竹島
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Re: 竹島
投稿者: ryickskysmoker 投稿日時: 2010/10/19 16:27 投稿番号: [18479 / 18519]
竹島に行ってみてぇなぁ
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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Re: 世界人独島理解16−7
投稿者: azusa2008jp 投稿日時: 2010/10/18 16:32 投稿番号: [18478 / 18519]
>7
日本の徳川幕府は、1696年1月に、「鬱陵島と独島は朝鮮領土なので
その島が現在の独島である証拠は?
>1
竹島渡海免許・松島渡海免許が、竹島松島の韓国領有を証明しています。
幕府の許可があるから韓国領とするのは意味不明です。
>2
安龍福が独島の朝鮮領であることを日本に認めさせました。
一介の漁師である安に朝鮮王朝が特使として日本に派遣した記録はありませんし、日本側にも竹島(韓国名独島)を朝鮮領と認めた記録はありません。
>4
日本が編纂した『朝鮮通交大紀』が独島領有権を認めています。
その古文書には独島という名称自体無いはずですが?
>5
日本は、徳川幕府が終わるまで独島領有権を尊重しました。
その島が現在の独島(日本名竹島)である根拠がないので単なる韓国側の妄言です。
これは メッセージ 18463 (take_8591 さん)への返信です.
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Re: 竹島外一島=竹島(別称:松島) ??
投稿者: azusa2008jp 投稿日時: 2010/10/18 16:14 投稿番号: [18477 / 18519]
古文書で韓国が主張する于山島が2つの島からなる竹島(韓国名独島)という事を立証できずに逃げ回る臆病者は口出しするな!(大笑)
これは メッセージ 18476 (h369jp さん)への返信です.
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竹島外一島=竹島(別称:松島) ???
投稿者: h369jp 投稿日時: 2010/10/18 13:39 投稿番号: [18476 / 18519]
明治初期に鬱陵島の呼称が竹島であったり松島であった事実は認められますが・・・だからといって竹島外一島が
鬱陵島一島のみのことを表していると考えるのは無理がありますよ。
内務省が各県長官へ出す文章で「松島一名竹島」という表現をしているように、「竹島外一島」という意味が、竹島という呼称以外にも別の呼称があることを表現したものであるとは考えられません。
これは メッセージ 18475 (puracyaka2007 さん)への返信です.
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Re: 太政官も伝統的松島=リアンクール岩と
投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2010/10/18 08:04 投稿番号: [18475 / 18519]
これは メッセージ 18474 (ararenotomo1 さん)への返信です.
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太政官も伝統的松島=リアンクール岩と判断
投稿者: ararenotomo1 投稿日時: 2010/10/17 22:16 投稿番号: [18474 / 18519]
ahirutousagi2様、早速のご返事ありがとうございます。幾つか誤解があるので説明します。
ahirutousagi2様は、私の“「伝統的竹島・松島」という規定が意味不明です。”と述べられたので、先ずそれについて説明します。
「伝統的竹島・松島」は、川上健三『竹島の歴史地理学的研究』(1966)からそのまま取りました。川上氏は、欧米の間違った地図にあるアルゴノート=竹島・ダジュレー=松島=鬱陵島と、『隠州視聴合紀』や長久保赤水の地図に記された竹島・松島を、区別するために使っています。「古来」「従来」「本来」の竹島松島も同じ意味です(No.18429)。
ahirutousagi2様は、“文章で人を惑わすのはやめませんか。32の資料、その中の12で伝統的松島・竹島の系統で分類と書いていらっしゃいますが、ここには地図だけでなく、新聞記事や『日本地誌提要』の文章も含まれています。”と書いておられますが、私は「地図」ではなく32の「資料」と書きました。
『日本地誌提要』について、ahirutousagi2様は“『Carte de l'empire du Japon』で示された竹島・松島の位置認識は、アルゴノート、ダジュレーの位置認識に一致します。それは『日本地誌提要』に記された距離の提示のみでは記しえないものです。”述べておられます。
しかし、『日本地誌提要』にはアルゴノート・ダジュレーという言葉はありません。川上(1966)も“塚本明毅の『日本地誌提要』中の隠岐の部には、次のとおり記載されており、「松島」、「竹島」の伝統的知識がそのままに継承されている。”として、「土俗相傳テ云フ。穩地郡蘄浦港ヨリ松島ニ至ル。海路凡六拾九里三拾五町。竹島ニ至ル。海路凡百里四町餘。」を引用しています。そして『Carte de l'empire du Japon』で示された竹島・松島の位置は凡そ、この距離と一致します。ただし、極めて優秀なテクノクラート且民族主義者の塚本明毅は、『大日本府縣分轄圖』(1881)中の「大日本全國略圖」において、架空の島アルゴノートを巧に利用して竹島を其処に置き、ahirutousagi2様と同様に、鬱陵島だけを放棄したことにした、のではないかとも思っています(Nos.18250, 18333)。
ahirutousagi2様は、私が「松島=リアンクール岩」と主張していると、盛んに主張されますが、私は「松島=リアンクール岩」と主張したことはありません。私は「鬱陵島を松島とした資料の中で、11は伝統的松島の位置でリアンクール岩を記しています。」と書きました。即ち「伝統的松島=リアンクール岩」とは主張しました。しかし、欧米製地図の多くは松島=ダジュレー=鬱陵島ですから「松島=リアンクール岩」とならないのは当然です。
さらにahirutousagi2様は、“「11は伝統的松島の位置でリアンクール岩を記しています」もごまかしと言ってもいいでしょう。単に、リアンクール岩を記していると書けばいいだけの話です。「伝統的松島の位置で」などと修飾語をつける必要はなんら必要ないのです。”と、「伝統的松島の位置」を否定するのに躍起になっておられます。
しかし、単なる「松島」と「伝統的松島」は全く違います。シーボルトの間違いによって、欧米製地図の多くは鬱陵島を松島としたので、伝統的松島はリアンク−ル岩、Hornet Rocks或いはヲリウツ・メ子ライ瀬等と呼ばざるを得なくなりました。川上(1966)の纏めによると、竹島松島の地理的知識を表した32の資料のうち19は、欧米製地図により鬱陵島を松島としております。しかし、残り13のうち12は、伝統的松島=今日の竹島、伝統的竹島=鬱陵島の系統である、と川上(1966)は書いています。川上氏はまた、鬱陵島を松島とした19の資料中11は、リアンク−ル岩を今日の竹島に該当する島と見ている事を示しました。一方、アルゴノート島に該当する島として竹島を表しているのは、点線で描いた3つを含めても、6つしかありません。
「伝統的竹島松島」の地理認識で重要なのは、竹島=鬱陵島の朝鮮寄りに島は無く、松島は隠岐から竹島への航路の途中に在ることです。ahirutousagi2様が「伝統的松島」の抹消に執拗に拘っておられるのは、「自ら思い込んでいる結論」に合わせて、ダジュレー=松島とした鬱陵島の朝鮮寄りに、もう一つの鬱陵島=アルゴノート=竹島を作りたいが為ではないかと思います。しかし、アルゴノート=竹島とするのは、全体の2割以下の少数派です。少数意見は尊重すべきですが、私は、太政官も多数派に従い「伝統的竹島=鬱陵島」「伝統的松島=リアンクール岩」と判断した、可能性の方が高いと考えております。
ahirutousagi2様、お互いに、「自ら思い込んでいる結論を前提として資料を解釈するのは」当然のことではないでしょうか。
これは メッセージ 18467 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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あげとく
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/10/13 20:59 投稿番号: [18473 / 18519]
あげとく
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Re: 太政官訂正
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/10/09 11:11 投稿番号: [18472 / 18519]
川上健三氏の資料をもとにアラレさんが主張した12の地図のうち、木村文造「銅板朝鮮国全図」(1882)をアルゴノート=竹島、ダジュレー=松島の位置で記されていると書きましたが、ちらっと検索してみると、ほかにも中島彭「日本與地全図」(1872)、鈴木敬作「朝鮮全図」(1882)、森琴石「大日本海陸全図」(1886)も同じくアルゴノートの位置で竹島を、ダジュレーの位置で松島を描いていますね。
残りのうち、1894年の山陰新聞の記事は単なる記事であり、1878年の「日本地誌提要」は位置認識を何ら正確に示すものでもなく、これらは何ら伝統的な竹島・松島の位置をダジュレー、リアンクール岩に比定できる根拠を示すことができるものではありません。
最後に残るのは、1869年「大日本海陸全図」1894年「日清韓三国與地全図」、1900年「日清韓三国大地図」ですが、これは未確認。
古いところでは、1811年「日本国図」、1864年「大日本海陸全図」がありますが、長久保系列でしょう。リアンクール岩のあたりに松島を記しているというところでは、伝統的な認識が地図にそれなりにうまく反映された例とも言えるかもしれません。
伝統的な松島と竹島を反映した地図(長久保系であろうとなんであろうとリアンクール岩のあたりに)というのは、アラレさんは12をあげて論じられていますが、未見の三つを除き、せいぜい、上の二つぐらいではないでしょうか。
いずれにしても、近代的な認識からリアンクール岩=松島の認識を明示した地図は、何もないというのが現実でしょう。
以下のページはなかなか面白いです。ご存知でしょうが。大まかな流れが把握できますね。
http://sites.google.com/site/takeshimaliancourt/Home/japan-map-take-matsuあと、18467で
>私が申し上げている伝統的竹島・松島理解は文字通り日本で脈々と理解されてきた島そのもので、そこに正確な位置的認識は付与していません。位置的認識を付与するとすれば、江戸中期以降の認識、「見高麗〜」の系列、そして長久保赤水の地図などの系譜におかれることでしょう。
と書きましたが、そもそも長久保の地図は「見高麗〜」のものですので、系列を分けることはできないでしょう。訂正しておきます。うっかりミスです。
これは メッセージ 18468 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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Re: 太政官その3
投稿者: akkambeh 投稿日時: 2010/10/09 10:54 投稿番号: [18471 / 18519]
>自ら思い込んでいる結論を前提として資料を解釈するのはやめませんか。普通に資料を見て、整合的に解釈して、そこから結論を導き出すのが一般的な筋道です。
横ですが
上記は、朝鮮の伝統的な両班の発想です。このような発想を行うのが朝鮮人で、論理的なマトモな発想が出来る人は朝鮮人ではありません。彼らは真実を明らかにするというのは目的ではなく、相手を自分の主張に屈服させるのが目的ですから。
従って、ahirutousagi2さんのお相手は、近代的な論理的な思考ができない典型的な朝鮮人だと言うことですね。
こういうのを相手にするときは、相手の主張の矛盾を突き、嘘を暴き、相手が嘘つきの精神異常者であると周囲に知らしめれば良いのです。
朝鮮人の性向として、論破され自身が不利になったと悟った時点で、ahirutousagi2さんを罵倒して消える・・・という朝鮮人お決まりのパターンになると予想されます。
これは メッセージ 18469 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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燭台岩 & vs 韓国 12日(火)夜7時
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2010/10/09 10:38 投稿番号: [18470 / 18519]
これは メッセージ 18462 (senkaku_islands さん)への返信です.
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Re: 太政官その3
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/10/09 00:26 投稿番号: [18469 / 18519]
>川上健三氏はまた、1854年以降の12の欧米製地図を示しました。そのうち、Argonautを描いているのはJames Wylde (1859, 1881), Keith Johnson (1868), Stanford地図(1879, 1894)の5つですが、Stanford地図の1つは、Argonaut I. を点線としposition doubtful としているので、描くものと点線或いは描かないものとの割合は4:8となります。
1854年から見るのはよいとして、太政官判断の資料とするのならせいぜい1872年のpeterman地図で区切ってはいかがですか。何も1929年や1950年の地図まで含める必要はないでしょう。当たり前ではないですか。1872年の地図で区切ればアルゴノートは3つの地図に記され、1つの地図ではダジュレー=松島に、あとはhornet号の命名だけです。あまりにもごまかしが過ぎるのではないでしょうか。
>外務省で竹島を日本領とするための資料を収集した川上氏は、松島竹島の地理的記載の37.5%が竹島=鬱陵島・松島=現竹島としており、欧米製地図によって松島=ダジュレー=鬱陵島とするも竹島を描かないか点線とするものが53.1%、竹島=アルゴノートとするものは僅か9.4%に過ぎないことを示しました。また、全体の34.4%は伝統的松島をリアンクール岩としております。当時、海軍水路局は公式に鬱陵島を松島と名付けましたが、かなりの人が伝統的松島=リアンクール岩との認識を持っていたようです。
何ともひどい記述で、論評に値しません。とくにひどいのは「全体の34.4%は伝統的松島をリアンクール岩としております。当時、海軍水路局は公式に鬱陵島を松島と名付けましたが、かなりの人が伝統的松島=リアンクール岩との認識を持っていたようです」の部分でしょう。どの地図一つとして松島=リアンクール岩と記してはいないのですから。
>さらに川上氏は触れていませんが、旧幕府と1877年の太政官指令に従い、竹島松島を版図外にした多くの資料があります。その一例として、1895年1月以前の尖閣諸島を描いた日本地図で、竹島松島がどのように扱われているかを見てみます。
衒学的というよりはこのあたりは的外れ、話の飛躍でしょう。どうでもいい話です。
アラレさん、自ら思い込んでいる結論を前提として資料を解釈するのはやめませんか。普通に資料を見て、整合的に解釈して、そこから結論を導き出すのが一般的な筋道です。アラレさんの主張は完全に筋道を逆行していると言って過言ではないでしょう。ごまかしは、もう勘弁してください。
これは メッセージ 18468 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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Re: 太政官その2
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/10/09 00:24 投稿番号: [18468 / 18519]
>川上健三『竹島の歴史地理学的研究』(1966)は、松島・竹島の地理的知識の変遷を表示し、日本人作製の32の資料を挙げました。そして、その中の12を伝統的松島(今日の竹島)竹島(鬱陵島)の系統に分類しました。20の欧米製地図系統の中、14は鬱陵島をダジュレー=松島としていますが(1つは鬱陵島を竹島)、アルゴノート=竹島は描いていません。残り6つの内で竹島を点線で描いているのが3つ、沖冠嶺「大日本及支那朝鮮図」(1874)(前述の1-10)も含めて、竹島=アルゴノートの現存を示唆するのは3つです。また、鬱陵島を松島とした資料の中で、11は伝統的松島の位置でリアンクール岩を記しています。
前にも申し上げていますが、文章で人を惑わすのはやめませんか。32の資料、その中の12で伝統的松島・竹島の系統で分類と書いていらっしゃいますが、ここには地図だけでなく、新聞記事や『日本地誌提要』の文章も含まれています。地図だけでいえば、12ではなく10になり、うち、私の知る限りでは木村文造「銅板朝鮮国全図」はアルゴノートの位置に竹島を、ダジュレーの位置に松島を持ってきているはずです。
さらに、残りのものはそれこそ「見高麗〜」時代の名残を残したもの、長久保赤水の系列に属するものでしょう。アラレさんの主張する松島=リアンクール岩を明示する地図はただの一つもありません。これのどこが反証なのでしょうか。
また、欧米系20の地図のうち「14は鬱陵島をダジュレー=松島としていますが(1つは鬱陵島を竹島)、アルゴノート=竹島は描いていません」となさっていますが、私の手元の川上健三のpp.39-31では、14をダジュレー=松島としつつ、このうち、アルゴノート=竹島を描いている地図が6つです。1つは鬱陵島を竹島に(1811;浅野弥兵衛「日本国図」)、1つは『寰瀛水路誌』、これを除いて残りの4つは松島を「鬱陵島」としています。こうした地図はすべて1880年代以降です。
結局、アルゴノートを記した6つの地図がアラレさんにも問題になるのでしょうが、点線であろうと、あるいは松島(=ダジュレー)だけを書いていようと、何の問題もありません。問題は太政官が竹島と松島をどの位置において認識したかです。アラレさんの主張するダジュレー=竹島=鬱陵島、松島=リアンクール岩としているものは、この20の地図をひっくるめてもただの一つもありません。
最後の「11は伝統的松島の位置でリアンクール岩を記しています」もごまかしと言ってもいいでしょう。単に、リアンクール岩を記していると書けばいいだけの話です。「伝統的松島の位置で」などと修飾語をつける必要はなんら必要ないのです。
結局、これらの地図には、ただ一つとしてアラレさんの主張する、太政官がダジュレー=竹島=鬱陵島、松島=リアンクール岩と判断したとする根拠は存在しません。
これは メッセージ 18467 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/18468.html
Re: 太政官その1
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/10/09 00:22 投稿番号: [18467 / 18519]
残念ですが、何の説明にもなっていません。ただ一点、太政官がダジュレー=竹島=鬱陵島、松島=リアンクール岩と判断したという根拠さえお示しいただけなかったようです。傍証さえ提示が不可能、ということでしょうか。
>1-09『Carte de l'empire du Japon』(1873)の説明書『日本地誌提要』には、「土俗相傳テ云フ。穩地郡蘄浦港ヨリ松島ニ至ル。海路凡六拾九里三拾五町。竹島ニ至ル。海路凡百里四町餘。朝鮮ニ至ル海路凡百三拾六里三拾町。」とあり、アルゴノート・ダジュレーの認識は全くありません(No.15715)。1-10は、私は伝統的竹島松島と見ますが、朝鮮の近くに描かれているので、後述のように、川上氏は欧米製地図の系統に入れました。
アラレさんの「伝統的竹島・松島」という規定が意味不明です。たとえば私が申し上げている伝統的竹島・松島理解は文字通り日本で脈々と理解されてきた島そのもので、そこに正確な位置的認識は付与していません。位置的認識を付与するとすれば、江戸中期以降の認識、「見高麗〜」の系列、そして長久保赤水の地図などの系譜におかれることでしょう。
アラレさんは、太政官の判断を松島=リアンクール岩と主張されている以上、当然に「伝統的竹島・松島」の理解は、太政官判断の時期においてダジュレー=竹島=鬱陵島、松島=リアンクール岩を意味するはずですが、上の記述にその根拠も何もありません。
川上氏の理解が妥当でしょう。また、『Carte de l'empire du Japon』で示された竹島・松島の位置認識は、アルゴノート、ダジュレーの位置認識に一致します。それは『日本地誌提要』に記された距離の提示のみでは記しえないものです。
距離と方向を考えてたまたまこうなったとしても、松島が微妙に北に上がっている(竹島が南に下がっている)点にもご注目いただくのがよいでしょう。偶然ではなく、「大日本沿海略図」など、地理的な混乱の影響を受けた地図の影響内にあるとみるのが妥当でしょう。
これは メッセージ 18464 (ararenotomo1 さん)への返信です.
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太政官に竹島=アルゴノートの認識はない補
投稿者: ararenotomo1 投稿日時: 2010/10/06 23:31 投稿番号: [18466 / 18519]
字数制限で最後が切れてしまいましたが、余計な解釈をします。
鬱陵島をダジュレー=松島とする資料はかなり有りますが、アルゴノート=竹島とする資料は余り多くないので、太政官も伝統的松島=リアンコール岩との判断(No.18428)に敢えて異は唱えなかったでしょう。
これは メッセージ 18464 (ararenotomo1 さん)への返信です.
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ソフトバンク敗退すれば竹島奪還できます
投稿者: kiyoakl 投稿日時: 2010/10/06 23:15 投稿番号: [18465 / 18519]
西武が優勝することが竹島奪還の絶対条件
これは メッセージ 18462 (senkaku_islands さん)への返信です.
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太政官に竹島=アルゴノートの認識はない
投稿者: ararenotomo1 投稿日時: 2010/10/06 23:13 投稿番号: [18464 / 18519]
ahirutousagi2様、具体的な反証例について、先ずお答え致します。
ahirutousagi2様は、take_8591様ご提示の地図(No.18373)について、私が“1-09, 10は古来の竹島松島の認識で描かれています。アルゴノート島の実存性を示唆しているのは、「橋本玉蘭の大日本四神全図」だけではないでしょうか。”と書いたことに対して、「このアラレさんの指摘は的外れではないかと考えます。なぜなら、1−09, 10はともに、アルゴノート、ダジュレーの位置で竹島・松島が描かれていることがうかがえるからです。」と述べられました。
1-09『Carte de l'empire du Japon』(1873)の説明書『日本地誌提要』には、「土俗相傳テ云フ。穩地郡蘄浦港ヨリ松島ニ至ル。海路凡六拾九里三拾五町。竹島ニ至ル。海路凡百里四町餘。朝鮮ニ至ル海路凡百三拾六里三拾町。」とあり、アルゴノート・ダジュレーの認識は全くありません(No.15715)。1-10は、私は伝統的竹島松島と見ますが、朝鮮の近くに描かれているので、後述のように、川上氏は欧米製地図の系統に入れました。
次に、「ペリーをはじめとする西洋の地図を含め「現存せず」と明記している地図の数(略)は大体どれくらいあるものか教えていただけないでしょうか。その数と、点線で描かれている地図の割合はどんなものでしょうか。」及び「竹島=鬱陵島=ダジュレー、松島=リアンクールを描いている地図は、(中略)この混乱期にいくつあるのでしょうか。あるいは、そもそも存在するのでしょうか。」との質問にお答えします。
私は、No.18247などで、日本周辺の地理は当然、日本人が最もよく知っており、欧米の間違った地図に惑わされない多くの人が居たことを述べましたが、例証を示します。
川上健三『竹島の歴史地理学的研究』(1966)は、松島・竹島の地理的知識の変遷を表示し、日本人作製の32の資料を挙げました。そして、その中の12を伝統的松島(今日の竹島)竹島(鬱陵島)の系統に分類しました。20の欧米製地図系統の中、14は鬱陵島をダジュレー=松島としていますが(1つは鬱陵島を竹島)、アルゴノート=竹島は描いていません。残り6つの内で竹島を点線で描いているのが3つ、沖冠嶺「大日本及支那朝鮮図」(1874)(前述の1-10)も含めて、竹島=アルゴノートの現存を示唆するのは3つです。また、鬱陵島を松島とした資料の中で、11は伝統的松島の位置でリアンクール岩を記しています。
川上健三氏はまた、1854年以降の12の欧米製地図を示しました。そのうち、Argonautを描いているのはJames Wylde (1859, 1881), Keith Johnson (1868), Stanford地図(1879, 1894)の5つですが、Stanford地図の1つは、Argonaut I. を点線としposition doubtful としているので、描くものと点線或いは描かないものとの割合は4:8となります。
外務省で竹島を日本領とするための資料を収集した川上氏は、松島竹島の地理的記載の37.5%が竹島=鬱陵島・松島=現竹島としており、欧米製地図によって松島=ダジュレー=鬱陵島とするも竹島を描かないか点線とするものが53.1%、竹島=アルゴノートとするものは僅か9.4%に過ぎないことを示しました。また、全体の34.4%は伝統的松島をリアンクール岩としております。当時、海軍水路局は公式に鬱陵島を松島と名付けましたが、かなりの人が伝統的松島=リアンクール岩との認識を持っていたようです。
さらに川上氏は触れていませんが、旧幕府と1877年の太政官指令に従い、竹島松島を版図外にした多くの資料があります。その一例として、1895年1月以前の尖閣諸島を描いた日本地図で、竹島松島がどのように扱われているかを見てみます。柳田赳『大日本全圖』(1879)は、川上(1966)が引用しましたが、松島(鬱陵島)だけが描かれています。松井捷悟・吉澤幸次『日本帝國全圖』(1881)、下村孝光『大日本測量全圖』(1886)、吉川秀吉『大日本輿地全圖』(1886)には竹島松島は描かれていません。
http://www.lib.meiji.ac.jp/perl/ashida/search_detail?detail_sea_param=loc,9,48,
0http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/nihonteikokuzenzu-1881/ http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/measuremap-1882/ http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/yougosonyu-1886/ 上記は、ahirutousagi2様から、また衒学的とお叱りを受けそうですが、なるべく多くの資料を集めるのが趣味なのでお許し下さい。
鬱陵\xC5
これは メッセージ 18452 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/18464.html
世界人独島理解16−7
投稿者: take_8591 投稿日時: 2010/10/06 11:42 投稿番号: [18463 / 18519]
「世界人が独島問題を理解するための16のポイント」
シン・ヨンハ
http://plaza1.snu.ac.kr/~bigbear1/booklet/dokdo16point.pdf7
日本の徳川幕府は、1696年1月に、「鬱陵島と独島は朝鮮領土なので、日本漁夫達が漁猟に渡ることを禁止する」との命令を下しました。違反者は厳罰に処しました。
1
竹島渡海免許・松島渡海免許が、竹島松島の韓国領有を証明しています。
2
安龍福が独島の朝鮮領であることを日本に認めさせました。
3
安龍福証言の信憑性は『村上家文書』が証明しています。
4
日本が編纂した『朝鮮通交大紀』が独島領有権を認めています。
5
日本は、徳川幕府が終わるまで独島領有権を尊重しました。
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固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/18463.html
Senkaku Islands & 国標建設の件
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2010/10/01 23:33 投稿番号: [18462 / 18519]
これは メッセージ 18459 (senkaku_islands さん)への返信です.
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Re: 尖閣列島,釣魚島は韓国の領土で百済島
投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2010/09/29 22:29 投稿番号: [18461 / 18519]
これこれ、ここは、お前のようなゴミ文しかかけない人間の来るところじゃないよ。朝鮮人でもちゃんと理屈をこねられるやつが来るところだよ。
>日本琉球王国だけでなく北朝の天皇家も高麗人が作った政権だ。
ということは、天皇家のほうが李朝よりも正統な王統を継いでるわけだから、日本が併合してもいたって当然のことだよ。
よおおおく、物事を考えて書け。
これは メッセージ 18457 (kundaikun さん)への返信です.
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ソフトバンクは不正で優勝
投稿者: kiyoakl 投稿日時: 2010/09/29 00:55 投稿番号: [18460 / 18519]
どうせ審判でも買収したのだろ
スパイ行為もやっているのだろ
小久保なんか脱税だから
これは メッセージ 18459 (senkaku_islands さん)への返信です.
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香港の地図収集家 & 九州及琉球精撰図
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2010/09/28 23:08 投稿番号: [18459 / 18519]
これは メッセージ 18450 (senkaku_islands さん)への返信です.
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択捉島,国後島は韓国の沃沮Okhotsk領土だ
投稿者: kundaikun 投稿日時: 2010/09/28 18:16 投稿番号: [18458 / 18519]
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/18458.html
尖閣列島,釣魚島は韓国の領土で百済島だ
投稿者: kundaikun 投稿日時: 2010/09/28 18:00 投稿番号: [18457 / 18519]
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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Re: 倭国犬恥をかいたな ! *^^*
投稿者: kokinguto 投稿日時: 2010/09/27 18:17 投稿番号: [18456 / 18519]
>>大韓民国の底力を今やっと実感するか ?
60年前から中国の傀儡の北朝鮮が朝鮮半島の半分を取った事は解かっている。
これは メッセージ 18454 (youjie1004 さん)への返信です.
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済州島を日本の領土と主張する韓国人がいる
投稿者: kiyoakl 投稿日時: 2010/09/27 18:08 投稿番号: [18455 / 18519]
済州島は日本の領土だったころがあったのか?
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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倭国犬恥をかいたな ! *^^*
投稿者: youjie1004 投稿日時: 2010/09/27 15:29 投稿番号: [18454 / 18519]
中国との領土紛争に無条件白旗投降
ウハハ〜ハハ
中国と数千年の間 , 幾多の戦争を通じて国家と民族を守って来た大韓民国の底力を今やっと実感するか ?
泣きながら君たちが好きなその所で解決しなさい !
" " 国際 司法 裁判所 " "
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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Re: その2
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/09/26 22:13 投稿番号: [18453 / 18519]
>しかし、アルゴノート=竹島、ダジュレー=松島という理解は、1877年当時の政府には無かった、と私は思います。
点線で竹島が記されていることは、政府の理解がアルゴノート=竹島でなかったという根拠にはなりません。これを根拠にしてもしょうがないでしょう。点線であっても、そこには竹島の文字が記されており、しかもそうした地図がほとんどであるということです。私はことごとくという言葉を使いましたが、おおむねそれからはずれるものではないと思っています。また『原由之大畧』を前提に古来よりの竹島・松島が念頭に置かれたことは私も同意していることです。しかし、これまた、アルゴノート=竹島の根拠にはなりません。そこにあるのは古来からの日本の認識のみであって、地理(位置)的認識はなんら正確に規定されていないものと思われます。
>ahirutousagi2様は、太政官判断を考える証左として、1881年内務省地理局発行の「大日本府県分轄図」を提示されました。そして私が、その解釈において「陰謀論なり、策略論なり」をでっちあげたように書いておられます。
以前に陰謀論っぽいことを書いていらっしゃらなかったでしょうか。それを思い出して書きました。的外れでしたら申し訳ありません。ただ、彩色の話はこれまたどうでもいいことです。関心もありません。私が注目しているのは、内務省地理局のこの地図でも竹島、松島がアルゴノート、ダジュレーの位置に書かれているということです。1881年にして、です。
>ahirutousagi2様は、「田辺とか渡辺とかの外務省の甲論乙駁は結構です」と云っておられますが、外務省の認識は「1877年前後のいわば混乱期の状況の中での整合性」をとらえるのに重要と思います。
もう田辺や渡辺の話は飽き飽きしていますので(原文ももちろん読んでいますよ。復刻版でですが)、もう結構ですと書きました。参考事項程度でいい、と以前に書いた通りです。それ以上に解釈すべきものでもないとも書きました。今でもそう思っています。
>三条実美の解釈とは、1883年3月の鬱陵島への渡航禁止令にある「日本称松島(分註:一名竹島)朝鮮称蔚陵島」の表現と思われますが、これは今まで竹島と呼ばれていた鬱陵島に単に松島の名も認めただけです。
何で認めたんでしょう。井上馨も同様です。天城の調査もそうです。この認識の原点にあるのは何でしょう。アラレさんの主張する1877年の太政官判断、竹島=ダジュレー=鬱陵島、松島=リアンクール岩という基準ではなさそうです。どこからこんな解釈が発生したのでしょう。私はその原点にあるのは太政官の外一島判断だと考えています。それが整合性というものでしょう。
私には衒学の趣味はありません。また、関係がないと思った部分について反論、反証を行うほどの暇もありません。私とのやり取りに関する限り、アラレさんはただ一点、太政官がダジュレー=竹島=鬱陵島、松島=リアンクール岩と判断したという根拠さえ示されればそれでよろしいのではないかと思います。それに妥当性があると思われれば私はいくらでも持論を変更します。意地でも自分の理解にこだわるほどに固陋な性格ではないつもりです。
しかし、出てくるのは、アルゴノートが点線であったというお話ばかりです。傍証も薄いものです。反証する必要性も今のところさほど感じません。具体的な地図を挙げるのも、take_8591さんの分で充分でしょう。私のほうで敷衍する必要性も感じません。
また、古来からの竹島・松島を版図外とすることと、太政官が竹島=ダジュレー=鬱陵島、松島=リアンクール岩と理解して放棄したということは、私は別問題だと考えます。このあたりは、政府の竹島認識の混乱期たる所以でしょう。
これは メッセージ 18452 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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Re: その1
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/09/26 22:06 投稿番号: [18452 / 18519]
アラレさん、生憎ですが、失礼ながら貴殿のご意見に感じられるのは単に衒学的な記述に過ぎず、それに伴う論点への説得力の不足を実感するばかりなのです。いつもお話があちこちに飛んでいらっしゃいます。
よほど熱心に調べられたのでしょう。それには敬意を表しますが、ただそれだけのことです。外一島の理解における根拠を何ら提示なさってはいらっしゃいません。そう、ただ一点、太政官がダジュレー=竹島=鬱陵島、松島=リアンクール岩と判断したという根拠さえお示しなさればいいのではないでしょうか。そのあたり、これだけいろいろ提示されつつ、結局は何も提示されていないように見受けられます。ご自身でお気づきにならないでしょうか。ですから、反証する必要も感じませんし、よく調べましたね、ご苦労様です、としか言いようがないのです。
示された根拠は地図でアルゴノートが点線であること、版図外は古来からの竹島・松島と考えられること、あとは傍証として田辺の論などがそれをうかがわせるという程度でしょうか。結局、普通に納得できるようなお話をうかがうことはできなかったように思われます。
>また、当時の地図の大部分は、アルゴノート=竹島を「現存せず(nicht vorhanden)」として描かないか、或いは、「位置不詳(position doubtful)」として点線で描いています(Nos. 18428, 18439)。
大部分が描かれていないか点線で書かれているというのはあたっていますが、参考までにペリーをはじめとする西洋の地図を含め「現存せず」と明記している地図の数(単に両島を描き落としているものは含めないでください)は大体どれくらいあるものか教えていただけないでしょうか。その数と、点線で描かれている地図の割合はどんなものでしょうか。
もしもここに一定の偏りがあるとすれば、アラレさんの主張のこの部分は、巧みなトリックが含まれているとすべきでしょう。文章で人を惑わせてはいけないということです。「現存せず」と「点線」を並列で記してよいかどうかは、私は疑問です。
ただ、繰り返しますが、政府の地理認識を考えるにおいて点線で描かれていることは大事なことではありません。大事なのは、当時の政府がどの島を竹島・松島に比定したと考えるのが合理的かつ整合的であるか、ということに過ぎません。結論は、私が主張していることに何の間違いもないと思っています。
地図で申し上げますと、アラレさんの主張する竹島=鬱陵島=ダジュレー、松島=リアンクールを描いている地図は、1872年版の陸軍参謀局の地図(未見;田村清三郎『島根県竹島の新研究』p.33によれば日本に近く松島を描いているとのこと。1875年版はアルゴノートの位置に竹島、ダジュレーの位置に松島あり)を除き、この混乱期にいくつあるのでしょうか。あるいは、そもそも存在するのでしょうか。
アラレさんは、take_8591さんのご提示の地図(18373)について「1-02を除く日本人作製の地図で、1-07, 11~15は竹島を点線で描き、1-09, 10は古来の竹島松島の認識で描かれています。アルゴノート島の実存性を示唆しているのは、「橋本玉蘭の大日本四神全図」だけではないでしょうか」(18439)とされています。私はtake_8591さんと視角を同じくしない部分もありますが、このアラレさんの指摘は的外れではないかと考えます。なぜなら、1−09, 10はともに、アルゴノート、ダジュレーの位置で竹島・松島が描かれていることがうかがえるからです。
島根県提出の地図をあげられるかもしれません。しかし、これまた、アルゴノート、ダジュレーでの位置認識を否定する根拠には何らなりえません。
これは メッセージ 18449 (ararenotomo1 さん)への返信です.
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がんばれ楽天ニダ
投稿者: kiyoakl 投稿日時: 2010/09/26 14:09 投稿番号: [18451 / 18519]
ロッテ見たいに無駄な抵抗しろニダ
これは メッセージ 18450 (senkaku_islands さん)への返信です.
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浦項市 & 田原総一朗 「日本支持」
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2010/09/26 13:48 投稿番号: [18450 / 18519]
これは メッセージ 18445 (senkaku_islands さん)への返信です.
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1905年までの明治政府の竹島松島認識
投稿者: ararenotomo1 投稿日時: 2010/09/24 23:15 投稿番号: [18449 / 18519]
ahirutousagi2様、ご意見ありがとうございます。私の考えに対する具体的な反証例の少ないことが残念です。
ahirutousagi2様は、「当時の政府の基本的な立脚点は、アルゴノート=竹島、ダジュレー=松島という理解に、何の違和感も感じられません。」と述べておられます。しかし、アルゴノート=竹島、ダジュレー=松島という理解は、1877年当時の政府には無かった、と私は思います。
アルゴノートやダジュレーという言葉は島根県と内務省が太政官に提出した資料にはありません。また、当時の地図の大部分は、アルゴノート=竹島を「現存せず(nicht vorhanden)」として描かないか、或いは、「位置不詳(position doubtful)」として点線で描いています(Nos. 18428, 18439)。
太政官の判断は「日本海内竹島外一島ヲ版圖外ト定ム」に明示されています。何度も書きましたが、竹島は、島根県が提出した『原由之大畧』にある「磯竹島一ニ竹島ト稱ス隠岐國ノ乾位一百二拾里許ニ在リ周囲凡十里許・・」から古来の竹島であり、外一島は、「次ニ一島アリ松島ト呼フ周囲三十町許竹島ト同一線路ニ在リ隠岐ヲ距ル八拾里許・・」から古来の松島である、と私は考えます(No.18332)。
ahirutousagi2様は、太政官判断を考える証左として、1881年内務省地理局発行の「大日本府県分轄図」を提示されました。そして私が、その解釈において「陰謀論なり、策略論なり」をでっちあげたように書いておられます。
これは、私がNo.18324で書いた“塚本明毅は、1873年の『Carte de l'empire du Japon』にMatsou I.とTake I.を描き(No.15816)、その説明書の『日本地誌提要』では「松島竹島」を隠岐国条に配し(No.15715)、『大日本府縣分轄圖』の「大日本全國略圖」で「松島竹島」を一度は隠岐や山陰道と同色に彩りました。従って、塚本は「松島竹島」を日本領とする意図がありました(No.15893)。(中略)ただし塚本明毅は、1882年以降の改訂版では、太政官の決定に従い「松島竹島」を日本の版図外にした(後略)(No.18250)。”を指していると思われます。しかし塚本が、1881年の地図で隠岐と同じ彩色をしたのは、日本人の古来の松島・竹島への渡航実績を守ろうとしただけです。
ahirutousagi2様はまた、アルゴノート=竹島、ダジュレー=松島としないのは、「三条実美の解釈にも、「大日本府県分轄図」にも、何とも整合性がとれない解釈であると思います。」と述べられました。三条実美の解釈とは、1883年3月の鬱陵島への渡航禁止令にある「日本称松島(分註:一名竹島)朝鮮称蔚陵島」の表現と思われますが、これは今まで竹島と呼ばれていた鬱陵島に単に松島の名も認めただけです(No.18428)。外務卿井上馨は1881年に鬱陵島を「竹島一名松嶋ト称スル孤島ハ朝鮮国之属島ニシテ、江原・慶尚二道ニ界シ、蔚陵島ト称スルモノ」と認識していました(池内敏:近世から近代における竹島(鬱陵島)認識について.小林昌二監修『日本海域歴史大系』4巻, 清文堂出版, 2005)。アルゴノートやダジュレーの認識は全くありません。これは、慶応3年3月竹島開拓を計画していた坂本龍馬に、竹島の情報を伝えた井上にとっては当然のことでしょう(No.15679)。
ahirutousagi2様は、「田辺とか渡辺とかの外務省の甲論乙駁は結構です」と云っておられますが、外務省の認識は「1877年前後のいわば混乱期の状況の中での整合性」をとらえるのに重要と思います。
外務省では、1876〜1878年に松島開拓願が相次いで出され、松島についての議論がありました。極めて優秀な官僚渡邉洪基は、「竹嶋洋名アルゴナウト嶋ナル者ハ全ク烏有ノ者ニシテ其松島デラセ嶋ナル者ハ本來ノ竹嶋即チ蔚陵島ニシテ我松嶋ナル者ハ洋名ホルネットロックスナルカ如シ」と認識していましたが、欧米の地図に、松島竹島を日本領とするものがあることを知り、この地域の詳しい調査の必要性を強調しました(No.18247)。
一方、幕府の外国方であった田邉太一は、開拓願の松島が鬱陵島であることを確信していたので、「本来の松島」について「松島ハ我邦人ノ命ゼル名ニシテ其実ハ朝鮮蔚陵島ニ属スル于山ナリ」と簡潔且的確に纏めました。我邦人は鬱陵島東北沖約2kmの竹嶼を松島と名付けたことはありませんから、于山は竹嶼でないことも明らかです(No.14932)。
1905年まで多くの政府機関は、鬱陵島を松島と命名した海軍省を除き、「竹島外一島本邦関係無之」の竹島は鬱陵島、外一島は「本来の松島」と認識しており、日本領とした例を私は知りません。
これは メッセージ 18440 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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ソフトバンク応援はテロ行為
投稿者: kiyoakl 投稿日時: 2010/09/23 22:51 投稿番号: [18448 / 18519]
脱税犯が主力の球団など応援するな
これは メッセージ 18445 (senkaku_islands さん)への返信です.
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Re: 祝CS進出 & 竹島最東端
投稿者: kiyoakl 投稿日時: 2010/09/23 22:42 投稿番号: [18447 / 18519]
命がほしければホークスを応援するなニダ
今日は気分が悪いニダ
これは メッセージ 18445 (senkaku_islands さん)への返信です.
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◆小沢先生に尖閣問題の平和解決をお願い!
投稿者: ket_chup66 投稿日時: 2010/09/23 22:18 投稿番号: [18446 / 18519]
しましょうね!!
中国政府は19日、尖閣諸島(中国名・釣魚島)付近で起きた日本の巡視船と中国漁船の衝突事件で
日本が漁船船長の拘置を延長したことを受けて、日中間の閣僚など高官レベルの往来を停止した。
この結果、両国関係はこの5年間で最悪の事態となってしまった。
中国政府は、日本の出方次第では「強い対抗措置」を講じると述べており、今週、中国全土で激しい
抗議運動が展開される恐れがあり、両国間の通商関係にも大きな打撃となりかねない情勢です。
国民は菅内閣に対し、重要な隣国である中国ともっと仲良くやって欲しいと考える。
中国は高成長を続けており、21世紀半ばには米国を凌駕する超大国になる国です。
この21世紀の超大国中国がさらなる「強い対抗措置」を発動してきた場合、
ただでさえデフレ不況に苦しむ日本経済は壊滅的な打撃を受けることは火を見るよりも明らかですね。
さらに中国側の尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権ついての主張は、1970年代、井上清京大教授
の著書中で、「尖閣列島は中国領である」と明確に論証されており、また米国の有力紙NYタイムズの
電子版でピュリツァー賞を受賞しているクリストフ記者も「私の感覚では、中国に分があるようだ」
と明言した。
その点、前原外相の言動は過ぎたるは及ばざるが如しで、国際世論の反発を得る事は必至です。
この様な状況の中、日本の国益を考えるならば、沖縄の領有権は日本にある事を中国に納得して
貰う代わりに、経済メリットがそれほど期待できない尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権は放棄し
中国の要求に沿う形で決着させれば日中双方にとってメリットが大きいと思われます。
そうすれば中国との関係はさらに緊密になり、最終的には日本の国益に沿うものと思われる。
そのためには先ず小沢先生を「悪党小沢」呼ばわりし、「友愛の海」と呼ばれている尖閣列島近海を
「騒乱の海」に変えようとしている前原外相を即刻更迭すべきです。
その上で、胡錦濤さんのとの太いパイプを持つ、小沢先生を三顧の礼をもって外務大臣兼副首相に
迎え、その人脈を有効に使って貰い、中国との関係改善に努めることが「友愛の海」を取り戻す
ことが出来る唯一の方法だと思います。
要するに政府は「小異を捨て大同につく」姿勢を示し、日本の国益を損なわない様、努力すべきである。
これは メッセージ 18445 (senkaku_islands さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/18446.html
祝CS進出 & 竹島最東端
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2010/09/23 22:12 投稿番号: [18445 / 18519]
これは メッセージ 18443 (senkaku_islands さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/18445.html
今更ですが
投稿者: kokinguto 投稿日時: 2010/09/23 14:26 投稿番号: [18444 / 18519]
これは メッセージ 18443 (senkaku_islands さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/18444.html
A子さんへ & 竹島最北端
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2010/09/20 19:49 投稿番号: [18443 / 18519]
これは メッセージ 18438 (senkaku_islands さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/18443.html
Re: 太政官その2
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/09/18 21:49 投稿番号: [18441 / 18519]
>ただし、海軍省は、1876年12月ロシア海軍の海図を翻訳した『朝鮮東海岸圖』を出版し、鬱陵島を松島とし、隠岐よりにヲリウツ礁・メ子ライ礁、朝鮮よりに点線でアルゴナフタ島を描きました(Nos.17667, 17668)。そして、軍艦天城は、1878年と1880年松島を調査し、1883年7月刊行の『水路雑誌』第41号に、「鬱陵島(一名松嶋)」として詳しく記載し、公的に鬱陵島を松島と認定しました。そこで日本政府は、「日本称松島一名竹島朝鮮称蔚陵島」等と鬱陵島に松島の名も許しました。
その通りの理解でよろしいのですが、なぜ、余計な解釈をされようとするのかよく分かりません。それは以下のくだりです。
>しかし決して、古来の竹島=鬱陵島を否定した訳ではありません(No.18248)。『原由之大畧』にある「磯竹島一ニ竹島ト稱ス隠岐國ノ乾位一百二拾里許ニ在リ周囲凡十里許山峻嶮ニシテ平地少シ・・魚貝ハ枚挙ニ暇アラス就中海鹿鮑ヲ物産ノ最トス・・」や「次ニ一島アリ松島ト呼フ周囲三十町許竹島ト同一線路ニ在リ隠岐ヲ距ル八拾里許樹竹稀ナリ亦魚獸ヲ産ス」を消し去ることは出来ません。
この時期の明治政府・太政官は竹島=鬱陵島=ダジュレー島、松島=リアンクール岩という知識を有していたのですか?
私は古来よりの竹島・松島を、意図的にであれどうであれ、位置を不明確にしたまま太政官は版図外とした(結局は鬱陵島までの位置を版図外とした)と考えていますが、アラレさんが仰るように太政官に上記のような認識が明確にあったとする根拠があるのであれば、私も考え方を変えないといけません。田辺とか渡辺とかの外務省の甲論乙駁は結構ですので、太政官が正確に上記のように理解していたという根拠を教えていただければ有難いです。
何度かお聞きしていますが、古来の竹島・松島を放棄したということ以外、いまだに出てきませんので。また、それは私も何年も前からそう考えていることでもあるとすでに申し上げました。
>しかし次第に、本来の松島の名が復活してきました。1901年の恒屋盛服『朝鮮開化史』は于山島に「日本人ハ松島ト名ク」と注記し(No.15525)、1902年の釜山領事館報告『韓國欝陵島事情』には、「本島ノ正東約五十海里ニ三小島アリ之ヲリャンコ島ト云ヒ本邦人ハ松島ト稱ス」とあります。これら「前後の資料の整合性」からの「答え」は、日本政府が竹島=鬱陵島のみならず「本来の松島=リャンコ島」も版図外にしたことでしょう。
一部の資料のみをつなげて物語を作るべきではないと思います。1900年あたりの資料では于山島=松島という理解が日本では一般的だったという話でしょうか。それはフィクションというものでしょう。釜山領事館報告は原文を見ておりませんので何とも言えませんが、この時期においては赤塚正輔の調査もあったことからもうかがえるように、鬱陵島の知見はさらに正確さを増しつつあったとも言えるかもしれません。しかし于山島=松島と釜山領事館が書いているわけでもなさそうです。ただ言えることは、19世紀後半期の地理的な混乱が収束する段階であり、その中で、無主地(主権が明確にされていない)であるリャンコ島について島根県への編入がなされたのではないでしょうか。
私は、元来(過去)、リャンコ島=松島と呼ばれたという知見がこの時期にありえたとしても、それがイコール于山島さらに朝鮮の地であったという認識が20世紀初頭の明治政府の認識であったとは考えません。
20世紀初頭の記録を持ってきて整合性を述べるのではなく、1877年前後のいわば混乱期の状況の中での整合性をとらえて太政官判断を考えるべきであり、その場合、リアンクール岩を太政官が松島と認めて放棄したという見方は、まず、考えにくいものとしなければならないものと思われます。アラレさんの整合性のとり方は、恣意的なものと言うべきではないでしょうか。
これは メッセージ 18440 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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Re: 太政官その1
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/09/18 21:16 投稿番号: [18440 / 18519]
>ahirutousagi2様は、1877年3月の太政官判断に影響した地図として、1867年の勝海舟「大日本国沿海略図」(アルゴノート・ダジュレーが竹島・松島)及び1875年の陸軍参謀局「朝鮮全図」(鬱陵島が二つに分かれて竹島・松島)を挙げられました(No.18320)。
ほかにもあげていますよ。そのあとで二つほどあげていますし、ウィキペディアの地図も参照していいでしょう。太政官判断に影響を与えるものではありませんが、その判断を考える証左として「大日本府県分轄図」も提示しました。アラレさんはいろいろ理由をとってつけていましたが、無意味なことだと思います。内務省地理局の発行であることに間違いはないからです。
その存在が不明確で点線が入っていようが、例外的な地図が存在しようが別にどうでもいいことだと私は思っています。問題は当時の太政官がいかなる情報を取り入れたかであり、それをどう整合的に理解するかがすべてであると思っています。
アラレさんは「ほら、ちがう地図もあるじゃないか。点線があるからそんな島はなかったとおもっていたはず」と仰っているように見受けられますが、それは、どう考えても三条実美の解釈にも、「大日本府県分轄図」にも、何とも整合性がとれない解釈であると思います。こじつければ、陰謀論なり、策略論なりでもでっちあげなければならないことでしょう。実際にアラレさんはそういう類の解釈もあったかに記憶しています。「大日本府県分轄図」の解釈において。
>当時既に、欧米の地図をよく知る人は、竹島=鬱陵島をダジュレー島=松島としたシーボルトの誤りは継承しましたが、アルゴノートは架空の島と認識しており、竹島をアルゴノートに比定しようとは思わなかったのではないでしょうか?
よく知る人がどう考えたにせよ、当時の政府の基本的な立脚点は、アルゴノート=竹島、ダジュレー=松島という理解に、何の違和感も感じられません。官製の地図のほとんどがそうなのですから。点線であろうと、一部、違ったものがあろうと。架空の可能性の理解云々や特定の地図のありようを取り出しても無意味でしょう。時代状況として、複数の見方がありえた状況であり、その中から政府の立場は最大公約数的に理解すべき、つまりその後の天城の調査や三条実美の記述まで含めて、理解すべきだと申し上げています。
アラレさんの上記のご主張はきわめて主観的なものであり、想像以外にそれを裏付ける根拠はほぼないのではないでしょうか。それを説明するために特定の地図や点線を挙げてもしかたないということです。百歩譲ってアラレさんの想像があたっていたとしても、天城や三条実美の規定から、太政官が示した松島の位置は明確に記されているとすべきだと思われます。
>さらにahirutousagi2様は、江戸時代に広く普及していた長久保赤水系の地図や伊能忠敬の地図を無視されているようです。新政府は、明治最初期には、幕府と同様に、竹島・松島を日本領とは考えていませんでした。
ここから以下は、何を仰りたいのか、失礼ながらよく分かりませんでした。私はもともと、島根県への編入以前は、江戸時代まで含めて竹島・松島は無主地としての理解をしているものですので。
以下、続きます。
これは メッセージ 18428 (ararenotomo1 さん)への返信です.
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太政官は古来の竹島松島と認識していた
投稿者: ararenotomo1 投稿日時: 2010/09/15 22:15 投稿番号: [18439 / 18519]
take_8591様、ご意見を有難うございます。まだ少し誤解があるようです。
take_8591様は、“私は、No.18373において「1-01」〜「1-15」の地図を掲げ、明治政府が「松島=ダジュレー島」認識を有していたことを示唆する状況を示しました。対して、ararenotomo1さんは「明治政府は鬱陵島に松島の名も認めました(18429)」と主張されますが、これは松島がダジュレー島であるかリャンコ島であるかを特定できない状態で、「竹島外一島」を版図外としたという主張なのでしょうか。”とお尋ねになったので、先ずお答え致します。
私は“明治政府が「松島=ダジュレー島」認識を有していた”とは思いません。しかし、一部の政府機関、例えば陸海軍や文部省の一部では、シーボルトの間違いに基づく、松島を鬱陵島に比定する地図も作られました。ただし、明治政府の公式見解は1877年の太政官指令「日本海内竹島外一島ヲ版図外ト定ム」で決まった、と私は考えております。No.18332で書いたように、島根県提出資料『原由之大畧』の記述から、「竹島外一島」の竹島は鬱陵島であり、また外一島を、私は松島と特定しました。それは、『隠州視聴合紀』以来、日本人が知っていた「古来の松島」です。島根県提出資料に「松島=ダジュレー島を示唆するものは何もありません」(No.18362)。
>前島密が「松島=ダジュレー島」を否定する言説を残していないことが、明治政府内の「松島=ダジュレー島」認識を示唆するものと言えます。
前島密が太政官に上申した『日本海内竹島外一島地籍編纂方伺』には、「竹島外一島之儀本邦関係無之儀」の文言があります。前述のように、竹島は鬱陵島、外一島は「古来の松島」ですから、前島密は「松島=ダジュレー島」を明確に否定しています。
>私が、No.18373で示した15枚の地図の内、「現存せず(nicht vorhanden)と記された」地図は『1856年アメリカ艦隊ペリー提督の地図』『1855年ハイネの地図』だけではないでしょうか。余の地図は、日本で作成された地図は、アルゴノート島の実存性を示唆しています。
1-02を除く日本人作製の地図で、1-07, 11~15は竹島を点線で描き、1-09, 10は古来の竹島松島の認識で描かれています。アルゴノート島の実存性を示唆しているのは、「橋本玉蘭の大日本四神全図」だけではないでしょうか。
>『磯竹島事略』に、「與地勝覧に謂う于山と欝陵は1島である」旨を記しています。この概念を有していた田辺太一は、『第十四号附け札』で「松島は朝鮮の鬱陵島にして我版図中ならず」と述べ、『第二十三号』で「松島は我邦人の命せる名にして、其実は朝鮮蔚陵島に属する于山なり」と記しています。この事実から、田辺太一は、欝陵・鬱陵・蔚陵・于山を1島と認識していたことが解ります。
確かに、『磯竹島事略』は『輿地勝覽』の「一説于山欝陵本一島」だけを取り出して引用しています。しかし、漢籍に詳しい田辺太一は『輿地勝覽』の「于山島欝陵島一云武陵一云羽陵(分註:二島在縣正東海中・・)」を知っていたと思います(Nos.14932, 18247, 18431)。もし、田辺が欝陵・鬱陵・蔚陵・于山を一島と認識していたならば、「蔚陵島に属する于山なり」は「蔚陵島に属する蔚陵島なり」となってしまいます。
>本スレで問題にしているのは、「明治10年の松島」であり、「元禄期の松島」ではありませんし、明治14年以降に存した「古来の竹島と松島」でもありません。
take_8591様は、「明治10年の松島」を「ダジュレー島」として、「元禄期の松島」とは異なると考えておられるようです。しかし私は、「明治10年の松島」を太政官指令の外一島である「古来の松島」として、「元禄期の松島」と同一のものと考えます。太政官指令が根拠の一つにした『原由之大畧』は、松島を「次ニ一島アリ松島ト呼フ周囲三十町許竹島ト同一線路ニ在リ」と書いていますが、「元禄期の松島」を記した『磯竹島覺書』も、「松嶋両國江附属之嶋ニ而ハ無御座候竹嶋江渡海之筋ニ在之嶋ニ而御座候」即ち、竹島への渡海の筋としています。明治14年以降に存した「古来の竹島と松島」の意味はよく分かりませんが、「古来の竹島」は鬱陵島、「古来の松島」は現竹島、と私は認識しています。
これは メッセージ 18433 (take_8591 さん)への返信です.
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