朝鮮の人(下)
投稿者: mochikokuhou02 投稿日時: 2006/11/02 21:57 投稿番号: [3128 / 3669]
朝鮮人はまた、概して勤勉・貯蓄の思想がきわめて乏しい。ちょっと見たところでは仕事をする者はないかしらん、と思われるほど、用もないのに長いキセルをもってプラリプラリしておるのを到るところに見るのである。
また朝鮮人の好奇心は妙で、かの京城の電気鉄道ができると、かれらは珍しがって用もないのにこれに乗って、或いは東に行き或いは西に行き、嚢中ゼニ尽きてはじめてボンヤリ立って、羨ましげに電車の行くのを眺めておる。また京仁・京釜の鉄道ができると、遠方からワザワザ用もないのに汽車に乗りにきて嚢をさかさにして下等切符を買い、汽車に乗って先生はなはだ得意がってゴザる。
ようやく儲けてはそのカネをもって電車に乗りに来たり、汽車に乗りに来たりする。無邪気と言おうか、子供げでかわいらしい。朝鮮のこんにちあるを致すこと、偶然でないのが知れる。
ある日本の商人が自転車を持っていって店に飾っておいたら、これを見たひとりの朝鮮人は家財など必要品までも売り払ろうてこれを求め、まいにち市中を乗り回して物見高い他の同胞を羨ましがらせておったが、その後まもなく金に窮して自転車も法外の安値で売り飛ばしてしまい、車もないが身代もないものとなった、という話もある。
それというものが、朝鮮人はいたって遊惰・安逸をむさぼり、その日さえ過ごさるれば骨を折って仕事をしようという考えもないから、雑談にも困り無事に苦しむことがあっても田舎などには娯楽に供する寄席のような手軽い便利な遊覧場などの耳や目を喜ばすものもなく、ようやく盆栽をいじくったり、将棋・カルタを弄ぶくらいが主な楽しみで、そのほかは昼寝やら煙草をふかしなどしてその日を送るのであるから、右等のような子供げたこともしぜんに生じてくるのでもあろうか。
かように朝鮮人は一般に為すこともなくその日を送る「遊惰の民」であるが、しかしそのうちでまた、いろいろ気質の相違もある。ある書に、慶尚道の人民は他よりか勉強する美風があって、農業や漁業にはげみ貯蓄心もあって、文字を解すも者が多く性質もよく品行もまあ良いほうであるが、粗暴で喧嘩好きなは咸鏡道の住民に多く、欲深く狡猾なのは全羅道の住民に多い。また愚昧で吝嗇なは黄海道に平安道、遊惰で奢侈なは京畿道、忠清道、頑固で未開なは江原道じゃと書いてあったが、はたしてどうであるか。
こう言えば朝鮮人はじつに取り柄のない人間のようであるが、しかし使いようさえ良ければずいぶん役に立つ。
だいいち朝鮮人がものを負うちからの強いことといったら、じつに日本の馬よりも重いものを負う。なかには六、七十貫目のものでも負うのは珍しくないそうであるから、よく督励して仕事をさせ、持ち運びに使こうたらなかなか役に立つ。ただ、怠けさせないように、約束を守りてよく働くように、監督が肝要である。
朝鮮婦人は一体に男子におもてを見られないようにするが、下等婦人は労働をせねばならぬから臆面もなく市中を往来する。かれらはまた物を頭に載するちからが強い。売り物や買い物をみな頭に載せてゆくところは、日本の大原女などによく似ておる。
男女とも、おのおの特有の一力をもっておるのは、妙じゃ。
( この章、終。)
また朝鮮人の好奇心は妙で、かの京城の電気鉄道ができると、かれらは珍しがって用もないのにこれに乗って、或いは東に行き或いは西に行き、嚢中ゼニ尽きてはじめてボンヤリ立って、羨ましげに電車の行くのを眺めておる。また京仁・京釜の鉄道ができると、遠方からワザワザ用もないのに汽車に乗りにきて嚢をさかさにして下等切符を買い、汽車に乗って先生はなはだ得意がってゴザる。
ようやく儲けてはそのカネをもって電車に乗りに来たり、汽車に乗りに来たりする。無邪気と言おうか、子供げでかわいらしい。朝鮮のこんにちあるを致すこと、偶然でないのが知れる。
ある日本の商人が自転車を持っていって店に飾っておいたら、これを見たひとりの朝鮮人は家財など必要品までも売り払ろうてこれを求め、まいにち市中を乗り回して物見高い他の同胞を羨ましがらせておったが、その後まもなく金に窮して自転車も法外の安値で売り飛ばしてしまい、車もないが身代もないものとなった、という話もある。
それというものが、朝鮮人はいたって遊惰・安逸をむさぼり、その日さえ過ごさるれば骨を折って仕事をしようという考えもないから、雑談にも困り無事に苦しむことがあっても田舎などには娯楽に供する寄席のような手軽い便利な遊覧場などの耳や目を喜ばすものもなく、ようやく盆栽をいじくったり、将棋・カルタを弄ぶくらいが主な楽しみで、そのほかは昼寝やら煙草をふかしなどしてその日を送るのであるから、右等のような子供げたこともしぜんに生じてくるのでもあろうか。
かように朝鮮人は一般に為すこともなくその日を送る「遊惰の民」であるが、しかしそのうちでまた、いろいろ気質の相違もある。ある書に、慶尚道の人民は他よりか勉強する美風があって、農業や漁業にはげみ貯蓄心もあって、文字を解すも者が多く性質もよく品行もまあ良いほうであるが、粗暴で喧嘩好きなは咸鏡道の住民に多く、欲深く狡猾なのは全羅道の住民に多い。また愚昧で吝嗇なは黄海道に平安道、遊惰で奢侈なは京畿道、忠清道、頑固で未開なは江原道じゃと書いてあったが、はたしてどうであるか。
こう言えば朝鮮人はじつに取り柄のない人間のようであるが、しかし使いようさえ良ければずいぶん役に立つ。
だいいち朝鮮人がものを負うちからの強いことといったら、じつに日本の馬よりも重いものを負う。なかには六、七十貫目のものでも負うのは珍しくないそうであるから、よく督励して仕事をさせ、持ち運びに使こうたらなかなか役に立つ。ただ、怠けさせないように、約束を守りてよく働くように、監督が肝要である。
朝鮮婦人は一体に男子におもてを見られないようにするが、下等婦人は労働をせねばならぬから臆面もなく市中を往来する。かれらはまた物を頭に載するちからが強い。売り物や買い物をみな頭に載せてゆくところは、日本の大原女などによく似ておる。
男女とも、おのおの特有の一力をもっておるのは、妙じゃ。
( この章、終。)
これは メッセージ 3127 (mochikokuhou02 さん)への返信です.
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