百済武寧王について(2)
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/12/06 11:53 投稿番号: [409 / 1474]
(続き)
2 鏡は「神器」であり「信任付与」
銅鏡に対する古代人のそのような信仰は、鏡をまるで「神器」のように宝物扱いにするようにし、とくに統治者の銅鏡保有は必須不可欠の条件となったのである。こうして、鏡は政治社会において、もっとも重要な「政治道具」に変貌したのである。
したがって、古代東アジアの政治社会でそのような銅鏡の授受行為を想起する時、それは決して尋常ならぬ行為であったにちがいない。畢竟、それは厳粛かつ荘厳な儀礼行事の一つであったろう。なぜかというと、そのような鏡の授受は先王(または上王)から付与する一つの「信任」を意味するものであり、この「信任」を通じて新しい政治権力が誕生するからである。
つとに、景初三年(二三九年)、魏の明帝は倭王「ヒミコ」(卑弥呼)の朝貢を受け、その答礼として銅鏡百枚と大刀二具を下賜しながら「そちらの人々が好む品物を賜る」から、この事実を広く弘報せよと言っているが、これはまさしく鏡の授受を通じた、魏帝の倭王に対する「信任」の表示とみなければならない。
事実、「癸未年」八月、斯麻が男弟王に与えた「二百桿」の白銅鏡もこういう脈絡で理解すべきである。しかし、大部分の解釈者らは、いわゆる「皇国史観」にとらわれて、銅鏡に対するそのような慣行と特殊性を完全に無視し、これを政治的に解釈し、隅田八幡鏡は斯麻が男弟王に「長らく奉仕」するために捧げた貢物である、と主張しているがこれは言語道断の骨頂である。
論理上から見ても、斯麻が弟王と呼ぶ彼に、銅鏡を献上するというのは想像だにできないことであり、とくに古代政治社会の慣行からみたとき、鏡の授受はいかなる場合も「信任」という特殊な意義を付与するものであるため、それは「下賜」になるよりほかないのである。(13) また、そういう場合にかぎって鏡に対する神秘性は維持されるのである(それで死者は、彼が生前上王から授けられた銅鏡を、死後も一番重要な副葬品として永遠に自分の頭部枕許に保管することになり、戦争にまけた将帥は、まけた証拠として銅鏡をだして降伏したというのである)。
3 日本の歴史慣行――「三種の神器」と皇統継承
この点に対して、古代の慣行が昔ながらに継承されている日本の皇統は、まさにそのような鏡の神秘性を現実的に見せてくれる生きた証拠といえる。一千年以上になるというこの歴史慣行は、王権継承の象徴としていわゆる「三種の神器」、すなわち八咫鏡、草薙剣、そして八尺瓊曲玉などの宝物を先王から伝授することによって、はじめて新王の大統が確立するというのである。これはいうまでもなく、「神器」である鏡の授受を通じた先王の「信任」を意味するのである。
最近挙行された今上天皇の即位を見守りながら「三種の神器」の中でも、とくに八咫鏡の地位がほかの二つの神器よりも高いことを知るようになった。その理由は、天皇家の祖神で、開国神でもある天照大神の心霊がこの八咫鏡に宿っているからであるという。(14) したがって、新王の即位当日、真っ先に賢所に祀ってある鏡に自身を告げることによって、彼の「守護」と「信任」を請うのである。
このように日本の歴史慣行において、青銅鏡の重要性は何にも比肩できないものである。ところが、銘文解釈者らは、大王年、癸未年に男弟王の「長寿」を念願して制作した数多くの白銅鏡に対しては、これを斯麻が男弟王に献上した「貢物」であるとかの法外な理屈をつけて、これを反歴史的に解釈している。しかし、このような歪曲した解釈で、いわゆる「皇国史観」の一時的な維持は可能であるかも知れないが、その半面、彼らが「自慢」する歴史の基本を、根こそぎ否定する誤謬を記していることも認識しなければなるまい。
2 鏡は「神器」であり「信任付与」
銅鏡に対する古代人のそのような信仰は、鏡をまるで「神器」のように宝物扱いにするようにし、とくに統治者の銅鏡保有は必須不可欠の条件となったのである。こうして、鏡は政治社会において、もっとも重要な「政治道具」に変貌したのである。
したがって、古代東アジアの政治社会でそのような銅鏡の授受行為を想起する時、それは決して尋常ならぬ行為であったにちがいない。畢竟、それは厳粛かつ荘厳な儀礼行事の一つであったろう。なぜかというと、そのような鏡の授受は先王(または上王)から付与する一つの「信任」を意味するものであり、この「信任」を通じて新しい政治権力が誕生するからである。
つとに、景初三年(二三九年)、魏の明帝は倭王「ヒミコ」(卑弥呼)の朝貢を受け、その答礼として銅鏡百枚と大刀二具を下賜しながら「そちらの人々が好む品物を賜る」から、この事実を広く弘報せよと言っているが、これはまさしく鏡の授受を通じた、魏帝の倭王に対する「信任」の表示とみなければならない。
事実、「癸未年」八月、斯麻が男弟王に与えた「二百桿」の白銅鏡もこういう脈絡で理解すべきである。しかし、大部分の解釈者らは、いわゆる「皇国史観」にとらわれて、銅鏡に対するそのような慣行と特殊性を完全に無視し、これを政治的に解釈し、隅田八幡鏡は斯麻が男弟王に「長らく奉仕」するために捧げた貢物である、と主張しているがこれは言語道断の骨頂である。
論理上から見ても、斯麻が弟王と呼ぶ彼に、銅鏡を献上するというのは想像だにできないことであり、とくに古代政治社会の慣行からみたとき、鏡の授受はいかなる場合も「信任」という特殊な意義を付与するものであるため、それは「下賜」になるよりほかないのである。(13) また、そういう場合にかぎって鏡に対する神秘性は維持されるのである(それで死者は、彼が生前上王から授けられた銅鏡を、死後も一番重要な副葬品として永遠に自分の頭部枕許に保管することになり、戦争にまけた将帥は、まけた証拠として銅鏡をだして降伏したというのである)。
3 日本の歴史慣行――「三種の神器」と皇統継承
この点に対して、古代の慣行が昔ながらに継承されている日本の皇統は、まさにそのような鏡の神秘性を現実的に見せてくれる生きた証拠といえる。一千年以上になるというこの歴史慣行は、王権継承の象徴としていわゆる「三種の神器」、すなわち八咫鏡、草薙剣、そして八尺瓊曲玉などの宝物を先王から伝授することによって、はじめて新王の大統が確立するというのである。これはいうまでもなく、「神器」である鏡の授受を通じた先王の「信任」を意味するのである。
最近挙行された今上天皇の即位を見守りながら「三種の神器」の中でも、とくに八咫鏡の地位がほかの二つの神器よりも高いことを知るようになった。その理由は、天皇家の祖神で、開国神でもある天照大神の心霊がこの八咫鏡に宿っているからであるという。(14) したがって、新王の即位当日、真っ先に賢所に祀ってある鏡に自身を告げることによって、彼の「守護」と「信任」を請うのである。
このように日本の歴史慣行において、青銅鏡の重要性は何にも比肩できないものである。ところが、銘文解釈者らは、大王年、癸未年に男弟王の「長寿」を念願して制作した数多くの白銅鏡に対しては、これを斯麻が男弟王に献上した「貢物」であるとかの法外な理屈をつけて、これを反歴史的に解釈している。しかし、このような歪曲した解釈で、いわゆる「皇国史観」の一時的な維持は可能であるかも知れないが、その半面、彼らが「自慢」する歴史の基本を、根こそぎ否定する誤謬を記していることも認識しなければなるまい。
これは メッセージ 408 (toapanlang さん)への返信です.
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