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アン・ビョンジク氏インタビュー(1)

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2006/12/16 13:47 投稿番号: [430 / 1474]
<安秉直先生   ニューライト・ポリズン   インタビュー>

www.nrzen.com   No.22067 運営者    2006/12/13
照会数:972    推薦:27
http://www.nrzen.com/cafebbs/view.html?gid=main&bid=cat_05&pid=22067

               (翻訳その1)

(問) 教科書フォーラムの討論用草案事件の後、肉体的、精神的に多くの苦労をなさったわけですが、最近にも多くの事実歪曲現象が起きました。心境はいかがでしょうか?

(答)最近、青瓦台、oh my news、ニューライト全国連合などが教科書フォーラムと私に対してさまざまな非難をしましたが、それは全部、基本的には事実操作に基づいています。私たちがしなかった発言を自分たちに合うように操作しないと、非難の根拠が生じないからです。このような事実操作は、基本的に私たちを責めるための悪意と無知に基づくものと思います。

(問) 青瓦台のイ・ビョンワン秘書室長は、具体的にどんな内容をどういうふうに歪曲したのですか?

(答)青瓦台が無能力だということはもう世の中すべてが知っている事実で、自分たちが4年間の政権担当を通じて自らが証明したのです。そういう無能力が今度の事態を引き起こしたと思います。青瓦台の発表によれば、教科書フォーラムが日帝時代に韓国が主体的近代化をしたと引用文で明らかにしているが、そんな言葉は対案教科書には無いです。もしあると言うなら何ページにあるのか明らかにすべきです。青瓦台の無能さは、他人の主張を正しく引用することさえできないほどです。まことに韓国の未来が暗たんとなります。

(問) 言ってもいないことを言ったように操作したというお話でしょうか?

(答)私たちが言っていない言葉をまるで言ったかのように、引用符をつけて主体的近代化が成り立ったとしたことは、完全な事実操作です。そんなことを言った事はありません。ただ、日帝時代に韓国経済がある程度の近代的変化をしたと言ったことは事実ですよ。しかし、「主体的近代化」という言葉は言ったことがないです。

(問) イ・ビョンワン室長は、教科書フォーラムの論議内容は日本の極右派の韓国的変形だ、結果的に日本の植民地支配を称賛し、韓国の民主主義運動を卑下するものと評価していますが、この問題についてはどう思いますか?

(答)日本の新しい歴史教科書を作る会は、日本の近・現代史を書くものです。私たち教科書フォーラムは、韓国の近・現代史を書くことを基本目的にしていますね。したがって、両者は基本的に同じではあり得ません。双方の教科書には日帝時代に関する記述がありますが、正確にどれくらい同じでどれくらい違うのかはよく分かりませんが、日本の教科書で植民地時代の韓国が近代的に変貌した歴史的事実があると表現されていることは、教科書フォーラムの記述内容と同じです。客観的な事実だからですね。事実を事実のとおりに書くと言うだけのことであり、理念的に同一だと言うことはできません。

(問)新しい歴史教科書を作る会は、日本の東アジアに対する支配が東アジアの統合に寄与したと言って、日本の朝鮮支配が朝鮮の近代化を実際に作り出した、すなわち日本を通じて平和が維持されて近代化が成り立ったと肯定評価しているのではないですか?

(答)そこがまさに、教科書フォーラムと新しい歴史教科書を作る会とが違う点です。新しい歴史教科書を作る会は日本の侵略を正当化するという立場なのに比べて、教科書フォーラムは、基本的に日本の植民地支配は侵略過程だったという点を明確に明らかにしています。ただ、侵略過程において、侵略的側面だけがあったのではなく、その過程の中でさまざまな制度的な改革とか資本を投資することなどを通じて、被侵略地域の社会構造を近代的に変えていく過程があったことを指摘しているのです。そんな過程を経て、日帝時代にも韓国社会がある程度近代的に変貌したということ、また、韓国社会が近代的に変貌したから、したがって、韓国人も近代化して行ったということです。もちろん、それは、韓国の人々の自分たちの努力によってです。あたかも総督府が作ってくれたように事実を操作しますが、私たちはそんな話をしたことはありません。


(続く)

Re: 世界トップクラスの兵器体系日本軍事力

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/12/13 01:03 投稿番号: [429 / 1474]
>>外形上、自衛隊の総兵力は24万人と、韓国軍(約68万人)の約3分の1に過ぎない。しかし将校や副士官など、職業軍人の比重が高く、有事の際には比較的簡単に兵力を増やすことができる。

>そういう考えがあって下士官が多いわけぢゃないので、有事に兵力を増やすのは簡単では無いと思う。

戦国時代みたいに、有事には足軽を募兵するとでも思っているんでしょうかね?
予備役をかき集めてもそう兵力は多くならないでしょうし。

Re: 世界トップクラスの兵器体系日本軍事力

投稿者: pup_pooh_one 投稿日時: 2006/12/13 00:58 投稿番号: [428 / 1474]
>   外形上、自衛隊の総兵力は24万人と、韓国軍(約68万人)の約3分の1に過ぎない。しかし将校や副士官など、職業軍人の比重が高く、有事の際には比較的簡単に兵力を増やすことができる。

そういう考えがあって下士官が多いわけぢゃないので、有事に兵力を増やすのは簡単では無いと思う。

Re: 百済武寧王について(1)<訂正

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/12/13 00:50 投稿番号: [427 / 1474]
今ごろ気づいたのですが、誤記を訂正します。

>和歌山の隅田八幡宮には、
「癸末年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時斯麻念長奉遣開中費直穢人今州利二人等取白上同二百桿作此竟」
という銘文のある銅鏡が存在します。

正しくは、
「癸末年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時斯麻念長寿遣開中費直穢人今州利二人等取白上同二百旱作此竟」
ですね。
「寿」を「奉」、「旱」を「桿」と誤記してしまいました。

>でも、なんで「主君」である百済の武寧王が、臣下筋・分家筋である、弟の「百済系の倭王」に「奉献」するんですかねえ。(笑)

「長寿」でもあっても、「主君」であるはずの百済の武寧王が、臣下筋・分家筋である、弟の「百済系の倭王」の「長寿」を「念」ずるはずはありませんよね。
「長寿を念」じるという吉祥の文章は、目下の者が目上の者に対するものですから。
せいぜい、武寧王が年上の男弟王にプレゼントをささげた、という程度でしょう。

Re: 世界トップクラスの兵器体系日本軍事力

投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2006/12/11 17:19 投稿番号: [426 / 1474]
>予備知識や写真がなければとんでもない意味になりますね。

まぁ、あの誤変換例は戦車・電車をのぞいて、わざとおもしろくなりそうな字を選んだので、あそこまでトンチンカンなことにはならないとは思います。

>漢字は一目見て直ぐ理解出来るのでやはり便利な文字です。

一つの文字が正反対の意味を持っていたりしますから、難しいところもあるんですが。
たとえば、「撥乱反正」という言葉があります。
「乱をおさめ、正にかえす」と読みまして、乱れた世の中に秩序を回復する意味ですが(反正天皇の諡号はここに由来しています)、これを「乱をひらき、正にそむく」とまったく正反対の意味に読むことも可能だったりします。

>漢字廃止が朝鮮民族の独立のためというのですから、ズレまくった解釈です。

日本の漢字制限、中国の簡体字採用といった漢字の「制限」と、漢字じたいの「廃止」とはまったく別物ですね。
民族の気概とやらを示すのはたいへんけっこうなのですが(苦笑)、朝鮮文化には、すでに根付いた漢語が無視できないわけですから、壮大な喜劇に終わらざるを得ないでしょう。

Re: 世界トップクラスの兵器体系日本軍事力

投稿者: koshien21c 投稿日時: 2006/12/11 16:57 投稿番号: [425 / 1474]
予備知識や写真がなければとんでもない意味になりますね。

漢字は一目見て直ぐ理解出来るのでやはり便利な文字です。

漢字廃止が朝鮮民族の独立のためというのですから、ズレまくった解釈です。

そうならば、李とか朴とか金とかの苗字も廃止し、朝鮮古来の名前に戻すべきなんですが

それをしない、ご都合主義なんですね。

Re: 世界トップクラスの兵器体系日本軍事力

投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2006/12/11 16:48 投稿番号: [424 / 1474]
>ふまじめに読みますと

はい。そうなりまーす。
内容が軍事モノだという事前知識があるので、やさしく読めるのですが、もし本文・写真・イラストなどが無い場合、

総病歴   薬240,000命
電車   1020台
首相陥穽(1000t急   異常)

なんて漢字変換される可能性が無きにしも非ず、です。

Re: 世界トップクラスの兵器体系日本軍事力

投稿者: justina_eto 投稿日時: 2006/12/11 16:30 投稿番号: [423 / 1474]
ふまじめに読みますと

そうへいりょく   やく240.000めい
せんしゃ   1020だい
すいじょうかんてい(1000tきゅういじょう)   54せき(いーじすかん4せき)

ちゅうりゃく

くうちゅうそうきけいほうとうせいき   いー−767   4だい(だい?)   いー−2しー   13だい

などなどとなるのでせうか?


>漢字語は読むのが楽でいいですねー。

書き順に五月蠅くなければ   ほんとにいいですよねー。

Re: 世界トップクラスの兵器体系日本軍事力

投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2006/12/11 15:39 投稿番号: [422 / 1474]
>図入りですが   ラーメン丼のマークで書かれているので意味不明です

まじめに読みますと、左上から右に、

総兵力   約240,000名
戦車   1020台
水上艦艇(1000t級以上)   54隻(イージス艦4隻)
潜水艦   16隻
戦闘機   360台
空中早期警報統制機   E−767   4台   E−2C   13台

資料:英国国際戦略研究所(IISS)Military Balance2003-2004 日本   防衛白書(2003年版)

ですね。
漢字語は読むのが楽でいいですねー。

世界トップクラスの兵器体系日本軍事力の…

投稿者: licky_etozero 投稿日時: 2006/12/11 09:51 投稿番号: [421 / 1474]
実態

  韓国の3倍におよぶ国防費、東アジア唯一のイージス艦保有国、北東アジアで最も多い早期警報統制機およびP-3C海上哨戒機保有・・・。

  平和憲法改正推進により、自衛隊から自衛軍への変身が物議をかもしている日本軍事力の現状だ。日本の自衛隊は名前が自衛隊であるだけで、既に日本本土はもちろん、周辺国まで影響力を行使できる力を持っているというのが定説。

  外形上、自衛隊の総兵力は24万人と、韓国軍(約68万人)の約3分の1に過ぎない。しかし将校や副士官など、職業軍人の比重が高く、有事の際には比較的簡単に兵力を増やすことができる。

  防衛費はGDP(国内総生産)の1%水準だが、金額的には395億ドル(2002年基準)と韓国(131億ドル)の3倍におよぶ。

  兵器体系の質的側面を見ると世界でもトップクラスだ。特に、情報収集分野および空軍力の増強は注目に値する。日本は1998年、北朝鮮のテポドン1号の発射実験にかこつけ、北朝鮮をはじめ韓半島全域、中国などを綿密に監視できる偵察衛星4機を既に発射したか、する予定だ。
(以下略)

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/03/31/20050331000067.html




図入りですが   ラーメン丼のマークで書かれているので意味不明です

Re: 百済

投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2006/12/10 11:44 投稿番号: [420 / 1474]
>韓国人の研究はまずこうあって欲しいという願望が結論になっていてそれからその証拠を探すというスタイルで一貫していますね。そういうスタイルもありかとは思いますが役に立ちそうな証拠だけ一生懸命探して逆に結論を否定しそうな証拠を徹底的に無視する態度は感心しません。

自説を検証するのではなく、はじめっから結論ありきで、それを補強するために理屈を捏ね回すんですね。

>《韓国人の結論》   大和朝廷のルーツは百済からの移民である。日本は百済の植民地であって日本という国家は百済の属国として成立していた。

韓国は常に日本より上にあった、としたいわけですな。

>日本人にとっては大和朝廷のルーツが朝鮮半島からの移民であろうとなかろうと大した問題ではないと思うのですが血統による差別意識が骨の髄まで染み込んでいる韓国人にとっては大問題なのでしょうね。

そうですね。
しかし、大和朝廷のルーツが朝鮮半島なら、朝鮮併合は故地回復運動でむしろGJ!となってしまうわけです。そんな矛盾にも気づかないわけでして。(苦笑)

>しかし仮に大和朝廷のルーツが朝鮮半島からの移民であったとしても大和朝廷が百済に従属する服属関係でなかったことだけははっきりしています。もし服属関係だったとすれば百済滅亡後日本に逃れてきた百済王朝の人々が大和朝廷のトップと交代しなかったのは大きな矛盾です。

属国に逃れてきても、王族どころか臣下にしかしてもらえなかった、っていうのはかなり痛い話です。(笑)

百済

投稿者: melancholy_night 投稿日時: 2006/12/10 11:31 投稿番号: [419 / 1474]
韓国人の研究はまずこうあって欲しいという願望が結論になっていてそれからその証拠を探すというスタイルで一貫していますね。そういうスタイルもありかとは思いますが役に立ちそうな証拠だけ一生懸命探して逆に結論を否定しそうな証拠を徹底的に無視する態度は感心しません。

《韓国人の結論》   大和朝廷のルーツは百済からの移民である。日本は百済の植民地であって日本という国家は百済の属国として成立していた。



日本人にとっては大和朝廷のルーツが朝鮮半島からの移民であろうとなかろうと大した問題ではないと思うのですが血統による差別意識が骨の髄まで染み込んでいる韓国人にとっては大問題なのでしょうね。しかし仮に大和朝廷のルーツが朝鮮半島からの移民であったとしても大和朝廷が百済に従属する服属関係でなかったことだけははっきりしています。もし服属関係だったとすれば百済滅亡後日本に逃れてきた百済王朝の人々が大和朝廷のトップと交代しなかったのは大きな矛盾です。

百済武寧王について(6)

投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2006/12/10 10:58 投稿番号: [418 / 1474]
  したがって、大王年、癸未年八月に、斯麻がかくも多くの白銅鏡を鋳造する必要性も、そのような時代的要請に応えるためのものだったと思われる。斯麻は壬午年(五〇二年)に百済の熊津(今の公州)で、百済王国第二十五代王に即位したから、癸未年(五〇三年)は彼の即位翌年のことで、彼は自身の即位を弟王の男弟王と彼の臣下に報知し、彼らに対する不変の信任を確かめる意味で絶妙な多数の白銅鏡を制作、それを男弟王に「賜」わったとみられる。(32)   したがって、彼は鏡の銘文に男弟王の長寿を念願しながら、「弟国」の繁栄と安定を確約したのであろう。(33)

註釈
(32)   川西教授は鏡の下賜に対して、「前期において、鏡や玉制品の分与に関して、畿内政治権力がその勢力下に入る地方首長に対する報償として、これら宝器を下賜することは想像できる」と主張する。『考古学雑誌』第六九巻第二号、一三五ページ。
(33)   ところが、つとに斯麻・武寧王を主張した乙益重隆は、斯麻がこの鏡を制作した動機を根も葉もなく歪曲している。彼は『斯麻王が未多王(東城王)を打倒するクーデターには、日本側の陰謀と援助があったのではないかと思われるが、王位にあがって間もなく、その報いとして「斯麻とこしえに奉仕することを念願」して、この鏡を日本朝廷に送ったとすればつじつまが合うが、史料の根拠はない』と、彼の希望を吐露している(乙益重隆、隅田八幡鏡銘文の一解釈、『考古学研究』第一一巻四号、一九六五年)。

(終わり)

・・・・・・・

機会があれば、この先生の「七支刀銘文」「倭王武の上表文」に対する解釈も紹介したいと思います。

百済武寧王について(5)

投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2006/12/10 10:45 投稿番号: [417 / 1474]
(続き)

  4   斯麻は数多くの白銅鏡を制作して男弟王に下賜した

  隅田八幡鏡の銘文によると、斯麻の命を受けた穢人・河内費直は白銅「二百桿」をまかなって立派な白銅鏡を制作したという。この鏡は上述したように、意紫沙加宮にあった男弟王の長寿を念願する意味で制作されたものである。ところが問題になるのは、隅田八幡鏡は重量「二百桿」に及ぶ白銅で制作した多数の鏡の中の一つであるという事実である。
  白銅二百旱の「旱」は桿の略字にみえるが、二百桿の重量が正確にどのくらいかは定かではない。しかし、和田萃教授はこれを今日の「貫」の概念と同じく見ることができると述べている。(28)   したがって、彼の概念をそのまま受け入れるとすれば、白銅二百桿は白銅二百貫(七五〇キログラム)になるが、この程度の白銅の重量で銅鏡を制作したと仮定すれば、その結果は、隅田八幡鏡(重量一・四三キログラム)と同じ模様の銅鏡四百枚以上を鋳造したことになる。
  したがって、銘文が示唆する重量を土台に推定すれば、癸未年八月に斯麻が弟王に当る男弟王に「下賜」するために制作した絶妙な人物画像鏡は一、二枚でなく、数百枚に達しているが、(29)   そういう場合も、これを斯麻が男弟王に進呈した「貢物」といえるかを銘文解釈者らに問いたい。
  彼らの主張どおり、隅田八幡鏡が斯麻の「献上物」であるとすれば、斯麻は自身が所有している立派な漢鏡一、二枚だけ手渡せば済むのであって、遠く河内国で、しかも当地の王同然の「費直」を「遣」わして数多くの白銅鏡を制作し、それを男弟王に手渡す必要があるかというのである。
  現在隅田八幡鏡が安置してある東京国立博物館の木村豪章氏は、最近発表した研究論文で、同一鋳型から多量の鏡を鋳造するいわゆる同范鏡(隅田八幡鏡もこの範疇に属するとみられる)の政治的意義に対して、かなり有益な論証を提示している。(30)
  彼の主要論文は、古代同范鏡の原産地としてそれは「政治権力の中枢である畿内で制作、これを各地に送付した」とみて、河内もその一部である畿内には同范鏡時代の開幕とともに、中央集権的政治権力体制が徐々に形成されたという。そして、この中央集権的政治権力の統制手段としての「鏡の配付は、首長権継承の外的承認を意味するもの」であると、鏡の「信任機能」を強調している。言い替えると、当代の鏡は今日の任命状や信任状と同じものだというのである。(31)

註釈
(30)   隅田八幡鏡は鋳型を通じて鋳造されたのが明っきり(ママ)している。この鏡を綿密に観察すると、当初の鋳造の際にしくじって、原型の前後を反対に鋳造したので、鏡の人物像の位置が逆になっているのである。
  とくに、川西教授は、長持山古墳出土鏡を隅田八幡鏡の「手本」〈原鏡〉になる鏡であると主張している。
(31)   小林行雄教授は、同范鏡の信任機能に対して「同じく副葬されている三角縁神獣鏡は、各地の首長がその首長権の承認の表示として、大和王権から下賜された魏の鏡である」と主張する。一方『読売新聞』(一九八九年七月)は、同范鏡は「王権とのきずなを象徴し」、彷製鏡は「王権に保障されている身分を象徴する」と論及している。

(続く)

・・・・・・・

最近の師父は、こういう半島学者の本ばかり読んでいるので結構疲れているようです。読解力や体力とともにに精神力も要るそうで。

百済武寧王について(4)

投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2006/12/10 10:26 投稿番号: [416 / 1474]
(続き)

  3   斯麻は河内の王(開中費直)をして鏡を制作させる

  銘文によると、渡来人(穢人)「開中費直穢人今州利」(22)   は斯麻の命を受けて白銅鏡を制作し、これを男弟王に進呈したという。ところで、彼の職位は「費直」であり、これは古代倭の国家形成期(五、六世紀)に中枢的役割をした氏姓で、これに対する究明は、隅田八幡鏡の性格を判別する重大な境目になるだろう。(23)
  元老学者である太田亮博士は、彼の著書『全訂日本上代社会組織の研究』で「直」の重要性に対して論及しているが、直は最強者である国造豪族で、王に次ぐ実勢として地方の首長を意味するといい、国造の氏姓である直、連、君、公の中でも、直は一番高い「カバネ」(氏姓)に属すると記述している(この点に対して、阿部武彦教授も全く同じ意見である)(24)。
  したがって、古代の直(あるいは費直)は一地域を統治する王のような実勢をいうもので、斯麻がいう渡来人今州利は「開中」の王のような人物なのである。ところで、「開中」は古代河内の借音仮名であるから、開中費直は河内費直と読むべきであるから、渡来人今州利はまさしく河内国の王のような人物である。(25)
  今日の大阪地域として知られている河内は、地理的条件に恵まれて、早くから朝鮮半島の先進文物を受け入れて、すでに西紀六、七世紀に、河内はその中枢的役割をしたというから、当代の「開中(河内)費直穢人今州利」は間違いなく大人物であっただろう。
  ところで、斯麻はこのような河内の最強者   今州利を「遣」(つか)わして、絶妙な白銅鏡二百桿分量を制作させるなど、あたかも「臣下」同然に対しているが、どだい二人の関係はどういうものであったかを推定する必要がある。この点に対して、『百済本紀』は早くから「加不至費直」の百済朝廷往来事実を記録していて、「河内費直」の通交事実は認められるが、その他の記録の欠如で、詳細な内容は知る由がない。
  しかし、古代政治社会でもっとも重要視された銅鏡を制作させ、それも白銅二百桿をまかなって鏡を制作し、それを男弟王に斯麻が彼に「遣」わしたという事実は、並々の間柄では到底思いも寄らぬことである。こういう仕事をさせ得るということは、斯麻の地位が河内費直の上王の位置でなければ不可能なのである。(26)
  ところが、このような斯麻を銘文解釈者らは男弟王の「臣下」のような人物にみており、また河内の王同然の河内費直に対しては頭から解釈さえしていないのであるから、そういう解釈が正当な解釈であるかを問いたい。事実、河内費直と男弟王の地位を比較してみても、男弟王の地位が河内費直よりも高いとはいえないだろう。
  なぜかというと、『上宮記』に見える男弟王(継体)の諱を見ると、彼を「乎富等大公王」に表記しているが、ここの「大公王」は男弟王の出自である国造姓公(君)姓であることを意味するもので、史家はそれを「三国公」あるいは「息長公」と呼んでいる。(27)   したがって、国造姓直姓である「開中費直穢人今州利」はどうみても国造姓公姓である「乎富等公王」(男弟王)よりは上位の実勢だったと推定しても無理ではなかろう。
  こういう点から推して、河内費直と男弟王の二人は一様に国造の勢力を争う実勢で、斯麻を大王(上王)として仕える立場で、斯麻にとって男弟王は彼が信任する弟王であり、穢人開中費直は彼が寵愛する彼の代役のような人物であったろうと思われる。

註釈
(22)   大部分の銘文解釈者らは、「開中費直」と「穢人今州利」という二つの実体に解釈しているが、これはあやまった解釈であると思う。なぜならば、銘文がそのように見えるとすれば「二人等」という字はあえてつかう必要がなく、後述する『書紀』雄略紀九年二月条で見るように「開中費直与穢人今州利」と書かなければならなかったはずである。
(26)   『日本書紀』雄略紀九年二月条〈四六五年〉には、雄略天皇〈倭王武?〉が「遣凡河内直香賜与采女」と言って河内費直を「遣」わする内容の記録があって注目される。これは斯麻の「遣開中費直穢人今州利」と同じものである。
(27)   前川氏は大公王に対して「これは別に見られない称号である。継体が公〈キミ〉姓豪族の出自で、これを支配する大王のような意味かも知れない」と論及している。前川明久「継体天皇の出自はどこか」別冊『歴史読本』二三号、一六六ページ。

(続く)

れRe: 百済武寧王について(1) &(3)

投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2006/12/10 10:22 投稿番号: [415 / 1474]
>まず、「男弟王」が、百済王の弟(または弟筋)にあたることを文献学的に証明しなくてはならないのに、まず最初に「結論ありき」で、これまた朝鮮式のヘリクツですね。

彼の主張は「弟王」とある以上、斯麻の弟であるに違いない、というものです。そのためにこんな理屈まで持ち出してきました。

・・・・・・・

   五   隅田八幡鏡は武寧王が継体天皇に下賜した鏡

2   斯麻は継体を「男弟王」と呼んだ

  隅田八幡鏡は斯麻が「意紫沙加宮」にいた男弟王(男大迹王)に与えるため、開中費直(穢人)をして制作した数多くの白銅鏡の中の一つである。ここで斯麻は、この鏡を受領する対象の継体天皇を「男弟王」という名称で呼んだが、これは弟王の概念で、斯麻が彼の上王(兄王)でなければ呼べない名である。もし日本学界で主張するように、斯麻が男弟王の「臣下」のような存在であれば、彼はゆめゆめ「男弟王」という名で彼を呼ぶことはできなかっただろう。(18)
  男弟王の男弟を単純な人名と見る解釈者もあるが、これは男弟の意義を縮小しようとする意図であり、男弟は文字通り弟の概念で、「下の男」を意味する古代の政治慣行に由来するものとみえる。つとに、景初三年(二三九年)の『魏志』倭人伝は、魏帝の使臣が見た「邪馬台国」の「女王」と「男弟」に対して「一人の女を王に奉戴しているが、彼女の名前は〈ヒミコ〉である。彼女は鬼に通じ、人を眩惑させる。年を取っているが嫁入らず、国事は「男弟」(オオト)があって輔佐している」と記述している。(19)
  したがって、女王を補弼する「男弟」は政務や軍務のような全域を専任するようになり、女王はもっぱら宗務にたずさわって、「邪馬台国」の国事管理は女王と彼女を補弼する「男弟」が共同で管理する形態を維持したとみられる。
  ところが、このような「男弟」の概念は、女王権の衰退とともに男弟王という実体として浮上したと推定される。したがって、男弟王は通常の太子や皇子のように皇統の承継を待つ「候補」でなく、また大多数の銘文解釈者らが見ているように、王統をもつ先王の単純な弟(皇弟)をいうのでもないようである。
  男弟王自身はあくまでも独立した統治実体で、女王に仕える「男弟」のように、兄王のような大王に仕える弟王であり、彼らの関係は兄国(大王国)と弟国という秩序の中で維持される特殊な関係とみるべきである。(20)   『書紀』によると、男大迹王(男弟王)は五一八年、三回目に遷都した都邑を「弟国」と称したが、これは弟王の国として、兄王の国に対応する概念に受け入れられる。(21)
  したがって、相手を弟王である男弟王と呼んでいる斯麻は、男弟王の兄王(大王)の位置にあるためにそれが可能であり、また、彼のみが銘文にある「大王年」の主人公になる資格があるのである。

注釈
(18)男弟王である継体の諱は『書紀』には「男大迹」、『古事記』には「袁本杼命」、そして『上宮記』は「伊自牟良君」(イシムラノキミ)と呼んでいるが、このような事実だけを見ても、継体天皇の「意紫沙加宮」朝廷は確かなものであるように見える。したがって、継体と男弟王は同一人物であるのが分明である。
(19)『プレジデント』一九八九年七月、七四ページ。
(20)つとに、『書紀』雄略紀には「吉備臣弟君」の活躍相に対して、彼が百済と交流しているというが、この「弟君」も兄君あるいは大君(百済大王)に対する概念で交流したとみえる。
(21)「弟国」の地名は『書紀』継体紀にたった一回しか見えていない。学界ではこの「弟国」(オタラ)の位置を京都市長岡京市乙訓寺付近であるというが、定かでない。

(続く)

Re: 百済武寧王について(1)

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2006/12/10 03:58 投稿番号: [414 / 1474]
それこそ「百済ん」(笑)

その銘文、「日十大王」が、たとえば「クサカノオオキミ」というある天皇の固有名詞か、それとも「八月の何日かに、大王が…」みたいな訳なのかとか、「男弟王」が「オオトノオオキミ」(継体天皇)なのかどうなのかとか、「七支刀」ほどではないにしても、読みにくい銘文でしょう。

斯麻は、間違いなく百済の武寧王でしょう。これは、『日本書紀』、『三国史記』、そして百済武寧王陵出土の墓誌の三つ全てが一致していますから。

でも、なんで「主君」である百済の武寧王が、臣下筋・分家筋である、弟の「百済系の倭王」に「奉献」するんですかねえ。(笑)

まず、「男弟王」が、百済王の弟(または弟筋)にあたることを文献学的に証明しなくてはならないのに、まず最初に「結論ありき」で、これまた朝鮮式のヘリクツですね。

あ、きっと武寧王は、「アレックサンタ大王の子孫の白人」なんでしょうよ、このセンセーにとっても。

エンコリから

投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2006/12/10 02:07 投稿番号: [413 / 1474]
いつの間にか、こんなまとめ&晒し上げスレがつくられていました・・・

口先左翼apoon5の実情(実話)
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1798644

ぶっちゃけた話、左翼であろうがなかろうが、ただのヘタレなんですよねー。

Re: 大東亜戦争後の日本国内朝鮮人暴挙

投稿者: innsjp 投稿日時: 2006/12/09 10:46 投稿番号: [412 / 1474]
  教えて頂きどうもありがとうございます。   本当だとすると何故マスコミ従事者は公平を欠くことに対する良心の呵責を感じないのでしょうか。

  別件でもう一点在日朝鮮人問題に関して疑問があります。   日本の国は何故何世代にも渡って外国籍のままの人の在留を許可しているのでしょうか。   また、在日朝鮮人の人たちは何故祖国に帰るか、帰化するかの選択をせずに中途半端な存在である外国人としての在留を続けるのでしょうか。   もし、ご存知の方がおられましたら、教えてください。   韓国朝鮮以外の外国籍の方たちは世代を超えての外国籍のままでの在留に対してどのように考えているのでしょうか。

Re: ニューライト、分裂の兆し?

投稿者: koshien21c 投稿日時: 2006/12/06 12:35 投稿番号: [410 / 1474]
学問の自由、言論の自由が無い国だね。

民主主義国家とはとても呼べない。

寧ろ全体主義国家のほうが当たっている。

百済武寧王について(2)

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/12/06 11:53 投稿番号: [409 / 1474]
(続き)


2   鏡は「神器」であり「信任付与」
  銅鏡に対する古代人のそのような信仰は、鏡をまるで「神器」のように宝物扱いにするようにし、とくに統治者の銅鏡保有は必須不可欠の条件となったのである。こうして、鏡は政治社会において、もっとも重要な「政治道具」に変貌したのである。
  したがって、古代東アジアの政治社会でそのような銅鏡の授受行為を想起する時、それは決して尋常ならぬ行為であったにちがいない。畢竟、それは厳粛かつ荘厳な儀礼行事の一つであったろう。なぜかというと、そのような鏡の授受は先王(または上王)から付与する一つの「信任」を意味するものであり、この「信任」を通じて新しい政治権力が誕生するからである。
  つとに、景初三年(二三九年)、魏の明帝は倭王「ヒミコ」(卑弥呼)の朝貢を受け、その答礼として銅鏡百枚と大刀二具を下賜しながら「そちらの人々が好む品物を賜る」から、この事実を広く弘報せよと言っているが、これはまさしく鏡の授受を通じた、魏帝の倭王に対する「信任」の表示とみなければならない。
  事実、「癸未年」八月、斯麻が男弟王に与えた「二百桿」の白銅鏡もこういう脈絡で理解すべきである。しかし、大部分の解釈者らは、いわゆる「皇国史観」にとらわれて、銅鏡に対するそのような慣行と特殊性を完全に無視し、これを政治的に解釈し、隅田八幡鏡は斯麻が男弟王に「長らく奉仕」するために捧げた貢物である、と主張しているがこれは言語道断の骨頂である。
  論理上から見ても、斯麻が弟王と呼ぶ彼に、銅鏡を献上するというのは想像だにできないことであり、とくに古代政治社会の慣行からみたとき、鏡の授受はいかなる場合も「信任」という特殊な意義を付与するものであるため、それは「下賜」になるよりほかないのである。(13)   また、そういう場合にかぎって鏡に対する神秘性は維持されるのである(それで死者は、彼が生前上王から授けられた銅鏡を、死後も一番重要な副葬品として永遠に自分の頭部枕許に保管することになり、戦争にまけた将帥は、まけた証拠として銅鏡をだして降伏したというのである)。

3   日本の歴史慣行――「三種の神器」と皇統継承
  この点に対して、古代の慣行が昔ながらに継承されている日本の皇統は、まさにそのような鏡の神秘性を現実的に見せてくれる生きた証拠といえる。一千年以上になるというこの歴史慣行は、王権継承の象徴としていわゆる「三種の神器」、すなわち八咫鏡、草薙剣、そして八尺瓊曲玉などの宝物を先王から伝授することによって、はじめて新王の大統が確立するというのである。これはいうまでもなく、「神器」である鏡の授受を通じた先王の「信任」を意味するのである。
  最近挙行された今上天皇の即位を見守りながら「三種の神器」の中でも、とくに八咫鏡の地位がほかの二つの神器よりも高いことを知るようになった。その理由は、天皇家の祖神で、開国神でもある天照大神の心霊がこの八咫鏡に宿っているからであるという。(14)   したがって、新王の即位当日、真っ先に賢所に祀ってある鏡に自身を告げることによって、彼の「守護」と「信任」を請うのである。
  このように日本の歴史慣行において、青銅鏡の重要性は何にも比肩できないものである。ところが、銘文解釈者らは、大王年、癸未年に男弟王の「長寿」を念願して制作した数多くの白銅鏡に対しては、これを斯麻が男弟王に献上した「貢物」であるとかの法外な理屈をつけて、これを反歴史的に解釈している。しかし、このような歪曲した解釈で、いわゆる「皇国史観」の一時的な維持は可能であるかも知れないが、その半面、彼らが「自慢」する歴史の基本を、根こそぎ否定する誤謬を記していることも認識しなければなるまい。

百済武寧王について(1)

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/12/06 11:51 投稿番号: [408 / 1474]
和歌山の隅田八幡宮には、
「癸末年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時斯麻念長奉遣開中費直穢人今州利二人等取白上同二百桿作此竟」
という銘文のある銅鏡が存在します。

男弟王を継体天皇、斯麻を百済の武寧王(名は斯麻)と解釈し、武寧王が継体天皇のためにつくらせて送ったものとされています。

ところが、かの国の学者には、男弟王とは斯麻の弟だとして、半島の百済本国に帰還して即位する以前、九州の百済系倭国の国王だった斯麻が、近畿の倭国を治める弟に下賜したとする人がいます。

「弟王」というのは固有名詞「男弟王」ではなく、斯麻の弟を指すに違いない。倭王は百済王の臣下筋(侯王)だ、というのです。
これを証明したいがために、史書をさぐって無理やりな論理を展開するわけですが・・・

そんな努力をする学者「蘇鎮轍」の著書『金石文に見る百済武寧王の世界』(彩流社)の記述を2回に分けて紹介します。

・・・・・・・

四   青銅鏡に対する古代人の考えと慣行
   ―鏡は「献上物」ではない

  隅田八幡鏡を俎上にして、それは斯麻が男弟王に献上した貢物とみる学界の共通した視角は、まず銘文にも見えてないばかりでなく、古代東アジアの政治慣行からしても、また、そういう慣行が今もって遵守されている日本の歴史慣行からしても、これは到底黙過できない反歴史的解釈なのである。

1   鏡は「除魔具」(厄よけ)であり「権威の象徴」
  古代人がいだいていた青銅鏡の神秘性は、今日を生きるわれわれとしては到底理解できないとある史家は言っている。とくに上古の倭人たちはその程度が他に比べて甚大だったというから、ゆうに推定してあまりあろう。
  彼らにとって、銅鏡は決して華やかな装身具でもなく(青銅色)、また映像の実用道具でもない。彼らの淳朴な生に映った青銅鏡は、不思議にも「神威」をうけたものとして、呪術的性格が与えられたものと信じたようである。したがって、鏡は「除魔具」(厄よけ)同様のものでして、すべての災殃を退けると信じてきたのであり、また政治社会の拡大につれて、それは「権威の象徴」として、政治権力を生みだすものと信ずるようになったのである。

(続く)

Re: ニューライト、分裂の兆し?

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2006/12/02 22:36 投稿番号: [407 / 1474]
  今回の第6次フォーラムは、教科書フォーラムが教科書改善に向けての活動を具体的にアピールする第一歩でしたが、それが、ものの見事に力で潰されてしまいました。

  韓国における左右対立、ニュー・ライトの言葉を借りれば「左右分裂」の根の深さと、韓国独特の感情の強さを見せ付ける事件でした。

  これは相当な打撃のはずで、今後の活動は停滞するだろうし、今日も自分のブログに書きましたが、内部分裂の懸念を思ってしまいます。

  御当人たちが、案外とこれくらいのことには動じない人たちであれば良いですがね。








 

 

Re: ニューライト、分裂の兆し?

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/12/02 01:13 投稿番号: [406 / 1474]
資料、ありがとうございました。
ブログ、読ませて戴きました。


>まあ、考え方はそれぞれあるから仕方の無いことでしょうが、殴られた教授たちとの溝は深まるのではないかと思います。ニューライトには分裂して欲しくは無いですが。

何かというと、党派争いの好きな民族ですからね。
それでも、ニューライトは比較的温厚な学者の集まりという印象があります。
分裂や対立ではなく、議論で乗り越えてくれることでしょう。

イ・ヨンフン教授は刺激的な言葉を使う人のようですから、慰安婦問題でも世論の反発を受けました。
(我々の感覚からすると、問題には思えませんが。)
その点で、他のニューライトの学者と異なる主張のようですが、そんなに違ってないと思います。

でも、刺激を受けて暴行だの、謝罪要求だのに至る韓国の社会風土が問題だと思いますね。
こうした病理が是正されないと、一切の議論が成立しません。
それは、この掲示板でも向こうの人との議論を読んで、いつも感じていることですが。

ニューライト、分裂の兆し?

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2006/12/02 00:21 投稿番号: [405 / 1474]
  trip_in_the_nightさん、お声かけ、どうもありがとう。

  自由主義連帯などニューライトの主要構成団体は、今回の暴力による言論弾圧を厳しく批判するかと思ったら、そうではなく、今回の代案教科書の試案は一部の学者の意見に過ぎないとしてその内容を批判し、加害者に連なる側に心情的に相当の配慮をしています。

  まあ、考え方はそれぞれあるから仕方の無いことでしょうが、殴られた教授たちとの溝は深まるのではないかと思います。ニューライトには分裂して欲しくは無いですが。

http://blogs.yahoo.co.jp/chaamiey/24817112.html

Re: 教科書フォーラムの教科書哲学

投稿者: jgeilsbandfreek 投稿日時: 2006/12/01 16:03 投稿番号: [404 / 1474]
写真なら、こんなのが・・・

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/12/01/20061201000042.html

Re: 教科書フォーラムの教科書哲学

投稿者: jgeilsbandfreek 投稿日時: 2006/12/01 15:22 投稿番号: [403 / 1474]
一応、こちらにも・・・

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/12/01/20061201000012.html

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/12/01/20061201000013.html

Re: 教科書フォーラムの教科書哲学

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/12/01 15:18 投稿番号: [402 / 1474]
chaamieyさん。

「ニューライトが教科書案公開」は流血の惨事になっているようです。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=bdibf4bcta4na4bfa4aa4nffc4z5doc0 bel&sid=1835396&mid=4707
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&page=2&nid=1794718

ニューライトのサイトで発表等がありましたら、よろしくお願いします。
また、意見がありましたら、「初心者」トピにもよろしくお願いします。

大怪獣サマのお仕事

投稿者: jgeilsbandfreek 投稿日時: 2006/12/01 10:19 投稿番号: [401 / 1474]
400番到達、おめでとさんです。

それに相応しい(?)話題です。↓

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=kl4z9qa1a6fndabaafa5aba5fmq8lbd8 &sid=1835396&mid=571

Re: 大東亜戦争後の日本国内朝鮮人暴挙

投稿者: melancholy_night 投稿日時: 2006/11/30 10:39 投稿番号: [400 / 1474]
韓国・朝鮮問題に目覚めた人が最初にぶつかる大きな疑問ですが答えは簡単です。恐ろしいことに我が国では公然と言論弾圧が行われているからです。言論弾圧といえば普通は国家権力が行い言論機関が抵抗するものですが、我が国においては大手マスコミなど言論機関がみずから言論弾圧を行っています。嘘でも冗談でも誇張でもなく本当のことです。金正日が拉致を認めて以来ようやく韓国・朝鮮批判が多少できるようになりましたがそれまでは発行部数の少ない弱小出版社の出版物以外で韓国・朝鮮を批判する意見を公表することはほぼ不可能でした。最近では検閲が難しいインターネットの普及によって多くの人が比較的自由に意見を公表できるようになりましたが、ヤフー掲示板では管理者がときおり投稿を強制削除する言論弾圧が見られます。(ヤフー掲示板では法○功弾圧など中○の暗部を告発する投稿が削除されやすいようです)

一服汁 「朝鮮人の子供」

投稿者: licky_etozero 投稿日時: 2006/11/30 09:57 投稿番号: [399 / 1474]
イブリガッコ(燻大根)のアバターを見ていて思いだしたので
ホンキトンムに無理をお願いして投稿して頂いたものです

併合下の朝鮮人の習俗が判ります

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=5jccbcbca1v0lifebdaa1w&sid=1835396&mid=11296

大東亜戦争後の日本国内朝鮮人暴挙

投稿者: innsjp 投稿日時: 2006/11/30 09:55 投稿番号: [398 / 1474]
  マスコミは   なぜ大戦後の日本国内朝鮮人暴挙に付いての特集を組んだり報道したりしないのでしょうか。
  戦後、国内朝鮮人が暴挙、略奪、非道を繰り返し、多くの日本人が被害にあったことを口伝に聞いたことは何度か有ります。   しかし、新聞とかテレビでそのことが特集されたり、朝鮮人強制連行と比較議論されたものを見たり聞いたりしたことがありません。   なぜですか。

女性トピより 平和に暮らす朝鮮の人々

投稿者: justina_eto 投稿日時: 2006/11/30 09:08 投稿番号: [397 / 1474]
怒論破さん投稿の
涙無くして見られない   悲しい写真集です

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=bdwc0ada4na4bfa4aa4nffc4z5doc0be l&sid=1835396&mid=35588

教科書フォーラムの教科書哲学

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2006/11/29 22:12 投稿番号: [396 / 1474]
   歴史を新しく作ることはできない。歴史とは、我々が生きてきた足跡だからだ。しかし誤って書かれた歴史は、書き直さなければならない。これが「教科書フォーラム」創立の動機である。
  「教科書フォーラム」は、韓国の過去を美化もせず、卑下もしない。右寄りでもなく、左寄りでもない。ただあるがままに、我々が生きてきた過去を、清い鏡に映し出すように正直に見たい。それこそ「教科書フォーラム」が目指す教科書哲学なのだ。

  「教科書フォーラム」では今後も、韓国の近現代史と関連した各種教科書を分析批判し、代案を提示していく。11月末にシンポジウムを開催し、その後約1年をかけて新しい代案教科書を執筆し、大衆書籍として発刊する予定だ。韓国の若い世代に植え付けられた「罪深い国に生まれてしまった。」という根拠のない原罪意識を払拭するまで、「教科書フォーラム」は活動を続けるつもりだ。







SAPIO(平成18年12月13日号)掲載、「教科書フォーラム」常任共同代表   朴孝鐘(パク・ヒョジョン)ソウル大学国民倫理教育科教授の寄稿「韓国でも自虐史観に囚われない新しい教科書づくりが始まった!   戦後否定、北朝鮮礼賛の教科書を是正しなければ子供たちの未来が危うい」より抜粋。

Re: 面白うてやがて悲しき太極旗かな

投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2006/11/29 00:31 投稿番号: [395 / 1474]
これはおもしろい分析ですね。

いちおう反論を試みてみましょうか。
もともとの太極から、陽の「―」と陰の「 -- 」が生まれます。これを「両儀」と言います。
それで、「―」がさらに「―」と「 -- 」に分裂すると「=」と「―・ -- 」となり、陰の「 -- 」が「―」と「 -- 」に分裂すると「 -- ・―」と「 -- ・ -- 」となります。

それら4つの下に分裂前の「―」と「 -- 」をつけると、「三:陽の陽」「―・ -- ・―:陽の陰」「 -- ・―・ -- :陰の陽」「 -- ・ -- ・ -- :陰の陰」となり、太極旗のマーク「左上:陽の陽」、「左下:陽の陰」、「右上:陰の陽」「右下:陰の陰」に対応します。
これらいわば、八卦や方角、家族といった解釈を添付する以前の、宇宙の生成をあらわす「核分裂」を代表する4つの卦を配置していることは極めて哲学的なことです。

もっとも、なぜ両儀の分裂が下に書かれるんだ?両儀の下に分裂前の「―」と「 -- 」をつけなきゃならんのだ?と突っ込まれますと瓦解します。易は下から上に変化して行くものですので。(笑)

まぁ、お示しのスレッドの、方角・家族の解釈は的を得ているのですが、卦の解釈は疑問です。というか、卦の具体的な解釈は、卦を読む占い師の才能・裁量でどうとでも解釈ができるもんなんです。その曖昧さこそが占いの真髄なんですよ。(笑)

それはともかく、太極旗が結構いい加減につくられたものというのは、理解できました。

面白うてやがて悲しき太極旗かな

投稿者: melancholy_night 投稿日時: 2006/11/28 07:44 投稿番号: [394 / 1474]
licky_etoさんのお勧めに従ってこちらにも転載しておきます。



国旗のデザインはその国の神話とか成り立ちとか歴史とか国是とかそういう国家のアイデンティティーを象徴しているものだと思っていましたが韓国国旗(太極旗)はどうやらそうではないようです。韓国には胸を張って誇れるほどのアイデンティティーが存在しないということでしょうか。抱腹絶倒しているうちにやがて気の毒になってきました。

http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=teconomy&nid=2498671

国債報償運動

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/11/27 21:19 投稿番号: [393 / 1474]
1907年3月、日本の保護下にある大韓帝国で、日本からの借款を返済して、その影響力を排除し国家主権を護持しようとする運動が起きました。

「国債報償期成会」が結成され、指輪やかんざしを供出して返済資金に充当しようとしたり、禁煙してタバコ代を寄付しようというのです。
一説には安重根も関わっていたとかいうこの運動、どうなったでしょうか?

http://www.geocities.jp/nobuo_shoudoshima/PART1japan.html
http://www.geocities.jp/nobuo_shoudoshima/PART2japan.html
http://www.geocities.jp/nobuo_shoudoshima/PART3japan.html
http://www.geocities.jp/nobuo_shoudoshima/PART4japan.html

















飽きっぽい朝鮮人たち、一ヶ月程度経つと、禁煙してるフリしてこっそり喫煙したり、国債報償期成会の役員が集まった寄付金を持ち逃げしたりでグデグデになったのでした。

Re: イソジンの壬辰倭乱<つっこみ②

投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2006/11/23 23:04 投稿番号: [392 / 1474]
お待ちしておりました。(笑)

戦術面で言えば、当初豊臣軍に対して有効だったのは、戚継光が倭寇との戦いで編み出した「浙江兵法」だったとかいうのも書いていました。たしかに倭寇は短兵を得意にしていましたが、正規軍の豊臣軍と一緒にするなっちゅうねん。(笑)

>・・・・・軽〜く、流し読みしただけでも、呆れ果てて、溜息が・・・orz

師父は、この文章をなかば笑いながら入力しておりました。

日本と韓国の歴史

投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/11/23 22:38 投稿番号: [391 / 1474]
日本と韓国の歴史
http://www.youtube.com/watch?v=6gz-OIu8vuc

韓国の昔の迷信とパクリ文化
http://www.youtube.com/watch?v =- lgk401cmlE

Re: イソジンの壬辰倭乱<つっこみ②

投稿者: samurai_06_japan 投稿日時: 2006/11/23 00:00 投稿番号: [390 / 1474]
>朝鮮時代におけるわれわれの伝統的な戦術は、一般に「長兵」と呼ばれるものである。
>つまり、弓矢・火薬のような長距離兵器を主たる武器として、騎兵・歩兵二つの部類が一緒になって遠隔地から敵を征圧してしまうのがその特徴だった。
>これに対して、倭軍側の戦術は槍・剣を主たる武器として近接戦に重きをおいたので、「短兵」と称された。

あんの〜〜・・・・・
日本の、古来からの「主力武器」は「長弓」なんですがぁ・・・・
んで、騎兵(騎乗士)弓兵、槍兵、戦国期から鉄砲兵、の「諸兵科連合」は、既に「常套手段」になっていたのですがぁ・・・・

「剣」⇒「太刀」は、実際のところ、戦場の「主要兵器」じゃなかったのですがぁ・・・・

>とくに「長兵」戦術の優勢を際立たせた火器は、高麗末に倭寇を撃退する効果的手段を模索するなかで得られたもので、倭は壬辰倭乱当時でさえもこの戦術を習得できずにいた

既に、「小田原攻め」当時、秀吉は小田原城を「ぐるりと」火砲陣地で包囲していたのですがぁ・・・・
海上も、火砲火力装備の艦隊で封鎖していたのですがぁ・・・
小田原攻めは、天正18年。1590年なのですがぁ・・・

それ以前、天正6年、1578年には、織田信長が、木津川河口海戦で、装甲大安宅艦隊で、火力艦隊戦展開しているのですがぁ・・・

>鳥銃がまるでその長所を発揮できなかった海戦において、彼らが最後まで劣性(ママ)を挽回できなかった事実が、この点をもう一度確認させてくれる
>さきに述べたように、倭軍は新兵器鳥銃を得たが、火薬兵器使用の伝統がこれといってなく、海戦でも鳥銃だけを使用した。
>それに反して、火器使用の長い伝統をもっていたわれわれは、たしかに陸戦で使用した小型火器は性能面で彼らの鳥銃に立ち向かうことができなかったものの、艦船に搭載した大型火砲は、彼らの鳥銃を圧倒してあまりあったのである

あのぉ〜・・・・
日本水軍は、火砲を搭載しておりましたがぁ・・・
でもって、艦隊戦では常に朝鮮水軍を、火力・運動力・艦隊運用で、圧倒していたのですがぁ・・・
でもって、日本は既に16世紀後半には、火砲の実戦投入・戦場運用を行っていたのですがぁ・・・

朝鮮水軍のアドヴァンテージは、日本側補給船団への襲撃時だけだったのですがぁ・・・

>換言すれば、火器使用の伝統的な文化能力の優位が、ここで惜しみなく発揮されたのである。

何故、「火器使用の伝統的な文化能力の優位」が、明軍参戦まで、また、参戦後も、秀吉の死まで、生かされなかったのでしょうかぁ・・・

>こうした文化能力が、のちに陸戦でも飛撃震天雷をはじめとして、鳥銃を圧倒する新たな武器の考案へと受け継がれたことはよく知られている事実である。

「飛撃震天雷」って、実は殆ど「殺傷能力」無かったの、ご存知でしょうかぁ・・・
まともに、良いタイミングで、幸運に恵まれれば、一撃で、2,3人倒せますがぁ・・・
信管の無い時代ゆえ、大抵はあさっての方向、タイミングで炸裂してしまってたのは、ご存知でしょうかぁ・・・


・・・・・軽〜く、流し読みしただけでも、呆れ果てて、溜息が・・・orz
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