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百済武寧王について(5)

投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2006/12/10 10:45 投稿番号: [417 / 1474]
(続き)

  4   斯麻は数多くの白銅鏡を制作して男弟王に下賜した

  隅田八幡鏡の銘文によると、斯麻の命を受けた穢人・河内費直は白銅「二百桿」をまかなって立派な白銅鏡を制作したという。この鏡は上述したように、意紫沙加宮にあった男弟王の長寿を念願する意味で制作されたものである。ところが問題になるのは、隅田八幡鏡は重量「二百桿」に及ぶ白銅で制作した多数の鏡の中の一つであるという事実である。
  白銅二百旱の「旱」は桿の略字にみえるが、二百桿の重量が正確にどのくらいかは定かではない。しかし、和田萃教授はこれを今日の「貫」の概念と同じく見ることができると述べている。(28)   したがって、彼の概念をそのまま受け入れるとすれば、白銅二百桿は白銅二百貫(七五〇キログラム)になるが、この程度の白銅の重量で銅鏡を制作したと仮定すれば、その結果は、隅田八幡鏡(重量一・四三キログラム)と同じ模様の銅鏡四百枚以上を鋳造したことになる。
  したがって、銘文が示唆する重量を土台に推定すれば、癸未年八月に斯麻が弟王に当る男弟王に「下賜」するために制作した絶妙な人物画像鏡は一、二枚でなく、数百枚に達しているが、(29)   そういう場合も、これを斯麻が男弟王に進呈した「貢物」といえるかを銘文解釈者らに問いたい。
  彼らの主張どおり、隅田八幡鏡が斯麻の「献上物」であるとすれば、斯麻は自身が所有している立派な漢鏡一、二枚だけ手渡せば済むのであって、遠く河内国で、しかも当地の王同然の「費直」を「遣」わして数多くの白銅鏡を制作し、それを男弟王に手渡す必要があるかというのである。
  現在隅田八幡鏡が安置してある東京国立博物館の木村豪章氏は、最近発表した研究論文で、同一鋳型から多量の鏡を鋳造するいわゆる同范鏡(隅田八幡鏡もこの範疇に属するとみられる)の政治的意義に対して、かなり有益な論証を提示している。(30)
  彼の主要論文は、古代同范鏡の原産地としてそれは「政治権力の中枢である畿内で制作、これを各地に送付した」とみて、河内もその一部である畿内には同范鏡時代の開幕とともに、中央集権的政治権力体制が徐々に形成されたという。そして、この中央集権的政治権力の統制手段としての「鏡の配付は、首長権継承の外的承認を意味するもの」であると、鏡の「信任機能」を強調している。言い替えると、当代の鏡は今日の任命状や信任状と同じものだというのである。(31)

註釈
(30)   隅田八幡鏡は鋳型を通じて鋳造されたのが明っきり(ママ)している。この鏡を綿密に観察すると、当初の鋳造の際にしくじって、原型の前後を反対に鋳造したので、鏡の人物像の位置が逆になっているのである。
  とくに、川西教授は、長持山古墳出土鏡を隅田八幡鏡の「手本」〈原鏡〉になる鏡であると主張している。
(31)   小林行雄教授は、同范鏡の信任機能に対して「同じく副葬されている三角縁神獣鏡は、各地の首長がその首長権の承認の表示として、大和王権から下賜された魏の鏡である」と主張する。一方『読売新聞』(一九八九年七月)は、同范鏡は「王権とのきずなを象徴し」、彷製鏡は「王権に保障されている身分を象徴する」と論及している。

(続く)

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最近の師父は、こういう半島学者の本ばかり読んでいるので結構疲れているようです。読解力や体力とともにに精神力も要るそうで。
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