◆コリア関連書籍◆
Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー
>中傷ってなに
投稿者: esoteric_02 投稿日時: 2003/12/07 14:53 投稿番号: [1641 / 3669]
>さてこの話、初耳?驚いたね
さきほど引用したオーストラリアの軍事サイトにもある通り、「第17捕虜収容所」を上回る規模の大脱走があるとは知らなかったよ。
>一々俺の話に喧嘩を売るのは連載中断してほしいからか
まー日本は言論自由の国だから連載を続けようが中断しようがどうでもいいけど、イル氏は根拠のない話に対する異論は喧嘩を売るってことになるの?
これは メッセージ 1639 (ilkuji_99 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1641.html
「天皇の親族」の脱出
投稿者: trek022 投稿日時: 2003/12/07 14:42 投稿番号: [1640 / 3669]
この話はもう歴史に属することなので、氏名を明らかにしたところで、今さら「名誉毀損」で告訴されたりしませんよ。現に朝香宮を名指しで、南京事件の「戦犯」呼ばわりしている欧米の歴史家もいます。関係者はほとんど死去していますからね。まして捕虜収容所からの脱出は別に名誉を毀損するような話ではありません。
それにカウラ捕虜収容所の生き残りは700人くらいいたはずで、もし「天皇の親族」が本当に脱出に成功したのなら、豪軍当局に伝わらないはずはなく、オーストラリアの歴史に大書されているはずです。しかし、豪州のサイトを見る限りそんなことは誰も言っていません。当時、日本のスパイが潜水艦で豪州に潜入していたようなことは書いてありますが。
また生き残りの捕虜が日本に帰国後、黙っているはずはありません。戦後の日本に検閲はないし、天皇家といえども彼らを沈黙させることはできません。必ず日本国内でも明らかにされていたはずです。
根拠を明示されない以上、まあそんな噂もあるとしておくしかありません。
これは メッセージ 1637 (ilkuji_99 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1640.html
>>>>>カウラ脱走―II
投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2003/12/07 14:27 投稿番号: [1639 / 3669]
>根拠がないなら中傷と受け取られかねない
わしは根拠のない話だといったことないけど。貴重な時間に嘘を付いてる
場合じゃないだろ?根拠を出さなくてもみんな知っているとの意味だが。
さてこの話、初耳?驚いたね。
中傷ってなに?既に数年前、天皇親族を脱出させるためだと新聞に
記事が出たこともあるけど。遅れてるね。(溜息)
一々俺の話に喧嘩を売るのは連載中断してほしいからか?
これは メッセージ 1638 (esoteric_02 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1639.html
>>>>カウラ脱走―II
投稿者: esoteric_02 投稿日時: 2003/12/07 14:07 投稿番号: [1638 / 3669]
>根拠が必要ですか?
根拠がないなら中傷と受け取られかねない話はやめましょうや。
トピを移った意味がないでしょ。
だけどこの話は初耳だったのでイル氏が紹介してくれたことも多少意義はあった。
これは メッセージ 1637 (ilkuji_99 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1638.html
>>>>カウラ脱走―II
投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2003/12/07 13:43 投稿番号: [1637 / 3669]
>この話の根拠や脱走に成功した「天皇の親族」の氏名を明らかにする必要が
あるのではないでしょうか。
まず、この話は皆知っているといったでしょう?根拠が必要ですか?
知っているといった後、今更根拠出しなさいっておかしいじゃ
ないですか?詳しいことは経験者の話を引用したこともあるけど、
この事件についてはオーストラリアで出版した本も多いですね。
こちらからも豪州・日本を問わずに色々の本を参考した部分もあるし
それを基にして自分で全体的に再構成してみました。まさかその当時、
筆者が経験したかと聞いてるんじゃないでしょ?
親族の名を出してどうするつもりですか?「名誉毀損にだ」と告訴されて
ほしいにか?今度はいわないからって嘘だ!と叫ぶつもりですか?
まあ、過去の話だからこのままでいいじゃないですか?
どうせ天皇家は死んでも認めないはずでしょうし。
天皇を困らせたらいけないよ。(爆)
これは メッセージ 1635 (trek022 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1637.html
>>カウラ脱走―II
投稿者: esoteric_02 投稿日時: 2003/12/07 13:40 投稿番号: [1636 / 3669]
イルクジのオッサン、トレック教授がリンクしてくれたこのサイトによると、捕虜231名が死亡、108名が負傷、脱走した捕虜334名は逃亡生活9日後、全員逮捕されたとあるぞ。
http://www.diggerhistory.info/pages-battles/ww2/cowra-prison.htmDuring the ensuring nine days 334 prisoners were retaken, of which 25 were dead. Of the dead, 11 were found hanging from trees and two had been killed by trains.
In all, 231 Japanese POW's were killed and 108 wounded. One Australian Officer was killed along with three Australian other ranks, while four others were wounded.
>馬鹿じゃない限り言論がそういうからとか
>天皇家が否認するからった
仮にイルクジ氏の情報が真実だとして、日本側が隠すのは心情的にわかるが、なぜオーストラリアが隠す必要があるかね?
私が見落としているのかな?
ぜひイルクジ氏の情報のsourceを希望。
これは メッセージ 1634 (ilkuji_99 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1636.html
>>>カウラ脱走―II
投稿者: trek022 投稿日時: 2003/12/07 12:46 投稿番号: [1635 / 3669]
>「そんな人いません」と断言するのは
真実を追求する人間の姿勢じゃありません。
現在の日本の皇族は天皇の直系親族だけに限られていますが、戦前は何とかの宮というのがいっぱいいた。1938年に南京事件を起こした前線司令官のなかに朝香宮がいたように軍務に就いていた皇族も多かったのですが、皇族である限り、軍歴はみんな判明しています。ですから、皇族ではありえないが、皇族と婚姻関係にある家柄の者かもしれないといっているのです。真実を追究すると言う以上、この話の根拠や脱走に成功した「天皇の親族」の氏名を明らかにする必要があるのではないでしょうか。
これは メッセージ 1634 (ilkuji_99 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1635.html
>>カウラ脱走―II
投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2003/12/07 12:27 投稿番号: [1634 / 3669]
>天皇の親族といえば皇族ですが、
日本の皇族でオーストラリア軍の捕虜と
なったり、ましてオーストラリアの捕虜
収容所から奇跡の脱出をした者はいません。
数百名の同胞捕虜を犠牲しながら
密かに親族を脱出させた理由が
そこにあります。
天皇家は多分永遠に認めないでしょう。
親族が捕虜になったとか、
そこで数百名の「皇軍」捕虜を
殺させて脱出させたのを。
馬鹿じゃない限り言論がそういうからとか
天皇家が否認するからった
「そんな人いません」と断言するのは
真実を追求する人間の姿勢じゃありません。
これは メッセージ 1632 (trek022 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1634.html
戦陣訓
投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2003/12/06 23:25 投稿番号: [1633 / 3669]
第八
名を惜しむ
恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、いよいよ奮励して其の期待に答ふべし。
生きて虜囚の辱を受けず
死して罪禍の汚名を残すことなかれ
前半生きて・・・・を、捕虜になるくらいなら死んでしまえ、と解すると、後半はどう解するか。
これは メッセージ 1630 (ilkuji_99 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1633.html
>カウラ脱走―II
投稿者: trek022 投稿日時: 2003/12/06 21:13 投稿番号: [1632 / 3669]
>結局1千名が脱走して、その中350名が射殺された。
下記のカラウ市の公式日本語サイトを始め各種のサイトでは脱走事件の日本人犠牲者は
>231名が亡くなり、その際の自殺者も含めると、247名の日本兵が亡くなりました。(この事件時に4名のオーストラリア兵も亡くなりました。)
としています。350人という数字はどこから出てきたのでしょうか。
http://www.holidayfarm.com.au/cowra/cowra.htm>
脱走騒ぎの渦中に鉄条網を越えた一部の捕虜のなかには勿論天皇の親族もいた。彼は外で待っていた道案内の保護の中、無事に日本に帰ったという。
天皇の親族といえば皇族ですが、日本の皇族でオーストラリア軍の捕虜となったり、ましてオーストラリアの捕虜収容所から奇跡の脱出をした者はいません。皇族と婚姻関係のある家柄の者かもしれませんが、具体的な氏名がわからない以上、単なる噂なのかも知れません。
>収容所はもうないが今でも建物の残骸は少し残っているのにその壁には今でも韓国語で「家に帰りたい」と書かれた落書が残っている。
このハングルの落書きはイルクジさんが自分で確認されたのでしょうか。
これは メッセージ 1630 (ilkuji_99 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1632.html
>カウラ脱走―I
投稿者: trek022 投稿日時: 2003/12/06 20:58 投稿番号: [1631 / 3669]
この事件ですね。日本でも有名です。
http://www.diggerhistory.info/pages-battles/ww2/cowra-prison.htmただちょっと気になるのは
>日本の神風特攻隊は豪州の北部、ダーウィンを空襲
1942年にダーウィンを空襲したのは日本の爆撃隊で、神風特攻隊が出現するのは1944年のレイテ海戦からです。何かの勘違いでは。
また
>パプア・ニューギニー
日本語ではパプア・ニューギニアと言っています。ニューギニアでは日本軍とオーストラリア軍の間で戦闘が展開されました。なかでも激戦としてオーストラリア人に記憶されているのはココダ(kokoda
trail)の戦い。あるオーストラリア人はオストラリア軍が経験した最大の激戦は第一世界大戦のガリポリの戦いと第二次世界大戦のココダの戦いだといっていました。日本ではあまり有名ではありませんが、パプアのココダ・トレイルは現在オーストラリア人の人気観光地となっているそうです。こんなところで捕まったのがカウラ捕虜収容所に送られたのでしょう。
これは メッセージ 1629 (ilkuji_99 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1631.html
シドニーブルース―13―カウラ脱走―II
投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2003/12/06 19:11 投稿番号: [1630 / 3669]
一方、脱走を主張した大尉はどうなっただろうか。みんなが飛び出たその夜、彼は空いている幕舎の中で一人立って日本軍歌を力強く唄っていた。脱走騒ぎの渦中に鉄条網を越えた一部の捕虜のなかには勿論天皇の親族もいた。彼は外で待っていた道案内の保護の中、無事に日本に帰ったという。
脱出した捕虜たちは2―3名づつ組みを形成して歩きながら形勢を調べたが果てしない大平原には何もない。日本軍捕虜脱走の報告を受けた豪州軍司令部は兵力を増員、捕虜刈りに出たし捕虜をみつけたら射殺するように命令した。2―3日を何も食べずに迷っていた捕虜たちは諦めて木の枝に首を一列で吊って死んだり豪州兵に射殺されたり、もしくは一部は自ら収容所へ戻ってきた。結局1千名が脱走して、その中350名が射殺された。天皇の親族一名を脱走させるため350名の無実な生命が理由も知らずに犠牲されたのだ。
自首したり捕まって収容所に戻って来た捕虜たちは大尉が未だ生きているので不思議に想って事由を聞いたところ、大尉曰く「実際脱走しようとしたら恐くて動けなかったんです」だった。彼一人の扇動で数百名が死んだり怪我したのにそれが彼の答えだった。憤慨した捕虜たちが見守っている中で大尉は剃刀で頭毛をはげのように切ってから正座して日本刀の代わりに野球バットを後ろに立っている捕虜に渡した。そして前もって包帯を巻いた腹を持っていた短刀で刺したあと、そのまま横へ一字で切った。そしたら後ろでバットを持って待機していた捕虜が大尉の頭を力一杯で打ち下ろした。血が四方へ飛び脳味噌が流れ出た。大尉はそうやって死んだ。
終戦後、生残った捕虜はみんな日本へ送還され、各自の所へ痕跡も残らずに消えた。以降その事件を口にする人もいなく、いや自分が捕虜だったことさえいう人はいなかったそうだ。そして死ぬまで緘口して語らなかったそうだ。その理由はなんだろう。筆者が調べた原因は「戦陳訓」だった。即ち「帝国軍人は敵に捕虜されるより玉砕する」との軍命のせいなのだ。だから収容所に入所するときも本名より仮名で申告したケースが多かったそうだ。恥辱的な捕虜状態を後世に残したくなかったのだ。その「戦陳訓」を今度は天皇の親戚を救出するのに再び利用したのだ。それなら脱走当時、死亡した捕虜の墓地の前に付いている氏名はなんだろう?その氏名で死んでその氏名で参拝されてることか。
数十年が経った今、カウラには日本人捕虜じゃない日本人観光客で混んでいる。豪州が日本人に人気のある観光地に浮かんでから戦争の傷を持っているこの小さな村が日本観光客たちの名所として固まりはじまった。日本にあるカウラ記念事業会ではカウラ地域の土地を買受し当時の犠牲者たちの墓地を造成し日本の庭園を作りナシ農場を建ててナシを日本に輸出する。季節が北半球と正反対なので日本にナシが生産されない時期にここで生産したナシを輸入して売出す。また日本でカウラに関心のある人々を後援会会員として募集して寄付金を払えばカウラではユーカリッフ木に寄付者の名前が書いている名刹をつけて公園に植える。その寄付者があとでカウラを訪ねて自分の名刹のついている木を確認しながら歴史的な意味を反芻する時間を持つとか。
さて朝鮮人ではあるが日本軍として参戦し、捕虜になった犠牲者はどうだろうか。死ぬとき日本人として犬死にをして、創氏改名により日本人の名で埋められた人はいないか。いるなら彼らはいつまでここで埋められたままにいるべきか。日本がここを観光名所へ開発し、墓地を造成している間、韓国政府や有関団体は何をしていたのか。「我々はお金もないし、とにかく知らない」との一言で済むことか。 収容所はもうないが今でも建物の残骸は少し残っているのにその壁には今でも韓国語で「家に帰りたい」と書かれた落書が残っている。
これは メッセージ 1629 (ilkuji_99 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1630.html
シドニーブルース―13―カウラ脱走―I
投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2003/12/06 19:10 投稿番号: [1629 / 3669]
第2次大戦当時、パプア・ニューギニーは豪州の領土の一部だった。そのニューギニーを日本軍が侵攻して豪州軍との一代激戦が開かれた。同時に日本の神風特攻隊は豪州の北部、ダーウィンを空襲、数十名の人名を殺傷し多くの財産被害を与えた。ニューギニーで捕虜になった日本軍とダーウィン空襲時、撃墜され落下傘で脱出した日本海軍操縦士たちが、シドニーから西方へ150マイル離れたカウラという所にある日本軍捕虜収容所に収容された。1千名以上の捕虜が収容されたそこは周りに何もない陸地の孤島みたいな小さな村だった。その捕虜の中には日本の強制徴兵により参戦した朝鮮出身捕虜が5分の1ほどいた。
豪州軍警備隊の捕虜たちへの給食や待遇は連合軍の中でも最上だった。捕虜たちは皆静かに収容所生活を過ごしながら戦争が終ったら帰ろうと帰国する日を待っていた。野球競技をしたり、日本の祝日には祭り飾りをして遊びながらそれなりの収容所生活を楽しんでいた。ある日、東京の日本軍大本営に電報が飛んできた。カウラに収容された日本軍捕虜の中に天皇の親族がいるとの消息だった。日本政府は天皇の親族が敵国の捕虜になったのは恥辱なので早速救出するように決めて秘密裏にその親族を脱走させ、日本へ連れて来るように計画を立てた。
その任務を遂行するため特命を受けた日本軍大尉一名がわざと捕虜となり収容所に受監された。彼は静かに過ごそうとしている他の捕虜たちを侮辱しながら戦意を煽った。「お前らは軍隊で何を学んだのか?敵軍に捕虜になるより玉砕するように学んだじゃないか?この卑怯な奴等よ!こんな捕虜として恥辱を受けるより皆で闘って死のう」と。
この男は捕虜代表の小座と事毎に衝突を起こしながら捕虜たちに脱走のメッセジを伝えた。大尉がスパイだというのを知らない小座は自分が維持していた和平主義を主張しながら「闘っても得ることはない。あとで静かに帰ろう」とたしなめたが主戦派の大尉には牛耳読経だった。捕虜たちの動きに異常を探知した収容所の豪州軍幹部たちは捕虜の中でたまたま偶然に朝鮮人を発見し、彼を利用して内部の動きを把握しようとした。朝鮮人捕虜は密かに収容所警備幹部に会って毎日の動態を報告した。
大尉の衝動に同調し、一人、二人捕虜たちは戦意を育てはじめだし遂に捕虜たちは和平派、主戦派で分けて毎日激論を開いた。結局投票で決めるようにして脱走に同意したら死、残りたいなら生と書いて投票函に入れることにした。不思議にも和平派の巨頭、小座が案外に死の票を投げたと伝えられた。投票はしたものの開票過程は一切公開されなかった。投票の結果だけ発表したが「死が生より何十票多かった」といわれただけだった。そういうわけで過半数が脱走に同意したことで脱走を決行することになった。D―ディを月のない夜に決めた捕虜たちは中に動きが不自由な患者たちを「先に行かせる」ことにした。即ち不具者や走れない捕虜たちは両側に堵列した同僚たちの敬礼を受けながら松葉杖の足で歩いていって捕虜幕舎中の大梁に首を吊って死んだ。
D−ディを探知した朝鮮人捕虜は豪州軍にその事実を伝達するため皆寝ている間に幕舎を抜け出て走っていたとき、他の捕虜一名に発覚された。「スパイだ!」と叫んだら一部捕虜が外に出て追いかけてきた。あわてた朝鮮人捕虜は全力を出して警備兵のいる望楼へ走りまくったし、豪州軍に発覚されたと想った捕虜たちは夜中に全部起きて、その夜脱走することにした。野球バットや洋食道具のポークとナイフ、それに毛布だけを持ってみんな「ワアー」と喚声を出しながら幕舎から飛び出て鉄条網の壁へ飛び掛かった。望楼で警備をしていた豪州軍人たちは犬群れみたいに飛び掛かる捕虜の先頭に走っている朝鮮人捕虜を認知できなく彼を機関銃で射殺し後ろを付いてくる捕虜たちが鉄条網を越えようとしたので機関銃を乱射した。一部捕虜は毛布を鉄条網にかけて上がっていって望楼の警備兵一名を捕虜3―4名が一機に肉迫戦で攻撃、刺殺した。ほとんどは鉄条網を越えようとする過程で射殺され、わずか一部だけが越えて収容所の外へ逃げ出した。
(続き)
これは メッセージ 1 (violla_21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1629.html
「希望まで失うことはできない」
投稿者: bosintang 投稿日時: 2003/12/04 13:08 投稿番号: [1628 / 3669]
これは メッセージ 1330 (bosintang さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1628.html
吏頭(讀)の研究
投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2003/12/02 09:31 投稿番号: [1627 / 3669]
日帝時代、日本の学者が調査研究、
明快な解析をして
韓国の古文学者たちを恥ずかしく
させたと聴きました。
そういう意味では吏頭に日本側が
詳しいのもおかしく
ないですね。
これは メッセージ 1626 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1627.html
>吏讀の起源
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2003/11/30 14:38 投稿番号: [1626 / 3669]
吏讀はソルチョンが作ったものという言及が「帝王韻紀」ほかによって言われて来ていますが、これはある個人が作ったとすべきではなく、むしろそれまでの表記法をソルチョンが「整理し」て経書を注解したものと見るのがよさそうです。
吏讀についてはその初期形態は高句麗の資料に求められます。具体的には四種の高句麗城壁石刻銘があげられるようです。百済の資料は見つかっていないものと思われます。とにかく、こうした所期形態が新羅に受け継がれて吏讀が発達したのではないかと推測できそうです。
万葉仮名については韓国の学者がずいぶんと研究していますが、半島との関係について具体的な関係を明らかにしたものとして高く評価される話はどうも聞きません。百済と比較の可能性は充分にありえるでしょうがいかんせん資料がありません。
あるいは単純に考えれば、仮名で自国語を表記する方法・知識のみを日本が受け入れて日本語の発音に相応しいやり方を万葉の時代に独自に模索したのかもしれません。慎重さが求められるところです。
これは メッセージ 1625 (trek022 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1626.html
吏讀の起源
投稿者: trek022 投稿日時: 2003/11/30 14:02 投稿番号: [1625 / 3669]
>「新羅のソルチョンが創案したとの記録はあるが確かではない」と敷延説明しています。
吏讀(吏頭)の起源が果たして新羅なのかどうか、私は疑問に思います。
新羅よりも中国との交渉が密接で、早くから漢字文化が浸透していた高句麗や百済で発案された可能性も否定できません。新羅が三国を統一したので、高句麗や百済の文献は断片的なものしか残っておらず、実証はできませんが、日本に漢字を伝えたのが百済であれば、万葉仮名(つまり新羅の郷歌スタイル)は百済人が日本に伝えたのではないかとも考えられるからです。また日本人が漢文を読むときに必要な送り仮名も、古代日本の主要な漢字文化指導者(書博士や文章博士、僧侶)であった百済人や高句麗人が百済式(あるいは高句麗式)の吏讀を教えたものではないかとも思えるのです。
これは メッセージ 1624 (ilkuji_99 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1625.html
吏頭と吏讀
投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2003/11/30 13:38 投稿番号: [1624 / 3669]
民衆書林が出版した「エッセンス国語辞典」によると
両書き方が出ていて「三国時代から漢字の音と意味を借りて我が国の言葉を
表記するため使われた文字」となってて「新羅のソルチョンが創案したとの
記録はあるが確かではない」と敷延説明しています。
>高麗高宗から朝鮮宣祖までの時期に作られたものと
詳しいですね。一時代あとのことですね。正確には「景幾体歌」ないし
「景幾何如歌」ですが処容歌と時代を混同しました。済みません。
「遊びぶりいかがですか」との意味だそうです。
新羅時代に再び戻っていって(笑)献花歌があります。歌詞は今伝えていないが
当時の女王様が田舎を視察中、絶壁に咲いた花を見つけて欲しがったが、
取るのが難しくて皆躊躇しているのに忽然と現れた年寄りがその花取って来て
女王様に上げながら唄った唄だそうです。
今なら「All for the love of a girl」風の唄だったでしょうか。
これは メッセージ 1621 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1624.html
なつかしいなあ
投稿者: bosintang 投稿日時: 2003/11/29 22:47 投稿番号: [1623 / 3669]
>氏は最初、吏頭じゃなく吏読だと主張したが。(爆)
かれこれ3年前ですね。
旧竹島トピで、侍の語源がサウルアビかどうかという論争でした。
あまり調べずに
>「吏読」を「吏頭」と誤記する人から言われたくはないですが(苦笑)。
と書いちゃって、
穴女御から「吏頭」でもいいんじゃないかと指摘されて、こう書きました。
>吏読は
投稿者: bosintang (39歳/男性/在ソウル) 2000年10月21日 午後12時03分
メッセージ: 856 / 865
「儒胥必知」という古文献に、「吏讀」を「吏頭」と表記した例があるために、「吏頭」を載せる辞書もあるようですが(韓国最大の漢韓大字典には載っていない)、その文献について議論するならともかく、一般的な議論において「吏頭」を使うのは不適切だ、というのが私の見解です。
でも、「誤記」と断じたのは行きすぎだったかも。
やや苦しかったかも。(笑)
性については、日本も韓国も古代はおおらかだったんじゃないでしょうか。
日本は江戸時代になってもおおらかさを維持してたけど、朝鮮は朱子学が入ってきちゃってから、おおらかさが失われた。
どっちがいいのかわかりませんが。
これは メッセージ 1617 (ilkuji_99 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1623.html
>処容歌
投稿者: u26699jp 投稿日時: 2003/11/29 19:36 投稿番号: [1622 / 3669]
なるほど、新羅時代の歌で御座いますか、、素朴な生活感が伺えますなぁ、、、
>当時にはハングルが無かったので「吏頭」という記号を使って表記したのです。漢字の
音だけ借りて表記する方式ですが。
なにやら、あっしにはチンプンカンプンの方向に、話題が進んじょるようで、、
しかし、日本でもかな文字が出来る前の奈良時代には、漢字の音だけで万葉集なぞ書かれていたと記憶しておりますが、、
このあたりは、ホンキーさんなら詳しいかもしれませぬ。
まぁ、皆様の話題提供の、きっかけとなって嬉しゅう御座いましたです。あい。。
これは メッセージ 1617 (ilkuji_99 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1622.html
>>>処容歌
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2003/11/29 17:49 投稿番号: [1621 / 3669]
私は「吏頭」じゃなければならないという話・理由は知らないのですが、どうしてですか。興味深いので手元のものを見てみましたが、普通は「吏讀」になっているようですが。(いろいろな表記も記していますが、吏頭を優先することについては見当たりません)。
文献によっていろいろな表記があるようですが、最大公約数でいうと、やはり吏讀だと思います。現在のほとんどの書籍ではおそらく吏讀をとっているのではないでしょうか。
>「景気体歌」もありますね。
これは新羅じゃなくて高麗高宗から朝鮮宣祖までの時期に作られたものと出てます。吏讀とは関係あるのですか?
これは メッセージ 1619 (ilkuji_99 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1621.html
>>処容歌
投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2003/11/29 13:04 投稿番号: [1619 / 3669]
>大韓教科書出版の「韓国語の歴史」では
吏讀を正式名称とし、
ほう、それは初耳ですね。
本当なら犬鍋氏が勝ったんですね。
高校時代、古文時間に吏頭だと
教えてもらったので。
>新羅には吏讀の他に郷札(郷歌)があり
「景気体歌」もありますね。
短絡の最後はいつも
「景気いかがですか?」で
終るのでそう名づけられたそうですが。
そういえば日本の江戸時代に
歌の最後は「ええじゃない?」とかで
終わる唄があり、
祭りのとき、人の家に勝手に入って
踊っては「ええじゃない?」と
事後許可を得るような感じですね。
これは メッセージ 1618 (trek022 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1619.html
>処容歌
投稿者: trek022 投稿日時: 2003/11/29 12:25 投稿番号: [1618 / 3669]
>家に戻った来たところ、部屋の扉を開けてみたら布団の下に出ている脚が4本だった(そう)な。
現在の韓国なら、刑法第241条姦通罪で告訴され、不倫の二人は刑事犯罪人となるところですね。
日本もそうですが、古代は性倫理にはおおらかなところがあります。
姦通罪などというのはやはり儒教の倫理によるものでしょう。
(なお、日本では姦通罪は1947年に廃止されています。)
ところで、大韓教科書出版の「韓国語の歴史」では吏讀を正式名称とし、これ以外にも吏道、吏頭、俚讀などというとしています。吏讀の表現は朝鮮王朝実録の世宗28年条にみえるとか。
いずれにしてもすべて後世の言い方で、新羅時代にはどう呼んでいたかわからないので、どちらが正しいかの論争は意味がありません。
>日本のカタカナと同じ原理でしょうか。
新羅の吏讀は主体は漢語で、助詞や語尾に当る部分を漢字借用で表記しただけで、日本人が漢文を読むときの送り仮名に近いものです。新羅には吏讀の他に郷札(郷歌)があり、これは基本的にすべての新羅語を漢字借用で表記しているので、日本の万葉仮名の原型となったものかもしれません。
これは メッセージ 1617 (ilkuji_99 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1618.html
処容歌
投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2003/11/29 11:00 投稿番号: [1617 / 3669]
新羅時代、首都の慶州で始めた
歌のことですね。
内容は「処容」という名前の
男が満月の下、夜遅くまで
外で遊んでいたが
つい家に戻った来たところ、
部屋の扉を開けてみたら
布団の下に出ている脚が
4本だったな。
二つは自分の妻のだが
もう二つは誰の脚かと
の歌詞で、不倫の
その二人を叱らずに
外で上の歌詞の歌を
唄いながら踊ったそうです。
物すごい寛大な男ですね。
その踊りを今度は「処容舞」と
呼びますね。
仮面をかぶって踊ったので
それが後で日本に伝えられ
「能」の始まりになったとか。
今と比べたらかなり心的な
余裕のある生活相だと
思いますね。
当時にはハングルが無かったので
「吏頭」という記号を使って
表記したのです。漢字の
音だけ借りて表記する方式ですが。
日本のカタカナと同じ原理
でしょうか。
吏頭については犬鍋氏が
専門家です。
氏は最初、吏頭じゃなく吏読だと
主張したが。(爆)
これは メッセージ 1616 (u26699jp さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1617.html
>韓国式表現
投稿者: u26699jp 投稿日時: 2003/11/28 23:19 投稿番号: [1616 / 3669]
以前、反省トピかどっかで、嫁を寝取られた男が、何やら云々して、布団から脚が4本、、とか云う笑い話があったですね。。
あれは、妙に微笑ましかった、、(笑)
これは メッセージ 1611 (ilkuji_99 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1616.html
いえいえ、どういたしまして、、、
投稿者: u26699jp 投稿日時: 2003/11/28 23:15 投稿番号: [1615 / 3669]
購入されたら、興味深いところなぞを、どこぞでご紹介ください。。
あっしも、前半部分は持っちょりますので、、
これは メッセージ 1609 (kuuboakagi00 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1615.html
あやしいね
投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2003/11/27 13:45 投稿番号: [1614 / 3669]
特定国籍の女性に対しての表現があやしいですね。
どういう意味か説明してくれますか?
これは メッセージ 1613 (ayashii_ayashiii さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1614.html
ilkuji_99様 いつも楽しみにしております
投稿者: ayashii_ayashiii 投稿日時: 2003/11/27 12:02 投稿番号: [1613 / 3669]
>韓国式の表現で「女性にとってはHをしても海に舟が渡ったようなもんだ」
>即ち「やっても痕跡が残るわけじゃない」との意味ですね。(笑)
韓国女性の大海原なら
巨艦でも小船程度の痕跡も留めない
奥行きがふかーい
これは メッセージ 1611 (ilkuji_99 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1613.html
>>シドニーブルース
投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2003/11/27 10:08 投稿番号: [1612 / 3669]
誉めすぎですね。文才なんて
とんでもないです。
頓才の書き方の練習ですね。
これは メッセージ 1610 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1612.html
>貝売り娘
投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2003/11/27 09:43 投稿番号: [1611 / 3669]
>「アソコを使ったって川に船が走った痕跡」とは、何の事で御座いましょうか??
韓国式の表現で「女性にとってはHをしても海に舟が渡ったようなもんだ」
即ち「やっても痕跡が残るわけじゃない」との意味ですね。(笑)
これは メッセージ 1608 (u26699jp さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1611.html
>シドニーブルース
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2003/11/27 00:44 投稿番号: [1610 / 3669]
一求知さんは、文才がありますね。見直しました。罵倒ものしか知りませんでしたから。表現にきらりと才能が見えます。また読ませていただきます。
これは メッセージ 1605 (ilkuji_99 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1610.html
uさんの紹介の本
投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2003/11/26 23:53 投稿番号: [1609 / 3669]
水道橋のよく行く古書店にありました。
購入する予定です。ご好意ありがとうございました。
これは メッセージ 1606 (u26699jp さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1609.html
>シドニーブルース−12−貝売り娘
投稿者: u26699jp 投稿日時: 2003/11/26 23:37 投稿番号: [1608 / 3669]
ちょと、質問で御座いますが、「アソコを使ったって川に船が走った痕跡」とは、何の事で御座いましょうか??
、、、、、、もしや!もしや!!
これは メッセージ 1605 (ilkuji_99 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1608.html
ベチャで御座いますよ。
投稿者: u26699jp 投稿日時: 2003/11/26 23:35 投稿番号: [1607 / 3669]
>拙作、船窓夜話の「3機士と1機士」にも出る運送手段で御座いますが、
三輪自転車(運転手が後ろでペダルを踏み運転)ちゅうて書いてあるヤツですな、、、、それが、赤城さんの云っている追放・禁止されつつある自転車タクシーでやんす。
>現地語では「チャランチャラン」でしたっけ。
なにやら、日本語のチャリンコを二つ重ねたような、、
インドネシア現地語は、所謂、ワンワン&ニャンニャン言葉が多いようでやんす、、
例)ほほ=pipi[ピピ]、
蝶=kupu-kupu[クプクプ]
カメ=kura-kura[クラクラ]
>トピ主なんで盛り上げさせる責任がありまして。^^トピ主はつらいにだ。(爆)
まぁ、なんだかんだ云って、あっしも随分とお世話になって、勉強させて頂いたもんで御座います。(笑
>何をプレゼントすれば良いでしょうか?「ディルド」と答える方は失格にだ。(爆)
すっ、、すんまそん。。m(_
_)m、、あっしは、そっちの方はトンと、素人で御座いまして、、
これは メッセージ 1604 (ilkuji_99 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1607.html
>その本はまだ買っていません
投稿者: u26699jp 投稿日時: 2003/11/26 23:34 投稿番号: [1606 / 3669]
なんなら、メールにて、ご送付致しましょうか?
もっとも、前半の部分だけで御座いますが、、
すんません、、トピ主殿、、掲示版を伝言板に使ったニダ、、
これは メッセージ 1603 (kuuboakagi00 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1606.html
シドニーブルース−12−貝売り娘
投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2003/11/26 18:52 投稿番号: [1605 / 3669]
世界の産業前線で労働力の主な供給源のピリフィン。特に女たちの海外進出が活発である。韓国の5―60年代の貧困状態と同じ状況で海外への進出だけが唯一な生存の道で認識されている。米国の植民地だったおかげでアジア圏では比較的に英語ができる長所を基にして海外で単純労働職に従事する女が多い。工場の仕事や一般家庭で家事を担当、働きながら本国の家族を扶養する形態が有り触れている。
女は男とは違って労働がいやならもう一つ商品価値のあるものを保持している。絶対貧困層が大多数のピリフィンみたいな国で女で生まれたら誰でも幼い頃から体を売るのに慣れているという。そういえばアソコを使ったって川に船が走った痕跡だと思えばいいか。考え方によるだろうが。
たまに東京の新宿や池袋の夜町を歩いてたら道で立って客を誘うピリフィン女たちがみえる。今ごろは中国女たちも少なくない。売春とは他に売るもののない女に基本的な衣食住問題を解決してくれるのみならずお金を稼げる商売である。よの中で最も楽な職業が二つあるならその一つは乞食、もう一つは女の売春という言葉がある。
売春女性に更生のため技術教育をして他職種を紹介しても元の仕事へ回帰する確率が一番高いというが、一度はじめたら他の仕事は持ちたくなくなる麻薬みたいなものか。政府や慈善団体主導の社会事業で最も難しい部分が女性更生教育だとの話がある。
豪州で離婚をして再婚を考えてるか独身で老人になった男が国内で配偶者を探すには無理な場合、ピリフィンにいって若い女を簡単に連れて来ることがある。男にとっては国内では考えられない若い女が取れるし、女にとっては行きたい海外、それも憧れの豪州で暮らせる機会なのでお互いの必要性によって結ばれるのだ。
70代の豪州人おじいさんがマニラーにいって18才の女の子を連れて来た。勿論女の子には結婚して永住権を与えるとの約束をしたが女の子も老人もそんな結婚がどれくらい続けられるか。永住権が下りたら逃げようと女の子は思ったはずだし老人は俺が馬鹿かと一旦連れて来て老年にフリーセックスを楽しんで半年ほどいっしょに暮らしては追い出すパターン。お互いの騙し競争というべきか。
この老人はその後、再びマニラーにいって大体同じ年令帯の他の子を連れて来し又半年ぐらい同棲しては行かせてからまたマニラーに行ったそうだ。今度も似たような子を連れて来たのに、驚くことにあの3名の女の子は3人姉妹だったそうだ。
.
こういう話がきっかけで豪州政府では結婚や同棲婚で一度永住権を取った人や連れてきて永住権を取らせた人の場合、5年以内には再び永住権を取らせられないように、また一生二回しか結婚でスポンサーできないように規定を改定したのだ。
これは メッセージ 1 (violla_21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1605.html
おんな泥棒
投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2003/11/25 12:39 投稿番号: [1604 / 3669]
>原付に3人乗りして、客を運んでおりましたなぁ、、
あれは、何ちゅうて呼んじょったじゃろうか??
拙作、船窓夜話の「3機士と1機士」にも出る運送手段で御座いますが、
現地語では「チャランチャラン」でしたっけ。
>ところで、最近、反省トピでもご活躍のようですな^^
トピ主なんで盛り上げさせる責任がありまして。^^トピ主はつらいにだ。(爆)
さて女性が生理中、盗癖が発動してスパーで品物を盗んだりして
捕まってはビザが取消されるかが心配で相談に来るケースがたまたま
ありました。
その癖を直せる男がいるなら女性に人気あるでしょうが。何をプレゼントすれば
良いでしょうか?
「ディルド」と答える方は失格にだ。(爆)
これは メッセージ 1600 (u26699jp さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1604.html
その本はまだ買っていません
投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2003/11/25 01:11 投稿番号: [1603 / 3669]
古書店で、6,000-8,000円していますね。
訳者の後藤乾一と内容はそぐわないようにも思えますが。後藤は、反日教授ではなかったですかね。
最近講読した者では、「大東亜戦争とインドネシア」(加藤祐・朱鳥社)がよかったですね。世上言われる(特に左翼がよく言う)日本軍のインドネシアの「残虐行為」の真実を追究、という所に力点がおかれています。この中の一章にも、インドネシアにおける日本の軍政があります。
トピずれついでに。
これは メッセージ 1602 (u26699jp さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1603.html
>特に呼び名はないようですね。
投稿者: u26699jp 投稿日時: 2003/11/25 00:49 投稿番号: [1602 / 3669]
やっぱ、そうで御座いますか。。
どうりで、思い出せないと思った!
>自転車タクシーのベチャは追放・禁止されつつあるみたいです。
それは少々寂しいですな〜、、、いかにもインドネシアちゅう感じだったのに、、
ジョージ・S・カナヘレ著「日本軍政とインドネシア独立」ちゅう本の抜粋を、さる御仁から頂いたので御座いますが、赤城さんはもう当然、読んでおられるでしょうなぁ、、、
ここで、連載をばしたら、トピずれで犬鍋さんに怒られるかもかも、、
これは メッセージ 1601 (kuuboakagi00 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1602.html
特に呼び名はないようですね。
投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2003/11/25 00:15 投稿番号: [1601 / 3669]
私も結構利用しましたよ。
バス停からやや離れている所にいくときで、車が近くにいないときは。そこに客待ちがたむろしてますよね。
今では結構事情がかわっていて、やはり車が増えていて、需要はへっているみたいですが、一定の需要はあるみたいです。選挙の時に、タクシーが暴動を恐れて一台も無かったときに、兄ちゃんに結構な金を払って、知人の家から宿までバイクでおくってもらったこともあります。
自転車タクシーのベチャは追放・禁止されつつあるみたいです。超小型3輪自動車のバジャイも邪魔者扱いにされつつあるようですね。
バジャイの運転手には一度世話になったことがあります。「外人」のまったくこないようなナイトマーケットに迷い込んだときに、バジャイの運転手がタクシーをよんでくれました。この時は、ジャカルタの郊外のインドネシア人の家の近くから中心に向って夜中に適当にバスに乗ったらとんでもない所に着いてしまった。
これは メッセージ 1600 (u26699jp さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1601.html
Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ
[検索ページ]
(中東)
(東亜)
(捕鯨 / 捕鯨詳細)