Re: 韓国人たちの反日感情の起源
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/10/11 01:44 投稿番号: [2993 / 7270]
横から失礼します。
>日本人も明治の初めの頃までは、朝鮮人に悪い感情は持っていなかったようです。
日本人は当時も現在も、朝鮮を誤解していますね。
それに比較し、李朝末期の朝鮮はやはり徹底的に反日です。
清国に対する事大主義は、骨の髄まで朝鮮を蝕んでいたように思います。
そして、現在の韓国も、この儒教的妄想の日本観が未だに継続している中世王朝と考えます。
自国の停滞を日本のセイにして恥じない気風は、現在も変わりません。
>>華夷秩序の礼律を基盤とする朝鮮文化からすれば、格下に対するそのような(侮蔑 愚弄の)態度は理の当然であった。
①1897年イザベラ・バード著、「朝鮮紀行」第一章 朝鮮の第一印象より抜粋。
「日本人居留地はこれ(投稿者注、清国人居留地)よりはるかに人口も多く、街も広くてもったいぶっている。領事館は公館としては充分に立派である。街には小さな商店のならぶ通りが何本かあるが、扱っている商品はおもに自国の人々の需要を満たすものである。というのも外国人はアー・ウォングとイータイをひいきにしており、三世紀にわたる[豊臣秀吉の朝鮮出兵以来の]憎悪をいだいている朝鮮人は日本人が大嫌いで、おもに清国人と取り引きしているからである。」
②呉善花著、「日帝」だけでは歴史は語れない」より抜粋。
李朝は日本の明治維新後に、朝鮮女性が日本人と性的交渉をもつことを国禁としている。もしその禁を破れば、本人は斬首刑に処せられ、所轄の地方官吏たちも責任を問われて罷免された。それは主として、釜山・草梁の倭館の日本人居留民たちを対象としてのものだった。日朝修好条規が結ばれた翌年の1877年(明治10)ころの李朝では、うち続いた凶作のために餓死者が出る状況のなか、貧農の女たちが夜になると、ひそかに釜山・草梁の倭館を訪れていた。食料を乞うため、日本人居留民を相手に春をひさいだのである。それに応じた日本人の多くは船員や商人たちだったが、その結果、数多くの女たちが逮捕され刑に処された。当時の日本の新聞がその様子を次のように伝えている。
『東莱、釜山、水営の三役所から各長官が出張して刑の執行を宣言する。女たちは荒縄で縛り上げられ、小さな白羽の矢で耳の穴が刺し貫かれている。そして木枕に頭を乗せて仰向けに寝かせられ、喉元に鉈(なた)のような刃物が当てられる。その上から槌を打ち下ろして首を切り落とすのである。一人の女は刑場へ引き出されると、静かに周囲を見渡し、「もはや餓死するしかなかった命を日本人のために四、五十日長らえることができました、今日からやっと、これまでの飢餓の苦しみから免れることができます」と言って涙を流したという』(郵便報知新聞明治10年10月2日より要約)
なぜ朝鮮女性が日本人と性的交渉をもつことが、斬首刑をもって酬いなくてはならないほどの大罪となるのか。それは日本人が侮蔑すべき倭賊であり、蛮夷だからである。そのような夷族によって我が臣民女性が汚されてはならない−−それがこの国禁の真意なのである。かつて問題となった「日本人売春ツアー(キーセン観光)」についても、現在の「従軍慰安婦」についても、その反感の質に「夷賊(日本人)による民族陵辱」という精神の次元が無意識に関与していることを否定できない。
追伸。李朝の防衛力については、興味があります。調査中です。
>日本人も明治の初めの頃までは、朝鮮人に悪い感情は持っていなかったようです。
日本人は当時も現在も、朝鮮を誤解していますね。
それに比較し、李朝末期の朝鮮はやはり徹底的に反日です。
清国に対する事大主義は、骨の髄まで朝鮮を蝕んでいたように思います。
そして、現在の韓国も、この儒教的妄想の日本観が未だに継続している中世王朝と考えます。
自国の停滞を日本のセイにして恥じない気風は、現在も変わりません。
>>華夷秩序の礼律を基盤とする朝鮮文化からすれば、格下に対するそのような(侮蔑 愚弄の)態度は理の当然であった。
①1897年イザベラ・バード著、「朝鮮紀行」第一章 朝鮮の第一印象より抜粋。
「日本人居留地はこれ(投稿者注、清国人居留地)よりはるかに人口も多く、街も広くてもったいぶっている。領事館は公館としては充分に立派である。街には小さな商店のならぶ通りが何本かあるが、扱っている商品はおもに自国の人々の需要を満たすものである。というのも外国人はアー・ウォングとイータイをひいきにしており、三世紀にわたる[豊臣秀吉の朝鮮出兵以来の]憎悪をいだいている朝鮮人は日本人が大嫌いで、おもに清国人と取り引きしているからである。」
②呉善花著、「日帝」だけでは歴史は語れない」より抜粋。
李朝は日本の明治維新後に、朝鮮女性が日本人と性的交渉をもつことを国禁としている。もしその禁を破れば、本人は斬首刑に処せられ、所轄の地方官吏たちも責任を問われて罷免された。それは主として、釜山・草梁の倭館の日本人居留民たちを対象としてのものだった。日朝修好条規が結ばれた翌年の1877年(明治10)ころの李朝では、うち続いた凶作のために餓死者が出る状況のなか、貧農の女たちが夜になると、ひそかに釜山・草梁の倭館を訪れていた。食料を乞うため、日本人居留民を相手に春をひさいだのである。それに応じた日本人の多くは船員や商人たちだったが、その結果、数多くの女たちが逮捕され刑に処された。当時の日本の新聞がその様子を次のように伝えている。
『東莱、釜山、水営の三役所から各長官が出張して刑の執行を宣言する。女たちは荒縄で縛り上げられ、小さな白羽の矢で耳の穴が刺し貫かれている。そして木枕に頭を乗せて仰向けに寝かせられ、喉元に鉈(なた)のような刃物が当てられる。その上から槌を打ち下ろして首を切り落とすのである。一人の女は刑場へ引き出されると、静かに周囲を見渡し、「もはや餓死するしかなかった命を日本人のために四、五十日長らえることができました、今日からやっと、これまでの飢餓の苦しみから免れることができます」と言って涙を流したという』(郵便報知新聞明治10年10月2日より要約)
なぜ朝鮮女性が日本人と性的交渉をもつことが、斬首刑をもって酬いなくてはならないほどの大罪となるのか。それは日本人が侮蔑すべき倭賊であり、蛮夷だからである。そのような夷族によって我が臣民女性が汚されてはならない−−それがこの国禁の真意なのである。かつて問題となった「日本人売春ツアー(キーセン観光)」についても、現在の「従軍慰安婦」についても、その反感の質に「夷賊(日本人)による民族陵辱」という精神の次元が無意識に関与していることを否定できない。
追伸。李朝の防衛力については、興味があります。調査中です。
これは メッセージ 2992 (usagigamemaimai さん)への返信です.
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