竹島

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Re: 太政官その1

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/09/18 21:16 投稿番号: [18440 / 18519]
>ahirutousagi2様は、1877年3月の太政官判断に影響した地図として、1867年の勝海舟「大日本国沿海略図」(アルゴノート・ダジュレーが竹島・松島)及び1875年の陸軍参謀局「朝鮮全図」(鬱陵島が二つに分かれて竹島・松島)を挙げられました(No.18320)。

ほかにもあげていますよ。そのあとで二つほどあげていますし、ウィキペディアの地図も参照していいでしょう。太政官判断に影響を与えるものではありませんが、その判断を考える証左として「大日本府県分轄図」も提示しました。アラレさんはいろいろ理由をとってつけていましたが、無意味なことだと思います。内務省地理局の発行であることに間違いはないからです。

その存在が不明確で点線が入っていようが、例外的な地図が存在しようが別にどうでもいいことだと私は思っています。問題は当時の太政官がいかなる情報を取り入れたかであり、それをどう整合的に理解するかがすべてであると思っています。

アラレさんは「ほら、ちがう地図もあるじゃないか。点線があるからそんな島はなかったとおもっていたはず」と仰っているように見受けられますが、それは、どう考えても三条実美の解釈にも、「大日本府県分轄図」にも、何とも整合性がとれない解釈であると思います。こじつければ、陰謀論なり、策略論なりでもでっちあげなければならないことでしょう。実際にアラレさんはそういう類の解釈もあったかに記憶しています。「大日本府県分轄図」の解釈において。

>当時既に、欧米の地図をよく知る人は、竹島=鬱陵島をダジュレー島=松島としたシーボルトの誤りは継承しましたが、アルゴノートは架空の島と認識しており、竹島をアルゴノートに比定しようとは思わなかったのではないでしょうか?

よく知る人がどう考えたにせよ、当時の政府の基本的な立脚点は、アルゴノート=竹島、ダジュレー=松島という理解に、何の違和感も感じられません。官製の地図のほとんどがそうなのですから。点線であろうと、一部、違ったものがあろうと。架空の可能性の理解云々や特定の地図のありようを取り出しても無意味でしょう。時代状況として、複数の見方がありえた状況であり、その中から政府の立場は最大公約数的に理解すべき、つまりその後の天城の調査や三条実美の記述まで含めて、理解すべきだと申し上げています。

アラレさんの上記のご主張はきわめて主観的なものであり、想像以外にそれを裏付ける根拠はほぼないのではないでしょうか。それを説明するために特定の地図や点線を挙げてもしかたないということです。百歩譲ってアラレさんの想像があたっていたとしても、天城や三条実美の規定から、太政官が示した松島の位置は明確に記されているとすべきだと思われます。

>さらにahirutousagi2様は、江戸時代に広く普及していた長久保赤水系の地図や伊能忠敬の地図を無視されているようです。新政府は、明治最初期には、幕府と同様に、竹島・松島を日本領とは考えていませんでした。

ここから以下は、何を仰りたいのか、失礼ながらよく分かりませんでした。私はもともと、島根県への編入以前は、江戸時代まで含めて竹島・松島は無主地としての理解をしているものですので。

以下、続きます。
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