初心者のための日韓議論場
Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー
Re: >訳の分からないサイト
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/10/14 12:01 投稿番号: [3017 / 7270]
>日本から大量の武器を仕入れたといっても、この頃、日本も大変な時期で、そんな余裕はないし、日本刀の倭軍に至っては、眉唾ですね。
実際に日本から援軍を送るというのは、考えられません。
URL以前に、まずひっかかったのはここだったんですよ。
当時の日本はむしろ武器輸入国ですから。百歩譲って「在日の外国商館から購入」と読んであげても、武器商人たちからすれば、日本の諸藩と取引するほうが利益も莫大、支払いも滞りなく安全でしょうから。上海もしくは香港から購入、とでも書いてあればまだ信憑性はあったのですが。
「倭刀隊」については、どうせ西南戦争の「抜刀隊」のパクリ表現でしょう。朝鮮軍の装備する刀が、日本刀の影響を受けた(これはパクリとは思いませんが)「倭式刀」だったのは事実ですが。(李舜臣の佩刀もそうでした)
「日本軍」が援軍できるわけないですわな。長州征伐の直後で、幕府も諸藩も大変やっちゅーねん。
江戸初期でさえ、鄭成功の数度にわたる「乞師(援軍要請)」を断っておりますし。
>ホンキーさん指摘のように、フランスとの和解の仲介を依頼され、徳川幕府にもその気があったことは考えられますが。
フランスと幕府の関係を考えれば、ありえない話ではないでしょう。
フランスとしては、清に仲介を頼めば話は早いのかもしれませんが、以後のことを考えれば高くつきますし(当時、フランスは清が宗主国である越南にちょっかいをかけてますから)。
>でも朝鮮軍の戦いの模様については、この程度だろうと思います。
つまり、「撃退」ではなく、仏軍はフランス宣教師殺害の賠償金をとり、米軍はシャーマン号事件の賠償金を求め、さらに通商開港を戦略とする仏・米軍は、戦略目的を達しえないとみて撤退したということですね。
結局そういうところでしょうね。
いちおう、韓国の教科書ではどう書いているかを調べておきます。
これは メッセージ 3016 (trip_in_the_night さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/bdibf4bcta4na4bfa4aa4nffc4z5doc0bel_1/3017.html
Re: >訳の分からないサイト
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/10/14 11:37 投稿番号: [3016 / 7270]
>少し前に、韓カテで必死に活動していた「ggg
nihon」が貼り付けていたサイトですよ。(最近もHNを「nihonなんとか」に変えてやってましたが)
>表現については12割引くらい、ネタ元の事実についても、かなり割り引いて見る必要があると思います。
はははっ、やはり。
日本から大量の武器を仕入れたといっても、この頃、日本も大変な時期で、そんな余裕はないし、日本刀の倭軍に至っては、眉唾ですね。
実際に日本から援軍を送るというのは、考えられません。
ホンキーさん指摘のように、フランスとの和解の仲介を依頼され、徳川幕府にもその気があったことは考えられますが。
でも朝鮮軍の戦いの模様については、この程度だろうと思います。
つまり、「撃退」ではなく、仏軍はフランス宣教師殺害の賠償金をとり、米軍はシャーマン号事件の賠償金を求め、さらに通商開港を戦略とする仏・米軍は、戦略目的を達しえないとみて撤退したということですね。
その後、朝鮮の武威が弱まったのは、以下の事情によると思われます。
http://www.dict-keyword.com/93/44118.html>>大院君はこれらの成功をもって、さらに攘夷政策を強化するが、1866年になると王宮に入った閔妃の一族や大臣達が大院君の下野運動を始める。1873年 、閔妃一派による宮内クーデターが成功し、高宗の親政が宣言され、大院君は追放される。一方で政治体制は閔妃の一族である閔氏が政治の要職をしめる勢道政治へと逆戻りしていった。これ以後大院君は政治復帰のためあらゆる運動を行う事になり朝廷の混乱の原因の一つになった。
>>閔氏一族は、大院君の攘夷政策から一転し開国政策に切り替える。1875年 には日本軍が開国を求めて江華島に侵入してきた。開国派が主流をなした閔氏政権は、1876年に日朝修好条規 (江華島条約)を締結する。それに引き続いて、アメリカ、フランス、ロシアなどとも通商条約を結ぶ事になる。
これは メッセージ 3014 (toapanlang さん)への返信です.
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Re: 朝鮮軍と仏軍・米軍の戦い
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/10/14 11:35 投稿番号: [3015 / 7270]
たしかに、朝鮮に対して、幕末の藩士はのちの征韓論のような強硬論が多いですね。
でも、これは1861年に対馬藩がロシアの軍艦の不法占拠を受け、ようやく退去させた対馬事件の影響から、
山田方谷の言は、対馬藩の経済救済の視点から述べたように思います。
同じ年、勝海舟の言葉は至って常識です。
>>日本の備前松山藩主板倉勝静の側近山田方谷の言葉。
「対馬藩の困窮は、朝鮮貿易の衰退と、朝鮮からの対馬への、綿布や米の供給が遅れているからである。
約束を果たさない朝鮮を攻め、征服するために、対馬藩主が先頭に立って、長州など諸藩と立ちあたるべきである」
>>1863年(文久3・哲宗14・同治2)
4月27日、日本の勝海舟の『幕末日記』より、桂小五郎(後の木戸孝允)に述べた「三国同盟論」。
>>「今朝、桂小五郎、対馬藩大島友之允、同道にて来たる。
朝鮮の議を論ず。我が策は、当今亜細亜州中、欧羅巴人に抵抗する者無し。これみな規模狭少、彼が遠大の策に及ばざるがゆえなり。
今我が邦より船艦を出だし、弘く亜細亜各国の主に説き、横縦連合、共に海軍を盛大し、有無を通じ、学術を研究せずんば、彼が蹂躙を遁べからず。
先ず最初、隣国朝鮮よりこれを説き、後日支那に及ばんとす。同人悉く同意」
>>要訳は「アジア諸国の中で、欧米列強に対抗できる国は無い。これは、国力が欧米列強に比べて、劣っているからである。
そこで日本は、広くアジア各国に呼びかけて、ともに貿易を起こし、ともに軍事力を高めることが必要である。そうすれば、欧米列強の侵略を防ぐことができるであろう」
これは メッセージ 3013 (honkytonk_2002_x さん)への返信です.
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>訳の分からないサイト
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/10/14 09:01 投稿番号: [3014 / 7270]
見覚えのあるURLです。
少し前に、韓カテで必死に活動していた「ggg
nihon」が貼り付けていたサイトですよ。(最近もHNを「nihonなんとか」に変えてやってましたが)
表現については12割引くらい、ネタ元の事実についても、かなり割り引いて見る必要があると思います。
これは メッセージ 3009 (trip_in_the_night さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/bdibf4bcta4na4bfa4aa4nffc4z5doc0bel_1/3014.html
Re: 朝鮮軍と仏軍・米軍の戦い
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/10/14 02:49 投稿番号: [3013 / 7270]
その部分が真実かどうかは別として、将軍慶喜は、朝廷に朝鮮救援(和睦の仲介)の勅許を奏請しています。
軍隊派遣までは考えていないものの、米国や仏国が朝鮮に「懲罰」に向かおうとする時、「まあまあまあ」と間に立つ事を考えていたようですが、幕府崩壊で、立ち消えたらしいのです。(渋沢栄一『徳川慶喜公伝』)
軍隊派遣(征韓論の萌芽)としては、老中板倉伊賀守勝静の家老で、備中松山藩の改革のスターである山田安五郎(方谷=ほうこく)は、藩主板倉に、「日本は朝鮮・満州に雄飛すべき」と献策しています。(同じく渋沢栄一『徳川慶喜公伝』)
もちろん山田の案は、幕府崩壊で実現していません。
これは メッセージ 3011 (usagigamemaimai さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/bdibf4bcta4na4bfa4aa4nffc4z5doc0bel_1/3013.html
>半村良
投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/10/14 02:44 投稿番号: [3012 / 7270]
主人公が広告業の小説だったような・・・
>軍国主義へ向う日本と抵抗する善良市民たち。
おぼろげですが、いくらなんでも単純過ぎるなぁと感じた記憶があります。
これは メッセージ 3010 (kuuboakagi00 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/bdibf4bcta4na4bfa4aa4nffc4z5doc0bel_1/3012.html
Re: 朝鮮軍と仏軍・米軍の戦い
投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/10/14 02:37 投稿番号: [3011 / 7270]
>以下、訳の分からないサイトですが。
史実をとりいれた小説のようですが、史実と創作をどう区別したものやら・・
>清はフランスの朝鮮への軍派遣を認めた
>日本より大量の武器を購入した
>日本刀を持った倭軍を編成するなどして
>徳川慶喜に援軍を求めた。
事実なら、幕末の日・朝・清関係の私のイメージがかなり変わります。
>侮って砲隊を同行させず、
事実なら、「李氏朝鮮の指揮の高さに驚いて清に帰還」して後にこれでは、よほどの無能者ですね。
>指揮の〜
「士気」が高かったのは何よりです。
これは メッセージ 3009 (trip_in_the_night さん)への返信です.
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「軍靴の響き」
投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2005/10/14 01:52 投稿番号: [3010 / 7270]
半村良。
1970年代初頭から眺めた1990年代。
インドネシアの石油利権を守るために自衛隊が出動。
軍国主義へ向う日本と抵抗する善良市民たち。
なんてことあるわけないだろう、この三文小説め、と思って当時読んだもの。
(かわぐちかいじがマンガ化したのはしらなかった)。
近未来小説は当たらないものと相場が決まっている。
オーウェルの「1984年」も結局当らなかった。
ある評論家が、1984年から共産主義批判を取ってしまえば、ただの三文小説といっていた。存在しそうにない軍国主義を批判する半村の小説は一文小説。
これは メッセージ 3007 (usagigamemaimai さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/bdibf4bcta4na4bfa4aa4nffc4z5doc0bel_1/3010.html
Re: おや、兎亀さん
投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/10/14 01:35 投稿番号: [3008 / 7270]
>実は、3000のキリ番踏んでおられるじゃないですか。
おお!ほんとだぁ!
♪♪(小躍り♪)
>おめでとうございます。
ありがとうございます。m(_
_)mm(_
_)m
では、乾杯など
(グラスは足りるかな・・)
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ヽj:j::j::j;j/
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これは メッセージ 3004 (toapanlang さん)への返信です.
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Re: 軍靴の第一歩
投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/10/14 01:19 投稿番号: [3007 / 7270]
>ニュース23にびっくり。
今後も「粘り強く取材」するようです。
「それから」のシリーズで今年2回目のようですね。
「扶桑社教科書問題」以外に複数回取り上げている問題がないのが少し引っ掛るです(笑)
http://www.tbs.co.jp/news23/onair/sorekara/index-j.html__________________________________
放送一覧
【それから】
2005.10.12
それから42日〜なお続く扶桑社歴史教科書攻防戦【NEW】
2005.08.24
それから1年10ヶ月
どうなった?初のマニフェスト
2005.07.13
歴史教科書問題のそれから
2005.06.14
ホリエモン騒動のそれから
2005.05.31
尼崎事故・それから36日・・・報道の過熱を考える
2005.03.22
河野義行さんの「疑惑」が晴れた日から10年
--------------------------------------------------------------------------------
【それから七十五日】
2005.03.02
反戦ビラ訴訟
2005.01.26
楽天イーグルス旗揚げから75日
2004.12.02
宅間守元死刑囚の消えない残像
2004.11.12
アテネの主役たちは今
2004.09.22
参院選の注目当選者、落選者は今
2004.08.25
出生率1.29ショック
2004.08.11
命の選別か夢の技術か?
2004.07.21
コンピューターウィルスの新たな脅威
2004.07.07
西宮冷蔵の再出発
2004.06.22
イラク日本人人質事件
2004.06.08
日の丸・君が代「徹底」の波紋
2004.05.26
北海道警“裏金”問題の出口は?
__________________________________
http://www.tbs.co.jp/news23/onair/sorekara/051012.html__________________________________
10月12日放送
教科書採択決定期間完了
それから42日
〜なお続く扶桑社歴史教科書攻防戦
従来の教科書は自虐的だ、と主張して4年前に登場し、大論争を巻き起こした扶桑社の『新しい歴史教科書』。この夏迎えた2回目の全国的な採択決定期間も終わり、来年度からの採択率は0.4%となった。
しかし、いくつかの焦点の地域では、「採択撤回を求める運動」や「不採択教科書の活用を図る教委」など、今も活発な動きが続いている
__________________________________
この時間帯は他局のニュース番組が面白いので「23」を観なくなって○年となってしまいました。
>「〜第一歩になるかもしれません」
劣化ウランの放射線と原爆の放射線を同一と思ってる人達の感覚ですから、そんなところじゃないですか。
(「膾を吹く」ようなことの垂れ流し報道は困ったものです)
これは メッセージ 3002 (mikenekonomanma さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/bdibf4bcta4na4bfa4aa4nffc4z5doc0bel_1/3007.html
舌足らずでした
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/10/14 00:53 投稿番号: [3006 / 7270]
そうだ。
ちくし氏は、「なぜそれが、『軍靴の第一歩』になるのか」を説明する義務があったんです。
時間が足りないなら、特集でも組んで、とことん反対派の論客とやりあえばいい。
あ、自分がやりこめられることなんかしないか。
前に、安倍氏が来た時も、とにかくわざと不適な笑みを浮かべて、勝っているかのような印象を視聴者に与えようとしていたきらいがあります。(あとで動画を見たら。)
汚ならしい。
これは メッセージ 3005 (honkytonk_2002_x さん)への返信です.
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Re: 軍靴の第一歩
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/10/14 00:50 投稿番号: [3005 / 7270]
そうですか。
ちくしのニュースを観なくなってから、はやン年。
むかしは、11時になるとあれだけ観ていたものですが。
>キャスター
「確かに直ちに軍国化しないかもしれませんが、第一歩になるかもしれません」
まあ、確かに「ウソではないだろう? 別に断言していないし」といわれれば、何も言えません。
しかし、いかにもちくし氏っぽい。
どうしても、「そっち」へと持っていかないと、気が済まないらしい。
>その後でやった靖国の石碑問題で韓国のディレクターが、
「だって日本の秀吉軍が負けた記念碑がA級戦犯を合祀している神社にある????
おかしいでしょ?」
前に別トピでも書きましたが、どうして返してもらうのに、そんな悪し様な言い方しか出来ないのだろう?
おかしいです。
これが日本なら、同じ状況ならば、「まあ何はともあれ、これが帰ってくるのはありがたい。とにもかくにも、毀損もされずに原形を留めているのは、ありがたいことだ」となりますよ。
どうしても日本を、勧善懲悪時代劇の、悪代官に仕立てないと、自分らのレゾンデートルと言いますか、存在意義がなくなるのかな。
そんな気がしてなりません。
気分が悪くなりました。
そのニュース、見なくて良かった。
これは メッセージ 3002 (mikenekonomanma さん)への返信です.
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おや、兎亀さん
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/10/14 00:49 投稿番号: [3004 / 7270]
実は、3000のキリ番踏んでおられるじゃないですか。おめでとうございます。
私もできる範囲で、トピの興隆にささやかながら貢献をしていきたいと思います。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/bdibf4bcta4na4bfa4aa4nffc4z5doc0bel_1/3004.html
「電網倉庫 閉鎖のお知らせ」(一時的?)
投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/10/14 00:36 投稿番号: [3003 / 7270]
朝鮮軍の資料探そうと数日ぶりにうかがいましたところ・・・ガ〜ンンン!orz
honto_gouさん長期出張の為「電網倉庫」の運用は10月20日頃までだそうです。
http://www.admin-man.net/index.php
honto_gouさん
出張準備でお忙しいと思いますが、季節の変わり目でもあり体調には充分ご注意ください。
「食欲の秋」ではありますが、ヘタっている時は食事でえらい目に会う事がありますです。(「出先」では特にご用心、ご用心)
これは メッセージ 1 (yusura_sdhk さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/bdibf4bcta4na4bfa4aa4nffc4z5doc0bel_1/3003.html
軍靴の第一歩
投稿者: mikenekonomanma 投稿日時: 2005/10/13 14:35 投稿番号: [3002 / 7270]
ニュース23にびっくり。
扶桑社の教科書問題で賛成派、反対派両論併記と
見せかけてさらっとこんなことを・・・
賛成派のコメントVTR
「この教科書を使うと直ちに軍国化すると考えるなんて馬鹿馬鹿しい」
キャスター
「確かに直ちに軍国化しないかもしれませんが、第一歩になるかもしれません」
(細部不正確)
その後でやった靖国の石碑問題で韓国のディレクターが、
「だって日本の秀吉軍が負けた記念碑がA級戦犯を合祀している神社にある????
おかしいでしょ?」
こういったものに正対する心って大事だと思うんですよ。
これは メッセージ 1 (yusura_sdhk さん)への返信です.
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>心理作戦
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/10/13 09:25 投稿番号: [3001 / 7270]
>双子六兵衛の様にに徹底的な「夜襲・奇襲作戦」やったとか・・
山本周五郎ですね。隙を見て「ひとごろしー」ならぬ「アイゴー」の大合唱。
実は「三国演義」にそれと似た作戦があります。
劉備対曹操、漢中の争奪戦で、有利な地形を占める曹操軍の戦術的撤退を促すため、孔明が、曹操軍陣地のそばの山中に兵を派遣し、毎晩、銅鑼や鐘、太鼓を打ち鳴らさせる。
曹操軍は「夜襲か!」と飛び起きるが、敵影がどこにもない。これを3日だったか4日だったか繰り返すと、疲労した曹操軍は撤退した、と。
>仏、米も戦略上の優先順位が高くない戦いならば、撤退を促す「心理作戦」で「撃退」した???とか(我ながら、苦しい理屈だ。ゼイゼイ)
防戦しながら、小刻みに短距離の撤退を繰り返し、兵站切れと士気の低下(見たこともない東洋の『僻地』ですから)を狙う手もあります。ただ、それには朝鮮軍が決して潰走しないことが条件ですが。(これは難しいかも)
>ここで、朝鮮側が欧米の近代兵器を(朝鮮政府が)脅威と感じるだけの被害を受けていれば、近代国家としての「独立が果たせたかも」しれませんね。
残念ながらそうはいかないでしょう。
「小中華」を誇り、武を軽視する彼らにとって、軍事上の敗北は深刻な「敗北」ではないのです。
たとえて言うなら、成績オール5の優等生が、体育がからっきしできなくても「頭脳優秀な俺にとっては、脳みそ筋肉連中と張り合うことに意味はない」というようなものでしょうか。
彼らが「敗北」を噛みしめるには「文化」で衝撃を受けない限り無理なのでした。
やや話がずれますが、清(後金)に敗北した時の対応が興味深いです。
最初の丁卯の胡乱で負けていながら、性懲りもなく、なおも明朝への義理立てを主張しました。そのくせ、その復讐にとって現実に必要な軍備の整備は何もしない。口先だけの「義理」「名分」論を叫んでホルホルしていたのです。
そのせいで、2回目の丙子の胡乱では、当然清軍に一蹴され(朝鮮軍の総司令官が「敵は冬の間には来ない」と信じ込んで、冬の間徴兵・閲兵をほったらかしたり、避難所である江華島の司令官が真っ先に逃げ出したり、と情けない話も多いです)、清を皇帝、朝鮮を臣とする屈辱的な和議を結ぶことになりました。
ここに至ってようやく「敗北」を深刻に受け止めたのです。軍事ではなく、文化上の屈辱を味わったことで。
国王は「北伐」を標榜して、火縄銃を装備した「鳥銃隊」を整備するなど、本気で軍備拡張に乗り出します。
ですが、現実は滑稽です。清の要求でその部隊はロシアとの紛争に借り出されたのでした。
これは メッセージ 2999 (usagigamemaimai さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/bdibf4bcta4na4bfa4aa4nffc4z5doc0bel_1/3001.html
Re: 問題の本質
投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/10/13 03:26 投稿番号: [3000 / 7270]
これは メッセージ 2998 (trip_in_the_night さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/bdibf4bcta4na4bfa4aa4nffc4z5doc0bel_1/3000.html
m(_ _)m
投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/10/13 02:50 投稿番号: [2999 / 7270]
toapanlang さん、資料をありがとうございます。
>肝腎の弓矢が粗雑に作られていて、どうしようもない。
>鉄鏃(鉄でできているヤジリ)なるものも、先の尖ったのがない。
・・・これじゃなあ。
夜襲での「脅し」になら「心理的効果」は有りそうですが。
しかし、弓矢も鏃も作る技術がなかったわけではないのに、やはり「何故だ?」の国ですね。
(↓本来は手先は器用なところのようです。「繊細さ」を追求し過ぎたかな・・)
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/060/resi020.html___________________________________________
〜略〜
細工物
細簾は朝鮮人の工の最も精妙なる物である。竹を糸のように細く削って製し、黒漆を塗って雷紋のようなものを画く。極めて佳致あるものである。
団扇(うちわ)は全羅道で製す。団扇の骨は細く何百筋も入れる。色は、紅、黄、青の三種がある。紅色のは光沢があり最も美しいものである。
〜後略
__________________________________
>李朝末期に現れ実学の大成者と言われる丁若𨉷〜
こういう人物が政争で失脚するとは、為政者に恵まれない国だなあ。
http://www.hm.h555.net/~hajinoue/jinbutu/chonyagyon.htm__________________________________
〜略
卓越した才講と人格で、人々から「やがて宰相になるであろう」とまで言われていた。しかし、この大学者は、権力者の不当な弾圧を受けて、流罪されてしまう。〜略
__________________________________
http://www.daito.ac.jp/~sinnap/right.html__________________________________〜略
03/12/01
〜(今月の写真)茶山草堂です。茶山は李朝後期実学派の巨頭・チョン・ヤギョン(1762〜1836年、漢字では丁若○(金+庸)と書く)の号。中央政界で失脚して康津に18年間流配された折、この草堂で学問に没頭しつつ弟子たちを指導したという。彼は腐敗した政治機構の全面的改革と地方行政の刷新、農民の土地所有均一化と労働力に依拠した収穫の公平な分配、奴婢制の廃止などを主張した。
__________________________________
>ほんとに、どうやって撃退したんでしょう?
双子六兵衛の様にに徹底的な「夜襲・奇襲作戦」やったとか・・
仏、米も戦略上の優先順位が高くない戦いならば、撤退を促す「心理作戦」で「撃退」した???とか(我ながら、苦しい理屈だ。ゼイゼイ)
ここで、朝鮮側が欧米の近代兵器を(朝鮮政府が)脅威と感じるだけの被害を受けていれば、近代国家としての「独立が果たせたかも」しれませんね。
これは メッセージ 2997 (toapanlang さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/bdibf4bcta4na4bfa4aa4nffc4z5doc0bel_1/2999.html
問題の本質
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/10/13 00:03 投稿番号: [2998 / 7270]
東亜さん、有難うございます。
東亜さんの提示された資料によって、李朝の武官が弓技を主とし、しかもいい加減だったことが分かります。
元々、朝鮮軍は、国内の治安維持用の軍隊でしょう。
外国軍を撃退できるほど強力な軍隊を持ち、またその気概があるとすれば、易々と清国の属国に甘んじる訳もないし。
そうした朝鮮軍を、宗主国の清が許すわけはありません。
しかし、これはあくまでも推論です。東亜さんの資料も傍証です。
問題は絞り込まれてきました。
兎亀さんの課題は、朝鮮軍と仏・米軍の戦いの実相を直接解明することです。(笑)
サイトを検索しても、韓国の自慢話(妄想話)以外、今のところ発見できません。
よろしくお願いします。兎亀さん。(笑)
これは メッセージ 2997 (toapanlang さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/bdibf4bcta4na4bfa4aa4nffc4z5doc0bel_1/2998.html
資料第2弾です
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/10/12 20:36 投稿番号: [2997 / 7270]
第1弾と同じ書物からです。
・・・・・・・
習うのは弓術だけ
こうした武蔑視の風潮が何百年もつづくとどうなるか。李朝末期に現れ実学の大成者と言われる丁若𨉷(一七六二〜一八三六年、号は茶山)は、その著「牧民心書」兵典のなかで「わが国の風潮は柔弱で武技を好まない。習うところといっては弓術だけだが、近ごろはそれさえ習うことがない。武を勧めることは、今日の急務である」と憂えている。それほど武は軽んじられていたのである。
彼によれば、習っているという唯一の弓術も、肝腎の弓矢が粗雑に作られていて、どうしようもない。「弦は細く膠だけ厚く塗っているので、初めは強いが、やがて弱くなる。冬強く夏弱く、晴天に強く雨天に弱い。射るたびに弓筈が外れ端がよじれて、一度射れば弓矯(弓を締め直すための道具)で元に戻し直すのが大変」というシロモノで、せいぜい射的の賭け事に使われるだけだという。「鉄鏃(鉄でできているヤジリ)なるものも、先の尖ったのがない。人を傷つけるのを恐れて作ったようで、肝腎の貫通能力がない。国中の矢が、ひっくるめてそんなものだ。もっとも官庫に所蔵しているもののなかには、尖ったのもあるが、それも万に一つで、もし敵に攻め込まれたら、徒手空拳で戦うより他はない」という有様だった。(田中明「物語 韓国人」文春新書)
・・・・・・・
ほんとに、どうやって撃退したんでしょう?
撃退と言うより、敵軍の撤退ってことだったのかな。トリップさんの言うように、江華島占領が関の山ですし、朝鮮軍殲滅が戦略目標でもなかったでしょうしね。
これは メッセージ 2996 (toapanlang さん)への返信です.
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usagigamemaimai さん
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/10/12 09:11 投稿番号: [2996 / 7270]
とりあえず援軍を送ります。
>弓矢といえば、武芸の中で両班のたしなみとされたのは弓だけだったとか(うる憶えです)
>ならば推論ですが、当時の朝鮮の防衛力は優秀な射手をそろえた部隊にあったのかもしれません。
武官の科挙では弓が主だったようですね。
「及第者を作るために武科を利用
ところで科挙の資料を見ていると、まず文科及第者に比べて武科及第者の数が圧倒的に多いことに気づく。李朝後期の二十一代英祖から正祖、純祖に至る百十年間の科挙及第者を調べ上げた宋俊浩氏によると、その間に行われた二百五回の科挙で、及第者は文科が三千九百五十名であるのに対し、武科は十倍以上の四万一千七百五十二名に上っている。軍の士官要員は一般官吏より多数必要だとしても、この差はあまりにも大きい。
この二百五回の科挙中、式年試は三十七回に過ぎず、あとはみな臨時試験である。当然、及第者の数も、臨時試験の場合が比較にならないくらい多い。文科も臨時の科挙で及第した者が、式年試及第者の倍以上に上っているが、武科に至っては七千対三万四千という桁違いの選抜数である。こういう数字を見ていると、朝鮮政府が合理的な武官の充員計画にもとづいて科挙を実施していたとは思われない。
もっとも武人になることを熱望する人間が、朝鮮社会に満ち溢れていたということであれば、それもよかろう。しかし「歴代崇文の弊」は高麗時代から積み重ねられており、国民が「柔弱で武技を好まな」かったのは、丁若𨉷が指摘しているように、厳然たる事実であった。だから武科の大量及第は、政府に確固たる国防幹部要員の充員計画がなく、受験者の多くに、たくましい武人になる意志などなかった状況の中での現象であった。要するに政府は、科挙志望生がいっぱいいる現実を消化するために、臨時の科挙を頻繁に実施して大いに及第者を作るという便法を採ったに過ぎない。彼らはそうした“数でこなす”方策を実施するのに、武科を利用したのである。武科を低くみていたことがよく分かる措置だ。
武科の試験は易しく設定されていた。丁若𨉷の時代だと「十技一講」といって、十種目の武技のうち幾つかと、四書五経、武経七書、経国大典などについての学科試験(講書)が一種目行われるだけだった。しかも、講書は初試にはなく、覆試でだけ課せられることになっており、それとても必ずというわけでもなかったようである。武技の方は弓技が主だった。弓矢の重さ、射程距離、騎乗の有無などで、鉄箭、柳葉箭、片箭、木箭、騎射、貫革といった種目があり、その他は槍や銃、鉄鞭の技を見るものであった。武科でも定期試験である式年試や新王即位の際に行われる増広試の場合は、文武両面にわたり試験科目も多かったが、実施頻度の高い臨時試験の方は、たいてい一科目か二科目の試験ですまされた。それなら文科にパスするのは無理な者も、武科なら及第できるだろうというわけである。」(田中明「物語 韓国人」文春新書)
丁若𨉷(1762〜1836
号は茶山)は李朝後期の儒臣です。朱子学にあきたらず実学を修めた有能な文臣でした。
夜にでも第二段をお送りします。
これは メッセージ 2995 (usagigamemaimai さん)への返信です.
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>調査を期待します。
投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/10/12 05:08 投稿番号: [2995 / 7270]
期待の重みが、ズッシリ・・(一気に重力が木星並に大きくなったような)orz
>『苦難の韓国民衆史』(咸錫憲著)
検索しました。まずはこちらから調べてみます。どうか気長にお待ちください。m(_
_)m
「原題『聖書的立場でみた朝鮮歴史』」(うまくリンクが貼れないので題名だけですみません)
(ありゃ、トップページに「内村鑑三語録」とは・・・もしかして「独立教会」の関係かしらん?)
まだ目を通してないのでなんともいえませんが、独立教会の関係だとするとかなり自己に厳しい視点があるかもしれませんね(ただの憶測です)
>四カ国連合軍の死傷は弓矢による者が多かったと英軍の記録にあります。
弓矢といえば、武芸の中で両班のたしなみとされたのは弓だけだったとか(うる憶えです)
ならば推論ですが、当時の朝鮮の防衛力は優秀な射手をそろえた部隊にあったのかもしれません。
ちなみに、オリンピックのアーチェリー団体戦では韓国は4連覇しているそうです。
>今、貴国兵を見るに軍人たるの能力なく〜如きを質入するものある由
なぜ、ここまで士気が無くなるのか(あるいは無くせるのか)が知りたいところなんですよ。
(これが「大陸中華」の「負の文化」とかいうものなのかな?)
これは メッセージ 2994 (trip_in_the_night さん)への返信です.
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Re: 韓国人たちの反日感情の起源
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/10/12 01:44 投稿番号: [2994 / 7270]
>>1866年3月に2度にわたって襲来したフランス艦隊は7隻の軍艦と1500人の陸戦隊であったが朝鮮軍は2度とも撃退している。また、1871年5月のアメリカ艦隊は5隻の軍艦(2400トン級、旗艦Colorado、Alaska、Beniciaなど)と選りすぐりの陸戦隊精鋭500人をもって砲撃しながら江華水路内に突入したのに対し、朝鮮側は243人の戦死者をだしながらも奇襲・夜襲を敢行し、結局は引き揚げさせている。
朝鮮国の防衛力は半端ではないのである。
>この「半端ではない防衛力」をどうして失っったのか、そちらではどのように説明されているのでしょう?
防衛力によって撃退したというより、どだい仏軍「1500人の陸戦隊」や米軍「選りすぐりの陸戦隊精鋭500人」では、いくら李氏朝鮮とはいえ、屈服させることはできないと思います。
江華島の砲台陣地を占領するのが精一杯ですね。
たとえば、幕末、四カ国艦隊の砲撃を受けた長州藩は、下関の砲台を破壊され、陸戦隊5000人余の上陸を許してしまいますが、結局、四カ国連合軍は内陸部(下関市街)への侵攻をあきらめました。
双方死傷者50〜60人に過ぎませんが、四カ国連合軍の死傷は弓矢による者が多かったと英軍の記録にあります。
浜辺に橋頭堡を築こうにも、やはり近接戦や夜襲を恐れて、その日に軍艦に引き上げています。
せいぜい頑張って、下関や長州藩の占領で、日本を屈服させることはできなかったでしょう。
朝鮮でも、仏米ともに賠償や通商交渉を頑なに拒絶する李朝に手を焼いて撤収したのが実態で、撃退というものではないでしょう。
①「丙寅洋擾」のフランスの攻撃について。
『苦難の韓国民衆史』(咸錫憲著)(31)ふたたび倒れる「疲れはてた民族」より抜粋。
「丙寅洋擾のときフランスが引き下がったのをフランスの国内事情のためとも知らず、わが方の勢力が強くて追い払ったと得々としていっそう固く門戸を閉ざした。」
②「辛未洋擾」のアメリカの攻撃について。
江華島を占領したアメリカ軍の記録。
「朝鮮兵士は、余りにも重く、部厚い軍服を着ていたので、行動の自由がきかず、いったん火が付くと消すことが出来ないので、海や川に投身した者が、百人にのぼった」
③1906年(明治39年)3月13日、『韓国施設改善に関する協議会』。
伊藤統監
「今、貴国兵を見るに軍人たるの能力なく、訓練亦疑する所あり。聞くが如くんば、兵卒中には、一朝有事の日に依て以て国家を守るべき、弾薬刀剣の如きを質入するものある由。」
兎亀さんの調査を期待します。
これは メッセージ 2992 (usagigamemaimai さん)への返信です.
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Re: 韓国人たちの反日感情の起源
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/10/11 01:44 投稿番号: [2993 / 7270]
横から失礼します。
>日本人も明治の初めの頃までは、朝鮮人に悪い感情は持っていなかったようです。
日本人は当時も現在も、朝鮮を誤解していますね。
それに比較し、李朝末期の朝鮮はやはり徹底的に反日です。
清国に対する事大主義は、骨の髄まで朝鮮を蝕んでいたように思います。
そして、現在の韓国も、この儒教的妄想の日本観が未だに継続している中世王朝と考えます。
自国の停滞を日本のセイにして恥じない気風は、現在も変わりません。
>>華夷秩序の礼律を基盤とする朝鮮文化からすれば、格下に対するそのような(侮蔑 愚弄の)態度は理の当然であった。
①1897年イザベラ・バード著、「朝鮮紀行」第一章
朝鮮の第一印象より抜粋。
「日本人居留地はこれ(投稿者注、清国人居留地)よりはるかに人口も多く、街も広くてもったいぶっている。領事館は公館としては充分に立派である。街には小さな商店のならぶ通りが何本かあるが、扱っている商品はおもに自国の人々の需要を満たすものである。というのも外国人はアー・ウォングとイータイをひいきにしており、三世紀にわたる[豊臣秀吉の朝鮮出兵以来の]憎悪をいだいている朝鮮人は日本人が大嫌いで、おもに清国人と取り引きしているからである。」
②呉善花著、「日帝」だけでは歴史は語れない」より抜粋。
李朝は日本の明治維新後に、朝鮮女性が日本人と性的交渉をもつことを国禁としている。もしその禁を破れば、本人は斬首刑に処せられ、所轄の地方官吏たちも責任を問われて罷免された。それは主として、釜山・草梁の倭館の日本人居留民たちを対象としてのものだった。日朝修好条規が結ばれた翌年の1877年(明治10)ころの李朝では、うち続いた凶作のために餓死者が出る状況のなか、貧農の女たちが夜になると、ひそかに釜山・草梁の倭館を訪れていた。食料を乞うため、日本人居留民を相手に春をひさいだのである。それに応じた日本人の多くは船員や商人たちだったが、その結果、数多くの女たちが逮捕され刑に処された。当時の日本の新聞がその様子を次のように伝えている。
『東莱、釜山、水営の三役所から各長官が出張して刑の執行を宣言する。女たちは荒縄で縛り上げられ、小さな白羽の矢で耳の穴が刺し貫かれている。そして木枕に頭を乗せて仰向けに寝かせられ、喉元に鉈(なた)のような刃物が当てられる。その上から槌を打ち下ろして首を切り落とすのである。一人の女は刑場へ引き出されると、静かに周囲を見渡し、「もはや餓死するしかなかった命を日本人のために四、五十日長らえることができました、今日からやっと、これまでの飢餓の苦しみから免れることができます」と言って涙を流したという』(郵便報知新聞明治10年10月2日より要約)
なぜ朝鮮女性が日本人と性的交渉をもつことが、斬首刑をもって酬いなくてはならないほどの大罪となるのか。それは日本人が侮蔑すべき倭賊であり、蛮夷だからである。そのような夷族によって我が臣民女性が汚されてはならない−−それがこの国禁の真意なのである。かつて問題となった「日本人売春ツアー(キーセン観光)」についても、現在の「従軍慰安婦」についても、その反感の質に「夷賊(日本人)による民族陵辱」という精神の次元が無意識に関与していることを否定できない。
追伸。李朝の防衛力については、興味があります。調査中です。
これは メッセージ 2992 (usagigamemaimai さん)への返信です.
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Re: 韓国人たちの反日感情の起源
投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/10/10 23:52 投稿番号: [2992 / 7270]
pyeongyang_kim さん、こんばんは。
>本来朝鮮人たちは日本人たちに特別な感情は全然持っていなかった
日本人も明治の初めの頃までは、朝鮮人に悪い感情は持っていなかったようです。
翻訳機を使って読むのは大変だとは思いますが、当時の明治政府と朝鮮政府とのやり取りや、
当時の出来事が詳しく書かれているサイトがありますのでご紹介します。
↓「明治開化期の日本と朝鮮(2)」
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/060/resi013.html__________________________________
対話と圧力
明治3年(1870)から公館に出仕していた森山茂理事官は、長年の朝鮮人外交官僚との紆余曲折の交渉を経て、どうやら朝鮮「人」そのものへの不信とまでなったようである。〜中略〜
しかしそれは、誠意・真心・信義などを尊ぶ日本の精神文化に基づく価値観との齟齬から出てきたものであり、華夷秩序の礼律を基盤とする朝鮮文化からすれば、格下に対するそのような(侮蔑 愚弄の)態度は理の当然であった。
「話せば分かる」という考え方が通じるのは、文化的価値観を共有する場合、あるいはその接点が明確にある時である。
明治6年の政府内における征韓の議論において、西郷隆盛が自分を特使として朝鮮に派遣するよう主張したが、「決死の覚悟を持って話し合いをする」という西郷の心構えは、日本人には理解できても当時の朝鮮官僚なら「倭奴の蛮勇」ぐらいにしか見なかっただろう。
外交の何たるかをいささか知る岩倉具視が、西郷の意見に反対したのは、話し合いが決裂すれば、決死の覚悟の西郷は朝鮮で憤死し、国民から人気がある西郷がそのような死に方をして、日本が何もせぬわけにはいかないということになるからであった。当然、朝鮮との戦争しか道は無い。朝鮮はそうすれば、必ず清に援軍を要請する。清は積極的に属国の内政外交にまで干渉しないことを建前としているが、要請を受ければ宗主国として軍を出さざるを得ない。つまり20年早い日清戦争、いや日清朝戦争である。当時の日本にそれができる国力があったろうか。〜後略
___________________________________
↑この中に次のようなことも書かれています。
>仏米の艦隊と朝鮮軍
「そもそも朝鮮が、軍艦の1隻や2隻でどうこうなるものではないことはすでに明らかであった。
なにしろ、1866年3月に2度にわたって襲来したフランス艦隊は7隻の軍艦と1500人の陸戦隊であったが朝鮮軍は2度とも撃退している。また、1871年5月のアメリカ艦隊は5隻の軍艦(2400トン級、旗艦Colorado、Alaska、Beniciaなど)と選りすぐりの陸戦隊精鋭500人をもって砲撃しながら江華水路内に突入したのに対し、朝鮮側は243人の戦死者をだしながらも奇襲・夜襲を敢行し、結局は引き揚げさせている。
朝鮮国の防衛力は半端ではないのである。もちろんそれに、宗主国である清国の軍事力も後ろに控えている。
日本は、平和的に解決するしかないのである。」
この「半端ではない防衛力」をどうして失っったのか、そちらではどのように説明されているのでしょう?
(この朝鮮国の当時の防衛力については私がこのカテの投稿を読んだ範囲では話題になっていた記憶がありません。)
↓「明治開化期の日本と朝鮮(3)」(途中に当時の日本の国民世論の記述があります)
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/060/resi014.html__________________________________
〜前略〜
すでに「征韓論」は終わったも同然の日本政府内部と違って、国民世論が朝鮮に対して最高に怒ったのはこの事件によってであった。まさに「征韓」の声が国中に満ち沸騰したのである。日本全国から「朝鮮討つべし」の建白が続々と政府に届けられた。
(絵画の画像)
上の絵は明治8年(1875)に出版されたものだが、かつての豊臣秀吉による「朝鮮出兵」での加藤清正の活躍を再現し、「皇威を海外に輝す」という当代的タイトルを付けている。もちろん明治8年当時の人々の朝鮮に対する憤懣を代弁し、また煽り立てているとも言える錦絵である。
このような絵画が出版されることを以ってしても、当時の日本国内の雰囲気を知ることが出来るのではなかろうか。〜後略
__________________________________
以上、文章の一部分の\xA5
これは メッセージ 2982 (pyeongyang_kim さん)への返信です.
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資料を少し追加・・・
投稿者: honto_gou 投稿日時: 2005/10/08 18:11 投稿番号: [2991 / 7270]
これは メッセージ 2990 (honto_gou さん)への返信です.
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反日感情についての素朴な疑問
投稿者: honto_gou 投稿日時: 2005/10/08 18:01 投稿番号: [2990 / 7270]
キムさんで宜しいのかな。はじめまして。ホント号と申します。
さて、反日感情の起源ということなのですが、韓国人の反日感情について素朴な疑問があります。
アジア史の中の秀吉と昭和の日本
http://ware.admin-man.net/2005/bunken/T800400141010084&CHOICEALL.htm>韓国の立場に立てば
>韓国では、四百年経っても秀吉は悪の張本人扱いである。
>ところが韓国は、中華人民共和国(中共)の侵略行為に対しては、あまり触れたがらない。一九五〇年(昭和二十五年)に起った朝鮮動乱の時には、国連軍十六ヶ国の支援も受けて韓国は僅か半年で北朝鮮を鴨緑江の近くまで追い詰めた。これで朝鮮半島は韓国路線で統一されるかに思われた。ところが中共軍が一挙に介入して三年間に及ぶ血みどろの戦争が続き、多くの犠牲者を出した。今から四十数年前の中共軍の韓国侵略に対しては抗議せず、四百年前の秀吉軍の出兵には、今も恨みを忘れない。これはどうしたことか。
それで朝鮮日報の記事にもありますが、
機嫌伺い外交が「傲慢な中国」にした
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/01/14/20050114000064.html>韓国政府は特に、中国の前では小くなる「小国外交」を展開している。外交当局者らは「中国は社会主義国家なので仕方ない」、「中国には何と言っても通じない」、「北朝鮮核問題があるのに、中国を刺激したらどうなるのか」、「中国と紛争が起きれば韓国の方が損だ」などの理由を挙げている。
>しかし、米国や日本などに対しては言いたいことを言うとしておきながら、国に対してだけでは「静かな外交」を行ってきた政策を、これからは切り替えなければならない時点に至ったと見られる。
日本は中国や韓国に対して特に遠慮しているけど、その他の国対しても似たようなものです。それが韓国の場合は、先の記事にあるように、日本と中国に対してはあきらかに違う。これは事大主義の名残だという話も聞きますが、本当のところはどうなのか。
強気を助け、弱気を挫くのが韓流であるというなら、日本人はよくよくこのことを認識しなければならないと思っています。何故なら、もしそうなら、韓国に文句を言わせないためには、日本が中国のように振舞う必要があるからです。
どうして韓国人は、酷いことをされても中国に対しては文句を言わないのか・・・個人的な意見で結構ですから、お聞かせ下さい。
これは メッセージ 2982 (pyeongyang_kim さん)への返信です.
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Re: 東亜さん
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/10/08 16:26 投稿番号: [2989 / 7270]
>心置きなく、存分に、仕置きして下さい。(笑)
了解しました。(笑)
とはいえ、翻訳機の問題もあるんで、表現方法を考慮したほうがいいのかな、とも思うんです。ややきつめの表現のほうが、妙なニュアンスを含まなくていいのかもしれません。
今までのところ、こちらで確認できる翻訳ミスは固有名詞についてのものが多いので、翻訳精度は悪くないとは思いますが、直訳の結果、日本語表現では無礼になる表現が散見されますね。
「少し失礼しました」「どうせ日本経済話からあなたたちはあまり賢くないということは悟ったからです」なんていうのは、そうではないか、と「好意的」にとらえておきます。
とはいえ、ここは日本の掲示板ですから向こうの事情ばかり慮っても仕方ないのですが・・・。
ま、宿題の催促も忘れずに、一個ずつやっていきます。
これは メッセージ 2987 (trip_in_the_night さん)への返信です.
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Re: 韓国人たちの反日感情の起源
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/10/08 15:54 投稿番号: [2988 / 7270]
最後が抜けてしまいました。
ああ、「クンナラ」のことですね。しかし、「クンナラ」の朝鮮語での意味を知っていた人がいたのでしょうか?
古代から「百済」を「ペクチェ」ではなく「クダラ」とよんだのは事実ですが、「クンナラ」イコール「大国」という理解があったのかは疑問です。根拠の提示を要求します。
質問と意見を出すのはいいことですが、あなたにも答えるべき質問・意見があることはお忘れなく。
こちらは答えているのですから、次はあなたが答える番ですよ。
これは メッセージ 2986 (toapanlang さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/bdibf4bcta4na4bfa4aa4nffc4z5doc0bel_1/2988.html
東亜さん
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/10/08 15:43 投稿番号: [2987 / 7270]
>一応、私も意見を提示しておきますので。
お待ちしておりました。(笑)
博学な東亜さんや他の皆さんが反論を書かれるだろうと思っておりましたが、このままpyeongyang_kimの投稿を長時間放置しておくのはまずいと思い、一応の反論を投稿しただけです。
心置きなく、存分に、仕置きして下さい。(笑)
これは メッセージ 2985 (toapanlang さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/bdibf4bcta4na4bfa4aa4nffc4z5doc0bel_1/2987.html
Re: 韓国人たちの反日感情の起源
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/10/08 15:17 投稿番号: [2986 / 7270]
>本来朝鮮人たちは日本人たちに特別な感情は全然持っていなかった.
>朝鮮初期中盤に入って行く頃まで日本を訪問した使臣たちの記録を読めば分かります.
1443年に日本に来た申叔舟は、京都の西芳寺の庭園を見て「冠を投げ佩を捐て、襟を開いて散歩すれば、清は以って煩を滌ぐべく、幽は以って慮を静すべし」(韓国語訳がうまく出るかわかりませんが)と激賞し、「老松堂日本行録」を書いた宋稀蓂は、一枚の水田で米と麦をつくるという利用法の先進性に驚いていますね。悪い感情や偏見はないようです。
>しかし壬辰の乱でプングシンスギルの侵略を受けて 7年間国土が染躪になって多くの人々が死んでけがをして日本で拉致されてその時から日本が嫌いになったようです.
'壬辰の乱' と言う戦争は朝鮮が完全に暗黒の時代に落ちる位国力に対して損失が莫大だった.
プングシンスギル「豊臣秀吉」ですね。
「壬辰倭乱」だけでなく「丁卯胡乱」「丙子胡乱」も国土の荒廃を招きましたね。
詳しくはトリップさんの投稿をご覧ください。なお、「壬辰倭乱」のときに朝鮮軍がおこなった「堅郷清野」作戦をご存知でしょうか?敵の進撃する地域の住民を強制批難させ、家屋は焼き払い、井戸を埋めて、敵の補給を断つ作戦です。中国史ではよくある戦法ですが、戦後復興のことを考えるとよくない作戦ですね。
>その次に日本を言及する時は '元首の国'と言う表現が登場している.
'ドックチォンがガング' 韓国に融化的な視覚を持っていて多様な努力をしてくれることで信じて朝鮮は愚かにもまた壬辰の乱終わってからちょっと経って日本と門を開いて通常をするようになる.
ドックチォンがガング「徳川家康」ですね。
朝鮮には日本と仲良くしなくてはならない事情がありました。
北方に女真族が興隆し、明や朝鮮をねらっていたからです。南北に敵を受けることは避けなければいけませんから。
国王の光海君は、感情を抑えて冷静に国際状況を判断して、日本と通交したのでしょう。
>そして過ぎ去った事を清算しようと虜送還を要求するが日本は口先だけ送還を約束して灰どおり履行しない. ここに朝鮮はもっと反日感情を堅固に持つようになる.
泗冥大師惟政はご存知でしょう?義僧軍を率いて「牡丹峰の戦い」「平壌城奪回」で活躍した僧です。彼は国書を携えて、徳川家康に会い、3500人の捕虜返還を成功させていますね。
また、帰ろうとしなかった人々がいますね。陶工など職人たちは朝鮮では下層民でしたから、帰るより、日本で「名人」と尊敬されていたほうがましだ、という人たちです。高麗時代の「禾尺」「才人」から続く差別構造はご存知ですよね。
>そしてそれが通信社訪問の時まで繋がれていますね.
思ったよりかなり古い感情ですね.
>二度の清算機会があったがそれさえ日本の消極的な対応のために
いかすことができなかったでしょう.
では日本は何をするべきだったのでしょう?あなたが言うように、「朝鮮は愚かにもまた壬辰の乱終わってからちょっと経って日本と門を開いて通常をするよう」になったのだったら、その時点で朝鮮側が通交をしなければよかったのではないですか。
それに、悪感情を持つのは仕方ないとしても、朝鮮通信使の見下しようはただごとではありませんね。
日本人に対して「人」を使わず「倭」といっていますね。群衆は「衆倭」、群衆整理の役人は「禁徒」でなく「禁倭」と書いています。
金仁謙の書いた『日東壮遊歌』にはこのようにありますね。
「惜しんで余りあることは、この豊かな金城湯池が、倭人の所有するところとなり、帝だ皇だと称し、子々孫々に伝えられていることである。この犬にも等しい輩を、皆ことごとく掃討し、四百里六十州を朝鮮の国土とし朝鮮王の徳をもって、礼節の国にしたいものだ」
李退渓は当然ご存知でしょうが、彼の修めた朱子学にある「尊王攘夷」がこのような差別思考をもたらしたのですよ。朝鮮イコール文明の輝く中華、日本イコール蕃夷、という図式を当てはめてね。
>そして面白い知識をもう一つ追加すれば壬辰の乱が勃発する前まで
日本人たちは朝鮮半島が日本列島よりもっと大きいと思いました.
その根拠はあるのでしょうか?
それで壬辰の乱を終わらせて朝鮮の面積が分かってからその信頼が正しくなかったと
アルデになったのです. その以前までは日本人たちの頭の中の朝鮮は 'クンナだと' であったことです.
ああ、「クンナラ」のことですね。しかし、「クンナラ」の朝鮮語での意味を知っていた人がいたのでしょうか?
古代から「百済」を「ペクチェ」ではなく「クダラ」とよんだのは事実ですが、「クンナラ」イコール「大国」という理解があ
これは メッセージ 2982 (pyeongyang_kim さん)への返信です.
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トリップさん
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/10/08 15:13 投稿番号: [2985 / 7270]
>量産型雑魚のpyeongyang_kimは、「軽視論」「女性」「現代」トピに出没しては、適当なことを書いて一切返答しない人でありますから、以下ROM専の人のために書いておきます。
一応、私も意見を提示しておきますので。
これは メッセージ 2984 (trip_in_the_night さん)への返信です.
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Re: 韓国人たちの反日感情の起源
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/10/08 15:06 投稿番号: [2984 / 7270]
量産型雑魚のpyeongyang_kimは、「軽視論」「女性」「現代」トピに出没しては、適当なことを書いて一切返答しない人でありますから、以下ROM専の人のために書いておきます。
秀吉の朝鮮出兵について、読みやすいサイトを紹介しておきます。
http://nikujiru.tripod.com/rekisi1.htm#karairi/index.htmlここからピックアップして、反論を書いておきましょう。
>しかし壬辰の乱でプングシンスギルの侵略を受けて 7年間国土が染躪になって多くの人々が死んでけがをして日本で拉致されてその時から日本が嫌いになったようです.
景福宮は加藤清正がソウルに入る二日前に焼け落ちた。
景福宮はその時代の前の王が農民や職人にただ働きをさせて作った。この人たちは60歳まで奴隷で自由がなかった。そういう状況があったので、秀吉軍が入ってきた時、奴隷たちが奴隷の名簿(戸籍)をまず襲撃した。地方も同じです。隷属民はまずそこを襲いました。これを焼き払うと自由になれるからです。身分からの解放です。
個人に属する奴隷の方がもっと厳しかった。牛一頭と同じ価値だった。6年に1回戸籍が作られ農民文書が作られた。人頭税のための文書ですが、牛馬の最後に奴隷の名前が書かれた。この人たちが自由を求めた。16世紀には身分の解放を求めて民乱が起こった。彼らがまず王宮を襲い、これに日本軍が乗じたのです。
李廷馥の『四留斎集』や李恒福の『白沙集』等には、その時の状況が記録されている。
朝鮮半島南東部
慶尚道は日本軍の侵入をもっとも早く受けた地域である。
『陝川、草渓、固城、普州などでは、賊(蜂起)が発生し、彼らは昼間から政府の倉庫を襲撃し、穀物を奪った。これは逃亡した兵卒が、盗賊となった』
政府はこのような慶尚道の動きを、『固城県令の金絢は赴任して7年になり、刑罰が大変過酷で人々の支持を失った。そこへ日本軍が侵入したので、反乱(蜂起)が四方に起こった』と、日ごろの悪政のためとしている。
朝鮮半島北部
咸鏡道の民衆蜂起は、他地方と異なりもっと積極的な目標をもっていた。日本軍の侵入が1592年6月に始まると、『(道内)各地の土兵・土豪は役人を捕らえて降る。日本兵は刀剣を使わず』に快進撃したとある。さらに、人々は日本軍の侵入前に、咸鏡道観察使(知事)柳永立・兵使(軍司令官)李渾さえも捕らえて一気に惨殺してしまう。
朝鮮の王である宣祖が「賊兵の数はどうか。半ば是我国の人と言うが、然るか」と尹斗壽に尋ねたように、日本軍には朝鮮の民衆が含まれていた。事実、平壌の役の際、明軍は「斬る所の首級半ば皆朝鮮の民、焚溺萬餘、尽く皆朝鮮の民」と、朝鮮側に真偽を確かめるほどその数が多かったのである。そして、この時も倭寇と同様、「仮倭」が登場し、その害は日本人よりも甚だしかったと趙靖の『黔澗集』は伝え、金誠一も「処処賊をなす者、倭奴幾ばくも無し。半ば是叛民。極めて寒心すべし」と「鶴峯集」で述べている。
>そして過ぎ去った事を清算しようと虜送還を要求するが日本は口先だけ送還を約束して灰どおり履行しない. ここに朝鮮はもっと反日感情を堅固に持つようになる.
1636年の朝鮮通信使が帰国の途中、通訳官康遇聖は捕虜となった同胞の刷還(調査して連れ帰る)に関する諭告(お触れ)をもって唐津に行ったが、帰国希望を申し出る者はなく、全員が腰を据えて製陶に励んでいたという。
朝鮮時代の製造の現場では、平素から奴隷的な労働が行われ、失策には罰則が規定されていたこととも無関ではない。『続大典』で「咨文の表紙麁造の匠人、初次杖八十、毎次一十を加え、杖一百に至りて止む」と規定しているのはその一例で、技術の未熟な匠人たちには体罰が加えられたのである。これでは逃亡する匠人が続出し、各官衙の匠人が不足がちになるのも当たり前である。
これは メッセージ 2982 (pyeongyang_kim さん)への返信です.
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>>現代大戦略2005
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/10/08 13:24 投稿番号: [2983 / 7270]
>そういえば、一月ほど前に話題にした日本軍対八路軍の「抗日ゲーム」はどうなったんでしょうか。すでに、リリースされたのでしょうか。まだリリースされたという記事は見当たらないようなんですが・・・
そうですね。ニュースはないですね。ひょっとしたら日本のマスコミが報道していないだけかもしれません。
>>私も初代から遊んでいます。
>おお、ならば、マシンは98ですね。私は、最初に買ったマシンが、VM2でした。懐かしいなぁ・・・
実は友達の家でのMSX版が先でした。家で最初に買ったのはエプソン286でしたね。
間接攻撃の概念が導入された「Ⅱ」以降は98版です。
>現実に実戦でどの程度通用するのか分かりませんが、武器体系とその運用の初歩的な理解にはいくらか役立ったかもしれませんね。
孫子の兵法が説く基本理論の理解には役立ちました。
これは メッセージ 2981 (honto_gou さん)への返信です.
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韓国人たちの反日感情の起源
投稿者: pyeongyang_kim 投稿日時: 2005/10/08 12:25 投稿番号: [2982 / 7270]
韓国人たちの反日感情の起源.
本来朝鮮人たちは日本人たちに特別な感情は全然持っていなかった.
朝鮮初期中盤に入って行く頃まで日本を訪問した使臣たちの記録を読めば分かります.
そのまま平凡な隣国とする考え以外にはなかったです.
そこによほどよくあった倭寇たちの侵入にもかかわらず日本ともうちょっと親しい関係のために通常の許容区域を確張してもうちょっと多い使臣を交換しようとする主張までも申し立てられていました.
しかし壬辰の乱でプングシンスギルの侵略を受けて 7年間国土が染躪になって多くの人々が死んでけがをして日本で拉致されてその時から日本が嫌いになったようです.
'壬辰の乱' と言う戦争は朝鮮が完全に暗黒の時代に落ちる位国力に対して損失が莫大だった.
その次に日本を言及する時は '元首の国'と言う表現が登場している.
'ドックチォンがガング' 韓国に融化的な視覚を持っていて多様な努力をしてくれることで信じて朝鮮は愚かにもまた壬辰の乱終わってからちょっと経って日本と門を開いて通常をするようになる.
そして過ぎ去った事を清算しようと虜送還を要求するが日本は口先だけ送還を約束して灰どおり履行しない. ここに朝鮮はもっと反日感情を堅固に持つようになる.
そしてそれが通信社訪問の時まで繋がれていますね.
思ったよりかなり古い感情ですね.
二度の清算機会があったがそれさえ日本の消極的な対応のために
いかすことができなかったでしょう.
だから韓日併合以前から反日の感情は強かったです.
壬辰の乱以前まではそのまま平凡な隣りの国と見ていましたよね.
そして面白い知識をもう一つ追加すれば壬辰の乱が勃発する前まで
日本人たちは朝鮮半島が日本列島よりもっと大きいと思いました.
それで壬辰の乱を終わらせて朝鮮の面積が分かってからその信頼が正しくなかったと
アルデになったのです. その以前までは日本人たちの頭の中の朝鮮は 'クンナだと' であったことです.
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Re: 現代大戦略2005
投稿者: honto_gou 投稿日時: 2005/10/08 12:13 投稿番号: [2981 / 7270]
これは メッセージ 2980 (toapanlang さん)への返信です.
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Re: 現代大戦略2005
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/10/08 11:15 投稿番号: [2980 / 7270]
これは メッセージ 2976 (honto_gou さん)への返信です.
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Re: ポリティカルコンパス
投稿者: honto_gou 投稿日時: 2005/10/08 10:48 投稿番号: [2979 / 7270]
少しおそくなりましたが・・・
政治的な右・左度
6.6
経済的な右・左度
2.04
あなたの分類は保守右派
実家には神棚はあるけど、神棚もなく、祝祭日に日の丸も揚げない中年親父が保守右派だって。単に左でないというだけのような気もするけど・・・
>右派です
>右派です
>右派です
いいなぁ、このリフレイン、余韻があって、耳残りしそうで・・・
>私で右じゃぁ・・よほどの現実離れでもなけりゃ左にならないじゃないですかぁ。(ブツブツ)
だから、現実離れしていないと、自他共に認める「左」でないということで、チャン、チャン♪(´・ω・`)
これは メッセージ 2959 (yusura_sdhk さん)への返信です.
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日本国民の生命と財産を守るつもりはない
投稿者: honto_gou 投稿日時: 2005/10/08 09:59 投稿番号: [2978 / 7270]
これは メッセージ 2977 (honto_gou さん)への返信です.
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↓続き
投稿者: honto_gou 投稿日時: 2005/10/08 09:40 投稿番号: [2977 / 7270]
最後が切れてしまいました。
・・・
>お左さん、何故か特定アジアに比べ、日本人が残虐で慾深で戦争侵略大好きって思いたがるのですね・・。
つまり、このゲームを作った人たちは、お左さんではないということなんでしょうね(笑
これは メッセージ 2976 (honto_gou さん)への返信です.
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