『植民地解放戦争』論(3)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/27 23:16 投稿番号: [196027 / 196466]
戦前・戦中、思想弾圧に
威力を振るったのは
治安維持法だった。
公式の記録では 送検者75,681人、起訴5,162人 となっているが、
明治期制定の警察犯処罰令など 一連の治安法規も含めた逮捕者は
じつに 数十万人にも達したとされる。 また、記録には残されて
いないが、拷問・虐待による 多数の死者が出た といわれている。
治安維持法は、日本国内の 反戦平和の主張を抹殺するだけでなく、
植民地独立運動の弾圧に 猛威をふるい、多くの人命を うばった。
法適用の最初は 日本本土では1926年1月の京都学連事件だが、
朝鮮では それより前年の 25年11月で、66人が検挙された。
治安維持法を使った弾圧は、朝鮮独立運動に対し、より苛酷だった。
それは、朝鮮半島でのみ同法違反による死刑が執行されたことにも
表れている。 また、日本本土では 28年から38年までの間に
同法違反で 無期懲役を言い渡された者は わずか 1名だったが、
朝鮮では 39名に上った。 さらに、懲役15年以上の 刑では
本土が 7名であるのに対し、朝鮮では 48名となっている。
「朝鮮ノ独立ヲ達成セムトスルハ 我帝国領土ノ一部ヲ僣窃シテ其ノ
統治権ノ内容ヲ実質的ニ縮小シ 之ヲ侵害セムトスルニ外ナラサレハ
即チ治安維持法ニ所謂国体ノ変革ヲ企図スルモノト解スルヲ妥当トス」
これは、新幹会鉄山支部設置に対する 治安維持法違反事件における
30年7月21日付、朝鮮総督府 高等法務院での判決だ。
つまり、植民地における 独立運動も 治安維持法違反と位置づけ、
死刑をもって これに臨んだのだ。 このことだけを見ても、当時
日本帝国には、植民地解放や 民族主権の尊重 などという思考は、
一欠片も存在していなかった という事実が 理解できるだろう。
当時の 膨張志向を顕著化させていた 日本の帝国主義に対して、
石橋湛山は、1921年7月21日付の 『東洋経済』 社説で
「一切を棄つるの覚悟」 と題し、次のように 批判している。
我が国の総ての禍根は、小欲に囚われていることだ。(中略)
もし政府と国民に、総てを棄てて掛かるの覚悟があるならば、
必ず我に有利に導きえるに相違ない。例えば、満州を棄てる、
山東を棄てる、支那が 我が国から受けつつありと考えうる
一切の圧迫を 棄てる。 また 朝鮮に、台湾に自由を許す。
その結果はどうなるか。 英国にせよ、米国にせよ、非常の
苦境に陥るだろう。何となれば、彼らは日本にのみかくの如き
自由主義を 採られては、世界における その道徳的地位を
保つ得ぬに至るからである。そのときには、世界の小弱国は
一斉に 我が国に向かって 信頼の頭を 下ぐるであろう。
インド、エジプト、ペルシャ、ハイチ、その他の列強属領地は
一斉に 日本の 台湾・朝鮮に 自由を許した如く、
我にもまた自由を許せと 騒ぎ起つだろう。 (以下、略)
大陸への侵略行為を中止し、朝鮮などの自由を認めて 解放すれば
日本の国際的信頼が高まり、ひいては 列強の植民地支配体制を
根底から揺るがすことになる―― 石橋の主張は 明快だ。
だが、残念ながら 当時の日本帝国は、「欲に囚われ」 続けた。
敗戦するまで 「一切を棄つるの覚悟」を 持てなかったのだ。
公式の記録では 送検者75,681人、起訴5,162人 となっているが、
明治期制定の警察犯処罰令など 一連の治安法規も含めた逮捕者は
じつに 数十万人にも達したとされる。 また、記録には残されて
いないが、拷問・虐待による 多数の死者が出た といわれている。
治安維持法は、日本国内の 反戦平和の主張を抹殺するだけでなく、
植民地独立運動の弾圧に 猛威をふるい、多くの人命を うばった。
法適用の最初は 日本本土では1926年1月の京都学連事件だが、
朝鮮では それより前年の 25年11月で、66人が検挙された。
治安維持法を使った弾圧は、朝鮮独立運動に対し、より苛酷だった。
それは、朝鮮半島でのみ同法違反による死刑が執行されたことにも
表れている。 また、日本本土では 28年から38年までの間に
同法違反で 無期懲役を言い渡された者は わずか 1名だったが、
朝鮮では 39名に上った。 さらに、懲役15年以上の 刑では
本土が 7名であるのに対し、朝鮮では 48名となっている。
「朝鮮ノ独立ヲ達成セムトスルハ 我帝国領土ノ一部ヲ僣窃シテ其ノ
統治権ノ内容ヲ実質的ニ縮小シ 之ヲ侵害セムトスルニ外ナラサレハ
即チ治安維持法ニ所謂国体ノ変革ヲ企図スルモノト解スルヲ妥当トス」
これは、新幹会鉄山支部設置に対する 治安維持法違反事件における
30年7月21日付、朝鮮総督府 高等法務院での判決だ。
つまり、植民地における 独立運動も 治安維持法違反と位置づけ、
死刑をもって これに臨んだのだ。 このことだけを見ても、当時
日本帝国には、植民地解放や 民族主権の尊重 などという思考は、
一欠片も存在していなかった という事実が 理解できるだろう。
当時の 膨張志向を顕著化させていた 日本の帝国主義に対して、
石橋湛山は、1921年7月21日付の 『東洋経済』 社説で
「一切を棄つるの覚悟」 と題し、次のように 批判している。
我が国の総ての禍根は、小欲に囚われていることだ。(中略)
もし政府と国民に、総てを棄てて掛かるの覚悟があるならば、
必ず我に有利に導きえるに相違ない。例えば、満州を棄てる、
山東を棄てる、支那が 我が国から受けつつありと考えうる
一切の圧迫を 棄てる。 また 朝鮮に、台湾に自由を許す。
その結果はどうなるか。 英国にせよ、米国にせよ、非常の
苦境に陥るだろう。何となれば、彼らは日本にのみかくの如き
自由主義を 採られては、世界における その道徳的地位を
保つ得ぬに至るからである。そのときには、世界の小弱国は
一斉に 我が国に向かって 信頼の頭を 下ぐるであろう。
インド、エジプト、ペルシャ、ハイチ、その他の列強属領地は
一斉に 日本の 台湾・朝鮮に 自由を許した如く、
我にもまた自由を許せと 騒ぎ起つだろう。 (以下、略)
大陸への侵略行為を中止し、朝鮮などの自由を認めて 解放すれば
日本の国際的信頼が高まり、ひいては 列強の植民地支配体制を
根底から揺るがすことになる―― 石橋の主張は 明快だ。
だが、残念ながら 当時の日本帝国は、「欲に囚われ」 続けた。
敗戦するまで 「一切を棄つるの覚悟」を 持てなかったのだ。
これは メッセージ 196026 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/196027.html