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Re: 韓国人たちの反日感情の起源

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/10/12 01:44 投稿番号: [2994 / 7270]
>>1866年3月に2度にわたって襲来したフランス艦隊は7隻の軍艦と1500人の陸戦隊であったが朝鮮軍は2度とも撃退している。また、1871年5月のアメリカ艦隊は5隻の軍艦(2400トン級、旗艦Colorado、Alaska、Beniciaなど)と選りすぐりの陸戦隊精鋭500人をもって砲撃しながら江華水路内に突入したのに対し、朝鮮側は243人の戦死者をだしながらも奇襲・夜襲を敢行し、結局は引き揚げさせている。
  朝鮮国の防衛力は半端ではないのである。

>この「半端ではない防衛力」をどうして失っったのか、そちらではどのように説明されているのでしょう?

防衛力によって撃退したというより、どだい仏軍「1500人の陸戦隊」や米軍「選りすぐりの陸戦隊精鋭500人」では、いくら李氏朝鮮とはいえ、屈服させることはできないと思います。
江華島の砲台陣地を占領するのが精一杯ですね。

たとえば、幕末、四カ国艦隊の砲撃を受けた長州藩は、下関の砲台を破壊され、陸戦隊5000人余の上陸を許してしまいますが、結局、四カ国連合軍は内陸部(下関市街)への侵攻をあきらめました。
双方死傷者50〜60人に過ぎませんが、四カ国連合軍の死傷は弓矢による者が多かったと英軍の記録にあります。
浜辺に橋頭堡を築こうにも、やはり近接戦や夜襲を恐れて、その日に軍艦に引き上げています。
せいぜい頑張って、下関や長州藩の占領で、日本を屈服させることはできなかったでしょう。

朝鮮でも、仏米ともに賠償や通商交渉を頑なに拒絶する李朝に手を焼いて撤収したのが実態で、撃退というものではないでしょう。

①「丙寅洋擾」のフランスの攻撃について。
『苦難の韓国民衆史』(咸錫憲著)(31)ふたたび倒れる「疲れはてた民族」より抜粋。
「丙寅洋擾のときフランスが引き下がったのをフランスの国内事情のためとも知らず、わが方の勢力が強くて追い払ったと得々としていっそう固く門戸を閉ざした。」

②「辛未洋擾」のアメリカの攻撃について。
江華島を占領したアメリカ軍の記録。
「朝鮮兵士は、余りにも重く、部厚い軍服を着ていたので、行動の自由がきかず、いったん火が付くと消すことが出来ないので、海や川に投身した者が、百人にのぼった」

③1906年(明治39年)3月13日、『韓国施設改善に関する協議会』。
伊藤統監
「今、貴国兵を見るに軍人たるの能力なく、訓練亦疑する所あり。聞くが如くんば、兵卒中には、一朝有事の日に依て以て国家を守るべき、弾薬刀剣の如きを質入するものある由。」

兎亀さんの調査を期待します。
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