朝鮮の人(上)
投稿者: mochikokuhou02 投稿日時: 2006/11/02 21:55 投稿番号: [3126 / 3669]
朝鮮の人はどんな人か、というて、べつに変わったことはない。おなじ種類の東洋人、その色合いから背格好、髪や毛の黒いところまで、みな日本人によく似ている。鉄道の改札係や学生など、髪を切り、洋服を着て日本語を使こうておるのは、日本人と少しも変わりはない。「朝鮮人じゃ」と知って注意して見ないと日本人かと見間違える。
その形・骨格の大抵、相同じようなのと、言葉の脈筋や文法がまったく同じようなのと、古代風俗の互いによく相似ておるなどとは、日本人と朝鮮人と、同じひとつ型の人種であるということが思われる。
ただ、よく見ればどことなくボンヤリとした所があって、口をあけ、眼がどんよりとして、何か足らぬかのやうに見える。しかし、なにも足らぬことはない。日本語も早く覚える、ひと通りの事務もできる。ただ面倒な勘定事や何んどになると、どうも得こらえられぬありさまであると、ある朝鮮人を使こうておるひとの話であった。
朝鮮人は一体に男は顔が長くて、気の長いのを表しておる。しかし女の顔は短いのが多いようじゃ。口元や顔の按配式はどことなく無頓着のたちが見えて、じつに衛生じゃの病気じゃの無頓着千万、そこになると悪く言うようじゃが人間よりもケダモノに近い、と言うてもよいようである。
道を歩くにもノソリノソリ牛が歩むように、またわけもなく道端の名も知れぬ草の芽など取って食っておる。大きな棒で殴られてもシイて痛そうにもせず、「あちらに行け、邪魔になる」と追いまくられてもブラリブラリ愚図ついておるありさまなどは、牛に近いと言うてよい。
雨の降る日には仕事はしないほうで、また寒い日などひねもす家の中で遊惰にふけり雑談して、「人の責務」とか「勤労」とか「時間の大事なこと」など、さらに観念は無いらしい。
もっとも雨天に仕事をしないのは、前に『朝鮮の山・朝鮮の川』のところで説いたように、雨が降ると田や野も道路もみな水になるのであるから、仕事をしようと思うてもできないありさまで、しぜん雨の日には仕事はしないことに習慣が成ったものであろうか。
したがって朝鮮には雨具の用意がきわめて少ない。ほとんど「ない」と言うてもよい。笠とか唐傘とかいうものも無い。ただどちらともつかないごく小さい、子供のおもちゃみたような油紙でこしらえたのであって、これはただ笠、すなわちカンムリ帽子を覆うだけで、そのほかに身体を覆い雨や雪を防ぐものはさらにない。下駄のごときでもただ木を刳ったばかりで、じつに不細工千万のものである。
もっとも今ごろはだんだん日本の傘やコウモリ傘の類が輸入されて、これを買うてもっておる者は自慢げに持ち歩いておる。
であるから、雨具も要るように朝鮮人を雨の日にも働かそうとおもえば、雨の関係を極めねばなるまい。すなわち雨が降っても田野や道路が水にならないように、「仕事をしよう」と思えばできるように、治水すなわち河川の修理をしてやらねばならぬ、とおもう。こんにちのありさまでは、まず雨の日には仕事をしようと思うてもできない所が多い。
もっとも、どこもどこもそう、というわけではないから、その元はかれらの柔惰・無気力によるのは言うまでもない。雨水がはびこるのをうち捨ておくのも、じつにその懶惰からである。
また五、六人以上朝鮮人がおるうちには、かならず一、二人は痘痕(あばた)のものがある。これは衛生思想の無いあきらかな証拠で、天然痘が流行しても、種痘をしてこれを予防するなどの考えもなければ、またその途もひらけていない。だから、いまどき日本の内地には痘痕面の人はめったに見られないけれども、朝鮮ではいたるところにこれをみることができる。しかし、いまでは種痘も漸次ひろまりつつあるそうである。
朝鮮は概して飲み水が良くないうえに、朝鮮人の無頓着なることは雨が降って河水が赤濁りに濁っておっても、これを濾してもちいるなどの考えはさらにない。そこで赤痢じゃの腸チフスなどの病気がとかく発生しやすい。
以上は朝鮮人の一体に無頓着で、不精なたちである一端を説いたのである。
その形・骨格の大抵、相同じようなのと、言葉の脈筋や文法がまったく同じようなのと、古代風俗の互いによく相似ておるなどとは、日本人と朝鮮人と、同じひとつ型の人種であるということが思われる。
ただ、よく見ればどことなくボンヤリとした所があって、口をあけ、眼がどんよりとして、何か足らぬかのやうに見える。しかし、なにも足らぬことはない。日本語も早く覚える、ひと通りの事務もできる。ただ面倒な勘定事や何んどになると、どうも得こらえられぬありさまであると、ある朝鮮人を使こうておるひとの話であった。
朝鮮人は一体に男は顔が長くて、気の長いのを表しておる。しかし女の顔は短いのが多いようじゃ。口元や顔の按配式はどことなく無頓着のたちが見えて、じつに衛生じゃの病気じゃの無頓着千万、そこになると悪く言うようじゃが人間よりもケダモノに近い、と言うてもよいようである。
道を歩くにもノソリノソリ牛が歩むように、またわけもなく道端の名も知れぬ草の芽など取って食っておる。大きな棒で殴られてもシイて痛そうにもせず、「あちらに行け、邪魔になる」と追いまくられてもブラリブラリ愚図ついておるありさまなどは、牛に近いと言うてよい。
雨の降る日には仕事はしないほうで、また寒い日などひねもす家の中で遊惰にふけり雑談して、「人の責務」とか「勤労」とか「時間の大事なこと」など、さらに観念は無いらしい。
もっとも雨天に仕事をしないのは、前に『朝鮮の山・朝鮮の川』のところで説いたように、雨が降ると田や野も道路もみな水になるのであるから、仕事をしようと思うてもできないありさまで、しぜん雨の日には仕事はしないことに習慣が成ったものであろうか。
したがって朝鮮には雨具の用意がきわめて少ない。ほとんど「ない」と言うてもよい。笠とか唐傘とかいうものも無い。ただどちらともつかないごく小さい、子供のおもちゃみたような油紙でこしらえたのであって、これはただ笠、すなわちカンムリ帽子を覆うだけで、そのほかに身体を覆い雨や雪を防ぐものはさらにない。下駄のごときでもただ木を刳ったばかりで、じつに不細工千万のものである。
もっとも今ごろはだんだん日本の傘やコウモリ傘の類が輸入されて、これを買うてもっておる者は自慢げに持ち歩いておる。
であるから、雨具も要るように朝鮮人を雨の日にも働かそうとおもえば、雨の関係を極めねばなるまい。すなわち雨が降っても田野や道路が水にならないように、「仕事をしよう」と思えばできるように、治水すなわち河川の修理をしてやらねばならぬ、とおもう。こんにちのありさまでは、まず雨の日には仕事をしようと思うてもできない所が多い。
もっとも、どこもどこもそう、というわけではないから、その元はかれらの柔惰・無気力によるのは言うまでもない。雨水がはびこるのをうち捨ておくのも、じつにその懶惰からである。
また五、六人以上朝鮮人がおるうちには、かならず一、二人は痘痕(あばた)のものがある。これは衛生思想の無いあきらかな証拠で、天然痘が流行しても、種痘をしてこれを予防するなどの考えもなければ、またその途もひらけていない。だから、いまどき日本の内地には痘痕面の人はめったに見られないけれども、朝鮮ではいたるところにこれをみることができる。しかし、いまでは種痘も漸次ひろまりつつあるそうである。
朝鮮は概して飲み水が良くないうえに、朝鮮人の無頓着なることは雨が降って河水が赤濁りに濁っておっても、これを濾してもちいるなどの考えはさらにない。そこで赤痢じゃの腸チフスなどの病気がとかく発生しやすい。
以上は朝鮮人の一体に無頓着で、不精なたちである一端を説いたのである。
これは メッセージ 3125 (mochikokuhou02 さん)への返信です.
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