南京虐殺は、なぜ起きたのか?(13)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/08/31 12:46 投稿番号: [25705 / 41162]
11月11日付の
第三師団歩兵第六聯隊第二大隊の攻撃計画は、
大隊長から将兵に対して
次のように命じるものとなっていた。
「一般ノ領民ハ総テ城内ニ避難シアルヲ以テ城外ニ在ル一切ノ者ハ
敵意ヲ有スルモノト認メ之ヲ殲滅ス」とし、さらに
次の項では
「掃蕩ニ方リテハ家屋ヲ焼却スルヲ便トスルヲ以テ之ガ材料ヲ
準備スルコト」
と示していた。
つまり、城外にいる一切の人間を殺し、家屋を焼き払うことを命じたのだ。
それでなくとも
日本兵は、中国軍の予想以上に頑強な抵抗により
苦戦を強いられ、味方に多くの犠牲者がでたことで
中国人への憎悪と
敵愾心にあふれていた。
さらに
後方補給のないまま
強引な物資の「現地徴発」を重ねて
追撃していったのだ。
そのうえに、「支那住民ハ老人、女、子供ト雖モ敵ノ間諜ヲ勤メ」ている
と刷り込まれ、区別なく敵と見なし、村落も焼き払え
と命じられれば、
極限状態にあった兵隊たちが
どのような行動をとったかは、
想像するに
難くない。
その第一線部隊の後方にも、大量の軍隊が
進軍していった。
道路や橋が破壊されていたため、馬や車両をもつ部隊の前進はとどこおり、
行李や輜重、砲兵や通信隊などの特科部隊は、後方から第一線を追いかける
ことになったのだ。
上海戦での損害も大きかったので、各隊には
次々と補充員が送られた。
この補充員たちが、各隊ごとに
先任者の引率で第一線を追いかけるので、
これも後方の混乱の原因になった。
こうして
上海から南京への江南の平地は、第一線の通過したあとも、
雑多な部隊が
長期間、広範囲にわたり、まるでイナゴの大群のように
「現地徴発」を繰り返しながら
進んでいった。
第一線部隊が通りすぎ、避難していた住民が集落に戻ったあとに、
三三五五と
またやって来た日本兵に、殺されたり強姦されたりした例が
多いという中国側被害者の証言があるのは、このためであった。
一般市民の被害の状況を
全体としてあきらかにすることは非常に困難だ。
兵士の日記や証言などに、個々の掠奪や殺害の記録があるが、
加害者である日本軍側が
まとまった記録を残しているわけがない。
したがって
一般市民への残虐行為、特に
どれだけの人が殺されたかは、
概数を第三者の記録にたよるほかはない。
これは メッセージ 25704 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/25705.html