戦い方が間違っていると思います。
投稿者: imonoyamashotengai 投稿日時: 2007/05/09 03:04 投稿番号: [105399 / 118550]
>言論において大切なことは
>1)発言者が何者であり
>2)いかなるバイアスをもってるか
>をまず考えなくてはいけません。
違うと思います。
「まず考えなくてはいけ」ないことは、
<書かれていることそのもの>です。
ある発言そのものです。
書かれていること、発言されたことそのものには、
その主体の、価値観、人格等の一切が刻印されているのだからです。
だから、<書かれていることそのもの>に対象化されている
相手の価値観、人格等と戦うのです。
<書かれていることそのもの>を通して、相手の価値観、人格等と戦うのです。
これが第一義的なことです。
第二義的なこととして、
更に敷衍して、相手の背景となるもの、出身や民族、宗教・宗派等のことも
大事なことではあるのですが、
<背景的なもの>をもって、<書かれていることそのもの>を
説明することはできません。
それは倒錯しているし、<還元主義>という誤謬です。
更には、<書かれていることそのもの>を、分析し、批判することまでもが、
後景化、あるいは、ひどい場合は、全く必要なくなってしまうのです。
換言すれば、個別性は、その個別性に於いて
批判されねばならないということです。
だからこそ、<書かれていることそのもの>と
第一義的に戦わねばならないのです。
また、第二義的なことである<背景的なもの>についてですが、
今度は、それを論じる人自身の<価値観や人格等>が刻印されてしまっています。
それは避けられないことですが、
自分に都合の良いものをもってきて、
相手を批判するということにもなってしまいます。
貴方の戦おうとしている対象自体は、私にとっても共通しているものが
多いのですが、その戦い方が間違っていると思います。
例えば、ユダヤ教について論じることも必要なのですが、
それは第二義的なことです。
イスラエルやアメリカ政府が、国家政策として、打ち出し、実行していることは
ユダヤ教に基づいて行われている訳ではありません。
第一義的に戦わねばならないことは、
イスラエルやアメリカ政府の戦争政策そのものです。
その<背景的なもの>の中の一つには、確かにユダヤ教の問題もあるのですが、
それは第二義的なものであり、敷衍する必要はあるとは思うのですが、
上記のように、<還元主義>的誤りのように思われます。
もっと単純に言えば、
尊敬すべきユダヤ人やアメリカ人も数多く実在しているのです。
だから、民族や宗教という<カテゴリー>で全てを説明することなどできません。
ユダヤロビーやユダヤ資本、産軍複合体や大手メディアとの関係等は
当然考察されねばなりません。
しかしそれはもはや個人の問題ではありません。
シオニストである個人と戦うには、
その個人の持つシオニズムと対決せねばなりません。
それは当然ですが、
<その個人の有するシオニズム>というイデオロギーと戦うのであって、
<その個人の私的領域>と戦うのではありません。
つまり、<坊主憎けりゃ袈裟まで憎い>ということで、
私的なこと云々は、完全に逸脱しています。
もう一度まとめると
①書かれていることそのものを批判すること
②宗教、民族等の第二義的なものについては、
敷衍するに止めること
③私的個人的なことを採り上げることは直ちに止めること
以上が私の個人的な意見であり、提言です。
是非検討し、考察され、納得して頂けることを願います。
>1)発言者が何者であり
>2)いかなるバイアスをもってるか
>をまず考えなくてはいけません。
違うと思います。
「まず考えなくてはいけ」ないことは、
<書かれていることそのもの>です。
ある発言そのものです。
書かれていること、発言されたことそのものには、
その主体の、価値観、人格等の一切が刻印されているのだからです。
だから、<書かれていることそのもの>に対象化されている
相手の価値観、人格等と戦うのです。
<書かれていることそのもの>を通して、相手の価値観、人格等と戦うのです。
これが第一義的なことです。
第二義的なこととして、
更に敷衍して、相手の背景となるもの、出身や民族、宗教・宗派等のことも
大事なことではあるのですが、
<背景的なもの>をもって、<書かれていることそのもの>を
説明することはできません。
それは倒錯しているし、<還元主義>という誤謬です。
更には、<書かれていることそのもの>を、分析し、批判することまでもが、
後景化、あるいは、ひどい場合は、全く必要なくなってしまうのです。
換言すれば、個別性は、その個別性に於いて
批判されねばならないということです。
だからこそ、<書かれていることそのもの>と
第一義的に戦わねばならないのです。
また、第二義的なことである<背景的なもの>についてですが、
今度は、それを論じる人自身の<価値観や人格等>が刻印されてしまっています。
それは避けられないことですが、
自分に都合の良いものをもってきて、
相手を批判するということにもなってしまいます。
貴方の戦おうとしている対象自体は、私にとっても共通しているものが
多いのですが、その戦い方が間違っていると思います。
例えば、ユダヤ教について論じることも必要なのですが、
それは第二義的なことです。
イスラエルやアメリカ政府が、国家政策として、打ち出し、実行していることは
ユダヤ教に基づいて行われている訳ではありません。
第一義的に戦わねばならないことは、
イスラエルやアメリカ政府の戦争政策そのものです。
その<背景的なもの>の中の一つには、確かにユダヤ教の問題もあるのですが、
それは第二義的なものであり、敷衍する必要はあるとは思うのですが、
上記のように、<還元主義>的誤りのように思われます。
もっと単純に言えば、
尊敬すべきユダヤ人やアメリカ人も数多く実在しているのです。
だから、民族や宗教という<カテゴリー>で全てを説明することなどできません。
ユダヤロビーやユダヤ資本、産軍複合体や大手メディアとの関係等は
当然考察されねばなりません。
しかしそれはもはや個人の問題ではありません。
シオニストである個人と戦うには、
その個人の持つシオニズムと対決せねばなりません。
それは当然ですが、
<その個人の有するシオニズム>というイデオロギーと戦うのであって、
<その個人の私的領域>と戦うのではありません。
つまり、<坊主憎けりゃ袈裟まで憎い>ということで、
私的なこと云々は、完全に逸脱しています。
もう一度まとめると
①書かれていることそのものを批判すること
②宗教、民族等の第二義的なものについては、
敷衍するに止めること
③私的個人的なことを採り上げることは直ちに止めること
以上が私の個人的な意見であり、提言です。
是非検討し、考察され、納得して頂けることを願います。
これは メッセージ 105392 (messatu8tintincult さん)への返信です.
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