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アジア人独立運動2

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/29 11:05 投稿番号: [196104 / 196466]
大正13年11月22日

       警視総監   太田正弘

内務大臣   若槻次郎   殿
外務大臣男爵   幣原喜重郎   殿
陸軍大臣   宇垣一成   殿

「クルバンガリエフ」歓迎晩餐会開催の件
         麹町区永楽町丸の内ホテル止宿
         南満鉄道株式会社調査嘱託
         露人ムハメッド・ガブドウルハイ・クルバンガリエフ

右に関しては本月四日付外秘第1197号既報の所其の後本人は藤子爵、渋沢子爵、田中大将、犬飼逓相、長瀬鳳輔、大川周明等を訪問し一面政教社同人又は亜細亜連盟協会員等と交通し白人の圧迫に対抗する為歐亜に於ける回教徒竝亜細亜民族の一致団結の必要を提唱し居れるが本人の為に政教社主催にて昨二十一日午後六時より丸の内中央亭に於て歓迎晩餐会開催せられたり席定まるや加藤峰男起きて歓迎の辞を述べ之に対し「クルバンガリエフ」は従来露領に於ける異民族の研究調査に従事し夙に「ペシキール」民族独立の為に連盟を創設し白人の圧迫より脱せんことを希望して来朝せる理由を述べ更に日露戦争後日本の一等国となりたるは我等「バシキール」民族の大いに力とする所にして亜細亜民族は此の際一致団結して東洋各国の興隆に努ると共に欧米の物質文明を避け東洋の精神的文明を建設して白人の侵略を妨ぐべしと述べ堀内中将之に対し賛成の意を述べ午後八時三十分散会せり
出席者   堀内中将、小泉又次郎、大竹貫一、長瀬鳳輔、押川方義、加藤峰男外32名なり

追って「クルバンガリエフ」は(支那に於ける回教徒に関して)と題する別紙パンフレット各関係者知人等に配布する由にて目下亜細亜連盟に於いて印刷中なり

アジア人独立運動1

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/29 11:04 投稿番号: [196103 / 196466]
バシキール民族代表者

松平子爵閣下

拝啓   陳者1917年の露国革命後露国より分離独立運動中の露国在住マホメット民族即ちバシキール族、キリギス族、カザン韃靼族、ツルケスタン族、、アザルバイジャン族、クリミヤ韃靼族は今回の華府会議に対して多大の注意を払い居り然して早晩列国に依り独立を承認せられんことを期待し居り候
華府会議に出席し得ざる露国在住四千萬のアジア民族は黄色人種の保護者、人道の擁護者、人種平等の提唱者たる日本帝国派遣全権委員各位に対し最も大なる期待を有し居り候
日本全権委員は世界永久の平和、人種平等に隊する保証及虐げられし吾々アジア民族の独立に対して御盡力あらんことを切望致候
右の次第に御座候間今回の華府会議にご列席の際は前陳の事情を御留意有之若し前露国帝国に付き御討議有之候節は何卒吾人アジア民族の意中を列強諸委員に御開陳相成将来に於ける吾人の安全なる独立につき御盡力の程奉懇願候

追進   マホメット民族、諸共和国に関する地理的状態に付き別紙の通り御参考迄に略述致置候          敬具   署名

Re: ロンドンスモッグ(殺人スモッグ)。

投稿者: bnqdbofmde 投稿日時: 2013/01/29 08:22 投稿番号: [196102 / 196466]
>年間66万の人が死んでいる

申し訳ありません間違いです。訂正します。
真実は220万人(チャイナレコードより)でした。

チャイナ・レコード
2010年5月16日、中国では毎年約220万人の青少年が大気汚染による呼吸器系の病気で死亡していることがわかったと中国新聞網が伝えた。
中国疾病予防コントロールセンターが同日午後の記者会見で、中国標準化医院かい中国青少年衛星健康指導センターの最新の調査結果として明らかにした。これによると、中国の空気汚染による青少年の死亡者は毎年約220万人で、うち100万人は5歳以下の幼児であることがわかった。
2010年でこれだから2012年は300万人越しているかも・・?

大紀元
中国気象局専門家によると、深刻な大気汚染のため中国の都市に住む人々は、たとえるなら掃除機のように一日に一人あたり15立方メートルの空気をろ過しているようなもので、有害な大気となるスモッグにより毎年30万人の死者を出しているという。専門家の予測ではこのペースで行くと、あと2,3年で深セン、広州などの人々は正常な呼吸が出来なくなり、1952年ロンドンで発生した「スモッグ事件」の二の舞になるという。これは中国の工場となたことに付随する深刻な環境破壊の対価であると言える。

WHO(世界保健機関)
WHOは大気中の汚染規定を1立方メートルで20マイクログラム以下の浮遊粒子としているが、大陸住民の58%は100マイクログラム以上の汚染された空気の中で生活している。さらに恐ろしいのは国際基準で制限された直径2.5ミクロンの微粒子は最も毒性が強く、人の気管支、肺深部に大きなダメージを与えるという。しかしながら中国の空気測定基準にはそれらの項目がなく、結果、環境部門は相変わらず空気の質は優良であると伝え、公衆は有毒な空気の中で呼吸している。これらの微粒子がスモッグの主要成分である。データによれば、2006年深セン市では365日中164日スモッグがますます深刻になっているという。国家環境保護部門専門家は2004年大陸の都市は大気汚染が原因で35.8万人の死者を出しており、この死亡者数は近年少しも好転していないと指摘する。

君は220万人と言っているが、35、8万人、30万人と数字がまちまちであると言いだす人でしょうな。2012年ではおそらく220万人が真実に近い数字でないかと想像する。

君等中国人民を共産党の上層部の幹部は、動物(家畜)と同じように見ているのではないか。君たち13億の人民の命を動物以下と思っているようですな。中国の国土を徹底的に汚染し、住めない国土にした共産党幹部はサッサと送金先の国に逃げ出す覚悟でいるらしいね。

その共産党幹部達は自分たちに向かってくる国民の憎悪の目をよそに向けるために日本と戦争させようとしている。
君等中国の人民はこんな共産党幹部を助けるために日本と戦争して命を落とすつもりなの?。

君等、中国人民を動物以下の環境に浸して、命まで奪っているのに。

虐殺証拠写真はロシア(ソ連)で作られた

投稿者: bnqdbofmde 投稿日時: 2013/01/29 07:40 投稿番号: [196101 / 196466]
南京大虐殺証拠写真は共産国陣営国家(ソビエトロシア、中国)の作りものだったことが明らかにされた。
ソビエト時代の公文書が発見された。ウラジオストーク市郊外の都市トルストウィ・フィにあった「ソ連人民芸術局極東撮影所」で撮影したことを示す公文書が発見された。この公文書を発見したのは、ロシア科学アカデミー極東戦史研究所のアーラヤ・ビズダ氏である。
ビズダ氏の発見した文書によれば、「南京ジェノサイド」の証拠として中国政府が公表している写真は上記の撮影所で撮影されたもので、ブリヤーク人やシベリアのマイノリティーなど日本人にそっくりな人を日本兵役で出演させ、「中国人にひどいことをする日本人」という構図の写真を撮ったということです。この研究所の副所長のイヴァンドラチョク氏は「冷戦時代は西側陣営に失点を与えるためにこういうおかしな協力もソ中間で行われていたようだ。しかし、今はそんな時代ではないし中国に協力する謂れもない。日本の人に真実を知ってもらいたいだけだ」と語った。

西村信吾日本維新国会議員がテレビで言っていたが、中国人には二通りの人がいる。

悪い中国人と、最も悪い中国人と二つに分けられると話したが、全くその通りである。

Re: 日本歴史学習事典(4) 

投稿者: mokneybrain123 投稿日時: 2013/01/29 07:31 投稿番号: [196100 / 196466]
ワダツミなる御仁がのたうっているようだ(全然読んでない)が、断末魔ののたうちだな。もう勝負はついている。マクマレイの1935年メモランダム、ケナンのアメリカ外交史、パルの日本無罪論、ミアーズのアメリカの鏡、マッカーサーの上院宣誓、チャールズ・ビアード、ジョイス・レブラ、極めつけは2011年に出たフーバー元大統領の回想録等々。ワダツミのような人間がしぼんで消滅するのは時間の問題だ。

Re: 日本歴史学習事典(5) 

投稿者: soutennohoshi 投稿日時: 2013/01/29 07:14 投稿番号: [196099 / 196466]
>けれども、自分の過ちに気づき、その間違いを自力で
乗り越えるとき、その人間(国家)には   未来がある。
自己の行為を厳しく点検・反省する一連の苦行により
人間(国家)の質が   高められるばかりか、自浄作業
そのものが、他人(他国)の信頼を   かちとるからだ。

自分の犯した間違いを認めようとせず、自画自賛だけ
繰り返す者は、一見、愛国者に見えて、じつは国民の
質を貶め、日本国の名誉を汚し、国際社会から永遠に
この国を隔離しようとする   売国奴である   と思う。<

とても正しいお考えだと思います。

惜しむらくは、それがご自分に対して向けられるべきだとは露ほども思っていない、気がついていないことですね。

思い込みとは本当に恐ろしいものだという見本を身を持って示して頂きました。

ありがとうございます☆

日本歴史学習事典(5) 

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/29 07:09 投稿番号: [196098 / 196466]
日本で発刊されている   主な辞書事典類、歴史専門書などで
南京虐殺事件そのものを   否定して   記述しているものは、
一つもないだろう。   いずれも   学術的な   書籍だからだ。
純粋な学問とは次元の異なる   イデオロギー、政治思想が
絡んできて、はじめて   「虐殺はウソ」、「捏造」   という
否定論が   持ち出されることになる。

否定論には、「中国の情報戦略」   だとか、反日左翼の策謀
だとか、プロパガンダ   などという、学問とは   関係のない
思想差別や   論者への人格攻撃が   必ず   付きまとっている。
しかし、歴史辞典や   歴史教科書、公文書類は、特定思想や
政治宣伝に関係して編集されるものではない。   したがって
それらの記述は、すべて   南京での虐殺は   事実と記される。

日本で採用されている歴史教科書は、すべて   南京事件を
記載しており、あの「作る会」編集の歴史教科書でさえも
例外ではない。   ただし、「作る会」教科書は   「日本軍
によって民衆にも多数の死傷者がでた」という程度でしか
記述していない。   これでは、まるで偶発的に   民間人が
戦闘にまきこまれて   犠牲になった   という印象をうける。

こうした表現は、じつに   不正確なものだ。
「民衆にも多数の死傷者がでた」   というのは、南京だけに
限ったことではなく、中国大陸各地で   日本軍が行動した
ほとんど   あらゆる戦場で起こったことで、これだけでは
なぜ「南京事件」が   世界的な非難の的に   なったのかが
理解できないだろう。

南京事件が   なぜ特別の注目を集めるかといえば、それは
戦闘中だけでなく、とくに   戦闘終了後も、捕虜や一般の
市民に対する   殺戮行為が   大規模に、しかも   組織的に
行われた点   なのであり、その肝心の事実を   抜きにして
「民衆にも多数の死傷者がでた」   というだけの叙述では
とても   この事件の本質を   知ることはできない。

完璧な人間など、どこにも   存在しない。
ましてや   成長過程では、誰しもが   失敗を経験する。
若気の至りで他人に迷惑をかけたり   試行錯誤を経て
世間から尊敬されるような人格者に   成長していく。
個人同様に   はじめから「完璧な国家」   も存在しない。

あらゆる国家は過去において必ず   あやまちを起こした。
悲しいことだが、高度な民主主義社会に到る過程では
避けられない運命だった。   しかし、ここから先が
その国民の資質と   国家の未来を   決定する。
過去の過ちを   ひた隠そうとする人間は   品性下劣だ。
その程度は低く、他人(他国民)から   信頼されない。

けれども、自分の過ちに気づき、その間違いを自力で
乗り越えるとき、その人間(国家)には   未来がある。
自己の行為を厳しく点検・反省する一連の苦行により
人間(国家)の質が   高められるばかりか、自浄作業
そのものが、他人(他国)の信頼を   かちとるからだ。

自分の犯した間違いを認めようとせず、自画自賛だけ
繰り返す者は、一見、愛国者に見えて、じつは国民の
質を貶め、日本国の名誉を汚し、国際社会から永遠に
この国を隔離しようとする   売国奴である   と思う。

日本歴史学習事典(4) 

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/29 07:08 投稿番号: [196097 / 196466]
辞書や   百科事典類は、当然   素人が執筆するものではない。
少なくとも   日本で発行されている   辞書・事典については
専門知識を有すると社会的に公認される   各分野の権威が
相当の研究成果と   学術的根拠に基づいて   編纂している。
たとえば、いま   手元にある『日本の歴史』(中央公論社)
第25巻『太平洋戦争』   の執筆者は、歴史学者の林茂氏だ。

歴史学に   少しでも   縁のある人間ならば、林茂の名前は
おそらく   一度ならず   聞いたことがあるだろう。
しかし、否定派の諸氏では   知らない者も多いと思うので
念のため説明すると、林氏(1912年〜1987年)は、
戦前は   東京帝国大を卒業後、京城帝国大助教授、戦後は
東京大学教授などを歴任した   日本を代表する歴史学者だ。

その林氏が執筆した   「南京占領と虐殺事件」   の解説を、
以下に   引用しておこう。
まず   南京事件の前史について   次のように   語っている。

  「上海の防禦陣地を破られたあとは、南京までのあいだには
  中国の防禦線はなく、日本軍は日に六、七里というスピード
  で進撃を続けた。この間、『軍補給点の推進は   師団の追撃
  前進に追随するを得ずして、上海付近より南京に至る約百里
  の間、殆んど糧秣の補給を受くることなく、殆んど現地物資
  のみに依り、追撃を敢行せり』(『第九師団作戦の概要』)
  という状態であり、徴発を名とした掠奪が行われた。同時に
  『敗残兵狩り』   という名目で、一般民衆にたいする   虐殺・
  暴行がくりひろげられ、それはやがて、世界を驚かせた南京
  虐殺事件の前史をなしている」

短い文章だが、この作戦に加わった第9師団の作戦記録で
証拠づけをしながら、記述を   すすめているところなどは、
さすがに   歴史学者の筆だ   と思う。
続けて、南京事件の本史について述べた文章を引用しよう。

  「南京城に対する攻撃は、十二月十日から開始され、十三
  日には日本軍の手中におちた。   国民党政府は漢口に逃げ
  のびていた。   そしてその日から、日本兵は捕虜の虐殺を
  はじめた。」

このあと、林氏は   当時の旅団長として   攻撃を指揮した
佐々木到一中将の記述を引用しながら敗残兵虐殺の事実を
記述している。   どうやら、南京事件否定派の   定義では、
林氏も   捏造をたれ流す“反日サヨク”の筆頭になりそうだ。
もちろん   同氏は、学者として   事実を記したにすぎない。
記述は、事件の国際的反響をも含め   次のように続いている。

  「その後も、みさかいもなく   一般民衆にたいする虐殺が
  つづくのであり、十五日の夜だけで   二万人が殺されたと
  いわれる。(中略)   このニュースは世界に大々的に報道
  されたが、日本人は、戦後の東京裁判で   追求されるまで、
  この事件を知らないでいた」(『太平洋戦争』64頁)

Re: 中華思想と大気汚染

投稿者: mokneybrain123 投稿日時: 2013/01/29 07:07 投稿番号: [196096 / 196466]
>この環境汚染、環境破壊の被害から逃れる手っ取り早い方法を教えてやろうか?。
習近平が日本の皇居前で跪き、天皇陛下の前で三跪九叩頭の礼をすることである。
日本はこの環境汚染から逃れるノウハウと技術を持っている。

ははは、言いえて妙。

>日本はこの環境汚染から逃れるノウハウと技術を持っている。

それから資金力かな。

日本歴史学習事典(3) 

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/29 07:07 投稿番号: [196095 / 196466]
平凡社『日本史大事典』第5巻に記述されている南京事件の
項目は、詳細で   かつ   かなり正確な解説だ。
抜粋して   以下に   引用する。

  【南京虐殺】
  「日中戦争で南京占領に際し   日本軍によって   中国軍民に
  加えられた大規模な残虐行為。」

  「一九三七年(昭和十二)八月、日中戦争は華北から華中に
  拡大、日本軍は上海で   中国軍の激しい抗戦に   直面し、
  大きな損害を被った。   十一月上旬   ようやく   中国軍を
  退却させると、中支那方面軍(軍司令官松井石根大将)は、
  指揮下の   上海派遣軍(軍司令官   朝香宮鳩彦王中将)と
  第一〇軍(軍司令官   柳川平助中将)を、与えられていた
  任務を逸脱して   国民政府の   首都南京に向かって急進撃
  させた。」

  「上海戦で疲労し、凱旋の期待を裏切られた   日本軍兵士は
  自暴自棄となり、補給がともなわず   現地徴発に頼ったこと、
  中国侮蔑感情や戦友の仇を討つという郷党意識にとらわれて
  いたことなども加わって、南京への進撃途上で   すでに掠奪・
  強姦・虐殺・放火などの非行が   常態化する状況となった。」

  「十二月十三日、南京占領に際しては、十七日の入場式に備え、
  徹底的な掃討を行い、投降兵・捕虜を長江沿岸などで   大量に
  処刑し、多数の一般市民を   その巻き添えにし、略奪・強姦・
  放火を重ねた。   さらに   十二月二十二日、佐々木到一少将が
  城内粛清委員長に就任、中国兵の狩出しと   処刑を続け、
  三十八年二月初めに及んだ。」

  「犠牲者数については   中国側の公式見解は三十万人とするが、
  戦闘行為による戦死者を除き、上海から南京へ   進撃途中から
  三十八年二月初めまでの期間をとれば、十数万人から二〇万人
  前後に達するとみられる。(以下、省略)」

以上、平凡社版『日本史大事典』   からの引用だ。
南京大虐殺を事実という者に対し、「サヨク」や   「反日」、
あるいは   「共産主義者の回し者」の類だ、と   悪罵を吐く
ウヨにかかれば、平凡社も   その類に   されてしまうだろう。

だが、平凡社にかぎらず、国内の主要な出版社が   発行する
歴史辞典・百科事典の類は、いずれも   学術的に   証明され、
信用に足る記録と   情報に基づいて   編纂されているのだ。

日本歴史学習事典(2) 

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/29 07:06 投稿番号: [196094 / 196466]
一般的な   辞書・事典の類で、南京大虐殺事件を   否定   または
存疑として   記述するものを   見つけ出すことは、非常に難しい。
国内の歴史教科書にも   事件自体に疑いを差し挟んでいるものは
例の「作る会」教科書も含め、おそらく   一つもないと思われる。
南京大虐殺否定論は、右翼たちが、学術的には見向きもされない
根拠のない主張を   勝手に   言い立てているにすぎない。

虐殺否定論は、公の場では認められていない、アングラ的言説だ。
このアングラ説に   とびついた   漫画(ゴー宣)や、「トンデモ本」
などのカルト本のおかげで、世界中から不信感を   招いている。
そういうものしか読まないような者は、こちらが   真説なのだと
思い込んでしまう傾向があるらしい。   じつに   困ったことだ。

小学生レベルの人間でも理解しやすい   子供向け学習事典もある。
たとえば、ネットで検索する百科事典の解説を   引用してみよう。
以下、『学研の学習百科事典   学研キッズネット』   の解説文だ。

  ナンキンぎゃくさつじけん【南京虐殺事件】
  「日中戦争(せんそう)中の1937(昭和12)年12月、中華民国
  (ちゅうかみんこく)の首都   南京占領   (ナンキンせんりょう)
  前後に日本軍(ぐん)がひきおこした   投降兵(とうこうへい)・
  一般住民(いっぱんじゅうみん)を   殺害(さつがい)した事件。
  南京大虐殺   (ナンキンだいぎゃくさつ)ともいう。」
  「日本軍が   殺害(さつがい)した   中国人の   人数については
  数万から30万までの諸説(しょせつ)があるが、この事件は
  中国民衆(みんしゅう)の   怒(いか)りを   高め、国民政府
  (こくみんせいふ)は   武漢(ウーハン)に   うつって   抗戦
  (こうせん)を   つづけた。」

読み仮名があるので、否定派の諸氏でも   読めるだろう。
否定派諸氏なら、学研は反日サヨクが牛耳っている出版社だと
言い出すかもしれないが、実際は   そうではなく、学問的に
すでに定説となっている事実を   書いているだけのものだ。
図書館などに足を運ばない諸氏には、電子書籍もお奨めしたい。
マイクロソフト社の電子百科事典『エンカルタ百科事典』では
以下のように   解説している。

  南京大虐殺   ナンキンだいぎゃくさつ  
  「日中戦争で日本軍が南京で中国人に対しておこなった無差別の
  大量虐殺事件。(中略)軍人・捕虜・一般市民など、虐殺された
  中国人は   数万人とする説から   43万人とする説まであるが、
  少なくとも   20万人以上であった   と推定されている。」
 
  「12月13日に南京を占領した際に、多数の捕虜を不法に虐殺。
  その後数週間にわたって、南京城内外で敗 残兵狩りや、一般市民
  に対する略奪・強姦・放火・虐殺をくりかえした。 この日本軍に
  よる蛮行は   アメリカなど世界中で   報道されたが、日本国民には
  知らされず、第2次世界大戦後の   東京裁判(極東国際軍事裁判)で
  はじめて明らかにされた。(以下、略)」

日本歴史学習事典(1) 

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/29 07:05 投稿番号: [196093 / 196466]
日本国内の書店には   「南京大虐殺はなかった」、「外国人の捏造」、
「情報戦による謀略」、「反日プロパガンダ」、「自虐史観」などの
文言を書き連ねた   事件否定論を流布する   “トンデモ本”が
並んでいる。   来日した外国人   留学生などが   心底から驚き、
これが   日本社会の共通認識なのだろうか   と疑いを持つ。

国際的には   疑いのない歴史的事実として   認識されているが、
日本国内の一部では、70年代の頃から、中国人の捏造だとか、
あるいは   投降兵の殺害行為は正当な行為であった、などという
否定論や   正当化論が   繰り返されている。

しかし、否定論・正当化論は公的に   受け入れられてはいない。
少なくとも   日本で刊行される辞書・事典などには、否定論や
正当化論に基づく   解説などは、まったく   見当たらず、当然
政府や自治体の   公的文書、刊行物にも取り上げられていない。
つまり   否定論などは、少なくとも   学術・学問的には、
歯牙にもかけられていない   ということだ。

『山川   世界史小辞典(改訂新版)』(04年   山川出版社)は、
230名の専門家が   最新の研究成果を取り入れて   執筆した
約9,400項目を収録し、世界史を学習するうえで   必携書
といえる   権威ある歴史辞典の一つだが、その497ページに
掲載されている「南京事件」の項目は、次のように記している。

  「   〔1937〕南京大虐殺   ともいう。   日中戦争初期に
  中国国民政府の首都   南京を攻略した   日本軍が、中国軍民に
  対して   大規模な   残虐行為を行った事件。」

  「1937年   12月13日に   南京を占領した   日本軍は、
  住民を   巻き込んだ   包囲殲滅戦、残敵掃蕩戦を   展開した。
  この時、すでに   戦闘部隊の体をなさず、戦意を   喪失した
  膨大な数の   投降兵、敗残兵、捕虜、負傷兵を、戦時国際法に
  違反して   処刑、殺害した。」

  「日本軍の軍事占領は翌3月まで続き、この間に   敗残兵狩り、
  便衣兵(私服になった兵士)狩りを行い、兵士の嫌疑をかけた
  成年男子市民も   殺害した。」
  「中国女性の強姦、食物や物資の略奪、人家の放火・破壊など
  軍紀の乱れによる   不法行為も   多発した。」
  「南京城内とその周辺   さらに付近の農村を含めて   十数万の
  中国軍民が   犠牲になった   と推測されている。」

以上が、『山川   世界史小辞典(改訂新版)』   からの引用文だが
どこを   見ても、「〜というウソ」   だとか「中国人の作り話」、
「共産主義者のプロパガンダ」   などといった解説は   ひと言も
付記されてはいない。   否定論者の諸氏は、この辞典を執筆した
学者は反日サヨクにちがいない、と   妄言を吐くほかない。

Re: 詳解日本史事典(1) 

投稿者: mr_chinii 投稿日時: 2013/01/29 02:02 投稿番号: [196092 / 196466]
>たとえば   日本政府の公式見解では、犠牲者数は認定できないが
日本軍により   多くの非戦闘員の殺害や略奪行為があったことは
『否定できない事実』   である、としている。

南京では、便衣兵の摘発があった。その数1万5千〜2万余名となっている。この摘発で、蒋介石軍の便衣兵ではない一部の民間市民男子が誤って摘発されたであろうことは考えられる。略奪はほとんどなかった。逆に日本軍から米等の食料が南京市民に配給されている。当時の蒋介石も虐殺云々には言及していない。知らなかったというよりも、無かったからである。南京の外国人牧師の証言も、本人が目撃したことではなく、人からの伝聞と風評でしかない。これは、近代法では証拠にならない。

Re: 安倍内閣:外交の一カ月成績② 3/3

投稿者: mr_chinii 投稿日時: 2013/01/29 01:47 投稿番号: [196091 / 196466]
お主の引用文をもってすれば、魚釣島はどこの国にも属さない、もちろん日本も含み、無主地の無人島であったということになる。名前を付けた経緯も琉球水先案内人の案内により始めて視認し、中国流に名前を付けただけにすぎない。明朝住民もおらなければ、清朝住民もおらん。もちろん施政権を行使した形跡もまったくないことも分かる^^。

中国が1970年代になって資源が眠っていることが分かり、欲に目がくらみ急遽「俺のものだ!」と言い出したにすぎん。76年後に「俺のものだ!」との言い分が現在の国際社会に受け入れられるとでも思っているとしたら、それこそ世界秩序は収拾がつかなくなる。ちなみに、1895年の沖縄県編入以前は、日本も魚釣島を日本領土であるとの主張はしていない。日本のみならず、どこの国も「俺の領土だ!」との主張をしていない。

魚釣島が中国(明国/清国)領土であると主張したいのなら、魚釣島を中国領土であると宣言定めた公文書とこれに伴う施政権行使を証明する史料を出してもらいたい。また、1895年から1971年に至る76年間、中国が魚釣島の日本実効支配に異議を申し立てなかった理由と根拠もな。日清戦争の結果、日本が清国から魚釣島を奪ったという明確な証拠も提示してもらいたいな。参考までに日清戦争結果、日本が清国から割譲を受けた領土には、魚釣島は一切言及されていない。日本敗戦後、連合国(米国)が魚釣島を含む沖縄を委託統治した最にも中国側からの異議申し立ては一切なかった。これは歴史的事実であり、これを裏付ける史料が豊富にあるから、中国がいかなる手法をもってしても「なかったこと」にはできぬ(苦笑)。

Re: 詳解日本史事典(5) 

投稿者: soutennohoshi 投稿日時: 2013/01/29 00:05 投稿番号: [196090 / 196466]
歴史は政治の産物です。

戦勝国により綴られた"歴史的事実"を敗戦国が国家として覆すのは難しいでしょうね。

だからといって、それが真実である証拠にはなりません。

(軍事)法廷や独裁政権、日本の外務省や文科省が歴史の真実を決定するわけではありません。

まして、一出版社や新聞社でないことは明白です。

彼らがしているのは歴史ではなく政治です。


>「70年代から80年代末にわたり、歴史事実か   『虚構』
  『まぼろし』かをめぐって   いわゆる『南京大虐殺論争』が
  展開され、家永教科書裁判の   争点にもなったが、いずれも
  否定論が敗れた。犠牲者数の確定は困難であるが、現段階の
  日本側の研究では、十数万から20万人の   中国軍民が
  犠牲になったと推定する説が   有力である。」 <

これを書いた時点で、あなたのしていることはただの左翼のプロパガンダでしかなくなってしまいました。

それにしても、最後の最後に"推定する説が有力"ですか?
大した科学的論証ですこと。

30万柱が日本軍以外の犠牲者ではないと証明できるのですね?
中国政府は調査への許可をしないのに?

もしかしたらあなたは、中国政府が犠牲者は100万と言い出したら、無批判にそれを宣伝する人ではありませんか?

日本国内では風前の灯火のサヨクさんの最後の足掻きのように見えてしまいます。

侵華日軍南京大屠殺遭難同胞記念館、、笑

投稿者: stmtr314stmtr 投稿日時: 2013/01/28 23:33 投稿番号: [196089 / 196466]
もともと虚構だから客観的資料も皆無なので、
無いのならば、でっち上げる、捏造する、、、
これが支那人のポリシーです。

支那共産党の威信をかけて造った施設に展示した全てが
捏造、偽造、虚構ですが百回言えば本当になる、、、、支那のことわざ


>>>
抗日記念館の正式名称ですが、
写真撮影は駄目だそうです、
仮に写真撮影されれば、展示物の殆どが捏造と合成写真ですから
写真撮影されたくないよな、、、、笑い

侵華日軍南京大屠殺遭難同胞記念館、、笑

投稿者: stmtr314stmtr 投稿日時: 2013/01/28 22:52 投稿番号: [196088 / 196466]
もともと虚構だから客観的資料も皆無なので、
無いのならば、でっち上げる、捏造する、、、
これが支那人のポリシー、、、、笑い

>>>
抗日記念館の正式名称ですが、
写真撮影は駄目だそうです、
仮に写真撮影されれば、展示物の殆どが捏造と合成写真ですから
写真撮影されたくないよな、、、、笑い

侵華日軍南京大屠殺遭難同胞記念館、、笑

投稿者: stmtr314stmtr 投稿日時: 2013/01/28 22:49 投稿番号: [196087 / 196466]
抗日記念館の正式名称ですが、
写真撮影は駄目だそうです、
仮に写真撮影されれば、展示物の殆どが捏造と合成写真ですから
写真撮影されたくないよな、、、、笑い

詳解日本史事典(5) 

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/28 22:40 投稿番号: [196086 / 196466]
『歴史学事典7   戦争と外交』(平成11年初版   弘文堂)には、
かなり詳しく   解説されている。   その一部を   抜粋してみよう。

【南京事件   なんきんじけん】
「日中戦争初期、当時の中国の首都南京を   日本軍が攻略・占領
した際に   中国軍民にたいしておこなった、虐殺、強姦、掠奪、
放火、拉致、連行などの   戦時国際法と   国際人道法に反した
大規模な残虐行為の総体。南京大虐殺事件、略称として南京事件
という。単に南京大虐殺ともいう。」

「激戦3カ月におよび甚大な損害を出した(中略)上海派遣軍は
疲弊して   軍紀も弛緩していたうえに、休養も与えられず、補給
体制も不十分なままに難行軍を強いられたため中国軍民に対する
むきだしの敵愾心と破壊欲を増長させ、虐殺、強姦、掠奪、放火
などの残虐行為を重ねながら   南京に進撃していった。」

「12月4日前後に   中支那方面軍は、中国軍の   南京防衛陣地
(南京特別市行政区に重なる)に突入、南京の県城・農村地域から
日本軍の残虐行為が開始された。   南京城区には40〜50万人
(南京攻略戦以前の人口は100万人以上)、近郊の6つの県には
100万人前後(同じく150万人以上)の市民が残留していたが
日本軍は   これらの膨大な中国民衆を   巻き込んで、南京防衛軍に
対する   徹底した包囲殲滅(皆殺し)作戦を   実施した。」

「同作戦は、戦時国際法に違反して、自ら武装解除した投降兵・
敗残兵あるいは武装解除された捕虜までもすべて殺害することに
なった。   一般民衆も   敵対行為、不審行動をする『敵国民』と
判断された場合は   殺害された。   日本軍は、12月13日
南京城を占領した後、17日の南京入城式に備え、徹底した
残敵掃蕩作戦を展開、長江沿岸などで   捕虜および   投降兵の
大量処刑を行った。」

「武器を捨て、軍服を脱ぎ捨てても中国兵であった者、中国兵
と思われた者は   すべて   殺害したので、多くの市民、難民が
巻き添えにされて犠牲になった。   さらに、日本軍には戦勝の
『慰労』として10日間前後の『休養』が与えられ、総勢7万
以上の日本軍が   南京城内に進駐、勝利者、征服者の「特権」
として強姦、掠奪、暴行、殺戮、放火などの不法行為を行ない
南京事件は頂点に達した。   その後、第16師団が   駐屯して
軍事占領を続け、38年3月28日に   中華民国維新政府が
成立するまで、日本軍の残虐行為は続いた。」

以上、引用した   弘文堂編纂の歴史学事典の解説は、これまで
引用した辞書・辞典の中でも   南京事件の実相をかなり正確に
述べている。   たとえば、日本軍が   南京に進撃する途上から
残虐行為を開始していたこと、南京城占領後の不法行為の事実、
また   その原因と経過についても   あきらかにしている。
なお、この事典には   次のように   付記されている。

  「70年代から80年代末にわたり、歴史事実か   『虚構』
  『まぼろし』かをめぐって   いわゆる『南京大虐殺論争』が
  展開され、家永教科書裁判の   争点にもなったが、いずれも
  否定論が敗れた。犠牲者数の確定は困難であるが、現段階の
  日本側の研究では、十数万から20万人の   中国軍民が
  犠牲になったと推定する説が   有力である。」
 
 
 

詳解日本史事典(4) 

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/28 22:39 投稿番号: [196085 / 196466]
『グローバルライブラリーシリーズⅡ   アジア・アフリカ事典』
(97年第1刷発行   教育出版センター)P.716の記述を見よう。
この事典では、南京虐殺事件に関して、次のように説明している。

【なんきんぎゃくさつじけん   南京虐殺事件】
「日華事変(日中戦争)中の1937年12月13日〜15日に、
南京を占領した   日本軍が引き起こした   虐殺・略奪事件。
さまざまな矛盾に直面した   近衛内閣は、『国内相剋の解消』   を
侵略戦争によって   解決しようと   はかった。」

「こうして   政府および軍部は、中国大陸への侵略を本格化した。
日本軍は当初、長期戦争を   予期してはおらず,当時国民政府の
あった南京を占領すれば、中国は抗戦を断念するであろうと判断
していた。   しかし中国は、共産党の働きかけによる国共合作を
成立させ、持久戦にもちこんだ」

「その結果、日本軍は三光作戦を展開し、中国全土で強姦、虐殺、
略奪を   ほしいままにした。   その典型が   南京事件である。」
「エドガー=スノーの『アジアの戦争』   によれば、南京だけで
4万2千人以上、南京への進撃途上で30万人以上が、殺された。
そのうちの   ほとんどは、『無抵抗』の   婦人・子供であった。」

上記の事典の記述でも、先に引用した『現代アジア社会事典』の
解説と同様に、虐殺事件の期間を   12月13日〜15日だけに
限定するかのような表現がある。
ただし、一方で   南京に至る侵略戦争の経緯、さらに、南京への
進撃途上でも   婦人や子どもを含む多くの非戦闘員が殺害された
という事実を述べている点では、より正確な内容となっている。

もう一冊、別の歴史辞典も   開いてみよう。
『角川   世界史辞典』(01年初版発行   角川書店)P.687
【南京事件】についての   説明は、以下のとおりだ。

「①1927年に南京で発生した国際事件(略)」
「②1937年12月、日本軍が南京の中国軍民に加えた大規模な
残虐事件。南京大虐殺といわれる。(略)日本は12月13日に
中国の首都南京を占領した。その際住民を巻き込んだ包囲殲滅
作戦を実施、すでに戦闘を放棄した膨大な数の敗残兵、投降兵、
捕虜、負傷兵を集団で殺害した。さらに残敵掃討作戦を実施し、
敗残兵狩り、便衣兵(市民服の兵士)狩りを行って   成年男子
市民を集団虐殺した。   軍紀の乱れから   中国女性を強姦する
婦女凌辱行為や食料・物資の略奪、人家を放火・破壊する
不法行為も多発した。   南京城内と   その周辺の農村を含め
20万人前後の中国軍民が   犠牲になったと推測されている」

角川世界史事典の説明でも、期間については   12月13日の
占領直後から掃討作戦が行われていた間に限定しているように
読み取れるが、一方で、南京城内に加えて   周辺農村も含めて
軍民、つまり   兵士と民間人ともに   多くの犠牲が出たことや、
その原因に日本軍の軍紀の乱れがあった事実にも   触れている。
どの辞典でも、おおむね正確に事件概要を記述しているようだ。

Re: ロンドンスモッグ(殺人スモッグ)。

投稿者: sintyou7 投稿日時: 2013/01/28 22:38 投稿番号: [196084 / 196466]
<年間66万人の人が死んでいる<<

ソースは?

詳解日本史事典(3) 

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/28 22:38 投稿番号: [196083 / 196466]
『現代アジア社会事典』(75年第1版第1刷   大和学芸図書)
「南京虐殺事件」   の項には、次のように   記述されている。

【南京虐殺事件】    「1937年12月の   南京占領にさいし、
日本軍が   中国軍の兵士および一般市民多数を   虐殺した事件」
「軍命令による   中国軍民の大虐殺が行われたのは、日本軍が
同市を占領した   37年12月13日から、中支那方面軍松井
石根大将を迎えて入城式があげられた   同17日の前夜までの
4日間であった。   だがその後も   『敗残兵狩り』   と称して
虐殺は続けられた。   また市内全域は2か月にわたり、個々の
日本兵によって、いわれのない虐殺・略奪・放火が   行われた」

「この事件は、日本敗戦後、極東軍事裁判でもとりあげられ、
判決では   この事件の中国人犠牲者の総数を   20万人前後と
いっている。   このほか、極東軍事裁判では   とりあげられな
かったが、南京付近の   長江(揚子江)一帯では   13万人の
避難民と兵士が虐殺され、死体が長江に投げこまれ、川の水は
鮮血でまっかになっていたといわれている。」
「この事件は、当時南京にいた   外国人記者   3人によって
詳しく報道され、たちまち全世界に知れわたったが、日本では
敗戦の日まで   その事実が   ひたかくしに   かくされていた」

上記の   『現代アジア社会事典』   の解説の中にも、捏造とか
中国側のデマという説もある、などと言う文言はどこにも無い。
ただし、気になる点もある。
それは   大虐殺が行われた期間が、12月13日から始まり
同17日の前夜までの4日間であった、としている部分だ。  

実際には、南京市攻略戦は   12月初めから   開始されており、
5日には   第十六師団が句容を陥れ、第九師団は   南京防衛の  
第一線陣地である淳化鎮を占領した。   第十軍の   第六師団と
第百十四師団も並行して   南京に向かって   急進撃していた。

第一線部隊は   先を争うように   南京に向かって殺到したため
それでなくとも滞りがちな兵站の補給が   追い付けなくなった。
各部隊は、現地徴発という名の略奪で   急場をしのぐほかなく、
当然、防衛線の攻防戦の際に   捕虜とした中国軍兵士の給養を
確保する手段もなかった。   投降した敵兵や逃げ遅れた住民が
過酷な運命に   さらされたことは、言うまでもない。

南京大虐殺事件の期間を、日本軍入場後の   13日から始まり
その後の敗残兵狩りの期間だけに限定するのは   正確ではない。
また、事件の範囲を南京城内だけに限定するのも   正しくない。
南京陥落前は戦闘中だから敵の殺害はしかたないという反論も
あるかも知れないが、戦闘中であっても、捕虜の殺害は違法で
あるし、ましてや   非戦闘員に対する略奪や暴行は許されない。

詳解日本史事典(2) 

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/28 22:37 投稿番号: [196082 / 196466]
たとえば   日本大百科全書(小学館)は、南京大虐殺について
客観的な事実であることを前提に、以下のように解説している。

「占領当日から翌日にかけての南京城内外における掃蕩戦では、
戦意を失った多数の中国兵を   掃射によって虐殺し、また以後
1週間ばかりの間に、捕虜や、民間人の間に   身を潜めていて
狩り出された敗残兵(便衣兵)の大部分が   集団虐殺された。」

「戦死者を含めて中国軍の犠牲者は   10万を下らなかったと
推測される。これら将兵のほか、掃蕩戦で犠牲になった市民や
城外からの避難民、また敗残兵狩りの巻き添えで殺された市民も
少ない数ではなかった。   中国軍将兵に対する   集団虐殺は
明らかに   軍命令によるものであった」
さらに、被害の状況については、以下のように   記述している。

「城内家屋の被害は軍事行動によるもの1.8%、放火13%
(主要実業街は平均32.66%)、略奪63%に及び、中国人
は南京に処女1人もなしと称した」
「日本軍は   遺棄死体   8万4000   と発表したが、現地の
慈善団体が組織した二つの埋葬隊の記録によれば、その埋葬数は
あわせて15万5337体   に上り、揚子江(ようすこう)岸で
集団虐殺されて   同江に投棄されたもの   その他を加えれば、
中国軍民の犠牲者は   20万を下らなかったものと推測される」

上記の百科事典は各学術分野の研究成果に基づき、科学的視点で
まとめられており、相当の   準備期間と   綿密な編纂作業を経て
世に出されている書籍だ。   擬似科学や   オカルトを   主張する
トンデモ本とでは、情報の質・量とも   まったく比較にならない。
後者が垂れ流す情報を妄信して、世界に通用しない説を吹聴する
南京虐殺否定論者は、カルト教団の   狂信的信者に   等しい。

ちなみに、「トンデモ本」   に関して言えば、「と学会」   では
虐殺否定派の論客として知られる   亜細亜大学の東中野教授の
著書について、次のように   批評している。

「東中野教授がどんなデタラメな手法を用いているかが分かる。
些細な矛盾点を針小棒大に取り上げて証言全体を否定しようと
したり、文章を引用する際、歪曲して   正反対の意味にして
しまったり、都合の悪い記述は   無視する一方、信憑性の低い
資料を重視したり、まさに『好き勝手』   としか、いいようが
ないのだ。   南京大虐殺の   犠牲者数については、『三〇万人』
と『ゼロ』という   両極端のトンデモ説が   火花を   散らして
いるが、東中野教授の著書はその中でも特にインチキだらけの
ひどい代物   なのである――」

たしかに   東中野氏の著書を読んでみると、客観性に乏しく、
検証手法も   お粗末で、幼稚な内容だと感じるものではあるが、
すくなくとも、東中野氏も   虐殺や略奪があったことは
事実として   認めている。   ただ、それを   合法化しようと
さまざまな   詭弁を   こねくりまわしているにすぎない。

詳解日本史事典(1) 

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/28 22:36 投稿番号: [196081 / 196466]
留学生などの   外国人が、日本に滞在していて   驚くことのひとつは、
書店に行くと   南京虐殺事件を   「ウソ」、「虚構」、「マボロシ」
「捏造」   とする本が、堂々と   平積みされていることだ   という。
また、テレビ番組で   一部の評論家が、「南京大虐殺はなかった」
「外国人の捏造」   などと発言していることも   不思議だという。

さらに、電車の中吊り公告で目にする   週刊雑誌などの目次には
南京虐殺に関連して、「米中の情報戦による謀略」   だとか、
「反日プロパガンダ」、「自虐史観」、「左翼・マルクス主義史観」
などの文字が   躍っているのを   目にする。  
そこで   留学生たちは、日本の社会では   南京虐殺否定論が主流で  
圧倒的なのだ   と思ってしまう   というのだ。
しかし   実際には、そうではない。  

たとえば   日本政府の公式見解では、犠牲者数は認定できないが
日本軍により   多くの非戦闘員の殺害や略奪行為があったことは
『否定できない事実』   である、としている。
また   出版物については、いわゆる「トンデモ本」   とよばれる
一部の自称研究家の著書を除き、辞書・事典類   をはじめとする
学術書、教科書、公文書類はいずれも虐殺事件を事実としている。

日本で   広く使用されている国語辞典   『広辞苑』   第四版を開くと、
【南京】   の項目には   「南京大虐殺」   の小項目があり、
「日中戦争で南京が占領された37年12月前後に   南京城内外で
日本軍が   中国軍の投降兵・捕虜   および一般市民を   大量に虐殺し、
あわせて放火・略奪・強姦などの非行を加えた事件」   とある。

『大辞泉』では   【南京大虐殺】の解説として、「日中戦争初期の
昭和12年、南京を占領した日本軍による中国軍捕虜や一般市民
に対する大規模な略奪・暴行・虐殺事件」   と記述している。
『大辞林』は   同項目で、「日中戦争さなかの 1937 年12月
から翌年 1 月にかけて、南京を占領した日本軍が中国人に対して
行なった大規模な暴行略奪虐殺事件。   このとき殺された中国人の
数は、極東軍事裁判では   二〇万人以上、中国側の発表では三〇〜
四〇万人とされる」   と説明している。

また、「詳解   日本史用語事典」(三省堂03年発行)   を開くと、
【南京大虐殺】   の項目には、次のように   記述されている。
「1937年12月、日本軍は   国民政府の首都   南京への攻略戦で
十数万人から20万人の   中国兵捕虜や民間人を虐殺し、略奪・
暴行・放火・強姦などの   残虐行為を行った。」
「欧米では   『南京アトロシティー(大虐殺)』   と報道され  
国際的非難を浴びたが、日本国民には   知らされなかった。」

どの辞書・事典も、たとえば   「〜という説である」   だとか、
「あった可能性もある」   などという   曖昧な表現   ではなく、
事実を指す言葉、実際にあった事件として、説明している。
もとろん、「外国人によるウソ」   「反日勢力の用語」  
などという解説は、いずれの   辞書・事典の   どこを探しても、  
ひとことも   見出すことは   できない。
 

Re: メスブタが産んだ日本のガキオヤジ

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2013/01/28 22:20 投稿番号: [196080 / 196466]
日本から出ていきな〜。チャンコロ〜!

人間食って当たり前の歴史が5000年てか〜。下らん歴史だの〜。

メスブタが産んだ日本のガキオヤジ

投稿者: kota234kota 投稿日時: 2013/01/28 22:15 投稿番号: [196079 / 196466]
他人の不幸を嬉しがる低能オヤジを追放しなければ世界は浄化されない。

ドロミヅ啜って呑みやがれ。

Re: ロンドンスモッグ(殺人スモッグ)。

投稿者: bnqdbofmde 投稿日時: 2013/01/28 22:11 投稿番号: [196078 / 196466]
中国政府が昨年12月発表した「重点地域の大気汚染対策」(2011〜15)では1000億元(約1兆4000億円)を大気汚染の深刻な3つの地域(北京・天津・河北、長江デルタ地帯、珠江デルタ地帯)と9大都市群(遼寧省中部、山東半島、武漢市とその周辺、長沙・株州・湘潭エリア、四川省中部・北部、陝西省漢中エリア、新疆ウイグル自治区ウルムチ都市群)に投入し、107都市で大気汚染の総合的な対策を進める。この対策の対象地域は、げんざいの大気汚染による被害地域と基本的に一致している。

大気汚染、土壌汚染、水質汚染を浄化し元にもどすのは「2005年時の大気状態に戻すには10年以上かかる」そうだ。たかだか1000億元(約1兆4000億円)を対策費として投入した。この金額では汚染を取り除くにはまさに、スズメの涙というもの。

ハッキリ言ってこの中国の汚染状況はロンドンよりも遥かに広範囲で、汚染の状況が深刻である。
まだ命が失われていないなんてとんでもない。中国ではもうこれが原因で年間66万人の人が死んでいる。

これからもっと深刻な状況になるだろう。

Re: 中華思想と大気汚染

投稿者: kota234kota 投稿日時: 2013/01/28 22:10 投稿番号: [196077 / 196466]
メス犬の股からでてきたってのは、オマエのことだよ。

Re: 中華思想と 日本のメス犬息子

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2013/01/28 22:10 投稿番号: [196076 / 196466]
反日教育を国家挙げて行っている民族、チャンコロやチョンスケに同情して貰いたくも有りませんな〜。

Re: 大東亜戦争肯定論、良い本です

投稿者: stmtr314stmtr 投稿日時: 2013/01/28 22:09 投稿番号: [196075 / 196466]
左翼がクルクルパーな理由は視野狭窄だからです
それが証拠に若いときに左翼思想に染まることが多い
例えば、
モンゴル語も満州語も知らずに中国史を語る左翼の学者
西洋史を枠外に置いて日清日露戦争を左翼学者
過去の価値観や忘れて現在の価値観で歴史を語る左翼の学者
等など、このように左翼の学者は二流三流の学者ばかりだ。
殊に、東大や京大にいる歴史学者は三流だな


>>
昔、二十歳頃に読みましたが、本当に良い本です。
東南アジアでも、アフリカでも、中南米でも、
戦前の日本の偉業が讃えられている、、これが真実だ

Re: 安倍内閣:外交の一カ月成績② 3/3

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2013/01/28 22:07 投稿番号: [196074 / 196466]
チャンコロのシンチョウ。

清王朝は台湾は毛外の地として、日本国の領土だと文献に残しているんだが。
日清戦争で、敗戦した清王朝が、その日本国の領土と認定していた台湾国を日本国に永久割譲〜。何が如何あれ、台湾国は日本国。お前ら蒋介石が奪った日本国の領土。

そもそも、清王朝って満州人が創った国だがなぁ〜。お前ら漢民族は万里の長城より北には出て行ってはならんのだがなぁ〜。

南はそれこそ南京止まりがお前らの生息範囲だの〜。西方面はチベット、東トルキスタン内モンゴルは元より外国だがなぁ〜。

ま、漢民族は元に戻れ〜!それが世界や人類の為〜!

Re: 中華思想と 日本のメス犬息子

投稿者: kota234kota 投稿日時: 2013/01/28 22:06 投稿番号: [196073 / 196466]
>>>何が中華思想だ「ザマー見ろ」と言いたい。この環境汚染

>>>>>呼吸器系の病気で治療を受けにきた患者数は、900人に達したという。このほか、>>>>同院は平均で1日に1万人近い患者を診察しているが

オマエは日本国の恥だ。南朝鮮人が3.11   日本の東北災害のとき喜んだのと同じ
レベルの人間だ。オマエはメス犬の股の間から産まれてきたようだな。

ロンドンスモッグ(殺人スモッグ)。

投稿者: sintyou7 投稿日時: 2013/01/28 21:25 投稿番号: [196072 / 196466]
<1952年12月5日から12月10日の間、高気圧がイギリス上空を覆い、その結果冷たい霧がロンドンを覆った。

あまりの寒さにロンドン市民は通常より多くの石炭を暖房に使った。

同じ頃、ロンドンの地上交通を路面電車からディーゼルバスに転換する事業が完了したばかりだった。

こうして暖房器具や火力発電所、ディーゼル車などから発生した亜硫酸ガス(二酸化硫黄)などの大気汚染物質は冷たい大気の層に閉じ込められ、滞留し濃縮されてpH2ともいわれる強酸性の高濃度の硫酸の霧を形成した。

亜硫酸ガスのピーク濃度は、平常時に 0.1 ppm 程度だったものが 0.7 ppm 、浮遊煤塵の量は平常時に 0.2 mg/m3 だったものが 1.7 mg/m3 を超えていた。

この濃いスモッグは、前方が見えず運転ができないほどのものだった。

特にロンドン東部の工業地帯・港湾地帯では自分の足元も見えないほどの濃さだった。

建物内にまでスモッグが侵入し、コンサート会場や映画館では「舞台やスクリーンが見えない」との理由で上演や上映が中止された。

同様に多くの家にもスモッグは侵入していた。

人々は目が痛み、のどや鼻を痛め咳が止まらなくなった。

大スモッグの次の週までに、病院では気管支炎、気管支肺炎、心臓病などの重い患者が次々に運び込まれ、普段の冬より4,000人も多くの人が死んだことが明らかになった。

その多くは老人や子供や慢性疾患の患者であった。その後の数週間でさらに8,000人が死亡し、合計死者数は12,000人を超える大惨事となった。<<


ま、日本も経済成長時代には四日市公害もあった事だし、死者が出ていないなら手遅れになる事も無いだろう。


放射能を撒き散らしている訳でもないし、本気で対処すれば、数年で解決出来るだろう。
数万年かかる事は無いと思ふ。

Re: 安倍内閣:外交の一カ月成績② 3/3

投稿者: sintyou7 投稿日時: 2013/01/28 21:16 投稿番号: [196071 / 196466]
何か、前にも同じ論争ありませんでしたっけ?

<日本政府は依然として「尖閣諸島」は、わが国「固有の領土」だといい、また中国も「釣魚諸島」を中国「固有の領土」と主張しているからだ。

「固有」という言葉を広辞苑で引けば、以下二つの解が示されている。「①天然に有する。もとからあること。②その物だけにあること。特有」。

この二つの解のなかで、この問題に該当するのは①の解だが、もちろん、この言葉の厳密な解である「天然に有する」は、この場合、適用できない。

この厳密な解での「固有の領土」などというものは、この人類社会には存在しないからだ。

手っ取り早くいえば、狩猟社会には「領土」は存在しない。

それは、たとえば、「國(くに)」という漢字を解体すれば、自ずから明らかだろう。

「囗」は囲いで、まさに領土、「戈」は武器で、口は人で、一は大地だ。つまり、人類は狩猟社会から農業社会に入って初めて国家を作り、領土を持つに至ったわけだ。

ここで「固有の領土」という言葉で言われているのは、やや漠然した解での「固有の領土」で、「もとからある領土」という程度の意味だ。

だから「尖閣諸島」=「釣魚諸島」問題はややこしいことになる。

中国では明代から釣魚諸島のことは知られていただけではなく、それぞれの島嶼に名前がつけられていた。つまり「釣魚台」「赤尾嶼」などと。

それだけではなく、江戸時代中期に出版された林子平の『三国通覧図説』(1785年)には、中国の地誌を取り入れた地図がつけられ、そこには、これらの島嶼が清国の領土として桃色に刷り分けられている。

ところが、それから時代が下って、日清戦争の最中の1895年1月、日本は国際法上、釣魚諸島が「実効支配」のない「無主の地」であるとして日本の領土に加えることを宣言したのだ。

それに対して、清国政府だけではなく、その後の国民政府からも公然とした抗議が寄せられず、以来、数十年も経っているから、わが国「固有の領土」であるというのが、現在の日本政府の立場だ。

しかし、国際法の「無主の地の先占」の概念(分かりやすくいえば、どこの国家にも属していない土地は、最初に同地に国旗を立てた国の領土としていいという法理論)は歴史的にも大きな問題を孕んでいる。

西歐列強は、あの大航海時代を通じて、この法理によってアフリカやアジアやアメリカのもろもろの未開地域、つまり彼らのいう「無主の地」を自身の「領土」と宣言し、植民地にしてきたからだ。

日本も彼らにならって、具体的には米英の外交官の指導を受けて近隣地域を自身の領土に加えようとしていた。たとえば、「台湾出兵」など。

沖縄はもと琉球王朝として独立の国家だったが、日本帝国の膨張主義政策のなかで、具体的には「台湾出兵」や日清戦争の過程で日本の領土となったものだ。

そういう背景のなかでの釣魚諸島の領有だ。したがって堂々と胸を張って、「尖閣諸島」は、わが国「固有の領土」だと言えるものではない。

「尖閣諸島」の名前は、もとはいえば、英国の海軍調査官がPinnacle Islandsと呼んだものを、日本海軍が日本語訳したものに由来する。このことも、この間の事情を雄弁に語っているといっていいだろう。

こういう歴史的な背景を考えれば、「尖閣諸島はわが国固有な領土である。領土問題は存在しない。粛々と国内法に照らして中国漁船の違法行為を処理する」という前原外相の言葉はあまりに軽すぎ、中国政府の激しい反発も招いたのは当然だったといわざるを得ないだろう。
いつまでも、この問題を棚上げしておくわけにもいくまい。日本政府は真正面から、この問題に向き合い、「戦略的互恵」を踏まえて中国政府と協議と交渉を進めるべきだろう。

この水域は、いずれにせよ、日中の領海が隣り合う地域である。東アジア共同体が近未来に眺望される現在、それに向かって平和な海を実現することが急務だろう。<<


つまり、尖閣諸島の昔からの本来の名前は、「釣魚島」、「赤尾嶼」であり、

Pinnacle Islands=尖閣

と名付けている時点で既に、イギリスが名付けた名前を流用しただけの島名であり、固有の領土では無いという事を証明している。

日本が尖閣諸島の領有を主張したいのなら、本来の名前へ変更してからの話である。

Re: 中華思想と大気汚染

投稿者: mr_chinii 投稿日時: 2013/01/28 19:56 投稿番号: [196070 / 196466]
日本は、40年前にこのことを中国に忠告したのだが、中国は聞く耳を持たなかった。残念なことである。身から出たサビとはこのことだな(苦笑)。では、食事じゃ。暫時失礼する^^。

Re: 『植民地解放戦争』論(5)

投稿者: mr_chinii 投稿日時: 2013/01/28 19:49 投稿番号: [196069 / 196466]
>過去の戦争が、植民地解放目的の   「聖戦」だった   というのは、
見苦しい言い逃れ、あるいは   単なる結果論に過ぎず、不正義で
野蛮な   侵略戦争を、到底   正当化できるものでは   ないのだ――
  と、オイラは   徒然と   想うんだけどね・・・・

確かに当時の日本の朝鮮/満州/中国への進出は、「聖戦」ではなかったと私も考える。当時の朝鮮/満州/中国は、まだ欧米列強の植民地ではなかったから、植民地解放「聖戦」にはあたらない。だが、タイを除く東南アジア、すなわちインドシナ半島やインドネシア、ビルマ、インド、フィリピン等はすべて欧米の植民地であった。日本が南進したのは、植民地解放が主眼ではなく、主眼は資源貧弱な日本の経済軍事力を支えるための石油等南方資源を手に入れるためであった。

したがって、旧日本の進出については、端緒が異なる朝鮮/満州/中国と東南アジア南方地域を別々に分けて考察考証する必要がある。特に南方諸国では、東洋の小国にすぎない日本が強大と思われていた白人優越主義の欧米列強を駆逐したことに大いに元気勇気付けられ、白色人種に対する無意識の服従や劣等感を払拭している。

これに対し、朝鮮/満州/中国への進出は、これが先の大戦の発端なのだが、南方諸国への進出とは決定的に異なる理由/原因がある。貴殿が引用されたこの論評は一理あるが、一方の視点からしか分析評価していない。なぜそうなったのか?   との状況動機には目を塞いでいる。したがって論文論評としては、この内容部分だけでは「片手落ち」である。もしこの執筆者が私の研究室に入りたいと希望しても、私は選抜しないだろうな。偏狭狭隘な心に問題があり、研究者としては不適格ということだ。

では、日本が先の大戦に至った根本的理由と原因を時間を見ながら考察してみよう。タイトルは、それぞれケースごとに適宜変えて論じる。強大脅威な帝政ロシアの南下政策と日清戦争/日露戦争/三国干渉からリットン調査団/ABCD包囲網/ハルノート/太平洋戦争に至る過程と状況を順に分析考察してみたい。大事なことである。

中華思想と大気汚染

投稿者: bnqdbofmde 投稿日時: 2013/01/28 19:06 投稿番号: [196068 / 196466]
『中国新聞網』(1月13日付け)は、中国各地で広範囲にわたって有害物質を含んだ濃霧が発生している事態を次のように伝えた。
北京では連日の濃霧により、都市部では6段階で最高の汚染度を記録している。街全体に有害物質が立ち込め、住民が汚染された空気を吸っている状況に、ネット上では「人間清浄機」といったジョークまで登場している。観測センターによると、大気汚染影響で呼吸器や循環器の疾患で病院に搬送される患者が急増している。
『チャイナフォトプレス』(1月14日付け)は、次のように伝えている。
北京市ではここ数日の深刻な大気汚染により、呼吸器系の病気を患う人が増えている。なかでも、年配者や子供の患者が目立っている。北京児童医院の看護師によると、同院には毎日800人をこえる呼吸器系の病気を患った子供が治療を受けている。今月13日、呼吸器系の病気で治療を受けにきた患者数は、900人に達したという。このほか、同院は平均で1日に1万人近い患者を診察しているが、うち30%が呼吸器系の病気だという。

『チャイナレコード』(1月13日付け)は次のように伝えている。
1月11日、米国の国家高齢者問題研究所の研究者は、1万5000人近くの50歳以上の高齢者を対象とした調査により、空気中の微粒子状物質(PM2.5)は思考力の低下(脳の劣化)を引き起こす重要な環境リスク要因である。という可能性を発見した。微粒子状物質は体内に吸収されると体積が小さいため、肺や大脳に蓄積される可能性があるという。空気汚染が肺への影響を通じて、人間の平均寿命を著しく縮めるという。

中国政府は財政支出の基本方針を間違えている。防衛予算にGDPの2パーセントもの巨額を使い、環境対策予算は0.56%(2011年)と微々たるものである。この差はどこから来るのか。防衛予算では既得権益が張り巡らされており、ここから甘い汁を吸っている集団が存在しているはずである。彼らが推進力となって、防衛費の底上げの策略をめぐらせている。中国政治の実態から判断して、十分に想像できることだ。環境対策はそうした既得権益集団も存在せず、これまで地方政府自体が環境対策に不熱心であった。
環境対策予算は、建設事業などGDPを直接押し上げる分野に回して、自らの出世の踏み台にしてきたことは明白である。これが、中国官僚の一般的な姿である。これらの恐るべき環境破壊の結果、健康を害した国民は年に100万人を超したという。この人達への治療などにかかる医療費は莫大な金額に膨れ上がっていくだろう。

習近平の唱える「中華思想」を基にした「中華民族再興」なる夢物語のために、GDPの2%といわれる莫大な軍事費をつぎ込み、周辺諸国と摩擦をおこし、自国の国民にはおそるべき環境破壊による食糧生産の滞り、健康侵害を強いている。

何が中華思想だ「ザマー見ろ」と言いたい。この環境汚染、環境破壊の被害から逃れる手っ取り早い方法を教えてやろうか?。

習近平が日本の皇居前で跪き、天皇陛下の前で三跪九叩頭の礼をすることである。

日本はこの環境汚染から逃れるノウハウと技術を持っている。

それとも、環境汚染防止の技術とノウハウを自分で開発しますか?。支那人にはまず無理でしょうな。中国国民に永遠に苦痛を強いることになる。

Re: 安倍内閣:外交の一カ月成績② 3/3

投稿者: mr_chinii 投稿日時: 2013/01/28 18:01 投稿番号: [196067 / 196466]
それに、そもそも台湾がまだ中国に帰属しておらず、その存在がほとんど知られていなかったこの時代に、台湾より東に170キロ遠方にある孤島が地理的に台湾の附属島嶼を成すのかどうかが航海者の関心を惹いたとはとても考えられない。

  かくして、文理解釈からも時代背景からも『日本一鑑』の「釣魚嶼 小東小嶼也」の文言より「尖閣諸島は台湾附属の島嶼である」という解釈を引き出すことはできない。

■尖閣が中国の領土だった形跡なし

  その他の清代の中国史料からも「清代に尖閣諸島は中国の領土となった」ことを立証する直接的な証拠は見出せない。また引用されている史料の文言は多義的で比喩的な表現が多く、間接的な証拠として見ることも困難である。それに関連して、清代を通じて、尖閣諸島が台湾島の附属島嶼として、中国(国家)によって、また、一般にも、認識されていたことは決して確認されない。中国や琉球(日本)及び西洋人による文献や地図・海図から示されることは、むしろ、19世紀において尖閣諸島が地理的に琉球諸島の一部と見なされていたと推測させる資料(データ)の方がずっと多いことである。

  かくして、中国側史料の分析より得られる結論は、「尖閣諸島は、明・清代を通じて中国の領土であったことはないし、また、台湾の附属島嶼として見なされてもいなかった」というものである。

  日本の尖閣諸島領有に対して、中国側は1970年までの76年間なんら異議を唱えず黙認してきた。1902〜32年の時期に中国は、西沙諸島に対するフランスの先占の動きには即時に強い抗議をしているのに対して、同時期、尖閣諸島における日本の主権行使に対しては全く沈黙を保ってきた。第二次世界大戦後の台湾や沖縄の日本からの分離に際しても同様であった。これらの事実は、この時期中国が尖閣諸島を自国領土として考えていなかったことを端的に立証するものである。

  日本が尖閣諸島に対して領有権を有することは間違いない。日本は中国に対して主張と反論を繰り返すとともに、国際社会に対してそのことを積極的に発信していくべきである。それと同時に、尖閣に対する実効支配を強化していく必要がある。尾崎重義(筑波大学名誉教授)WEDGE2013年1月号>

以上^^

Re: 安倍内閣:外交の一カ月成績② 2/3

投稿者: mr_chinii 投稿日時: 2013/01/28 17:58 投稿番号: [196066 / 196466]
■中国が領有主張する根拠を検討すると

  まず、明代について。ここでは、明代には台湾島がまだ中国領土ではなかったという紛れもない歴史的事実を前提に考える必要がある。そうすると、その台湾島よりはるか遠方に位置する尖閣諸島が当時中国の領土であったことはありえないのである。絶海の孤島群である尖閣諸島が台湾とは無関係に、はるか遠方の中国福建省の飛び地であったとか、中央政府の直轄領であったというのは荒唐無稽な話にすぎない。

  それでは、明代に中国が国際法的な意味で尖閣諸島を「発見」したという主張はどうか。

  中国側は、1534年に冊封使陳侃が明朝の使節として琉球に赴く途中で尖閣諸島を望見し、これを中国語の島名で公式の記録に記載したことが国際法にいう「発見」に相当すると主張する。

  しかし、これも直ちに否定される。まず、この記録からは、これらの諸島に対する領有意思が全く明らかにされていない。陳侃はただ久米島を見て「これすなわち琉球に属する島なり(乃属琉球者)」と述べているだけである。実は、陳侃は途中の島など何も知らずに久米島まで来て、そこで琉球人に教えられてそれが琉球領であることを初めて知ったのである。途中の島はすべて大海に孤立する無人島であり、ただ帆船航海の航路の目じるしとして注目され島名もつけられていたにすぎない。

  当時冊封使船の航海は琉球王国から派遣された水先案内人や熟練の水夫に頼り切りであり、島名も彼らから聞いたものを中国語に訳したと思われる。当時琉中間航路では圧倒的に琉球の船の通航の方が多かった。

  琉中間の通航が始まった1372年から陳侃が渡琉した1534年までの162年間に、琉球の官船441隻が尖閣諸島の航路を通航していたのに対して、同時期の明国の官船はわずかに21隻であった。また琉球の船が1372年から渡航しているのに対して、陳侃が渡航したのはその162年後である。つまり、「発見」はむしろ琉球王国によってなされたといいうるのである。

  その後の郭汝霖『使琉球録』(1561年)の「赤嶼は琉球地方を界(さかい)する島なり(赤嶼者界琉球地方山也)」の文言については、同じ郭汝霖の『石泉山房文集』の中に「赤尾嶼は琉球領内にある境界の島であり、その島名は琉球人によって付けられた」と述べた一節があることが指摘されている。他に、『籌海図編』(1562年)、『日本一鑑』(1565年)等の明代後期の海防書からも当時尖閣諸島が中国領土であったとする証拠を見出すことはできない。

  かくして、明代の中国史料から、「明代において尖閣諸島は中国の領土ではなかった」ことが判明する。

  次に、清代に尖閣諸島は中国の領土となったのか。一般論として、このことを認めるのは困難である。清代の文献で、尖閣諸島を中国領土と明記したものは見当たらないし、清国が同諸島の領有を宣言して併合したり、そこに実効支配を及ぼしていたりした事実はないからである。

  ここで唯一可能な議論は、尖閣諸島は地理的に台湾の附属島嶼であり、台湾が清代に中国領土となったときに、いわば自動的に尖閣諸島も中国領土となったと説くものである。

  Han-yi Shaw氏は、その歴史的証拠として、明代の『日本一鑑』の中の「釣魚嶼 小東小嶼也」の文言を援用する。『日本一鑑』は別のところで「小東島はすなわち小琉球である。日本人はそれを大恵国(台湾のこと)と呼んでいる」と説明しているのだから、ここで「小東」は明らかに台湾島のことである。したがって、「釣魚嶼 小東小嶼也」の文章は、「釣魚嶼(魚釣島)は台湾島附属の小島である」と説くのである。

  しかし、この解釈には無理がある。文脈では「小東」と「小東島」は明らかに区別されている。台湾島は明確に「小東島」または「小東之島」と表現されている。ここで「小東之島」は「小東にある島」としか読めない。つまり、「小東」は海域を指すのであり、小東洋なのである。具体的には、日本列島から沖縄列島を経て台湾ぐらいまでの列島弧沿いの太平洋海域を指し、大東洋(太平洋中央部)、小西洋(インド洋)、大西洋(今の大西洋)に対比される概念である。その小東海域にある大きな島すなわち「小東島」が台湾島で、その海域に浮かぶ小さな島すなわち「小東小嶼」が釣魚嶼なのである。よって、ここは「釣魚嶼は小東の海(小東洋)にある小さな島である」と読むのが自然な読み方なのである。<続く>

Re: 安倍内閣:外交の一カ月成績② 1/2

投稿者: mr_chinii 投稿日時: 2013/01/28 17:51 投稿番号: [196065 / 196466]
>断言出来ないのに、日本は勝手に国有化していいんですか?

sinさん、以下をどう思われる?^^

<尖閣はなぜ日本領か 歴史的・法的根拠を示そう
WEDGE 1月24日(木)15時0分配信

  尖閣諸島は歴史的に中国の領土であり、日本が一方的に奪ったと国際的にPRする中国。一方で、尖閣をめぐり解決すべき領有権の問題は存在しないと一点張りの日本。歴史的な事実や当時の史料を読み解けば、尖閣が中国や台湾の領土であったことは確認されず、歴史的にも国際法的にも、日本に領有権があることは確実だ。日本は中国に対して主張と反論を繰り返し、国際社会へ積極的に発信する必要がある。

  2012年9月、経団連の米倉弘昌会長は、尖閣諸島に関して「領土紛争」が存在すると政府が認めるべきだと発言した。また今回の総選挙に向けた日本維新の会と太陽の党の政策合意では、「尖閣諸島について中国にICJ(国際司法裁判所)への提訴を促す」としている。

  しかし、ここで注意が必要である。ICJは国家間における「法律的紛争」の解決を任務とする国際裁判所であって、政治紛争を扱う機関ではない。日本が尖閣問題をICJに付託すれば、日中間の法律的紛争として認めたことになり、尖閣諸島の日本領土としての地位を不安定にする恐れがある。尖閣諸島は決して係争地などではない。歴史的経緯からしても国際法から見ても日本の領土であることに疑いはないのである。

  つまり、尖閣紛争とは、日本の領土としてこれまで認められてきた地域について、突然に中国側が領有権を主張したことにより生じた外交・政治の問題であって、決して国際法的な意味での領土紛争ではない。そのことを以下で明らかにする。

  国際法上「先占」とは、どの国家にも属していない「無主の地」を、他の国家に先立って実力で支配すること(先占行為)によって自国の領土とする行為をいう。先占の要件として、(1)その土地を領有しようとする国家の意思がなんらかのかたちではっきりと対外的に表示され、かつ(2)国家がその土地を実効的に占有することが求められる。

■国際法上、日本は実効的に支配

  1895年1月以降日本政府が尖閣諸島に対してとった一連の措置はこの先占の要件を満たしており、日本は同諸島に対する領有権を取得するに至ったということができる。

  すなわち(1)の要件に関しては、尖閣諸島を「沖縄県の所轄」と認めた閣議決定(1895年1月14日)と、それにより許可された民間人が現地で開拓に従事し、標柱を建て、日常的に国旗を掲揚していたこと、及び、日本の領有意思を黙示的に表示する一連の統治行為を島に対して行ったこと等により、わが国の領有意思は十分明確に表明された。

  (2)の実効的占有(ないし支配)の要件に関しては、次のようなさまざまな統治行為を挙げることができる。

  明治政府が尖閣諸島を国有地に編入し、同地で民間人が国の指定する土地利用を独占的に行うのを許可したことは、とりも直さず同諸島に対する国の実効的支配を示すものである。他にも、国有地台帳への登録と地番の設定、同諸島の一部の民間への貸与と払下げ、警察や軍による遭難者救助等の行政行為がなされた。

  以上、1895年以降日本政府が尖閣諸島に対してとった一連の措置は、前記先占の要件に十分に合致したものであった。

  ただし、先占の成立には重要な前提条件がある。それは、先占しうる土地は国際法上の無主地すなわちどの国家にも未だ属していない土地であるという条件である。

  中国・台湾は1971年にこの点を突いて、「尖閣諸島は歴史的に中国の領土であったのを、日清戦争中に日本が一方的に自国領土に編入した」と主張し始めた。そもそも、国家が自国の領土を一方的に他国に編入されたまま76年間も放置してきたとはとても信じられない話であるが、中国は76年後にこのように主張して日本の先占の有効性を否定しようとするのである。この中国の領有主張が歴史的観点から見て正当と見なしうるのか簡潔に検討したい。

  尖閣諸島が歴史的にどのような法的地位にあったのか考えるときには、時代を明代(1368年〜1644年)と清代(1644年〜1912年)とに分けて考えることが適切である。そして、(1)「明代において尖閣諸島は中国の領土であったのか」、(2)(そうでないとしたら)「それでは、清代に尖閣諸島は中国の領土となったのか」と順を追って考えていくと分かり易い。<続く>
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