植民地解放戦争論5
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/28 09:54 投稿番号: [196057 / 196466]
その後9月15日より始まるアメリカ軍との死闘の末、「サクラ
サクラ」の電文(重要機密書類の廃棄後に全軍玉砕、の暗号)を日本本土へ打電した後、日本軍守備隊は玉砕しました。
戦闘が終わり島へ帰ったパラオ人達の目に映ったのは、この間まで一緒に過ごしていた日本兵達の遺体の山、そしてアメリカ兵達の遺体の山でした。
その時、島に帰った彼らは確かに見たのです。
「アメリカ人は日本人の遺体には見向きもせず、自国兵の遺体だけを整理した。
我らはここに、征服民族の本性を見る。」
その後彼らは日本兵の遺体をすべて手厚く葬り、日本人達がいつ来てもいいようにと、その後も墓地の清掃を心掛けているといいます。
現在パラオ共和国で使用されている切手には日本軍戦闘機が描かれており、パラオ国旗は「水色地に黄色い丸」で、これは日本国旗である「日章旗」をモチーフにデザインしたもので、太陽(日の国である日本の意)に照らされた青い海の上の月をイメージし、中心に「丸」を持ってくると日章旗と同じになる事をおそれ多いとし、少し左にずらしてあります。
1990年代には、日本敗戦後にアメリカ軍により取り壊された「南洋神社」「ぺリリュー神社」がパラオ人の手によって再建され、パラオ本島とコロール島を結ぶ連絡船(戦後日本の資金援助により建造)の名前をパラオ人は「YAMATO」と命名しています。
当然これらは日本人が押し付けたものではなく、パラオ人自らが決定したものです。
日本は自国はもちろんアジアを守る為に必死に戦いましたが、遂には白人達に敗れてしまいました。
しかし、開戦当初の「大東亜共栄圏」の理念によるアジア解放の本当の意味での戦いには勝利を収めたのかもしれません。
日本人やアジア諸国の勇気の末、白人達はすべての植民地を失ってしまったのですから・・・・
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/196057.html