南京虐殺は、なぜ起きたのか?(6)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/08/31 12:23 投稿番号: [25698 / 41162]
軍や師団の幕僚が捕虜の殺害を指示していた
という証言には、次のような例もある。
上海派遣軍の右翼を進んだ独立攻城重砲兵第二大隊第一中隊の中尉は、
12月14日仙鶴門鎮付近で大部隊を捕虜にした際の状況を証言している。
捕虜の数は約一万でしたが、早速軍司令部に報告したところ、
「直ちに銃殺せよ」と言ってきたので拒否しましたら
「では中山門まで連れて来い」と命令されました。
「それも不可能」と断わったら、やっと「歩兵四コ中隊を増援するから
連れて来い」ということになり、私も中山門近くまで同行しました。
(中略)
「直ちに銃殺せよ」とは、一体誰が決定し、誰が命令を下したのか。
当時、私の胸が痛かった印象は、従軍中はもとより今日に至るまで、
私の脳裡から離れません。
(畝本正巳「証言による『南京戦史』(5)」)
師団副官が捕虜を殺せと指示したという歩兵第三十八聯隊副官の
次の証言もある。
聯隊の第一線が、南京城一、二キロ近くまで近接して、
彼我入り乱れて混戦していた頃、師団副官の声で、
師団命令として「支那兵の降伏を受け入れるな。処置せよ」と
電話で伝えられた。(中略)
部隊としては実に驚き、困却しましたが命令やむを得ず、
各大隊に下達しましたが、各大隊からは、その後何ひとつ
報告はありませんでした。
師団が捕虜の処置を決めて指示した史料も残されている。
第十三師団は、10月9日付師団司令部名で「戦闘に関する教示」を出し、
中国人捕虜の扱いについての方針を
次のように示していた。
(前略)捕虜中将校ハ之ヲ射殺スルコトナク武装解除ノ上、
師団司令部ニ護送スルヲ要ス
此等ハ軍ニ於テ情報収集ノミナラズ
宣伝ニ利用スルモノニ付、此ノ点部下各隊ニ徹底セシムルヲ要ス
但シ少数人員ノ捕虜ハ所要ノ尋問ヲ為シタル上適宜処置スルモノトス
(防衛研究所図書館所蔵「第十三師団戦闘詳報別紙及附図」第一号)
武装を解除した後の捕虜を、裁判もなしに
その場で処刑することは
明白な国際法違反であることは言うまでもない。
もちろん、捕虜になる意思を示して自ら降伏してくる敵も同様だ。
しかし、「事変」と称した殺戮の場では、戦時法の適用は無視され
道義的規範は完全に抹殺されたのだ。
これは メッセージ 25697 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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