海外派兵と独立運動弾圧(2)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/28 01:08 投稿番号: [196043 / 196466]
1919年に朝鮮半島で起きた民衆運動
「3・1独立運動」では、
当初、日本軍は、ただちに市民集会やデモを 解散させようとした。
しかし、独立を叫ぶ民衆の声は 朝鮮全土に拡大する一方となった。
当時の原敬首相は ことの重大性に驚愕し、ただちに 3月11日、
朝鮮総督に対して 至急報で 次のように 命令を出した。
「今回の騒擾事件は、内外に対し 表面上には極めて軽微なる問題
とみなすを必要とす。 しかれども、裏面においては、厳重なる
処置をとり、将来再発なきよう期せられたし。ただし、その処置
については、外国人の最も 注目する問題なるにより、いやしくも
残酷苛察の批評を 招かざることに、十分注意されたし」
表面上では 朝鮮人民の独立運動を 「軽い問題」 として扱い、
その裏では 厳重に対処して 再発しないよう抑え込む。ただし、
対処の仕方は 外国から批判されないよう 十分に注意せよ――
日本政府が示した対応からは、朝鮮民族の主権尊重や植民地支配
から解放しようなどという志向は、一片も 見出すことはできない。
命令どおり、現地では「厳重な処置」がとられ、警察だけでなく
軍まで出動し、鎮圧で多数の死傷者、投獄者を出す事態となった。
一方、「内外に対し表面的には軽微なる」もの、つまり 一部の
「不逞鮮人が起こした暴動」 に過ぎない、との宣伝が流布され、
独立を求める大規模な民衆運動 という本質は、巧妙に隠された。
日本の国内世論は、3・1運動を「一部の暴動」とみなす論調が
圧倒的だったが、ごく一部には 運動に同情を寄せる識者もいた。
たとえば、大正デモクラシーの 主導者のひとり 吉野作造は、
『中央公論』などに 朝鮮総督府の失政を糾弾し、朝鮮の人々に
政治的自由を与え、同化政策を放棄せよ との主張を 発表した。
また 孫文との交友で知られる 宮崎滔天は、朝鮮の独立運動を
「見上げたる行動」 と評価し、朝鮮の人々の自由と権利を尊重し、
独立を承認すべきである と述べている。
このほか、石橋湛山なども 運動への理解を 表明している。
しかし、そうした主張は 少数派であり、黙殺・排斥された。
朝鮮民衆の独立運動は、日本軍の鎮圧により 押さえ込まれた。
しかし、日本政府は 朝鮮民衆の 抵抗の根強さと、ひそかに
海外に脱出した 朝鮮人が、日本軍の残虐な武力弾圧の数々を
世界に 公表したことによる 国際世論からの攻撃を 恐れて、
従来の 統治方針を 大きく 改めざるを得なくなった。
原内閣は、習慣を破り 陸軍出身に代えて 海軍関係者を
朝鮮総督に 任命し、憲兵警察に代わって 普通警察とし、
官吏や教員も 帯剣をやめた。 同時に、統治に有害でない
という条件つきで 『朝鮮日報』や 『東亜日報』などの
朝鮮文字の新聞の発行も 検閲付ながら認めることになった。
これは 3・1運動による、数少ない「成果」 だった。
当初、日本軍は、ただちに市民集会やデモを 解散させようとした。
しかし、独立を叫ぶ民衆の声は 朝鮮全土に拡大する一方となった。
当時の原敬首相は ことの重大性に驚愕し、ただちに 3月11日、
朝鮮総督に対して 至急報で 次のように 命令を出した。
「今回の騒擾事件は、内外に対し 表面上には極めて軽微なる問題
とみなすを必要とす。 しかれども、裏面においては、厳重なる
処置をとり、将来再発なきよう期せられたし。ただし、その処置
については、外国人の最も 注目する問題なるにより、いやしくも
残酷苛察の批評を 招かざることに、十分注意されたし」
表面上では 朝鮮人民の独立運動を 「軽い問題」 として扱い、
その裏では 厳重に対処して 再発しないよう抑え込む。ただし、
対処の仕方は 外国から批判されないよう 十分に注意せよ――
日本政府が示した対応からは、朝鮮民族の主権尊重や植民地支配
から解放しようなどという志向は、一片も 見出すことはできない。
命令どおり、現地では「厳重な処置」がとられ、警察だけでなく
軍まで出動し、鎮圧で多数の死傷者、投獄者を出す事態となった。
一方、「内外に対し表面的には軽微なる」もの、つまり 一部の
「不逞鮮人が起こした暴動」 に過ぎない、との宣伝が流布され、
独立を求める大規模な民衆運動 という本質は、巧妙に隠された。
日本の国内世論は、3・1運動を「一部の暴動」とみなす論調が
圧倒的だったが、ごく一部には 運動に同情を寄せる識者もいた。
たとえば、大正デモクラシーの 主導者のひとり 吉野作造は、
『中央公論』などに 朝鮮総督府の失政を糾弾し、朝鮮の人々に
政治的自由を与え、同化政策を放棄せよ との主張を 発表した。
また 孫文との交友で知られる 宮崎滔天は、朝鮮の独立運動を
「見上げたる行動」 と評価し、朝鮮の人々の自由と権利を尊重し、
独立を承認すべきである と述べている。
このほか、石橋湛山なども 運動への理解を 表明している。
しかし、そうした主張は 少数派であり、黙殺・排斥された。
朝鮮民衆の独立運動は、日本軍の鎮圧により 押さえ込まれた。
しかし、日本政府は 朝鮮民衆の 抵抗の根強さと、ひそかに
海外に脱出した 朝鮮人が、日本軍の残虐な武力弾圧の数々を
世界に 公表したことによる 国際世論からの攻撃を 恐れて、
従来の 統治方針を 大きく 改めざるを得なくなった。
原内閣は、習慣を破り 陸軍出身に代えて 海軍関係者を
朝鮮総督に 任命し、憲兵警察に代わって 普通警察とし、
官吏や教員も 帯剣をやめた。 同時に、統治に有害でない
という条件つきで 『朝鮮日報』や 『東亜日報』などの
朝鮮文字の新聞の発行も 検閲付ながら認めることになった。
これは 3・1運動による、数少ない「成果」 だった。
これは メッセージ 196042 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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