イスラエル/パレスチナ和平

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パレスチナ低抗運動の足跡3

投稿者: jyonnconner 投稿日時: 2007/05/16 02:36 投稿番号: [13336 / 20008]
  この分割案によって、ユダヤ人の国家に与えられたのは、パレスチナの五五%の国土であった。それまでに一八八○年から一九四七年までかかって七%ほどの土地しか購入できなかったのに比べれば、この五五%という数字はまさにそれ以前の八倍の領土を一挙に獲得したことになる。
  しかもこの分割案では、灌漑できる土地の八三%を含む海岸地帯や高原地帯の肥沃な土地がユダヤ人国家に与えられ、またアラブ人の工業の約四〇%は「ユダヤ人国家」に割当てられる反面、ほんの僅かのユダヤ人工業が「アラブ人国家」に残されるという、いたれりつくせりの分割案であった。
  しかし、シオニストにとっては国連分割案の可決もまだ紙の上での勧告案にすぎなかった。ベン・グリオンは、国連がその勧告を引込めないうちに、分割案を既成事実としてしまうために武力行動を励ました。
  はたせるかな、分割案の可決に激昂したパレスチナ住民の激しい反対運動に刺激されて、この国連パレスチナ分割案を一たん通過させるのに全力を上げたアメリカ自身が、一九四八年三月二〇日に突然国連で分割案を放棄し、パレスチナの国連信託統治の提案を行なうという一八○度の方向転換を行なった。
  サミ・ハダウィ氏は、この不思議なアメリカの豹変は、国連での討議がパレスチナ問題のもつ重要性に慎重な考慮を払っていなかったこと、アメリカ国内の政党政治の道具に供せられていたことによるものであるが、それはパレスチナ人が新たな事態のもつ意味に気づき、その陣容の整備にあたる以前に、シオニストたちにパレスチナを奪取させてしまうことを意図し、けしかけたと指摘している。
  イギリスの委任統治が終る五月一五日には無政府状態が生じ、アラブ諸国の軍事介入も予想されるこの時期までに、イスラエルの軍事力による既成事実をつくり出す必要に迫られたのでいよいよパレスチナ人の追放は至上命令となったのであった。
  その具体的現われがダレット(D)計画であった。この計画は、国連がユダヤ人に割当てた地域ばかりか、その外部の地域を支配すること、五月一五日後のアラブ軍隊の起こりうる侵入に対抗することを目標とした。
  六週間後の五月一五日がそのタイム・リミットであった。


〈解説〉暴力と脅嚇による追放

  今日のパレスチナの悲劇をつくり出したこの略奪作戦の真相が知られるのを恐れたイスラエルは、繰返し彼らが勝手に出ていったのだと主張した。そしてパレスチナ戦争は、「独立」したイスラエル国家への不法なアラブ諸国軍隊の軍事的干渉にたいする戦争であり、ユダヤ人は「祖国」防衛のために必死の戦いをつづけ、ついに優勢なアラブ軍を追い払ったという神話をつくり出した。
  一〇〇万人といわれる悲惨なパレスチナ人を追い出したのは、軍事作戦と心理作戦を巧みに組合せたシオニストたちの脅迫によるものであった。
一般にいわれるように難民の発生は、アラブ諸国の介入によるパレスチナ戦争の勃発によるのではなく、一九四八年五月一五目の委任統治終了時には、すでにDプランによって難民の半分に近い四〇万人のアラブ人をその家から追い出していたことによるのである。
  このDブランの中で最大の虐殺は、ベトナムのソンミ村の虐殺を上回るテイル・ヤシン村の惨劇であった。
  一九四八年四月九日の真夜中、エルサレムにほど近いテイル・ヤシン村は、イルグンとシュテルン・ギャングのラロ分子によって占領され、このあと無差別の虐殺が行なわれたっ二五四人の男、女、子供が屠殺され、井戸に投げ込まれたが、その間、国際赤十字代表は同村を視察するのに一昼夜待たされた。生き残った村民はエルサレムを引き廻された。
  イスラエルのアイヒマンとも呼ばれているメナヘム・ベギンは、「この虐殺は、正当づけられているばかりでなく、デイル・ヤシンでの勝利がなかったならイスラエル国家は生れなかっただろう」と評価したが、アラブ人の軍隊とは一切関係をもたず中立的だったといわれたディル村のアラブ人の惨殺は、明らかに他のアラブ人の間に大恐慌をつくり出すための心理作戦だったのである。
  一九二〇年に創設されたハガナはその後、ユダヤ人移民の増大につれて次第に強大となったが、一九三七−八年にはイギリスのウィンゲート少佐の訓練を受け、一九四七年当時には、常備電撃軍パルマハを含めて約六万とみつもられていた。他の分派、イルグン・ツバイ・レウミは三〇〇〇から五〇〇〇、シュテルン・ギャングは二〇〇から三〇〇であった。
  一九六七年のいわゆる”六月戦争”後、イスラエルの領土はそれ以前の四倍半の領土を新たにかかえこみ、一〇〇万人のアラブ人がその占領下に入ることになった。六〇万人がヨルダン川西岸地区、三五万人がガザ、三万三〇〇〇人がシナイ半島、六、四〇〇人がゴラン高原にいる。

パレスチナ低抗運動の足跡2

投稿者: jyonnconner 投稿日時: 2007/05/16 02:17 投稿番号: [13335 / 20008]
  一九四六年には米英合同調査委員会が現地を視察し、ナチ・ドイツの迫害を逃れたユダヤ人難民一○万人の即時受入れを勧告したが、イギリスのベバン外相は、現地での抵抗は必至として反対した。ベバンは「アメリカはユダヤ人を入国させたくないのでパレスチナヘの移住をすすめている」と拒否した。しかし、イスラエルの反英テロとアラブの低抗運動に直面し、イギリスは一九四九年の国連第二回総会でパレスチナ委任統治放棄を表明した。
  そして、国連でのパレスチナ分割案を強引に通過させるにあたって、アメリカ・シオニストの共同戦線は、「ユダヤ人の票」と「パレスチナ」との取引を国際的権威でとりつくろうために国連を盛んに利用したのであるが、それはかつてイギリスとシオニストの共同戦線によって国際連盟を利用したのと同じであった。

〈解説〉委任統治政庁の果した役割

  見落してはならないのは、「ユダヤ人国家」の創設に果したイギリス帝国主義の役割である。
  委任統治の三〇年の歴史の中で実現されたユダヤ人の大量な移住は、イギリスの保護なしには到底考えられないものであった。もし、かりに、アラブ諸国が独立していたなら、アラブ人の永久的追放を意図する絶えざる異民族の移住を許すことなど考えられなかったし、一方、シオニズムの指導者たちの側でもイギリス政庁の果す役割を深く認識しており、イギリスのパレスチナにおける警察力増強を歓迎し、高等弁務官の権威を弱める住民組織の結成をめざすような動きにはことごとく反対したのであった。
  例えば、イギリス政庁はユダヤ機関の要求にーつとめて協力し、ユダヤ機関は国土の天然資源の特許の権利、エルサレムを除いた電気の特許権、灌激の特許権、カリウムや他の鉱物を採掘する死海における特許権などを手に入れた。また、三〇年の委任統治の間に、シオニストの入植地は一九一七年当時よりも一二倍となり、その人口は三分の一を占めるまでにいたっている。
  事実、イギリス政庁は、委任統治時代、ユダヤ人の入植者がまだ少数でしかなく、その軍事力が劣勢であった間は、パレスチナ・アラブ人の軍事支配の任にあたっていた。ハガナを正規軍なみの軍事力に訓練、成長させたのもイギリスであった。
  一九三六年から三九年まで闘かわれたシオニストと帝国主義に反対するパレスチナ人民の大反乱は、当時のイギリス帝国主義軍隊の三分の一を巻込むほどの規模に発展し、アジア・アフリカ諸国の民族独立運動の中に不滅の金字塔として記憶される歴史的反帝国主義運動であったが、この大反乱がイギリスの手で最終的に鎮圧された以後は、シオニストの入植は、イギリス当局の援助をえなくても実行することができるようになったのである。
  パレスチナ分割案が国連で可決され、イスラエル建国につづく一九四八年のパレスチナ戦争に、この国土の真の主人公のパレスチナ・アラブ人が参加できなかったのも、すでに委任統治時代にイギリスによってパレスチナ人民の絶滅作戦が行なわれたためである。イスラエルの軍事評論家は、今でも、もしパレスチナ人民がこの戦争以前にイギリス当局によって軍事的に解体されていたかったなら、あの戦争の結末がどうなっていたかは削らぬという疑いを捨てていないといわれている。
  このように小国を餌食にして意にかけたい帝国主義のやり口を、サミ・ハダウィ氏は次のように評している。
  「一九一七年にイギリス政府は、アメリカの参戦を獲得するためにパレスチナを売り、一九四八年には戦後のイギリス経済への借款を得るために、パレスチナ・アラブ人の追放といった事態を生みだして再びパレスチナを売り、同時にアメヅカの政治家は『ユダヤ人の票』ほしさにアラブ住民を売った。」
  一九四八年のパレスチナ戦争で敗戦したシリア、エジプト、イラクなどアラブ諸国の軍人は、敗戦の原因をアラブ社会の後進的な政治形態にあるとし、戦いから帰ると自分たちの国の変革にのりだした。「本当の戦場はエジプトだ」という自覚を抱いたナセルたち「自由将校団」はやがて一九五二年七月二三目、ファルーク王朝を倒してエジプト共和国を樹立した。

5   パレスチナ人の追放

〈解説〉分割案の既成事実化めざす

  一九四七年一一月二七日、国連が自らの原則を蹂躙して、全くシオニストの筋書によるパレスチナ分割案を勧告したことは、シオニストの大勝利であった。
  シオニストにとってこの分割案こそ国連という国際的権威を”隠れみの”としてパレスチナの国土の大部分を大多数の住民の意志を全く無視したまま略奪できる方法であったからである。

パレスチナ低抗運動の足跡1

投稿者: jyonnconner 投稿日時: 2007/05/16 02:09 投稿番号: [13334 / 20008]
http://homepage1.nifty.com/KASAI-CHAPPUIS/IchiroABEMasaoPalestine.htm

(前略)
ユダヤ人が一九世紀の終りにパレスチナにやってきたとき、その最初のユダヤ人たちはヨーロッパやロシアにおける迫害の犠牲者あるいは聖地への”巡礼”としてむしろ暖かく迎え入れられた。
  一九一九年の一月、ワイズマンとファイサルは、バルフォア宣言の履行をうたった文書の中でユダヤ人の移民への協力を誓ったのもファイサルがイギリスから「大シリア王国」を獲得しようとするための譲歩であるとはいえアラブの寛容性を示すものであった。ヘルツル自身も第一アリアの移民にたいする「住民の友好的態度」を記録している(質問44注18参照)。
  しかし、パレスチナにずかずか入ってきたシオニスト・ユダヤ人たちはワイズマンがいっていたようなパレスチナ・アラブ人に恩恵をもたらすような種類の人種ではなかった。暴力によるパレスチナ・アラブ人の追放というシオニストの野望が知られるようになるにつれて、当然のことながらアラブ人の烈しい抵抗にあった。
  このことは、本文にもあるように、相次いで発生した騒乱のあとに派遣された使節団が「ユダヤ人国家」の創設はパレスチナ住民の権利と両立しないと異口同音に報告し、その度にイギリスの本国政府を動揺させたのである。以下その歴史を簡単に振り返ってみよう。
  一九一九年、ウィルソン米大統領から派遣されたキング・クレーン委員会は、現地におけるアラブの独立要求の声に大きく影響され、ユダヤ人の移民の明確な制限、パレスチナをユダヤ人共和国にする計画の放棄、パレスチナの統一シリアヘの包含などを講和会議に勧告した。
  一九二一年には、ユダヤ人の不法な移民に抗議して、反乱が発生、全面的なストライキが勃発し、パレスチナ・アラブ人会議は、バルフォア宣言こそ、ユダヤ人の大量移民の原因だと抗議文を送った、ユダヤ人、アラブ人に多くの死傷者を出したこの反乱に驚いた初代高等弁務官ハーバート・サミュエルは、ユダヤ人の移民中止を発表した。調査にあたったヘイクラフト委員会は、この暴動の原因をイギリスのユダヤ人優過政策とシオニストの権力拡張とし、イギリスの上院は、バルフォア宣言の廃棄を可決、辛うじて下院で否決されるほどであった。
  一九二九年、数百人の死傷者を出したエルサレムの嘆きの壁事件の直後に派遣されたショウ委員会もユダヤ人移民の管理を強く要求し、さらにホープ・シンプソン委員会も、もはやユダヤ人を受入れる余地はないことを報告し、翌一九三○年、イギリスはパスフイールド白書を発表、ユダヤ人移民の制限とパレスチナにおける自治制度確立を勧告した。
  しかし、一九三二年のナチ・ドイツの抬頭によってヨーロッパを追われたユダヤ人の移民は急激にふくれ上り、一九三三〜三五年の三年間には一三万三三〇〇人と激増した。アラブ諸政党は、(一)民主主義議会の設立、(二)ユダヤ人への土地の売却の禁止、(三)ユダヤ人の移民の中止を呼びかけ、発生後六ヵ月続いた一九三六年の歴史的な民族的反乱に発展し、同時に、隣接諸国からのアラブの義勇兵も参加した。
このときその鎮圧に手こずったイギリスは、公然とユダヤ人の武装訓練にとりかかったのである。
  一九三六年には、エルサレムの大司教ハジ・アミン・エル・フセイニを指導者とする、主に民族資本家や地主の連合体であったアラブ高等委員会が結成された。
  またこの大反乱のあと派遣されたピール委員会が、始めてアラブ・ユダヤ両国家という分割案を勧告したが、このときにユダヤ人国家に割当てられたのは、実際の所有の五・四%を遙かに上廻るパレスチナの四分の一の面積であった。一九三七年開かれた汎アラブ会議は、この案を断固拒否、またも大規模な反乱が発生し、多数の死傷者を出すにいたった。

  一九三八年のウッドヘッド委員会は、実効的な分割案は不可能と報告した。一方、パレスチナの反乱もイギリス軍の力でようやく鎮圧された。
  しかし、戦争がヨーロッパで拡大されるにつれ、イギリスは一九三八年、ロンドンの円卓会議で事態の収拾を企てたが失敗し、ついに一目も早いパレスチナ間題の決着を迫られ、一九三九年五月マクドナルド白書を発表した。これはアラブ・ユダヤの二民族共同国家の樹立と人口比におうじる立法議会をもうける、ユダヤ人の移民は今後五年間に七万五〇〇〇人とし、それ以上の移民はアラブ人の合意なしには許さぬというものであった。これによってユダヤ人の反英テロ活動が激化したのである。

  一九四五年には、アラブ諸国の団結、独立の強化、法制、通貨、教育の二元化と関税障壁の撤廃などをめざすアラブ連盟が結成された。

民族浄化:本当の敵は誰なのか ②

投稿者: imonoyamashotengai 投稿日時: 2007/05/16 01:03 投稿番号: [13333 / 20008]
丁度、1948年というのは、ソ連が東欧でサラミ戦術を行っていた真っ最中なのだ。

反ナチで親ソの勢力がその実体的担い手なのだ。

当時の東欧のユダヤ系は、反ナチ、親ソの勢力であり、
その限りで当時は、スターリンと利害が一致し
その尖兵としての役割も果たしたのではないかと直感している。

東欧のナチの収容所から解放してくれたのだから、
ユダヤ人にとって当初はソ連軍は文字通り解放軍だったのだ。

1948年2月のチェコ政変、
そのチェコ・スロバキアが、ユダヤに武器を売っていたこと。

かなり関係が深いと思われるのだが、文献を読んでいる。


東欧で共産党独裁体制が一度確立されるや、
その支配下の全民衆が抑圧されたのである。
ユダヤ人もその例外ではない。
スターリニズムに利用されるだけ利用されて、
その後は抑圧の対象となるのだ。


ヨーロッパで歴史的に迫害され、
ナチズムに迫害され、
スターリニズムに迫害され、
第二次大戦後の一時期には利用されるだけ利用されてその後迫害される。

ユダヤ人は、何重にも迫害されてきたのだ。
だから私は、ユダヤ人であるというだけで頭から否定などしない。

しかし、だからといって、そのユダヤ人が今度は、
迫害者になることを私は肯定はしないと言っているだけだ。



20世紀初頭の東欧のユダヤ人達は大半はシオニズムを断固として拒否したのだ。

迫害の地を逃れ、シオンの丘を目指すことを断固として拒否したのだ。

迫害の地に踏み止まり、自らに迫害をもたらす
政治権力者を打倒することを目指したのだ。
ロシア革命、ハンガリー革命、ドイツ革命の一翼を担ったのだ。

しかし、革命は敗北し、スターリンによって革命は簒奪される。

ナチに殺されるか、スターリンに殺されるか、
どちらかしか選べない、この末期的状況に於いて、
全力で戦って敗北し、刀折れ、矢尽きたユダヤ人達が
シオンの丘に向かうことを私には否定する資格すらないのだ。

1920年代、1930年代のキブツは、
この地球という惑星に初めて現出した未来社会の萌芽なのだ。

<否定的なもの>と<肯定的なもの>
<醜いもの>と<美しいもの>

民族、宗教、イデオロギー、体制、

これらの背後にある、何が否定的で、何が肯定的なものなのかを
見極めなければならないのだ。

<本当の敵は何なのか>

この作業は簡単ではない。


だから、下らないデマゴギーには、もう対応しないので、勝手にやってくれ。



ナチスがユダヤ人迫害を行ったのは、国民の反ユダヤ感情を助長し、歪曲し、
ナショナリズムを煽ることにより、自らの政治的支持基盤としてきたことと、
対外的には、ユダヤ人をパレスチナに送ることによって、
現地のアラブ人に、統治者たるイギリスへの反英感情を作り出すことであった。
ユダヤ人が増加すればする程、現地アラブ人の反英感情が親独感情へと
向かうことも計算済みだったのであり、
政治力学上、そうなるのであり、そうなったのだ。


ユダヤとアラブの悲劇を措定したものは、
ヨーロッパに於ける歴史的なユダヤ人迫害に加え、
20世紀のイギリス帝国主義とナチズムとスターリニズムがあったのである。


スターリンにとって、中東アラブはイギリス帝国主義に
既にガッチリ掌握されていると認識していた。
だから反英テロ闘争を行うイルグンをも
何と反植民地主義の戦いと賞賛していたのだ。
何たる欺瞞。何たる政治技術主義。
中東アラブからイギリス帝国主義が撤退するのなら、
ユダヤとアラブの民衆が苦しもうが構わないということなのだ。
何たる破廉恥。
心あるユダヤ、アラブの人々は
何とか二民族共存を目指して苦闘していたというのに、、、
ユダヤ、アラブ両民族からなるパレスチナ共産党にとって、深刻な悲劇だ。

民族浄化:本当の敵は誰なのか ①

投稿者: imonoyamashotengai 投稿日時: 2007/05/16 00:54 投稿番号: [13331 / 20008]
1948年のイスラエル建国時に、
ユダヤ人がパレスチナ人に対して、エスニック・クレンジングを行ったこと。

こんなことは、既に歴史的事実、史実なのであって、
そんなことを議論するつもりなどない。

手を変え、品を変え、デマゴギーを続けたいなら、勝手にやってくれ。

こんな汚らわしいデマゴギスト達に関わることすら拒否する。


1948年5月にイスラエル領となる予定の領内のパレスチナ人数十万人は、
一体どこへ行ったのだね?

1948年5月には、彼らはイスラエル国民になる筈ではなかったのかね?

国連分割案には、彼らを追い出してもよいと書かれているのかね?

誰がどうやって追い出したのだね?

イスラエル国民となる筈の人達、
そういう意味では、イスラエル国民がイスラエル国民を
エスニック・クレンジングしたのだ。

イスラエル建国時にユダヤ人はエスニック・クレンジングを行ったのかね?
行わなかったのかね?

どっちでもいいよ。
どっちか一つを選んでくれ。

エスニック・クレンジングなどなかったというのなら、
それで結構だ。
そんな人間とは関わりになりたくないので、関わらないでくれ。

事実を事実と認めない人間と話しても時間の無駄だからだ。

私は100%利己主義者だ。
私は自分自身がよければそれでよいのだ。
他人などどうなっても構わない。
自分が真実に近づければそれでよいのだ。
デマゴギーを暴くのが私の使命ではない。
勝手にやってくれ。
私はたとえ、政治的立場や思想の違いがあれ、
相互に議論することは行うが、
事実を事実と認めない自覚的なデマゴギストと
関わる時間がモッタイナイからだ。



私の問題意識は、
ユダヤとアラブとが、戦わざるを得ない状況に追い込んだのは、
一体誰なのかということだ。


<本当の敵は誰なのか>ということだ。


それは、欧米であり、ソ連なのだ。
その政治権力者であり、経済エリート達なのだ。

今は、その目的や実体構造について、文献にあたっている。


ちなみに、同時期にエスニック・クレンジングは
他にももっと大規模で行われている。

例えば、インド・パキスタン独立時には、
相互で1500万人ものエスニック・クレンジングを行っている。
相互に百万人もの死者も出している。

ユダヤ人が行った75万人のエスニック・クレンジングの20倍だ。

チェコ・スロヴァキアが第二次大戦後、独立時に300万人ものドイツ人を
エスニック・クレンジングしている。これはユダヤの四倍だ。

何もユダヤ人だけが、当時エスニック・クレンジングを行っていた訳ではない。



私は今、そのチェコ・スロバキアの1948年2月のチェコ政変と
スターリンが何故イスラエル独立を支持したのかの相互関連を調べている。

単純な事実だ。
ソ連が拒否権を行使していれば、イスラエル建国はなかったのだから。
あの狡猾なスターリンが見返りを求めない人道主義者である訳がないのだ。


第二次大戦に勝利したスターリンは、東欧を『解放軍』として軍事占領していた。

しかし、東欧各国で共産党への支持率は、僅か一、二割にしか過ぎなかった。
(ユーゴとチェコ・スロバキアを除く)
ソ連は、占領軍という軍事力を背景に、共産党も政権に加わらせ、
例外なく共産党に内務省を掌握させ、対立勢力を削いでいく。
内務省を掌握した共産党は、
デマゴギー、プロパガンダ、逮捕、拷問、不審死、暗殺、、、
ありとあらゆる陰謀を繰り返し、
サラミ・ソーセージの皮を一枚一枚剥いでいくように、
対立政治勢力を壊滅させていく。
ナショナリストの党、農民の党、ブルジョアジーの党を。
そして最後に共産党以外のあらゆる社会主義政党を。
これをサラミ戦術という。
こうして東欧に於いて共産党独裁体制が生まれるのだ。

アラブ最高委員会

投稿者: ojin_8823 投稿日時: 2007/05/15 17:49 投稿番号: [13330 / 20008]
>お二人の話だけをきいていて、私に何の偏見もなかったら、いったいどっちの言ってることが本当なのか全く解らないし、どっちが悪いとも善いとも判断できませんねえ。



まあ、ROMの皆さんは途中出場の末尾に「(わら」を付ける人の話は信じ難いんじゃないかな?

一方、商店街はといえば、しっかり半年だか1年かけて外電の情報をROMの皆さんに   「チョー真面目」にアピールし、ROMの皆さんの信頼を得ることに成功している。

しかし、「自称・神戸だ?」という商店街の手法が   どうしても   引っかかてネ。

◇日本赤軍事件
http://yabusaka.moo.jp/nihonsekigun.htm
// -- -
◆奥平剛士
  71年2月2日、神戸の東灘区役所に婚姻届を出した。結婚相手は赤軍派・重信房子。そのあとベイルートへ飛ぶ。72年5月、テルアビブ空港で自動小銃を乱射、自らも手榴弾で死亡した。
-- -//


では本文に移ります。









  この日、十一月二十九日、パレスチナの町々のユダヤ人は、だれ言うともなく、街路におし出し、町の道路、広場は、身動きもならないほど、群集によって埋めつくされた。   彼らは互いに抱きあって、独立の決定を祝いあう。   祝賀は一日一夜つづいた。   そしてその翌日、アラブ最高委員会は、国連決議への抗議ストライキを、全アラブ圏にたいして指令するのである。
  ストライキは、ユダヤ人のテロ、組織的襲撃となってゆく。   同じ日にバスが襲われて、七人のユダヤ人男女が殺害されたのが、最初だった。   三日後の十二月二日、エルサレムの南隅にあるユダヤ人街を、アラブ人の群集が襲撃した。   ユダヤ人の持物、財産は、路上にうず高くつみ上げられ、火がつけられた。

  独立が決定したとはいえ・・・(↓に続く)
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143582&tid=a5a4a59a5ia5a8a5ka1bfa5qa5la59a5 aa5jobjbf&sid=1143582&mid=13328




この村松剛著の単行本に出てくる「アラブ最高委員会」は英文では   Arab Higher Committee   で表される。
http://en.wikipedia.org/wiki/Arab_Higher_Committee


その初代代表は、上記URLに記載されているように、ヒットラーと手を組んだアミン・アル・フセイニである。
http://en.wikipedia.org/wiki/Amin_al-Husayni

そのURLに載っているヒットラーとアミン・アル・フセイニの写真。
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:AlHusayniHitler.jpg




この   Arab Higher Committee   という文字は、1947年〜1948年を語るうえでパレスチナ国連記録に出てくる最重要の名前である。

ただし、NHKや日本のジャーナリストの人たち、とりわけパレスチナを支援する人たちからこれを知ることはできない   ことも付け加えておく。

どっちにも言い分がある

投稿者: physics4dummys 投稿日時: 2007/05/15 16:30 投稿番号: [13329 / 20008]
いやはや、妹之山さんとおじんさんの話を両方きいていると、これがいったい同じ戦争なのか?   という疑問が生まれてきますね。

実は今私はポールアンダーソンのSF小説を読んでるんですが、過去へ自由自在にさかのぼれる技術を得た二つの勢力が現在の自分らの立場を強くしようと過去へさかのぼっては歴史を変えて行くという設定です。しかし、かた方の勢力が過去を自分らの都合のいいように変えて行くのを反対側がさらにさかのぼって変えてしまうということをもうずっと繰り返しているためいったい何がどうなってるのかさっぱり解らない状態になっている、というものです。

最初に主人公は片方の勢力に味方しますが、戦争が進むにつれ味方側がいうほど敵は悪い奴らじゃないし、またこちらが圧倒的な善であり向こうが確実は悪であるともいえないのだと考えるようになります。

お二人の話だけをきいていて、私に何の偏見もなかったら、いったいどっちの言ってることが本当なのか全く解らないし、どっちが悪いとも善いとも判断できませんねえ。戦争だからどっちもひどいことをしたのだというのは本当だろうし。

かなり勉強になります。

Re: 「イギリスが徐々に撤退していくことで

投稿者: ojin_8823 投稿日時: 2007/05/15 08:26 投稿番号: [13328 / 20008]
>ユダヤ側によるエスニック・クレンジングの完遂は、「イギリスが徐々に撤退していくことで可能」となったのです。   英軍が撤退していく地域には権力の空白が生じます。   その権力の空白を埋めるのは、ユダヤ側とパレスチナ側の軍事力です。




  独立が決定したとはいえ、このときパレスチナは、まだイギリスの委任統治領であり、イギリスが治安の衝にあたっていたのだ。しかし英軍は、アラブ側の暴行をだまって見ていた。むしろイギリスとしては、アラブの襲撃によって、ユダヤ人が圧倒され、国連の決定が実現されないことを望んだのである。彼らはこれを「無政府の実験」と呼んだ。無慈悲な「実験」は、ときにはイギリスの公然とした支持の下に容赦なく進行する。
  アラブ人側はパレスチナ領内に、すでに正規軍、アラブ軍団をもっていた。この軍隊の隊員はすべてアラブ人だが、イギリスの指揮下にあって、つまり法的には英軍という二重の面をそなえた部隊なのである。この部隊が、イギリスの旗の下、適時、テロ集団と化した。たとえば、十二月には路上で十四人のユダヤ人の子供を射殺している。
  英軍は国連の決定にもとづいて、翌一九四八年の五月をもって委託統治権を棄て、軍隊もそれまでに、ぜんぶ引き上げることになった。そして英兵が、逐次引き上げるに応じて、その穴を埋めるのは、アラブ軍団の役目だったのである。アラブ兵は英兵にかわって、各地の城砦、戦略的要点にはいることを命じられる。最後の英兵が、ハイファの港から乗船し、ユニオン・ジャックが降ろされたそのとき、これらアラブ軍団の兵士たちは、自動的に英軍ではなくなり、アラブ兵に変わっていたのだ。
【参照:   松村剛著   ユダヤ人   迫害・放浪・建国    中公新書pg.7】



これとまったく同じ状態なのが今のイラクですな。   警察になりすましてテロを実行する。

「歴史は繰り返される」   とは良く言ったものです。





>・パレスチナ正規軍 1618人
>・アラブ義勇軍 2830人
>・ハガナ   12万1110人
>   3月6日ハガナに総動員令



これも   商店街が取り上げてくれたハイファの「エスニック・クレンジング」論とやらから参照できます。


◇Capture of Haifa in 1948
http://en.wikipedia.org/wiki/Capture_of_Haifa_in_1948

The battle
At 10:30 in the morning of April 21, 5,000 fighters from the Lehi and the Carmeli Brigade participated in the offensive that started from the Jewish neighbourhood Hadar HaCarmel and began shelling the Arab Muslim neighborhhod of Halisa. The 3,500-5,000 Arab irregulars and elements of the Arab Liberation Army could not mount a real defense. Furthermore, the 3,000 defenders of Al-Tira who tried to reinforce the city were intercepted by the British.

10時30分、レヒなどのユダヤ人側5,000人が攻撃を開始。3,500-5,000人の義勇兵やアラブ正規軍は動けなかった。


商店街   の珍説:
   実は、アラブ側の兵隊さんたちは、皆、ハイファにいた!!
http://www.palestinefacts.org/pf_1948to1967_land_1948.php


何でだろロー??     なんでだろロー??



そのうえで、「アラブとパレスチナの幽霊戦士たち」   がエルサレムを包囲し、ユダヤ人の食料や武器を積んだトラック軍団をせん滅したので   アリンス♪
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143582&tid=a5a4a59a5ia5a8a5ka1bfa5qa5la59a5 aa5jobjbf&sid=1143582&mid=13322



実に説得力のある   商店街   の解説ではありませんか(わら

パレスチナ情勢 ②

投稿者: imonoyamashotengai 投稿日時: 2007/05/15 01:47 投稿番号: [13327 / 20008]
複眼で見る中東報道
http://cigvi.exblog.jp/5365207/
イスラエルのエルサレムの副知事が10日に語ったところによると、
イスラエルは東エルサレムに2万戸の新たな家屋の建築を予定している。
主に若いイスラエル人夫婦に配分されることになるだろうと述べた。
(5/11-12ヨルダン・タイムズ)
http://www.jordantimes.com/fri/news/news2.htm
目撃者によると、ガザ地区で11日、ハマスとファタハの武装勢力間で
衝突がおき、少なくとも6人のけが人が出た。(5/11シャルクル・アウサト)
http://www.asharqalawsat.com/english/news.asp?section=1&id=8923


シオンとの架け橋:イスラエル・ニュース
http://blog.mag2.com/m/log/0000019965/108516935.html
5/4
レバノンとイスラエルの国境をまたぐガジャル村の治安維持体制で
両国がほぼ合意し、国防軍が北側から撤退へ。
同村は国境の「穴」となっており、麻薬密輸やスパイ活動の拠点となっている。
http://blog.mag2.com/m/log/0000019965/108528599.html
5/6
パレスチナ武装勢力間の抗争による先月の死者は30人。
一時沈静化していたが、再び悪化の兆しを見せている。
5/7
ガザでアルカイダ系と見られる武装勢力70人が、
国連難民救援事務所の運営する学校の式典を襲撃。
1人が死亡し、6人が負傷した。男女共学に反対したとの見方もある。
パレスチナ自治警察がラファで密輸トンネルを発見し、封鎖。
http://blog.mag2.com/m/log/0000019965/108539559.html
5/9
イスラエルの通行規制がパレスチナの経済復興を遅らせていると、
世界銀行の報告書。テロ組織の行為については言及せず。
5/10
ヘロデ大王の墓が発見されたとのヘブライ大学の発表は
「西岸地区をユダヤ人のものにする政治的な動き」だと自治政府が反発。
西岸地区にあるのはパレスチナ人の遺跡だけだと語った。
西岸地区で、実力で検問所を撤去しようとした左翼活動家を国防軍兵士が殴打。
国防軍は調査に乗り出した。
ヒズボラが南米の奥地で対米テロの訓練を行っていると、
米国のTV局が報道。モサドとFBIが調査を行っているという。
自治区のラマラで12歳と13歳の娘を若い男に売った両親を自治警察が逮捕。
両親は「娘を売るのは昔からの風習」と主張した。

パレスチナ情勢 ①

投稿者: imonoyamashotengai 投稿日時: 2007/05/15 01:29 投稿番号: [13326 / 20008]
ファタハとハマス、新たな停戦合意を発表
http://www.afpbb.com/article/1592907

停戦発行直後のガザで衝突、2人死亡
http://www.afpbb.com/article/1593356

Gaza political crisis deepens (VIDEO 1:24)
http://news.bbc.co.uk/player/nol/newsid_6650000/newsid_6653500/6653581.stm?bw=nb&mp=wm

Resignation deepens Gaza crisis
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/6653437.stm

Rival groups join forces in Gaza
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/6641237.stm

Tensions Between Palestinian Factions Resume (VIDEO)
http://www.linktv.org/mosaic/20070511

カワスミ内相辞任会見
誰に責任があるかと聞かれ、「全員に責任がある」

反イスラエルをテレビから呼びかける「ミッキー・ハマス」
http://www.afpbb.com/article/1587855

EU boycotts 'provocative' Israeli anniversary party
http://news.independent.co.uk/world/middle_east/article2539373.ece
東エルサレム占領40周年式典に欧米が出席拒否

Settlers burn 80 Dunams of agricultural lands near Tulkarem
http://www.imemc.org/article/48202

International human rights workers attacked by Israeli settlers in Hebron
http://www.imemc.org/article/48194

Two wounded, one moderately, in Qassam strike near Sderot
http://www.haaretz.com/hasen/spages/856150.html

ガザ地区で国連運営の学校に襲撃、7人が死傷
http://www.afpbb.com/article/1572319
Gaza school festival attacked
http://english.aljazeera.net/NR/exeres/3ECB59C5-3EFE-4F79-8406-E4D1F5BEC58B.htm
One killed in Palestinian militant attack at Gaza school event
http://news.independent.co.uk/world/middle_east/article2519073.ece
ガザで男女混合の運動会を武装集団が襲撃   1人死亡
http://www.asahi.com/special/MiddleEast/TKY200705070214.html

ガザ国境検問所の経済効果
http://eunheui.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_e2bf.html

レバノン南部   ヒズボラの地下壕
http://vortex.blog2.fc2.com/blog-entry-821.html

The yearnings for a magnetic card:Amira Hass
http://www.haaretz.com/hasen/spages/857291.html

Tuesday, May 1, 2007 (VIDEO)
http://www.linktv.org/mosaic/streamsArchive/index.php4?episode_date=20070501
Israeli Troops Obstruct Palestinian Labor Day Rally
http://www.linktv.org/mosaic/streamsArchive/summaryPop_db.php4?episode=mosaic2007050 1

IDF unveils plan to counter Gaza militants; rocket strikes Sderot
http://www.haaretz.com/hasen/spages/856795.html

Palestinian groups clash in Lebanon
http://english.aljazeera.net/NR/exeres/DA2C6C82-497E-42EF-AE5B-569D820359C4.htm

「イギリスが徐々に撤退していくことで可能

投稿者: imonoyamashotengai 投稿日時: 2007/05/15 00:33 投稿番号: [13325 / 20008]
Walid Khalidi:
Plan Dalet The Zionist Master Plan for the Conquest of Palestine
Middle East Forum
「イギリスが徐々に撤退していくことで可能となり、
国内へアラブ諸国が侵入してくることで終わることになった戦争」
(「アラブの解放」板垣雄三編 P.150)

ユダヤ側によるエスニック・クレンジングの完遂は、
「イギリスが徐々に撤退していくことで可能」となったのです。
英軍が撤退していく地域には権力の空白が生じます。
その権力の空白を埋めるのは、ユダヤ側とパレスチナ側の軍事力です。

・パレスチナ正規軍 1618人
・アラブ義勇軍 2830人
・ハガナ   12万1110人
  3月6日ハガナに総動員令

ユダヤ側には連合軍側で第二次大戦を戦い抜いた
三万人もの歴戦の戦闘員が含まれます。

武器もチェコ・スロヴァキアから入ってきており、
(5月15日以降は戦車や飛行機もチェコ・スロヴァキアから入ってくる)
更には、1948年3月までに日産100挺の自動小銃の生産工場が稼動しており、
4月の第一週までには日産200挺に増産されることになっていました。
月産40万発の9ミリ銃弾も生産されていました。
更にはこれらの工場は、手榴弾15万発、3インチ迫撃砲3万発、
火炎放射器、対戦車砲、大口径臼砲ダヴィドカも生産していました。
(「アラブの解放」板垣雄三編 P.141)


「国内へアラブ諸国が侵入してくることで終わることになった戦争」は、

戦う前から勝負はついていたことは明らかです。

5月15日にアラブ軍が国境を越えた時には、
既にパレスチナ人は1万4823人の死者を出し、
既に数十万人も難民となっていたのです。


英軍が、徐々に撤退していく地域をユダヤ側が実効支配し、
他方、パレスチナ全土には、イギリスの統治権を主張することで、
5月15日までは、周辺アラブ諸国軍は、国境を超えられない
という機能を果たしました。

かくして、ユダヤ側のエスニック・クレンジングは、完遂されたのです。


1948年にイスラエルがエスニック・クレンジングを行ったことは、
現在では歴史的事実、史実です。

エスニック・クレンジングがあったかどうかが争点なのではありません。
エスニック・クレンジングにジェノサイドまでもが
ビルトインされていたのか否かが争点です。

http://www.gameou.com/~rendaico/seito_palesutina_history_kenkokumae.htm
「ハガナーは、「ダレット計画」を発動した。
これは大規模な破壊活動で181号決議で定められたユダヤ人地域内の
アラブ社会を破壊し、住人を全て追い払おうという計画であった。
これは、ユダヤ人が迫害者に変わった瞬間となった。

イルグンとレヒのうとましい行為は国際世論の非難を浴びた上に、
ユダヤ−アラブの最後の絆を打ち砕きましたが、
結果として「ダレット計画」を成功に導いた。
「非公式の戦争」の間もユダヤ人国家の独立に向けた動きはやむことはなかった。
イギリス軍の撤退期限が1948.5.14になっており、
ベングリオンはこの日にユダヤ人国家の独立宣言を予定していた。
周辺アラブ諸国は、独立宣言を延期するように繰り返し警告したが、
ユダヤ人達にとって、独立を延期するなど到底考えられないことであった」


国境周辺に待機していたアラブ諸国軍の眼前で、
パレスチナのアラブ同胞にエスニック・クレンジングが
行われているのをただ傍観することしかできませんでした。
5月15日までは国境を超えられないのだからです。

「もしもアラブの侵入がなかったならばハガナの戦力の拡大はとどまるところを
知らなかったであろう。そしてハガナはペースを落とすことなく進撃を続け、
イスラエル西部の自然的境界線にまで到達しえていたであろう。
なぜなら、この段階では国内各地の敵の戦力のほとんどが
もはや麻痺状態にあったからである」


Haifa
http://www.palestineremembered.com/Haifa/Haifa/index.html
Population 1922-1973 Year
Total Muslim Arabs Christian Arabs Jews
1922 24,634 9,377 8,863 6,230
1931 50,483 20,401 13,827 15,923
1938 99,090 51,090* N/A 48,000
1945 138,300 35,940 26,570 75,500
1949 88,893 3,566* N/A 85,327
* The statistic includes Muslim and Christian Arabs

ガザ地区と西岸地区に占める難民の割合

投稿者: shibh_jazirat_sina 投稿日時: 2007/05/14 17:36 投稿番号: [13324 / 20008]
統計の時期に少々ずれがございますが…まあ、大した差は出ないでしょう。

●ガザ地区

https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/gz.html

http://www.un.org/unrwa/refugees/gaza.html

・全人口:148万2000人
・難民:99万4000人
・全人口に占める難民の割合:67.1%
・人口増加率:3.66%


●西岸地区

https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/we.html

http://www.un.org/unrwa/refugees/westbank.html

・全人口:253万6000人
・難民:67万8000人
・全人口に占める難民の割合:26.7%
・人口増加率:2.985%


●パレスチナ全体

・全人口:401万8000人
・難民:167万2000人
・全人口に占める難民の割合:41.6%


どうでもいいのだけど、人口増加率が非常に高い。周辺のアラブ諸国のどの国よりも高く、これよりも高いのは豊かな湾岸諸国ぐらい。あの狭い土地での人口爆発がプラス方向に働くとはとても思えない。もしかして、お得意の子宮爆弾戦略なのかもしれない。しかし、例え、”戦略”により、ユダヤ人人口を上回ってもマイナス面の方が大きいだろう。さて、これからどうなることやら。

ハイファ

投稿者: ojin_8823 投稿日時: 2007/05/14 17:05 投稿番号: [13323 / 20008]
>・4月4日:「ダーレット作戦」発動
>・4月9日:ヤシン村で254人を虐殺
>・4月21日:ハイファ攻撃開始
>・4月23日:ハイファ制圧
>・5月14日:イスラエル建国宣言

>アラブ軍の侵攻により戦争が始まったという『イスラエル建国神話』
>第一次中東戦争はアラブ軍の侵攻により始まったというのなら、それ以前に既に数十万人もエスニック・クレンジング済みだったのは、一体どういう訳だ?
>ハイファなどの巨大都市は、そうもいかないので、正規軍で軍事的に叩き出すのだ。   「出て行くか、死ぬか、どっちでもお好きなように」と。


まず、ハイファという町の位置は↓。
http://www.palestinefacts.org/pf_1948to1967_land_1948.php

国連決議181分割案とハイファの位置づけ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:1947PartitionPlan.PNG






最初の話題は、シンパの人が編集したらしい怪しげな翻訳?   参照の箇所をクリックしたって無駄。   反応なし。
http://wikipedia.qwika.com/en2ja/Capture_of_Haifa_in_1948
// -- -
余波
20,000 人のアラビア人は6 つのアラビアの国家からの力がイスラエル共和国に侵入し、破壊することを計画していたのでアラビアのリーダーがそれらに区域を残すように助言した後逃げた。 それ以上の20,000 はレバノン及びヨルダンの避難者に似合った。
-- -//


しかし、↑の原文はこれ(↓)。   商店街の仕業か?(わら

Aftermath
http://en.wikipedia.org/wiki/Capture_of_Haifa_in_1948
// -- -
After a few days, only about 10,000 of Haifa's Arab residents remained. 20,000 Arabs fled. A further 20,000 became refugees in Lebanon and Jordan.
-- -//


「アラビア人は6 つのアラビアの国家からの力がイスラエル共和国に侵入し、破壊することを計画していたのでアラビアのリーダーがそれらに区域を残すように助言した」は、日本赤軍が信じてそれに加わったし、ご覧のとおり原文を   ねつ造   し、

    「彼らの活動が今も続いている」ことに注意!(わら








そして2つ目がこれ(↓)。

The next day, April 23, the Arab leadership met with Stockwell to discuss the organization of the evacuation, despite the efforts of some Jewish civil leaders to block the flight. Most Muslims left the city and moved to Arab villages in the Galilee; however most Christians remained in Haifa, and still live there today.


4月23日、脱出を断念するよう数人のユダヤ人代表者らが説得するもガラリアのアラブへ行ってしまう。

それを商店街は次のように言った。

 -- -「出て行くか、死ぬか、どっちでもお好きなように」と。 -- -







そして、そして3つ目は   商店街に「隠ぺいされてしまった」怨念のハイファという町の話。


◇Haifa
http://en.wikipedia.org/wiki/Haifa

Haifa is located in the northernmost reach of the coastal plain designated as Jewish territory in the 1947 UN Partition Plan dividing mandatory Palestine, and was not excepted to the violence following that plan and culminating in the 1948 Arab-Israeli War.

On 30 December 1947 members of the Jewish militant group Irgun hurled two bombs into a crowd of Arabs who were waiting for construction jobs outside the gates of the Consolidated Refineries in Haifa, killing 6 and injuring 42, whereupon 2,000 Arab employees rioted and killed 39 Jewish employees in what has become known as the Haifa Oil Refinery massacre.

1947年12月30日、ハイファの精錬所で仕事を探していたアラブ人の人たちに向かって過激派イルグンが2個の手投げ弾を6名に死者と42人の負傷者が出た。それがきっかけで、アラブ人の暴動が起こり、ユダヤ人39人が殺害された。これは精錬所の虐殺として知られる。




事実が嫌いな   商店街♪

Re: ダーレット計画

投稿者: ojin_8823 投稿日時: 2007/05/14 13:12 投稿番号: [13322 / 20008]
分離計画されたパレスチナ区の中にユダヤ人の村があり、アラブ人たちはアラブ連盟が「ジハード」を叫ぶ中、この村を孤立させた。   これを打破しようとトラック団を編成するもアラブ義勇兵軍らにせん滅される。   その地は高台に位置していたこともあって、いわゆるアラブ義勇兵による兵糧攻めを食らっており、ユダヤ人壊滅の恐れがあった。


  ・・・の続き。





しかし、反撃しようにも武器と食料を積んだトラック軍団が、ヒットラーのナチスと協力しパレスチナ追放となったパレスチナ・ムスリムのイスラム教の最高指導者であったハジ・アミン・アル・フセイニ
http://fr.wikipedia.org/wiki/Amin_al-Husseini

の甥率いるアブドゥル・カデルのアラブ救世軍に、ことごとく負けをきっしました。
追い詰められたユダヤ人側は、「ダレット計画」を発動します。しかし、破壊活動するにも武器はなく、エルサレム−テルアビブ間の輸送の連絡線を確保しなければなりませんでした。   1948年4月1日、テルアビブ−エルサレム間の連絡線の奪還を目指す「ナハション作戦」が開始されるも惨敗。
ダレット計画の実行前に頓挫してしまいます。
  そんな折のヤシン村事件、4日後のユダヤ人バスが襲撃され75人殺害もあったりして、軍隊ではない過激派レヒの宣伝とその報復を恐れたパレスチナ人たちは逃げ出しました。ヤシンの虐殺事件にベングリオンは驚愕し、慌ててトランスヨルダンのアブドゥッラー国王に謝罪の手紙を送ったが、アブドゥッラー国王が抱いていたシオニズムへの好意は切れた。
http://www.gameou.com/~rendaico/seito_palesutina_history_kenkokumae.htm

Re: ダーレット計画

投稿者: ojin_8823 投稿日時: 2007/05/14 09:06 投稿番号: [13321 / 20008]
>>1948年4月・5月の2ヶ月間、『ハガナ』は、パレスチナの村人を村から
>>追い出し、村を破壊せよとはっきり表現した作戦命令を受けていました。

>そうですね。   現在では、ダーレット計画の内容も公開されていますから、ユダヤ側の正規軍たるハガナが、このエスニック・クレンジングの中核部隊だったことは当然です。

>Plan Dalet
http://www.palestineremembered.com/Articles/General/Story1552.html

>エスニック・クレンジング:民族浄化とは、ジェノサイドとは違います。






Phases of the War
◇First phase (29 November 1947-1 April 1948)
http://en.wikipedia.org/wiki/1948_Arab-Israeli_War

At the same time, violence steadily increased as both Jews and Arabs engaged in sniping, raids, and bombings that cost many lives on both sides. Between 30 November 1947 and 1 February 1948 427 Arabs, 381 Jews, and 46 British were killed and 1,035 Arabs, 725 Jews, and 135 Britons were wounded. In March of 1948 alone, 271 Jews and 257 Arabs were killed.

Over the months following the partition, larger organized forces became increasingly engaged in the violence. The Arab Legion attacked a Jewish civilian bus convoy at Beit Nabala on 14 December, and on 18 December Haganah forces, possibly belonging to its kibbutz-based force, the Palmach, attacked the village of Al-Khisas. Three weeks later the first Arab irregulars arrived and the Arab leadership began to organize Palestinians in order to wage guerrilla war against the Jewish forces. The largest group was a volunteer army, the Arab Liberation Army, created by the Arab League and led by Arab nationalist Fawzi Al-Qawuqji. In January and February, Arab irregular forces attacked Jewish communities in northern Palestine but achieved no substantial successes.

The Arabs concentrated their efforts on cutting off roads to Jewish towns and Jewish neighborhoods in areas with mixed populations. They also massacred several Jewish convoys. At the end of March, the Arabs completely cut off the vital road going from Tel Aviv to Jerusalem, where one sixth of Palestine's Jews lived.

The Haganah armed itself with arms bought from Czechoslovakia (see Operation Balak or Arms shipments from Czechoslovakia to Israel 1947-1949 ). The Yishuv began working on a plan called Plan Dalet (or Plan D).



Plan Dalet、ダーレット計画は「ユダヤ人に対して何も危害を加えていないパレスチナ人」に

  追い出し、村を破壊せよとはっきり表現した作戦命令を受けていた!?





分離計画されたパレスチナ区の中にユダヤ人の村があり、アラブ人たちはアラブ連盟が「ジハード」を叫ぶ中、この村を孤立させた。   これを打破しようとトラック団を編成するもアラブ義勇兵軍らにせん滅される。   その地は高台に位置していたこともあって、いわゆるアラブ義勇兵による兵糧攻めを食らっており、ユダヤ人壊滅の恐れがあった。


  ああ、事実は知らないほうが良い(わら
http://en.wikipedia.org/wiki/Plan_Dalet


これも、友好的で、「ひ弱なパレスチナの人たち」のやることです。

Re: 5月15日という日付は決定的な意味を持

投稿者: physics4dummys 投稿日時: 2007/05/14 02:07 投稿番号: [13320 / 20008]
無知を承知でお伺いしますが、5月15日までイスラエルはイギリス領だったわけですよね?   それなのにイスラエル軍がアラブ人を村から追い立てたり強姦したりという暴挙をイギリスは放っておいたんですか?

そういう悪さをするならお前らにイスラエルはやんないよ、てなことはいわなかったんですか?

Re: 質問です

投稿者: himuka21 投稿日時: 2007/05/13 19:21 投稿番号: [13319 / 20008]
  >あなたの家にちんちんを改造した泥棒がやってきて、あなたを家から追い出し   >あなたの家に住みだしたとしましょう。

  >   ぷんぷんにいかりまくるあなた方夫婦に泥棒が

  >   ”この家はおれらのもんだ。貴様らが自発的に去ってったからな。”

  >   こう発言したらどうおもわれますか?

  >   納得されるのですか?

あなたがここの家の住人で、奥様がいらっしゃるなら私の言うことを一諸に考えてください

私事ですが・・・

まだ20代の初めから、占いさんがこういわれていました。

あなたはとてもよい結婚ができて幸せになれる人です。晩婚がよいと
その相手は   とても外見が良く人間的にできている人   仕事や学歴や家柄など関係ないと   お見合いがよいと

それでいくらたっても結婚はできないので私はいつぐらいに結婚できるのですか?
とき聞きに行った事があるんです。そしたらパソコンをはじめたぐらいの1〜2年ぐらいの時期といわれました。そのころ友達がお見合いの話をもってきてくれたのがあったので   聞いてみたのですが   上の条件には当てはまらない方でした。

それで   まだ   つずきがあるのですが、このかた以外はもう出会いはない   とおっしゃいました   私は再婚はできないと   相性がよい方とも言われました

東京に来てからの出会いはいまのところ   やはり占いどうりです。あどべんさんはどうなんでしょうか   イスラエルにいって思いどうりの出会いがあったのでしょうか???

あなたがここの住人で   ぶんぶんにいかりまくる心がおありなら   まちがっているのはかかしさん以上にご自分ではないかと考えてみてください

私は勉強を2つも始めずにあなたはいすらえるになんか行かないで結婚のことを考えてみるべきではなかったのでしょうか

私が東京に来たのは   自分の人生を見極めるためにアドベンさんに会う必要があると思っていたからですよ

つまり   私たちには   神様のご計画どうり他の出会いはないということです。つまり私たちは早く   お会いすべきなんだということです

はやく   それに   きずいてください

5月15日という日付は決定的な意味を持つ

投稿者: imonoyamashotengai 投稿日時: 2007/05/13 19:16 投稿番号: [13318 / 20008]
5月15日は決定的な意味を持ちます。

その日までは、イギリスの統治が続いているのですから、
アラブ軍は国境を越えることができません。
もし正規軍が国境を越えれば、それはイギリスに宣戦布告する
ということですから、そんなことはあり得ません。
だから義勇軍というかたちで三千人程度送り込んだのですが、
そんなものは、焼け石に水です。

いくらアラブ連盟がジハード宣言しようと何の意味もありません。

ユダヤ側は、この5月15日に照準を合わせ、その全力を投入しました。
ユダヤ側としては、為すべきことを為したのです。
つまりダーレット計画に基づいてエスニック・クレンジングを完遂したのです。

イスラエル領とされることになっていた領土には、
50万のユダヤ人と40万のパレスチナ人が実在しました。
いくらイスラエルという国家が成立しても、
アラブ人の所有する土地は、アラブ人に所有権があります。
国有地になる訳ではありません。

このままにしておけば、後から続々と続く予定の同胞を
入植させる土地がありません。

しかも、もし5月15日を過ぎて、アラブ軍が侵攻してきて、
イスラエル領内のアラブ人保護を名目に駐留されるかもしれませんでした。

もしそんなことになれば、ユダヤ国家は、建国の日で即、消滅の危機です。

確かに、ユダヤ側の視点で考えれば、
5月15日までにエスニック・クレンジングを完了させておく以外に
ユダヤ国家建設はあり得ないと考えたとしても理解できます。

だからこそ、問題は、分割案実施をまずは中止することでしょうね。

しかし、ではイギリスは撤退するというのだから、
では、一体誰が駐留するというのかと問われれば、
たちまち困ってしまいますが、

とりあえず、英軍がもうしばらく駐留を続け、
まずは、停戦を実施し、
国連で対応を練り直すということくらいしか考えられませんが、、、
国連平和維持軍のようなものを送るとかでしょうね。


Plan Dalet
http://www.palestineremembered.com/Articles/General/Story1552.html

Walid Khalidi:
Plan Dalet The Zionist Master Plan for the Conquest of Palestine
Middle East Forum
「イギリスが徐々に撤退していくことで可能となり、
国内へアラブ諸国が侵入してくることで終わることになった戦争のこの段階は、
ハガナに貴重な勝利をもたらした。
各地の攻撃的戦闘のおかげで、ユダヤ人領域を保持しえただけでなく、
われわれの戦力のアラブ地域への浸透をも達成した。
膨大な数に達するアラブが逃亡したことにより、われわれの軍事力で広大な
地域を支配することが容易になり、また難民を吸収し組織するために多大の
努力を払わねばならない敵には、重荷を背負わせることになったのである。
敗北感のために、難民がアラブ地域に甘んじてとどまるであろうことは
想像に難くない。
もしもアラブの侵入がなかったならばハガナの戦力の拡大はとどまるところを
知らなかったであろう。そしてハガナはペースを落とすことなく進撃を続け、
イスラエル西部の自然的境界線にまで到達しえていたであろう。
なぜなら、この段階では国内各地の敵の戦力のほとんどが
もはや麻痺状態にあったからである」

ダーレット計画

投稿者: imonoyamashotengai 投稿日時: 2007/05/13 18:59 投稿番号: [13317 / 20008]
>1948年4月・5月の2ヶ月間、『ハガナ』は、パレスチナの村人を村から
>追い出し、村を破壊せよとはっきり表現した作戦命令を受けていました。

そうですね。
現在では、ダーレット計画の内容も公開されていますから、
ユダヤ側の正規軍たるハガナが、このエスニック・クレンジングの
中核部隊だったことは当然です。

Plan Dalet
http://www.palestineremembered.com/Articles/General/Story1552.html

エスニック・クレンジング:民族浄化とは、ジェノサイドとは違います。

この場合、イスラエル領となる予定地内のパレスチナ人を追い出すことが
目的なのであって、殺害することが目的ではありません。

しかし、先祖伝来の地から数十万人を追い出すのに、
流血の事態にならないとは誰も考えないでしょうね。

ただ、ヤシン村の虐殺が、ダーレット計画にビルトインされていた
のかどうは、それはもはや分からないでしょうね。
ベングリオン等の当時の指導部が墓の中まで持っていってしまったのですから。

ヤシン村虐殺を、中央指導部がビルトインしていたのか、
イルグンによる暴発事件だったのか、それは証明のしようがありませんね。

しかし、ハガナは、ヤシン村虐殺事件でパニックに陥っていた
パレスチナ人を叩き出す有効な手段として活用しました。


http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/5614/is8.html
ヨセファの現在の夫シモニエルは、かつてパレスチナ人とユダヤ人の
二民族共存を夢見ていた一人だった。
しかし一九四八年にパレスチナ人が続々と逃亡していくのを見て、
これでいいのだ、仕方がないのだ、と考えるようになったという。
この頃はナチスの強制収容所が解放されていたものの、
ユダヤ人は行き場がなくて収容所に留まっていた。
彼はこれらの人々を迎えるために、目の前で家を失っていく人々のことに
目をつぶることにしたのである。
こうした経過をたどったユダヤ人は、意外に多い。
この人々は次に、パレスチナ人の土地の没収も仕方ない、と思うようになる。
エルサレムの併合にも賛成する。そして右傾化が果てしなく進行する。


(広河隆一「パレスチナ」岩波新書)
パレスチナ人に、アラブ軍の作戦が終るまで自分の村を離れろと
「退避命令」を放送したから、パレスチナ人が村を出たというものである。
責任はパレスチナ人側にあり、ユダヤ人側にはないというわけだ。
BBCや米政府が、当時のパレスチナにおける放送をすべて傍受し録音していたが
それを調べた人々はそのような放送の記録を見つけることができなかった。
イスラエルもこの証拠を提出することができていない。
その反対に、パレスチナ人に村に留まるように呼びかけた
アラブ側の放送の記録は多数ある。

Re: 48年の虐殺・強姦は歴史的事実

投稿者: physics4dummys 投稿日時: 2007/05/13 17:36 投稿番号: [13316 / 20008]
あなたが引用したサイトの情報源となっているベニー・モリスという人ですが、話をねつ造したり歴史的資料を誤って解釈しているという批判もあるみたいですね。

まずEfraim Karshというロンドンの King's College Londonの教授がイスラエル寄りの立場からモリスは話をねつ造していると批判してますが、パレスチナ側からは、Norman Finkelsteinという人がImage and Reality of the Israel-Palestine Conflictでイスラエル軍の暴挙を過小評価しているという批判をしてます。

どちらからも批判を浴びているちょっと不思議な人のようですな。

48年の虐殺・強姦は歴史的事実

投稿者: ethno_bomb 投稿日時: 2007/05/12 11:31 投稿番号: [13315 / 20008]
>ヤシン村虐殺はイルグンとシュテルンの『独断専行』だと思う。
>ハガナは当初は非難声明を出した。

新資料(主としてイスラエル国防軍公文書アーカイブ)のおかげで、イスラエルの虐殺行為が、以前私が思っていた以上にはるかに多いことが分かりました。強姦事件も頻繁に起きていたことも分かり、びっくりしました。1948年4月・5月の2ヶ月間、『ハガナ』は、パレスチナの村人を村から追い出し、村を破壊せよとはっきり表現した作戦命令を受けていました。
http://www.ne.jp/asahi/institute/association/newsletter/20040916/article_2.htm

書いた表は5月15日で終わっている

投稿者: ojin_8823 投稿日時: 2007/05/12 09:40 投稿番号: [13314 / 20008]
>私の書いた表は5月15日で終わっているだろう。

>だから、「戦う前から勝負は決まっていた」というのは、アラブ軍が国境を越える前の話だ。   二つの戦争があったのだよ。   それを意図的に混同させるのが、イスラエルのプロパガンダだ。



「書いた表は5月15日で終わっている」

とは、まるで当時の「イギリス政府並の丸投げ」と同じ思考回路だね。

自分に有利な部分で主張を終わらす    ・・・だと(わら





「国連の181議決までは、パレスチナ人は比較的ユダヤ人に友好的だった」   と思っているが、この181議決の11月29日を抵抗の記念日にして、それに激怒したパレスチナ人たちは対ユダヤ闘争を蜂起した。   それがきっかけで、双方2週間ほどで、

  パレスチナ人   32人
  ユダヤ人     79人

が死んだ。   もちろん、商店街はわざとこれを   隠ぺい   した。

>>1947年
>>・11月29日:国連分割案採択
>>1948年
>>・3月19日:米が分割案の停止を求め、信託統治領を提案
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143582&tid=a5a4a59a5ia5a8a5ka1bfa5qa5la59a5 aa5jobjbf&sid=1143582&mid=13295





ユダヤ人側も軍隊ではない右派過激派のイルグンらがこれに抵抗し、パレスチナ全土が流血の事態となった。

これを見たアラブ側はアラブ連盟会議で 181議決翌月の12月17日に

   ジハード(聖戦)

を宣言し、5月15日以降へと続く。





>>・4月1日:国連安保理は停戦案を採択
>>・4月4日:「ダーレット作戦」発動
>>・4月9日:ヤシン村で254人を虐殺
>>・4月21日:ハイファ攻撃開始
>>・4月23日:ハイファ制圧
>>・5月14日:イスラエル建国宣言
>>・5月15日:アラブ軍参戦


↑↑↑   見てください、「抵抗ゼロ」の可哀想なパレスチナの人たちです♪


4月13日:エルサレムのヘブライ大学と病院に向かうユダヤ人のバスが攻撃され、医師・看護婦・教授・学生の計75人が惨殺された。

軍隊ではない右派過激派イルグンが起こしたヤシン村事件を教訓に、復讐を恐れたパレスチナ人たちは逃げ出した。   また、過激派イルグンはこれを利用した。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143582&tid=a5a4a59a5ia5a8a5ka1bfa5qa5la59a5 aa5jobjbf&sid=1143582&mid=13297




どっちもどっちだ。   混乱の時代だよ。



その教訓を今に生かすべきなのだが、肝心の「パレスチナ」創元社の参考本に、この事実が載っていないなんて(わら

「ありがとう」は、お預けだな。

>何が倒錯しているのかね?。

投稿者: messatu9tintincult 投稿日時: 2007/05/12 02:58 投稿番号: [13313 / 20008]
>1948年のエスニック・クレンジングを説明するのに、
宗教でのみ説明している。

宗教を大きな理由の一つとしてあげてるだけですよ。それともここでなんか十分といえるほどのありとあらゆる分野の情報をおかないといけないのでしょうか?

かと思えば宗教は関係ないとかいってるし

証拠1):イスラエルやアメリカ政府が、国家政策として、打ち出し、実行していることはユダヤ教に基づいて行われている訳ではありません。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=552019567&tid=bpa5a4a5ia5afipno9tbbh&sid=552019567&mid=105399

証拠2):それはユダヤ教の教義に則って行われている訳では全くありません。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=552019567&tid=bpa5a4a5ia5afipno9tbbh&sid=552019567&mid=105419

全くないと言ったかと思えば要素もあるともいってる?

証拠:確かに、その中にユダヤ教という要素もあることを否定しませんよ。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143582&tid=a5a4a59a5ia5a8a5ka1bfa5qa5la59a5 aa5jobjbf&sid=1143582&mid=13300

倒錯してますね。分裂ともいいますね。

オツム大丈夫ですか?

Re: 戦う前から勝負は決まっていた

投稿者: imonoyamashotengai 投稿日時: 2007/05/11 23:52 投稿番号: [13312 / 20008]
私が書いた表は、5月15日で終わっています。
つまり、5月15日にアラブ軍が国境を越えた時には、
既にパレスチナ人は1万4823人の死者を出し、
既に数十万人も難民となっていたのです。

二つの戦争があったのですよ。

・パレスチナ内部での戦争と、
・5月15日以降に、アラブ軍が国境を越えてからと。

4月1日:国連安保理は停戦案を採択
というのは、前者の戦争への停戦案です、

私は前者についてだけ述べたのです。

これが客観的な歴史的事実だと思っています。

ユダヤ側の意図というのは、頭の中のことなので、分かりませんが、
結果として、75万人もの難民を生み出したのですから、
完全なエスニック・クレンジングです。

ユダヤ側は、最初からここまで意図していたのか、
意図以上に『うまくいってしまった』のかは分かりませんが。
また、当初の意図が、途中で変わったのかもしれません。

しかし意図がどうだったのであろうと、
生み出された結果に責任があるのは、当然です。

そもそも国連分割案自体が無理がありすぎました。

イスラエル領とされた土地ですら、実際に使える土地面積では、
アラブ人所有の方が広かったのです。
イスラエル領であり、アラブ人の土地所有権?

まあ、イスラエルとしては、そのアラブ人を追い出すしか
ユダヤ国家建設はそもそも無理という状況のような気もします。

つまり、欧米、ソ連がそれで良しと考えた
枠組み自体に根本的問題があるように思えます。

ソ連は分割案に賛成したのだから、何か利益になると
計算したのでしょうが、謎です。
ソ連圏は成立していたので、チェコを通して武器輸出までやったのです。
左翼の労働党だから自分の影響力の下に置けると考えたようです。

アメリカは分割案を一時撤回しました。
産油国たるアラブ諸国を敵に回すのは不利益だと計算し直したのです。
しかしユダヤロビーの影響力行使で再度撤回します。

欧米で迫害されてきたユダヤ人問題を
パレスチナに矛盾転嫁し、
相互に戦わざるを得ない状況に追い込んだ。
そういう意味で、欧米ソ連は罪深いと言えるのではないでしょうか。

Re: 戦う前から勝負は決まっていた

投稿者: imonoyamashotengai 投稿日時: 2007/05/11 23:51 投稿番号: [13311 / 20008]
私の書いた表は5月15日で終わっているだろう。

だから、「戦う前から勝負は決まっていた」というのは、

アラブ軍が国境を越える前の話だ。

二つの戦争があったのだよ。

それを意図的に混同させるのが、イスラエルのプロパガンダだ。



「パレスチナ」創元社

P.60,61
・パレスチナ正規軍 1618人
・アラブ義勇軍 2830人
・ハガナ   12万1110人
  3月6日ハガナに総動員令

・アラブ軍合計:1万3876人

Re: 倒錯してますね

投稿者: imonoyamashotengai 投稿日時: 2007/05/11 23:50 投稿番号: [13310 / 20008]
>倒錯してますね

一体、何と何が倒錯しているのかね?



>だれも宗教だけが原因で他の要素は関係ないとはいってませんよ。
>わたしがそのような主張をした証拠でもあるんですか?


>>アラブ人は自発的にイスラエルの土地を去ったのです。
>1)倫理観の根本:
>旧約聖書ヨシュア記に記されたユダヤ人による占領地カナンの先住民への
>民族浄化(聖絶)
>2)それに基づいた行動:
>1948年のイスラエルからのアラブ人の追放。

1948年のエスニック・クレンジングを説明するのに、
宗教でのみ説明している。

質問です

投稿者: messatu9tintincult 投稿日時: 2007/05/11 15:51 投稿番号: [13309 / 20008]
あなたの家にちんちんを改造した泥棒がやってきて、あなたを家から追い出しあなたの家に住みだしたとしましょう。

ぷんぷんにいかりまくるあなた方夫婦に泥棒が

”この家はおれらのもんだ。貴様らが自発的に去ってったからな。”

こう発言したらどうおもわれますか?

納得されるのですか?

Re: 戦う前から勝負は決まっていた

投稿者: physics4dummys 投稿日時: 2007/05/11 15:34 投稿番号: [13308 / 20008]
>チェコスロバキアからは武器を購入していました。もっとも、この国だけですが。このときのアメリカの反応は「せいぜい頑張ってくださいな」で終わり。

チェコスロバキアから、、へえそうだったんですか。アメリカ政府の反応は冷たかったですが、アメリカ国内にいたユダヤ系アメリカ人が募金運動をして違法で武器を買ってイスラエルへ送ったそうですよ。イスラエルには最初戦車もなかったらしいですからね。

Re: 戦う前から勝負は決まっていた

投稿者: shibh_jazirat_sina 投稿日時: 2007/05/11 13:40 投稿番号: [13307 / 20008]
>イスラエルは経済制裁を受けていてどこの国からも武器を購入できなかった

チェコスロバキアからは武器を購入していました。もっとも、この国だけですが。このときのアメリカの反応は「せいぜい頑張ってくださいな」で終わり。

>しかもこの戦争を仕掛けてきたのはアラブ諸国であってイスラエルがアラブ人を追い立てたわけじゃない。エジプトは現地のアラブ人にどうせエジプトが勝ったらイスラエルへ戻ってくればいいのだからとアラブ人を避難させておいて、いざ負けてしまうと自分達は難民を引き取らなかった。だからいまのガザとかウエストバンクでアラブ人が立ち往生してるんじゃないですか。
>難民を作ったのはイスラエルではなくてアラブ諸国ですよ。

難民が生じた原因は明らかにイスラエル側にもあるでしょう。ディル・ヤシン事件がパレスチナ人の間に多大な恐怖を引き起こしたという出来事のみをとっても。

アラブ各国のパレスチナ難民の待遇については後で簡単に書きたいと思います。あと、ガザとウェストバンクに占める難民の割合についても。今忙しいんで。

Re: 戦う前から勝負は決まっていた

投稿者: physics4dummys 投稿日時: 2007/05/11 10:37 投稿番号: [13306 / 20008]
>また、1948年2月9日のアラブ連盟会議や、有名な「アラブ軍団」が抜けているのは、どういうことなの?

まさしくその通りですよ。イギリスの旗がおりてイスラエル開国の旗があがらないうちに、アラブ連合軍がイスラエルに攻め入ったことなど完全無視ですからね。妹之山さんともあろう人がここまで歴史を書き換えてしまうのはいかがなものでしょうか?

戦う前から決まっていたどころか、アラブ連合軍の方が兵器も兵の数も圧倒的に勝っていましたよ。しかもイスラエルは経済制裁を受けていてどこの国からも武器を購入できなかった。だからアラブが必ず勝つとアラブ人は考えていた。しかもこの戦争を仕掛けてきたのはアラブ諸国であってイスラエルがアラブ人を追い立てたわけじゃない。エジプトは現地のアラブ人にどうせエジプトが勝ったらイスラエルへ戻ってくればいいのだからとアラブ人を避難させておいて、いざ負けてしまうと自分達は難民を引き取らなかった。だからいまのガザとかウエストバンクでアラブ人が立ち往生してるんじゃないですか。

難民を作ったのはイスラエルではなくてアラブ諸国ですよ。

訂正: ラファの町にある穴、アナ

投稿者: ojin_8823 投稿日時: 2007/05/11 08:59 投稿番号: [13305 / 20008]
逃亡ルートにも疲れているとか。

    ↓

逃亡ルートにも使われているとか。   m(_ _)m

ラファの町にある穴、アナ

投稿者: ojin_8823 投稿日時: 2007/05/11 08:49 投稿番号: [13304 / 20008]
NHKの「ラファの町報道」の追加のつもりです。


◇Security sources: 15 Gaza-Egypt smuggling tunnels in operation
エジプト国境のガザで15の密輸トンネル発覚
http://www.haaretz.com/hasen/spages/857790.html

Palestinian and Israeli security sources believe there are approximately 15 active tunnels in Rafah in the southern Gaza Strip, between the Palestinian Authority and Egypt. The tunnels are being used by smugglers to move arms, drugs and people, sources say.

The same sources say there are at least 10 other tunnels in the area that are not in use due to various technical reasons.

There have been several attempts to dig tunnels along the border between the Gaza Strip and Israel. These tunnels could be used to conduct raids, abduct Israelis or lay explosives.

The Rafah tunnels are being controlled by the most powerful clans in the area, who consider them a very lucrative source of income.

The various militant organizations use the tunnels to import various types of weapons and explosives.



昔は武器の密輸ルートに使われていたが、最近は犯罪者の逃亡ルートにも疲れているとか。

ガザではやっと、パレスチナ治安警察隊が形成され、暴力の沈下に努めはじめた模様。


THURSDAY, MAY 10
◇Palestinians deploy police force
http://english.aljazeera.net/NR/exeres/F55F5B97-59D5-4027-BF11-3BD33BD77274.htm

Re: 『イスラエル』パレスチナ難民という原

投稿者: nekoha_dazo 投稿日時: 2007/05/11 08:43 投稿番号: [13303 / 20008]
imonoyamashotenngaisama 始めまして。   いつもあなたの投稿を読ませていただいております。と言っても日常生活に終われ忙しいガゆえ、まとめてざっとですが。でもいつも感じるのはあなたの真摯な姿勢と、まじめな人柄です。本当に正義感が強く、物事をいい加減に、ないがしろに出来ない、そういう人なんですね。もう少し肩の力を抜いてもいいかもね。。特におじん何とか言う人なんか。まともに遣り合ってたらあなたが疲れるだけ。彼はあなたをおちょくってるだけのように感じますが。ああいう♪♪の人は♪♪でいいんですよ。
  これからも応援してます。

戦う前から勝負は決まっていた

投稿者: ojin_8823 投稿日時: 2007/05/11 08:33 投稿番号: [13302 / 20008]
>一方、パレスチナ人はといえば、アラブ諸国が何とかしてくれるだろうとしか思っていなかった。パレスチナの正規軍など千人ちょっとで、ユダヤの軍は11万いたのだから、話にもならない。

>つまり戦う前から勝負は決まっていたのだ。



ほう、ユダヤ軍11万???   初耳だね。

参照URLを教えてくれないか。


また、1948年2月9日のアラブ連盟会議や、有名な「アラブ軍団」が抜けているのは、どういうことなの?




商店街の名セリフ:
   戦う前から勝負は決まっていたのだ!!
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:1948_arab_israeli_war_-_May15-June 10.jpg

倒錯してますね

投稿者: messatu9tintincult 投稿日時: 2007/05/11 06:05 投稿番号: [13301 / 20008]
>私は、ユダヤ教の教えも関係していることを否定しませんよ。それだけで説明するのは、間違っているというが私の主張です。

だれも宗教だけが原因で他の要素は関係ないとはいってませんよ。わたしがそのような主張をした証拠でもあるんですか?

完全なる倒錯

投稿者: imonoyamashotengai 投稿日時: 2007/05/11 04:15 投稿番号: [13300 / 20008]
>1)倫理観の根本:
>2)それに基づいた行動:

こういうのをヘーゲル主義っていうんですよ。

<理念>→<行動>

完全に倒錯しています。

貴方に見えるのは、まずは、現象である筈です。

1948年にユダヤ軍がどう動いたかという現象である筈です。

貴方の目は、理念を目で見ることができるんですか?

見える訳ありませんね。

だから、それは貴方の解釈です。

1948年にユダヤ軍が一体、現実に何をやったか。

これが出発点です。

次にこれをどう解釈するかです。

だから順番が逆なんですよ。

1948年にユダヤ軍がどう動いたか。

確かに、その中にユダヤ教という要素もあることを否定しませんよ。

しかし、ユダヤ教だけだとしたら、完全な間違いですね。

ナショナリズムもあるでしょう。
その他にもたくさんの要素があるんですよ。

1948年に、ユダヤ人が世界的に、一体どういう状況に置かれていたかを考えれば
民族の存亡を賭けていたんですよ。

私は、ユダヤ教の教えも関係していることを否定しませんよ。

それだけで説明するのは、間違っているというが私の主張です。

その他にもたくさんの要素があるんですよ。

私は社会主義シオニズムのシンパです。

スターリニストの虐殺を逃れてきたボルシェビキやその支持者達も
多数いたことを知っているんですよ。
彼らは、キブツを創ったんですよ。

私は1948年以前のキブツを否定するなにものも持っていません。

だから、ユダヤ教だけで説明されても、
私が、それは違うだろうと思うのは、理解して頂けると思うのですが。

私の個人的な関心は、ボルシェビキ系が、何故、
1948年のエスニック・クレンジングを許してしまったのかということです。
少数派であったことは確かなようですけどね。

それに関して文献を読みたいんですが、
日本語の文献は、殆ど全くないようなので困っているんですけどね、、、

とりあえず、日本でも有名なアイザック・ドイッチャーの
「非ユダヤ的ユダヤ人」岩波新書(絶版ですが、簡単に入手できます)

西欧のユダヤ人と違って、東欧のユダヤ人は、
下層階級であり、大半はシオニズムに反対だった。
逃げ出すのではなく、踏み止まり、現地の支配階級を倒すことを目指す。
ロシア革命、ハンガリー革命、ドイツ革命。
しかし、スターリン体制の樹立とともに、
スターリンの魔の手から逃げ出さざるを得なくなった。
それで理想郷キブツを創設した。


「ユダヤ世界を読む」創成社新書を、今、読んでます。

1948年のエスニック・クレンジングの<実体構造>を
もっと勉強しないといけないなと思っているところです。

①現象
②その実体構造:担い手、組織、イデオロギー
どのような組織があって、どのようなイデオロギー、政策を掲げていたか。

このように分析下向していくべきだと思っているのです。

日本政府、パレスチナ支援再開

投稿者: miniiwa2 投稿日時: 2007/05/11 03:37 投稿番号: [13299 / 20008]
「欧米に先駆け」って、大丈夫かね。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070510ia01.htm

『イスラエル』パレスチナ難民という原罪③

投稿者: imonoyamashotengai 投稿日時: 2007/05/11 02:10 投稿番号: [13297 / 20008]
ヤシン村虐殺はイルグンとシュテルンの『独断専行』だと思う。
ハガナは当初は非難声明を出した。
しかし、その効果が余りにも絶大だった為、沈黙してしまう。
ここに人間の弱さが露呈している。
甘い誘惑に負けたのではないと言えるのか?
目的は手段を浄化しないのだ。
内部の矛盾をも否定せねばならないのだ。
歪んだ手段をいくら積み重ねても、歪んだ目的しか達成されないのだ。
目的性が個々の手段に内在していなければならないのだ。

それはチェチェンやパレスチナやイラクの反占領闘争にもそのまま当てはまる。
反占領勢力として、無差別テロ勢力をも肯定してしまったのだ。
そのツケは背負わねばならない。
イラクでは、レジスタンスはアルカイダと戦っている。
パレスチナも、無差別テロを自己批判し、絶滅せねばならない。
それを肯定したまま出来上がる未来社会なぞ歪んだものにしかならない。
そんなものは要らないのではないのか。
歪んだ未来社会を創設する為に戦うのか。

スペイン内戦では、フランコという正真正銘のファシストと
スペイン民衆は戦った。
スペイン人民戦線を結成して戦った。
しかしスペイン人民戦線内部で、スターリン主義者の共産党は、
労働組合を掌握するアナーキスト、アナルコ・サンジカリスト、
トロツキストとみなした者達を虐殺していった。
共に肩を並べ、フランコ軍と戦っている真っ最中にだ。
もしそんな勢力が、フランコに勝ち、スペイン内戦に勝利していたとしても、
そこに出来上がった社会は、ソ連東欧社会と全く同じものに過ぎなかったのだ。
(ジョージ・オーエル「カタロニア賛歌」参照)


エスニック・クレンジングを現実に実行する担い手は、
ほんの一握りの狂信者にすぎない。

旧ユーゴでも、イラクでも、一般民衆同士が殺し合った訳ではない。
何十年も共存してきた一般民衆が殺し合った訳ではない。
ごく一握りの狂信者が始めるのだ。

問題は、それをどう受け止め、止めさせるかだ。

それはその社会全体の問題だ。

旧ユーゴでは、戦火が隣町まで迫っても、
自分達にはそんなことは起きる筈はないと確信していた。
何故なら何十年も共に暮らしてきた隣人と殺し合うことなど
あり得ないという確信があったからだ。

パレスチナの村と隣接するキブツ。
共に一緒に暮らしてきたのだ。
お互いに訪問し合い、共に暮らしてきたのだ。
この隣人と殺し合うことなどあり得ないという確信があったのだ。

しかし現実は冷酷だ。
それは幻想に過ぎなかった。

パレスチナの村を守ったユダヤ人も多数いることも知っている。
その逆もある。

個々人のレベルでは、尊敬できるユダヤ人も多数実在した。
しかし、国家というレベルでは、国家政策というレベルでは、
そうはならない。

それは、一体、何故なのか、、、

『イスラエル』パレスチナ難民という原罪②

投稿者: imonoyamashotengai 投稿日時: 2007/05/11 01:52 投稿番号: [13296 / 20008]
このおぞましい『イスラエル建国神話』

そして現在でも曰く
「パレスチナって難民キャンプじゃなかったんですか」と。

一体、難民を生み出したのは誰なのだ?
どうやって生み出したのだ。

59年前に追い出された自宅の家の鍵を今でも持つ老人達の映像を観たことがある。
この老人達がどういうつもりで鍵を59年間も持っていたと思っているのだろう。
老人が亡くなれば、次世代へと次々と手渡されているのだ。

もはやそんな家など、存在していないことの方が多いのに、、、

政治的立場や思想を超えて、訴えかけるものがあると思う。
たとえ政治的立場や思想が異なっても、
このような残酷な事態に心が動かない人間など存在するのであろうか。


サイードは言う。
ユダヤ人は統制がとれ、組織的だと。
しかしパレスチナ人はバラバラで統制などとれていなかったと。

サイードは素直に相手側の優れた点と自分達の至らない面を認めている。

アラブ軍を美化するつもりなど毛頭ない。
名門ハーシミー家であるヨルダン王家は、西岸を併合し、
大ヨルダン建設を計画しているのではないかと
イラクやシリアは警戒し、お互いに疑心暗鬼であった。
イラクなどはそれを牽制する為に軍をヨルダンに派遣したという要素さえある。
そしてヨルダンとユダヤの密約は本当だったと、
現在ではほぼ確定しているように思う。

確かに、ユダヤ人はよく練られている。
(ヨルダンとの密約も含めて)
英統治が終わる前から、綿密に練られた計画を
全ユダヤ人を挙げて全力で取り組んだ。
確かに民族存亡を賭けているのだから当然といえば当然だが。
確かに背負っているものが、その時点では雲泥の差だった。
一方、パレスチナ人はといえば、
アラブ諸国が何とかしてくれるだろうとしか思っていなかった。
パレスチナの正規軍など千人ちょっとで、
ユダヤの軍は11万いたのだから、話にもならない。
つまり戦う前から勝負は決まっていたのだ。

しかし、何故戦わねばならなかったのだ。

一国家案に賛同する者も数割はいたのである。
二国家案にするにしても、共存できた筈ではないか。

パレスチナ共産党は、当然にも民族、宗教・宗派を超えて、
一国家実現を追及していた。
ソ連共産党による裏切りという問題もある。

しかし、ユダヤ国家にする為には、ユダヤ人が絶対多数派でなければならない。
イスラエル領とされた地域ですら、ユダヤ人は絶対多数ではなかったのだ。
(約50万人のユダヤ人と約40万人のパレスチナ人)
したがって、安定したユダヤ国家とする為には、
何としてもユダヤ領からパレスチナ人を追い出さねばならなかったのだ。
面積も狭いから、後の移民を受け入れる土地も確保せねばならなかった。
これこそが数十万人ものパレスチナ難民が生み出された原因である。

国連分割案には、イスラエル領とされた土地からパレスチナ人を
追い出してもよいという規定など、もちろんないのだ。

・1948年12月11日:国連決議194:難民帰還と賠償
・1948年5月11日:国連決議273:
イスラエルが「国連憲章に由来する様々な義務を、いかなる留保もなしに
受け入れ、国連に加盟されしだい、こうした義務を遵守することを約束する」
と宣言していることを認め、イスラエルの国連加盟が認められたのだ。

難民の帰還権を認め、賠償まで認めたが故にこそ国連加盟を認められたのだ。

『イスラエル』パレスチナ難民という原罪①

投稿者: imonoyamashotengai 投稿日時: 2007/05/11 01:51 投稿番号: [13295 / 20008]
『イスラエル建国』=パレスチナ難民という原罪

難民キャンプ地図
REFUGEE CAMP PROFILES
http://www.un.org/unrwa/refugees/camp-profiles.html
Gaza map
http://palestine-heiwa.org/feature/about_gaza/img/map2.html


そもそも1948年の『イスラエル建国』以前には、
ガザや西岸には、パレスチナ人など住んでいなかったとでも
思っていたのだろうか?

一体、パレスチナ人をなんだと思っているのであろうか?
同じ人間だと思っているのであろうか?

私には根源的に疑念が生じる。

余りにも当然のことだが、1948年以前にもガザにも西岸にも
パレスチナ人は住んでいたのだ。
しかも数世紀にも亘って、先祖伝来の土地に住んでいたのだ。
ガザと西岸を併せて数十万人が、生きて、生活していたのだ。

1948年のナクバによって、『イスラエル』となった土地から、
文字通りに民族浄化されて、つまり、虐殺され、軍事力で追い立てられ、
約75万人(諸説ある)が、ガザや西岸や周辺諸国に難民となって
流入したのである。

ガザや西岸でも難民キャンプを作った。
最初はテントで、その後は、泥の壁、そして波型鉄板の屋根へと。

既に59年もが経っているが。

確かに、難民キャンプはあるが、
難民が全て難民キャンプにだけ住んでいる訳でもない。

結婚で難民キャンプを出る者、
家族が増え、建て増しでは追いつかないので、一般の市街地や住宅地に出た者、
経済的に余裕ができた者は、難民キャンプを出て、新宅を構える者もいただろう。

難民キャンプとそれ以外とは、区画として区別されているだけでなく、
住民の意識においても実在している。
「難民かそうでないか」と。
以前にも書いたように、「難民キャンプの奴なんかとの結婚は許さん」とかと。



心あるアメリカ人にとって、ネイティブ・アメリカンの問題は原罪だ。
心あるユダヤ人にとって、パレスチナ難民の問題は原罪だ。

自分が祖国であると観念している土地に、
同じ人間が先祖代々、生き、生活してきたのだ。
そして、エスニック・クレンジングによって、土地を奪ってきたのだ。

真っ当な、人間らしい心があるのなら、罪の意識に苛まれる筈なのだ。
しかもネイティブ・アメリカンと違って、
己が今立っている土地に生活していた人間が、まだ生きているのである。

何故、平気でいられるのか、その方が、私にはよほど不思議だ。

1947年
・11月29日:国連分割案採択
1948年
・3月19日:米が分割案の停止を求め、信託統治領を提案
・4月1日:国連安保理は停戦案を採択
・4月4日:「ダーレット作戦」発動
・4月9日:ヤシン村で254人を虐殺
・4月21日:ハイファ攻撃開始
・4月23日:ハイファ制圧
・5月14日:イスラエル建国宣言
・5月15日:アラブ軍参戦


アラブ軍の侵攻により戦争が始まったという『イスラエル建国神話』

第一次中東戦争はアラブ軍の侵攻により始まったというのなら、
それ以前に既に数十万人もエスニック・クレンジング済み
だったのは、一体どういう訳だ?

ヤシン村虐殺はエスニック・クレンジングの常套手段だ。
旧ユーゴ、そしてイラクでは現在行われている。
つまり、<見せしめ>として、一般市民を虐殺すればよいのだ。
そうすれば、残りの一般市民など、
確かに自分の足で、「自発的に」去ってくれるのだ。
手間が省けるというものだ。
ハイファなどの巨大都市は、そうもいかないので、
正規軍で軍事的に叩き出すのだ。
「出て行くか、死ぬか、どっちでもお好きなように」と。
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