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植民地解放戦争論4

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/28 09:53 投稿番号: [196056 / 196466]
パラオ共和国

パラオ共和国は南洋のマリアナ諸島にある、珊瑚礁が美しい小さな島国です。

ここもまた大東亜戦争時には激戦地となった場所です。


パラオは第一次世界大戦までドイツ領でしたが、ドイツが敗戦した後に国際連盟からの委任により、1914年(大正3年)から31年間日本統治下に置かれました。

日本統治となったパラオに対し、政府は農業を促進し、缶詰工場等を建設し雇用を促進、道路の舗装をはじめ電気や電話を通し、日本式教育方法等インフラ整備を積極的に行いパラオ人すべてに伝染病数種の予防接種を受けさせ、日本国民として対応しました。

パラオの人々は
「日本式の学校教育は厳しかったが、小学校1年生になると全員が掛け算の九九を暗記し、文字の読み書きが出来るようになった」
と当時を振り返ります。

パラオでは現在でも神輿(みこし)をみんなで担いで日本式の祭を行っており、昭和天皇即位六十周年記念祭や今上天皇即位二十周年記念祭を行っているほど、日本文化が根付いています。


大東亜戦争時の1944年(昭和19年)9月、ペリリュー島には日本軍守備隊が地下要塞を築き上げ、迫り来るアメリカ軍を待ち構えていました。

パラオ人は日本兵と共に生活し仲良くなり、日本の歌を教わり一緒に歌ったりして楽しく過ごしていました。

アメリカ軍との戦いを目前にパラオ人達は相談し、日本軍と共に戦う事を決意します。

そしてパラオ代表ら数名が日本軍守備隊指揮官・中川州男(なかがわ くにお)大佐にその事を申し出ます。

ところが中川はそれを聞くなり激高し
「我ら帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
と叫びました。

日本人は仲間だと思っていたパラオ人達は裏切られた思いで、みな悔し涙を流しながらがっかりしました。

数日後、戦闘を前に避難のするため船に乗って島を離れる時がきましたが、日本兵は誰一人見送りに来ませんでした。

「やはり日本人は我々を見下していたのか・・・」

パラオの若者達は再び肩を落とし、悔しさと悲しみにくれて船を出発させました。

船が島を離れた瞬間日本兵全員が浜に走り寄り、共に歌った日本の歌を歌いながら手を振り彼らを見送りました。

なんとその先頭には、笑顔で手を振る中川の姿がありました。

その時彼らは初めて中川の気持ちを悟りました。

あの時の言葉は、自分達を救うためのものだったのだと・・
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