Re: イソジンの壬辰倭乱<つっこみ②
投稿者: samurai_06_japan 投稿日時: 2006/11/23 00:00 投稿番号: [390 / 1474]
>朝鮮時代におけるわれわれの伝統的な戦術は、一般に「長兵」と呼ばれるものである。
>つまり、弓矢・火薬のような長距離兵器を主たる武器として、騎兵・歩兵二つの部類が一緒になって遠隔地から敵を征圧してしまうのがその特徴だった。
>これに対して、倭軍側の戦術は槍・剣を主たる武器として近接戦に重きをおいたので、「短兵」と称された。
あんの〜〜・・・・・
日本の、古来からの「主力武器」は「長弓」なんですがぁ・・・・
んで、騎兵(騎乗士)弓兵、槍兵、戦国期から鉄砲兵、の「諸兵科連合」は、既に「常套手段」になっていたのですがぁ・・・・
「剣」⇒「太刀」は、実際のところ、戦場の「主要兵器」じゃなかったのですがぁ・・・・
>とくに「長兵」戦術の優勢を際立たせた火器は、高麗末に倭寇を撃退する効果的手段を模索するなかで得られたもので、倭は壬辰倭乱当時でさえもこの戦術を習得できずにいた
既に、「小田原攻め」当時、秀吉は小田原城を「ぐるりと」火砲陣地で包囲していたのですがぁ・・・・
海上も、火砲火力装備の艦隊で封鎖していたのですがぁ・・・
小田原攻めは、天正18年。1590年なのですがぁ・・・
それ以前、天正6年、1578年には、織田信長が、木津川河口海戦で、装甲大安宅艦隊で、火力艦隊戦展開しているのですがぁ・・・
>鳥銃がまるでその長所を発揮できなかった海戦において、彼らが最後まで劣性(ママ)を挽回できなかった事実が、この点をもう一度確認させてくれる
>さきに述べたように、倭軍は新兵器鳥銃を得たが、火薬兵器使用の伝統がこれといってなく、海戦でも鳥銃だけを使用した。
>それに反して、火器使用の長い伝統をもっていたわれわれは、たしかに陸戦で使用した小型火器は性能面で彼らの鳥銃に立ち向かうことができなかったものの、艦船に搭載した大型火砲は、彼らの鳥銃を圧倒してあまりあったのである
あのぉ〜・・・・
日本水軍は、火砲を搭載しておりましたがぁ・・・
でもって、艦隊戦では常に朝鮮水軍を、火力・運動力・艦隊運用で、圧倒していたのですがぁ・・・
でもって、日本は既に16世紀後半には、火砲の実戦投入・戦場運用を行っていたのですがぁ・・・
朝鮮水軍のアドヴァンテージは、日本側補給船団への襲撃時だけだったのですがぁ・・・
>換言すれば、火器使用の伝統的な文化能力の優位が、ここで惜しみなく発揮されたのである。
何故、「火器使用の伝統的な文化能力の優位」が、明軍参戦まで、また、参戦後も、秀吉の死まで、生かされなかったのでしょうかぁ・・・
>こうした文化能力が、のちに陸戦でも飛撃震天雷をはじめとして、鳥銃を圧倒する新たな武器の考案へと受け継がれたことはよく知られている事実である。
「飛撃震天雷」って、実は殆ど「殺傷能力」無かったの、ご存知でしょうかぁ・・・
まともに、良いタイミングで、幸運に恵まれれば、一撃で、2,3人倒せますがぁ・・・
信管の無い時代ゆえ、大抵はあさっての方向、タイミングで炸裂してしまってたのは、ご存知でしょうかぁ・・・
・・・・・軽〜く、流し読みしただけでも、呆れ果てて、溜息が・・・orz
>つまり、弓矢・火薬のような長距離兵器を主たる武器として、騎兵・歩兵二つの部類が一緒になって遠隔地から敵を征圧してしまうのがその特徴だった。
>これに対して、倭軍側の戦術は槍・剣を主たる武器として近接戦に重きをおいたので、「短兵」と称された。
あんの〜〜・・・・・
日本の、古来からの「主力武器」は「長弓」なんですがぁ・・・・
んで、騎兵(騎乗士)弓兵、槍兵、戦国期から鉄砲兵、の「諸兵科連合」は、既に「常套手段」になっていたのですがぁ・・・・
「剣」⇒「太刀」は、実際のところ、戦場の「主要兵器」じゃなかったのですがぁ・・・・
>とくに「長兵」戦術の優勢を際立たせた火器は、高麗末に倭寇を撃退する効果的手段を模索するなかで得られたもので、倭は壬辰倭乱当時でさえもこの戦術を習得できずにいた
既に、「小田原攻め」当時、秀吉は小田原城を「ぐるりと」火砲陣地で包囲していたのですがぁ・・・・
海上も、火砲火力装備の艦隊で封鎖していたのですがぁ・・・
小田原攻めは、天正18年。1590年なのですがぁ・・・
それ以前、天正6年、1578年には、織田信長が、木津川河口海戦で、装甲大安宅艦隊で、火力艦隊戦展開しているのですがぁ・・・
>鳥銃がまるでその長所を発揮できなかった海戦において、彼らが最後まで劣性(ママ)を挽回できなかった事実が、この点をもう一度確認させてくれる
>さきに述べたように、倭軍は新兵器鳥銃を得たが、火薬兵器使用の伝統がこれといってなく、海戦でも鳥銃だけを使用した。
>それに反して、火器使用の長い伝統をもっていたわれわれは、たしかに陸戦で使用した小型火器は性能面で彼らの鳥銃に立ち向かうことができなかったものの、艦船に搭載した大型火砲は、彼らの鳥銃を圧倒してあまりあったのである
あのぉ〜・・・・
日本水軍は、火砲を搭載しておりましたがぁ・・・
でもって、艦隊戦では常に朝鮮水軍を、火力・運動力・艦隊運用で、圧倒していたのですがぁ・・・
でもって、日本は既に16世紀後半には、火砲の実戦投入・戦場運用を行っていたのですがぁ・・・
朝鮮水軍のアドヴァンテージは、日本側補給船団への襲撃時だけだったのですがぁ・・・
>換言すれば、火器使用の伝統的な文化能力の優位が、ここで惜しみなく発揮されたのである。
何故、「火器使用の伝統的な文化能力の優位」が、明軍参戦まで、また、参戦後も、秀吉の死まで、生かされなかったのでしょうかぁ・・・
>こうした文化能力が、のちに陸戦でも飛撃震天雷をはじめとして、鳥銃を圧倒する新たな武器の考案へと受け継がれたことはよく知られている事実である。
「飛撃震天雷」って、実は殆ど「殺傷能力」無かったの、ご存知でしょうかぁ・・・
まともに、良いタイミングで、幸運に恵まれれば、一撃で、2,3人倒せますがぁ・・・
信管の無い時代ゆえ、大抵はあさっての方向、タイミングで炸裂してしまってたのは、ご存知でしょうかぁ・・・
・・・・・軽〜く、流し読みしただけでも、呆れ果てて、溜息が・・・orz
これは メッセージ 387 (toapanlang さん)への返信です.
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