南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘
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Re: 全然、再反論してないくせに
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2007/05/27 20:59 投稿番号: [18583 / 41162]
>瑕の入ったレコードみたいですなぁ…。だから、厚生省に提出されたときにはすでに拘束を解かれたあとだったし、「極秘」扱いだから国民党を意識する必要もないんですよ。国民党の目をはばかって修正したところがあったのならもとに戻せば良かったんです。
説明済み。
岡村寧次にとって蒋介石は自分や部下たちの命の恩人であり、恩を仇で返す支那人みたいな真似ができるわけがないから、帰国後岡村は「白団」を組織して1949年から長年にわたり蒋介石の国民党政権に協力した。
そもそも、岡村は南京戦当時は満州に居て南京のことなど知るわけがないのだ。
>だいたい、国民党に遠慮したというのなら、なぜ「殺戮」の数字が「30万」になってないんですか?
おかしいじゃないですか。南京軍事法廷の判決を否定してますよ?
これをどう説明しますか?
南京軍事法廷の「殺戮」の数字が「30万」って本当なの?
ベイツは東京裁判で30万人大虐殺などとは言わず、騙し易いように市民1万2千人大虐殺を主張した。
だから、岡村が4〜5万と言っても、おかしくはない。
最近は、共産支那でさえ、30万人説を放棄しようとしている。
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12924615.html>ほんとに『南京戦史』読んだことあるわけ?
俺は一部しか読んでない。
オマエは全部読んだのか?!
ん?
これは メッセージ 18568 (cheap_thirll さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/18583.html
Re: ウソと断定するのは、もう少し待ちまし
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2007/05/27 20:45 投稿番号: [18582 / 41162]
>>そうではなく、ちゃんと質問に答えろよ。
>あなたこそちゃんと質問に答えなさいよ。知らないのに×にしたんですか?
オマエが最初に答えなきゃならないんだよ。
その名簿って、いつ、どこで、誰が作ったの?
人数は何人?
>武器を捨てて投稿してきたので投降を受けいれた場合にそれを「捕虜」と表現し、それを縛ることを「捕縛」と表現してもまったくおかしくはない。
そのとおりだ。
日本軍は投降兵のことを非公式な呼び方で「捕虜、俘虜」と呼んでいた。
投降兵であれば状況に応じて殺しても合法なんだよ。
>その根拠は?
だいたい、攻略戦の最終段階でもはや「投降兵」を殺害する「軍事的必要」なんて存在しないと思いますが?
オマエがそう思っても、その時、その場に居た日本軍がそう判断したのだ。
オマエに分かるわけがない。
>そんなバカなことはもちろん認めない。市民殺害は第十軍法務部陣中日誌など日本側資料にも記録されているし、戦争中に捕虜になって敗戦後に引き渡された日本軍将兵についての記録がある(秦郁彦の『日本人捕虜』でもご覧になってはいかが?)。
第十軍法務部陣中日誌などに、日本軍による市民殺害が記録されているなんて知らん。
何と記録されているか示してくれ。
「知らないのに市民虐殺がゼロ(0人)だったなんて言ったんですか?」などと馬鹿なことは言うなよ。
「ある」と言ってる方がある物を示すのが最初だ。
同じく、戦争中に捕虜になって敗戦後に引き渡された日本軍将兵についての記録は、いったい、どのようにあるのかね?
本当に国民党軍の話か?
犠牲者名簿といい、市民虐殺の記録といい、戦争中に捕虜になって敗戦後に引き渡された日本軍将兵の記憶といい、どうして、「ある」とだけ言って、いつも具体的に示さないのだ?
これは メッセージ 18567 (cheap_thirll さん)への返信です.
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Re: 中国人を救った日本軍 <3
投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2007/05/27 19:07 投稿番号: [18581 / 41162]
は〜?
確か、ニュースとして出ていたんだが?何の検証もせず、唯喚いているキチ外としか思えない。
これは メッセージ 18578 (kanbaku9999 さん)への返信です.
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Re: 中国人を救った日本軍 <3
投稿者: totoro_ootoro3 投稿日時: 2007/05/27 18:31 投稿番号: [18580 / 41162]
>みんなウソ。
あなたの書いた事はみんなあとからのコジツケです。
お主、ウソと言うならそれなりの納得する資料や詳しい説明はないのか?
それが出来ないならお主の頭の中は洗脳されてるだけだ。
これは メッセージ 18578 (kanbaku9999 さん)への返信です.
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Re: 中国人を救った日本軍 <3
投稿者: rty3657898 投稿日時: 2007/05/27 18:14 投稿番号: [18579 / 41162]
>みんなウソ。
あなたの書いた事はみんなあとからのコジツケです。
だから中国人に感謝されない。
あくまでも汪兆銘南京国民政府の存在を否定したいみたいだな。
南京戦の後、汪兆銘南京国民政府はあったんだよ。
それも日本の植民地じゃなく日本が大正デモクラシで導入した世界でもとっとも民主的な普通選挙制度でね。
まぁ、南京国民政府の普通選挙制度では独裁共産支那は感謝しねかも知れんがね。
社会秩序が再建された南京
東京大学文学部人文社会系研究科博士論文
汪政権による「淪陥区」社会秩序の再建過程に関する研究
中国人留学生
曽支農
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/cgi-bin/thesis.cgi?mode=2&id=34本論で扱う汪政権とは、日中戦争期に日本側の支持を得て、1940年3月30日に「重慶から還都南京」という形で成立し、日本の敗戦に伴って1945年8月16日に滅亡した、「和平反共救国」を唱える汪兆銘を首班とした「中華民国国民政府」(「汪兆銘南京政府」とも言う。中国側は同政権を「汪偽政権」と称している)である。同政権は、中国全土を治める中央政権として樹立されたが、戦争状態が続く中で、実際に支配した地域は日本軍占領区、言わば「淪陥区」(同時期に国民党重慶政府と共産党が支配した地域は、それぞれ「国統区」・「抗日根拠地」と称す)であった。
この汪政権は、中国近・現代史においても、また日中関係史研究の分野においても、その際立った特色の故に、具体的に、かつ正面から史的考察を加えられるべき価値を有するものと認められるにもかかわらず、抗日戦争を勝ち取った国民党蒋介石陣営と中国共産党に日本の「傀儡政権」と断罪された「盖棺論定」(棺をおおいて事定まる)的な政治的評価の影響と、その政治的評価に都合のいい史料しか公開が許されない事情があったため、従来検討されることが少なく、また典型的に政治的な評価が先行していたと思われる研究分野の一つである。
これは メッセージ 18578 (kanbaku9999 さん)への返信です.
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Re: 中国人を救った日本軍 <3
投稿者: kanbaku9999 投稿日時: 2007/05/27 17:54 投稿番号: [18578 / 41162]
みんなウソ。
あなたの書いた事はみんなあとからのコジツケです。
だから中国人に感謝されない。
感謝しないのはけしからん、などと怒ってもそれは無理。
多い時で200万近い大軍隊を送って中国大陸で破壊、略奪、強姦を繰り広げたのです。
インフラのどうのと言うのは空しいのです。
やったとしたら、それは日本の為だっただけ。
本当に中国の為にやったのなら、頼まなくても感謝されますよ。
これは メッセージ 18577 (sada5ro さん)への返信です.
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Re: 中国人を救った日本軍 <3
投稿者: sada5ro 投稿日時: 2007/05/27 01:23 投稿番号: [18577 / 41162]
◆
近代中国の農民の貧困を救った日本軍(3)
・それ以外にも日本は、発電所や港湾など、さまざまなインフラを建設しながら、中国社会を再建復興させた
中国は有史以来、内戦解決を常に外力に依存してきた
昔は、中国人に代わって中華世界を救出したのが、外力である北方の遊牧民族だった
唐以降の遼、金、元、清といった異民族の征服王朝がそれで、これらは漢人王朝と交替で中華世界を支配した
そして20世紀の中華世界の混乱を収拾したのが、やはり異民族である日本だった
ところが中国人の歴史観は、そのような王朝の皇帝を「児皇帝」とからかうのである。つまり異民族、夷狄の力に依存したとして侮蔑するのである
20世紀の満州国や汪兆銘の南京政権は、日本との提携で脱内戦を図ったことから、やはり日本の傀儡と罵倒されているのも同じことである。
中国は日中戦争の8年間に感謝しなければならないのは明らかだろう。そして、どう歴史を掘り起こしても「三光」のような掠奪はまったく出てこない。それは中国人自身が、同胞に対してやったことである。
黄 文雄
「反日教育を煽る中国の大罪」より要約
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-
◆
日本軍は,侵略を目的としていたか
蒋介石のオーストラリア人顧問、W・H・ドナルドがルソンの日本軍捕虜収容所から解放されたあとのインタビュー(New York Times,1945/1/25)で語ったところによると、日本は1938年から1941年の間に「12の和平提案」を行なっている。
日本側の条件は中国側に「有利」なものだった、という。つまり、日本の要求は、満州国の独立の承認、華北の経済と開発に関する何らかの権利、「外蒙古から及ぶロシアの影響力の伸長を阻止するための内蒙古の政治的調整」だけだった。ドナルドは「日本はこれらの提案の中で、領土的要求はいっさいしていない」と語っている。
・・・真珠湾以前のアメリカの公式資料には、これとほぽ同じ内容の日本の公式声明が記録されている。
・・・ヘレン・ミアーズ「アメリカの鏡・日本」より
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日清戦争以後,日本は条約に基づき支那にいくつも工場を建て,中国人の雇用も促進していたが,中共(コミンテルン)は無知な農民や国民を騙してただただ生産を妨害することばかりしていた
いまだに,満足な生産活動が行なえない中共
毒入りの○○を世界中にばら撒き,環境対策も無い生産活動,共産主義なのに経営者がいて,環境対策費より罰金が安上がりと言う第一級の資本家の考え
炭鉱の災害防止より,賠償費のほうが安いと対策を行なわない責任者
利益第一の立派な資本主義だ
これは メッセージ 18573 (anti_mainas_shikou さん)への返信です.
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Re: 中国人を救った日本軍 <2
投稿者: sada5ro 投稿日時: 2007/05/27 01:23 投稿番号: [18576 / 41162]
◆
近代中国の農民の貧困を救った日本軍(2)
・日本人は、事変勃発前から中国の農民の窮状に関心を持っていた
1937年(昭和12年)1月の衆議院では、社会大衆党書記長麻生久が、「北支経済工作に関しては農民大衆の福祉を招来する如き方策を講ずることが、この目的達成のため緊要である」と強調
近衛文麿首相も「今後は支那民衆の心を把握することでなければ東洋平和の確立、しいては日支両国の提携はできない。支那は農業国であるから支那農民と結び、農業の発展に我国が手伝うことはきわめて必要だ」と答えた
日本では、貴族宰相も無産階級の指導者も、農民対策が中国占領政策の鍵であると認識していた
・また日本は中国農村経済の近代化のため並々ならぬ心血を注いだ
その一つに「合作社運動」がある
合作社は日本の農協と産業組合を併せたような機能を持っていた
村落間の抗争の仲裁から、教育、技術指導、文化活動、公共事業への寄付をも含め、無秩序な農村を経済的に組織化することを図った
当時の中国の農民は合作社の意味を解するほど教育レベルが高くなく、さしたる効果が得られないまま終戦を迎えた
もしこれがその後も継続されたなら、台湾、朝鮮、そして満州同様、農民の文化レベルは向上し、食糧問題の解決にも大きく貢献したはずである
このように、(日本が侵略し奪ったというが)奪われるものはなにもなかった中国の農民を、日本は根底から支え、救出した
◆
日本軍は150年続いた中国の内戦を終結させた
もう一つの大きな貢献は、・・・(省略)
(最後の部分だけ)
支那事変・日中戦争は、国民党の討伐を避けるために、日本軍を戦争に引き込んだ共産党の謀略の成功
しかし,日本軍が引揚げると、たちまち国共内戦は再燃した
◆
物価の安定、インフラ建設で中国社会を再建復興させた日本
・日本が東アジア、つまり東亜の新秩序を再建した
19世紀から20世紀にかけての東アジアは殺し合いの世界
難民の噴出や飢饉と、あらゆる秩序が崩壊し、人びとは不幸のどん底
当時の中国というのは、どこへ行っても匪賊だらけ、強盗だらけの社会
その匪賊だらけの社会とともに内戦が激化していった
これが日中戦争が始まり(日本軍が進出す)ると一転
秩序を乱したのは中国のゲリラ
各地には治安維持政府が作られて治安が回復し、物価も安定してきた
150年間にわたる中国の秩序崩壊、あるいは東アジアの秩序崩壊から新たな秩序を構築して物価の安定を実現した
実際、日本軍あるいは南京政府が支配している地域では物価が安定して財政もうまくいっていた
一方、蒋介石の重慶政府と延安政府は搾取、それこそ搾りとるような強烈な搾取で、不安定だった
インフラ建設を着々と進めたのは南京政府のほうだった
これは物価を見れば非常にわかりやすい
当時のお米1石は、終戦当時「汪精衛政権時代」で110〜130元だった
が、蒋介石政権が入ってくるとわずか8ヵ月足らずで5万元に跳ね上がる
このようなインフレで経済状態が安定するはずもない
一方、日本は8年間戦争をしたとされながらも、実際に戦闘があったのは、1年四ヵ月ていど
その後も、確かにゲリラなどの小競り合いはあったものの、物価は安定を見ている
しかし、日本軍が去って政府が変わると、とたんに再びインフレと秩序の崩壊が始まる
この歴史的事実、真実を見なければならない
日中戦争の8年間、日本は戦争状態にありながらも、河北だけでも1000キロ近い鉄道を作った
中国の建設や開発は鉄道の敷設が絶対条件で、「鉄道は実業の母」との認識は広く持たれていた
が、中華民国建国後の軍閥内戦、国民党内戦で鉄道は各勢力に接収され、軍事上の輸送機関として濫用されただけでなく、軍閥に売上げを押さえられて軍費捻出の財源とされ、建設どころか荒廃の一途をたどっていった
・ロドニー・ギルバートの『中国の誤りとは何か』によると、
「軍閥が介入したことにより、鉄道は財政的にも物質的にも惨めな状態に陥った
車両や機械の損失は計り知れず
歳入は軍閥に略奪され
借款の支払いや鉄道の改良は論外となった
鉄道を維持運営する資金も底をつき、路盤は悪化した
鋼鉄製の特急が通る主要幹線に沿って歩いていると、腐った枕木からレールの犬釘が指で引き抜けるほどになっていた」
(つづく)
これは メッセージ 18573 (anti_mainas_shikou さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/18576.html
Re: 中国人を救った日本軍 <1
投稿者: sada5ro 投稿日時: 2007/05/27 01:23 投稿番号: [18575 / 41162]
> 一九四三年、日本人は河南の被災地区に入り、わが故郷の人々の命を放ったのだ。
> ・・・
> 彼らはわれわれにたくさんの軍糧を放出してくれた。
> われわれは皇軍の軍程を食べて生命を維持し、元気になった。・・・
> われわれは、・・・生き延びるために、乳を与えてくれる者は誰でも母親とみなした。
> 日本の軍糧を食べ、国を売り、売国奴となったのだ。
いろいろな事実が,中国の農民を救おうとしたのは日本だったことを示しています
----------------------------
-
◆
近代中国の農民の貧困を救った日本軍(1)
黄 文雄
「反日教育を煽る中国の大罪」より要約
・日本軍は支那事変勃発翌年の1938年(昭和13年)10月に武漢を攻略、大規模な軍事行動は終結
・それ以降は「日満支共栄圈」を打ち立てるため、占領地の経済建設に乗り出す
・当時、日本政府が発表した「重大声明」
「帝国の冀求する所は東亜永遠の安定を確保すべき新秩序の建設にあり、今次征戦究極の目的亦此に存す。この新秩序の建設は日、満、支三国相携え政治、経済、文化など各般にわたり互助連環の関係を樹立するをもって根幹とし、東亜における国際正義の確立、共同防共の達成、新文化の創造、経済結合の実現を期するにあり」
(共産主義に対する防衛を明確に打ち出している,アメリカのルーズベルトなどがとった馬鹿な政策と違う・・・中共が目の敵にする理由)
・日本による、中国の近代建設が着手された
中国を近代国家に押し上げるというもので、従来中国人自身がなし得なかった、雄大そのものの構想だった―――それは思いつきでも冒険的行為でもなく、また「侵略」の野心の糊塗などでもない
すでに日本人は台湾、朝鮮、満州で近代化に成功し、それと同じことを中国でも行なおうとした
・このように、日本が中国に対して行なったのは、実は侵略ではなく貢献であった
日本軍が来る以前と以後の農民の生活を見れば、すぐわかる。日本軍が近代中国の農民を救った
・日中戦争前の中国農民は、実に悲劇的な状態におかれていた
当時は中国人の90%近くが農民だったにもかかわらず、食糧は外国からの輸入に頼っていた
もちろん、それがすべての農民にいきわたるわけもなく、食糧不足による餓死者は毎年続出、満州事変当時の中国・西北地方では、1930〜32年の3年間で餓死者だけでも1000万人に上った。それ以降も毎年100万人単位で餓死者が出ていた
水害と旱魃が繰り返され、毎年ほぼ1000万人単位で被災者が出ていた
満州事変の直前の1928〜30年の西北大飢饉においては、ことの重大さを認識した日本政府が調査団を派遣しているが、それによれば、37県で土地を離れた婦女は100余万人、売られた婦女は70余万人に上っている。
『中国災荒史記』(孟昭華編、中国社会出版社、1999年)によれば、日中戦争が始まる1937年までの自然災害は77回に上るという。
◆
中国占領政策の鍵を農民対策と認識していた日本
・当時の農民はさまざまな国から救援を受けてきたが、最終的に彼らを救ったのは、間違いなく日本軍である
単に食糧援助をするのではなく、綿の栽培や農作物の改良といった農業政策を展開
自力更生を実現する支援を行なった
中国共産党のように掛け声と人民の苦闘の奨励による自力更生ではない
そのための基盤整備を担った
(つづく)
これは メッセージ 18573 (anti_mainas_shikou さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/18575.html
Re: 中国人を救った日本軍 訂正
投稿者: anti_mainas_shikou 投稿日時: 2007/05/26 21:52 投稿番号: [18574 / 41162]
上から8行目
被災農民は五百万人で、全省人口の二剖を占めた
の
「二剖」
は
「二割」
の間違いです。
23行目
鰻頭
は
饅頭
の間違いです。
これは メッセージ 18573 (anti_mainas_shikou さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/18574.html
中国人を救った日本軍
投稿者: anti_mainas_shikou 投稿日時: 2007/05/26 21:46 投稿番号: [18573 / 41162]
温故一九四二
劉震雲著
中国書店
劉燕子訳
13〜14頁
一九四二年の夏から一九四三年の春にかけて、河南省では大干ばつが起き、その光景は見るも無惨だった。
夏と秋の二季、全省の大部分では収穫がえられなかった。
大干ばつの後、今度はイナゴの害が発生した。
被災農民は五百万人で、全省人口の二剖を占めた。
「水旱蝗湯 (註3)」が、全省百十県を襲った。
(註3:「湯」 は湯恩伯 (一八九八〜一九五九) を指す。 彼は国民党軍の将軍で
軍費の維持のために租税を厳しく取り立て、その苛政誅求な租税は 「湯糧」 と呼ばれた)
被災農民は草の根や木の皮まで食べたが、いたるところで餓死者が出た。
女の売り値は以前の十分の一にまで下がり、身代わりで兵役につく男 (註4) の売り値も三分の一になった。
(註4:国民党が強制的に拉致して兵隊に仕立てるので、免除してもらうために、
代役として身代わりにさしだす男につけられた値段)
寂蓼(せきりょう)たる中原、どこまでもつづく赤土。
河南省では三百万人あまりが餓死した。
12〜13頁
一九四三年二月、アメリカの週刊 『タイム』 の記者、セオドア・ホワイトと、
イギリスの 『ロンドン・タイムズ』 の記者、ハリソン・フォアマンは、飢饉の状況の調査をするために河南に行った。
母親が自分の赤ん坊を煮て食べたというその場所で、
わが故郷の省政府の役人が二人の外国の友人をもてなしたメニューは、
蓮の実のとろみスープ、コショウと唐辛子で味つけした鶏肉、栗いりの牛肉シチュー、
豆腐、魚、揚げ春巻、ほかほかの鰻頭 (マントウ) 、白いご飯、二種類のスープで、
それに白砂糖をまぶした餡 (あん) 入りの餅が三つ付いていた。
これだけの料理は、現在でも、ぼくらのような平凡な市民は、せいぜい本で読むか、
高級レストランのメニューでお目にかかるだけだ。
それは、これまで口にしたなかで、もっともすばらしい宴会だったと、ホワイトは語っている。
ぼくも、かつて目にしたことのあるなかでもっともすばらしい宴会だったと言おう。
しかし、彼はまた、食するにしのびないとも言った。
ただし、わが故郷の省政府の役人は、ホワイトのように気おくれしてはいなかったと、ぼくは確信する。
112〜113頁
日照りで焼けた麦、イナゴに食われたカオリャン、雹 (ひょう) に打たれた蕎麦。
最後の望みもまた、一株一株と穂を垂れ、死んでゆく秋苗とともに枯れ、彼らを死への旅路へと追い立てる。
当時の河南人は、十中八九、飢餓の苦しみに封じこまれていた。
このようなことが続けば、わが故郷の河南人はいつか飢えて全滅しただろう
では当時、なぜ絶滅しなかったのだろうか?
政府がなんらかの措置を講じたからであろうか?
否。
イナゴが自ら飛び去ったからか?
否。
ではなぜ?
日本人が来たからである。
一九四三年、日本人は河南の被災地区に入り、わが故郷の人々の命を放ったのだ。
・・・
彼らはわれわれにたくさんの軍糧を放出してくれた。
われわれは皇軍の軍程を食べて生命を維持し、元気になった。・・・
われわれは、・・・生き延びるために、乳を与えてくれる者は誰でも母親とみなした。
日本の軍糧を食べ、国を売り、売国奴となったのだ。
われわれは向きを変えて、日本軍を支持し、侵略者がわれわれを侵略するのを支持した。
当時、わが故郷の農民や親戚、友人らのなかで、日本軍のために道案内をしたり、
日本軍側の前線で後方支援したり、担架を担いだり、さらには軍隊にはいって、
日本軍が中国軍の武装解除にゆくのを助けたりした者の数は、計り知れない。
五十年後、その売国奴を追及するにしても、その数はあまりにも多く、至るところにいる。
われわれはみな、売国奴の子孫なのだ。あなたたちはどうやって追及するのだ?
−−−−−
日本軍が中国人を虐殺し、皆殺しをしていたのなら、この行動は、つじつまがあいませんね。
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/18573.html
Re: 中国人は嘘つき
投稿者: devil_snr 投稿日時: 2007/05/26 14:49 投稿番号: [18572 / 41162]
まだ次がある。
鉛入り中華鍋だよ。
これは メッセージ 18570 (nihonkai_2010 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/18572.html
「南京犠牲者ゼロと言うバカ」というバカ
投稿者: devil_snr 投稿日時: 2007/05/26 14:47 投稿番号: [18571 / 41162]
田原みたいな無知馬鹿のコメントが何か?
>ゼロだというのは、投降兵の殺害、捕虜の殺害、便衣兵の殺害、以上のような
兵・ゲリラ兵と見誤った民間人の殺害が、すべて国際法上なんの問題もないか、
または問題があったとしても合計ゼロ件であった、という主張でしょう。
誰ですかそんなおバカな事言ってるの?
具体的に人名挙げて欲しいよね(笑
これは メッセージ 18563 (fukagawatohei さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/18571.html
中国人は嘘つき
投稿者: nihonkai_2010 投稿日時: 2007/05/26 08:49 投稿番号: [18570 / 41162]
ペットフード、シロップ、練り歯磨き。
今度は、あんこうがフグに。
サーズの発症もごまかし。
鳥インフルエンザもごまかし。
エイズの患者数もごまかし。
売春婦の数もごまかし。
温暖化のエネルギー消費もごまかし。
軍事費もごまかし。
役人は汚職と賄賂まみれで、発覚しそうになると海外逃亡。
フランスの鉄道技術や日本の新幹線をちょっと触っただけで、国産と言ってみたり
ディズニーのキャラクタは使っていないと言いながら、クレームがつくと慌てて
壊したり隠したり。
偽ブランドやコピーDVDは町中に溢れて
こんな中国人が、南京だけは嘘はついていないと言っても誰ももう信じない。
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中国産アンコウにフグ混入=入院者発生で自主回収−米
5月26日8時2分配信 時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070526-00000026-jij-int
【ワシントン25日時事】中国産アンコウとして出荷された魚の箱に猛毒を持つフグが混入していたとして、米カリフォルニア州の魚輸入業者は25日までに自主回収に乗り出した。シカゴでは入院者も出ており、事態を重視した米食品医薬品局(FDA)は調査に乗り出すとともに、注意を呼び掛けている。
米国では最近、中国の原材料を使ったペットフードの大量回収に加え、中国産練り歯磨きについてもFDAが検査を開始。フグ混入で中国産の食品や医薬品への懸念がさらに広がりそうだ。
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中国人、朝鮮人が残虐なのは
投稿者: lasvegas1954 投稿日時: 2007/05/26 00:00 投稿番号: [18569 / 41162]
遅れているからではない。
民族性の問題だ。
中国や朝鮮で行われてきた残虐な行為は、日本では古代でも見られない。
ちょっと調べれば、続々出てくる中国・朝鮮の残虐性。
ネット時代になって本当によかった。
以前は中国・朝鮮の主張も真剣に受け止めていたから。
ネット時代になるまでは、「南京事件」も5分5分であったかも、と思っていたから。
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Re: 全然、再反論してないくせに
投稿者: cheap_thirll 投稿日時: 2007/05/25 23:52 投稿番号: [18568 / 41162]
>これらの背景を考慮すれば、南京戦当時、南京に居なかった岡村が書いた南京戦に関する記述は資料価値なしと断定できるね。
瑕の入ったレコードみたいですなぁ…。だから、厚生省に提出されたときにはすでに拘束を解かれたあとだったし、「極秘」扱いだから国民党を意識する必要もないんですよ。国民党の目をはばかって修正したところがあったのならもとに戻せば良かったんです。
だいたい、国民党に遠慮したというのなら、なぜ「殺戮」の数字が「30万」になってないんですか?
おかしいじゃないですか。南京軍事法廷の判決を否定してますよ?
これをどう説明しますか?
>支那人が恩を仇で返す連中だという常識も知らなかったくせに。
まあそうやってヘイトスピーチをエスカレートさせればさせるほど、否定論者の主張が受けいれられる可能性はへるので、どうぞご勝手に。
>つまり、偕行社の『南京戦史』の結論は、市民虐殺ゼロ(0人)、捕虜虐殺ゼロ(0人)〜8百人ということだ。
ほんとに『南京戦史』読んだことあるわけ?
>そうだよ。
>くだらない長文を全て読むのは無理。
じゃあやっぱりそらとぼけてるんだ。
これは メッセージ 18553 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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Re: ウソと断定するのは、もう少し待ちまし
投稿者: cheap_thirll 投稿日時: 2007/05/25 23:48 投稿番号: [18567 / 41162]
>そうではなく、ちゃんと質問に答えろよ。
あなたこそちゃんと質問に答えなさいよ。知らないのに×にしたんですか?
>「捕虜を捕縛する」ことなど有り得ないよね。
なぜ?
そもそもここでいう「捕虜」というのは非公式な呼び方でしかない。捕虜収容所なんて日本軍はつくるつもりがなかったんだから、投降兵と捕虜の区別なんてないわけですよ。武器を捨てて投稿してきたので投降を受けいれた場合にそれを「捕虜」と表現し、それを縛ることを「捕縛」と表現してもまったくおかしくはない。
>実態は「敗残兵・投降兵」の集団であり、軍事的必要上認められている処断であると判断している。
その根拠は?
だいたい、攻略戦の最終段階でもはや「投降兵」を殺害する「軍事的必要」なんて存在しないと思いますが?
>日本軍による市民虐殺がゼロ(0人)だったことと、支那軍が日本軍将兵を一人もマトモに捕虜として保護せず一人残らず全員(反戦兵士を除く)惨殺したことは認めてるんだね?
そんなバカなことはもちろん認めない。市民殺害は第十軍法務部陣中日誌など日本側資料にも記録されているし、戦争中に捕虜になって敗戦後に引き渡された日本軍将兵についての記録がある(秦郁彦の『日本人捕虜』でもご覧になってはいかが?)。
これは メッセージ 18552 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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南京の嘘、通州の事実
投稿者: hinekyuri 投稿日時: 2007/05/25 22:26 投稿番号: [18566 / 41162]
教科書に載せなければならない通州大虐殺。
http://www.asyura2.com/0505/asia1/msg/196.html通州事件
昭和12年(1937)冀東保安隊による日本人虐殺。
通州虐殺事件
「南京虐殺の徹底検証」東中野修道著
展転社より
『東京裁判却下未提出辯護側資料』第三巻に収録された外務省情報部長の公式声明(八月二日)と同部長談話(八月四日)によれば、事件が起きたのは七月二十九日(昭和十二年)の午前四時であった。三千人ほどの通州保安隊が百十名ほどの日本軍守備隊兵営を包囲し、日本人商店、旅館、民家を急襲した。通州の日本人三百八十名のうち、約二百名が虐殺された。ようやく難を免れたのは、日本軍の兵営に逃げ込んだ百二十名だけであった。
外務省情報部長談話によれば、事件の全貌は次のようであった。
《支那人は婦女、子供をも共に、全日本人を虐殺せむと企てた。婦人の多くは掻きさらはれて、二十四時間虐待酷使された後、東門の外で殺されたが、其処まで連れて行かれるには手足を縛られ、或は鼻や喉を針金で突き通されて、曳きずられたのであった。死骸は近くの池にぶち込まれ、或る者は強力な毒物をぬりつけられて、顔がずたずたになつてゐた。》
これは、戦時国際法にたいする重大な違反であった。外務省情報部長は事件から四日を経て、公式に支那兵の日本人虐殺・強姦・掠奪を批判したのである。東京裁判にも、弁護側からこの公式声明が提出された。しかし、理由の提示なきままウェッブ裁判長は却下している。「通州虐殺」は連合国にとり、触れて欲しくない問題であったからである。
しかし、その却下にもかかわらず昭和二十二年(一九四七年)四月二十五日、レヴィン弁護人は引き続き萱嶋高(元陸軍中将)を証人として喚問した。事件からすでに十年の歳月が流れていた。
『極東国際軍事裁判速記録』第五巻によれば、萱嶋は救援のため通州に急行した天津歩兵隊長及び支那駐屯歩兵第二連隊長で、七月三十日(事件の翌日)午後四時、現地に到着した。次はその萱嶋連隊長の証言である。
《城内は実に凄惨なもので、到る処、無惨な日本人居留民の死体が横たはつて居りまして、殆ど全部の死体には首に縄がつけられてありました。頑是なき子供の死体や婦人の虐殺死体は殆ど見るに耐へませんでした。》
《その記録は今日ありません。従つて私は私の目撃したことを主として、記憶を辿り、左に陳述します。然しそれは余りにも残酷でありましたので、私は一生忘れることの出来ない印象となつて頭に残つて居ります。》
《旭軒とか云ふ飲食店を見ました。そこには四十から十七,八歳迄の女七,八名は皆強姦され、裸体で陰部を露出した儘、射殺されて居りました。其の内四,五名は陰部を銃剣で突刺されてゐました。(略)家の内は家具、布団、衣類等、何物もなく掠奪されてゐました。其の他の日本人の家屋は殆ど右同様の情態でありました。》
《錦水楼と云ふ旅館は凄惨でありました。同所は危険を感じた在通州日本人が集まつた所でありましたものの如く、大量虐殺を受けてをります。(略)錦水楼の女主人や女中等は珠子繋ぎにされ、手足を縛された儘、強姦され、遂に斬首されたと云ふことでした。》〜〜〜〜略
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Re: 南京の真実 PART 1
投稿者: anti_mainas_shikou 投稿日時: 2007/05/25 22:06 投稿番号: [18565 / 41162]
>十二月十三日の下関一帯は、南京を脱出しようとする避難の大群衆と逃走する兵士でいっぱいで、混乱していた。
>すでに揚子江の江上も多数の船や小船、筏にのって中国人たちは対岸に逃れようとしていた。
>江岸、江上のこれらの中国人の群れをめがけて陸上からは軽装甲車部隊や機関銃部隊が機銃掃射を、江上の艦船からは機銃掃射や砲撃が加えられた。
>無差別殺戮であった。
フムフム、なるほど、それでもって、「その前の中国人同士の殺し合いも、日本軍の虐殺にしてしまえ」
という魂胆ね。
それから、ここに書いてある内容、それは戦闘行為だよ。
敵が逃げれば撃つ。 当り前の事。 ニューヨークなんか警官から逃げたら撃たれるよ。
それを無差別殺戮と曲解するの?
仮に、民間人が混じっていたとしても、それは、日本軍の責任じゃない。 そこにいる方が悪い。
ラーベ達が安全区を設けているのに、聞かず、そんな所に行くから、そうなるの。 自己責任だろう。
そんじゃ、その前の、中国側の記録をだそうかね。
宋希濂の記録
十二日午後二時、防衛司令長官部(唐生智)からわが師(三十六師)に対して、次のような指示があった。
①
下関から浦口ヘのルートは、わが軍の唯一の交通路であり、あらゆる手段で秩序を維持しなければならない。
従って三十六師以外の部隊将兵や逃亡兵などが勝手に集まることを厳禁する。
②
七十四軍は、三サ河を渡って、下関に行くことを禁止する。
③
宋希濂部隊はユウ江門から下関に到る一帯に即時戒厳令を実施、一切の(他部隊の)活動を禁止せよ。
訒竜光の記録
わが方は第八十三軍(広東軍、訒竜光)が命令通り、棲霞山付近にいた敵軍の前を迂回して脱出に成功しただけで、
他はすべて下関に押し寄せ、勝手放題に船を求めて殺到した。このことが、
十二日夜、ユウ江門、下関一帯に極度の混乱を招き、戦史の上でも稀にみる、一大悲劇を招いた原因になった。
長江両岸を連絡する下関と浦口との間には、もともと二隻のフェリーが就航していた。
このフェリーは一回に七、八百人を乗船させることが可能で、一往復するのに、四、五十分かかる。
午後五時には暗くなるので、夜明けまでに十四時間航行することが出来(昼間は空襲があるので航行出来ない=原註)、
もし防衛長官がこのフェリーを確保していれば、少くとも三万人の渡河が可能だったであろう。
しかし、彼等(唐生智司令部)は、この二隻のフェリーを既に漢口に行かせてしまっていた。
下関の船着き場に残っていたのは数隻のランチ(せいぜい、百馬力ほどのもの=原註)と、二、三百隻の民船だけであった。
これだけ多くの人員が渡ろうとしていることと、船がこれだけしかないことが、また悲惨な事件への導火線となった。
(その中で)唐生智はすぐに渡河をはじめたが、各部隊は指示通り前方突破には向わなかった。
教導総隊(桂永清)、八十七師(王敬久)、八十八師(係元良)、七十四軍(兪済時)、六十六軍(葉肇・広東軍)、
それに南京警察などは、中山路に沿ってユウ江門を抜けて下関にゆこうと先を争って、誰も譲らなかった。
ユウ江門を守っていた三十六師(宋希濂)と激しい衝突となり、混乱は頂点に達した。
下関はさらに混乱、船は少なくなった。それでも人びとは船を奪い合い、勝手に発砲した。
船は重量に耐えられず、長江の半ばで転覆するものや、河に漕ぎ出した船を撃って、民船を沈没させる者もいた。
まさに、地獄絵そのものだった。
多くの将兵は、商店の扉や門の板を外して、速成の筏(いかだ)を作ったりしたが、長江の流水を制御することが出来ず、
転覆する者、溺死する者も、千百人(百人が千ある。つまり「沢山」の意味)を越えた。
悲しみの声と救いを求める声は南北両岸に響き、嘆きの感情は鬼哭(きこく)に充ちて、人の世の惨劇を呪っているようだった。
−−−−
あなたの出した証言は、佐々木倒一少将私記のようなものを土台にしているようだが、
軍というものは、成果を上げなければならない。
実際には、殺していなくても、そこに、沢山の死体があれば、先着の特権として、
自分等の手柄として発表するだろう。誰もしらないのだから。
これは メッセージ 18561 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 南京犠牲者ゼロと言うバカ
投稿者: baribaripati 投稿日時: 2007/05/25 11:55 投稿番号: [18564 / 41162]
>合計ゼロ件ということもない。
シナ人はシナ人同志殺し合いったんだよ!だからゼロじゃないの
シナ人のやりそうなことだよ、日本人がやった証拠が無いがな。
これは メッセージ 18563 (fukagawatohei さん)への返信です.
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南京犠牲者ゼロと言うバカ
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2007/05/25 11:10 投稿番号: [18563 / 41162]
(アスコム社刊
オフレコ
別冊)より抜粋:
田原総一郎氏談:
ゼロだというのは、投降兵の殺害、捕虜の殺害、便衣兵の殺害、以上のような
兵・ゲリラ兵と見誤った民間人の殺害が、すべて国際法上なんの問題もないか、
または問題があったとしても合計ゼロ件であった、という主張でしょう。
でも、裁判なしの投降兵・捕虜の殺害や、兵と見誤った民間人の殺害が国際法上
合法なんてことはないし、揚子江に多数の死体が流れてきたというような証言は
いくらでもあるから、合計ゼロ件ということもない。
何を考えているんだろうと思いますけどね。
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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Re: 南京の真実 PART 1
投稿者: baribaripati 投稿日時: 2007/05/25 10:11 投稿番号: [18562 / 41162]
君の書き込み残念だけど、もう日本人はシナ人の捏造事件を誰も信用しないよ!
その当時南京には多くの欧米の記者を初め、これらの写真君の好きな朝日の記者も居たのを知っているだろ。
そして朝日新聞及び毎日等が新聞に寄せた報道写真だ。
南京占領は、昭和12(1937)年12月13日であるが、それから翌年の正月13日までわずか1ヶ月の間に朝日新聞は実に5回にわたって写真特集を組んでいる。
何処にその大事件の証跡がある!
この朝日も態度が急変する、何故支那共産党にスリ寄るようになったかは俺には分からない。
昭和46年以降は気でも狂ったのではないかと思われるほど、南京に大虐殺が「あった!!あった!!」とあおりたてた。
教科書に「南京大虐殺」が載るようになったのも、昭和50(1975)年からである。
その頃になると、朝日に次いで毎日やNHKなど日本のマスコミや時代におもねる学者、文化人、教育者がこれに追随し、今日の風潮を作ってしまった。
http://www.history.gr.jp/~nanking/peace.html#11の最後の部分の
映像史料]へ戻る
をクイックして、
写真を見たまえ支那の多くの市民が日本軍を囲み、初め子供達も戯れている明るい顔を見た前何処にその惨劇があった跡がある。
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1. マスコミによって撮影された南京の風景
2. 昭和13(1938)年公開、東宝文化映画部製作、記録映画「南京」
3. 朝日新聞が報道!「平和よみがえる南京」写真特集
4. 「バトル・オブ・チャイナ」と「中国の怒吼」
5. プロパガンダとして利用されていたニセ写真
6. 「南京事件」のニセ写真と証言
7. 100人斬り裁判の模様と処刑
幾ら言葉で捏造しても、「朝日の報道写真」を朝日も毎日も誰もこの写真を否定することは出来ない。
幾ら大虐殺と言っても日本人には「シナ人のように大虐殺、皆殺し尽くし」の風習がないのに日本人を誰も説得できない。
もしあったとしたら「シナ人による同族人の惨殺」だよ、南京では有史以来王朝が変わるたびにシナ人が10回ほど大虐殺があったらしいからね。
南京大虐殺など日本人には関係ないことだよ。
これは メッセージ 18561 (fukagawatohei さん)への返信です.
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南京の真実 PART 1
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2007/05/25 09:01 投稿番号: [18561 / 41162]
(社会評論社刊
南京戦
閉ざされた記憶を尋ねて)より抜粋:
十二月十三日の下関一帯は、南京を脱出しようとする避難の大群衆と逃走する兵士でいっぱいで、混乱していた。
すでに揚子江の江上も多数の船や小船、筏にのって中国人たちは対岸に逃れようとしていた。
江岸、江上のこれらの中国人の群れをめがけて陸上からは軽装甲車部隊や機関銃部隊が機銃掃射を、江上の艦船からは機銃掃射や砲撃が加えられた。
無差別殺戮であった。
また、日本兵たちは、捕まえてきた中国人たちを、時には初年兵の(肝試し)
といって刺突訓練の対象にしたり、ゲーム感覚で中国人の首をはねたり、生き埋めにしたりした。
極東国際軍事裁判の判決によれば次のようにかかれている。
(日本軍が占領してから最初の六週間に南京とその周辺で殺害された一般人と
捕虜の総数は、二十万人以上であったことが示されている。
これらの数字は日本軍によって死体を焼き捨てられたり、揚子江になげこまれたり、または他の方法で処分されたりした人々を計算に入れていないのである。)
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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Re: 元日本軍兵士の証言PART 6
投稿者: anti_mainas_shikou 投稿日時: 2007/05/24 21:16 投稿番号: [18560 / 41162]
>南京陥落の日じゃった。城内に入る時、城壁の外側が死体の山じゃった。
>兵隊やなしに、女や子供もおった。爺さんも婆さんもおった。
>兵隊やないもんばっかりじゃ。
>どこの部隊がやったのか知らんが、
「どこの部隊がやったのか知らんが、」って、中国軍の部隊に決まっちょるやろ。
何で、そげん所に、兵隊でない者がおるとや?
城壁は何の為に、有るとや?
女・子供や爺さん・婆さんを護るためにあるとやろが。
敵(日本軍) が攻めて来ると、わかっちょるのに、女・子供や爺さん・婆さんを、
弾除けの爲に、城壁の外に出しちょるのか、中国軍は。
軽口は、このくらいにして、現実をよく見よう。
ラーベ達、国際委員会が安全区を設置し、そこに一般市民を収容しているんだよ。
しかも、城門は土嚢がつまれ閉鎖されている。
どうやって外に出られるの。
と言うか、そんな危い所に行くバカがいるとは思えんがね。
開いているのはユウ江門だけ、それも半分だけ。
ここは日本軍が来る前に、司令官の唐生智が手勢を連れて、大船を全部もって逃げたため、
それを知った中国兵が、狭い城門に殺到し、前の兵が、後の兵に踏み潰され、
かつ、外に出たら、船がなく、小舟の奪い合いで、殺し合いになり、死体の山が出来たところ。
なお、小舟に乗った者も積載オーバーで沈没、大量の中国兵が、溺れ揚子江に流された。
ここなら、脱走しようとした中国兵につられて、一緒に逃げ出し、死体の山になった市民がいたかも知れない。
が、それは、日本軍とは関係ない。
中国軍がやったこと。
その証言者は、自分が入城する前に起こった事を何も知らないから、
「どこの部隊がやったのか知らんが、」と言っているだけ。
まず、最初に殺した犯人は、宗希濂の部隊、彼の部隊は、中国兵の脱走を食い止める為に殺している。
宗希濂の部隊と唐生智が去った後は、中国兵同士の殺し合い、船がなくなり、
脱出を断念した中国兵は、市民を殺して服を奪い、市民に化けて、安全区に隠れた。
これが、事実、中国兵による虐殺を、この証言者は、日本軍のしわざと勘違いしているだけ。
それが、証言の本質だよ。
大概で、勘違いに気づきなさいね。
これは メッセージ 18557 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 唐兵、
投稿者: warazzu 投稿日時: 2007/05/24 14:30 投稿番号: [18559 / 41162]
> >著作権の問題もあり、証言者の名前は伏せておりますのでご了承ください。
> 著作権?
これは作品なの?
> だったら、ここに貼り付けるのは、問題ではないの?
証言集はまあ著作物でしょうね。(もし捏造証言なら文句無しに創作物)
著作物を自由に複製できる場合として「引用」のための複製があります。ただし文化庁のぺージによると「引用」であるためには
[1]引用する資料等は既に公表されているものであること、
[2]「公正な慣行」に合致すること、
[3]報道、批評、研究などのための「正当な範囲内」であること、
[4]引用部分とそれ以外の部分の「主従関係」が明確であること、
[5]カギ括弧などにより「引用部分」が明確になっていること、
[6]引用を行う必然性があること、
[7]出所の明示が必要なこと
とあります。件の投稿は特に[4],[6]の点で引用とするには苦しいものがあります。
もちろん投稿者が権利者に許可を得たうえで掲載するのは著作権法上は問題なないでしょうが、例えば本の宣伝のために掲示板を利用しているのであればまた別の問題があるかも知れません。
これは メッセージ 18554 (anti_mainas_shikou さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/18559.html
IR南京大虐殺はあったんじゃ。
投稿者: baribaripati 投稿日時: 2007/05/24 13:42 投稿番号: [18558 / 41162]
中国人による大虐殺だよ。
大虐殺は皆殺しに風習のある支那人がやったことなんだよ。
大虐殺の風習のない日本人には出来ない相談だよ。
シナ人は有史以来幾度も王朝が変わるたびに南京城を大虐殺の舞台にしたのを知らないの。
自分で勉強しなさい。
だから南京の何処を掘ってもシナ人の万人塚、万人抗が有るんだよ。
万人抗については世界遺産に登録申請し世界に残虐なシナ人であることを知らしめなさい。
今のシナ人は漢字が読めないから仕方がないか?
犠牲者の人数が多いほどシナ人の残虐性を暴露するだけだよwww♪
最近のシナ人による大虐殺揚げておくよ!
●
辛亥革命(1908年ころ)直後に張勲による大虐殺が起こった。
●
太平天国(1851~1864)曹国センの大虐殺当時、天京(南京)から財宝を搬出する車列は延々三ヶ月間も続いたと、趙烈文の『能静居士日記』に記録されている。
●1949年 中共軍、南京乱入、資本家の財産強奪、国民党員金持ちを大虐殺
支那共産党の残虐さ事件の罪まで日本になすりつけようとしている。
これは メッセージ 18557 (fukagawatohei さん)への返信です.
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元日本軍兵士の証言PART 6
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2007/05/24 09:11 投稿番号: [18557 / 41162]
(社会評論社刊
南京戦
閉ざされた記憶を尋ねて)より抜粋:
南京陥落の日じゃった。城内に入る時、城壁の外側が死体の山じゃった。
兵隊やなしに、女や子供もおった。爺さんも婆さんもおった。
兵隊やないもんばっかりじゃ。
どこの部隊がやったのか知らんが、新聞でよう言う”南京の虐殺”って、全く本当のことじゃが、そんなこと言えんもんで、〔嘘}や言うとるんじゃ。
(強姦)はそこら中でやっとった。つきものじゃ。そこら中で女担いどるのや、
女を強姦するのを見たで。
婆さんも見境なしじゃ。強姦して殺すんじゃ。もう滅茶苦茶じゃ。
死体は何千人と見たな。
倉庫のような部屋に中国人を詰め込んで機関銃で殺しよった。
何百人も入れてやったんじゃ。小さいところで三百人くらいやった。
わしらが捕まえた奴をこうして殺したんじゃ。
南京大虐殺はあったんじゃ。無茶苦茶やったんや。
(軍恩新聞)なんかには”デマ”や言うてるけど、今やから言うといろいろあるけど、間違いなくあったんじゃ。
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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Re: 唐兵、
投稿者: nihonkai_2010 投稿日時: 2007/05/24 05:43 投稿番号: [18556 / 41162]
シンセンの唐兵も、化けの皮がはがれてきているようで何よりです。
これは メッセージ 18554 (anti_mainas_shikou さん)への返信です.
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Re: 唐兵、
投稿者: asia1867 投稿日時: 2007/05/24 03:02 投稿番号: [18555 / 41162]
たまきネツゾウの本。
愕き、驚き。
鵜呑みにする者が、未だに、生息している。
ゲッペルの「嘘も百回つけば真実になる」なる名言を実践している者を信用するなんて。
これは メッセージ 18535 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 唐兵、
投稿者: anti_mainas_shikou 投稿日時: 2007/05/24 01:03 投稿番号: [18554 / 41162]
>著作権の問題もあり、証言者の名前は伏せておりますのでご了承ください。
著作権?
これは作品なの?
だったら、ここに貼り付けるのは、問題ではないの?
著作者と出版社に許可を取ったの?
もしかして個人情報の勘違いでは。
個人情報法っていいね。
でも、誰が狙うの・襲うの?
あんな三文証言。 何の価値もない、戦後生まれのガキのような感想文。
南京に行った人なら、当時20歳としても、あれから70年で90歳、「フザケルナ」と怒る同僚も殆ど死んでいる。
生きていても、殴りこみをかける体力もない。
保守は、バカバカしくて、相手にしない。
それでも、身を護りたいの?
昔、戦争から戻った人には、自分だけ生き残ったと、悔やみ、死に場所を求めていた人もいたけどね。
南京で大虐殺をやったと言いながら、なお、自分の命は惜しいわけだ。
しかし、90まで生きたら上等じゃないの。
これから先は、どう頑張っても神様が許してくれないと思うけど。
まー、せいぜい、個人情報に護られていなさい。 あと何年かだろうけど。
あちらに行ったら、その人が殺した人に、責められるか、
閻魔大王に責められるか、のどちらかです。
どちらかと言うと、こちらで叩かれていた方が、向こうでの罪が軽くなると思うけどね。
逃げまくって、あの世に行くと、後が怖いよ。
まー、ご自由に。
これは メッセージ 18535 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 全然、再反論してないくせに
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2007/05/24 00:04 投稿番号: [18553 / 41162]
>誰もそんなこと否定してませんって。厚生省に提出されたときには「拘束」されてなかった、と言っているのです。
『岡村寧次大将回想録』は、岡村寧次が、戦後、支那において国民党軍によって拘束されているときに編集し、その間、岡村寧次は戦犯として処刑されることを免れていたことが確定したね。
岡村寧次にとって蒋介石は自分や部下たちの命の恩人であり、恩を仇で返す支那人みたいな真似ができるわけがないから、帰国後岡村は「白団」を組織して1949年から長年にわたり蒋介石の国民党政権に協力した。
これらの背景を考慮すれば、南京戦当時、南京に居なかった岡村が書いた南京戦に関する記述は資料価値なしと断定できるね。
>根拠がラルフ・タウンゼント、ってことだけ記憶しておきましょう(笑)
意味不明。
支那人が恩を仇で返す連中だという常識も知らなかったくせに。
>>日本軍が支那人捕虜を殺害した資料がないということ。
>これはまた、今時珍しい「正面突破」派ですね。偕行社の『南京戦史』以降、この手の主張は絶滅したと思っていたのですが。
意味不明だ。
1988年に発行した偕行社の『南京戦史』で、畝本正己は、資料、証言を整理し検討し、撃滅・処断推定約1万6千人、うち不法殺害の可能性があるのは歩66第1大隊の捕虜処断最大約8百人の一例のみと結論している。
つまり、偕行社の『南京戦史』の結論は、市民虐殺ゼロ(0人)、捕虜虐殺ゼロ(0人)〜8百人ということだ。
なかったかもしれなし、仮にあったとしても8百人だから、日本軍が支那人捕虜を殺害したことを明確に記した資料はないということだ。
>そらとぼけてるんじゃないとすれば、自分のブログに送られたトラックバックは無視する、ということなのかな?
そうだよ。
くだらない長文を全て読むのは無理。
長文をトラックバックされても、いちいち全部読まないから、ここで要点を述べれば済むじゃん。
これは メッセージ 18546 (cheap_thirll さん)への返信です.
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Re: ウソと断定するのは、もう少し待ちまし
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2007/05/23 23:59 投稿番号: [18552 / 41162]
>>知らん。
>>その名簿って、いつ、どこで、誰が作ったの?
>>人数は何人?
>>つーか、南京軍事法廷って、百人斬りとか3百人斬りなどを断罪したインチキ裁判だろ。
>「知らん」のに×にしたんですか?
そうではなく、ちゃんと質問に答えろよ。
その名簿って、いつ、どこで、誰が作ったの?
人数は何人?
>・第114師団
歩兵第127旅団
第66連隊
第1大隊戦闘詳報(12月13日)
>イ、旅団命令により捕虜は全部殺すへし
>
其の方法は十数名を捕縛し逐次銃殺しては如何
「捕虜を捕縛する」ことなど有り得ないよね。
俺は、こういう話はあまり詳しくないから詳しい方の投稿を参照してくれ。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&board=1835559&tid=fn5fe5tbba6a4oa4ga4ca4abeea42a4h
3nbfaea47a4fa4a4a4k&sid=1835559&action=m&mid=35876(一部抜粋)
但し、この戦闘詳報はそれ自体が偽造を疑われている代物なんですがね。(後年の偽造ではなく公文書偽造)
板倉由明氏が指摘した戦闘記録との不整合以外にも、既に確保している捕虜に対して「十数名ヲ縛シ」ではなく「十数名ヲ捕縛シ」というのは不自然です。
単に縛り上げるのではなく捕縛する必要があるなら、それは収容済みの捕虜ではなく、武装解除が終了していない投降兵でしょう。
ちなみにこの部分、洞富雄は「十数名ヲ捕虜シ」と書いています。これは児島襄氏の『日中戦争』からそのままの引用ですが、既に収容している捕虜を「捕虜し」とは何なんでしょうね?
児島襄氏は捕虜殺害命令ではなく投降兵殺害命令だと解釈してこう書いたのかもしれませんが、捕虜殺害命令を主張する根拠として取り上げているのに捕虜を「捕虜し」とは語るに落ちたか、という印象ですw
それから「シテハ如何」なんておよそ命令書の表現ではありません。
>・第16師団歩兵第33連隊「南京附近戦闘詳報」第三号附表
>一、俘虜ハ処断ス
#10494より
―――――――
【3
太平門、下関、獅子山付近おける戦闘間、歩33の捕虜処断】において、まず12/10〜12/14の戦闘を通じ、歩33は捕虜累計3,096人を処断した、と纏められているが、下関突進間に処断した「捕虜」は、実態は「敗残兵・投降兵」の集団であり、軍事的必要上認められている処断であると判断している。
太平門の投降兵は白旗を掲げながら反抗を続ける敵兵が多数混在していたので撃滅の手段をとらざるを得なかったと結論している。
獅子山の投降兵2百については、投降時の状況が明らかでないとされている。尚「証言による『南京戦史』」にはこの投降兵が便衣兵とされている証言も収録されている。
―――――――
結局、捕虜の虐殺なんてなかった。
ところで、君も他の反日君たちと一緒で日本軍による支那人捕虜の殺害について言ってるけど、日本軍による市民虐殺がゼロ(0人)だったことと、支那軍が日本軍将兵を一人もマトモに捕虜として保護せず一人残らず全員(反戦兵士を除く)惨殺したことは認めてるんだね?
これは メッセージ 18545 (cheap_thirll さん)への返信です.
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Re: 唐兵、
投稿者: rty3657898 投稿日時: 2007/05/23 23:26 投稿番号: [18551 / 41162]
>幕府山捕虜1万5000人のうち4000人を移送中に対岸から撃ってきた中国軍との戦闘の混乱の中で「日本軍」に射殺された捕虜が3000人余り、「安全区」に逃げ込んだ後に「便衣兵」として摘発され処刑された者が6600人、残りがその他の原因で命を落とした者じゃろうのう。
なるほど、幕府山の蒋介石親衛隊だった沈博施参謀長は部下を皆殺しにされて、一人だけ汪兆銘南京国民政府に寝返った訳だ。そして、日本軍撤退後、一人で北京の中華民国臨時政府や中華民国維新政府を攻略したんだ。
でも何で日本は汪政権南京国民政府を独立政府と認めて植民地にしなかったんだろうね。
社会秩序が再建された南京
東京大学文学部人文社会系研究科博士論文
汪政権による「淪陥区」社会秩序の再建過程に関する研究
中国人留学生
曽支農
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/cgi-bin/thesis.cgi?mode=2&id=34
これは メッセージ 18550 (tonkin13 さん)への返信です.
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Re: 唐兵、
投稿者: tonkin13 投稿日時: 2007/05/23 23:02 投稿番号: [18550 / 41162]
松井大将が、「日露戦争」の時より「軍規」が緩んどるちゅうて嘆いとるけえ、ちいたあ不祥事があったんじゃろうけえど、少なくとも民間人の無差別大虐殺やこうらああり得まあのう。
「南京戦・閉ざされた記憶を尋ねてー元兵士102人の証言」(松岡環編集)は、一昔前に久米宏や筑紫哲也がテレビで盛んに宣伝しょうたけえど、読んでみりゃあ直ぐ分かることじゃが、鬼頭久二の証言を初めとして辻褄の合わん証言が目立たあのう。
わしもあんまり頭のええ方じゃあねえけえ、きちんとした計算はできんし、偉そうなことを言うつもりゃあねえけえど、結局南京の死者は4〜5万人、その内訳は逃亡できず捕虜にもなれなんだ「南京衛戌軍」兵士のいわゆる戦死者が半分以上、幕府山捕虜1万5000人のうち4000人を移送中に対岸から撃ってきた中国軍との戦闘の混乱の中で「日本軍」に射殺された捕虜が3000人余り、「安全区」に逃げ込んだ後に「便衣兵」として摘発され処刑された者が6600人、残りがその他の原因で命を落とした者じゃろうのう。
「紅卍会」の「埋葬記録」にゃあ、城内区埋葬1795体(うち女性8体、子供26体、残りは成人男子)、城外区埋葬4万1328体(女性75体、子供20体、残りは成人男子)となっとる。こりょうを見ても埋葬された者の大部分は戦死したり処刑されたりした兵士じゃろうでえ。
「紅卍会」の「埋葬記録」にゃあ、ダブリがあることが指摘されとるけえど、一方揚子江に流れていった死体もだいぶんあろうけえ、死体の総数はやっぱり4万人以下ちゅうこたあなかろうでえ。
(因みに、「南京攻防戦」での日本兵の戦死者は約2300人、戦傷者は約6900人)
わしも見たわけじゃあねえけえ、よう知らんけえど、いろいろ手に入る資料を比較してみた限りじゃあ、「南京事件」ちゅうのんは、上にあげた以上でも以下でもねえような気がするんじゃがのう。
まあ、後は賢けえ人が調びょうでえ。わしらあみたいなあんごうにゃあ、そっから先のこたあよう分からん。
これは メッセージ 18549 (rty3657898 さん)への返信です.
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Re: 唐兵、
投稿者: rty3657898 投稿日時: 2007/05/23 15:06 投稿番号: [18549 / 41162]
>「第16師団」の「歩兵第36旅団」の「歩兵第38連隊」(助川静二大佐=奈良)の配下の者かのう?
第16師団歩兵第30旅団配下「久居(三重第33連隊、奈良第38連隊)」
証言はこの三重と奈良の連隊に集中しているのになぜか三重や奈良の方言の証言がない。
また、南京事件で大半の責任を負わされ南京軍事法廷で多くの者が処刑されたのは熊本第6師団なのだが九州弁の証言がほとんどない。
そして、多くの殺害、強姦を自白している第30旅団は誰も処刑されていない。
これは メッセージ 18548 (tonkin13 さん)への返信です.
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Re: 唐兵、
投稿者: tonkin13 投稿日時: 2007/05/23 12:56 投稿番号: [18548 / 41162]
>これは私の体験談ではなく、社会評論社という出版社が出している(南京戦閉ざされた記憶を尋ねて)という本から抜粋して、ある元日本兵の証言を投稿しています。著作権の問題もあり、証言者の名前は伏せておりますのでご了承ください。
そうか、お主の体験談じゃあのうて、「南京戦、閉ざされた記憶を尋ねて」からの抜粋か。それなら分かった。それはそれとして、どうも言葉遣いからして、これを語っとる兵士は、難波あたりのおっさんのようじゃのう。難波の「師団」は、南京にゃあ行っとらんのじゃがのう。もしかしたら「第16師団」の「歩兵第36旅団」の「歩兵第38連隊」(助川静二大佐=奈良)の配下の者かのう?
>ちなみにカバチというのはどこの国の言葉でしょうか?
ご教授頂ければ幸甚です。
山陽地方、特に岡山県西部から広島県にかけての方言じゃ。「カバチを垂れる」ちゅうんは、要領を得ん理屈ばあ捏ね回すことじゃ。
まあ、あんまり上品な者は使わん言葉じゃあのう。
これは メッセージ 18535 (fukagawatohei さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/18548.html
南京大虐殺はなし国民党政府の謀略だった
投稿者: baribaripati 投稿日時: 2007/05/23 12:38 投稿番号: [18547 / 41162]
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kokumin-shinbun/H13/1312/131215nankin.html
東京裁判で所謂南京大虐殺の証拠として提出された欧米人の
記録が実は中国国民党の宣伝工作によるものだったことが判明
したとして、
英マンチェスター・ガーディアン紙の中国特派員だった
H・J・ティンパーリーの
『戦争とは何か・・中国における日本軍の暴行』と
南京市の金陵大学教授だったL・スマイス博士の
『南京地区における戦争被害』(スマイス報告)。
北村教授は
台湾で1996年に刊行された
『中国国民党新聞政策之研究(1928〜1945)』
の中で、
国際宣伝処が二人に上記の宣伝書を書いて貰ったとの記述があり、
南京戦当時の国際宣伝処長だった曾虚白の
『自伝』(1988年)にも、二人に
「金を使って日本軍の南京大虐殺の目撃記録として2冊を書いて貰い
・・・二つの書物は売れ行きのよい書物となり宣伝の目的を達した」
と書かれていたという。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ここの写真は事件当時南京城にいた朝日毎日を初め多くの報道写真家の撮影した写真。
南京事件の勃発から翌年にかけての写真だよ。
最後のページの[映像史料]へ戻るを参照を!
1. マスコミによって撮影された南京の風景
2. 昭和13(1938)年公開、東宝文化映画部製作、記録映画「南京」
3. 朝日新聞が報道!「平和よみがえる南京」写真特集
4. 「バトル・オブ・チャイナ」と「中国の怒吼」
5. プロパガンダとして利用されていたニセ写真
6. 「南京事件」のニセ写真と証言
7. 100人斬り裁判の模様と処刑
http://www.history.gr.jp/~nanking/film.htmlーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
南京城はシナの有史以来シナ王朝が変わるたびに大虐殺が行われた。
シナ全土の野蛮なシナ人にによる虐殺の証「万人塚」「万人抗」が有るという。
南京城は何処を掘っても人骨が無数に出てくるという、南京城の万人塚も虐殺民族シナ人の証です。
http://ameblo.jp/maokapostamt/entry-10016725200.html南京大虐殺史
【南京大虐殺は王朝交代や内訌、内乱のたびに発生し、多くの城民が殺されてきた。】
●
就中、南朝時代の宋のときは、皇族間の殺し合いだったため、皇族一族は断絶した。梁の時代の候景による南京大虐殺は史上最多の死者を出し、【日本軍の「百万虐殺」説は、これのコピーではないかとも思われる。】
●
南朝の中で、官軍王僧弁軍の南京への逆襲やら、隋の陳王朝攻滅の大虐殺も有名だ。隋以降、南京城は一事廃城にもなった。
その後も「南京大虐殺」は続き、
●
辛亥革命(1908年ころ)直後に張勲による大虐殺が起こった。
●
太平天国(1851~1864)曹国センの大虐殺当時、天京(南京)から財宝を搬出する車列は延々三ヶ月間も続いたと、趙烈文の『能静居士日記』に記録されている。
●1949年 中共軍、南京乱入、資本家の財産強奪、国民党員金持ちを大虐殺
支那共産党の残虐さ事件の罪まで日本になすりつけようとしている。
(検索すれば出てくる)
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/18547.html
Re: 全然、再反論してないくせに
投稿者: cheap_thirll 投稿日時: 2007/05/23 11:02 投稿番号: [18546 / 41162]
>戦後、支那において国民党軍によって拘束されているときに編集しているのは事実。
>その間、岡村寧次は、戦犯として処刑されることを免れていることも事実。
誰もそんなこと否定してませんって。厚生省に提出されたときには「拘束」されてなかった、と言っているのです。
>事実を述べただけ。
根拠がラルフ・タウンゼント、ってことだけ記憶しておきましょう(笑)
>日本軍が支那人捕虜を殺害した資料がないということ。
これはまた、今時珍しい「正面突破」派ですね。偕行社の『南京戦史』以降、この手の主張は絶滅したと思っていたのですが。
>いつ、オマエが俺にそんな話をしたのか言えないじゃん。
Ψ(´_`)Ψ
そらとぼけてるんじゃないとすれば、自分のブログに送られたトラックバックは無視する、ということなのかな?
これは メッセージ 18519 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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Re: ウソと断定するのは、もう少し待ちまし
投稿者: cheap_thirll 投稿日時: 2007/05/23 10:55 投稿番号: [18545 / 41162]
>知らん。
「知らん」のに×にしたんですか?
>だったら具体的に示しなさいよ。
ではいくつか。
・第114師団
歩兵第127旅団
第66連隊
第1大隊戦闘詳報(12月13日)
八、午後二時零分連隊長より左の命令を受く
左記
イ、旅団命令により捕虜は全部殺すへし
其の方法は十数名を捕縛し逐次銃殺しては如何
(…)
・第16師団歩兵第33連隊「南京附近戦闘詳報」第三号附表
一、俘虜ハ処断ス
二、兵器ハ集積セシモ運搬シ得ズ
三、敵ノ遺棄死体
(表省略)
備考
十二月十三日ノ分ハ処刑セシ敗残兵ヲ含む
・陸支密一九八号
「交戦法規の適用に関する陸軍次官通牒」
・中方参第十九号
「軍紀に関する件通牒」
・陸支密受第六〇四一号 丁集参一第一四五号
「杭州占領に伴う秩序維持及配宿等に関する件」
などなど…。最後の3つは3.に対する答えにもなりますね。あなたが一生懸命否定しようとしている『岡村寧次大将陣中感想録』も、「戦史資料」として厚生省引揚援護局に提出されたものですから、公文書に準じるものだと言えましょう。
これは メッセージ 18518 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/18545.html
元日本軍兵士の証言PART 5
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2007/05/23 09:29 投稿番号: [18544 / 41162]
(社会評論社刊
南京戦
閉ざされた記憶を尋ねて)より抜粋:
戦争当時は仕方が無くて戦争に行って、だれだれ万歳とか言ったけど、実際はあんなこと誰もやりたがらなかったと思うな。やっぱり故郷の母親が一番やった。
今やっぱり戦争の事を思い出すと、心の中では涙が出るな。
向こうもこっちもいっぱい死んだ。
どっちも悪い時期に生まれたと思うし、そんなこと起きると分かっていたら、
この世に生まれてこなかったら良かったと思うな。
戦争というのはこっちも損、向こうも損や。思い出したくない気持ちやね。
思い出すと半分はやっぱり支那人に悪かったと思うな。
南京大虐殺は確かにあった。
戦後の中国にこの村でも行く人がいるけど、わしは行きたい気持ちが起きひんな。
なぜって、行ったら当時の戦争の悪いことばかり思い出すのでなかなか行く気にならんわ。
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/18544.html
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