日中関係
Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー
中国向基幹部品の禁輸、食品の輸入禁止
投稿者: stmtr314stmtr 投稿日時: 2013/01/28 14:26 投稿番号: [196064 / 196466]
日本が取るべき政策です。
中国で生産できない基幹部品の輸出を禁止
あるいは税関検査で意図的に二三ヶ月、遅くし
かつ
中国産食品の輸入を違法な薬を使っているとして
輸入を禁止する
こういう事を行えば、日中関係は良好になるでしょう
これは メッセージ 196063 (stmtr314stmtr314 さん)への返信です.
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Re: 大東亜戦争肯定論、良い本です
投稿者: stmtr314stmtr 投稿日時: 2013/01/28 13:31 投稿番号: [196063 / 196466]
左翼がクルクルパーな理由は視野狭窄だからです
それが証拠に若いときに左翼思想に染まることが多い
例えば、
歴史語る場合には非常に短いスパンに限定したり、
一地域のエピソードを針小棒大に膨らませたりする
>>
昔、二十歳頃に読みましたが、本当に良い本です。
東南アジアでも、アフリカでも、中南米でも、
戦前の日本の偉業が讃えられている、、これが真実だ
支那と属国韓国とが喚いていますが、、、、笑い
これは メッセージ 196034 (stmtr314stmtr314 さん)への返信です.
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出る途端にボコボコされた全滅馬鹿
投稿者: jm_s1960 投稿日時: 2013/01/28 12:55 投稿番号: [196062 / 196466]
「全滅、全滅」と云って、結局オマエは自身まで全滅された、なんだ?「小太郎」???(爆笑)
>ここは日本だ、<
「小太郎」ちゃん(爆笑)、「yahoo!」と「yahoo!japan」を検索しなさい。
「yahoo!」は日本のものではない、「yahoo!japan」は只、「yahoo!」の日本語版。
他人の文章を「僕ちゃんの考え」?他人の会社の場所を「ここは日本だ」と???
「小太郎」ちゃん(爆笑)、オマエは無知無識無才無能、ただのチンピラだ、全滅馬鹿と同様、出る途端にボコボコされた(嘲笑)
これは メッセージ 196051 (kjyd_ke_kotarou さん)への返信です.
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植民地から開放された感謝の言葉4
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/28 10:15 投稿番号: [196061 / 196466]
イギリスサッセックス大学教授
クリストファー・ソーン氏
「日本は敗北したとはいえ、アジアにおける西欧帝国主義の終焉を早めた。」
中華民国総統
蒋 介石氏
「南京には大虐殺などありはしない。
欽将軍も軍事報告の中で、ちゃんとそのことを記録しているはずです。
私も当時、大虐殺などという報告を耳にしたことはない。
松井閣下は冤罪で処刑されたのです。」
アメリカ黒人運動指導者
デュボイス氏
「アメリカが日本人の権利を認めてさえいれば戦争は起こらなかったはずだ。」
マレーシア首相
マハティール氏
「日本の戦争責任を問うならば、それより以前の非人間的な支配と略奪をつづけた欧米の責任はどうなるのか。
我々アジア諸国は日本が来たことで植民地支配から解放され近代化がもたらされた。」
米国国際政治評論家
ラティモア氏
「日露戦争の勝利がアジア民族解放運動の出発点であり、終着点はまさしく大東亜戦争であった。」
台湾実業家
許 文龍氏
「戦前の日本の台湾統治に対し謝罪する必要などありません。
台湾の基礎の殆どは日本統治時代に完成したものであり、日本人が来てまず治安が一挙に良くなり衛生状態も良くなった。
守るべき法ができ、税金も清朝統治時代に比べてかなり良くなった。
しかし残念な事に戦後の日本政府は、深い絆を持ちながら世界で一番の親日国家である台湾を見捨ててしまいました。
謝罪すべきは台湾を統治してきた事ではなく、台湾を見捨てた戦後の日本外交なのです。」
元マレーシア外務大臣
シャフィー氏
「とくに私が惜しいと思うのは、日本くらいアジアのために尽くした国はないのに、それを日本の政治家が否定することだ。
責任感をもった政治家だったら、次のように言うだろう。
『その頃、アジア諸国はほとんど欧米の植民地になっていて、独立国はないに等しかった。
日本軍は、その欧米の勢力を追い払ったのだ。
それに対して、ゲリラやテロで歯向かってきたら、治安を守るために弾圧するのは当然でないか。
諸君らは何十年何百年にわたって彼らからどんなひどい仕打ちを受けたか忘れたのか。
日本軍が進撃した時にはあんなに歓呼して迎えながら、負けたら自分のことは棚に上げて責任をすべて日本にかぶせてしまう。
そのアジア人のことなかれ主義が、欧米の植民地から脱却できなかった原因ではないか。』」
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植民地から開放された感謝の言葉3
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/28 10:14 投稿番号: [196060 / 196466]
インド
ラダ・ビノード・パール判事
「欧米諸国は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示する目的であったにちがいない。
日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、退廃に流れていくのを、私は平然と見過ごす訳にはゆかない。
誤られた彼らの宣伝を払拭せよ。
誤られた歴史は書き換えられなければならない。」
フランス人ジャーナリスト
ベルナール・ミロー氏
「日本の英雄達は、この世界に純粋性の偉大さというものについて教訓を与えてくれた。
彼らは1000年の遠い過去から今日に、人間の偉大さというすでに忘れ去られてしまったことの使命をとり出して見せつけてくれたのである。」
アメリカ軍硫黄島司令官
スプルアンス氏
「アメリカの青年たちよ。
東洋にはすばらしい国がある。
それは日本だ。
日本には君達が想像もつかない立派な青年がいる。
ああいう青年がいたら、やがて日本は世界の盟主になるに違いない。
奮起しろ」
フィリピン
ディゾン画伯
「今から35年前に私は神風特攻隊の本を読みました。
涙がとまらなかった。
こんな勇気や忠誠心をそれまで聞いたことがなかったからです。
同じアジア人としてこのような英雄がマバラカットと私の町アンヘレスで誕生したことを誇りに思っています。」
アメリカ太平洋艦隊司令長官
ニミッツ元帥
「この島(ぺリリュ―島)を訪れるもろもろの国の旅人達よ。
故郷に帰ったら伝えてくれよ。
この島を守るために日本軍人は全員玉砕して果てた。
その壮絶極まる勇気と祖国を想う心根を!」
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植民地から開放された感謝の言葉2
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/28 10:14 投稿番号: [196059 / 196466]
イギリス歴史学者
H・G・ウェルズ氏
「この大戦は植民地主義に終止符を打ち白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石を置いた。」
イギリス歴史学者
アーノルド・J・トインビー氏
「第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。
その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。
日本人が歴史上に残した業績の意義は西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。
イギリス最新鋭の戦艦2隻が日本により撃沈された事は、特別なセンセーションを巻き起こす出来事だった。
それはまた、永続的な重要性を持つ出来事でもあった。
なぜなら、1840年のアヘン戦争以来東アジアにおけるイギリスの力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。
1941年、日本はすべての非西洋国民に対し、西洋は無敵ではない事を決定的に示した。
この啓示がアジアの志気に及ぼした恒久的影響は、1967年のベトナムに明らかである。」
ビルマ元首相
バ・モウ氏
「真実のビルマの独立宣言は1948年の1月4日ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、真のビルマ解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、東条大将と大日本帝国政府であった。
約50年前ビルマは三度に渡る対英戦争の結果、その独立を失った。
イギリス側はアジアに対する侵略的野望を以ってこれらの戦争を遂行した。
愛国者は挺身的精神を以って鎮圧する為、捕まったり殺されたりする事を恐れずに戦った。
これら英雄達はビルマ生き残りをかけて戦うが遂には負けてしまった。
ビルマ人は、アジアを一つにまとめアジアを救う指導者をずっと待ち望んでいたが、遂にその指導者なる大日本帝国が立ち上がってくれた。
ビルマ人が我が国に対する最大の貢献をしてくれた日本への感謝を永遠に忘れない事を希望する。」
韓国
朴 鉄柱氏
「大東亜戦争で日本は敗れたと言うが、敗れたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。
彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。
『戦争に勝った負けたは、戦争目的を達成したかどうかにより決まる』とは、クラウゼビッツの戦争論である。
日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。
日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ『聖なる戦争』であった。
二百数十万人の戦死者は確かに帰って来ないが、しかし彼らは『英霊』として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。」
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植民地から開放された感謝の言葉1
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/28 10:12 投稿番号: [196058 / 196466]
タイ王国元首相
ククリックド・プラモード氏
「日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。
日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のお陰であるのか。
それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。
12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。
我々はこの日を忘れてはならない。」
インド元大統領
ラグ・クリシュナン氏
「インドは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどという事は想像も出来なかった。
それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈した。
驚きもしたが、この快挙によって『東洋人でもやれる』という気持ちが起きた。」
インドネシア元首相
モハマッド・ナチール氏
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。
大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。
本来なら私達インドネシア人が独立の為に戦うべき戦争だったと思います。
もしあの時、私達に軍事力があれば私達が植民地主義者と戦ったでしょう。
大東亜戦争とはそういう戦いだったのです。」
インドネシア元情報宣伝相
ブン・トモ氏
「我々アジアやアフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが、すべて失敗した。
インドネシアの場合は350年間も失敗が続いた。
それなのに、日本軍がアメリカ・イギリス・オランダ・フランスを我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。
我々は白人の弱体と醜態ぶりを見て、アジア人全部が自信を持ち、独立は近いと知った。
一度持った自信は決して崩壊しない。
日本が敗れた時、
『これからの独立は自力で遂行しなければならない。自力でやれば50年はかかるだろう』
と思っていたが、独立は意外にも早く勝ち取る事が出来た。」
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植民地解放戦争論5
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/28 09:54 投稿番号: [196057 / 196466]
その後9月15日より始まるアメリカ軍との死闘の末、「サクラ
サクラ」の電文(重要機密書類の廃棄後に全軍玉砕、の暗号)を日本本土へ打電した後、日本軍守備隊は玉砕しました。
戦闘が終わり島へ帰ったパラオ人達の目に映ったのは、この間まで一緒に過ごしていた日本兵達の遺体の山、そしてアメリカ兵達の遺体の山でした。
その時、島に帰った彼らは確かに見たのです。
「アメリカ人は日本人の遺体には見向きもせず、自国兵の遺体だけを整理した。
我らはここに、征服民族の本性を見る。」
その後彼らは日本兵の遺体をすべて手厚く葬り、日本人達がいつ来てもいいようにと、その後も墓地の清掃を心掛けているといいます。
現在パラオ共和国で使用されている切手には日本軍戦闘機が描かれており、パラオ国旗は「水色地に黄色い丸」で、これは日本国旗である「日章旗」をモチーフにデザインしたもので、太陽(日の国である日本の意)に照らされた青い海の上の月をイメージし、中心に「丸」を持ってくると日章旗と同じになる事をおそれ多いとし、少し左にずらしてあります。
1990年代には、日本敗戦後にアメリカ軍により取り壊された「南洋神社」「ぺリリュー神社」がパラオ人の手によって再建され、パラオ本島とコロール島を結ぶ連絡船(戦後日本の資金援助により建造)の名前をパラオ人は「YAMATO」と命名しています。
当然これらは日本人が押し付けたものではなく、パラオ人自らが決定したものです。
日本は自国はもちろんアジアを守る為に必死に戦いましたが、遂には白人達に敗れてしまいました。
しかし、開戦当初の「大東亜共栄圏」の理念によるアジア解放の本当の意味での戦いには勝利を収めたのかもしれません。
日本人やアジア諸国の勇気の末、白人達はすべての植民地を失ってしまったのですから・・・・
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植民地解放戦争論4
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/28 09:53 投稿番号: [196056 / 196466]
パラオ共和国
パラオ共和国は南洋のマリアナ諸島にある、珊瑚礁が美しい小さな島国です。
ここもまた大東亜戦争時には激戦地となった場所です。
パラオは第一次世界大戦までドイツ領でしたが、ドイツが敗戦した後に国際連盟からの委任により、1914年(大正3年)から31年間日本統治下に置かれました。
日本統治となったパラオに対し、政府は農業を促進し、缶詰工場等を建設し雇用を促進、道路の舗装をはじめ電気や電話を通し、日本式教育方法等インフラ整備を積極的に行いパラオ人すべてに伝染病数種の予防接種を受けさせ、日本国民として対応しました。
パラオの人々は
「日本式の学校教育は厳しかったが、小学校1年生になると全員が掛け算の九九を暗記し、文字の読み書きが出来るようになった」
と当時を振り返ります。
パラオでは現在でも神輿(みこし)をみんなで担いで日本式の祭を行っており、昭和天皇即位六十周年記念祭や今上天皇即位二十周年記念祭を行っているほど、日本文化が根付いています。
大東亜戦争時の1944年(昭和19年)9月、ペリリュー島には日本軍守備隊が地下要塞を築き上げ、迫り来るアメリカ軍を待ち構えていました。
パラオ人は日本兵と共に生活し仲良くなり、日本の歌を教わり一緒に歌ったりして楽しく過ごしていました。
アメリカ軍との戦いを目前にパラオ人達は相談し、日本軍と共に戦う事を決意します。
そしてパラオ代表ら数名が日本軍守備隊指揮官・中川州男(なかがわ くにお)大佐にその事を申し出ます。
ところが中川はそれを聞くなり激高し
「我ら帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
と叫びました。
日本人は仲間だと思っていたパラオ人達は裏切られた思いで、みな悔し涙を流しながらがっかりしました。
数日後、戦闘を前に避難のするため船に乗って島を離れる時がきましたが、日本兵は誰一人見送りに来ませんでした。
「やはり日本人は我々を見下していたのか・・・」
パラオの若者達は再び肩を落とし、悔しさと悲しみにくれて船を出発させました。
船が島を離れた瞬間日本兵全員が浜に走り寄り、共に歌った日本の歌を歌いながら手を振り彼らを見送りました。
なんとその先頭には、笑顔で手を振る中川の姿がありました。
その時彼らは初めて中川の気持ちを悟りました。
あの時の言葉は、自分達を救うためのものだったのだと・・
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植民地解放戦争論3
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/28 09:53 投稿番号: [196055 / 196466]
その後大東亜戦争に敗れた日本軍は、インドネシアから撤退する事となります。
そこへまた、オランダ・イギリスをはじめ白人達がインドネシアを取り戻そうと攻め込んで来ましたが、そこには日本に帰らなかった日本軍将兵達がいました。
なんと彼らはインドネシア人達に、
「我々は日本には帰らない。
我々にはこのインドネシアの独立を果たす義務と責任がある。」
と言い、残った弾薬をかき集めて自分達が軍事訓練をしたインドネシア人達に渡し、銃だけではなく日本刀や竹槍、毒矢等まで使ってインドネシア人と共に戦ったのです。
それを見たインドネシア人の群衆も「ムルデカ(インドネシア語で独立の意味)」を合言葉に勇気を振り絞り、共に白人達へ立ち向かったのです。
そして遂にその勇気に恐れをなしたオランダ・イギリス軍は、インドネシアから撤退を余儀なくされたのです。
こうしてインドネシア人と共に戦い、インドネシア独立を見届けた日本軍将兵達はその後日本へ帰った者もいましたが、生涯をインドネシアで過ごした人もいました。
そして現在でも、独立記念日のパレードでは日本の軍歌が誇らしげに歌われ、独立戦争で命を落とした日本人のお墓へみんな揃って花を供え、日本人に感謝の誠を捧げています。
ちなみに独立戦争で戦死した日本人の墓石は、インドネシア人の墓石より大きく、日本人の墓石に向かってインドネシア人戦死者の墓石が整列する形で並べられています。
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植民地解放戦争論2
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/28 09:52 投稿番号: [196054 / 196466]
インドネシア独立
インドネシアは350年以上もオランダの植民地になっており、その文明はかなり遅れたものでした。
彼らはインドネシア語の使用を禁じられており、オランダ語の使用を強いられていました。
また彼らはオランダ人の奴隷のような生活を強いられていました。
一説によれば彼らの平均寿命は35歳にまで低下し、文字を読み書きできる人はインドネシア全人口でわずか5%程だったと言われています。
そのインドネシアには、12世紀頃の国王ジョボヨヨによる一つの言い伝えがありました。
「今に北方より黄色い強者が白い布をまとい空から降り、圧政者を追放してくれるだろう」
その後日露戦争での日本の勝利を耳にしたインドネシア人達は、その黄色い強者が日本軍の事だと、にわか信じるようになっていきます。
そして30数年後、大東亜戦争開戦によりオランダ軍制圧のために空から降りて来たのは、白い落下傘に身をまとった黄色人種である、無数の日本軍兵士達でした。
日本軍空挺(落下傘)部隊を見た彼らは、
「これがまさに伝説の白い布をまとった黄色い救世主だ」
と思ったと言います。
インドネシアに降り立った日本軍は、わずか9日あまりでオランダ軍を追い払ってしまいました。
その後駐留した今村 均(いまむら ひとし)陸軍中将をはじめとする日本軍は、オランダ軍が降伏する直前に破壊した石油施設を復旧させると、オランダ統治時代の約半額で石油を販売して、それまで許されていなかった様々な物造りを教育し、一日でも早くインドネシア人が自立できる環境を作り、インドネシアの工業発展に貢献します。
また、道路を整備したり鉄道をひいたり、学校を設立し子供たちを教育したりインフラ整備に努めると共に、青年道場を設立しインドネシア人にオランダが禁止していた軍事訓練を施し、銃の使い方を教えペタ(祖国防衛義勇軍)を結成させ、それまでオランダ語を強要されてきた彼らにインドネシア語を使うよう命じました。
つまり彼らに、民族の誇りと自信を持つ事が独立への第一歩であると教育したのです。
こうして今村中将率いる日本軍のもとに軍事教育を受けた青年達は、後の独立戦争時に結成される軍事組織で中心的な役割を果たすことになります。
同時期に日本はインドネシア独立の方針を推し進め、インドネシア国旗の掲揚と国歌の斉唱を解禁し、独立準備委員会を発足させ、オランダにより流刑されていたスカルノやハッタ等の指導者を呼び戻し、インドネシア独立宣言をさせました。
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植民地解放戦争論1
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/28 09:51 投稿番号: [196053 / 196466]
インド国民軍退役軍人デロン中佐は、その後日本に手紙を出しています。
「日本はインドにとっては良い国だと思います。
日本はチャンドラ・ボーズと共にインド独立の為に戦ってくれました。
これははっきり言えます。
インドは日本軍の犠牲により独立する事が出来たのです。
もしあんなに犠牲者を出さず、又インド国民軍に協力しないでインドに進出した場合、インドの軍(イギリス軍インド部隊)は自分達の方針を変えなかったでしょう。
25万のインドの軍が方針を変え、チャンドラ・ボーズの軍となったことにより、イギリスから独立することが出来たのです。
私達は常に日本に対し感謝の気持ちを持っています。
最後にもう一度、ありがとうございました。」
インド最高裁弁護士P・N・Lekhiの手紙
「太陽の光がこの地上を照らす限り、月の光がこの大地を潤す限り、夜空に星が輝く限り、インド国民は日本国民への恩は決して忘れない。」
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Re: 懲りないブタ男
投稿者: higatamadawa 投稿日時: 2013/01/28 08:58 投稿番号: [196052 / 196466]
>ここは日本だ
buu 見事ハズレましたな。
ここは日本ではありません。ネット世界ちゅうところです。オマエの脳内プログラムを
アップデートすべし。
これは メッセージ 196051 (kjyd_ke_kotarou さん)への返信です.
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懲りないバカ中国人
投稿者: kjyd_ke_kotarou 投稿日時: 2013/01/28 05:36 投稿番号: [196051 / 196466]
jm_s1960
↑
このバカは、真性のバカだね、チャンコロらしいバカだ、アハハ。
あのな、チャンコロ。
ここは日本だ、一般的な日本人がcheckをチェックと発音しているんだよ、文章上に書く場合もチェックが一般的だ。
オマエがそれでもチックと発音したいし、書きたいなら、そうしてろ、バカ
他についても同じだ、好きにしてろ、アハハ。
話は変わるけど・・。
日曜日から月曜日にかけての深夜に、つまらない細かい事でああだのこうだのとやりあったり、現実には起こり得ないような事について、ああだのこうだの
とやりあったり、相手と自分の考え方の違いや認識の違いを突っつき合って、ああだのこうだの、、、、、、、、、、
ホント、暇なんだね、ここの連中って
ひょっとして、全員が人生をリタイアした老いぼれか?
新しい一週間が始まってんだよ、仕事の戦闘モードに入る為の休息の時間に、何をしてんだ?お前らは。
勝手に馬鹿を晒してろ、バカども、やってらんねえよ、もう
これは メッセージ 196049 (jm_s1960 さん)への返信です.
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出る途端にボコボコされた全滅馬鹿
投稿者: jm_s1960 投稿日時: 2013/01/28 03:11 投稿番号: [196050 / 196466]
>チャンピオンを「チャンピョン」って書いてた「紅おこぜ」の兄弟か?<
馬鹿!英語を全然わからない馬鹿。
「チャンピオン」は英語で「Champion」のことだ。
全滅馬鹿、説明しなさい:
「Champion」の中に「m」は「ン」と発音する???
「Champion」の中に「m」と「n」は同じ「「ン」と発音する???
日本人は「m」を「エム」と発音するが、なぜ、「n」が「エーン」ではなく、「エヌ」と発音する???
「Champion」は「チャンピオン」ではなく「チャンピョン」の方がより近い。
アメリカ人に言え:【「一、二、三」は日本人が「ワーン、ツー、スリー」と発音だ、パパ達の「ワーン、トォ−、ソリー」の発音は間違ってるの】とこんなに吠える(爆笑)
馬鹿なオマエの舌は短いね(嘲笑)
>おまけ、、中国共産党の代弁者のようなオマエの愚説は読む価値も無い。
何故なら、嘘と捏造にまみれてデタラメだからだ、そんなもの三流のエロ芸能週刊誌よりタチが悪い。<
整理した資料は全て日本からの報道したもの、「嘘と捏造にまみれてデタラメ」なら、全て日本の報道だ。
な〜、馬鹿なオマエは反論の知識もなく、能力もなく、ただ、ただ、ネットで他人のブロックから盗用したものを「僕ちゃんの考え」「真面目に書いた」と、こんな奴が社会人と思わない、最低な野郎だ。
女々しい奴は玉が持ってる?
俺の息子のことをどうのこうの言うが、オマエは子供を作る能力が持ってる?
寂しくて毎晩、毎晩、2時間毎にマスターベーションしたのが馬鹿なオマエだ。
これは メッセージ 196003 (チャンコロ全滅 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/196050.html
出る途端にボコボコされた全滅馬鹿
投稿者: jm_s1960 投稿日時: 2013/01/28 02:17 投稿番号: [196049 / 196466]
>安倍さんがいつ病院に入った?<
脱税疑惑に関して安倍氏は病院に入ったかどうか、いつ入ったもどうでもいいだが、問題はオマエが即刻低能児学校に戻れ!
>チックとかチックインって、なんじゃらホイ?
馬鹿、「なんじゃらホイ」がなんじゃらホイ?
13億の3%を400万と計算したオマエは小学校の算数も解らない、勿論英語はもっと難しいだろ?それは、紅おこぜさんに馬鹿されても仕方がないね。
元々外来語なので、日本人の口から発音が間違っても可笑しくない、まー、外来語だから、より近いの方がいいじゃない?
「チック」を英語で「Tick」と発音する、「Tick」の意味:
1 (答案の正解やリスト項目の確認を示す)チェックマーク((((英))check)。
馬鹿、わかる?
>「チックオア」トってなんだ?「チェックアウト」だろ?<
だから、言ったのに、日本人の発音は可笑しいです。
「アウト」は英語で「Out」のことだが、「O」は「ア」と発音ではなく「オ」と発音だろう。
「オアト」(オァト)の発音は「アウト」より「Out」に近いだろう。
「一、二、三」は英語で「One two
three」ですが、日本人はなぜ、「ワーン、ツー、スリー」と発音か???
特に、
「two」は「ツー」ではなく「トォ−」の方が近いだろ?
「three」は「スリー」ではなく、「ソリー」の方が近いだろ?
馬鹿なオマエはアメリカ人に向いて:【「一、二、三」の発音が「ワーン、ツー、スリー」だ、パパ達の「ワーン、トォ−、ソリー」の発音は間違ってるの】とこんなに吠える(爆笑)
全滅馬鹿、小学校の算数をわからない、英語をしらない、偽名を大量に作って、他人の文章を「僕ちゃんの考え」と恥知らず言う。
さらに、「嫌なら反論すれば?」、まったくわからんが、オマエは他人の文章を盗用した、なぜ、俺は全然知らない他人を反論する???オマエの卑怯なやり方を指摘しただけが。
最近、自慢な「FX」は???
俺の「2、3質問」に関して、オマエは「受ける」、「受けない」と答える勇気もなかった。女々しい奴、玉を持ってないだろ(嘲笑)
2、3日に叩かないと又調子を乗るな!馬鹿!!!
これは メッセージ 196003 (チャンコロ全滅 さん)への返信です.
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Re: 海外派兵と独立運動弾圧(1)
投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2013/01/28 01:32 投稿番号: [196048 / 196466]
>第一次世界大戦後、脱・植民地化が
歴史の潮流として
広がり、
民族運動が
世界的な高まりを示すなか
白人の白人による白人の為の「脱・植民地化」であり「民族自決」を認めたものであってそれ以外は全く持って相手にされておりませんが。
それを少しでも改善しようと頑張った日本ですが…まぁ貴方それを「日本地位向上のため」と鼻で笑っておりますが
>たちまち数万の群衆デモとなった
日本統治時代では万単位の群衆デモはこれ位しかないのに南半分になった韓国では日常茶飯事ですね。
つまりお前さんの言を借りれば朝鮮政府は朝鮮総督府以上に自国民を苛めぬいている…という笑えない話なんだが
>独立運動は、日本の
徹底した武力弾圧によって
鎮圧されたが
ウィキを例示にあげた以上これも読んでおりますよね
「警察署・村役場・小学校等が襲われ、放火・投石・破壊・暴行・惨殺も多数行われ、暴徒化していった」
襲撃による日本側の被害を挙げると、人的なものは官憲の死者8名、負傷者158名であり、物的なものは駐在所159(警官のもの87、憲兵のもの72)、軍・面事務所77、郵便局15、その他諸々27であったといわれる。
治安維持上こう言うのを「徹底した武力弾圧によって鎮圧」しない政府ってどこにあるのでしょうね?
これは メッセージ 196042 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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Re: 『植民地解放戦争』論(3)
投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2013/01/28 01:22 投稿番号: [196047 / 196466]
>戦前・戦中、思想弾圧に
威力を振るったのは
治安維持法だった。
公式の記録では
送検者75,681人、起訴5,162人
となっているが、
明治期制定の警察犯処罰令など
一連の治安法規も含めた逮捕者は
じつに
数十万人にも達したとされる。
あなたがあげた数字が仮に正しとしますが近代化などに伴う混乱により政府による弾圧…というよりも虐殺の数字は日本の逮捕者のそれと比べれば桁違い場合よっては段違いですが。
つまりは諸外国では数百万、数千万、数億の死傷者を出して直成功しなかったものを日本の場合は数十万の逮捕者ですんだ…というのは日本が極めて穏当に事を運んだ証でしかありませんが。
これは メッセージ 196027 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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海外派兵と独立運動弾圧(5)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/28 01:11 投稿番号: [196046 / 196466]
当時の日本帝国に、植民地解放の志向が
あったのならば、
戦争を引き起こすよりも前に、国際社会に対し
敢然として
繰り返し
「植民地の解放・独立」を
訴えていたはずだ。
また、誰よりも率先して
自ら
植民地支配を解消しただろう。
民族主権を尊重するなら
他国への派兵を厳に慎んだはずだ。
しかし、日本帝国が
そのような行動とることは一切なかった。
靖国教団信者が
「解放戦争」
と賞賛する
太平洋戦争。
その戦争は、泥沼化した日中戦争の
延長上にあった。
ナチス・ドイツは、39年にポーランドに侵攻。翌40年6月には
フランスが降伏した。
この電撃的な侵攻は
世界を震撼させた。
当時、中国との戦争が
長期化・泥沼化していた日本は、
ドイツの
欧州での戦争を、日中戦争打開の好機
ととらえた。
対ドイツ戦争で弱っているイギリス、フランス、オランダが持つ
アジア太平洋の植民地を、武力行使により支配下におこうとした。
フランス降伏の翌月、日本は
大本営政府連絡会議で、アジアでの
武力行使方針を決定。
さらに「皇国の大東亜新秩序建設のための
生存圏について」
を決定。
「独伊との交渉において、皇国の
大東亜新秩序建設のための
生存圏として
考慮すべき範囲は、
日満支を
根幹とし、旧独領委任統治諸島、仏領インド
及び
同太平洋島嶼、タイ国、英領マレー、英領ボルネオ、蘭領東インド、
ビルマ、豪州、ニュージーランドならびにインド等とす」
とした。
これらの方針のどこにも
植民地解放の理念は
示されていない。
日本は、ドイツと組んで
世界戦争に
参戦することで、
世界秩序を
一変させ、日中戦争の打開を
はかろうとしたのだ。
イギリス、フランスなどのアジアの植民地を『生存圏』としたのは、
その世界戦争のための
資源を獲得するために
ほかならなかった。
40年9月、日独伊三国同盟を結ぶのと
ほぼ同時に、日本軍は
フランス領北部インドシナに進駐。
41年7月の御前会議では、
さらなる「南方進出」
方針を打ち出し、「対英米戦を辞せず」と
決定(「情勢の推移に伴ふ帝国国策要綱」)した。
続いて
フランス領南部インドシナへの
武力侵略を
開始した。
もちろん、そこに
「民族解放」
の目的など存在していなかった。
南方進出方針を承認した
昭和天皇でさえ、この手法について
「相手方の弱りたるに乗じ要求を為すが如き所謂火事場泥棒式」
と語っていた
(『木戸幸一日記』)。
天皇も「火事場泥棒」
のようだと評した
日本の南方進出に対し
国際社会が
石油の禁輸措置などの
制裁策をとったのは、
当然のことであった
と言えるだろう。
「大東亜戦争」
の最中、1943年5月の大本営政府連絡会議では、
占領した南方諸地域に対する方針「大東亜政略指導大綱」
を決定。
そこでは、東南アジアの扱いについて、「マライ、スマトラ、ジャワ、
ボルネオ、セレベスは
帝国領土と決定」
する
と明記されている。
その他の地域についても、「満州国」
並みの政府を
作らせ、
「独立」
の形をとるが、日本の支配権は
確保する
とした。
「帝国領土」と
傀儡政府づくりとの
この仕分けそのものは、
情勢の変動とともに変化するが、各地域に
どちらの支配形態を
割り当てようと、東南アジアを
日本の支配下に置く
という方針は
終始一貫していたのだ。
これが、靖国教団が流布する大本営発表=「アジア解放の聖戦」の
実相であり、隠しようのない
歴史の真実だ。
これは メッセージ 196045 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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海外派兵と独立運動弾圧(4)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/28 01:09 投稿番号: [196045 / 196466]
朝鮮では、その後も独立運動が続き、3・1運動から10年間に
「6・10万歳運動」や
「光州学生運動」
などが
起きた。
日本は、大量の警察官を
内地から半島に派遣し、1919年の
6,387人から
翌年には
20,134人へと急増させるなど
朝鮮全土に
軍や警察を配置し、独立運動の監視体制を強化した。
西大門刑務所には
数多くの独立運動家が収容され、処刑された。
朝鮮総督府警察は、日本内地の警察にはない
機関銃や野砲などの
重装備を保有し、準軍事組織的性格を
有していた。
植民地支配強化に血道をあげていた
軍国日本の
いったい何処に
「民族解放」・「独立推進」
の志向があった
と言うのだろうか。
そもそも
日本帝国が
どれほど熱心に
国際社会に対して
植民地の独立促進を
訴えていたというのか。
「植民地解放のための正義の戦争」
であったという宣伝文句を
臆面もなく
垂れ流すのならば、その事実を
提示すべきであるし、
自国の植民地を
最後まで解放しなかった理由を
明確にすべきだ。
内外の植民地解放運動を
武力によって
徹底的に弾圧した事実
のみならず、他国への派兵による
軍事行動の拡大という事実が、
当時の日本帝国には
民族主権の尊重や
植民地解放の志向など
まったくもって
存在していなかったことを
証明している。
他国の主権を尊重する意志が
少しでもあったならば、軍事力を
背景とした威嚇、挑発などは、厳に
慎むべきものだったはずだ。
靖国信徒などによると
日本軍の中国大陸への派兵、武力行使は
反日行動からの邦人居留民の保護
という口実も
あるらしいが、
そもそも
中国人民に反日機運を醸成し、さらに
軍事的緊張を
極限まで高める要因を作った責任は誰にあったかを考えるべきだ。
他国を不平等条約のもとで半植民地化に等しい状況に置きながら、
軍事的に挑発し、戦争に追い込んだのは誰かを考えてみるべきだ。
太平洋戦争の原因についても、米英などによる経済封鎖によって
日本が追い詰められた結果、自衛のため
やむなく起ち上がった
という口実が、靖国宣伝部によって
垂れ流されることがある。
その原因を作ったのも日本の軍事行動、他国への侵略行為であり
国際社会からの経済制裁を招いた責任は
自らにあったものだ。
戦争の原因を作った側が、「自衛」を口実にするのは、厚顔無恥だ。
これは メッセージ 196044 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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海外派兵と独立運動弾圧(3)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/28 01:09 投稿番号: [196044 / 196466]
1919年に起きた
朝鮮民衆による
「3・1独立運動」
は、
中国の
学生や文化人たちにも、大きな影響を
与えた。
同年
5月4日、北京市内で
大学生たちが反日デモを実施した。
当初、5月7日の
国恥記念日を予定したが、日曜日のこの日に
変更した。
天安門広場には、約3,000人の学生が集まった。
プラカードには
「21か条を取り消せ」、「山東半島を返せ」、
「青島を返せ」
などと書かれていた。
日本は、ドイツ軍を破って
山東を占領したとき、中国や世界に
「山東は中国に返す」
と約束していたが、占領を継続したうえ、
パリで開かれた
第一次大戦の講和会議において
日本は
この山東半島の
領有権を要求し、列強に
認めさせていた。
もちろん、中国政府は
反発し、講和会議で
調印を拒否した。
中国の国民は
こうしたいきさつから、日本に対する
怒りを
募らせていたのだ。
学生たちは、市民に
ビラを配りながら
まず、日本公使館へ抗議しに行こうとしたが
警察に阻まれた。
逮捕者も出たが、多くの市民が
学生たちに
同調し、やがて
日本商品のボイコット運動など
排日運動が
続くことになる。
石橋湛山は、1921年7月21日付
『東洋経済』社説で
「一切を棄つるの覚悟」と題し、次のように
主張している。
我が国の総ての禍根は、小欲に囚われていることだ。(中略)
もし政府と国民に、総てを棄てて掛かるの覚悟があるならば、
必ず我に有利に導きえるに相違ない。例えば、満州を棄てる、
山東を棄てる、支那が我が国から受けつつありと考えうる
一切の圧迫を棄てる。
また朝鮮に、台湾に
自由を許す。
その結果はどうなるか。
英国にせよ、米国にせよ、非常の
苦境に陥るだろう。何となれば、彼らは日本にのみかくの如き
自由主義を採られては、世界における
その道徳的地位を
保つ得ぬに至るからである。そのときには、世界の小弱国は
一斉に
我が国に向かって
信頼の頭を下ぐるであろう。
武力による他国への圧迫を止め、自ら進んで
植民地支配を止める。
そうすれば、日本の道徳的権威が高まるのみならず、世界列強による
植民地政策さえも転換せざるを得なくなる――
石橋の主張は明快だ。
残念ながら
当時の日本は、石橋が言う「小欲」に
囚われ続けた。
満州や山東半島の権益を捨てず、朝鮮や台湾に自由を許さなかった。
そして、道徳的権威を
投げ捨て、自ら血なまぐさい戦争に走った。
結果、数多の命を失い、国土を焦土とし、惨敗するに至った。
アジア諸国の解放・独立は、そうした「小欲」にとらわれた日本帝国の
敗北・崩壊によって
もたらされた
副産物にすぎない。
歴史的事実にてらせば、日本帝国に
民族独立・植民地解放の志向など
存在しなかったことは明白だ。日本軍が引き起こした戦争がきっかけで
植民地独立が
早まったとしても、それは
「結果論」
に過ぎない。
いまさら、植民地解放戦争だった
などと、虚言を吐くのは恥知らずだ。
これは メッセージ 196043 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/196044.html
海外派兵と独立運動弾圧(2)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/28 01:08 投稿番号: [196043 / 196466]
1919年に朝鮮半島で起きた民衆運動
「3・1独立運動」では、
当初、日本軍は、ただちに市民集会やデモを
解散させようとした。
しかし、独立を叫ぶ民衆の声は
朝鮮全土に拡大する一方となった。
当時の原敬首相は
ことの重大性に驚愕し、ただちに
3月11日、
朝鮮総督に対して
至急報で
次のように
命令を出した。
「今回の騒擾事件は、内外に対し
表面上には極めて軽微なる問題
とみなすを必要とす。
しかれども、裏面においては、厳重なる
処置をとり、将来再発なきよう期せられたし。ただし、その処置
については、外国人の最も
注目する問題なるにより、いやしくも
残酷苛察の批評を
招かざることに、十分注意されたし」
表面上では
朝鮮人民の独立運動を
「軽い問題」
として扱い、
その裏では
厳重に対処して
再発しないよう抑え込む。ただし、
対処の仕方は
外国から批判されないよう
十分に注意せよ――
日本政府が示した対応からは、朝鮮民族の主権尊重や植民地支配
から解放しようなどという志向は、一片も
見出すことはできない。
命令どおり、現地では「厳重な処置」がとられ、警察だけでなく
軍まで出動し、鎮圧で多数の死傷者、投獄者を出す事態となった。
一方、「内外に対し表面的には軽微なる」もの、つまり
一部の
「不逞鮮人が起こした暴動」
に過ぎない、との宣伝が流布され、
独立を求める大規模な民衆運動
という本質は、巧妙に隠された。
日本の国内世論は、3・1運動を「一部の暴動」とみなす論調が
圧倒的だったが、ごく一部には
運動に同情を寄せる識者もいた。
たとえば、大正デモクラシーの
主導者のひとり
吉野作造は、
『中央公論』などに
朝鮮総督府の失政を糾弾し、朝鮮の人々に
政治的自由を与え、同化政策を放棄せよ
との主張を
発表した。
また
孫文との交友で知られる
宮崎滔天は、朝鮮の独立運動を
「見上げたる行動」
と評価し、朝鮮の人々の自由と権利を尊重し、
独立を承認すべきである
と述べている。
このほか、石橋湛山なども
運動への理解を
表明している。
しかし、そうした主張は
少数派であり、黙殺・排斥された。
朝鮮民衆の独立運動は、日本軍の鎮圧により
押さえ込まれた。
しかし、日本政府は
朝鮮民衆の
抵抗の根強さと、ひそかに
海外に脱出した
朝鮮人が、日本軍の残虐な武力弾圧の数々を
世界に
公表したことによる
国際世論からの攻撃を
恐れて、
従来の
統治方針を
大きく
改めざるを得なくなった。
原内閣は、習慣を破り
陸軍出身に代えて
海軍関係者を
朝鮮総督に
任命し、憲兵警察に代わって
普通警察とし、
官吏や教員も
帯剣をやめた。
同時に、統治に有害でない
という条件つきで
『朝鮮日報』や
『東亜日報』などの
朝鮮文字の新聞の発行も
検閲付ながら認めることになった。
これは
3・1運動による、数少ない「成果」
だった。
これは メッセージ 196042 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/196043.html
海外派兵と独立運動弾圧(1)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/28 01:07 投稿番号: [196042 / 196466]
当時の日本帝国に、本当に「植民地解放」の志向が
あったなら、
世界に先駆けて
それを
率先、実行していたはずだ。
しかし、
現実は
逆であり、例えば
朝鮮では、自主権回復・独立を求め
運動が繰り返されたが、その都度
徹底した武力弾圧が行われた。
有名な例では、朝鮮全土で展開された「3・1独立運動」
がある。
第一次世界大戦後、脱・植民地化が
歴史の潮流として
広がり、
民族運動が
世界的な高まりを示すなかで、1919年3月1日、
ソウル、平壌、開城などの都市で『独立宣言』が読み上げられた。
公園に集まった学生たちが
「独立万歳」を唱和しながら
行進。
その隊列に
市民が合流して
たちまち数万の群衆デモとなった。
この独立運動は、3月中旬には
朝鮮の全土に
拡大していった。
参考として、ウィキペディアの解説を抜粋して
以下に引用する。
【三・一運動】
1919年3月1日に
日本統治時代の朝鮮で起こった運動。
(中略)
中心となったのは
天道教やキリスト教、そして
仏教の指導者たちである。
彼等は会合を重ね
大衆化・
一元化・非暴力の
三原則を取り決めた。(中略)
独立宣言は、以下の
一文から
始まっている。
「我らはここに、我が朝鮮が独立国であり朝鮮人が自由民
である事を
宣言する。
これを以て
世界万邦に
告げ
人類平等の大義を克明にし、これを以て
子孫万代に告げ
民族自存の正当な権利を
永久に所有せしむるとする。」
タイトルに、そして冒頭の一文に明確に述べられているように、
この宣言書は
何よりも朝鮮が独立した国家であること、及び
朝鮮人民が
自由であることに重きを置いたものであり、
そして
それは
「人類平等の大義」と
「民族自存」という
原理に基づくものとして
捉えられている。
(中略)
パゴダ公園には
数千人規模の学生が集まり、その後市内を
デモ行進した。
道々「独立万歳」と叫ぶデモには、次々に
市民が参加し、数万人規模となったという。
(中略)
朝鮮半島全体に広がり数ヶ月に渡って示威行動が展開された。
朝鮮総督府は警察に加え軍隊も投入して治安維持に当たった。
以上、ウィキの解説から
引用したものだ。
独立運動は、日本の
徹底した武力弾圧によって
鎮圧されたが、
この運動の影響は
大きく、同年4月の
インドの非暴力運動や
同年5月に起きた
中国の
五・四運動などの
先駆けとなった。
そして、支配国である
日本帝国自身にも
大きな衝撃を与えた。
ただし、日本国内では、この独立運動は
詳しく報じられず、
朝鮮人に共感を寄せたのは、白樺派の柳宗悦ら少数にとどまった。
もとより
当時の日本に
植民地解放の意志などは
微塵もなく、
独立という朝鮮民族の悲願は、結局
日本の敗戦、皇軍の壊滅を
待たなければ、実現されなかった。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/196042.html
Re: 『植民地解放戦争』論(5)
投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2013/01/28 01:04 投稿番号: [196041 / 196466]
>日本が突きつけた
21か条要求に対し、中国総統の
袁世凱が
「日本は、ヨーロッパ諸国が
戦争で、東洋のことをかえりみる
いとまがないのを
絶好の機会にし、この要求をして、わが国を
制圧しようとしている。
特に第5号は
中国を朝鮮と同じように
扱うものである」
と強く非難したのは、いたって
当然だった
ダウト。欧米各国は日本の行為を「余裕があれば俺たちだってやっている、当然の行為」としており結果として21カ条の要求は国際社会的に容認されております
そもそもからこれらは“要求”であって交渉の叩き台であり、その場合は多少無理なことを言うのは交渉技術上当たり前。
さらに言えば21カ条の内容はもともと中国、特に袁世凱が日本にもちかけたものですが
>、国内世論を背景にして
激しく
抵抗したが
残念ながら国際的には日本の要求は妥当のもとされており、「一層のこと最後通知でも出したら?」とまで言われております。
せいぜいが自分が植民地が持って行かれるドイツとアジア進出に遅れているアメリカぐらいですが。
>中国の民族主義運動が高まったのは、あまりにも
当然のことだった。
繰り返しますが国際的には笑止千万のしろも=あなた込みで寝言の類ですが
>少なくとも
中国軍によって
日本固有の領土が
侵略されたり、
国家の独立が脅かされるなどの危機が存在していたわけではない。
そう言う状況になって国防どうこうを叫ぶ輩を世間一般では「泥棒を捕らえて縄を綯う」というのですが。
>当時
日本が、このように
他国の主権侵害に熱心だったこと
しかし、当時の国際社会はそうとは見ておらず、むしろ中国側による日本侵害とみており日本におけるあなた曰くの「他国の主権侵害」は
「どう見ても日本の自衛行為であり中国と行為のそれと同レベルに語るのは文明人としてどうかしている」
ですが
>脱植民地化の潮流は、早くも19世紀にアメリカ大陸に始まり、
20世紀初頭には
ヨーロッパや
アジア、オセアニアにまでも
拡大しつつあった。
それはあなたの幻想でありしかもさらに言えば20世紀初頭のアジアの独立運動は日本が大なり小なり公私にわたり支援しておりますが。
というかさっきから必死で中国を擁護されておりますがその中華民国が誕生したきっかけである辛亥革命は日本の支援があってこそですけど。
それを無視して日本の国益を武力により侵害し、その行為を擁護するのは正に「忘恩の徒」というのでしょうな。
>朝鮮の独立運動を弾圧し続けた経緯からも
明らかだと言える
全然。併合以前から朝鮮の近代化に膨大な支援をしていたのは当の日本ですがそれに対して朝鮮は上層部の利権争いの為の内ゲバや文字通りの売国行為により近代化はおろか独立するにも支障をきたす始末です。
その為日本が引き取るはめになっただけですが。
そのような前科持ちを早々独立させること自体が無責任の極みですけど。
これは メッセージ 196029 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/196041.html
Re: 『植民地解放戦争』論(2)
投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2013/01/28 00:41 投稿番号: [196040 / 196466]
>脱植民地化の潮流に
呼応して
国際社会に対し、繰り返し
植民地解放を
訴え続けていたはずだ。
やっておりましたけど。相手にされなかっただけで
>事件勃発の
前年に、日本帝国は
支那駐屯軍を、1800人から
5800人へと
大幅に増強し
当時の中国では日本政府の抗議を無視して政府公認の反日暴動が各地で起こっており邦人企業や邦人への危害が日常茶飯事ですけど。それに対して日本が邦人企業や邦人を守るために派兵するのは当然ですが。
>一国の首都の近郊に、他国の大軍が
強引に
居座っている状況は、
まさに
露骨な武力威嚇、無法な主権侵害以外の
何ものでもない。
残念でした。日本どころか欧米列強の兵が居座っております。
そしてこれは清王朝=中国との条約の上でのことですので強引でもなければ違法な主権侵害でもありません。
ついでに言えばなぜそうなったかと言えば義和団事変の際に大使館襲撃という「露骨な武力威嚇、無法な主権侵害以外の何ものでもない」ことをやったせい=ようは自業自得ですが
>戦争に至る原因を作った側が「自衛」を口実にするのは見苦しい。
どう贔屓目に見ての見苦しいのは自国の前非を全く悔いていない中国とそれを鵜呑みにしてあなたですけど。
>日本軍部は、ただちに
大軍派遣を決定し、
10万超もの大兵力を
中国に送り込み、
ちなみに当時上海は80万近くの大々兵力で包囲されておりますが。
さらに言えばこの軍隊はナチスドイツから武器弾薬はもちろん軍事顧問まで派遣されていると言う質量とも侮りがたいものですけど。
さらに言えば蒋介石の命令にもと満洲地方にも兵力を増員している=協定なんかまるっきり守る気がないということなんだが。それに対して日本軍が兵力を増強するのはどこがおかしいのでしょうか?
>南京攻略へと武力侵略を続け
つまりに80万の大々兵力がたかだか10万強の大兵力に突破されさらに首都まで陥落させたという戦史上屈指の大戦果だったと。
>朝鮮半島では、長年にわたって
民族独立運動が
続いていたが、
独立運動という名の山賊行為は一時期ありましたが真っ当な独立運動は当の朝鮮人に相手にされておらず、細々とやっていたか、国外に駆逐され物貰いの生活ですけど。
ちなみにそれら独立運動を鎮圧したのは当の朝鮮人です。
>「植民地解放」
を主張する者は、特高に監視・逮捕されることを
覚悟しなければならなかった。
国家反逆罪相当ですので当然ですね。
これは メッセージ 196026 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/196040.html
Re: おまけ。バカJAP君。
投稿者: sintyou7 投稿日時: 2013/01/28 00:28 投稿番号: [196039 / 196466]
日本語を話す人は、皆、日本人。
日本語を話せない日系人は、日本人では無い。
ヴィクトル・スタルヒンも、ダルビッシュも日本人でつ。
日本語がお粗末な人は、お粗末な日本人なだけ。
。
これは メッセージ 196036 (蒼天の星 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/196039.html
Re: 大東亜戦争肯定論、良い本です
投稿者: soutennohoshi 投稿日時: 2013/01/28 00:22 投稿番号: [196038 / 196466]
>左翼がクルクルパーな理由は視野狭窄だからです<
私もそう思います。
>それが証拠に若いときに左翼思想に染まることが多い<
掲示板に参加した頃の私は、親中派でした。
中国人に生まれればよかったと思ったことさえありました。
もちろん今は日本人に生まれてよかったと心から思っています。
(どの国の国民も大抵の人はそうなのでしょうけれど。。)
で、たぶん今では、私はネウヨと思われていると思います。
でも、それは違うと思います。
私はただの保守です。
それに、右翼のどこが悪い?と思っています。
悪いのはウルトラナショナリズムであり、レイシストであり、
エスノセントリズムです。
これは メッセージ 196034 (stmtr314stmtr314 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/196038.html
Re: 『植民地解放戦争』論(1)
投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2013/01/28 00:16 投稿番号: [196037 / 196466]
>他国領土への派兵は
慎んだはずであり、
安全保障上の他国領土への派兵は古今東西現在進行形で腐るほど事例ありますが。
ましてやWW1までには国際的な調停機関がなく、WW1以降に誕生した国際連合にしてもWW2に誕生した国際連合にしても完全なる調停期間になりえない以上、安全保障や自国の利権や国民を守るためには他国領土への派兵は国家としては当然の行為ですけど。
>戦争に突き進む前に、国際社会に対し、植民地の解放を
繰り返し
働きかけたはずだ。
日本はアジア諸国の独立の為に人権問題を国際的に取り上げたり独立運動家を公私にわたり支援したりしております。
つまり日本は自国でできる範囲で国際社会に対し、植民地の解放を
繰り返し
働きかけたおったのが現実です。
>むしろ
あなたの言う「他国民の主権を侵し続けた。」などという事実はありません
>脱植民地化
南米の場合は単にフランス革命の混乱時のどさくさに紛れてただけですな。
さらに言えもらえば当時の南米の住民は民族浄化などの結果白人やその混血であり”民族主権の尊重”どうこう以前の問題ですが。
さらにハイチなどの例を見れば独立さいに宗主国から多額の賠償金をむしり取られ自国資本は外国に握られ独立は名ばかりで長期にわたりどころか現在進行形で経済的には隷属強いられているか政情が不安定ですが。
ちなみにこれは貴方があげた他の地域も同じです。
それを独立とは片腹痛いのですが。
ちなみに日本の支配地であった朝鮮半島や台湾、満洲地方は日本を除けばアジア有数の経済地域です。
これは メッセージ 196025 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/196037.html
Re: おまけ。バカJAP君。
投稿者: soutennohoshi 投稿日時: 2013/01/28 00:10 投稿番号: [196036 / 196466]
>彼は天才だよ。
今は何してるんだろうね。<
うん、すごく会いたい。
あんな真っ直ぐで、温かい人は滅多にいないわよ。
あのときはみんなそうだった。
だから、あのままではいけないと思ったわ。
どう表現していいかわからないけれど、私は日本人だからとでも言うしかないのかな?
これは メッセージ 196035 (sin*you* さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/196036.html
Re: おまけ。バカJAP君。
投稿者: sintyou7 投稿日時: 2013/01/28 00:03 投稿番号: [196035 / 196466]
有り難うね。
彼は天才だよ。
今は何してるんだろうね。
。
これは メッセージ 196033 (蒼天の星 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/196035.html
大東亜戦争肯定論、良い本です
投稿者: stmtr314stmtr 投稿日時: 2013/01/28 00:01 投稿番号: [196034 / 196466]
左翼がクルクルパーな理由は視野狭窄だからです
それが証拠に若いときに左翼思想に染まることが多い
>>
昔、二十歳頃に読みましたが、本当に良い本です。
東南アジアでも、アフリカでも、中南米でも、
戦前の日本の偉業が讃えられている、、これが真実だ
支那と属国韓国とが喚いていますが、、、、笑い
これは メッセージ 196032 (stmtr314stmtr314 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/196034.html
Re: おまけ。バカJAP君。
投稿者: soutennohoshi 投稿日時: 2013/01/27 23:57 投稿番号: [196033 / 196466]
>外国人である中国人相手に、第二外国語である日本語で言い争って、勝っただの、バカじゃないのお?<
Jms氏の日本語に関しては、実はいつか添削係をつとめたいと密かに思っています。
日本でお仕事しているのだから、出来ればもっと正確な日本語を操れるようにしてあげたいわ。
そこそこできてしまうので、そこで満足してしまってもう一歩の努力が足りないのよ。
あなたの日本語は素晴らしいわ。
かつての野猿さんと同レベルです。
これは メッセージ 196024 (sin*you* さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/196033.html
大東亜戦争肯定論、良い本です
投稿者: stmtr314stmtr 投稿日時: 2013/01/27 23:56 投稿番号: [196032 / 196466]
昔、二十歳頃に読みましたが、本当に良い本です。
東南アジアでも、アフリカでも、中南米でも、
戦前の日本の偉業が讃えられている、、これが真実だ
支那と属国韓国とが喚いていますが、、、、笑い
これは メッセージ 196019 (stmtr314stmtr314 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/196032.html
Re: 『植民地解放戦争』論
投稿者: soutennohoshi 投稿日時: 2013/01/27 23:50 投稿番号: [196031 / 196466]
(´∀`*)うふふ
ご苦労様☆
いろいろなトピで同じようなことを繰り返していらっしゃるようですね。
でも、三宅坂からはもうお引越しなさいましたよ。
あなたのお仲間は。
五十年前の日本でしたら、あなたの書き込まれたことも一定の支持が得られたのでしょうけれど、今はどうかしら?
国防軍賛成、憲法改正賛成が多くなって来ましたけれど?
OSもセキュリティーもアップデイトしないといけませんよね?
これは メッセージ 196029 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/196031.html
Re: 『植民地解放戦争』論(5)
投稿者: sintyou7 投稿日時: 2013/01/27 23:48 投稿番号: [196030 / 196466]
そうそう。
アジアが欧米の植民地であったのを、ボランティア精神で欧米の植民地から解放させてあげただの、バカバカしい鳴き声を上げる生物が未だに大量に生息しているもんだから、話がおかしくなる。
日本がやったのは、欧米に成り代わって、自分たちが植民地支配の主人になろうとしただけの行為であって、何も崇高な理念など無かったに等しい。
まあ、国家と言うのは自国の国益を最優先させるのだから、1000000000000歩譲ってあの時日本の国益を重視したかったのなら、満州をアメリカと共同で開拓し、中国には手を出さなければよかっただけの事。
それを、満州からアメリカを占め出し、中国へ侵略して逝った時点で既に死亡フラグが立ってしまっていた。
それに、日本の陸軍と海軍はそもそもの戦略の統一性が無かった。
日本海軍は、仮想敵国として自国の数十倍の国力のあるアメリカを相手にしている時点で既に存在価値が無かった。
最初から負けるに決まっていたのだから。山本五十六は何を考えていたのか?
日本陸軍は、ソ連を仮想敵国としていたのなら、あくまでそれを遂行するべきだった。ちぐはぐだった。
今は、経済戦争が熾烈になっているが、先の大戦の反省をちゃんとしなければ、
「神風特攻隊はアメリカ様の日本占領を遅らせただけのバカ共の集まりだった」
との歴史の評価に終わるだろう。
。
これは メッセージ 196029 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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『植民地解放戦争』論(5)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/27 23:19 投稿番号: [196029 / 196466]
日本が突きつけた
21か条要求に対し、中国総統の
袁世凱が
「日本は、ヨーロッパ諸国が
戦争で、東洋のことをかえりみる
いとまがないのを
絶好の機会にし、この要求をして、わが国を
制圧しようとしている。
特に第5号は
中国を朝鮮と同じように
扱うものである」
と強く非難したのは、いたって
当然だった。
中国政府は、国内世論を背景にして
激しく
抵抗したが、
日本は、山東・漢口・満州等の
駐留軍を
大幅に増強し、
軍事的圧力を
加えながら
要求受け入れを
迫った。
大隈内閣は
1915年5月4日に
閣議を開き、中国に対して
「最後通牒」を出すことを決定。
一方で国際社会の反発を恐れて
第5号を削除することに決めた。
そして、7日に
最後通牒を
中国政府に突きつけた。
喉元に銃口を
押し付けたに
等しい。
武力を背景とした
日本の脅迫に、中国は
屈するほかなかった。
日本人顧問を採用する条項等は除かれたものの、日本は
要求の
大部分を認めさせた。
これを知った
中国の民衆は、この日を
「国恥記念日」とし、激しい反日感情を喚起する
契機となった。
各地で
排日運動が起こり、中国の民族主義運動が高まったのは、
あまりにも
当然のことだった。
その後の
満州事変、そして
盧溝橋事件に至る
一連の衝突は、
そもそも
こうした大陸への
派兵、武力行使、主権侵害により
他国の権益を狙った
日本の国策が
背景となっていたのであり、
少なくとも
中国軍によって
日本固有の領土が
侵略されたり、
国家の独立が脅かされるなどの危機が存在していたわけではない。
当時
日本が、このように
他国の主権侵害に熱心だったことは事実
であるが、その逆に
他民族の主権を尊重しながら
植民地解放を
繰り返し訴えていた
などという事実はない。
ヤスクニ派の中には、
そうした事実を覆そうとして、たとえば
国際連盟に
日本が提出した
人種差別撤廃案などまで持ち出して
抗弁を試みる
愚かな者もいる。
しかし、こうした提案は、白人列強国に対抗し
日本の地位を高める
ことに目的があったのであって、植民地解放を希求したものではない。
侵略戦争を擁護する連中は、苦し紛れに
こんな的外れなものまで
提示せざるを得ない
というのが
実情なのだ。
脱植民地化の潮流は、早くも19世紀にアメリカ大陸に始まり、
20世紀初頭には
ヨーロッパや
アジア、オセアニアにまでも
拡大しつつあった。
その歴史的潮流に
反抗し続けていたのが、
ほかならぬ日本帝国だった事実は、中国の半植民地化や武力侵攻、
朝鮮の独立運動を弾圧し続けた経緯からも
明らかだと言える。
日本帝国が、いつから、「植民地の解放・独立」
を志向し、
国策とするように
なったのだろうか。
まったく
根拠が不明確であるばかりか、むしろ
事実として
日本が
他国に派兵し、他民族の主権を奪い、支配し続けたこと、
すでに
国際社会が、欧米列強による植民地獲得競争の時代から
脱植民地化に移行しつつあった状況などを
踏まえる必要がある。
この客観的事実に基づけば、日本帝国が「植民地解放」のために
戦争に突入する理由、根拠などは
まったく
成立しない。
仮に、日本軍が引き起こした戦争によって
アジア諸国の独立時期が
早まったとしても、それは
日本軍が敗北し、侵略戦争が失敗した
ことによる
結果であって、脱植民地化の潮流とは
関係がない。
過去の戦争が、植民地解放目的の
「聖戦」だった
というのは、
見苦しい言い逃れ、あるいは
単なる結果論に過ぎず、不正義で
野蛮な
侵略戦争を、到底
正当化できるものでは
ないのだ――
と、オイラは
徒然と
想うんだけどね・・・・
これは メッセージ 196028 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/196029.html
『植民地解放戦争』論(4)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/27 23:17 投稿番号: [196028 / 196466]
はやくも
19世紀から始まった
「脱植民地化」
の潮流は、
20世紀初頭には、国際関係の成熟と
民主主義の発展に伴い、
世界的規模で
拡大しつつあった。
当時すでに、他国の主権を
武力で侵害する行為は
厳に慎むべきものだった。
日本軍の行動は、武力によって他国の主権を侵害する行為であり、
国際社会からの
きびしい批判と制裁を
招くものとなった。
靖国教徒が
「植民地解放戦争」
と宣伝流布する太平洋戦争は、
長年にわたる
中国大陸での戦争が、泥沼化した
延長にあった。
大陸侵略は、まず
第一次大戦で
国際社会が混乱している最中、
1914年に
日本がドイツから青島を奪った時から露骨になる。
大戦の勃発を
「日本国運の発展に対する
大正新時代の天佑」
(元老井上馨)
と考えた日本政府は、日英同盟を
名目として
ドイツの租借地である
青島を攻略した。
その目的は、単なる
軍事目的
ではなく、大隈重信首相が
閣議で
言明したように
「わが国の支那における権利を伸張する」
こと、具体的には
ドイツが保有していた山東省の権益のすべてを奪うことにあった。
その後、日本軍は
中国との協定を無視し、青島外にまで進出し、
山東鉄道を手中に収めた。
中国民衆は、この日本の軍事行動に
強く反発し、中国政府は、日本に
軍を引き上げるよう求めた。
ところが、日本は軍を引くどころか、中国の主権を極端に狭めて
日本が大陸の利権を奪う内容の「21か条の要求」を突きつけた。
中国の人々に突きつけた要求は、大きく
5つに分けられていた。
第1号は
4か条あり、山東省のドイツ利権を
そっくり日本が
受け継ぐことを中国は承認せよ
という要求が中心になっていた。
第2号は
7か条あり、旅順・大連の租借期限と、満鉄安奉線の
期限を、99か年
延長することを認めろ
という要求だった。
また、吉長鉄道の管理運営を
99か年にわたり
日本に委任し、
日本人に
南満州
および東部内蒙古における
土地の賃借権と
鉱山採掘権を認めることを
要求し、さらには
同地方において
政治、経済、軍事の顧問・教官を要するときは
日本と協議する
ということなどを
要求する内容と
なっていた。
第3号は
2か条あり、漢陽の製鉄所、大治鉄山、炭鉱の経営を
日中共同とし、日本政府の合意なく
その運営・管理ができない
ようにすることなどを要求。
また、第4号では、中国沿岸の
港湾や島を
他国に貸すことを
禁じるものとしている。
まさに
国家主権を蔑ろにし、植民地扱いするものとなっていた。
第5号では、日本人を
中央政府の政治・財政・軍事の顧問とし、
重要な地方の警察を日中合同とするか、または中国警察に多数の
日本人警察官を雇うこと。さらに、中国軍の
兵器の半数以上を
日本から供給する、または日中合弁の兵器廠を設立し、日本から
技師や材料を供給することを義務づけることなどを要求していた。
そのうえ、南昌を中心とする
鉄道の敷設権を
日本のものとし、
福建省の鉄道・港湾に関して
外国からの資金を必要とする場合
まず日本と相談することなどを
義務づけるものだった。
インド独立運動の指導者だった
ネルーも、この要求内容を見て、
「あらゆる権利を、日本にわたすものだ。
これを
認めるなら、
中国は事実上の植民地となるだろう」
と述べて批判したほどだ。
これは メッセージ 196027 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/196028.html
『植民地解放戦争』論(3)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/27 23:16 投稿番号: [196027 / 196466]
戦前・戦中、思想弾圧に
威力を振るったのは
治安維持法だった。
公式の記録では
送検者75,681人、起訴5,162人
となっているが、
明治期制定の警察犯処罰令など
一連の治安法規も含めた逮捕者は
じつに
数十万人にも達したとされる。
また、記録には残されて
いないが、拷問・虐待による
多数の死者が出た
といわれている。
治安維持法は、日本国内の
反戦平和の主張を抹殺するだけでなく、
植民地独立運動の弾圧に
猛威をふるい、多くの人命を
うばった。
法適用の最初は
日本本土では1926年1月の京都学連事件だが、
朝鮮では
それより前年の
25年11月で、66人が検挙された。
治安維持法を使った弾圧は、朝鮮独立運動に対し、より苛酷だった。
それは、朝鮮半島でのみ同法違反による死刑が執行されたことにも
表れている。
また、日本本土では
28年から38年までの間に
同法違反で
無期懲役を言い渡された者は
わずか
1名だったが、
朝鮮では
39名に上った。
さらに、懲役15年以上の
刑では
本土が
7名であるのに対し、朝鮮では
48名となっている。
「朝鮮ノ独立ヲ達成セムトスルハ
我帝国領土ノ一部ヲ僣窃シテ其ノ
統治権ノ内容ヲ実質的ニ縮小シ
之ヲ侵害セムトスルニ外ナラサレハ
即チ治安維持法ニ所謂国体ノ変革ヲ企図スルモノト解スルヲ妥当トス」
これは、新幹会鉄山支部設置に対する
治安維持法違反事件における
30年7月21日付、朝鮮総督府
高等法務院での判決だ。
つまり、植民地における
独立運動も
治安維持法違反と位置づけ、
死刑をもって
これに臨んだのだ。
このことだけを見ても、当時
日本帝国には、植民地解放や
民族主権の尊重
などという思考は、
一欠片も存在していなかった
という事実が
理解できるだろう。
当時の
膨張志向を顕著化させていた
日本の帝国主義に対して、
石橋湛山は、1921年7月21日付の
『東洋経済』
社説で
「一切を棄つるの覚悟」
と題し、次のように
批判している。
我が国の総ての禍根は、小欲に囚われていることだ。(中略)
もし政府と国民に、総てを棄てて掛かるの覚悟があるならば、
必ず我に有利に導きえるに相違ない。例えば、満州を棄てる、
山東を棄てる、支那が
我が国から受けつつありと考えうる
一切の圧迫を
棄てる。
また
朝鮮に、台湾に自由を許す。
その結果はどうなるか。
英国にせよ、米国にせよ、非常の
苦境に陥るだろう。何となれば、彼らは日本にのみかくの如き
自由主義を
採られては、世界における
その道徳的地位を
保つ得ぬに至るからである。そのときには、世界の小弱国は
一斉に
我が国に向かって
信頼の頭を
下ぐるであろう。
インド、エジプト、ペルシャ、ハイチ、その他の列強属領地は
一斉に
日本の
台湾・朝鮮に
自由を許した如く、
我にもまた自由を許せと
騒ぎ起つだろう。
(以下、略)
大陸への侵略行為を中止し、朝鮮などの自由を認めて
解放すれば
日本の国際的信頼が高まり、ひいては
列強の植民地支配体制を
根底から揺るがすことになる――
石橋の主張は
明快だ。
だが、残念ながら
当時の日本帝国は、「欲に囚われ」
続けた。
敗戦するまで
「一切を棄つるの覚悟」を
持てなかったのだ。
これは メッセージ 196026 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/196027.html
『植民地解放戦争』論(2)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/27 23:15 投稿番号: [196026 / 196466]
当時の
日本帝国に、本当に
植民地解放の志向が
あったのならば、
血生臭い戦争などを起こすよりも前に、脱植民地化の潮流に
呼応して
国際社会に対し、繰り返し
植民地解放を
訴え続けていたはずだ。
そして、誰よりも
率先して
自らの植民地支配を解消すると共に、
諸民族の主権を尊重し、他国への軍事的干渉を
厳に慎んだはずだ。
しかし、実際に
日本帝国が取り続けた政策は、植民地の独立運動を
武力で弾圧することや、海外への派兵継続、特に
近隣国に対する
兵力増派による
軍事的圧力の強化
という主権侵害行為だった。
たとえば
日中戦争の発端となった盧溝橋事件は、日本領内ではなく、
日中の国境地帯でもなく、中国の心臓部・北京近郊で
起きた。
事件勃発の
前年に、日本帝国は
支那駐屯軍を、1800人から
5800人へと
大幅に増強し、中国政府からの
抗議を無視して
増強部隊を、首都・北京の近郊にある豊台に
駐屯させた。
豊台は
北京の防衛の要であり、すでに
中国軍が守備していた。
対峙した両軍の距離は、わずか300メートルしかなかったという。
一国の首都の近郊に、他国の大軍が
強引に
居座っている状況は、
まさに
露骨な武力威嚇、無法な主権侵害以外の
何ものでもない。
戦争にならないほうが不思議だ
といえる状況を作りだしたうえに、
日本軍は、そこで
「演習」
を強行した。
当時の陸軍参謀本部第一部長、石原莞爾も
次のように証言している。
「豊台に兵を置くことになりましたが、之が遂に本事変の直接動機に
なつたと思ひます」
(「石原莞爾中将回想応答録」参謀本部作成)
根本的な問題は、どちらが先に発砲したか
などということでない。
事件は、中国の首都、北京の近郊で
起きた。
日本軍が強行した
「演習」
の最中だった。
戦争に至る原因を作った側が「自衛」
を口実にするのは見苦しい。
事件後まもなく、現地で停戦協定が成立し、戦火拡大を防ぐ条件が
あったにもかかわらず、日本軍部は、ただちに
大軍派遣を決定し、
10万超もの大兵力を
中国に送り込み、戦火は
一気に拡大した。
背景には、中国を過小評価した
参謀本部の誤った認識があった。
軍は、南京攻略へと武力侵略を続け、日本政府も
これを追認した。
日本は
他国への派兵・武力侵攻の一方で、植民地支配を強化した。
朝鮮半島では、長年にわたって
民族独立運動が
続いていたが、
度重なる武力弾圧で
多数の死傷者や
投獄者を出す事態となった。
独立運動は、情報統制により日本国民には正確に伝えられなかった。
少数ながら
朝鮮の独立運動に
共感を寄せた人々も
存在したが、
例外なく
迫害の対象となった。
「植民地解放」
を主張する者は、特高に監視・逮捕されることを
覚悟しなければならなかった。
たとえば、朝鮮で
多くの独立運動家の弁護活動を無償で引き受け、
「日本のシンドラー」
とも呼ばれている
布施辰治も、1911年に
「朝鮮独立運動に敬意を表す」
という一文だけで検察の取り調べを
受けている。
民藝運動で有名な
柳宗悦なども、総督府の弾圧を
批判して朝鮮独立を支持したため、特高に
監視されていたほどだ。
これは メッセージ 196025 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/196026.html
『植民地解放戦争』論(1)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/27 23:13 投稿番号: [196025 / 196466]
小泉政権時における
いわゆる
「靖国外交」
が、内外に波紋を広げ
近隣諸国のみならず
欧米諸国からも
警戒の目を向けられたことは
記憶に新しい。
当時、米国下院で初となる従軍慰安婦非難決議が
可決されたことなどは、「靖国外交」
による
「成果」
だった。
安倍首相は
ふたたび
小泉時代同様の「靖国外交」
を展開する。
政権発足直後の
インタビューでも、戦前の植民地支配と
侵略を
反省した村山談話や、従軍慰安婦問題について謝罪した河野談話の
「見直し」
を示唆し、さっそく
ニューヨーク・タイムズなどが
批判する社説を掲載するなど、内外で
警戒の声が
上がっている。
「靖国外交」
が依拠するところは、戦前の大本営発表そのままの
侵略戦争の正当化、植民地支配の美化、軍国主義賛美に他ならない。
その要となっているのが、いわゆる
『植民地解放戦争論』
だろう。
しかし、これは
国際社会の歴史認識とは
大きく
乖離している。
日本軍が起こした戦争は
『植民地解放のため』
であったとか、
『日本が起ちあがらなければ
アジア諸国は
独立できなかった』
という、ヤスクニ派が
宣伝流布する
戦争正当化論については、
当時の国際情勢を
踏まえ、具体的な史実に基づいて
客観的に
検証する必要がある
と思う。
戦前の日本帝国が、本当に
諸国民の主権を尊重し、その独立を
希求していたのならば、他国領土への派兵は
慎んだはずであり、
そもそも
戦争に突き進む前に、国際社会に対し、植民地の解放を
繰り返し
働きかけたはずだ。
また、自らの植民地支配を解消し、
率先して
世界の国々に
模範を示していたことだろう。
しかし、実際には
そうした事実は、なかった。
むしろ日本は
海外派兵を常態化し、他国民の主権を侵し続けた。
そして
「植民地解放」
や
「海外派兵は中止せよ」
などと
主張する者は、例外なく
“危険思想”
の持ち主として、
監視・弾圧の
対象となり、国賊の汚名を被った。
当時の日本帝国に、民族主権の尊重や
植民地解放を目指す志向が
本当に
あったのか、また、多くの命を奪う戦争を起こした目的が
そうした崇高なものだったのか、そして、日本が戦争をしなければ、
植民地解放・独立は
ほんとうに実現できなかったのか――
それは、20世紀前半の
国際情勢にも照らして
考察すべきだ。
まず、当時の
世界における
植民地政策の情勢に着目してみよう。
事実として、日本軍が
戦争を引き起こすよりも
はるか
以前に
脱植民地化(Decolonization)
の歴史的潮流は、顕在化していた。
それは、早くも
19世紀から、アメリカ大陸において
始まった。
1804年には、中米の
ハイチが
フランスからの独立を宣言し、
ヨーロッパ列強の支配から脱却した
最初の
非白人国家となった。
1808年、ポルトガル最大の植民地だった
ブラジルも独立する。
1811年には、ベネズエラの議会が
スペインからの独立を宣言。
1813年には、パラグアイも
スペインからの
独立を達成した。
1900年代の
初頭までに、アルゼンチン、チリ、コロンビア、
ニカラグア、ホンジュラス、グアテマラ、エルサルバドル、
コスタリカ、メキシコ、エクアドル、ペルー、ボリビア、ドミニカ、
ウルグアイ、キューバなどが
次々と
独立を宣言した。
北米でも、カナダが独立に向けて
自治権・外交権を
獲得した。
そして
アジアや
ヨーロッパでも、モンゴル、アフガニスタン、
アイルランド、ネパールなどが
自治権または完全独立を獲得し、
イラクの国際連盟委任統治が解除され、イギリスは租借港威海を
中国に返還し、アメリカが
フィリピンの独立を
約束するなど、
脱植民地化の動きは、確実に
世界的な潮流と
なっていった。
日本帝国が
太平洋戦争に突入する
直前の時期だけに
限っても、
1931年から
41年までの
10年間には、ニュージーランド、
カナダ、オーストラリア、南アフリカなどが
完全独立を
実現し、
フィリピンも
自由連合州となり、独立を確定的なものとしていた。
さらに、中東のレバノンなども
独立を宣言するに
至っていた。
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