イソジンの壬辰倭乱 その2
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/11/22 21:27 投稿番号: [387 / 1474]
前回に続いて、『朝鮮王朝社会と儒教』(六反田豊訳
法政大学出版局
2000)所載の文章です。
細かい分析と突っ込みは、おいおいやっていきます。1980年に書かれた文章であるということを差し引いても、イタい認識が多いですね。
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三 戦術上の問題点
ここまで、壬辰倭乱の開戦当初におけるわが官軍惨敗の原因が、十六世紀から展開された戚臣政治の非理が容易には止揚されなかった点にあったことをみてきた。こうした政治体制上の問題とともに、わがほうの他の弱点として、微視的なものながら戦術上にも問題点のあったことを記憶しておく必要がある。
(中略)
朝鮮時代におけるわれわれの伝統的な戦術は、一般に「長兵」と呼ばれるものである。つまり、弓矢・火薬のような長距離兵器を主たる武器として、騎兵・歩兵二つの部類が一緒になって遠隔地から敵を征圧してしまうのがその特徴だった。これに対して、倭軍側の戦術は槍・剣を主たる武器として近接戦に重きをおいたので、「短兵」と称された。壬辰倭乱前の時期におけるこのような戦術上の違いからすれば、実際に倭は、われわれの敵とはなりえない形勢だった。とくに「長兵」戦術の優勢を際立たせた火器は、高麗末に倭寇を撃退する効果的手段を模索するなかで得られたもので、倭は壬辰倭乱当時でさえもこの戦術を習得できずにいた。しかし、こうした伝統的な戦術上の優劣関係は、乱直前に倭がポルトガル人から鳥銃を入手することで崩れてしまった。倭にとって新しい「長兵」武器となった鳥銃は、射程距離や正確さにおいてわれわれの弓矢のみならず、火器よりもはるかに優勢なものだった。彼らのこのような新兵器の所持は、たんに同じ「長兵」武器類を圧倒するだけでなく、彼ら本来の「短兵」戦術の長所を十分に発揮させたのである。
乱の開戦当初、われわれが惨敗を繰り返した根本的な原因は、まずもって政治体制上の問題に求められねばならないが、一方で、このような戦術上の問題にもまったく理由がないわけではなかったのである。鳥銃がまるでその長所を発揮できなかった海戦において、彼らが最後まで劣性(ママ)を挽回できなかった事実が、この点をもう一度確認させてくれる。さきに述べたように、倭軍は新兵器鳥銃を得たが、火薬兵器使用の伝統がこれといってなく、海戦でも鳥銃だけを使用した。それに反して、火器使用の長い伝統をもっていたわれわれは、たしかに陸戦で使用した小型火器は性能面で彼らの鳥銃に立ち向かうことができなかったものの、艦船に搭載した大型火砲は、彼らの鳥銃を圧倒してあまりあったのである。海戦でのわが水軍の相次ぐ勝利は、もちろん李舜臣将軍の卓越した指揮力にも助けられたところは大きかったが、このような戦術上の優位が勝利の基本的な土台となったのである。換言すれば、火器使用の伝統的な文化能力の優位が、ここで惜しみなく発揮されたのである。こうした文化能力が、のちに陸戦でも飛撃震天雷をはじめとして、鳥銃を圧倒する新たな武器の考案へと受け継がれたことはよく知られている事実である。
(後略)
初出 『軍史』創刊号 1980
細かい分析と突っ込みは、おいおいやっていきます。1980年に書かれた文章であるということを差し引いても、イタい認識が多いですね。
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三 戦術上の問題点
ここまで、壬辰倭乱の開戦当初におけるわが官軍惨敗の原因が、十六世紀から展開された戚臣政治の非理が容易には止揚されなかった点にあったことをみてきた。こうした政治体制上の問題とともに、わがほうの他の弱点として、微視的なものながら戦術上にも問題点のあったことを記憶しておく必要がある。
(中略)
朝鮮時代におけるわれわれの伝統的な戦術は、一般に「長兵」と呼ばれるものである。つまり、弓矢・火薬のような長距離兵器を主たる武器として、騎兵・歩兵二つの部類が一緒になって遠隔地から敵を征圧してしまうのがその特徴だった。これに対して、倭軍側の戦術は槍・剣を主たる武器として近接戦に重きをおいたので、「短兵」と称された。壬辰倭乱前の時期におけるこのような戦術上の違いからすれば、実際に倭は、われわれの敵とはなりえない形勢だった。とくに「長兵」戦術の優勢を際立たせた火器は、高麗末に倭寇を撃退する効果的手段を模索するなかで得られたもので、倭は壬辰倭乱当時でさえもこの戦術を習得できずにいた。しかし、こうした伝統的な戦術上の優劣関係は、乱直前に倭がポルトガル人から鳥銃を入手することで崩れてしまった。倭にとって新しい「長兵」武器となった鳥銃は、射程距離や正確さにおいてわれわれの弓矢のみならず、火器よりもはるかに優勢なものだった。彼らのこのような新兵器の所持は、たんに同じ「長兵」武器類を圧倒するだけでなく、彼ら本来の「短兵」戦術の長所を十分に発揮させたのである。
乱の開戦当初、われわれが惨敗を繰り返した根本的な原因は、まずもって政治体制上の問題に求められねばならないが、一方で、このような戦術上の問題にもまったく理由がないわけではなかったのである。鳥銃がまるでその長所を発揮できなかった海戦において、彼らが最後まで劣性(ママ)を挽回できなかった事実が、この点をもう一度確認させてくれる。さきに述べたように、倭軍は新兵器鳥銃を得たが、火薬兵器使用の伝統がこれといってなく、海戦でも鳥銃だけを使用した。それに反して、火器使用の長い伝統をもっていたわれわれは、たしかに陸戦で使用した小型火器は性能面で彼らの鳥銃に立ち向かうことができなかったものの、艦船に搭載した大型火砲は、彼らの鳥銃を圧倒してあまりあったのである。海戦でのわが水軍の相次ぐ勝利は、もちろん李舜臣将軍の卓越した指揮力にも助けられたところは大きかったが、このような戦術上の優位が勝利の基本的な土台となったのである。換言すれば、火器使用の伝統的な文化能力の優位が、ここで惜しみなく発揮されたのである。こうした文化能力が、のちに陸戦でも飛撃震天雷をはじめとして、鳥銃を圧倒する新たな武器の考案へと受け継がれたことはよく知られている事実である。
(後略)
初出 『軍史』創刊号 1980
これは メッセージ 380 (toapanlang さん)への返信です.
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