竹島

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もちろん

投稿者: neoriver504 投稿日時: 2004/01/27 18:43 投稿番号: [3320 / 18519]
もちろん分かってますよ^^

誰かが突っ込んでくれると思ってました。

おお!!

投稿者: tinopure 投稿日時: 2004/01/27 18:36 投稿番号: [3319 / 18519]
すごい。こんなに大きく見えるんですね。

・・・なんか、おかしくありません?大きさ・・・

===   島根県竹島は   日本の領土   ===

有り難う御座いました

投稿者: neoriver504 投稿日時: 2004/01/27 18:07 投稿番号: [3318 / 18519]
望遠とか使わずにこれだけ見えるのならば
話が通りますね。

お手数おかけしました。

答えです

投稿者: juwan416jp 投稿日時: 2004/01/27 18:04 投稿番号: [3317 / 18519]
下のHPの二番目の写真を参考しなさい。
http://www.ullungdo.com/dokdo/summary.htm

質問ですが

投稿者: neoriver504 投稿日時: 2004/01/27 17:52 投稿番号: [3316 / 18519]
この当時の人間の平均視力っていくらぐらいだったのでしょうか?

私は今視力0.6ですが今の状況だと見える気がしません。

>>また好い加減なことを云う

投稿者: juwan416jp 投稿日時: 2004/01/27 17:43 投稿番号: [3315 / 18519]
鬱陵島の一番高い山の高さは984m、独島の高さは168メートル、面積は 0.186, 距離は92km、見えないのが可笑しい.

>鬱陵島の高さは1000m近..    

投稿者: dennpashounenn 投稿日時: 2004/01/27 17:24 投稿番号: [3314 / 18519]
あるみたいですよ。聖人峰と言う山があって高さは984mです。

984mで計算すると水平線は112kmとなりますね。竹島より後ろになります。
視野角も竹島の直径を500mとして計算すると0.3度ぐらいで結構あります。

私の計算ですから当てにしてはいけませんが(笑)

しかし、机上の計算は真空上での話でして海上での蒸気や屈折があると見えるかどうかはわかりません。この辺の証明は韓国側がするべきと思います。

どっちにしても見える見えないは領土問題には関係ないでしょう。
韓国側は実効支配の証拠を挙げられない上に、

玄菜の大韓地誌において、「鬱島郡の行政地域は東経130度35分から45分までである」とか
1907年に発刊した張志淵の『大韓新地志』では「鬱島(1900年に鬱陵島から鬱島に名称変更)の位置を130度45分から35分に至る」

とか不利な証拠はいっぱいあります。
結論は出ていると言わざるをえませんね。


以上、横槍、失礼しました。

ま、いいでしょう

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/01/27 14:08 投稿番号: [3313 / 18519]
余りにも端折りすぎで意味不明でしたが、云いたいことは概ね分かりました。

>竹島の高さは高いところで157m、周囲面積は日比谷公園くらい。
>それを92kmも先から見えたとしても針の先程度。裸眼では不可能。ましてや鬱陵島の高さは1000m近くあるのかな。

大まかに視野角1分(1度の60分の1)を判別できる視力が1.0らしいですが、「針の先」をどれほどの距離で見ることに相当するかが問題でしょう。それによって視野角が変わってきますね。
奇特な方が計算してくれるそうですから、のんびり待ちましょう。

>また好い加減なことを云う

投稿者: kohshien21 投稿日時: 2004/01/27 13:05 投稿番号: [3312 / 18519]
ま、説明不足でちょっといい加減でしたな。しかし、ネタでない。早速食いついてきましたから成功。

40kmというのは高いところから、それもかなり。戦艦大和の望楼から水平線の先にある敵戦艦のマストの先が見える位かな。
しかし、望遠鏡が無くては見えない。
で、余談であるが戦艦大和の主砲の最大射程は41km。   

水平線と地平線迄の距離は君の言う通り、約4.5km、即ち人間の目線の高さで見える範囲で、その先は地球が丸いから湾曲して見えない。望遠鏡でも見えない。      
どのくらい高ければ何km先が見えるかと言うと、↓              

視点の高さ(m) 水平線の距離(km)
   10        11.29
   20        15.97
   30        19.56
   50        25.25
  1000       112.95
  2000       159.74
  3000       195.65
  4000       225.92
  5000       252.60

竹島の高さは高いところで157m、周囲面積は日比谷公園くらい。
それを92kmも先から見えたとしても針の先程度。裸眼では不可能。ましてや鬱陵島の高さは1000m近くあるのかな。       

よって、鬱陵島からみえる島は竹島で無いことが証明された。

>今の日本人の戦闘能力

投稿者: shinsenkan_yamato 投稿日時: 2004/01/27 12:34 投稿番号: [3311 / 18519]
チョン征伐の為にイラクに戦闘能力を磨きに行っている。

半チョン半チョッパリは日本の心配をせんでもエエ!

テスト

投稿者: yuki9560 投稿日時: 2004/01/27 09:20 投稿番号: [3310 / 18519]
test

刺激を与えては行けない?

投稿者: jaway 投稿日時: 2004/01/27 09:00 投稿番号: [3309 / 18519]
刺激を与えているのは韓国側じゃんか。

今の日本人に?

投稿者: tachstone 投稿日時: 2004/01/27 08:17 投稿番号: [3308 / 18519]
  先頭能力、その意欲がないでしょう。それからこの程度で戦争は愚の骨頂です。当らず触らずの状態が一番いいでしょう。この事については韓国も知っているようですから。刺激を与えては行けない。靖国神社に言った小泉が馬鹿なのです。

ありがとうございます

投稿者: ncc_91502_exelion 投稿日時: 2004/01/27 00:46 投稿番号: [3307 / 18519]
いまざっとおおざっぱに理論上の可視範囲(水平線)を計算してみました。
標高H=317m
標高h=174m
相対距離92km
での水平線の距離は約119kmになります。
ただし彼我の標高差の関係から竹島が見えたとしても視野角で0.1度未満、水平線上に見える見かけ上の大きさは2mm未満くらいになると思います。
ここに大気による減衰や歪、波濤、雲や水蒸気等々の条件を加えると
「理論上でも目視はほぼ不可能」
となるでしょう
あとでもっと正確に計算しなおしてご連絡いたします。
では、今晩はこれで休ませていただきます。

ちなみに

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/01/27 00:24 投稿番号: [3306 / 18519]
鬱陵島が晴天になるのは年に50日ほどだそうです。で、冬の間は展望台は元旦をのぞいては閉鎖するそうで、となると、展望台で晴天を迎えられるのは年に40日ほどでしょうか。

展望台からの実見体験談をいろいろとネットで探しましたが、私が見つけられたのは一つだけでした。ある人が「あそこに独島が見える」と叫び、自分も目を細めてじっと見ていると、見えた。ほかのところからも「あ、見えた、見えた」とところどころから声があがった。そういう体験談でした。

この体験談をそのままに信じるとすれば、要するに目を細めてじっと見つめると人によって見えるような見えないような、その程度の見え方のようです。一方で、ある韓国の旅行社のサイトでは「関係者の話では一度も見えたことが無いらしい」という話が出てきています。

以下は見えたことがないという旅行社のページです。薬水公園の部分を参考にしてください。

ttp://www.chinatravel.co.kr/itn/domestic/ul_inf.htm

横レス

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/01/27 00:13 投稿番号: [3305 / 18519]
独島展望台は海抜317mです。
鬱陵島は東経130.55.20、北緯37.3301です。
竹島は東経131.52-131.53、北緯37.1400-37.1445です。
竹島の高さは東島が最高99.4m、西島が174mです。
鬱陵島から92km、隠岐から160kmです。
こんなもんでよろしいでしょうか。

私はほとんど「運」の世界だと思っていますが。何しろ関係者が見たことないと言っているらしいくらいですから。

>かっかとならずに

投稿者: toraneko_yh 投稿日時: 2004/01/27 00:03 投稿番号: [3304 / 18519]
>国境がある限りそこには不明な国境線があるのです。インド対パキスタン。中国とインド、数え上げたらきりがないですね。竹島だ竹島だと喚いてもナンの解決にもならないでしょう。

  今度はごまかし作戦か...

  日本としては竹島、尖閣、北方領土と一戦交える覚悟で今すぐ外交圧力を加えることが必要です。
  何も日本がしなかったら支那、チョウセン、ロシアは益々増長するのは歴史が証明してますから。
  ほんとに厄介な隣国ばかりです。

韓国展望台

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/01/26 23:54 投稿番号: [3303 / 18519]
あははは。 対馬には「韓国展望台」があるんだが、韓国が日本の領土とは言えないよな?

>独島展望台から見えます。

投稿者: ncc_91502_exelion 投稿日時: 2004/01/26 23:53 投稿番号: [3302 / 18519]
割り込みの失礼をお許しください。
mattouya様
独島展望台の正確な座標と標高を教えていただけますか?
もし座標を割り出せないなら標高だけでも結構です。
よろしくお願い致します。

韓国妄想の独島は清のもの?

投稿者: ms_sm2 投稿日時: 2004/01/26 23:51 投稿番号: [3301 / 18519]
当時の朝鮮は清の属国(^_^)

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/01/26/20040126000072.html

最古の朝鮮国旗に大清国属の文字がある!(ソースは韓国の一流新聞である朝鮮日報)

独島展望台から見えます。

投稿者: mattouya 投稿日時: 2004/01/26 23:46 投稿番号: [3300 / 18519]
>物理的に40km。それが水平線や地平線と呼ばれる。従って鬱陵島から竹島は水平線のはるか向こうあり視認不可能です。


自国領だと主張なさるくらいに近い位置です。
一度見に行ってください。
水平線から太陽が上がるころなら、その太陽に照らされて、水平線の上に見えます。
写真は夕暮れの方が写りやすいようですが、眼で見るのは朝日の光を浴びた方が見え易いように思います。

>人間の目が確認できる距離は

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/01/26 23:22 投稿番号: [3299 / 18519]
>物理的に40km。

いや、それは間違いだ。 50km先の対馬が釜山からは見えるからな。

但し、90km以上離れた鬱陵島から竹島が「歴々と見える( 歴々可見)」は有り得ない。(笑)

また好い加減なことを云う

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/01/26 23:20 投稿番号: [3298 / 18519]
視程は100kmを超える事も珍しくありませんし、大気汚染を殆ど考慮する必要のない場合には雲や霧・霞などの視程に障害となる気象だけ考慮すれば良いでしょう。
また地平線や水平線と視程とはイコールではありませんし、一般に地平線までの距離は4.5kmですが、観測者の高度によってこの値は変わります。
高度が上がれば、地平線までの距離は長くなります。

ネタですか?(笑い

お前が

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/01/26 23:06 投稿番号: [3297 / 18519]
半月城と同一人物なのは明白だ。 出直して来い、北AHOチョンよ。(嘲)

人間の目が確認できる距離は

投稿者: kkohshien2 投稿日時: 2004/01/26 23:01 投稿番号: [3296 / 18519]
物理的に40km。

それが水平線や地平線と呼ばれる。

従って鬱陵島から竹島は水平線のはるか向こうあり視認不可能です。

形便

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/01/26 23:00 投稿番号: [3295 / 18519]
これの解釈については、愚生は半月城氏の説を支持します。
下条説の様には読みません。一寸無理ですね。

見える範囲

投稿者: tinopure 投稿日時: 2004/01/26 22:50 投稿番号: [3294 / 18519]
>倭の所謂松島は我が国の于山島であり韓国領土ですから、郡守の見える範囲の韓国領たる無人島を...
禹用鼎、李奎遠は見えなかったようですが、群守は見えたんですかねぇ。

あくまで個人的にですが   計算式はともかく鬱稜島から竹島は見えないと思っています。

==   島根県竹島は日本の領土   ==

「皇城新聞」

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/01/26 22:49 投稿番号: [3293 / 18519]
調査の主目的は鬱陵島であったでしょうから、その辺が反映された記事と見れば違和感はありません。
興味を惹いたのは、「古に牛形無角な水獣が有りて名を可之と云う」の下りくらいですか。
音から察するに「可支」でしょうから、或いはラボーテは獨島と鬱陵島とを混同していた可能性はありそうです。

禹用鼎の報告書

投稿者: tinopure 投稿日時: 2004/01/26 22:35 投稿番号: [3292 / 18519]
確かに見たこと無いですねぇ。
ぐぐってみたら

一九〇〇年(明治三十三年)四月、鬱陵島における日本人の雑居問題が起り、大韓帝国政府は禹用鼎を現地調査に差し向けた。その禹用鼎が六月に提出した報告書では、調査の対象は鬱陵島本島に限られ、現在の竹島には全く触れられていない。

http://ww1.enjoy.ne.jp/~koukokutenbo/takesima_waga_ryoudo.htmから抜粋

で、続いて
同一九〇〇年十月二十五日、鬱陵島を「鬱島」と改称して、その行政区域を確定した「勅令四一号」を発布し、郡守を常駐させる。
  一九〇七年(明治四十年)刊の張志淵の『大韓新地志』では、「鬱島」の位置を「一三〇度四五分から三五分に至る」と認識していたのである。
  鬱島郡守の沈興沢は「本郡所属の独島」としていたが、右に記したように、大韓帝国では自国の極東を東経一三〇度三、四〇分台としていたので、「東経一三一度五五分」に位置する竹島は、最初から大韓帝国には所属していなかったのである。
  それがどうしたことか、江原道観察使署理の李明来を介して、沈興沢の報告書が中央に上申されると、「独島領地の説はまったく無根に属す。該島の形便と日人の行動如何を更に査報せよ」と指示したのである。
  しかし、「本邦所属の独島」とした鬱島郡守沈興沢が、鬱陵島から九二キロも離れていた独島を本郡の「外洋百余里(約四〇キロ)許りに有り」とした点や、大韓帝国政府が「独島領地の説は全く無根に属す」とする一方で、「この島の形便」を報告せよと訓示した事実は、島根県の官吏一行が来訪する直前まで、独島を正確に認識していなかった証拠である。

先ほどと重複していますが、最後の一説に注目します。

観音島 II

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/01/26 22:33 投稿番号: [3291 / 18519]
>李奎遠調査の折の地図、即ち19世紀末の地図によれば、観音島は「島項」とされています。しかし、これは「島のうなじ」という意味でどうも島の名前ではありません。現在もこれにあたるseom-mokは、観音島の対岸、鬱陵島の地域を指します。

「島項」は島(鬱陵島)の首の後方の部分と言う意味で島名として、半月城風に言えば、妥当だな。 前方の「Seom-mok」地域は朝鮮語で文字通り、島(鬱陵島)の首と言う意味だ。

>調査の折には住民たちは于山島の名称を観音島にあてていたのではないかというのが私の推測です。

そうではないな。 文盲で教養のない当時の島住民が表現できたのは、石から成る島「石島」と竹が生い茂る島、「竹島(日本の竹島ではなく、鬱陵島の東、1.5キロにある島)」だ。

>「本島官制改編請議書」

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/01/26 22:13 投稿番号: [3290 / 18519]
この資料は私も未見でした。公開されているのでしょうか。どうも聞かない資料ですが…(沈郡主・李斉純らの独島関連行政文書はなぜか存在が知られるも未公開)。どこかネットや単行本で手軽に見られるものであればぜひ読みたいです。

>李奎遠の報告が勅令41号の根拠になったと思われる痕跡は今のところないでしょう。

李奎遠の報告は勅令に直接には関係ないと思います。しかし、私が注目しているのはそこに独島が意識されておらず、于山島がどうも観音島に見えるという点です。

そして、1899年に禹用鼎を団長として調査団が派遣されましたが、それに同行したのがフランス人・ラボーテでした。ラボーテは帰島して「皇城新聞」に記事を載せています。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=2772

ここには「蔚珍之東海に一島が有り、曰く鬱陵である。其の附属した小六島の中で最著なのは于山島・竹島であるが、大韓地誌に曰く、鬱陵島は古の于山国である。四方が百里あり、三峰が律兀たるが、所産は…」とあります。「最著」は最も目立つぐらいかと思います。

この記事を見ると内容は全てにわたって鬱陵島のことに一貫しています。于山島の話は何も出てきません。私はこの于山島も実は観音島だったのではないかと思っているのです。

竹島・于山島が「最著」として並べて書かれていることも、于山島が独島であれば不釣合いな感が有ります。独島は最著というほどに目立つ存在でもなく、山に登って運がよければ見える程度なのですから。

あくまで禹用鼎ではなくラボーテによる記事なのかもしれませんが、この調査を受けて公布されたのがほかでもなく勅令41号でした。

ついでですが、大韓帝国学部編『大韓全図』『大韓輿地図』(ともに1899年)でもともに島の北東の島を「于山」としています。ご丁寧なことに前者の地図では于山より大きい島が南に記されてもいます。ともに観音島に一致しています。

私はこういう全てのことが全てつながっていると考えています。ただし、于山島が歴史においてつねに観音島であったかどうかは分かりません。おそらく竹嶼でもあったものと思います。

石島=獨島説に懐疑的

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/01/26 21:57 投稿番号: [3289 / 18519]
下記を参照のこと。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=2746

気持ちは分かるが

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/01/26 21:27 投稿番号: [3288 / 18519]
石島=獨島説に懐疑的なのは愚生も同様ですが、少しずれてる感じですな。

李奎遠の報告が勅令41号の根拠になったと思われる痕跡は今のところないでしょう。
とすれば、禹用鼎の調査報告内容に関心がありますね。
残念ながら愚生は未見ですが、鬱陵島からの帰還後に内部大臣へ提出したと云われる「本島官制改編請議書」を検討すべきと思いますな。

>tinopureさん

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/01/26 20:36 投稿番号: [3287 / 18519]
私の考えはすでに記したとおり、李奎遠による以下の文書の解釈が根拠になっています。既出ですが念のためもう一度書いておきます。
------
松竹于山などの島を現地仮住の同胞たちは、みな近傍の小島をこれに当てている。しかるに根拠となる地図もなく、また案内の指標もない。晴れた日に高いところに登って遠くを眺めると千里を窺うことができたが、ひとかけらの石も一握りの土もなかった。すなわち鬱陵を于山と称するのは、済州を耽羅と称するごとくである。(半月城氏読み下し)
------
これの解釈には二つが可能です。
①松竹島・于山島を住民たちは近傍の島をあてている。しかし、根拠となる地図も指標も無い。[その島を見ようと]晴れた日に山から遠くを見渡したが石ひとかけら見えなかった。

②松竹島・于山島を住民たちは近傍の島をあてている。しかし、根拠となる地図も指標も無い。[ほかに島はないかと]晴れた日に山から遠くを見渡したが石ひとかけら見えなかった。

①の場合は松竹島は竹嶼、于山島が独島という主張です。半月城さんはこの立場でしょう。しかし文章が大変まずくなります。松竹島はすぐそこにあり、于山島は遠くよく見えない島ですが、ここでは「両方見えない」となっています。とても不自然な内容です。

②の場合は松竹島は竹嶼、于山島は観音島にあたります。李奎遠としてはそれほど近傍の小島が由緒ある「于山島」と確定することは断言を避けたのでしょう。そしてほかの島はないかと見渡したのです。①よりは普通の解釈でしょう。

李奎遠は独島の存在に気づいていなかったのです。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=3160

横レス失礼いたします

投稿者: tinopure 投稿日時: 2004/01/26 19:04 投稿番号: [3286 / 18519]
観音島が石島かどうかの証にはなりませんが、
石島が独島でないという間接的な証明になるものがあります。

既出ではありますが   以下抜粋しました。

1899年に刊行された、玄采による『大韓地誌』によれば、大韓帝国の極東は東経130度35分とされ、また、戦後の1946年に崔南善によって刊行された『朝鮮常識問答』では、韓国の領土を「島嶼を加えれば東経130度56分23秒から124度11分00秒」としています。
つまり、東経131度55分に位置する竹島は韓国領ではないことになるのです。
また、1900年の「勅令41号」に記述がある鬱陵島の属島「石島」(註:韓国はこの石島も現在の竹島であると主張している)についてですが、1907年の張志淵による『大韓新地志』によると、鬱陵島の範囲は「東経130度45分から35分に至る」としています。
つまり、「石島」は今の竹島ではなく、また竹島は鬱陵の属島ではないということになります。

http://hyper2.amuser-net.ne.jp/~auto/b19/usr/cha2maru3/brd1/comdsp.cgi?583&&&4   から

以上、横レス失礼いたしました。

〜李奎遠がなぜ、観音島の名称を避けたかですが、この調査の折には住民たちは于山島の名称を観音島にあてていたのではないかというのが私の推測です。そうすると、実は1899年のラボーテの調査、1900年の「石島」まで、すべて脈絡はつながるのです〜

この部分、鋭い推理ですね。驚嘆しました。   なるほど〜〜〜!!

観音島

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/01/26 18:38 投稿番号: [3285 / 18519]
>何故ならば、「観音島」がいかにも取ってつけた名前だからだ。 「観音島」と呼ばれる前は「石島」だったと考えるのが、半月城風に言えば、妥当だな。

李奎遠調査の折の地図、即ち19世紀末の地図によれば、観音島は「島項」とされています。しかし、これは「島のうなじ」という意味でどうも島の名前ではありません。現在もこれにあたるseom-mokは、観音島の対岸、鬱陵島の地域を指します。

可能性としては李奎遠は観音島の名称を記すのを避けて広くこの地域を指すものとして「島項」を用いたか、または当時に観音島が「島項」と呼ばれていたものが現在は鬱陵島側の対岸の地名になったかのどちらかですが、おそらく前者ではないかと思います。

では、李奎遠がなぜ、観音島の名称を避けたかですが、この調査の折には住民たちは于山島の名称を観音島にあてていたのではないかというのが私の推測です。そうすると、実は1899年のラボーテの調査、1900年の「石島」まで、すべて脈絡はつながるのです。

また「島のうなじ」が「首」を指すとすれば「頭」にあたるはずの観音岩は竹嶼よりは小さくとも位置として重要視されたともいえそうです。この岩が後に「観音岩」となったのも、そうした信仰のような考えが反映されているのかも知れません。

独島

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/01/26 18:15 投稿番号: [3284 / 18519]
>torto   tokto   方言はともかく発音はほぼ同じ。

竹島をtortoと呼ぶこともあるのですか。私はないと思いますよ。tolseomでしょう。要するに、韓国側が言っているのは、「tolseom、tokseom→石島、独島」でしょう。なお、この主張にどれだけ客観性・説得力があるかはやはり疑問です。

だから

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/01/26 18:02 投稿番号: [3283 / 18519]
>観音島の名前は石島ではなかったはず。

観音島が何時から観音島と呼ばれるようになったのか、が今後の争点になるな。

何故ならば、「観音島」がいかにも取ってつけた名前だからだ。 「観音島」と呼ばれる前は「石島」だったと考えるのが、半月城風に言えば、妥当だな。(笑)

粗面岩で形成されていても

投稿者: mattouya 投稿日時: 2004/01/26 17:54 投稿番号: [3282 / 18519]
観音島の名前は石島ではなかったはず。
石島という名前であったというなら、
その資料を示さなければなりません。
そうでなければあの辺りは、鬱陵島の本当も含めて、粗面岩で形成された崖だらけです。

石島=観音島

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/01/26 17:47 投稿番号: [3281 / 18519]
>鬱陵島のすぐ東横に「石島」という島があるのですか? 見たことないですが・・・・

お前の細い目を大きく広げて見れば、見えるだろうな。(笑)
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