日中関係

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『植民地解放戦争』論(2)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/27 23:15 投稿番号: [196026 / 196466]
当時の   日本帝国に、本当に   植民地解放の志向が   あったのならば、
血生臭い戦争などを起こすよりも前に、脱植民地化の潮流に   呼応して
国際社会に対し、繰り返し   植民地解放を   訴え続けていたはずだ。
そして、誰よりも   率先して   自らの植民地支配を解消すると共に、
諸民族の主権を尊重し、他国への軍事的干渉を   厳に慎んだはずだ。

しかし、実際に   日本帝国が取り続けた政策は、植民地の独立運動を
武力で弾圧することや、海外への派兵継続、特に   近隣国に対する
兵力増派による   軍事的圧力の強化   という主権侵害行為だった。
たとえば   日中戦争の発端となった盧溝橋事件は、日本領内ではなく、
日中の国境地帯でもなく、中国の心臓部・北京近郊で   起きた。

事件勃発の   前年に、日本帝国は   支那駐屯軍を、1800人から
5800人へと   大幅に増強し、中国政府からの   抗議を無視して
増強部隊を、首都・北京の近郊にある豊台に   駐屯させた。
豊台は   北京の防衛の要であり、すでに   中国軍が守備していた。
対峙した両軍の距離は、わずか300メートルしかなかったという。

一国の首都の近郊に、他国の大軍が   強引に   居座っている状況は、
まさに   露骨な武力威嚇、無法な主権侵害以外の   何ものでもない。
戦争にならないほうが不思議だ   といえる状況を作りだしたうえに、
日本軍は、そこで   「演習」   を強行した。  
当時の陸軍参謀本部第一部長、石原莞爾も   次のように証言している。

「豊台に兵を置くことになりましたが、之が遂に本事変の直接動機に
なつたと思ひます」   (「石原莞爾中将回想応答録」参謀本部作成)

根本的な問題は、どちらが先に発砲したか   などということでない。
事件は、中国の首都、北京の近郊で   起きた。
日本軍が強行した   「演習」   の最中だった。
戦争に至る原因を作った側が「自衛」   を口実にするのは見苦しい。

事件後まもなく、現地で停戦協定が成立し、戦火拡大を防ぐ条件が
あったにもかかわらず、日本軍部は、ただちに   大軍派遣を決定し、
10万超もの大兵力を   中国に送り込み、戦火は   一気に拡大した。
背景には、中国を過小評価した   参謀本部の誤った認識があった。
軍は、南京攻略へと武力侵略を続け、日本政府も   これを追認した。

日本は   他国への派兵・武力侵攻の一方で、植民地支配を強化した。
朝鮮半島では、長年にわたって   民族独立運動が   続いていたが、
度重なる武力弾圧で   多数の死傷者や   投獄者を出す事態となった。
独立運動は、情報統制により日本国民には正確に伝えられなかった。
少数ながら   朝鮮の独立運動に   共感を寄せた人々も   存在したが、
例外なく   迫害の対象となった。

「植民地解放」   を主張する者は、特高に監視・逮捕されることを
覚悟しなければならなかった。
たとえば、朝鮮で   多くの独立運動家の弁護活動を無償で引き受け、
「日本のシンドラー」   とも呼ばれている   布施辰治も、1911年に
「朝鮮独立運動に敬意を表す」   という一文だけで検察の取り調べを
受けている。   民藝運動で有名な   柳宗悦なども、総督府の弾圧を
批判して朝鮮独立を支持したため、特高に   監視されていたほどだ。
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