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(特集)朴大統領とKILLING FIELD-III

投稿者: xsizepistol88 投稿日時: 2007/03/01 12:55 投稿番号: [3165 / 3669]
釜馬事態どき、釜山で大学生たちのデモ鎮圧に動員された空輸部隊の軍人らを目の前で目撃したことがある。軍トラクを包んで1メートル間隔の横隊に並んでは帯剣をつけたM16(半自動小銃)を取り執銃した状態で前方30センチに目の焦点を合わしているのに誰一人も目一回も瞬かないでその焦点を維持するのだ。上官がこいつらにデモ群衆に撃つ様にいえば躊躇しないで引き金を引く形状だった。釜馬事態の激烈さは筆者が目撃したので誰よりもよく知っているが、日さえ落ちると毎晩、市街地は文字とおり戦場へ変った。当時、警護室長の車智哲という奴は口癖のように朴に主張したのが「2百万名を殺して政権を取ったカンボジアのポルポット政権をみてください。何もなく安楽に暮らしているんじゃないですか?釜馬事態ですか?市民・学生合わせて50万名くらい殺しても全然平気です。ご命令を下してください、閣下」だった。

歴史に仮定はないと言うが朴が死ななかったらどんな風に解決されただろうか朴が放送に出演して談話を発表し国民が望むなら下野するといい辞退しただろうか?18年間執権中に起ったあらゆる非違に対し法律の寛容で赦免をうけて実家のある亀尾で静かに余生を過していただろうか?何より軍人がクデターヲ起したのはどこの国によっても銃殺刑に該当する大逆罪なのにその罪を赦免されると思い帰郷できたはずか?結論は「朴は退きたくてもそれができない状況だった」とのことだ。そしたら答えは明瞭になる。朴は車智哲の忠言のとおり釜山、馬山に戒厳令を宣布し戦車で、帯剣で、M16で、機関銃で市民・学生らを掃除したはずだ。いわば韓国版KILLING FIELDになるのは自明な理だった。カンボジアに引き続き、killing field で悪名を轟かしたはずの韓国だった。それでも誰の口から朴への賛美歌が出るだろうか。

経済開発したのも事実で輸出が増えたのも事実だ。独裁政権が民主政権よりある範囲までは効率的なのも事実だ。討論手順を無視して独裁者一人の指示により全国は一糸乱れずに動く。鼠を掴んで皮を抜いてコートを作り輸出するから鼠を掴んで来いと指示し割り当てをくれて、目標量を満たせないならクビだといえば寝なく、鼻血を流しても鼠を掴むだろう。そうやって輸出して国民所得が少し上がり給料が上がったとしたら、自由を全部返納し奴隷になり少しの経済的余裕を持ったので幸せな暮らしをさせてくれたと感謝をすべきか。

韓国が経済発展したなら国民たちが帯を締めて熱心に働いて30万名の軍人がベトナムで死にながら送ってくれた血ついたドラで経済発展したのだ。軍事クデターが氾濫する開発独裁が茂る中南米の令をみても独裁国家が窮極的に経済的に成功した国はない。市長経済を軍隊式に無理往生に適切に動くわけがないことだ。一時的な可視効果をみせるため、既存のざいばつに特恵をやり輸出を伸ばし、それを政府のおかげだと宣伝するのはいいけど、そういう特恵のためにざいばつなど金持ちだけ豊かになり貧乏じゃもっと貧しくなる富益富、貧益貧現状が加速されたのも朴時代の産物だ。財閥は特恵に恩返しに莫大な政治資金を献納して特権を享受する政権と財閥の共生関係、すなわち政経癒着の伝統が確立されたのもその時代であり、これが韓国のこしつ病の総体的不正腐敗で固まった。

朴に学ぶただ一つの教訓があるなら、二度と韓国にクデターが発生してはいけないし政治軍人が生まれてはいけないとのことだ。。アジア人のメンタリティは西洋人とはたいぶ違う。上官の指示が不当でもなんでも上官が撃てといえば撃つ。もし豪州兵士に上官が民間人を撃てといえばどうだろう。おそらくBullshit!   と十を投げては家に帰るんじゃなかろうか。朴への郷愁はもう彼の墓に再び埋めてやろう。(尾)

(特集)朴大統領とKILLING FIELD-II

投稿者: xsizepistol88 投稿日時: 2007/03/01 12:54 投稿番号: [3164 / 3669]
朴が日本の満州軍官学校に志願したとき、日本が戦争に負けるとは思わなかったし、永遠にアジアの盟主になるのを疑ってなかったので一緒になり一身の栄達を図ったわけである。天皇に忠誠を誓い天皇から勲章をもらうのを最大の人生目標にした朴。そういう日本が敗亡したらば失望も大きかったはずだ。そんな彼が南労党員になったのは案外の変身だと思うかも知れないが厳密にいえば思想の転換じゃなく、デグ暴動で警察に射殺された左翼運動家の兄の勧誘が原因だとみるほうが正確だろう。機会が与えられ権力を取り立身揚名できるなら左翼でも反共でも、親米であれ親日であれ朴には理念や思想はどうでも良かったのだ。

朴の在任期間中、経済開発はクデターと独裁を正当化させる手段で使われた。経済開発5ヵ年計画は本来4.19以降、合法的に受権した民主党が立案し実践を目の前にしていたのだ。朴は執権後、その計画書の著者名を民主党から自分の名前へ置換えたのだ。今日、6−70歳おじいさんから3−40歳まで会食で酒を飲むときには、それでも朴時代がよかったと朴賛歌を合唱する。それは朴が徹底的に洗脳教育をさせた結果じゃなかろうか。経済開発で成功した大統領というトレード・マークが朴の全ての不法、違法行為と不正腐敗を隠蔽し正当化させる唯一な手段だったからだ。筆者も当時、韓国で中、高校に通ったとき、3選改憲に維新に釜馬事態(釜山と馬山で起きた反独裁民衆蜂起事件)などの激動期を通ったけど、嫌悪感を持つほど放送、新聞などメヂアは朴の口になり朴への賛美と政治宣伝に日が立ち、日が暮れる日々だった。

政権が危機に逢着するたび突発する間諜団事件。間諜は朴政権が危機のときたび捕まってくれるようであまりにも絶妙に事件が起きた。あとで明らかになったのは大体無実な人たちを取って来ては水拷問にBBQチッキンや七星板に揚げて嘘で白状してもらっては危機のたびに一つづつ爆発させたそうだ。三国志を全部暗記していた朴。軍隊でも情報通で育った彼がそれくらいの術数を駆使したのはおそらく当たり前のことかもしれない。何より彼が容赦されないことは無実な若者たちを逮捕して拷問で「国家転覆目的」の団体を造作し、当時権力の女中だった司法府を動かし死刑宣告をおろしては24時間以内に死刑を執行したのだ。いわば「人民革命党」事件だが10月維新宣布を前にして国民たちに恐怖感を与えて、見せしめに凝らした典型的な間諜造作事件だった。民主主義の原則という牽制と均衡の主体の三軸の行政、立法、司法の3権を手の内に握って絶対権力を行事した朴。それも統一を渇望する国民たちの念願を担保にして維新憲法を発表し国民たちが返納した自由は南北対話が切られても返してくれずに永遠に差圧しようとした者。

(特集)朴大統領とKILLING FIELD-I

投稿者: xsizepistol88 投稿日時: 2007/03/01 12:53 投稿番号: [3163 / 3669]
時代がおかしい訳か朴大統領を崇拝する奇怪な団体が出来たり記念館を建立しようと発狂をする者たちらがいて経済が難しいからと朴の圧制時節を懐かしがるとんでもないことが起きている。年月が流れると歴史となり月色に染まると神話となると聴いたけど韓国の軍事クデターの元祖ながら民主化を渇望する国民たちの熱望を戦車で轢いたのにかえって救国の英雄で描写され、春の端境期問題を解決した経済開発の始祖で仰がれる朴。果たして彼がそういう賛辞を受ける資格があるのか、ここで暫く点検してみたいと思う。まず朴のクデターは救国の決断だったのかの質問に肯定的に答えるには軍事反乱を起した当時、私心がなかったのかを調べてみたらわかるだろう。

朴は戦後、韓国で南朝鮮労働党(略称:南労党)の軍内組織策として頭の非常に良い天才らを包摂し、それが特務隊(軍内諜報機関、現在の機務司)に発覚され拷問と懐柔をうけた末に自分が包摂した人事らの名前を全部吐いた。自分が生き残るために自分が包摂したものたちを死の場へ追い込んだのだ。当時、韓国社会は極度の理念論争に包まれ政界は勿論、社会各分野、甚だしくは中、高校でも左・右に分かれ頭が爆発するほど戦った。創設初期の海軍士官学校で特に第2期生らの中で左翼思想を持ったものが多いと乗り夕で右翼性向の強い3期性たちが先輩たちを襲撃してバットで叩き殺した事件もあった。そういうわけで海軍士官学校は2期卒業者がほとんどいない。朴は自分の包摂した人たちの名前をはいった代価で生き残り、包摂された人たちは連行され銃殺された。

その事件で軍隊から追い出された朴は朝鮮戦争のお陰で軍に復帰するが南労党という過去行跡のために要視察対象だった。朴が軍生活中、比較的に清廉したのが皆が注視している状況で変なことをしたらばすぐ軍服を脱がなければならないと知っているからだとみられる。4.19学生革命後、張都英が弱冠35歳に陸軍参謀総長になったばすぐ過去行跡に問題があるか自由党時、不正を働いた軍内人事らを除隊させるため粛正作業を断行し、朴がこの除隊予定者リストに載っているのを心服部下が秘密裡に教えてtくれた。朴としてはそのままおいたら軍から追い出される運命になったので自爆の心情でクデターを起したのだ。この部分は朴の養子の全斗換が10.26事態(朴の暗殺事件)以降、当時の陸参総長により閑職の東海岸警備司令部へ左遷されるようになると12.12クデターを起したのととても似ている。歴史は繰り返すのだ。

CIAソウル支局で朴の反乱動きを事前に探知し当時、米国の大統領のケネディーに報告したところ、ケネディーは朴の過去行跡を調べさせては快哉を叫んだ。日本による植民地経験のある韓国人の立場でみれば、自発的に日本軍に志願し、反共国家の韓国で南労党経歴のある者ならそういう弱点を利用してキャロットと鞭で懐柔することでコントロルしやすく、それが米国の国益を図るのにもっと便利だとの結論を下したのだ。そういうわけで朴が反乱を起したとき、当時の張勉総理がカルメル修女院に隠れ込んでアメリカ大使館に3日間電話うぃ数十回かけて鎮圧を要請したが、前もって本国から鎮圧養成を無視するように訓令をもらっていた大使は受話器を下に置いといたし、結局、朴がクデターに成功したのだ。

れRe: れ: 歴史民俗朝鮮漫談

投稿者: red_mangou 投稿日時: 2007/02/28 02:33 投稿番号: [3162 / 3669]
>単なるゴシップっぽい話から民俗学的なヒントがある話まで、けっこう収録されているように思いました。

買い、ですね、私には。
「IKSAL」には、「皮肉」「自虐」その他、いろんな要素が混じってるようです。まぁ
気が遠くなるほど(なってるか)永〜〜く「被支配民族」でしたから、その中で
生まれた「笑い」が「IKSAL」だとか(語学学校の発表で、これについて簡単な
話しをしました。途中から、誰もついて来れなくなりました…涙)。いまも興味
の対象なんですね、「IKSAL」は。

Re: れ: 歴史民俗朝鮮漫談

投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2007/02/28 01:53 投稿番号: [3161 / 3669]
>ふむふむ。史料としては、「役立たず」っぽいですが、朝鮮人の笑いの根本(?/ ヨーロッパのウィットやユーモア、日本の洒落にあたる)「IKSAL」について知るには、かなり役立つと思われますね。

他の史料ともつきあわせて記述の信憑性を担保すればいいだけの話なんですけどね。
単なるゴシップっぽい話から民俗学的なヒントがある話まで、けっこう収録されているように思いました。

れ: 歴史民俗朝鮮漫談

投稿者: red_mangou 投稿日時: 2007/02/28 01:39 投稿番号: [3160 / 3669]
>漫談であるがゆえに、記述の根拠となる出典史料が明記されていないことが多く、
>論を立てる際の直接的な史料として使用することは避けるべきかとも考える。

ふむふむ。史料としては、「役立たず」っぽいですが、朝鮮人の笑いの根本
(?/ ヨーロッパのウィットやユーモア、日本の洒落にあたる)「IKSAL」に
ついて知るには、かなり役立つと思われますね。

歴史民俗朝鮮漫談

投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2007/02/28 01:28 投稿番号: [3159 / 3669]
今村鞆   国書刊行会

前回あげた今村の「朝鮮風俗集」は、大正3年(1914)に斯道舘から刊行されたものであり、竜渓書舎が2001年に復刻刊行したものであるが、こちらは、南山吟社が昭和3年に刊行したものを1995年に復刻刊行したものである。

漫談と銘打たれているように、コラム・エッセイ形式の文章から構成されている。朝鮮の民俗学的な話が内容であり、学問的なものよりくだけた話が多く、読みやすいのでは。

ただ、漫談であるがゆえに、記述の根拠となる出典史料が明記されていないことが多く、論を立てる際の直接的な史料として使用することは避けるべきかとも考える。

Re: 朝鮮風俗集

投稿者: xsizepistol88 投稿日時: 2007/02/24 17:58 投稿番号: [3158 / 3669]
いつの話しているの?
死んでも朝鮮朝鮮か?
だから俺も倭倭倭と
いうしかない。

朝鮮風俗集

投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2007/02/21 00:29 投稿番号: [3157 / 3669]
今村鞆   竜渓書舎

朝鮮の風習や民話などを収録した書物。収録された話には興味深いものが多い。

余談だが、一時期、朝鮮半島の「試し腹」という風習の直接出典とされたが、調査の結果、全く関係ないことが判明している。(師父も確認済み)

あげ

投稿者: monju_jz 投稿日時: 2007/02/17 11:51 投稿番号: [3156 / 3669]

韓国の軍隊

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/02/12 13:43 投稿番号: [3155 / 3669]
サブタイトルは「徴兵制は社会に何をもたらしているか」
尹戴善著   中公新書   2004年刊行

軍制度や歴史・背景について書かれています。

国防部発刊の「国防日報」に掲載された盧武鉉大統領の文章がすてきです。とても後年、軍をクズ扱いする人物とはおもえない。(苦笑)

帝国憲法と朝鮮

投稿者: monju_jz 投稿日時: 2007/02/06 12:05 投稿番号: [3154 / 3669]
友邦シリーズ第4弾です。
帝国議会において朝鮮人国会議員はいましたが、朝鮮や台湾を代表する議員はいませんでした。
何故かと言えば、内地で決定する法律は内地のみに適用し、まだまだ民度が遅れている朝鮮・台湾に対する法律は当地の総督府で作ればいいというのが当時の考え方でした。
ですから法律を適用しない地域の国会議員は必要ないということです。

ではこれら国会議員を送り出していない朝鮮・台湾に帝国憲法は及んでいるのか?
当時さまざまな議論があったようです。

なお蛇足ながら朝鮮にも府議会、邑議会、面議会という地方議会があり、選挙は行われていました。

帝国憲法と朝鮮
友邦シリーズ・第14号

日本統治下における朝鮮の法制   財団法人友邦協会
質疑   「憲法施行問題を中心に」   朝鮮資料研究会

p10

萩原彦三   元咸鏡南道知事  
大正5年に朝鮮総督府に入り、参事官、文書課長、学務課長、土地改良課長、水産課長を歴任

穂積真六郎   元朝鮮総督府殖産局長   大正3年に総督府に入る。


穂積
憲法は内地延長主義で朝鮮・台湾にも行われるというなら、どうして選挙法が適用されないのかという疑問がありますが、これは憲法上の問題ではなく、そういう法律をつくらないから朝鮮には施行されないことになるんですね。

萩原
実際問題として無理なのです。
非常に民度が違っているのに選挙法を適用するのは無理なのです。例えば、衆議院議員の竹腰与三郎先生などは、憲法が施行されるなら早く台湾・朝鮮から代議士を出したらいいじゃあないか、と主張されていたんです。これに対して政府は、結局まだ民度が低いからダメだ、というわけです。
それなら美濃部先生のように憲法は行われないんだといった方が割り切った意見になるんですが、当時の日本政府の考えは、いつも植民地ではないんだけれども本国とは違うんだというものなんです。

穂積
それは、憲法は行われるけれども、勅令で選挙法を出さないから実質上選挙は行われないんだということですか。

萩原
結論はなぜ勅令で出さないかということなんですが、それは民度が低いからということなのです。
結局、憲法は行われるけれども本国とは違うということです。
それならば違うように扱ったらいいではないかと言われると政府の見解はいつも矛盾していたわけです。



p14〜15


「台湾に施行すべき法令」とか「朝鮮に施行すべき法令」そのものが憲法違反だという議論もあったのですね。

萩原
そうなんです。


それはどうなったんですか。

萩原
ありましたけれど、学者の少数意見ですので、国会は結局原案を承認してしまったんです。


そういう意見の人を納得させるような説明はあったんでしょうか。

萩原
納得するもしないも、国会で議決してしまったんです。


そうしますと、日本の政府の態度は矛盾していたんですね。

萩原
そうなんです。割り切っていないのです。矛盾しているといえば矛盾しているのです。とにかく一方で憲法は行われるのだから、法律を要する事項は法律でなければきめられない。しかし法律は出すわけにはいかないから朝鮮総督府や台湾総督府にまかせて法律を作らせるといっているわけです。
しかし憲法を全部施行するならそんなことをしないで、全部国会でやらなければいけない。国会でやるなら民意を反映するために、その地方からも代議士を出さなくてはならないわけです。しかし、代議士は出さない、だから法律は施行しないというわけです。すると、どこに憲法が行われているのだというわけです。そうした議論になると第一条が行われているのだというわけです。

穂積
第一章天皇のところ全部ですか。

萩原
天皇のところでも第四条になると穂積八束先生が大反対です。
「憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」と書いてあるのに憲法によらないのは憲法違反だというわけです。



http://blog.livedoor.jp/tkknrak/archives/cat_50005808.html

瀋陽日記

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/02/03 23:37 投稿番号: [3153 / 3669]
李錫浩訳。1975年大洋書籍刊行。韓国名著大全集シリーズの一環らしい。

李氏朝鮮の第16代王仁祖の長子で、清に人質として送られた昭顕世子の瀋陽滞在中の記録。
1637年の丙子胡乱敗戦後、人質として清の都瀋陽(盛京)に送られてからの記録であるのだが、1642年という中途半端な時点(朝鮮帰国は1645年)までの分しかないのは、正直期待外れ。

原文の漢文とハングル訳がついている。昨日買ったところなので、ゆっくり読みますね。

ソウル城下に漢江は流れる

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/01/27 15:47 投稿番号: [3152 / 3669]
サブタイトルは「朝鮮風俗史夜話」

林鐘国著   朴海錫・姜徳相訳   平凡社

近世のソウルの芸者、料亭や住宅にまつわる話、奴婢・白丁・僧や巫堂、妓生の話などを紹介。
サブタイトルだけを見るとキワモノっぽいのですが、中身は真っ当。手軽に読めて楽な本です。

Re: 朝鮮近代史料研究―友邦シリーズ

投稿者: monju_jz 投稿日時: 2007/01/22 15:10 投稿番号: [3151 / 3669]
http://www.han.org/oldboard/hanboard3/msg/5681.html

おっ!これは懐かしい。ハンボードじゃないですか。しかも投稿者が米津篤八氏とは。
私の記憶に間違いがなければ、彼は朝日系のジャーナリストだったはず。奥さんが朝鮮人で「反・嫌韓流」にも寄稿してたと思ったが。

過去ログに反論しても無意味かもしれないが、ちょっとだけ。

>友邦協会の資料は、それはそれで日本が朝鮮をいかに統治
したかを知るための貴重な文献ではあるのですが、
「中立」の視点・客観的なデータではありえず、その内容を鵜呑みにすれば、朝鮮
侵略を肯定する形になることは当たり前です。
殺人事件において、被害者の証言を無視し、加害者の言い分だけを聞いて、事件の全体像がわかったと言い張るようなものです。

殺人事件の加害者、被害者にたとえることからして、米津氏自身が既に「中立」ではありえず、
他人には「被害者」の証言を無視するなといいながら、彼自身は「加害者」の証言を無視するというダブルスタンダードに陥ってる。
だいたい今までは「被害者」からの話ばかりで、「加害者」からの話は少ない。その意味で総督府高官の体験談をまとめた−友邦シリーズ−は貴重な文献といえます。もし言っていることに間違いがあるというなら、そこを指摘すればいいだけの話。

>自分が依拠する資料・情報がいかなる意図に基づいているかを考えぬまま、お題目のように「中立」を唱えることは、欺瞞に他なりません。

これはそっくりそのまま、米津氏自身に帰ってくる言葉であることを自覚すべき。

以下は米津氏の論争相手である「まっくん」氏の参考図書ですが、そのまま推薦図書にしたい。

>「保護および併合−日韓外交資料弟8巻」市川正明著
>「朝鮮事情」ダレ著金容権訳 平凡社・東洋文庫
>「朝鮮の土地調査」荻原 彦三 友邦協会
>「韓国財政の整理改革」荻原 彦三 友邦協会
>「朝鮮半島の林野荒廃の原因、自然環境保全と森林の歴史」三宅 正久 農林出版kk
>「宇垣総督の農村振興運動」 山口 盛 友邦協会
>「李朝末期の通過とその整理」高久 敏男 友邦協会
>「李容九の生涯」大東 国男 時事通信社
>「両班、李朝社会の特権階級」宮嶋 博 中央公論社・中公新書
>「李朝滅亡」片岡 次雄 新潮社

Re: 朝鮮近代史料研究―友邦シリーズ

投稿者: bluesky070120 投稿日時: 2007/01/20 01:03 投稿番号: [3150 / 3669]
財団法人友邦協会とは、日本に引き揚げてきた朝鮮総督府関係者が作った「日韓友好」を
唱える団体です。元総督府財務局長だった故・水田直昌氏が理事長を務めていましたが、
もう解散したようです。

現在、友邦協会の資料は学習院大学の東洋文化研究所に寄託されています。これまた総督
府関係者の団体である社団法人中央日韓協会の会員になれば、利用することができます。
ちなみに年会費は5000円だそうです。

友邦協会の資料は、それはそれで日本が朝鮮をいかに統治
したかを知るための貴重な文献ではあるのですが、
「中立」の視点・客観的なデータではありえず、その内容を鵜呑みにすれば、朝鮮
侵略を肯定する形になることは当たり前です。
殺人事件において、被害者の証言を無視し、加害者の言い分だけを聞いて、事件の全体像
がわかったと言い張るようなものです。

自分が依拠する資料・情報がいかなる意図に基づいているかを考えぬまま、お題目のよう
に「中立」を唱えることは、欺瞞に他なりません。総督府の関係者の言い分を無批判に取
り入れること=朝鮮統治の肯定に他ならないことを、自覚していただければと思います。
http://www.han.org/oldboard/hanboard3/msg/5681.html

れ: ◆コリア関連書籍◆

投稿者: red_mangou 投稿日時: 2007/01/07 14:32 投稿番号: [3146 / 3669]
あら、ジョゲン・犬屑ちゃん!   生きてたの?

Re: 犬鍋さんに素朴な質問

投稿者: xsizepistol88 投稿日時: 2007/01/02 12:17 投稿番号: [3144 / 3669]
細かい翻訳の手落ちはどうやら今度こそ
ポイントを避けて逃げてはいけません。w
「小中華主義」の国がその「憧れ」の中国が嫌いだって
おかしいと思いませんか?YES?NO?
貴下の引用した統計からみると
韓国も日本も米国が一番好きとなってますね。
米国の傀儡国の日本としては当然でしょうか?
しかし自主国のつもりの韓国の米国好きは
やはり親米教育のお陰でしょうね。(苦笑

Re: 犬鍋さんに素朴な質問

投稿者: bosintang 投稿日時: 2007/01/01 19:32 投稿番号: [3143 / 3669]
これですね。
http://www1.odn.ne.jp/youth-study/reserch/2006/shukei.pdf

「中国に対する他の3国の学生の評価では、韓国の学生が最低の点数を与えた反面、韓国に対する評価は中国の学生が最高の点数を与え、両国の学生間に食い違い現象が現れている。」

「その国のことが好き」という項目のことですかね?
韓国が好む国   1米国(24.3)   2日本(24.0)   3中国(7.2)
中国が好む国   1韓国(46.9)   2米国(33.8)   3日本(24.5)
日本が好む国   1米国(39.6)   2韓国(16.7)   3中国(10.2)
米国が好む国   1日本(45.2)   2中国(30.4)   3韓国(21.3)

韓国と米国の学生の相互評価にも食い違い現象が現れていますね。

韓国の記事の「普通の生活水準以上になってこそ満足する」を日本語訳でみると、「人並みの生活をすれば充分である」になっていて、ぜんぜん違う。この数字が韓国が低いということは、他人より金持ちになりたいってことでしょう?

金に対する関心度も、韓国記事は間違っている。

韓国の新聞記事の質が低いことを表す資料でしょうか?

犬鍋さんに素朴な質問

投稿者: xsizepistol88 投稿日時: 2006/12/30 10:28 投稿番号: [3142 / 3669]
常に韓国人は「小中華思想を持っている」と批判して
来たでしょう?
勿論俺は全然同意してないですが、最近韓中間の
世論調査は貴下の所信が間違えてるとみせてるようで
わるいけど公開します。

要するに中国の学生は「韓国最高」といってるが
韓国学生は「中国最低」と答えたそうです。
韓国に好感を持っている中国人にはわるいけど、
これが韓国人の中国人に対しての評価にだ。
何か異見でも?w

http://news.hankooki.com/lpage/world/200612/h2006122921390222450.htm

笞刑の廃止

投稿者: monju_jz 投稿日時: 2006/12/29 11:53 投稿番号: [3141 / 3669]
友邦シリーズ第3弾です。
笞刑を廃止したのは朝鮮総督府で間違いないですが、併合後10年ほどは続いていたようです。


笞刑の廃止
「朝鮮財政余話」   財団法人友邦協会

元朝鮮総督府財務局長   水田直昌口述

p16〜17



かようにして斎藤総督が来られましてから、朝鮮統治の上に一大転換があり文化政治になったわけであります。一方財政面に於いても今までのものとは百八十度の転換を致しました。 今まで本国の補助を仰ぐということになっておりましたのを、朝鮮財政の独立ということをもって功を急いだために、この騒擾になったというところから、第二期は所謂文化政治ということを標榜して諸施策を施したのであります。具体的に申しますと、朝鮮人の官吏の数を増しそして待遇も改善する。あるいは教育機関を拡充する、医療機関の充実を図る等のことであります。 またその当時までは笞刑ということもしていました。罪人を台の上に這わせて二十とか三十とか尻を叩く。こうすれば監獄の必要はない。また飯を食わせる必要もない。しかし尻を叩かれて一ヶ月も二ヶ月も癒らない。これは非人道的だということで、大正8年文化政治になってからは笞刑は廃止されました。そうなりますと監獄を造らなければならず、監獄の営繕費や飯を食わせる等の費用等が必要になる。 我々が参りまして始めて気が付いたのですが、教育のない文化の低いものにどうこういっても判らない。矢張りある程度までこういう刑罰が必要であったのでしょう。それを廃止したのであります。 朝鮮は三月頃から5月頃までは春窮期と申して、人口の8割を占める農民に食物がない。草根、木皮、干草、団栗、橡の実などを食う。これが朝鮮農民の実情である。従って大正7、8年まではそういう風な立派な監獄に入って飯を食わせてもらうということは却って喜ぶことになるが、大正8年に非人道的なことでよくないというので笞刑を廃止し、憲兵制度を廃止して警察に致しました。そして順次警察巡査の拡充を図ることになったのであります。



http://blog.livedoor.jp/tkknrak/archives/cat_1383748.html

農村振興運動

投稿者: monju_jz 投稿日時: 2006/12/25 15:15 投稿番号: [3140 / 3669]
友邦シリーズ第2弾です。


「財政・金融政策から見た朝鮮統治とその終局」
  財団法人   友邦協会   朝鮮資料編纂会
朝鮮総督府   元財務局長   水田直昌氏

本当に良くなってきたのは、昭和6,7年、宇垣総督の農村振興運動の後です。私はある所で言いましたが、朝鮮には春窮という熟語がございます。
これはつまり昭和5,6年前までは、秋の米をとって年貢を納めて、残りはたいてい3月まで食ってしまいます。年貢が搾取ですから・・。
そうすると、6、7月頃の麦、粟の取れる迄どうするかというと、どんぐりを食い、草の根、松の皮、若芽、こぶ、ひじき、つまり草根木皮、海草、これは本当に文字通りそうです。そういうもので三、四、五の約百日ぐらいは命をつなぐというのが、免れざる運命なりとして、当然のこととしてやっておった。そこで春窮という言葉が出た。

〇端境期がえらくはやく来る。

麦、粟、豆をとっているうちに米がとれるということになって、浮かぶ瀬が無い。
米をとる者は前借しておる。
米をとると年貢を納めたり、前借にとられてしまう。
そこで宇垣総督の農村振興運動は、高利債の整理、収支の均衡、食糧の充実ということに重点がおかれた。収支の均衡というのは家計収支の均衡です。
この三つを目標にして、農村振興運動というものが起こされたわけです。
幸いに米が豊作でもあったし、高利貸しの整理というと全体の二,三割で、金融組合だけでは足らぬから、預金部の低利資金を何百万円か毎年金融組合に、殖産銀行及び連合会を通じて借りた。
高利債の借り換えをやっても、又すぐ借りるようではいけないから、三日にあげずその家に臨んだものです。
そうして便所の世話からやった。というのは朝鮮は厠をつくる習慣が農村にありません。
そこらにいって小便、大便をやってくる。
町の中ではオンドルの中に壷があって、夜壷に小便して、朝窓からパッと捨てる。
朝通って行くときに窓からやられることがある。
そこで便所を造る費用を予算で補助してくれと言って来た。
農村振興運動で・・。
僕等そんな馬鹿なことがあるかと言ったが聞いてみるとやはり便所をつくって、甕を埋めて、それを肥料として使うことを指導するわけです。そういうことからやった。

〇民度が低いのですね

低いのです。農村振興はそういうところからやった。それから堆肥を作ることをやかましくやった。
〇堆肥は元は作らなかったのですか?

そんなことはわからない。肥料をやるという観念がてんでない。

〇随分幼稚なものですね。

そういうことから育て上げていったわけです。米でもパッとばらまく。苗代なんかつくらない。

〇じき播きですか?

じき播きです。苗代をつくってやること、植えるのは縄を引っ張って正条植えでやること、そういうことから教える。私が驚いたのは、便所を造ることに補助金を出してやるということでした。
そういうことは日本人に珍しいことです。
そういうように手を引いてやる。

(中略)

貯蓄の奨励にしても、在来は金をためても、何とかかんとか因縁をつけて取り上げてしまう。
だから貯蓄なんかばからしい。
これを払拭するのに相当かかる。
金をためたらためただけのことがあるということを実地で知らせなければならぬ。
金をためても余計に税金なんか取らぬのだ、ためたら私有財産で自分のものになるのだということを実施をもって教え込むには、10年、15年かかる。
昭和6,7,8年ころの農村振興以後やっとそれが出かかって来た。金とかいろいろ朝鮮の資源がヲット開発される。日本の資本が入ってくる
産物が多くなる。
急激に富の蓄積が昭和7,8年以後出来てきた訳です。

http://blog.livedoor.jp/tkknrak/archives/24974885.html

Re: 親愛なる隣国の倭の方々へ

投稿者: bottomlineshock 投稿日時: 2006/12/18 09:37 投稿番号: [3139 / 3669]
>本来貴国は韓国の
>文化属国として2千年間、熱心に
>韓国を文化、学問を吸収し、学んで
>来たことは永遠に消えるもんじゃない
>ことを忘れてはいけません。

日本が貴国から学んだことなど、
聖徳太子が遣隋使を派遣した6世紀末以降、一切ございません。

6世紀以前は中国文明を朝鮮半島から、
コップの水(中国文明)を吸うストローとして朝鮮半島を活用しましたが、
遣隋使以降は日本は大陸文化は中国から直接学びましたからね。
訂正しておきますよ♪

親愛なる隣国の倭の方々へ

投稿者: xsizepistol88 投稿日時: 2006/12/18 09:07 投稿番号: [3138 / 3669]
我が国が旧韓末、間違った祖先を持った
ために貴国みたいな未開野蛮国の植民地へ
転落したことは凄く残念で痛惜之念を
消せないものの、本来貴国は韓国の
文化属国として2千年間、熱心に
韓国を文化、学問を吸収し、学んで
来たことは永遠に消えるもんじゃない
ことを忘れてはいけません。
戦後は敵の米国のシモベになって
しましましたね。魂を取られてプライドの
もってなく、米国に恐怖感だけを
持ち、ゾンビーみたいに米国の玩具に
なった貴国。アジア人としての最小限の
自尊心さえ持てないならそれこそ、
玉砕でも試行したほうがいいじゃない
でしょうか?

朝鮮近代史料研究―友邦シリーズ

投稿者: monju_jz 投稿日時: 2006/12/12 12:08 投稿番号: [3137 / 3669]
朝鮮総督府高官らに日本の植民地支配の実態を聞き、録音したテープの中から厳選して活字化した「友邦シリーズ」30冊を、内容別に編纂、復刻。5~9巻では、歴史・農業・産業・会社に関する証言を収録する。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4877331220/Lvdrfree-22?dev-t=D1KDF7Q74DD3A2%26camp=2025%26link_code=xm2

友邦シリーズの一部を紹介します。

http://blog.livedoor.jp/tkknrak/archives/cat_1440575.html

郡守
友邦シリーズ・第15号
朝鮮総督府官制とその行政    財団法人友邦協会
「朝鮮の官制・行政問題を萩原氏にきく」  
p22〜23

管理人註:
萩原彦三   元咸鏡南道知事  
大正5年に朝鮮総督府に入り、参事官、文書課長、学務課長、土地改良課長、水産課長を歴任

穂積真六郎   元朝鮮総督府殖産局長



萩原
面長さんは殆んど全部朝鮮人です。


道知事は日本人ですね。

萩原
道知事も13道の中半分くらいまで朝鮮人でした。


郡守は朝鮮人が多かったですね。


ここから下は朝鮮人ですね。郡守3年やれば金持ちになれるといわれましたから。

穂積
だけど、もう日本の領土になってからは3年くらい郡守をやっても貧乏するばかりですよ。郡守というのは非常に苦しかったです。3年やれば一生喰えるといわれたのは李朝時代のことですが、名前はやはり郡守ですから、みんながなりたがったようです。だがいざなってみると朝鮮の悪い癖で一里・一邑みんな寄ってきてたかるのです。
だから郡守になった人達は、みんな苦しかったらしいですよ。


いつごろのことですか。宇垣総督以降ですか。

穂積
日本になってからずっと・・・・。

萩原
それは徴税権をとられてしまったからです。昔は郡守が税金をとったものです。そこで適当にやっていたのです。
それを弊害があるというので税務署を独立させたのです。目賀田顧問が行って徴税機構が改められた時のことですが、それを取り上げては困るというので、えらい騒ぎがおこったものです。


一般の人は郡守というと昔の郡守の印象が残っているのに、実質上は税金などが取れないから給料だけでやるわけですね。

穂積
徴税権と警察権とを取り上げられてしまったら・・・。


一番重要なものを取り上げてしまったのですね。


私がいる時などまだ郡守といったらものすごく大金持ちという印象をうけていました。

穂積
だから地方に行くと郡守がみなこぼしていましたよ。
一般からは昔の郡守のつもりで扱われるし、実際はちっともいいことはないしと言ってね。

萩原
それでもみんななりたがっていたな。

金石文に見る百済武寧王の世界

投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2006/12/05 19:05 投稿番号: [3136 / 3669]
蘇鎮轍   彩流社

隅田八幡神社銅鏡、七支刀の銘文、倭王武の上表文などを分析し、百済武寧王は若い頃倭王武であった、銅鏡・七支刀は武寧王が倭王に下賜したものだ、と主張する本。

ざっと斜め読みし終えて、現在きちんと読んでいる最中です。

朝鮮民族を読み解く

投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2006/12/02 02:20 投稿番号: [3135 / 3669]
古田博司   ちくま学芸文庫

既出かもしれませんが、出しておきます。

本書で展開されている「ウリ」と「ナム」についての考察は、かなり重要な示唆を含んでいるものでしょう。

朝鮮王朝社会と儒教

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/11/22 21:43 投稿番号: [3133 / 3669]
李泰鎮著   六反田豊訳   法政大学出版局   2000年出版

著者は、李朝社会には内在的に近代化の萌芽があり、儒教は役に立ったということを結論としたいようです。
そのために、党争は、日本人学者が李朝停滞論を強調し朝鮮社会を低く遅れたものとするために打ち出したとしたり、後期の両班など社会指導層に見られる、「民」と「国」を重ねて重視するという論説を民主国家の萌芽であるかのように書いていたりします。

そのほかにも、壬辰倭乱の解析では、軍事学には疎いところをさらけ出すなど、なかなかおいしい本ではあります。

国家を騙した科学者

投稿者: hjnioui 投稿日時: 2006/11/19 11:50 投稿番号: [3132 / 3669]
  この本は読まないだろうと思っていました。
  しかし、週刊誌サンデー毎日の書評で、捏造発覚後の黄禹錫教授擁護運動を、著者李成柱氏が原因を未熟な民主主義に求めたことを否定し、評者池田清彦氏は生命工学はカルトの標的になりやすい構造を持っているからだと述べています。池田清彦氏て何者?ということから、少し興味を持ちました。

  それで、他の方の評を調べてみると、科学者の論文捏造はどこの国でもあり、普遍性のある問題というテーマで扱われているようです。科学者や医学者の方々のブログでも、韓国での出来事と言うより、わが身のこととして論じていることが印象的でした。
  池田氏は構造主義生物学を提唱する高名な生物学者で、科学や医療研究の近いところにおられるようで、生命工学カルト説はさほど強引な主張でもないようです。
  ということで、わが町の図書館に予約を入れました。

  なお著者、東亜日報の元記者李成柱氏について。
  黄教授擁護派であった李氏は、黄教授の倫理問題だけでなく、韓国独特の社会構造にも切り込みつつ、結果、自社メディアに失望して退職してしまったとのこと。

Re: 倭館 鎖国時代の日本人町

投稿者: xsizepistol88 投稿日時: 2006/11/14 16:43 投稿番号: [3131 / 3669]
釜山の草梁に確かに旧館もしくは
古館という倭の町があった。
小学、中学生のとき、よく通りすぎたり
してた。日帝時代に経てたとみられる
黄色タイルの建物。未だあるかな。
そういえば慶北にも倭館という地名が
あるね。そこは三国時代からあったと
思うね。通商目的に渡航した倭族を
泊まらせた所だね。

倭館 鎖国時代の日本人町

投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2006/11/10 21:10 投稿番号: [3130 / 3669]
田代和生著   文春新書

既出かもしれませんが、あげをかねて。
対馬藩が釜山に設けていた倭館について書かれている本です。

朴正熙崇拝計画への協力命令

投稿者: jalopy2005 投稿日時: 2006/11/06 00:35 投稿番号: [3129 / 3669]
を拒絶し、ひどい目に合った男。


http://www.nytimes.com/2006/11/04/world/asia/04shin.html?_r=1&oref=slogin

朝鮮の人(下)

投稿者: mochikokuhou02 投稿日時: 2006/11/02 21:57 投稿番号: [3128 / 3669]
  朝鮮人はまた、概して勤勉・貯蓄の思想がきわめて乏しい。ちょっと見たところでは仕事をする者はないかしらん、と思われるほど、用もないのに長いキセルをもってプラリプラリしておるのを到るところに見るのである。

  また朝鮮人の好奇心は妙で、かの京城の電気鉄道ができると、かれらは珍しがって用もないのにこれに乗って、或いは東に行き或いは西に行き、嚢中ゼニ尽きてはじめてボンヤリ立って、羨ましげに電車の行くのを眺めておる。また京仁・京釜の鉄道ができると、遠方からワザワザ用もないのに汽車に乗りにきて嚢をさかさにして下等切符を買い、汽車に乗って先生はなはだ得意がってゴザる。
  ようやく儲けてはそのカネをもって電車に乗りに来たり、汽車に乗りに来たりする。無邪気と言おうか、子供げでかわいらしい。朝鮮のこんにちあるを致すこと、偶然でないのが知れる。

  ある日本の商人が自転車を持っていって店に飾っておいたら、これを見たひとりの朝鮮人は家財など必要品までも売り払ろうてこれを求め、まいにち市中を乗り回して物見高い他の同胞を羨ましがらせておったが、その後まもなく金に窮して自転車も法外の安値で売り飛ばしてしまい、車もないが身代もないものとなった、という話もある。

  それというものが、朝鮮人はいたって遊惰・安逸をむさぼり、その日さえ過ごさるれば骨を折って仕事をしようという考えもないから、雑談にも困り無事に苦しむことがあっても田舎などには娯楽に供する寄席のような手軽い便利な遊覧場などの耳や目を喜ばすものもなく、ようやく盆栽をいじくったり、将棋・カルタを弄ぶくらいが主な楽しみで、そのほかは昼寝やら煙草をふかしなどしてその日を送るのであるから、右等のような子供げたこともしぜんに生じてくるのでもあろうか。

  かように朝鮮人は一般に為すこともなくその日を送る「遊惰の民」であるが、しかしそのうちでまた、いろいろ気質の相違もある。ある書に、慶尚道の人民は他よりか勉強する美風があって、農業や漁業にはげみ貯蓄心もあって、文字を解すも者が多く性質もよく品行もまあ良いほうであるが、粗暴で喧嘩好きなは咸鏡道の住民に多く、欲深く狡猾なのは全羅道の住民に多い。また愚昧で吝嗇なは黄海道に平安道、遊惰で奢侈なは京畿道、忠清道、頑固で未開なは江原道じゃと書いてあったが、はたしてどうであるか。



  こう言えば朝鮮人はじつに取り柄のない人間のようであるが、しかし使いようさえ良ければずいぶん役に立つ。
  だいいち朝鮮人がものを負うちからの強いことといったら、じつに日本の馬よりも重いものを負う。なかには六、七十貫目のものでも負うのは珍しくないそうであるから、よく督励して仕事をさせ、持ち運びに使こうたらなかなか役に立つ。ただ、怠けさせないように、約束を守りてよく働くように、監督が肝要である。

  朝鮮婦人は一体に男子におもてを見られないようにするが、下等婦人は労働をせねばならぬから臆面もなく市中を往来する。かれらはまた物を頭に載するちからが強い。売り物や買い物をみな頭に載せてゆくところは、日本の大原女などによく似ておる。
  男女とも、おのおの特有の一力をもっておるのは、妙じゃ。

( この章、終。)

朝鮮の人(中)

投稿者: mochikokuhou02 投稿日時: 2006/11/02 21:56 投稿番号: [3127 / 3669]
  朝鮮人の不潔ときたらずいぶんヒドい。てんで清潔とか衛生とかいう考えはないから、いかに不潔な家でもいかに不潔なところでも一向平気で、濁った水でもかまわないどころか、小便や大便の汁が混じっておっても、さらに頓着せずにこれを飲む。じつに味噌も糞も朝鮮人には一緒である。

  といえば、朝鮮に行かない人には「極端の言いよう」のように思われるかもしれないが、事実その通りで、一例をあぐれば、家を作るに壁土の中に馬糞などを混ぜて、喜んでこれを塗る。そのわけは、「馬糞を混ぜると壁が堅くなって泥がおちにくい」と言うておる。

  さらに驚くべく、信じがたいほどであるのは、朝鮮人は小便で顔を洗い、生目がよくなると言うておる。また小便は「腎虚」や「肺結核」や「解熱」等に有効じゃというてこれを用い、また「強壮剤」じゃというて無病の者でも飲んでおる。いよいよ病気が重くて生きられまいというときは、大便を食べさすということも聞いておる。なんと驚かしいことではないか。

  塵やゴミがばらけておろうが、ものが腐って臭かろうが、食い物にはハエなどがたかって汚しても、さらになんとも思わないで、年じゅう風呂に入るの、湯をつかうの、ということは無い。
  夏など、穴のような家の中はもちろん蒸し暑いものであるから、たいていは家の外に露宿をする。その頭もとにはクソや小便が流れており、悪臭は紛々として鼻を突くほどでも、朝鮮人には感じがないらしい。

  日本の者が朝鮮に入り、朝鮮人家のあいだに雑居し、または朝鮮内地を旅行して朝鮮人の家に泊まると、いちばんに困るのは家の不潔であるのと、一種の臭気を吐き気をもよおすほどであるうえに、南京虫がやってくるので、じつに快く眠ることができないがちである。
  また、小便壷はたいてい室の中に置いてあって、大人でも子供でも、客の前であろうが、誰がおってもかまわずヂャアヂャアと小便する。また、その小便器を口のそばに持ってよせてツバを吐きこむ。
  かれらは久しい慣習で、別になんとも思わぬらしいが、日本人の目からみればいかにも見苦しい。たまったものでない。

  これが田舎になるといっそうヒドいのは言うまでもないが、しかし田舎のみではない。京城でも割合に不潔でないのは大路ぐらいのみで、すこし折れて小路に入ると、その臭気は鼻を覆うてでなくては通られないほどで、ちりやゴミが道の上にちり乱れており、家々の大小便は勝手にながれ出つつある。そこらあたりを朝鮮の子供らは平気でガヤガヤとたわむれ遊んでおる。
  また区々いたるところに牛のアタマや足が店先に並べてあるのがみえる。じつに見るからに心持が悪くてたまらないのに、朝鮮人はガヤガヤ入りこんで食ったり飲んだりしておる。これは飲食店である。

  いちど長雨が降ると、泥まった水は不潔物と一緒になって道の上でもすねのほうまで来るほどみなぎって、室内の道具など漂よわしてもこれを洗うのなんのということはさらにない。
  婦人がボチャボチャ着物の洗濯をしておるので行ってみれば、にごり黒んで小便水やら雨水やら、さらに見分けはつかない中に、セッセと揉んだり打ったり、汗水たらしてやっておる。

  右は朝鮮人の不潔の概略を述べたのであるが、しかしこんにちでは到る所たいてい日本人の宿屋もあり、だれが行ってもここに書いてあるような不快な目に遭わず旅行することができるから、朝鮮に行く人はその段は安心して行かれたい。

朝鮮の人(上)

投稿者: mochikokuhou02 投稿日時: 2006/11/02 21:55 投稿番号: [3126 / 3669]
  朝鮮の人はどんな人か、というて、べつに変わったことはない。おなじ種類の東洋人、その色合いから背格好、髪や毛の黒いところまで、みな日本人によく似ている。鉄道の改札係や学生など、髪を切り、洋服を着て日本語を使こうておるのは、日本人と少しも変わりはない。「朝鮮人じゃ」と知って注意して見ないと日本人かと見間違える。
  その形・骨格の大抵、相同じようなのと、言葉の脈筋や文法がまったく同じようなのと、古代風俗の互いによく相似ておるなどとは、日本人と朝鮮人と、同じひとつ型の人種であるということが思われる。

  ただ、よく見ればどことなくボンヤリとした所があって、口をあけ、眼がどんよりとして、何か足らぬかのやうに見える。しかし、なにも足らぬことはない。日本語も早く覚える、ひと通りの事務もできる。ただ面倒な勘定事や何んどになると、どうも得こらえられぬありさまであると、ある朝鮮人を使こうておるひとの話であった。

  朝鮮人は一体に男は顔が長くて、気の長いのを表しておる。しかし女の顔は短いのが多いようじゃ。口元や顔の按配式はどことなく無頓着のたちが見えて、じつに衛生じゃの病気じゃの無頓着千万、そこになると悪く言うようじゃが人間よりもケダモノに近い、と言うてもよいようである。
  道を歩くにもノソリノソリ牛が歩むように、またわけもなく道端の名も知れぬ草の芽など取って食っておる。大きな棒で殴られてもシイて痛そうにもせず、「あちらに行け、邪魔になる」と追いまくられてもブラリブラリ愚図ついておるありさまなどは、牛に近いと言うてよい。

  雨の降る日には仕事はしないほうで、また寒い日などひねもす家の中で遊惰にふけり雑談して、「人の責務」とか「勤労」とか「時間の大事なこと」など、さらに観念は無いらしい。
  もっとも雨天に仕事をしないのは、前に『朝鮮の山・朝鮮の川』のところで説いたように、雨が降ると田や野も道路もみな水になるのであるから、仕事をしようと思うてもできないありさまで、しぜん雨の日には仕事はしないことに習慣が成ったものであろうか。

  したがって朝鮮には雨具の用意がきわめて少ない。ほとんど「ない」と言うてもよい。笠とか唐傘とかいうものも無い。ただどちらともつかないごく小さい、子供のおもちゃみたような油紙でこしらえたのであって、これはただ笠、すなわちカンムリ帽子を覆うだけで、そのほかに身体を覆い雨や雪を防ぐものはさらにない。下駄のごときでもただ木を刳ったばかりで、じつに不細工千万のものである。
  もっとも今ごろはだんだん日本の傘やコウモリ傘の類が輸入されて、これを買うてもっておる者は自慢げに持ち歩いておる。

  であるから、雨具も要るように朝鮮人を雨の日にも働かそうとおもえば、雨の関係を極めねばなるまい。すなわち雨が降っても田野や道路が水にならないように、「仕事をしよう」と思えばできるように、治水すなわち河川の修理をしてやらねばならぬ、とおもう。こんにちのありさまでは、まず雨の日には仕事をしようと思うてもできない所が多い。
  もっとも、どこもどこもそう、というわけではないから、その元はかれらの柔惰・無気力によるのは言うまでもない。雨水がはびこるのをうち捨ておくのも、じつにその懶惰からである。

  また五、六人以上朝鮮人がおるうちには、かならず一、二人は痘痕(あばた)のものがある。これは衛生思想の無いあきらかな証拠で、天然痘が流行しても、種痘をしてこれを予防するなどの考えもなければ、またその途もひらけていない。だから、いまどき日本の内地には痘痕面の人はめったに見られないけれども、朝鮮ではいたるところにこれをみることができる。しかし、いまでは種痘も漸次ひろまりつつあるそうである。

  朝鮮は概して飲み水が良くないうえに、朝鮮人の無頓着なることは雨が降って河水が赤濁りに濁っておっても、これを濾してもちいるなどの考えはさらにない。そこで赤痢じゃの腸チフスなどの病気がとかく発生しやすい。

  以上は朝鮮人の一体に無頓着で、不精なたちである一端を説いたのである。

ちょうど100年前の韓国人

投稿者: mochikokuhou02 投稿日時: 2006/11/02 21:54 投稿番号: [3125 / 3669]
『最近朝鮮事情』 荒川五郎著 1906年刊のさわりを紹介します。86ページから「朝鮮の人」の章、全文。現代かな遣いに改め、読みやすくする範囲で句読点、ふるい当て字などもあらためました。
  原文は国会図書館のHP、近代デジタルライブラリー※で無料公開されています。

出版地: 東京    出版者: 清水書店
出版年: 明39.5   ページ数: 268p   図版
大きさ: 23cm    NDC分類番号: 292.1
荒川五郎 (1865-1944)   著作権保護期間満了


  地理、社会、経済などについて、朝鮮へ移住を考える者の手引きとするための一般向け読み物で、平易なわりに興味深く充実した内容をよくまとめています。

  当時の韓国にはこれといった産業がなく、中国の安い絹糸などを人力で担いでくる仲介貿易も、貿易構造の変化で失業していました。海外からの投資や植民の受け入れが、逼迫した経済の袋小路に、雇用や技術移転、インフラ整備などの出口をもたらすものとして、どのみち歓迎されなくてはなりませんでした。従来、政治的偏向から民族感傷に重きが置かれるあまり植民地経済学は全く無視・わい曲されていましたが、真に学術的な見直しがもとめられています。

  差別的な表現も含まれていますが、これはむしろ度重なるテロのため、後進性への同情(明治10年代)から一転、厳しい批判(20年代)をへて、ようやくユーモアに変わってきた当時の世論の傾向を見るべきで、「こんなんだから、大目に見てやれよ」という、あけすけでミもフタもない、当時の自然主義ヒューマニズムに基づいた写実的な語り口になっていることを理解して読んでみてください。
  一部はすでにどこかのブログかスレで面白おかしく紹介されているようですが、ここでは韓国人じしんにより多くの正確な内容を知ってもらうため、ひとつの章を全文に近い形で翻文しておきます。


  ※ちなみにデジタルライブラリーはことしジフからJペグ一本に変わり画質が劣化、極端に読みにくくなっています。

Re: 鄭大均 『在日の耐えられない軽さ』

投稿者: bosintang 投稿日時: 2006/10/28 15:45 投稿番号: [3124 / 3669]
honkytonk_2002_xさん,投稿ありがとうございます。


http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1&sid=1835396&mid=3063

鄭大均 『在日の耐えられない軽さ』

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2006/10/21 23:46 投稿番号: [3123 / 3669]
今日買ったばかりですが、少しずつ読んでいこうと思います。

ペラペラっとめくって流し読みしたところ、妹である、「外国人は日本に来るな!」発言の鄭香均氏についても述べており、楽しみです。
大均氏は、『日本(イルボン)のイメージ』が面白かったなあ。

ttp://www.amazon.co.jp/gp/product/4121018613/sr=1-2/qid=1161441004/ref=sr_1_2/503-4091309-6312722?ie=UTF8&s=books

↓著者の妹の鄭香均氏
ttp://www.geocities.jp/a8xs/

Re: ◆コリア関連書籍◆

投稿者: xsizepistol88 投稿日時: 2006/10/17 11:02 投稿番号: [3122 / 3669]
このトピが最近、極右的性格を出しはじめたね。
犬鍋兄貴に伝えてくれない?
俺は純粋な文学同好会の会員になりたかったのに
これじゃ右翼のアジトなので困るにだと。

Re: >Re: 淵澤能恵の信念

投稿者: jalopy2005 投稿日時: 2006/10/13 00:46 投稿番号: [3121 / 3669]
>>事実、併合時も独立後も韓国の発展につくした日本人は大勢います。韓国側ではそれに蓋をしていますが、その蓋をこじ開ける作業もこれからは必要かもしれません。


朝鮮人として恥ずかしい限りです。
ソウル大学校の沿革を見ると、
1945年創立となっています。
お前らゼロからスタートしたんか。
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