竹島
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太政官指令の外一島=松島は鬱陵島ではない
投稿者: ararenotomo1 投稿日時: 2010/11/09 22:44 投稿番号: [18501 / 18519]
h369jp様が、No.18476で、“明治初期に鬱陵島の呼称が竹島であったり松島であった事実は認められますが・・・だからといって竹島外一島が鬱陵島一島のみのことを表していると考えるのは無理がありますよ。”と、言われたことに同意します。
これに対しpuracyaka2007様は、No.18481で、「明治14年の時点でわずか4年前の明治10年の太政官指令にある松島は鬱陵島だと断じています。」として、杉原隆氏の“「竹島外一島之儀本邦関係無之について」再考”を挙げられました。
上記文書には、“「竹島外一島之儀本邦関係無之」は、竹島(鬱陵島)と松島(現在の竹島)は日本に関係がないとしたものではなくて、竹島とも松島とも呼ばれている島(鬱陵島)が日本に関係がないとする解釈に分があるように思われる。”と書かれています。そして、その詳細は、2010年5月のWeb竹島問題研究所『杉原隆:島根県令境二郎(斎藤栄蔵)について』に述べられています。
杉原隆氏の上記の研究報告には、境二郎についての極めて優れた紹介があります(No.18332)。しかし、“「竹島外一島」は竹島とか松島と呼ばれている島の意味である”と、書いておられるのは疑問です。もし「竹島外一島」が竹島とか松島と呼ばれている島ならば、「竹島一名松島」或いは「竹島即松島」と書くべきです。「竹島外一島」は普通に読めば「竹島と、もう一つの島」と解釈されるでしょう。
1876年10月、地籍編纂のため、竹島について問い合わせを受けた島根県参事境二郎は、『日本海内竹島外一島地籍編纂方伺』を、関連資料とともに内務省に提出しました。資料の一つ『原由之大畧』は、境二郎が主に纏めたと思われますが、竹島渡航者の談と松浦武四郎『竹島雜誌』(1854)等を参考にして、竹島・松島の沿革と地理を詳しく述べました(Nos.18184, 18332)。それには、竹島は「磯竹島一ニ竹島ト稱ス隠岐國ノ乾位一百二拾里許ニ在リ周囲凡十里許山峻嶮ニシテ平地少シ・・」、松島は「次ニ一島アリ松島ト呼フ周囲三十町許竹島ト同一線路ニ在リ隠岐ヲ距ル八拾里許・・」と記され、竹島は鬱陵島であり、竹島と松島は別々の島であることが明らかです。
杉原氏は“松浦武四郎の「竹島雑誌」が竹島の周回を16里、出雲の島根半島の雲津から隠岐経由竹島までが約120里としていること等から考察すると、竹島から松島まで25里は同じ鬱陵島を竹島(アルゴノート島)と松島(ダジュレー島)とした1840年以降のシーボルトの「日本図」に合致するように思われる。”と書いておられます。しかし、『竹島雜誌』には、竹島と松島を描いた長久保赤水の地図が添付され、「同じ鬱陵島を竹島(アルゴノート島)と松島(ダジュレー島)とした」記述はありません。
内務省と太政官は、『日本海内竹島外一島地籍編纂方伺』を検討し、1877年3月「竹島外一島之儀本邦関係無之儀ト可相心得事」と決定しました。当時、シーボルトの誤りによる、アルゴノート=竹島、ダジュレー=松島=鬱陵島とする欧米製の地図はかなり流布しており、当然、内務省や太政官は知っていたでしょう。しかし、島根県提出資料に、アルゴノート=竹島、ダジュレー=松島=鬱陵島とする記事は無いので、内務省と太政官は、主に島根県提出資料に基づき、鬱陵島である竹島(伝統的竹島)と、「伝統的竹島」の隠岐寄りに在る松島(伝統的松島)を外一島として、日本の版図外にした、と考えます。なお、「竹島松島本邦関係無之」という表現を避けたのは、鬱陵島を松島とする地図も、或る程度は普及していたからでしょう(No.18386)。
1881年島根県令境二郎は、大屋兼助外一名から鬱陵島を松島として、「松島開拓願」が出されたので、内務省へ「該島ノ義ハ過ル明治九年地籍編入ノ義内務省ヘ相伺候処、同十年四月九日付書面竹島外一島ノ義は本邦関係無之義ト可相心得旨御指令相成、然ルニ前述当度大倉組渡航伐木候場合ニ就キ推考候得は、十年四月御指令後或ハ御詮議相変リ本邦版図内ト被定候儀ニ可有之歟」と尋ねました。この記述から、杉原氏は、“境二郎は明治9年「竹島外一島」と記した「外一島」は松島で伐木可能であるから、鬱陵島のことであったことが確認出来る。”とされました。
しかし、伐木可能なのは「伝統的竹島=鬱陵島」と見れば、「外一島」が「松島=鬱陵島」の確認にはなりません(No.17667)。太政官と内務省は、島根県が提出した資料による伝統的竹島・松島の認識に基づき、伝統的竹島=鬱陵島・伝統的松島=現竹島を、「竹島外一島本邦関係無之」と判断した、と私は考えております(No.18474)。
これは メッセージ 18481 (puracyaka2007 さん)への返信です.
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鬱陵島検察日記 & サッカー日中戦(月)
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2010/11/07 23:59 投稿番号: [18500 / 18519]
これは メッセージ 18498 (senkaku_islands さん)への返信です.
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Re: 東輿図 & 日本 vs 中国 金・土・月
投稿者: kiyoakl 投稿日時: 2010/11/03 23:00 投稿番号: [18499 / 18519]
中国人がいるのは西武だけ
ロッテの韓国人はヒット打ったけど負けたニダ
これは メッセージ 18498 (senkaku_islands さん)への返信です.
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東輿図 & 日本 vs 中国 金・土・月曜
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2010/11/03 22:02 投稿番号: [18498 / 18519]
これは メッセージ 18491 (senkaku_islands さん)への返信です.
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Re: 日本が抗議により領有を断念した事例
投稿者: kiyoakl 投稿日時: 2010/11/03 21:32 投稿番号: [18497 / 18519]
清国があっさり台湾を放棄したから日本は台湾を領土化した
抗議するどころかあんな石ころいらないと言った清国
北方4島は日露戦争以前にロシアが日本の領土と認めている
日本を占領する国力があったロシアが認めてたから韓国人の主張は間違っている
千島列島と北方4島の区別くらいしろよ
千島列島と樺太南部はサンフランシスコ条約で放棄したけどソ連が条約に署名してないから返還を主張する権利がまだある
ソ連との国交正常化の条約では北方4島と千島列島と樺太南部はどちらの領土ではない
ヤフーの地図では北方4島は日本領土で千島列島と樺太南部はどちらの領土ではない
これは メッセージ 18496 (puracyaka2007 さん)への返信です.
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日本が抗議により領有を断念した事例
投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2010/11/03 20:43 投稿番号: [18496 / 18519]
先占を巡る議論では,抗議があったかどうかということが重要とされています。
例えば,ブレアビヘア事件ではタイ国の無抗議がタイ国敗訴の理由とされています。
逆に,抗議によって領有を断念した例はあるのかということですが,世界の事例は知りませんが,日本には実例があります。
プラタス島(東沙島)の領有を清国の抗議によって断念したという事例です。
詳細は,アジア歴史資料センター所蔵の「新領土ノ発見及ヒ取得ニ関スル先例」という文書中に記載されています。かいつまんで言うと,プラタス島で事業を開始した日本人から領土編入の申請が出されたものの,いろいろ調査しているうち清国が察知してプラタス島が清国領たる旨日本に説明したため,日本は当該島を清国領とは認めなかったものの領有権の主張はしないこととした,というものです。(事実上清国領であることを認めたということです。)
最終的に「プラタス島引渡ニ関スル取決」により在島日本人資産の整理をして解決しています。
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/listPhoto?IS_STYLE=default&ID=M2006092117131366903プラタス島の事例と尖閣諸島・竹島を比較すれば,中国・韓国が抗議しなかったことの意義が浮かび上がってくると思います。
このほか,「新領土ノ発見及ヒ取得ニ関スル先例」にはウェーク島に渡航した日本人から外務省に「所属国取り調べの依頼」がされたものの,米国が海底ケーブルの中継点としてウェーク島を使用する計画があることを外務省が知っていたため編入措置を取らなかった事例も出ています。
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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Re: 韓国施政改善ニ関スル協議会
投稿者: chaamiey 投稿日時: 2010/11/03 17:02 投稿番号: [18495 / 18519]
「伊藤は全国の観察使を集めた会議でひどい突き上げを食らったり、伊藤の指導を真っ向から否定する建議書をだされた」というような事実が確認できたわけですか。韓国の「抗議ができなかった」という主張がウソであることがはっきりしましたね。ごくろうさまでした。
これは メッセージ 18493 (puracyaka2007 さん)への返信です.
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Re: 韓国施政改善ニ関スル協議会
投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2010/11/03 09:31 投稿番号: [18494 / 18519]
>それから統監府は韓国の新聞をきちんとチェックしていますから,1906年7月13日皇城新聞「鬱島郡の配置顛末」記事は同年5月の一連の独島の報道を受けたものと考えるのが自然でしょう。
と書いたところですが,その後に独島関係の記事というのは存在するのでしょうか。
1906年5月1日に大韓毎日申報が”鬱島郡所在の独島を日本が領地にしたというのは理の無い話だと報道”していますが,この大韓毎日申報は英国人アーネスト・ベッセルが発行人,反日的新聞として知られています。
統監府は反日的言動を繰り返す大韓毎日申報を取り締まりたくて仕方なかったのですが,ベッセルが英国人で治外法権のため手が出せませんでした。
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/7318/1/bungakuronshu_13_77.pdf統監府が大韓毎日申報の記事に容喙しできたとも思えませんから,その後に独島の記事が絶えたのであれば,やはり上記の報道は無根拠だったと判断せざるを得ません。
これは メッセージ 18493 (puracyaka2007 さん)への返信です.
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Re: 韓国施政改善ニ関スル協議会
投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2010/11/03 08:51 投稿番号: [18493 / 18519]
「韓国施政改善ニ関スル協議会」で取り上げられている領土問題は,間島と黄草坪という鴨緑江中の小島に関するものだけのようです。「独島」は全く取り上げられていません。(見逃しでなければ。)
間島の領有権に関しては,日本政府は当初から韓国の主張には根拠が無いと判断しています。黄草坪は,韓国と清の領有権争いですが,統監府は金を使って黄草坪に侵入してきた清国人を丸めこんだようで,最終的には韓国が満足するかたちで決着しています。
それから統監府は韓国の新聞をきちんとチェックしていますから,1906年7月13日皇城新聞「鬱島郡の配置顛末」記事は同年5月の一連の独島の報道を受けたものと考えるのが自然でしょう。
”第二次日韓協約により韓国は外交権を失ったので日本に対し抗議出来なかった。”という主張がありますがこれは間違いです。韓国は,日本を除いた外国との交渉を日本に委任しましたが,日本との交渉は直接行っています(当たり前)。韓国における日本の代表が伊藤統監となるわけです。
当時の韓国政府は伊藤の指導に必ずしも従っていません。また,伊藤は全国の観察使を集めた会議でひどい突き上げを食らったり,伊藤の指導を真っ向から否定する建議書をだされたりもしています。「抗議出来ない」などというこはちょっと想定できません。(そもそも,「抗議出来ない。」ということ自体が良くわかりません。子供が親に逆らうと虐待されるから親に対して何も言えないという状況なら理解出来ますが,伊藤と韓国閣僚がそのような関係であるはずがありません。伊藤は明治天皇から直接「韓国人には親切にせよ。韓国人の怨まれるようなことをするな。」と申し渡されていて,そのことは韓国閣僚にも伝えています。不毛な小島一つで伊藤が怒るとは考えられません。)
これは メッセージ 18340 (puracyaka2007 さん)への返信です.
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Re: 倭寇たちの二重性
投稿者: tyd_freedom 投稿日時: 2010/11/02 08:37 投稿番号: [18492 / 18519]
そう考えると「独島に領土問題は存在しない」とする韓国の対応も理解できるということになりますね。
これは メッセージ 18490 (husenoyaji さん)への返信です.
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青邱図 & 池上彰の学べる 3日(水)
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2010/11/01 20:58 投稿番号: [18491 / 18519]
これは メッセージ 18487 (senkaku_islands さん)への返信です.
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Re: 倭寇たちの二重性
投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2010/10/31 12:50 投稿番号: [18490 / 18519]
裁判に訴えるのは被害者でしょう?
だから、竹島なら訴えるのは日本。尖閣なら中国だよ。
それとも「盗人と言われるのは誹謗中傷だ」とでも訴えますかい?
そんなこと言い出したら、日本海はいけないけど、東シナ海はいいのか?二重基準じゃないのか?
東海も東シナ海も、両方東だからいいとでも言うんだろうな。
これは メッセージ 18483 (youjie1004 さん)への返信です.
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Re: 太政官も伝統的松島=リアンクール岩と
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/10/30 16:55 投稿番号: [18489 / 18519]
貴殿が「資料」と書いていたことははじめから分かっていましたよ。その上で貴殿の書き方が「ごまかし」であり、文章で人を惑わしていると書いているのです。ご指摘の内容にはさほど議論する意味も感じません。要するに、貴殿の意見は、基本的に、
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松島は、現代の地図で鬱陵島の位置にあるから、太政官は松島を鬱陵島と判断したということが、私にはどうもよく理解できません。確かに、隠岐から松島への距離80里は過大で、「現代の視角」から見ると鬱陵島の近くになります。しかし、更にその西北40里には竹島=鬱陵島が在ると、『原由之大畧』は記していますから、太政官は、松島を鬱陵島とは判断せず、やはり古来の松島=現竹島と判断した、と私は考えます。 (18332)
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を超えるものではなさそうです。つまり、何らかの資料的な根拠や整合性を求めたものではなく、結果ありきの話の継ぎ合わせに過ぎないとすべきなのでしょう。18467, 18468の私の指摘で、もう充分だと思います。細かいことをいろいろ書いても無駄でしょう。
とにかく、文章で人を惑わし、議論をあいまいなものにし、あたかも自分の意見に相当の資料的な根拠があるかのような物の書き方はやめたほうがいいですよ。騙される人は騙されるでしょうが、普通に読めば、何の説得力もありません。
>ahirutousagi2様が「伝統的松島」の抹消に執拗に拘っておられるのは、「自ら思い込んでいる結論」に合わせて、ダジュレー=松島とした鬱陵島の朝鮮寄りに、もう一つの鬱陵島=アルゴノート=竹島を作りたいが為ではないかと思います。
私は、前から「はっきりと言えるのは、太政官が版図外としたのは、鬱陵島=ダジュレーまでであったということのみ」と複数回書いているはずです。アルゴノート=竹島という考えの一方(それがかなり有力ですし、それなりに重点を置いて書いてきましたが)、ざっくりと、アルゴノートの存在の不明瞭さを認識しつつ、そのまま鬱陵島までと判断した可能性も排除していません。
ともあれ、ご指摘は、まったくあたらないものです。そして、それは前後の数々の資料の整合性でそのように判断するのが妥当であると繰り返し提示してきました。
>お互いに、「自ら思い込んでいる結論を前提として資料を解釈するのは」当然のことではないでしょうか。
違います。私は結論を持っていません。仮説は設けることがあっても、太政官判断についての結論は私としては一時的なものですし、資料の見方もしたがって、「疑ってかかる」融通性を持たせているつもりです。私の現在の考えも資料を総合的に判断して整合性から導き出したものです。貴殿とはどうも違うようです。
貴殿の場合は、結論を前提として資料を解釈しているとのことですが、私は、それは誤った姿勢だと思いますよ。だから、文章も、意図的に人を惑わす書き方になり、話もあちこちに飛び、衒学に溺れ、結局は、何の説得力も得られない、という結果になるのではないでしょうか。歴史を考える姿勢そのものが私はいかがなものかと思います。
これは メッセージ 18474 (ararenotomo1 さん)への返信です.
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Re: 大願寺 & vs ポーランド 29日(金)
投稿者: kiyoakl 投稿日時: 2010/10/28 21:54 投稿番号: [18488 / 18519]
TBSは世界バレー放送中止にして日本シリーズを放映しろ
放送なしだとよけい見たくなる
中日のインキチぶりがみたい
これは メッセージ 18487 (senkaku_islands さん)への返信です.
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大願寺 & vs ポーランド 29日(金)
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2010/10/28 21:43 投稿番号: [18487 / 18519]
これは メッセージ 18482 (senkaku_islands さん)への返信です.
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Re: 「倭寇たちの二重性」の誤り
投稿者: kiyoakl 投稿日時: 2010/10/26 20:25 投稿番号: [18486 / 18519]
司法裁判所の所長は韓国人に買収されにくい人だし
これは メッセージ 18484 (chaamiey さん)への返信です.
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ロッテ優勝で日本シリーズ放映なし
投稿者: kiyoakl 投稿日時: 2010/10/26 20:17 投稿番号: [18485 / 18519]
本当は中日が原因?
これは メッセージ 18482 (senkaku_islands さん)への返信です.
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「倭寇たちの二重性」の誤り
投稿者: chaamiey 投稿日時: 2010/10/26 20:06 投稿番号: [18484 / 18519]
「同じ事項に対策が完全違うね !」と書いてあるが、竹島領有権紛争と尖閣諸島付近のゴタゴタとでは日本が置かれている立場が異なるから「同じ事項」ではないよ。
したがって、日本政府の対応が異なるとしても、それは当然のこと。
これは メッセージ 18483 (youjie1004 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/18484.html
倭寇たちの二重性
投稿者: youjie1004 投稿日時: 2010/10/25 18:41 投稿番号: [18483 / 18519]
韓国との独島 , 領土紛争は無条件 , 国際司法裁判所に提訴主張
中国との領土紛争は国際司法裁判所に訴え不可
同じ事項に対策が完全違うね !
分かれば分かるほど本当の倭寇同じ世界最低の国民性 ,民族
リサイクル不可のごみ族属たち
倭国の周辺国 , 皆嫌日国家だけ
ウハハ〜ハハ
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/18483.html
釜山フェリー & ロッテ優勝で検察日記
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2010/10/24 09:55 投稿番号: [18482 / 18519]
これは メッセージ 18480 (senkaku_islands さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/18482.html
Re: 竹島外一島=竹島(別称:松島) ??
投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2010/10/24 06:55 投稿番号: [18481 / 18519]
>明治初期に鬱陵島の呼称が竹島であったり松島であった事実は認められますが・・・だからといって竹島外一島が
鬱陵島一島のみのことを表していると考えるのは無理がありますよ。
>内務省が各県長官へ出す文章で「松島一名竹島」という表現をしているように、「竹島外一島」という意味が、竹島という呼称以外にも別の呼称があることを表現したものであるとは考えられません。
"考えられません”というのはあなたの考えでしょう。
明治14年の時点でわずか4年前の明治10年の太政官指令にある松島は鬱陵島だと断じています。もちろんこれは当時の政府の判断です。念のためもう一度リンク先を張っておきます。
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04-1/takeshima04_j.html幕末以降政府機関が発行した地図(いわゆる公的地図)では,松島は一貫して鬱陵島を指しています。もちろん太政官指令の前後においても何ら変更はありません。幕末以降松島は鬱陵島を指すというのが”公的地図の見解=正しい地図”だったとしか考えようがありません。そして,鬱陵島の東南東には日本名を失った小島がリアンコールト岩等の名称で記載されているというのが政府の持つ地理情報だったのです。
こうした状況下で,どうして”「伝統的竹島=鬱陵島」「伝統的松島=リアンクール岩」が多数派”などと判断出来るのでしょうか?
これは メッセージ 18476 (h369jp さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/18481.html
リムジンバス & vs 尖閣諸島侵略糾弾!
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2010/10/23 12:51 投稿番号: [18480 / 18519]
これは メッセージ 18470 (senkaku_islands さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/18480.html
Re: 竹島
投稿者: ryickskysmoker 投稿日時: 2010/10/19 16:27 投稿番号: [18479 / 18519]
竹島に行ってみてぇなぁ
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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Re: 世界人独島理解16−7
投稿者: azusa2008jp 投稿日時: 2010/10/18 16:32 投稿番号: [18478 / 18519]
>7
日本の徳川幕府は、1696年1月に、「鬱陵島と独島は朝鮮領土なので
その島が現在の独島である証拠は?
>1
竹島渡海免許・松島渡海免許が、竹島松島の韓国領有を証明しています。
幕府の許可があるから韓国領とするのは意味不明です。
>2
安龍福が独島の朝鮮領であることを日本に認めさせました。
一介の漁師である安に朝鮮王朝が特使として日本に派遣した記録はありませんし、日本側にも竹島(韓国名独島)を朝鮮領と認めた記録はありません。
>4
日本が編纂した『朝鮮通交大紀』が独島領有権を認めています。
その古文書には独島という名称自体無いはずですが?
>5
日本は、徳川幕府が終わるまで独島領有権を尊重しました。
その島が現在の独島(日本名竹島)である根拠がないので単なる韓国側の妄言です。
これは メッセージ 18463 (take_8591 さん)への返信です.
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Re: 竹島外一島=竹島(別称:松島) ??
投稿者: azusa2008jp 投稿日時: 2010/10/18 16:14 投稿番号: [18477 / 18519]
古文書で韓国が主張する于山島が2つの島からなる竹島(韓国名独島)という事を立証できずに逃げ回る臆病者は口出しするな!(大笑)
これは メッセージ 18476 (h369jp さん)への返信です.
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竹島外一島=竹島(別称:松島) ???
投稿者: h369jp 投稿日時: 2010/10/18 13:39 投稿番号: [18476 / 18519]
明治初期に鬱陵島の呼称が竹島であったり松島であった事実は認められますが・・・だからといって竹島外一島が
鬱陵島一島のみのことを表していると考えるのは無理がありますよ。
内務省が各県長官へ出す文章で「松島一名竹島」という表現をしているように、「竹島外一島」という意味が、竹島という呼称以外にも別の呼称があることを表現したものであるとは考えられません。
これは メッセージ 18475 (puracyaka2007 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/18476.html
Re: 太政官も伝統的松島=リアンクール岩と
投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2010/10/18 08:04 投稿番号: [18475 / 18519]
これは メッセージ 18474 (ararenotomo1 さん)への返信です.
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太政官も伝統的松島=リアンクール岩と判断
投稿者: ararenotomo1 投稿日時: 2010/10/17 22:16 投稿番号: [18474 / 18519]
ahirutousagi2様、早速のご返事ありがとうございます。幾つか誤解があるので説明します。
ahirutousagi2様は、私の“「伝統的竹島・松島」という規定が意味不明です。”と述べられたので、先ずそれについて説明します。
「伝統的竹島・松島」は、川上健三『竹島の歴史地理学的研究』(1966)からそのまま取りました。川上氏は、欧米の間違った地図にあるアルゴノート=竹島・ダジュレー=松島=鬱陵島と、『隠州視聴合紀』や長久保赤水の地図に記された竹島・松島を、区別するために使っています。「古来」「従来」「本来」の竹島松島も同じ意味です(No.18429)。
ahirutousagi2様は、“文章で人を惑わすのはやめませんか。32の資料、その中の12で伝統的松島・竹島の系統で分類と書いていらっしゃいますが、ここには地図だけでなく、新聞記事や『日本地誌提要』の文章も含まれています。”と書いておられますが、私は「地図」ではなく32の「資料」と書きました。
『日本地誌提要』について、ahirutousagi2様は“『Carte de l'empire du Japon』で示された竹島・松島の位置認識は、アルゴノート、ダジュレーの位置認識に一致します。それは『日本地誌提要』に記された距離の提示のみでは記しえないものです。”述べておられます。
しかし、『日本地誌提要』にはアルゴノート・ダジュレーという言葉はありません。川上(1966)も“塚本明毅の『日本地誌提要』中の隠岐の部には、次のとおり記載されており、「松島」、「竹島」の伝統的知識がそのままに継承されている。”として、「土俗相傳テ云フ。穩地郡蘄浦港ヨリ松島ニ至ル。海路凡六拾九里三拾五町。竹島ニ至ル。海路凡百里四町餘。」を引用しています。そして『Carte de l'empire du Japon』で示された竹島・松島の位置は凡そ、この距離と一致します。ただし、極めて優秀なテクノクラート且民族主義者の塚本明毅は、『大日本府縣分轄圖』(1881)中の「大日本全國略圖」において、架空の島アルゴノートを巧に利用して竹島を其処に置き、ahirutousagi2様と同様に、鬱陵島だけを放棄したことにした、のではないかとも思っています(Nos.18250, 18333)。
ahirutousagi2様は、私が「松島=リアンクール岩」と主張していると、盛んに主張されますが、私は「松島=リアンクール岩」と主張したことはありません。私は「鬱陵島を松島とした資料の中で、11は伝統的松島の位置でリアンクール岩を記しています。」と書きました。即ち「伝統的松島=リアンクール岩」とは主張しました。しかし、欧米製地図の多くは松島=ダジュレー=鬱陵島ですから「松島=リアンクール岩」とならないのは当然です。
さらにahirutousagi2様は、“「11は伝統的松島の位置でリアンクール岩を記しています」もごまかしと言ってもいいでしょう。単に、リアンクール岩を記していると書けばいいだけの話です。「伝統的松島の位置で」などと修飾語をつける必要はなんら必要ないのです。”と、「伝統的松島の位置」を否定するのに躍起になっておられます。
しかし、単なる「松島」と「伝統的松島」は全く違います。シーボルトの間違いによって、欧米製地図の多くは鬱陵島を松島としたので、伝統的松島はリアンク−ル岩、Hornet Rocks或いはヲリウツ・メ子ライ瀬等と呼ばざるを得なくなりました。川上(1966)の纏めによると、竹島松島の地理的知識を表した32の資料のうち19は、欧米製地図により鬱陵島を松島としております。しかし、残り13のうち12は、伝統的松島=今日の竹島、伝統的竹島=鬱陵島の系統である、と川上(1966)は書いています。川上氏はまた、鬱陵島を松島とした19の資料中11は、リアンク−ル岩を今日の竹島に該当する島と見ている事を示しました。一方、アルゴノート島に該当する島として竹島を表しているのは、点線で描いた3つを含めても、6つしかありません。
「伝統的竹島松島」の地理認識で重要なのは、竹島=鬱陵島の朝鮮寄りに島は無く、松島は隠岐から竹島への航路の途中に在ることです。ahirutousagi2様が「伝統的松島」の抹消に執拗に拘っておられるのは、「自ら思い込んでいる結論」に合わせて、ダジュレー=松島とした鬱陵島の朝鮮寄りに、もう一つの鬱陵島=アルゴノート=竹島を作りたいが為ではないかと思います。しかし、アルゴノート=竹島とするのは、全体の2割以下の少数派です。少数意見は尊重すべきですが、私は、太政官も多数派に従い「伝統的竹島=鬱陵島」「伝統的松島=リアンクール岩」と判断した、可能性の方が高いと考えております。
ahirutousagi2様、お互いに、「自ら思い込んでいる結論を前提として資料を解釈するのは」当然のことではないでしょうか。
これは メッセージ 18467 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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あげとく
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/10/13 20:59 投稿番号: [18473 / 18519]
あげとく
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Re: 太政官訂正
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/10/09 11:11 投稿番号: [18472 / 18519]
川上健三氏の資料をもとにアラレさんが主張した12の地図のうち、木村文造「銅板朝鮮国全図」(1882)をアルゴノート=竹島、ダジュレー=松島の位置で記されていると書きましたが、ちらっと検索してみると、ほかにも中島彭「日本與地全図」(1872)、鈴木敬作「朝鮮全図」(1882)、森琴石「大日本海陸全図」(1886)も同じくアルゴノートの位置で竹島を、ダジュレーの位置で松島を描いていますね。
残りのうち、1894年の山陰新聞の記事は単なる記事であり、1878年の「日本地誌提要」は位置認識を何ら正確に示すものでもなく、これらは何ら伝統的な竹島・松島の位置をダジュレー、リアンクール岩に比定できる根拠を示すことができるものではありません。
最後に残るのは、1869年「大日本海陸全図」1894年「日清韓三国與地全図」、1900年「日清韓三国大地図」ですが、これは未確認。
古いところでは、1811年「日本国図」、1864年「大日本海陸全図」がありますが、長久保系列でしょう。リアンクール岩のあたりに松島を記しているというところでは、伝統的な認識が地図にそれなりにうまく反映された例とも言えるかもしれません。
伝統的な松島と竹島を反映した地図(長久保系であろうとなんであろうとリアンクール岩のあたりに)というのは、アラレさんは12をあげて論じられていますが、未見の三つを除き、せいぜい、上の二つぐらいではないでしょうか。
いずれにしても、近代的な認識からリアンクール岩=松島の認識を明示した地図は、何もないというのが現実でしょう。
以下のページはなかなか面白いです。ご存知でしょうが。大まかな流れが把握できますね。
http://sites.google.com/site/takeshimaliancourt/Home/japan-map-take-matsuあと、18467で
>私が申し上げている伝統的竹島・松島理解は文字通り日本で脈々と理解されてきた島そのもので、そこに正確な位置的認識は付与していません。位置的認識を付与するとすれば、江戸中期以降の認識、「見高麗〜」の系列、そして長久保赤水の地図などの系譜におかれることでしょう。
と書きましたが、そもそも長久保の地図は「見高麗〜」のものですので、系列を分けることはできないでしょう。訂正しておきます。うっかりミスです。
これは メッセージ 18468 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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Re: 太政官その3
投稿者: akkambeh 投稿日時: 2010/10/09 10:54 投稿番号: [18471 / 18519]
>自ら思い込んでいる結論を前提として資料を解釈するのはやめませんか。普通に資料を見て、整合的に解釈して、そこから結論を導き出すのが一般的な筋道です。
横ですが
上記は、朝鮮の伝統的な両班の発想です。このような発想を行うのが朝鮮人で、論理的なマトモな発想が出来る人は朝鮮人ではありません。彼らは真実を明らかにするというのは目的ではなく、相手を自分の主張に屈服させるのが目的ですから。
従って、ahirutousagi2さんのお相手は、近代的な論理的な思考ができない典型的な朝鮮人だと言うことですね。
こういうのを相手にするときは、相手の主張の矛盾を突き、嘘を暴き、相手が嘘つきの精神異常者であると周囲に知らしめれば良いのです。
朝鮮人の性向として、論破され自身が不利になったと悟った時点で、ahirutousagi2さんを罵倒して消える・・・という朝鮮人お決まりのパターンになると予想されます。
これは メッセージ 18469 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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燭台岩 & vs 韓国 12日(火)夜7時
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2010/10/09 10:38 投稿番号: [18470 / 18519]
これは メッセージ 18462 (senkaku_islands さん)への返信です.
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Re: 太政官その3
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/10/09 00:26 投稿番号: [18469 / 18519]
>川上健三氏はまた、1854年以降の12の欧米製地図を示しました。そのうち、Argonautを描いているのはJames Wylde (1859, 1881), Keith Johnson (1868), Stanford地図(1879, 1894)の5つですが、Stanford地図の1つは、Argonaut I. を点線としposition doubtful としているので、描くものと点線或いは描かないものとの割合は4:8となります。
1854年から見るのはよいとして、太政官判断の資料とするのならせいぜい1872年のpeterman地図で区切ってはいかがですか。何も1929年や1950年の地図まで含める必要はないでしょう。当たり前ではないですか。1872年の地図で区切ればアルゴノートは3つの地図に記され、1つの地図ではダジュレー=松島に、あとはhornet号の命名だけです。あまりにもごまかしが過ぎるのではないでしょうか。
>外務省で竹島を日本領とするための資料を収集した川上氏は、松島竹島の地理的記載の37.5%が竹島=鬱陵島・松島=現竹島としており、欧米製地図によって松島=ダジュレー=鬱陵島とするも竹島を描かないか点線とするものが53.1%、竹島=アルゴノートとするものは僅か9.4%に過ぎないことを示しました。また、全体の34.4%は伝統的松島をリアンクール岩としております。当時、海軍水路局は公式に鬱陵島を松島と名付けましたが、かなりの人が伝統的松島=リアンクール岩との認識を持っていたようです。
何ともひどい記述で、論評に値しません。とくにひどいのは「全体の34.4%は伝統的松島をリアンクール岩としております。当時、海軍水路局は公式に鬱陵島を松島と名付けましたが、かなりの人が伝統的松島=リアンクール岩との認識を持っていたようです」の部分でしょう。どの地図一つとして松島=リアンクール岩と記してはいないのですから。
>さらに川上氏は触れていませんが、旧幕府と1877年の太政官指令に従い、竹島松島を版図外にした多くの資料があります。その一例として、1895年1月以前の尖閣諸島を描いた日本地図で、竹島松島がどのように扱われているかを見てみます。
衒学的というよりはこのあたりは的外れ、話の飛躍でしょう。どうでもいい話です。
アラレさん、自ら思い込んでいる結論を前提として資料を解釈するのはやめませんか。普通に資料を見て、整合的に解釈して、そこから結論を導き出すのが一般的な筋道です。アラレさんの主張は完全に筋道を逆行していると言って過言ではないでしょう。ごまかしは、もう勘弁してください。
これは メッセージ 18468 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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Re: 太政官その2
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/10/09 00:24 投稿番号: [18468 / 18519]
>川上健三『竹島の歴史地理学的研究』(1966)は、松島・竹島の地理的知識の変遷を表示し、日本人作製の32の資料を挙げました。そして、その中の12を伝統的松島(今日の竹島)竹島(鬱陵島)の系統に分類しました。20の欧米製地図系統の中、14は鬱陵島をダジュレー=松島としていますが(1つは鬱陵島を竹島)、アルゴノート=竹島は描いていません。残り6つの内で竹島を点線で描いているのが3つ、沖冠嶺「大日本及支那朝鮮図」(1874)(前述の1-10)も含めて、竹島=アルゴノートの現存を示唆するのは3つです。また、鬱陵島を松島とした資料の中で、11は伝統的松島の位置でリアンクール岩を記しています。
前にも申し上げていますが、文章で人を惑わすのはやめませんか。32の資料、その中の12で伝統的松島・竹島の系統で分類と書いていらっしゃいますが、ここには地図だけでなく、新聞記事や『日本地誌提要』の文章も含まれています。地図だけでいえば、12ではなく10になり、うち、私の知る限りでは木村文造「銅板朝鮮国全図」はアルゴノートの位置に竹島を、ダジュレーの位置に松島を持ってきているはずです。
さらに、残りのものはそれこそ「見高麗〜」時代の名残を残したもの、長久保赤水の系列に属するものでしょう。アラレさんの主張する松島=リアンクール岩を明示する地図はただの一つもありません。これのどこが反証なのでしょうか。
また、欧米系20の地図のうち「14は鬱陵島をダジュレー=松島としていますが(1つは鬱陵島を竹島)、アルゴノート=竹島は描いていません」となさっていますが、私の手元の川上健三のpp.39-31では、14をダジュレー=松島としつつ、このうち、アルゴノート=竹島を描いている地図が6つです。1つは鬱陵島を竹島に(1811;浅野弥兵衛「日本国図」)、1つは『寰瀛水路誌』、これを除いて残りの4つは松島を「鬱陵島」としています。こうした地図はすべて1880年代以降です。
結局、アルゴノートを記した6つの地図がアラレさんにも問題になるのでしょうが、点線であろうと、あるいは松島(=ダジュレー)だけを書いていようと、何の問題もありません。問題は太政官が竹島と松島をどの位置において認識したかです。アラレさんの主張するダジュレー=竹島=鬱陵島、松島=リアンクール岩としているものは、この20の地図をひっくるめてもただの一つもありません。
最後の「11は伝統的松島の位置でリアンクール岩を記しています」もごまかしと言ってもいいでしょう。単に、リアンクール岩を記していると書けばいいだけの話です。「伝統的松島の位置で」などと修飾語をつける必要はなんら必要ないのです。
結局、これらの地図には、ただ一つとしてアラレさんの主張する、太政官がダジュレー=竹島=鬱陵島、松島=リアンクール岩と判断したとする根拠は存在しません。
これは メッセージ 18467 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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Re: 太政官その1
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/10/09 00:22 投稿番号: [18467 / 18519]
残念ですが、何の説明にもなっていません。ただ一点、太政官がダジュレー=竹島=鬱陵島、松島=リアンクール岩と判断したという根拠さえお示しいただけなかったようです。傍証さえ提示が不可能、ということでしょうか。
>1-09『Carte de l'empire du Japon』(1873)の説明書『日本地誌提要』には、「土俗相傳テ云フ。穩地郡蘄浦港ヨリ松島ニ至ル。海路凡六拾九里三拾五町。竹島ニ至ル。海路凡百里四町餘。朝鮮ニ至ル海路凡百三拾六里三拾町。」とあり、アルゴノート・ダジュレーの認識は全くありません(No.15715)。1-10は、私は伝統的竹島松島と見ますが、朝鮮の近くに描かれているので、後述のように、川上氏は欧米製地図の系統に入れました。
アラレさんの「伝統的竹島・松島」という規定が意味不明です。たとえば私が申し上げている伝統的竹島・松島理解は文字通り日本で脈々と理解されてきた島そのもので、そこに正確な位置的認識は付与していません。位置的認識を付与するとすれば、江戸中期以降の認識、「見高麗〜」の系列、そして長久保赤水の地図などの系譜におかれることでしょう。
アラレさんは、太政官の判断を松島=リアンクール岩と主張されている以上、当然に「伝統的竹島・松島」の理解は、太政官判断の時期においてダジュレー=竹島=鬱陵島、松島=リアンクール岩を意味するはずですが、上の記述にその根拠も何もありません。
川上氏の理解が妥当でしょう。また、『Carte de l'empire du Japon』で示された竹島・松島の位置認識は、アルゴノート、ダジュレーの位置認識に一致します。それは『日本地誌提要』に記された距離の提示のみでは記しえないものです。
距離と方向を考えてたまたまこうなったとしても、松島が微妙に北に上がっている(竹島が南に下がっている)点にもご注目いただくのがよいでしょう。偶然ではなく、「大日本沿海略図」など、地理的な混乱の影響を受けた地図の影響内にあるとみるのが妥当でしょう。
これは メッセージ 18464 (ararenotomo1 さん)への返信です.
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太政官に竹島=アルゴノートの認識はない補
投稿者: ararenotomo1 投稿日時: 2010/10/06 23:31 投稿番号: [18466 / 18519]
字数制限で最後が切れてしまいましたが、余計な解釈をします。
鬱陵島をダジュレー=松島とする資料はかなり有りますが、アルゴノート=竹島とする資料は余り多くないので、太政官も伝統的松島=リアンコール岩との判断(No.18428)に敢えて異は唱えなかったでしょう。
これは メッセージ 18464 (ararenotomo1 さん)への返信です.
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ソフトバンク敗退すれば竹島奪還できます
投稿者: kiyoakl 投稿日時: 2010/10/06 23:15 投稿番号: [18465 / 18519]
西武が優勝することが竹島奪還の絶対条件
これは メッセージ 18462 (senkaku_islands さん)への返信です.
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太政官に竹島=アルゴノートの認識はない
投稿者: ararenotomo1 投稿日時: 2010/10/06 23:13 投稿番号: [18464 / 18519]
ahirutousagi2様、具体的な反証例について、先ずお答え致します。
ahirutousagi2様は、take_8591様ご提示の地図(No.18373)について、私が“1-09, 10は古来の竹島松島の認識で描かれています。アルゴノート島の実存性を示唆しているのは、「橋本玉蘭の大日本四神全図」だけではないでしょうか。”と書いたことに対して、「このアラレさんの指摘は的外れではないかと考えます。なぜなら、1−09, 10はともに、アルゴノート、ダジュレーの位置で竹島・松島が描かれていることがうかがえるからです。」と述べられました。
1-09『Carte de l'empire du Japon』(1873)の説明書『日本地誌提要』には、「土俗相傳テ云フ。穩地郡蘄浦港ヨリ松島ニ至ル。海路凡六拾九里三拾五町。竹島ニ至ル。海路凡百里四町餘。朝鮮ニ至ル海路凡百三拾六里三拾町。」とあり、アルゴノート・ダジュレーの認識は全くありません(No.15715)。1-10は、私は伝統的竹島松島と見ますが、朝鮮の近くに描かれているので、後述のように、川上氏は欧米製地図の系統に入れました。
次に、「ペリーをはじめとする西洋の地図を含め「現存せず」と明記している地図の数(略)は大体どれくらいあるものか教えていただけないでしょうか。その数と、点線で描かれている地図の割合はどんなものでしょうか。」及び「竹島=鬱陵島=ダジュレー、松島=リアンクールを描いている地図は、(中略)この混乱期にいくつあるのでしょうか。あるいは、そもそも存在するのでしょうか。」との質問にお答えします。
私は、No.18247などで、日本周辺の地理は当然、日本人が最もよく知っており、欧米の間違った地図に惑わされない多くの人が居たことを述べましたが、例証を示します。
川上健三『竹島の歴史地理学的研究』(1966)は、松島・竹島の地理的知識の変遷を表示し、日本人作製の32の資料を挙げました。そして、その中の12を伝統的松島(今日の竹島)竹島(鬱陵島)の系統に分類しました。20の欧米製地図系統の中、14は鬱陵島をダジュレー=松島としていますが(1つは鬱陵島を竹島)、アルゴノート=竹島は描いていません。残り6つの内で竹島を点線で描いているのが3つ、沖冠嶺「大日本及支那朝鮮図」(1874)(前述の1-10)も含めて、竹島=アルゴノートの現存を示唆するのは3つです。また、鬱陵島を松島とした資料の中で、11は伝統的松島の位置でリアンクール岩を記しています。
川上健三氏はまた、1854年以降の12の欧米製地図を示しました。そのうち、Argonautを描いているのはJames Wylde (1859, 1881), Keith Johnson (1868), Stanford地図(1879, 1894)の5つですが、Stanford地図の1つは、Argonaut I. を点線としposition doubtful としているので、描くものと点線或いは描かないものとの割合は4:8となります。
外務省で竹島を日本領とするための資料を収集した川上氏は、松島竹島の地理的記載の37.5%が竹島=鬱陵島・松島=現竹島としており、欧米製地図によって松島=ダジュレー=鬱陵島とするも竹島を描かないか点線とするものが53.1%、竹島=アルゴノートとするものは僅か9.4%に過ぎないことを示しました。また、全体の34.4%は伝統的松島をリアンクール岩としております。当時、海軍水路局は公式に鬱陵島を松島と名付けましたが、かなりの人が伝統的松島=リアンクール岩との認識を持っていたようです。
さらに川上氏は触れていませんが、旧幕府と1877年の太政官指令に従い、竹島松島を版図外にした多くの資料があります。その一例として、1895年1月以前の尖閣諸島を描いた日本地図で、竹島松島がどのように扱われているかを見てみます。柳田赳『大日本全圖』(1879)は、川上(1966)が引用しましたが、松島(鬱陵島)だけが描かれています。松井捷悟・吉澤幸次『日本帝國全圖』(1881)、下村孝光『大日本測量全圖』(1886)、吉川秀吉『大日本輿地全圖』(1886)には竹島松島は描かれていません。
http://www.lib.meiji.ac.jp/perl/ashida/search_detail?detail_sea_param=loc,9,48,
0http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/nihonteikokuzenzu-1881/ http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/measuremap-1882/ http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/yougosonyu-1886/ 上記は、ahirutousagi2様から、また衒学的とお叱りを受けそうですが、なるべく多くの資料を集めるのが趣味なのでお許し下さい。
鬱陵\xC5
これは メッセージ 18452 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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世界人独島理解16−7
投稿者: take_8591 投稿日時: 2010/10/06 11:42 投稿番号: [18463 / 18519]
「世界人が独島問題を理解するための16のポイント」
シン・ヨンハ
http://plaza1.snu.ac.kr/~bigbear1/booklet/dokdo16point.pdf7
日本の徳川幕府は、1696年1月に、「鬱陵島と独島は朝鮮領土なので、日本漁夫達が漁猟に渡ることを禁止する」との命令を下しました。違反者は厳罰に処しました。
1
竹島渡海免許・松島渡海免許が、竹島松島の韓国領有を証明しています。
2
安龍福が独島の朝鮮領であることを日本に認めさせました。
3
安龍福証言の信憑性は『村上家文書』が証明しています。
4
日本が編纂した『朝鮮通交大紀』が独島領有権を認めています。
5
日本は、徳川幕府が終わるまで独島領有権を尊重しました。
.
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Senkaku Islands & 国標建設の件
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2010/10/01 23:33 投稿番号: [18462 / 18519]
これは メッセージ 18459 (senkaku_islands さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/18462.html
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