25701 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京虐殺は、なぜ起きたのか?(9)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/08/31 12:28 投稿番号: [25701 / 41162]
歩兵第六十六聯隊第一大隊の戦闘詳報の13日の記事には、
さらに
次の記述がある。
右命令ニ基キ兵器ハ第一第四中隊ニ命ジ整理集積セシメ監視兵ヲ附ス
午後三時三十分各中隊長ヲ集メ捕虜ノ処分ニ附意見ヲナシタル結果、
各中隊ニ等分ニ分配シ監禁室ヨリ五十名宛連レ出シ、
第一中隊ハ路営地南方谷地
第三中隊ハ路営地西南方凹地
第四中隊ハ露営地東南谷地ニ於テ
刺殺セシムルコトトセリ
但シ監禁地ノ周囲ハ厳重ニ警戒兵ヲ配置シ連レ出ス際
絶対ニ察知サレザル如ク注意ス
各隊共ニ午後五時準備終リ刺殺ヲ開始シ概ネ午後七時三十分
刺殺ヲ終リ
聯隊ニ報告ス
第一中隊ハ当初ノ予定ヲ変更シテ一気ニ監禁シ焼カントシテ失敗セリ
捕虜ハ観念シ恐レズ軍刀ノ前ニ首ヲ差シ伸ブルモノ、銃剣ノ前ニ
乗リ出シ従容トシ居ルモノアリタルモ、中ニハ泣キ喚キ
救助ヲ嘆願セルモノアリ
特ニ隊長巡視ノ際ハ各所ニ其ノ声起レリ
武装を解除して収容された捕虜を、裁判にもかけずに全員殺害するとは、
あきらかに陸戦条約違反であり
人道に反する残虐行為にほかならない。
一つの部隊だけでも、上記のような数日にもわたる
組織的な大量殺害が
実行されたのだから、日本軍全体での捕虜殺害は、一体
どれ程だったのか
想像を絶する膨大な犠牲者数であったことは
間違い。
南京大虐殺として
事件が国際的に知られるようになったのは、
難民区を含む市内での「敗残兵の掃蕩」「便衣兵の剔出」による
集団処刑が
外国人の眼にふれたことによってだった。
中国軍の南京防衛軍司令官唐生智恵は、12月12日夕刻
「各隊各個に包囲を突破せよ」と命令し、揚子江を渡って脱出した。
このため中国軍は一挙に崩壊し、脱出するもの、投降するもの、武器を捨て
軍服を脱いで便衣(中国人の平服)に着替えて市内に潜伏するものなど、
完全に四散して
軍隊としての戦闘能力は消滅していた。
これに対し
日本軍は、市内の「中国軍」の徹底的な「殲滅」を命令し、
14日以降も市内の掃蕩を行なった。
この掃蕩は、皇族の朝香宮も参加する17日の「入城式」以前に、
市内に潜む「中国兵」狩りを目的としたものだった。
これは メッセージ 25700 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京虐殺は、なぜ起きたのか?(8)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/08/31 12:27 投稿番号: [25700 / 41162]
支隊長の日記には、
捕虜の処置について
軍司令部と打ち合わせしたこと、
その結果、皆殺しにせよとの支持があったことが
記されている。
日記は続く。
18日に「捕虜ノ仕末ニテ隊ハ精一杯ナリ、江岸ニ之ヲ視察ス」とあり、
19日には「捕虜仕末ノ為出発延期、午前総出ニテ努力セシム」とある。
(「南京戦史資料集Ⅱ」偕行社、1993年)
日記には、捕虜の「仕末」についての具体的「方法」は記述されていない。
しかし、記述されていないこと自体が
その実態を物語っている。
記述を見れば、軍司令部の指示により
捕虜を殺害したことは明白であり、
それは、他の幹部や兵士の日記と照らし合わせれば
より確実になる。
それらの資料は、いずれも
17〜19日にかけて
部隊総出で大勢の捕虜を揚子江岸で射刺殺したことを記述している。
一つの支隊だけで、少なくとも1万数千人の捕虜を殺害したことが分かる。
第九師団については史料が乏しいが、入城後の敗残兵剔出で、
歩兵第七聯隊戦闘詳報では6,670、同聯隊長の日記では
6,500を
「処断」したと記されている。
南京に至るあいだの戦闘や入城時に
同師団のその他の部隊が
まったく捕虜を殺していないということは
あり得ないことであり、
総数は膨大なものになったと考えるべきだろう。
第十軍の第百十四師団では、歩兵第六十六聯隊第一大隊の
戦闘詳報が
残されている。
そこでは、12月10日から13日のあいだに
捕虜1,657人を
捕らえたこと、この捕虜を
旅団命令で
14日に
すべて殺したことを、具体的に記述している。
記述によれば、数日間にわたって収容していた捕虜を、上部の命令で
組織的に虐殺したことが
あきらかにされている。
以下に
13日の記事の一部を抜粋してみよう。
八、午後二時零分聯隊長ヨリ左ノ命令ヲ受ク
イ.旅団命令ニヨリ捕虜ハ全部殺スベシ
其ノ方法ハ十数名ヲ捕縛シ逐次銃殺シテハ如何
ロ.兵器ハ集積ノ上別ニ指示スル迄監視ヲ附シテ置クベシ
ハ.聯隊ハ旅団命令ニ依リ主力ヲ以テ城内ヲ掃蕩中ナリ
貴大隊ノ任務ハ前通リ
これは メッセージ 25699 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/25700.html
南京虐殺は、なぜ起きたのか?(7)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/08/31 12:26 投稿番号: [25699 / 41162]
南京攻略戦に直接参加した部隊の中で、上海派遣軍では
第十六師団の歩兵第三十三聯隊と
歩兵第三十八聯隊、
第九師団の歩兵第七聯隊、
第三師団の歩兵第六十八聯隊の第一、第三大隊、
第十軍では第百十四師団の歩兵第六十六聯隊第一大隊と
歩兵第百五十聯隊、国崎支隊、歩兵第四十一聯隊の第三大隊、
同第十二中隊の
戦闘詳報が、防衛研究所図書館に
所蔵されている。
また、多くの関係将兵の日記も
収められている。
第十六師団長の日記によると、同師団は12月13日の一日だけで
2万4千〜5千人の捕虜を「片づけた」と記録しており、
同師団の旅団長も「我支隊のみで二万以上の敵は解決した」としている。
また、同師団隷下の歩兵第三十三聯隊の戦闘詳報では、
13日に捕虜2,896を「処断」したと記録されている。
上記の師団長日記が、もしも
誇大な数を記したものと仮定しても、
第十六師団全体では、少なくとも2万人を超す捕虜を殺したと考えられる。
上海派遣軍のなかで、もっとも組織的に捕虜の大量殺害を実行したのは
第十三師団歩兵第百三旅団指揮下の歩兵第六十五聯隊基幹Y支隊とされる。
同支隊は、12月14日に幕府山付近で14,777名を捕虜にした。
この人数は、当時の国内の新聞にも報道されており、
同支隊の幹部や兵士の日記にも記録されているものだ。
上海派遣軍の参謀長の12月15日の日記にも
「支隊ノ俘虜東部上元門附近ニ一万五、六千アリ、尚増加ノ見込」
とあることから、14日以降も捕虜は増え続けていたことがわかる。
支隊は、この大量の捕虜を
いったんは収容したが、
隊の兵力の数倍にのぼる数で、その給養にも困惑した。
支隊長の日記によると、14日には
「恰モ発見セシ上元門外ノ学校ニ収容セシ所、一四七七七名ヲ得タリ」
「斯ク多クテハ殺スモ生カスモ困ツタモノナリ」、
15日には「捕虜ノ仕末其他ニテ騎兵少尉ヲ南京ニ派遣シ連絡ス」
「皆殺セトノコトナリ」と
記されている。
確認しておくべきことは、これが
日本軍全体でなく、
一個支隊だけが行なった事実の記録だ
ということだろう。
限られた範囲での記録であっても
これだけの事実が記録されている
のであるから、記録のないものも含めて
全師団、全部隊を併せて
どれほどの犠牲がうみだされたのかは
想像を絶する。
これは メッセージ 25698 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/25699.html
南京虐殺は、なぜ起きたのか?(6)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/08/31 12:23 投稿番号: [25698 / 41162]
軍や師団の幕僚が捕虜の殺害を指示していた
という証言には、次のような例もある。
上海派遣軍の右翼を進んだ独立攻城重砲兵第二大隊第一中隊の中尉は、
12月14日仙鶴門鎮付近で大部隊を捕虜にした際の状況を証言している。
捕虜の数は約一万でしたが、早速軍司令部に報告したところ、
「直ちに銃殺せよ」と言ってきたので拒否しましたら
「では中山門まで連れて来い」と命令されました。
「それも不可能」と断わったら、やっと「歩兵四コ中隊を増援するから
連れて来い」ということになり、私も中山門近くまで同行しました。
(中略)
「直ちに銃殺せよ」とは、一体誰が決定し、誰が命令を下したのか。
当時、私の胸が痛かった印象は、従軍中はもとより今日に至るまで、
私の脳裡から離れません。
(畝本正巳「証言による『南京戦史』(5)」)
師団副官が捕虜を殺せと指示したという歩兵第三十八聯隊副官の
次の証言もある。
聯隊の第一線が、南京城一、二キロ近くまで近接して、
彼我入り乱れて混戦していた頃、師団副官の声で、
師団命令として「支那兵の降伏を受け入れるな。処置せよ」と
電話で伝えられた。(中略)
部隊としては実に驚き、困却しましたが命令やむを得ず、
各大隊に下達しましたが、各大隊からは、その後何ひとつ
報告はありませんでした。
師団が捕虜の処置を決めて指示した史料も残されている。
第十三師団は、10月9日付師団司令部名で「戦闘に関する教示」を出し、
中国人捕虜の扱いについての方針を
次のように示していた。
(前略)捕虜中将校ハ之ヲ射殺スルコトナク武装解除ノ上、
師団司令部ニ護送スルヲ要ス
此等ハ軍ニ於テ情報収集ノミナラズ
宣伝ニ利用スルモノニ付、此ノ点部下各隊ニ徹底セシムルヲ要ス
但シ少数人員ノ捕虜ハ所要ノ尋問ヲ為シタル上適宜処置スルモノトス
(防衛研究所図書館所蔵「第十三師団戦闘詳報別紙及附図」第一号)
武装を解除した後の捕虜を、裁判もなしに
その場で処刑することは
明白な国際法違反であることは言うまでもない。
もちろん、捕虜になる意思を示して自ら降伏してくる敵も同様だ。
しかし、「事変」と称した殺戮の場では、戦時法の適用は無視され
道義的規範は完全に抹殺されたのだ。
これは メッセージ 25697 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/25698.html
南京虐殺は、なぜ起きたのか?(5)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/08/31 12:23 投稿番号: [25697 / 41162]
当時の方面軍司令は、捕虜の処置についての関心は
なかったと思われる。
その証言の中では、南京での捕虜殺害について
次のように述べている。
さういふやうな勢で捕虜も相当出来たけれども、捕虜に食はせる物も
ない。
さういふ状態で戦闘しつつ捕虜が出来るから始末することが
出来ない。
それで
ちよん斬つてしまうといふことになった。
それで大したことではないのだが、南京の東南方の鎮江との間の所で
一万余の捕虜があつたのだけれども、そんなのは無論追撃中だから
戦闘中と見てもよろしい、又捕虜となつても
逃亡する者もあるし、
始末が付かぬものだから
シヤーシヤーと射つてしまつたのだ。
その死骸が川に流れた。それから問題になつたのだ。
(吉田裕『南京事件と国際法』より)
捕虜の大量処刑を「戦闘行為の一部」だとして済まそうとしたという。
この方面軍司令の捕虜処分の認識については、偕行社の『南京戦資料集』の
解題でも
「○○大将の捉えていた『南京事件』は、外国権益の侵害と
一般市民に対する掠奪、暴行、強姦の軍紀風紀問題で、捕虜処分の問題は
視野の外であったようだ」
としている。
どうやら、日本軍の司令官は
中国軍捕虜を処分することを、
国際法上の犯罪とは
考えていなかったことがうかがえる。
このほかにも、軍や師団が
捕虜の「処分」を命令または指示し、
組織的な殺害がおこなわれていたという史料は、数多く存在している。
派遣軍司令部の情報主任参謀で方面軍参謀を兼ねていた中佐が、
捕虜をどうするかという師団からの問い合わせにたいして、
くりかえし「ヤツチマエ」と命令していたという証言がある。
これは、当時少佐で方面軍司令の専属副官であった人物が寄せたものだ。
おそらく、南京虐殺まぼろし説を振りかざす
ウヨク勢力などは、
こうした数々の証言を、捏造だ、ウソだ、と否定しようとするだろう。
しかし、前述した陸軍次官通牒や戦闘詳報など日本軍が残した文書には
これらの証言を裏付けるように、日本軍の中国軍兵士への認識や
対処方針などが示されており、資料的価値は
十分にあるものなのだ。
これは メッセージ 25696 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京虐殺は、なぜ起きたのか?(4)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/08/31 12:08 投稿番号: [25696 / 41162]
前述したように、すくなくとも日本軍には
中国兵捕虜に対しては
他国の兵士のような処置は不要である、という差別意識が根付いていた。
さらに、念頭に置くべきことは、日中戦争が全面化し始めたとき
陸軍は、
これを「戦争」ではなく「事変」であるから、戦時国際法は適用しない
と決定したことだ。
支那駐屯軍が華北で総攻撃を開始した直後の1937年8月に発令された
日本軍の指令書
「陸支密第198号支那駐屯軍参謀長宛陸軍次官通牒」
『交戦法規ノ適用ニ関スル件』には、次のように示されている。
一、現下ノ情勢ニ於テ帝国ハ対支全面戦争ヲ為シアラザルヲ以テ
「陸戦ノ法規ニ関スル条約其ノ他交戦法規ニ関スル諸条約」ノ
具体的事項ヲ悉ク適用シテ行動スルコトハ適当ナラズ
さらに、「日支全面戦ヲ相手側ニ先ンジテ決心セリト見ラルル如キ言動、
例ヘバ戦利品、俘虜等ヘノ名称ノ使用」は
努めて避けよと指示している。
つまり、国際法規は適用しない、俘虜という言葉は使うな、と命じたのだ。
中国兵は
国際法上の捕虜として処遇しなくともよい
と言うことになる。
こうした軍中央部の方針は、ただちに
現地軍に伝えられた。
現地の兵は、これを
捕虜はつくるな、捕虜にせず殺せ、と受け止めた。
とくに
上海戦での苦戦から敵愾心にあふれた第一戦部隊に、
捕虜の中国兵を躊躇なく殺す例が数多く見られたのは
こうした理由だ。
「他列国人ニ対スル如ク必ズシモ之レヲ後送監禁」する必要などはない、
「之レヲ殺害」しても「問題トナルコト無シ」と侮蔑していた中国兵だから
わざわざ収監したり
護送するなどの、面倒な処置は
必要ない。
そのうえ、「国際法規を気にする必要はない」と
指示されたのだ。
陸戦条約に基く人道的扱いなど、日本軍の念頭から消えたのは当然だった。
日本軍の包囲網が完成したことにより、南京城内及び周辺地域には
少なくとも
10万人程度の中国兵が
逃げ遅れて投降したと推定される。
これに対し
日本軍側には、捕虜収容の用意は
まったくなかった。
これを裏付けるものとして、
大量の捕虜の処置に窮し、上級司令部が殺害を命じたという証言がある。
これは メッセージ 25695 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京虐殺は、なぜ起きたのか?(3)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/08/31 12:07 投稿番号: [25695 / 41162]
当時の資料を見るかぎり、日本軍の軍紀の緩み、
軍としての素質の低下が
厳然としてあったことが読み取れる。
おそらく、兵士の大部分には
国際法の知識が
欠如していたと思われる。
南京周辺における
戦闘にさいしての日本軍による虐殺の中で
とくに問題になるのは、婦女暴行や民間人虐殺ばかりでなく、
大量の
捕虜の組織的殺害が行なわれたことにある。
いうまでもなく
捕虜の殺害は、当時も
明白な国際法違反だった。
1899年に
ハーグ平和会議で制定され、
1907年の第2回平和会議で改訂された「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」
には、日本政府も加入して
1912年に批准している。
この条約は
捕虜に対する人道的処遇について定めたものであり、
人権尊重の観念が生まれた近代社会になって、
戦争の遂行について
はじめて
国際的な規範を示したものだった。
日本は、自らを近代国家として世界に認知させようとしている間は、
戦時国際法を遵守する努力をしていた。
たとえば、日露戦争におけるロシア人捕虜や
第一次大戦のドイツ人捕虜を
収容所で好遇するなど、当時の日本は、国際法の
“模範生”だった。
しかし、欧米人に対する場合と
アジア人に対する場合には、
あきらかに
異なった基準があった。
それは
「靖国精神」が
広く行き渡った
昭和に入ると露骨になる。
満州事変を経たのちの
1933年1月、陸軍歩兵学校は
「対支那軍戦闘法ノ研究」というパンフレットを
参考書として配布した。
同校教官であった大佐の研究を、校長の序を付して刊行したもので、
その中に「捕虜ノ処置」という項目があり、以下のように書かれている。
捕虜ハ他列国人ニ対スル如ク必ズシモ之レヲ後送監禁シテ
戦局ヲ待ツヲ要セズ、特別ノ場合ノ外現地又ハ他ノ地方ニ移シ
釈放シテ可ナリ。
支那人ハ戸籍法完全ナラザルノミナラズ特ニ兵員ハ浮浪者多ク
其存在ヲ確認セラレアルモノ少キヲ以テ仮ニ之レヲ殺害
又ハ他ノ地方ニ放ツモ世間的ニ問題トナルコト無シ
中国兵捕虜は、他国人のように国際法に基く処置をしなくてもよい、
殺しても問題にはならない、と述べる
この文書には、
あきらかに
中国の人々への
蔑視があらわれている。
当時、日本人には
他のアジア諸国民を見下す傲慢な思想が
植付けられていたが、それに加えて、日本軍の、少なくとも陸軍将校は、
このような参考書によって、対中国への戦術を学んでいたことになる。
これは メッセージ 25694 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京虐殺は、なぜ起きたのか?(2)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/08/31 12:06 投稿番号: [25694 / 41162]
この中佐が、勝手に処刑命令を出したという点について、別の証言もある。
彼は
南京戦直後に、朝鮮の歩兵第七十四聯隊長に
転任するのだが、
同年4月に同じ師団の砲兵聯隊長であった人物が、本人から聞いたとして、
戦後に刊行された
「裁かれる歴史」に
記している。
約30万人の中国兵捕虜を
「みな殺し」にすべしとの命令を、
「何人にも無断で、軍司令官の名で配下の各部隊に無電で伝達した」
と豪語していた
というのだ。
(新風社1948年刊行「裁かれる歴史〈敗戦秘話〉」)
筆者は、これは
中佐の大言壮語と思っていたが、後で
残虐行為の全貌を
知り、そんな大量虐殺は
軍の統制ある集団行為でなければできないから、
中佐の言葉は真実であった
と思い当たった、と書いている。
同じ本の中で、中佐を評して
「その最大の欠点は正邪を問わず
いやしくも自己が是と信じたことは、
如何なる悪辣なる手段を以てするも
貫き通そうとする反省なき実行家
であった」
と記している。
以上のような日本軍の特質が、南京事件の背景にあったことはあきらかだ。
さらに1937年という時期と、対ソ戦を準備しながら
予期しない
対中国全面戦争を戦うことになったことから生じた条件が、
大虐殺を引き起こす原因になったのだ。
上海で苦戦し、南京で大虐殺事件を引き起こした日本軍は、
山東出兵や満州事変のときのような
現役兵を中心として
訓練も行き届いて
厳正な軍紀をたもった軍隊とは、
すっかり
異質なものにかわっていた。
日中戦争が思いもよらぬ大規模な全面戦争に拡大したこと、
しかも
一方で、対ソ戦に備えなければならないという状況のもとで、
陸軍は
それまで経験したことのない規模の
戦時動員を行なった。
ところが
日本軍の戦時動員計画は、第一次大戦を画期としてはじまった
総力戦段階に適合するものには
なっていなかった。
双方とも
千万人単位の大軍を動員した大戦は、それまでの
常備軍中心の
戦争とは、まったく違う性質の
戦争となっていた。
戦後の先進各国とも、その経験にもとづいて、
戦時には膨大な大衆軍を編成できるような準備をすすめていた。
常備軍の性格は、戦時に編成する大衆軍の基幹部分を整備しておくものに
変わっていた。
しかし
日本の軍部は、一般国民を
有能な軍人として信頼しなかった。
第一次大戦後の戦時動員計画も、依然として日清・日露戦争時代と同じに、
常備兵力を主体とする考え方に立っていた。
大量動員の場合も、既教育兵を中心とするように計画してあったから、
動員部隊は年齢の高い予備兵が主力を占めるものとならざるを得なかった。
また
陸軍は、日中戦争が拡大しても、対ソ戦第一主義を変えず、
ソ連に備えて、満州と朝鮮北部の常設師団は
そのままにしておいた。
そのため
中国戦線へは、近衛師団と北海道の第七師団を除く
すべての内地の常設師団を動員のうえで
派遣することになった。
ところが、華北の戦線拡大、上海での苦戦など
予想外の事態が進展し、
次々と特設師団まで動員して、第一線に投入せざるを得なくなったのだ。
開戦後1年を経た38年に、陸軍省は動員部隊の役種区分調査を行なった。
その調査報告のうち、中国戦場にある常設5個師団、特設5個師団の分が、
陸軍省陸支密大日記(防衛研究所図書館所蔵)に残されている。
これによると、損耗の程度、補充の回数や
その他の理由によって
各師団が
かならずしも
同一ではない。
だが、大雑把にいえば、常設師団では
現役兵3割、予備兵4割、
後備兵と補充兵あわせて3割、つまり予備兵が最も多かったことが判る。
これに対し、特設師団の場合は
圧倒的に後備兵が多く、
これに
予備兵と補充兵が加わる。
これは メッセージ 25693 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京虐殺は、なぜ起きたのか?(1)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/08/31 12:05 投稿番号: [25693 / 41162]
どうして日本軍は、南京で
大規模な残虐行為を
犯したのだろうか。
日本人が
もともと残酷で、人殺しを好む本性だなどとは
考えられない。
それが
突然、このような事件の主役となったのには、
それだけの背景と
原因があったはずだ。
もともと軍隊とは
暴力組織であり、よほどの統制が保たれ、
明白な自律意識がなければ、戦争という極限状態にあっては
残虐行為に走るのは仕方がないのだ、という見方もある。
確かに、満州事変での平頂山事件や
ベトナムでのソンミ事件のように、
戦争に伴って、いくつもの類似例は
存在している。
だが、それらに比べても、南京での大虐殺、大量強姦は、
あまりにも大規模で
しかも
組織的な行為だった。
それが、なぜ
実行されたかを知るためには、
“天皇の軍”=皇軍の
性格と特質について
考察する必要がある。
旧日本軍の残した
当時の資料を検証・分析してみて
気づくことは、
参謀が軍司令官の意図を無視して、無謀な作戦計画を立てたため
補給の困難から、侵攻した現地で
掠奪暴行を引き起こしたり、
勝手に捕虜の処刑を命令したため戦後に司令官を戦犯死させることになった
という事例が
少なくないことだ。
その代表的なものとして、1931年の
十月事件の首謀者であり、
沖縄戦では
中将で参謀長だった将校の場合を
みてみよう。
この人物は、南京戦のときは中佐で、
上海派遣軍の参謀兼中支那方面軍参謀情報課長だった。
軍司令官の専属副官だった大佐が
投書で、当時の方面軍司令部内部の
雰囲気を示すものとして、次のような出来事を
記録している。
12月18日朝、第六師団から
軍の情報課に電話があった。
「下関に支那人約十二、三万人居るが、どうしますか」
情報課長、●●中佐は極めて簡単に「ヤッチマエ」と命令したが、
私は事の重大性を思い、情報課長の電話は軍司令官の意図に反すると
確信した。
この事を軍司令官に報告した。
軍司令官は
直ちに●●中佐を呼んで
「下関の支那人十二、三万人の解放」を命ぜられたが、
●●中佐は
「支那人の中には軍人が混っております」という。
軍司令官は「軍人が混っていても、却って紀律を正しくするために
必要だ」と
強く「解放」を命ぜられたので、●●中佐は
「解りました」と返事をした。
(中略)
ところが
約一時間ぐらい経って再び第六師団から電話があった。
「下関の支那人をどうするか」である。
●●中佐は
再び「ヤッチマエ」と命じた。
私は
このことを軍司令官に報告することができなかった(以下略)
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/25693.html
佐藤カメラマン
投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2008/08/31 02:52 投稿番号: [25692 / 41162]
「諸君!」「事変下の大陸〜従軍カメラマンが見た中国」
05年5月号より
私はそれまですでに二カ月あまり戦線を歩いていましたが、刀を振り回して敵を斬る「チャンバラ」のような接戦などないとわかっていました。三百メートル先の敵を機関銃でねらい撃ちする戦争をしていたわけですから、伝家の宝刀で殺すというのはおかしい。そんな余裕ないですよ。それに二人は大隊副官と歩兵砲小隊長で、それぞれ本来の重要な任務がある。法廷でも証言しましたが、私はそれを聞いて「胡散臭いな」とまず思いました。
(中略)
戦後、浅海記者(引用者注:記事を書いた記者)から「市ヶ谷の軍事法廷から呼び出しがなかったか。俺は百人斬りの件で、本当にあのようなことがあったのか聞かれた」と話しかけられましたが、私には呼び出しはありませんでした。彼がそのときに「あれは法螺話だった」と言えばよかったのですが、新聞記者は書いたことに責任を持たなくてはいけないという信念から言い出せなかったのでしょう。
(中略)
「百人斬り」が戦後、南京大虐殺の象徴のようになっているのを知ったのは、朝日新聞の本多勝一記者が書いた連載「中国の旅」を読んだときです。私は販売店に「お前のとこの新聞は嘘が書いてあるからもう止める」と言って朝日新聞の購読を連載中に止めてしまいました。それほど腹が立ちました。
それでも、これまでの南京関連の記事はどこまで嘘を書くか、確かめてやろうと思って目を通しています。本多記者の記事を読むと、日本兵に暴行を受けたほっぺたの傷だといって被害者の顔写真を丹念に撮ってくる。それを毎回毎回やっている。書き方は立派ですよ(笑)。当時、現地にいた私に言わせれば、そんな怪我をするようなところに中国人がいるほうがおかしい。戦場っていうのは、そんなもんじゃない。離れていれば危なくないですよ。この問題について記事を書くのに、当事者二人に直接会った私に取材もしない本多記者はジャーナリスト失格です。
今でも、日本のあちこちで「百人斬りはあった」と主張する会合が開かれているようですね。中国でも、私の撮った二人の写真は、南京虐殺記念館に大きく引き伸ばして飾ってあると、現地を訪れた人に教えられました。それを聞いて、私は中共と喧嘩しに行きたいと思った。あなたたちの中に「百人斬り」があったと証明できる人がいるなら出てこいという気持ちです。
私がこの問題に関わるきっかけとなった二人の写真自体は、バックライトが当たっていて我ながらいい写真だと思います。しかし、野田、向井両少尉は、この写真で身元を確認され、軍事法廷を経て銃殺されたのです。写真自体は事実をそのまま写しても、キャプションによって本当にも嘘にもなります。
私は「百人斬り」の記事を目にすると体が震えます。カメラマンとしては従軍でもなんでも、撮った写真には責任があるのです。この「百人斬り」の問題では自分の撮った写真で人が殺された。すごく嫌な気分ですよ。
当事者の貴重な言である。
「百人斬り」に関して自身の愚かさを晒す屑はもって瞑すべきだろう。
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/25692.html
Re: 南京での事件、犠牲者は2400人
投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2008/08/31 00:58 投稿番号: [25691 / 41162]
同じ駄文を各所に貼りまくって全くの馬鹿だな(嘲笑)
お前も2400人と共産支那に言った時点で「否定派」にされるのだよ。
笠原説でも共産支那では「否定派」と見なされているのだからな。
「否定派」と一くくりの低能印象操作をしてもお前の不明を晒しているだけだ。
これは メッセージ 25687 (hate_ikumi さん)への返信です.
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Re: 南京での事件、犠牲者は2400人
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/08/31 00:42 投稿番号: [25690 / 41162]
>スマイス報告書のような一級資料によって国際法違反の戦争犯罪“虐殺”被害者が証明されている人数は2400人と断言出来る。
↑スマイスの報告は間違い、暗奔丹。
これは メッセージ 25687 (hate_ikumi さん)への返信です.
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ほれがどうしたfukagawatohei (笑
投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2008/08/30 22:51 投稿番号: [25689 / 41162]
オマイが貿易実務歴が35年もあって、
日本語より英語の方が達者だなどと書いたのは、
うそ、だろう?
うそ、だよな!
浅はかな口答えをして、自分でバラしてしまったな
(笑
どうして、ツクリバナシばかりするんだい
(怒
どうして、ツクリバナシで被爆者を傷つけるんだい
(怒
絶対に許さんと言ってあるだろう!
絶対に逃がさんからな!
これは メッセージ 25683 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 南京での事件、犠牲者は2400人
投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2008/08/30 22:26 投稿番号: [25688 / 41162]
チミ、キチ外でっか〜。
喚けば良いってもんじゃねえぜ〜。
ホンに有ったんであれば、意図も簡単に証明できるであろうに。
無い方は無いのだから、証明できる訳もない〜!
ね、有ったって戦後63年にして証明も出来てないんだが〜。
敗戦国の日本国は犠牲を強いて、敗戦を受け入れたんだが〜。
それで、全て終わったんじゃないの〜!このボケ!
これは メッセージ 25687 (hate_ikumi さん)への返信です.
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自称日本の掃除屋さんtodorigafuti
投稿者: peacekeeperarmy 投稿日時: 2008/08/30 16:58 投稿番号: [25686 / 41162]
これは メッセージ 25652 (todorigafuti さん)への返信です.
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虐殺文化中国
投稿者: peacekeeperarmy 投稿日時: 2008/08/30 16:34 投稿番号: [25685 / 41162]
虐殺とは中国伝統文化の一つで、今まで行った中国の内戦では欠かすことのできない中国軍の習慣である。
中国政府が創作した日本軍の「大虐殺」「三光作戦」「万人坑」などは、すべて日本ではなく中国文化が反映されたものである。
虐殺した中国人の死体を大量に投げ捨てたとされる「万人坑」などは、古代より中国の武将らが自らの戦功を記念して作った「京観」から来るものだ。
日中戦争当時中国軍には従軍カメラマンが少なく、その「戦記」が語るものほとんどが伝聞だ。
日本軍の「暴行」とされるものは、中国の文人が中国史の知識をもって類推して創出したものがほとんどなのだ。
そのことは中国人経験を嫌というほど味わされてきた台湾人がもっともよく知っている。
残念なのは日本軍暴行譚について、中国虐殺文化史との比較研究に取り組む学者が、中国にはいないことだ。
青春出版社
著作:黄 文雄
虐殺写真、
中国共産党による公開処刑
http://amatsukaze.iza.ne.jp/blog/entry/553401/中国人全部が悪でなない、
中国共産党に忠誠を誓う裕福な人が悪である。
非人道的な中国共産党の悪行と中国貧民層の不満を世界は気づいている。
オリンピックが終り不平不満に満ちた民族が武器を手にしたら大変だ。
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Re: 逃げるなよ、koudousuru (怒
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/08/30 13:05 投稿番号: [25684 / 41162]
本部長
檜山 和司
現職
ホスピタリティ研究所
メイユール・セルヴィス
代表
主な職暦
・ フレンチレストラン「シャルメ」
キュイジニエ
・ 神戸ポートピアホテル「アラン・シャぺル」
アシスタント・マネージャー
同テラスレストラン「レヴァンテ」マネージャー
・ 「ホテル・ルテシア(パリ)」メートル・ド・テルとしてスタジエ
・ 神戸ベイシェラトンホテルホテル&タワーズ
「ラ・コート・ドール」アシスタントマネージャー
同「トップ・オブ・シェラトン」マネージャー
・神戸ベイシェラトンホテル&タワーズ
エグゼクティヴ・オペレーションマネージャー
資格・受賞暦等
・ 1996年
日本メートル・ドテル協会主催
第一回メートル・ド・テルコンクール優勝
・ HRSテーブルマナー講師資格
語学
・フランス語、英語、スペイン語(勉強中)
http://maitres.hp.infoseek.co.jp/Profile.html↑この様に「暦」は「歴」同様に使用するのが日本語なんだな。
又、漢和辞典には「暦」は「歴」に通ずと書いてあるな、暗奔丹。
暗奔丹はもう少し深く日本語を勉強しないと、英語同様恥曝しになるぞ、暗奔丹。
これは メッセージ 25683 (fukagawatohei さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/25684.html
Re: 逃げるなよ、koudousuru (怒
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2008/08/30 10:37 投稿番号: [25683 / 41162]
>オマイが貿易実務暦が35年もあって、>
実務暦じゃなくて実務歴だろ〜が。
駄目ダナ〜、オマイ。何回注意しても。
これは メッセージ 25682 (koudousuru009 さん)への返信です.
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逃げるなよ、fukagawatohei (怒
投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2008/08/30 10:25 投稿番号: [25682 / 41162]
オマイが貿易実務暦が35年もあって、
日本語より英語の方が達者だなどと書いたのは、
うそ、だろう?
うそ、だよな!
浅はかな口答えをして、自分でバラしてしまったな
(笑
どうして、ツクリバナシばかりするんだい
(怒
どうして、ツクリバナシで被爆者を傷つけるんだい
(怒
絶対に許さんと言ってあるだろう!
絶対に逃がさんからな!
これは メッセージ 25681 (fukagawatohei さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/25682.html
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