南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | [ メッセージ # オフセット ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

南京虐殺は嘘43 真人間の証言6

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/05/18 23:18 投稿番号: [5682 / 41162]
東京日々新聞カメラマン   金沢善雄氏の証言

  「戦後、この時、何万人かの虐殺があったといわれていますが、不思議でしようがないのです。私は南京をやたら歩いていますが、虐殺を見たこともなければ聞いたこともありません」「ここ(南京)には1ヶ月ほどいましたが、戦後言われているような事は何も見ていなければ、聞いてもいません。ですから虐殺があったと言われていますが、あり得ないことです。松井大将が絞首刑になったのも不思議でしょうがないのです」




報知新聞カメラマン   二村次郎氏の証言

  ――南京虐殺ということが言われていますが。

  「南京にいる間見たことがありません。戦後よく人から聞かれて、当時のことを思い出しますが、どういう虐殺なのか私が聞きたいくらいです。逆に人が書いたものを見たりしています。アウシュビッツのように殺す場所がある訳でもないですからね、私が虐殺の話を聞いたのは、東京裁判の時です」

>敗戦後、(補足)

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/05/18 23:08 投稿番号: [5681 / 41162]
軍事カテにあった他の方の投稿です。


ホーム > 政治 > 軍事 > 南京虐殺はでっち上げと確信している

メッセージ: 31107



友人の父親さんの話

シベリアに連れていかれ、結核をわずらった為に日本に返された方です。

  ロスケは絶対に許せない、自分は病気で帰国できたが・・・・。
その病人に「だるま」を2人ずつ持たせた、日本に着くまで「海に投げ込んで殺してくれ」と頼まれ続けた苦しみが・・・。
  中には一緒に海に飛び込んだ奴もいたそうです。
  「だるま」はご存知ですよね、凍傷で両手・両足が無くなった方々です。

  こき使って、使えなくなってポイですよ。

  その親父さん「日本に爆弾を落としたアメリカは憎い・・・、でも帰国した俺にペニシリンを注射してくれたアメリカには感謝している」と。

  亡くなってはいないけれど、ロスケの残酷な仕打ちを受けた方はかなりの数でしょうね。

>敗戦後、

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/05/18 22:33 投稿番号: [5680 / 41162]
どういたしまして。

私の長文投稿をわざわざ読んで頂き、こちらこそ、ありがとうございました。

敗戦後、

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2005/05/18 22:27 投稿番号: [5679 / 41162]
こんなに惨めな目に在ったのか。

それにも拘らず、日本人に対して、条約を結んでも謝罪せよなんぞとほざく馬鹿三国に対し、あきれると同時に強烈なる敵愾心が沸いてきました。

又、当然ソビエトの国家と言うものに対しても同様です。

貴重なレス、有難うございます。

ソ連による大虐殺はシベリアだけで53万人

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/05/18 22:08 投稿番号: [5678 / 41162]
おっしゃるとおり、でっち上げの【南京大虐殺】とは違い、ロシア(ソ連)は、満州、樺太、択捉、国後などで拉致し、シベリアに強制連行し、殺害した日本人全員の名簿や死亡年月日、死因、埋葬地などの資料を持っています。
平成3年、ゴルバチョフが来日した際、拉致され、シベリアに強制連行され、殺害された日本人全員の名簿や死亡年月日、死因、埋葬地などをソ連が日本に提出することを約束した協定が結ばれましたが、履行されませんでした。
ゴルバチョフ来日の際、名簿の一部のみがソ連から日本に渡されただけになってしまっています。

何故でしょうか?

おそらく、日本の政治家や厚生省や学者やマスコミが長年吐いていた嘘がばれ、あまりの犠牲者の多さに日本国民がショックを受け、ソ連の大虐殺が世界中に露呈することを怖れたのでしょう。




>【シベリア抑留死亡者】旧ソ連が第二次大戦後、旧満州(中国東北部)や朝鮮半島にいた旧日本兵らを抑留し、鉄道や道路建設などの労働に当たらせた。厚生労働省が把握しているだけで抑留者は約57万5000人、現地での死者は約5万5000人。死者は6万人を超えるという説もロシアの学者などから出ており、正確な数は不明だ。


#5163でも触れましたが、1945年8月に、満州、樺太、択捉、国後、その他から、ソ連に拉致されていなくなった日本の将兵等は、およそ「105万人」。
帰還したのが「52万人」(厚生省引揚援護局)。

105万−52万=53万

約53万人がソ連によって「拉致・虐殺」されたと考えられます。

―――――――――――――――――――
●今立鉄雄氏ー「日本しんぶんー日本人捕虜に対するソ連の政策」
  ・「終戦時、ソ連の占領した満州、樺太、千島には軍民あわせ約2百72万6千人の日本人がいたが、このうち約107万人が終戦後、僅か9ヶ月間にソ連の為、シベリアに送られた。推定ながら、シベリアの野に失った40万人の人々とその遺族の胸中を思いやっている」

  ●ウイリアム・ニンモ(米国の研究者)著ー「検証ーシベリア抑留」
  ・「1945年8月ソ連の管理下にあった日本人の人数は、272万6千人、確認済みの死者は25万4千人、行方不明・推定死亡・その他は9万3千名で、事実上、約34万人の日本人がソ連によって殺された」
 
  ●アルハンゲリスキーの解明
  ・マリクがモロトフに宛てた文書では、「1946年12月4日付け政府決定に従い、ソ連からの日本人の本国帰還が緒に就いた。本国帰還該当者105万2,467人のうち既に10万1,075人が送還された」
  ・1947年3月5日付けの対日理事会でビジョン米代表が、日本捕虜帰国の現状に言及し、ソ連領内にまだ105万301人の日本人が残留していると述べたところ、1947年3月27日付けのマリクからモロトフ宛ての書簡では、ビジョンに反論するため「1947年3月5日現在ソ連内にいた軍人及び民間人の日本人は総計約70万人」としたのである。折りしも東西冷戦が本格化した時期で、以後、鉄のカーテンに阻まれ、抑留者の数、死者の数とも曖昧にされていく。
  なぜ、こんな隠蔽工作をしたのかといえば、1945年から1947年にかけて大量の日本人がシベリアの地で死亡したからだ。とくに1945年から46年にかけての冬、シベリア全土を異常な寒気が襲い、日本人抑留者の命を次々と奪った。防寒服も防寒用の靴もなく、布テントに収容され、しかも食料も十分に与えられなかった日本人捕虜たちはひとたまりもなくシベリアの冬将軍の餌食をなった。

  ●シーボルト(対日理事会の米代表)
  ・夥しい数の日本人捕虜がシベリアで虐殺されたとして、日本側の資料を用い、次の数字をあげている。1945年だけで、27万2349人が死んだ。1945年から1949年までの4年間で、ソ連での日本人捕虜の死亡者は、実に37万4041人にのぼる。
  37万人を超える日本人捕虜がシベリアで殺された。死亡原因は疾病、野外留置、衣服の不足、栄養失調、極寒時の強制行進、過酷な労働とされている。広島、長崎の原爆を上回る我が同胞が、まさにスターリンによって虐殺された。

http://ryutukenkyukai.hp.infoseek.co.jp/marxsyugi1.html

> >横レス失礼

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2005/05/18 21:51 投稿番号: [5677 / 41162]
では議論は無し、質問に対する回答のみを。

> ええと、私がどこでこんなこと言ったかな。言ったかもしれないが覚えがありません。ご指摘ください。

確かに言っていませんね。貴方は引用しただけだ。

#5656(直前のスレ)
>ニミッツ
太平洋戦争の開戦原因について、アメリカの謀略説・経済原因説・チャーチルの陰謀説など、日本側に原因を求めないものがありますね。それでも日本がアメリカとイギリスに攻撃をかけたのは明白だと思うのですが。

流石に著作物の内容を議論しないと言うだけあって、引用した文章の内容は覚えておられないらしい。

>>>横レス失礼

投稿者: kintakunte2002 投稿日時: 2005/05/18 20:53 投稿番号: [5676 / 41162]
>>史料の内容の真偽について議論するつもりが無いのであれば、貴方は何を拠り所として歴史に触れようとしているのか、お聞かせ願えませんか?

>この件については、議論は不毛だと思うからです。

瑣末なことにこだわるのは不毛だということであって史実を無視することではないと理解してよろしいか?

>「それでも日本がアメリカとイギリスに攻撃をかけたのは明白だと思う」>

これはニミッツの言動なので問題はないですね。

と、こんなもんでよろしいですかな。

>>横レス失礼

投稿者: syubinohito 投稿日時: 2005/05/18 17:59 投稿番号: [5675 / 41162]
あなたの過去の文章を読ませていただきました。

歴史を語るというよりは、心理の推理に重きを置いているように感じられます。

まあそれもいいとは思いますが、議論の途中で不毛であるとかというのは、
相手に対して不親切と思います。

ずいぶん論議をしていたのですから、
理由だけでも聞かせてほしいですね。

なぜ不毛なのか、なぜかみ合わないのか。

>横レス失礼

投稿者: asdll58 投稿日時: 2005/05/18 11:20 投稿番号: [5673 / 41162]
>史料の内容の真偽について議論するつもりが無いのであれば、貴方は何を拠り所として歴史に触れようとしているのか、お聞かせ願えませんか?

この件については、議論は不毛だと思うからです。

>貴方は何を拠り所として歴史に触れようと

噛み合いませんね。これについてもあなたと議論したくないですが。

>あっ、それから

> >それでも日本がアメリカとイギリスに攻撃をかけたのは明白だと思うのですが。

>これは決して明白ではありませんので。

「それでも日本がアメリカとイギリスに攻撃をかけたのは明白だと思う」

ええと、私がどこでこんなこと言ったかな。言ったかもしれないが覚えがありません。ご指摘ください。

みなさんごめんなさい

投稿者: yaminokuni56 投稿日時: 2005/05/18 02:13 投稿番号: [5672 / 41162]
>反省したから、英国はアヘンを現在も販売はしていない。
欲しけりゃ〜北朝鮮と交渉してみようね(笑)
関連を知りたければ、英国大使館へ電話して、アヘン売って下さいと言ってみな!!<

みなさんごめんなさい。
長々とパクってきた文章を貼り付けて物知り顔をしていますが、実は自分で考えて書いた文章というのはこの程度のものなんです(涙)


情けなくちょうしょう(笑)

南京虐殺は嘘42 真人間の証言5

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/05/17 22:30 投稿番号: [5670 / 41162]
再び「真人間の証言」シリーズに戻ります。
(メッセージ: 4870「南京虐殺は嘘6――真人間の証言(4)」の続きになります)




報知新聞従軍記者 田口利介氏の証言

  ――南京で虐殺があったといわれますが?

  「当時聞いたこともなかったし、話題になったこともありません」




読売新聞技師 樋口哲雄氏の証言

  「自転車を持っていたので、毎日あっちこっちに行きました」

  ――その頃、日本軍による虐殺があったと言われていますが?

  「どこで何があったのか知りません」

  ――見たり聞いたりしませんか?

  「全然解りません。だいいちそういう形跡を見たことがありません。あったとよく言われますが、どこでどんなものがあったのか。中山陵など荒らされていないし、きれいでした。
  やらなきゃこっちがやられるからやったのを虐殺といっているのだと思います」

>そして今日、満州は

投稿者: gezywibpq 投稿日時: 2005/05/17 22:29 投稿番号: [5669 / 41162]
>満州が漢民族の領土ではなく満州族の故国であるのは歴史的事実。

更に

満州事変以前から、満州人によって独立運動が行なわれていたのも、
溥儀は紫禁城を追い出された時から再び皇帝として君臨する機会を狙っていたことも、
満州国建国後に満州が飛躍的に発展したのも、

歴史的事実

平頂山事件の真相 嘘垂れ流しyominokuni56

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/05/17 22:10 投稿番号: [5668 / 41162]
>死者数については「諸説あって確定できない」と述べて約700人〜約3千人とした。


だからさー!
「3千人」というのは、共産支那が言った「白髪三千丈」の人数を朝日の本多勝一がそのまま真実であるかのように報道しただけなんだってば!


【平頂山事件の真実】
匪賊が撫順炭坑を襲撃したので、日本の撫順独立守備隊との間で戦闘が起こった。
日本側の11名を含む双方に死傷者が出た。
匪賊の襲撃から数時間後、撫順独立守備隊は平頂山に調査に行くことを決定した。
井上中尉が約40名を率いて平頂山を調査したところ、前夜の襲撃現場からの盗品が続々と見つかり、平頂山の住民が匪賊(ゲリラ)と行動を共にしていたことが明確になった。

1932年10月2日付満州日報には、「匪賊の再襲来や焼討ち事件のため、撫順付近の中国人の3分の1が撫順を離れ、郷里の山東方面へ避難」との記事が掲載されている。
1932年10月15日付満州日報に、「匪賊の被害者に撫順県公署が救済開始」との記事が掲載されており、その記事には、平頂山村の人口が1369人であったこと、うち死者400人であったことが記載されている。
ジュネーブでの国際連盟理事会に公表した支那側の被害者は死者700、重傷6〜70、軽傷者約130名となっている。

yominokuni56たちは、「平頂山村の住民約3000人が皆殺しになった」と言うが、平頂山の住民が匪賊(ゲリラ)と行動を共にしていたことには一切触れず、さらに共産支那が言った「白髪三千丈」の人数を朝日の本多勝一がそのまま真実であるかのように報道した。
こういうことするから、支那人や朝日新聞やyominokuni56たちは信用をなくす。
【400人〜700人と言われる犠牲者には、匪賊(ゲリラ)と関係のない住民も含まれていたと考えられる】でも十分に撫順独立守備隊を非難できるのに、どうしてありのままを述べて非難しないのだろうか。



>中国人生存者の控訴は棄却   平頂山事件で東京高裁 [ 05月13日 11時47分 ]

だから、これもさー。
そもそも、この3人の支那人(当時4−9歳)は、どうして1932年の事件を1996年になってから裁判を起こしたのか不思議に思わないのかなー?

横レス失礼

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2005/05/17 21:57 投稿番号: [5667 / 41162]
> タウンゼントの描くチャイナが間違っているかどうかについてコーヒーさんと(不毛な)論争する気はありません。当時の日本政府のプロパガンダに一役買っていた(象は長い鼻)という事実は、無視できないと思います。

逆じゃないですか?
史料を参照するにあたり重視すべきはそこに書かれていることが事実かどうか、どれだけ信頼性があるかであって、著述者の中立性がそれほど重要だとは思えないのですが。

> 完全に公正中立な立場というのはだれにせよありえないと思うからです

おそらく、その通りなのでしょう。
新聞記事だって公正中立な立場で書かれた物はありません。
新聞社に政治的中立を求める日本は国際的に見れば少数派ではないでしょうか。

公正中立な立場で無いからその著述は信頼できないというスタンスに立てば、著作物は全て史料として信頼に値しないということになります。
著作物の信頼性の判断基準はまずその内容ではないでしょうか。そして内容に対する判断を補完する材料として著作者のプロフィールが問われるのだと思いますが。

トピの本論には関係の無いことですが、史料の内容の真偽について議論するつもりが無いのであれば、貴方は何を拠り所として歴史に触れようとしているのか、お聞かせ願えませんか?
貴方はここで、何を議論するつもりなのですか?

あっ、それから

> それでも日本がアメリカとイギリスに攻撃をかけたのは明白だと思うのですが。

これは決して明白ではありませんので。
他国と共謀した経済封鎖が交戦行為に該当するかしないかについては置いておくとしても、アメリカが退役軍人の義勇兵を装って中国軍に加担した嫌疑は晴れていませんから。

そして今日、満州は

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2005/05/17 21:53 投稿番号: [5666 / 41162]
満州が漢民族の領土ではなく満州族の故国であるのは歴史的事実。
そして、中国国内における満州族の現状を見れば、少なくとも満州民族にとって、満州国は安住の地だった。

今や満州族は絶滅したも同然だ。
今、満州の地は漢民族のものとなっている。

少数民族優遇政策の下、満州の民族籍を持つ人は増えているようだが、さて、実際はどれだけ「満州族」としての意識を持っていることか。

いい加減、トピずれ発言は止めたらどうだ?

横>>タウンゼント「暗黒大陸中国の真実」

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/05/17 21:50 投稿番号: [5665 / 41162]
>他人のことにちょっかいだすより、・・・

>の証拠を心配したらどうですか。・・・


こういうのは、あまり感心しませんね。

年がら年中、明けても暮れても、朝から晩まで出鱈目ばっかりを言い続けるyominokuni56と違い、n_o_i_s_e_m_a_nさんの場合は、ちょっと勢い余っただけでしょ。
n_o_i_s_e_m_a_nの普段の投稿姿勢を見ていれば、それくらいのことは容易に理解できるはずです。
私も含めて間違いは誰にでもあるのに、ほんの一部を殊更あげつらうのはやめましょうよ。

政府間でね

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2005/05/17 21:49 投稿番号: [5664 / 41162]
> 森島守人北京領事と池宗黒政務庁長官の話し合いにり、中国側の正式謝罪、慰謝金の支払い、慰霊塔の建設を条件に解決されている。

日本人は、国家間で外交的に決着済であるにも拘らず、個人として相手国政府に補償を求めたりしていない。
「戦争による賠償問題は政府間で決められるべき問題で個人が賠償を求めることは出来ない」と高裁判決も述べているだろ?
君も中国のご友人に教えてあげ給えよ。
国際社会のルールってものをさ。

>>>タウンゼント(2)

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/05/17 21:31 投稿番号: [5663 / 41162]
>冒頭ではっきり言ってるでしょう。

冒頭以外の部分を読んだ時間は無駄でした。


>ニミッツ
>別宮
>これが正しいかどうかは別。

そのとおり、そいつらは正しくないのです。


>>今や、ルーズベルトの陰謀は"説"ではなく"史実"であり、こんなことは常識です。(5604)

>とは、言えないと思います。

どうしてレスが逆戻りしていくのかよく分かりませんが、1945年の上下両院合同査問会の公式な報告で結論が出て、さらに1948年に歴史学の権威チャールズ・ビアード博士が米の公式資料に基づいて「日米戦争は好戦大統領の周到な準備で日本を挑発し、仕掛けた謀略、つまり米の侵略戦争である」と著書(日本語訳は発禁)で告発し、結論が出ています。


>してみると1933年の「暗黒大陸中国の真実」も案外(間接的にせよ)日本政府の息がかかっていたのかもしれない。

「かもしれない」とか言ったら、きりがないでしょ。
「タウンゼントが1937年に訪日した後からプロパガンダを書き出した」というのは、真っ赤な嘘で、でっち上げかもしれない。
「タウンゼントが罪を認めた」というのは、真っ赤な嘘で、でっち上げかもしれない。
何とでも言えちゃいますね。
むしろ、当時の状況等を勘案すれば、「タウンゼント有罪はでっち上げ」だったと考えるほうが余程マトモです。

当時のアメリカのプロパガンダや言論弾圧の凄まじさは既に説明したとおりです。
asdll58さんも、日本のプロパガンダが下手だったと思っていましたよね。
プロパガンダが下手な日本と凄まじいプロパガンダや言論弾圧を展開していたアメリカを勘案した場合、「タウンゼントの罪はでっち上げだった」と判断するほうが自然です。

1942年がどのような年だったのかを冷静に考慮すれば、1942年のタウンゼントの有罪を根拠に、1933年出版の『暗黒大陸中国の真実』の信憑性に異議を唱えるのは、ナンセンス極まりないのです。

yominokuni56意味不明罵倒逃走継続中(笑)

投稿者: tatetayon 投稿日時: 2005/05/17 21:31 投稿番号: [5662 / 41162]
「アヘン戦争」

>>最初から言っているが「アヘン戦争の反省をした」とする根拠・事実を、まず示せ。
それから、「アヘン戦争」と「販売を止めたこと」の関連を示す根拠を示せ。
な〜んも、根拠を示さずに、結論だけ言い張っていても、説得力ないぞ。(大笑)

>あほ!!
反省したから、英国はアヘンを現在も販売はしていない。

答えになっとらんぞ、日本語が理解できんようだのぉ?
さっさと答えろよ。
「アヘン戦争の反省をした」とする事実を、まず示せ。いつしたんだ?そんな公式文書どこにあるんだ?

「アヘン戦争の反省」と「販売を止めたこと」の関連を示す根拠を示せ。
どこにあるんだ?
な〜んも、根拠を示さずに、結論だけ言い張っていても、説得力ないぞ。(大笑)
「アヘン戦争」と「アヘンの販売を止めたこと」とは何も関連がないことが明白なこっちの根拠は散々載せているが、また載せてやろうか?

>欲しけりゃ〜北朝鮮と交渉してみようね(笑)
>関連を知りたければ、英国大使館へ電話して、アヘン売って下さいと言ってみな!!
確認が取れるだろう、、、あほ!

相変わらず、まともな反論ができないため、意味不明の罵倒でごまかしとるな(笑)

負け犬君。しっぽを巻いて逃げ回ってないで、さっさと示せよ。(笑)


「靖国問題」

キミが「ある」という覚書はどこにあるんだ?
いいかげんに、提示したらどうだ?

>>>タウンゼント

投稿者: kintakunte2002 投稿日時: 2005/05/17 20:35 投稿番号: [5661 / 41162]
>タウンゼントの描くチャイナが間違っているかどうかについてコーヒーさんと(不毛な)論争する気はありません。

確か論争を仕掛けたのはあんただったと思うけど。

推論を言うから、それに至る経緯を説明することを求めたんだよ。

あんたも言っているじゃないか、文中で。
それは証拠にならないとか。



>どうでしょうかねえ。かりにおおかた当たっている(ということはないと思いますが)としても、

タウンゼントは、チャイニーズ(象)は「鼻が長い」、チャイニーズ(象)は「長い鼻だ」、と言っているわけ。それをバイアス(偏見)という。象は鼻が長いかもしれないが、それだけではないだろう。>


こんなの、説明にも反証にもなっていないよ。

決然と反論したんだから、勝手に終えるなんていわずに徹底的に議論を続けたらどうだい。

反省まだか中国人

投稿者: yousunwai 投稿日時: 2005/05/17 19:50 投稿番号: [5660 / 41162]
ところで、中国人は、チベットの反省したんか?

チベットの虐殺の反省はしたんか?

東トルキスタンの反省はまだか?


まだ、やるな、虐殺国家、中国人のすみか。中国。

勅令=アホの相手はするな、、御名御璽

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/05/17 19:21 投稿番号: [5659 / 41162]
>最初から言っているが「アヘン戦争の反省をした」とする根拠・事実を、まず示せ。
それから、「アヘン戦争」と「販売を止めたこと」の関連を示す根拠を示せ。
な〜んも、根拠を示さずに、結論だけ言い張っていても、説得力ないぞ。(大笑)

あほ!!
反省したから、英国はアヘンを現在も販売はしていない。
欲しけりゃ〜北朝鮮と交渉してみようね(笑)

関連を知りたければ、英国大使館へ電話して、アヘン売って下さいと言ってみな!!
確認が取れるだろう、、、あほ!

石原莞爾(関東軍参謀)の講義1928年

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/05/17 19:16 投稿番号: [5658 / 41162]
石原莞爾(関東軍参謀)陸軍大学校において行った講義の内容

「我国情は殆ど、行詰り、人口糧食その他の重要問題、皆解決の道無きが如し、唯一の道は満蒙開発の断行にあるは輿論の認むる所なり、而るに、満蒙問題の解決に対しては支那軍閥は極力その妨害を試むるのみならず、列強の嫉視を招く覚悟せざるべからざるのみならず、国内にもまた之を侵略的帝国主義として反対する一派あり。

**満蒙は漢民族の領土に非ずして、むしろその関係、わが国と密接なるものあり、民族自決を口にせんとする者は、満蒙は満州および蒙古人のものにして、満州、蒙古人は漢民族よりもむしろ大和民族に近きことを認めざるべからず。

現在の住民は漢人種を最大とするも、その経済的関係または支那本部に比しわが国は遥かに密接なり。

これらの歴史的関係および経済的関係を度外視するも、日本の力によりて開発せられたる満蒙は日本の勢力による治安維持によりてのみ其の急激なる発達を続くものなり、もし、万が一   我勢力にして減退すること有らんか、

目下における支那人唯一の安住地たる満州また支那本部と選ぶ無きに至るべし、而も米英の前には、我外交の力を看破せる支那人は、いまやことごとにわが国の施設を妨害せんとしつつあり、わが国の正当なる既得権擁護のため、かつは支那民衆の為、ついに断固たる処置を強制せらるる日あることを覚悟すべく、

其の決心は単に支那のみならず、欧米諸国を共に敵とするものと思はざるべからず」

昭和3年(1928年)陸軍大学校においての講義「現在および将来における国防」と題して、、

昭和恐慌による不況の深刻化、労農運動、左翼化の高揚、社会不安の高まりは中堅青年将校たちを触発した。

また、中国においては、二一ヶ条事件、山東出兵、満州某重大事件を契機として日本帝国主義反対運動の高まり、昭和6年6月中村大尉事件(関東軍の中村大尉が部下一名を連れて極秘に特殊任務を遂行中に興安嶺の奥地で中国地方隊によって射殺された)同じく7月万宝山事件(朝鮮人移民と中国側警察、農民との衝突事件)は関東軍が満州において軍事行動を開始する絶好の契機として利用され。

之がやがて、同年9月の柳条溝事件へと続く。
満州事変の勃発と、その後における満州全面占領、そして満州国の建設は陸軍、特に関東軍の中堅青年将校の多年の宿望を実現させたものである。

単に一部中堅青年将校のみの構想ではなく、
政友、民政などの既成政党、財界などを含めた日本支配者層にとっての多年に渡る共通の宿願であったのであ〜る。侵略が国策となっていったのであ〜る。「満蒙即時占領計画」

随分と勝手な論理で侵略戦争が始まったのである(笑)

日本は中国人による通州大虐殺?一説

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/05/17 19:09 投稿番号: [5657 / 41162]
信夫信三郎氏「聖断の歴史学」より

  7   通州事件(三)

  通州に駐屯していた日本の特務機関(陸軍の諜報工作機関)は、一九三七年七月二六日、日本軍の北京・天津地区にたいする攻撃が迫ったため、通州門外の兵営に駐屯していた中国第二九軍の部隊にたいし「貴部隊が停戦協定線上に駐屯せられる事は、在留邦人の保全と冀東の安寧に害がある」という理由で二七日午前三時までに武装を解除するとともに北京に向けて退去するよう要求した。

  しかし、第二九軍はうごこうとしなかった。

日本軍は、二七日午前四時から攻撃を開始し、午前一一時ごろまでに第二九軍を掃蕩した。

通州門外に中国軍隊はいなくなった。ところが、日本軍は、通州の中国軍隊兵舎のとなりに冀東防共自治政府保安隊の幹部訓練所があることをよく知らず、保安隊の隊員を第二九軍の兵士と誤認して爆撃し、数名の保安隊員を死傷させた。

特務機関長の細木繁中佐は、冀東防共自治政府の長官に陳謝し、犠牲者の家族に挨拶し、賠償に誠意をつくした。

北京特務機関補佐官として現地にいた寺西忠輔大尉は、日本軍が誠意をつくしたため、「保安隊員は心中の鬱憤を軽々に、表面立って爆発させる事はしなかったのである」としるしたが、北平駐在大使館付武官補佐官として北平にいた今井武夫少佐は、保安隊員は「関東軍飛行隊から兵舎を誤爆されて憤激の余り、愈々抗日戦の態度を明かにした」と述べた。

  七月二九日、保安隊は予定の行動に蜂起した。日本軍の守備隊は、北京南苑の攻撃に向っていて通州の守備は手薄であった。

まさか傀儡政権の保安隊が抗日の蜂起をするとは夢にもおもわず、逆に通州は安全だというので北京から戦火を避けて避難してくるものさえあった。

日本軍は完全に虚をつかれた。留守を守る守備隊の数は、寄せ集めて百十名ばかりであった。保安隊の攻撃は、通州守備隊と特務機関に集中した。守備隊長藤尾心一中尉と機関長細木繁中佐は戦死した。

  守備隊と特務機関のつぎには居留民が攻撃をうけた。居留民の家は一軒のこらず襲撃をうけ、掠奪と殺戮にあった。掠奪には保安隊員だけでなく市民も加わった。日本人の旅館近水楼の掠奪は徹底的であった。死体には烏が群がった。性別のわからない死体もあり、新聞は「鬼畜の行為」とつたえた。

  陸軍省がしらべた犠牲者の数は、八月五日現在で発見できたもの一八四名、男九三名、女五七名、性別不明者三四名であり、生き残って保護をうけたものの数は、一三四名、その内訳は「内地人」七七名と「半島人」(朝鮮人)五七名であった。

  当時の支那駐屯軍司令官香月清司中将の『支那事変回想録摘記』が記録する犠牲者の数は、日本人一〇四名と朝鮮人一〇八名であり、朝鮮人の大多数は「アヘン密貿易者および醜業婦にして在住未登録なりしもの」であった。朝鮮人のアヘン密貿易者が多数いたことは、通州がアヘンをもってする中国毒化政策の重要な拠点であったことを示していた。

通州事件は、日本の中国「毒化政策」にたいする中国民族の恐怖と抵抗を標示していた。

  戦史家児島襄は、「在留邦人三百八十五人のうち幼児十二人をふくむ二百二十三人が殺され、そのうち三十四人は性別不明なまでに惨殺されていた」と指摘し、「生き残った者は、かろうじて教会に逃げこみ、あるいは例外的な中国人の好意でかくまわれ、中国服を着用して変装できた人々であった」としるした。

  七月三〇日、守備隊に増援部隊が加わり、事件はおさまった。

森島守人北京領事と池宗黒政務庁長官の話し合いにり、中国側の正式謝罪、慰謝金の支払い、慰霊塔の建設を条件に解決されている。
デタラメを書くなよ(笑)

>>タウンゼント

投稿者: asdll58 投稿日時: 2005/05/17 14:41 投稿番号: [5656 / 41162]
>殆どが関係のない長文ですね。
そういう場合には関係のある部分を抜粋して貰わないと大変な時間の無駄になります。(5629)



冒頭ではっきり言ってるでしょう。

>ニミッツ
太平洋戦争の開戦原因について、アメリカの謀略説・経済原因説・チャーチルの陰謀説など、日本側に原因を求めないものがありますね。それでも日本がアメリカとイギリスに攻撃をかけたのは明白だと思うのですが。

気になるのは他の分野では優秀な学説を唱えながら太平洋戦争の開戦原因になると具体的証拠なくまたスパイ暗躍など確かめることが難しいことを理由にアメリカやイギリスの陰謀によって引き起こされたと主張する学者やジャーナリストがいる事です。とくに開戦原因と責任論を単純に重ねるのはしっくりきません。

別宮
その通りで陰謀史観は根強いですね。それでもルーズベルトやチャーチルの陰謀説を信じる人はあまりいません。ところがユダヤ人や資本家の陰謀説はいまだに多数の人々が信じているようです。少なくともルーズベルトやチャーチルの言動については記録が残されており、陰謀の入り込む余地は全くありません。同じようにユダヤ人や資本家が戦争をルーズベルトやチャーチルにそそのかした記録もありません。
http://ww1.m78.com/discussion/conspiracy%20%26%20history.html

これが正しいかどうかは別。

こういうのもある。

>「ルーズベルトはやはり知らなかった:スティネット氏著「真珠湾の真実」の欺瞞」

アメリカでまったく無視された「真珠湾の真実」が、日本で過大な評価を受けている。妄信とも思える高い評価を与える識者に、この本の“欺瞞”を提示する。

菊田槇典(まさふみ)(防衛庁防衛研究所戦史部主任研究官)
「中央公論」、2001年、12月

よって、

>今や、ルーズベルトの陰謀は“説”ではなく“史実”であり、こんなことは常識です。(5604)

とは、言えないと思います。

>まず、asdll58さんが、タウンゼントの捏造を指摘してください。
>いったい、タウンゼントのどこが嘘・出鱈目なのですか?

どうでしょうかねえ。かりにおおかた当たっている(ということはないと思いますが)としても、

タウンゼントは、チャイニーズ(象)は「鼻が長い」、チャイニーズ(象)は「長い鼻だ」、と言っているわけ。それをバイアス(偏見)という。象は鼻が長いかもしれないが、それだけではないだろう。

タウンゼントの圧倒的にネガティブなチャイニーズ像だけがすべてだとすれば、松井石根の親チャイナ(チャイナ大好き)というのは、感傷妄想になる。秦郁彦はそう見ているらしいが。

>仮に百万歩譲って、タウンゼントがプロパガンダをしたとして、始まったのが1937年の訪日後なのだから、1933年出版の『暗黒大陸中国の真実』は、プロパガンダとは関係のない公正中立な著書なのです

タウンゼントは、日本の「工作員」だったことを法廷で認めたらしい。してみると1933年の「暗黒大陸中国の真実」も案外(間接的にせよ)日本政府の息がかかっていたのかもしれない。

タウンゼントの描くチャイナが間違っているかどうかについてコーヒーさんと(不毛な)論争する気はありません。当時の日本政府のプロパガンダに一役買っていた(象は長い鼻)という事実は、無視できないと思います。

>タウンゼント 「暗黒大陸 中国の真実」

投稿者: asdll58 投稿日時: 2005/05/17 14:24 投稿番号: [5655 / 41162]
他人のことにちょっかいだすより、

>また、国民党軍が逃亡するとき、前方を帯になって逃げていく一般市民の群れを無差別に殺害して退却していますし、
>逃げそこなった兵士は安全区の市民を次々に殺害して衣服を奪って便衣兵となって潜伏しました。(5263)

の証拠を心配したらどうですか。(5300参照。)

>このあたりは探せばいっぱい見つかるはずです。
南京攻防戦における国民党軍側の行動
http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/tyousa01/nanking2.htm
清野作戦(清郷作戦)
http://jpn.dyndns.ws/~nanking/nanking.html#08
(5263)

これ、ほとんど証拠にならないですね。

>市民の服欲しさに、殺人まで行った(5265)

これも、手当たりしだい(無差別)の市民(大)虐殺の証拠にはならない。

>平頂山事件,高裁判決

投稿者: monpa60 投稿日時: 2005/05/17 13:31 投稿番号: [5654 / 41162]
当然の判決です。金が欲しければ共産党独裁政権に請求すれば済む問題です。日本には何の関係もありません。日本は中国人による日本人婦女子に対する通州大虐殺の損害賠償を要求すらしていません。中国人ももう少しまともな判断が出来る国民にならなくてはなりません。
http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/doyoyon/doyoyo11.html

yominokuni56こちらからは逃走中(笑)

投稿者: tatetayon 投稿日時: 2005/05/17 12:17 投稿番号: [5653 / 41162]
他の話題だと、威勢が良いのお。
こっちのにもキチッと答えろよ。オイ。

「靖国問題」

キミが「ある」という覚書はどこにあるんだ?
いいかげんに、提示したらどうだ?


>「アヘン戦争」?
いつまでも、クダラン事をクダクダ、投稿するなよ(笑)
>馬鹿の二つ覚えだな(笑)
>イギリスはアヘン戦争の反省から、アヘンを他国へ販売することは止めたのだよ。
馬鹿げて事をいつまでも、書くな、、あほ〜

相変わらず、根拠なしのままだな。罵倒するしかないようだの(大笑)
最初から言っているが「アヘン戦争の反省をした」とする根拠・事実を、まず示せ。
それから、「アヘン戦争」と「販売を止めたこと」の関連を示す根拠を示せ。
な〜んも、根拠を示さずに、結論だけ言い張っていても、説得力ないぞ。(大笑)
こっちの根拠は散々載せているが、また載せてやろうか?

負け犬君。しっぽを巻いて逃げ回ってないで、さっさと示せよ。(笑)

平頂山事件,高裁判決 共同通信

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/05/17 06:34 投稿番号: [5652 / 41162]
中国人生存者の控訴は棄却   平頂山事件で東京高裁 [ 05月13日 11時47分 ]
共同通信


  中国・撫順市の郊外で1932年に旧日本軍が住民を集団虐殺したとされる「平頂山事件」をめぐり、当時4−9歳だった生存者の中国人男女3人が日本政府にそれぞれ2000万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は13日、請求棄却の1審東京地裁判決を支持、原告側の控訴を棄却した。
  宮崎公男裁判長は1審判決に続き、旧日本軍の虐殺行為を認めたが、賠償責任については旧憲法下の国家行為は賠償責任を問われないとする「国家無答責」の考え方を適用。「事件は軍事力行使の一環としてされたもので、国家の権力的作用によるものというべきだ。国家無答責の法理で民法の規定の適用は排除される」と原告の主張を退けた。


事実認定の反論を行わない日本政府は「どこまで、臭いモノに蓋をするのだろうか?」
紳士な態度で臨んでほしいモノですね。

東京裁判においても、「国家無答責の法理」に従い、戦犯容疑者を免罪できなかったのか(笑)
まったく、都合良く出来た法理であることだけは、間違い無い(笑)
現憲法の改正も9条に並んで「国家無答責」を加えるのじゃないのかい(笑)

平頂山事件,高裁判決 ニュース

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/05/17 06:27 投稿番号: [5651 / 41162]
判決は国際法、中国民法、日本の国内法に基づく原告の請求をいずれも「理由がない」として退けた。「国会が戦争被害者の救済に動かなかった『立法不作為』の責任がある」との主張についても「そのような立法措置をとるか否かは国会の裁量にゆだねられ、法的義務があるとはいえない」と述べた。

  原告3人はいずれも家族全員を失ったうえ、銃弾を浴び、銃剣で刺されて負傷したとして96年に提訴。一審の東京地裁が02年に「国家賠償法施行以前の国の行為について国は責任を負わない」とする「国家無答責の法理」を適用するなどして請求を棄却したため、控訴した。

  事件そのものの存否については、原告側主張に沿って事実を認定した地裁判決を引用。「この認定に反する証拠は何ら提出されていない」として一審の判断を踏襲した。

  原告側主張によると、平頂山事件は1932年9月16日に起きた。日本軍が住民を集合させて機関銃で一斉射撃したうえ、生存者を銃剣で刺して殺害。村の家々を焼き払った。翌17日には遺体を焼き、がけを爆破して土砂で隠したという。

  事件前の16日未明、日本軍が警備していた近くの撫順炭鉱が抗日武装組織に攻撃され、村の住民が組織と通じていたとして、報復のため日本軍が起こした事件とされる。

  発生直後に国際連盟で問題となったが、当時の日本政府は虐殺を否定。この訴訟で国側は、原告が主張するような事件があったかどうかについて見解を明らかにせず、一審判決は原告の主張に沿って事実を認定。死者数については「諸説あって確定できない」と述べて約700人〜約3千人とした。

平頂山事件,高裁判決、国家無答責?

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/05/17 06:23 投稿番号: [5650 / 41162]
2005年5月14日(土)   読売新聞
平頂山事件

生存者3名が日本政府を相手取り総額6000万円の損害賠償を求めた控訴審判決が13日東京高裁であった。「宮崎公男裁判長」は「戦争による賠償問題は政府間で決められるべき問題で個人が賠償を求めることは出来ない」」 と請求を棄却した。
一審東京地裁判決を支持し、原告の控訴を棄却した。
揚宝山さん(82)国側は1.2審を通じて事実確認をしておらず、原告らが被害を受けた事を認定、その上で一審判決同様、旧憲法下での国の不法行為は責任を問われないとうする「国家無答責の法理」を適用、「旧日本軍は原告に極めて悲惨な体験をさせたと言えるが、賠償は認められない。」とした。

国家無答責=旧憲法下において、公務員の不法行為に関して、国家は賠償する責任が無いとするもの。(都合の良い規定ですな)
「平和に対する罪」なんてのと裏返しに考えても意味があると思いますね。
”戦争は罪ではない”と憲法改正しますか?(笑)


資料)平頂山事件
(1)   1931年9月18日、瀋陽(旧奉天)北部の柳条湖で日本軍が謀略により南満州鉄道を爆破。これを中国側の仕業として、いわゆる満州事変が始まり、翌1932年3月1日には、傀儡国家「満州国」の建国を宣言したため、抗日運動が活発化した。

  1)抗日運動の中で組織された「抗日民衆自衛軍」は、1932年9月15日未明、日本の中国植民地支配の象徴であった撫順炭坑を襲撃し、日本の撫順独立守備隊との間で戦闘となり、抗日民衆自衛軍はもちろん、日本側も11名の死傷者を出した。

(2)   抗日民衆自衛軍の襲撃から数時間後、撫順独立守備隊首脳らは緊急会議を召集し『抗日民衆自衛軍が炭坑を襲撃する前に平頂山を通過したにも関わらず、平頂山の住民は通報を怠った。したがって住民は「匪賊」と通じているのを戒めとする』と言う理由で、平頂山の住民を全員虐殺し、住家を焼き払う事を決めた。

(3)   1932年9月16日の日中、撫順独立守備隊は平頂山の住民を一ヶ所に集め包囲し、一斉に機銃掃射を浴びせた。機銃掃射が終わると、兵士達は死体の山に踏み込み、生存者を調べ、見つけると銃剣で突き刺し息の根を止めた。赤ん坊も、子供も妊婦も情け容赦無く突き刺した。後日日本軍は虐殺の事実を隠蔽するため、遺体に石油をまいて焼却し、ダイナマイトで崖を爆破し、死体を埋めた。これによって、約400世帯、約3000人が住んでいたと言われる平頂山が消滅し、住民の大部分が虐殺され、その場から逃げ出した者は極僅かに過ぎなかった。

(4) 平頂山事件の特徴として3点挙げられる。

1つは、虐殺の被害者が全て一般住民であると言うこと。

2つ目は、加害者側である日本では殆ど知られていない事件であると言うこと。

3つ目は最終的に責任を取らされた者が、事件の責任者とは言えない日本人であったと言うことである。

中国では平頂山事件は広く知れていて、事件現場は「平頂山殉難同胞遺骨館」として保存されている。私達は、そこで累々と折り重なっている人骨を目の当りにする事で、今尚平頂山事件の様相を、その凄惨さを垣間見る事ができる。


資料説明
  「中国人戦争被害者の要求を支える会」は平頂山事件から奇跡的に生き残った方々3名が、1996年8月14日に日本政府に対し損害賠償請求訴訟を提起し現在係争中の他、数多くの訴訟を支えております。上記資料は、その内「平頂山訴訟」より要旨を引用させて頂きました

自衛軍で人を殺せる大義は日本にはない。

投稿者: bazzy17jp 投稿日時: 2005/05/17 06:12 投稿番号: [5649 / 41162]
http://www.cbsnews.com/sections/iraq/main500257.shtml

だいたい憲法改正が先だ。解散して民意を採ったほうが良い。

ドイツはNOと言えるから憲法改正して軍をもっている。隊ではない。

>良い事例だ

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/05/17 00:54 投稿番号: [5648 / 41162]
>ここで問題なのは、判決と傍論が逆方向を向いている場合だ。判決と傍論が整合している場合は、傍論に不満があれば控訴・上告して更に争うことが出来る。ところが判決と傍論が逆方向を向いている場合、傍論に不満があっても裁判そのものは勝っているのだから、それ以上裁判で争う利益は無いと見なされて、控訴・上告が認められないことも多い。
>結果として、真実と異なる傍論が糾される機会もないまま、判例として確定してしまうことになる。
>今回の裁判も同じ。判決そのものに関係ない、つまり判決自体の理由となっていない傍論が、裁判に負けた原告の主張を、根拠を十分検証することもなく事実と認めるものとなっている。
>事実とした理由は「原告の主張を偽とする証拠が提出されていない」だ。被告は最初から事実関係を争っていないのだから、証拠が無いのは当たり前ではないか。


まさに、そのとおりだと思います。
同じような事象は他の裁判でも頻繁に起こっていますね。
だから、反日左翼は負けると分かりきっている裁判でも、何らかのネタを以ってこのような裁判を繰り返す。



>平頂山事件と呼ばれる出来事は、その背景の真偽は別にして、また被害者数が誇張されているにしても、確かにあった。
>そしてこの事件は、リットン調査団の調査結果を審議していた国際連盟理事会に提議されている。
>南京に比べれば遙かに片田舎である炭鉱村で、当時中国側の主張では700名の被害者の事件ですらこうして国際連盟に提議されているのに、一国の首都で、万単位の住民虐殺があったはずの南京戦が何故国際連盟に提訴されなかったのか。
>南京が決して情報封鎖されていた訳ではないことは、何人もの論者によって述べられている。
>万単位の住民虐殺があったなら、国際連盟の関係者がそれを知らないはずはない。
それなのに何故、審議すらされなかったのか?
>答えは自ずと明らかだろう。
>国際連盟から非難を受けるような出来事は、南京では存在しなかったのだ。


非常に分かり易いですね。
南京大虐殺なんて、あった筈がないのに、いまだに「あったかもしれない」と疑っている馬鹿日本人が多すぎるのには困ったものです。

良い事例だ

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2005/05/16 23:51 投稿番号: [5647 / 41162]
yominokuni56氏が良い事例を出してくれた。

まず本論に入る前に、裁判所の事実確認とやらについて。
ニュースを注意深く読んだ人は、この裁判が事実関係の真偽を争ったものではないことを知っているだろう。
原告は戦争犯罪に対して損害賠償を求め、被告である国は事実関係については争わず、戦争被害は国家間の賠償で決着済みであり被告には賠償を請求する権利はないと主張している。(賠償請求の放棄=賠償金ゼロでの決着であることは既に何度か論じた。)
だから判決で拘束力を持つのは、賠償請求が棄却されたという部分だけだ。
では高裁が地裁に続いて事実関係を確認した、というのは何を指しているのだろうか。
これは、判決理由つまり傍論と言われるものの中で述べられている。
ところでこれも、知っている人にとっては改めて説明されるのもうんざりするくらい明確なことだが、傍論には本来拘束力はない。法的根拠もない。極論すれば、傍論は裁判官の独り言だ。ところが困ったことに、判例主義の我が国では、この傍論がその後の判断基準になってしまう傾向がある。
ここで問題なのは、判決と傍論が逆方向を向いている場合だ。判決と傍論が整合している場合は、傍論に不満があれば控訴・上告して更に争うことが出来る。ところが判決と傍論が逆方向を向いている場合、傍論に不満があっても裁判そのものは勝っているのだから、それ以上裁判で争う利益は無いと見なされて、控訴・上告が認められないことも多い。
結果として、真実と異なる傍論が糾される機会もないまま、判例として確定してしまうことになる。
今回の裁判も同じ。判決そのものに関係ない、つまり判決自体の理由となっていない傍論が、裁判に負けた原告の主張を、根拠を十分検証することもなく事実と認めるものとなっている。
事実とした理由は「原告の主張を偽とする証拠が提出されていない」だ。被告は最初から事実関係を争っていないのだから、証拠が無いのは当たり前ではないか。
こうなるともう、傍論ではなく暴論だ、と私は言いたい。

前置きが長くなってしまった。
ここからが本題だ。
平頂山事件が無辜の住民の虐殺であったのか、匪賊の協力者の掃討であったのか、その背景についてはひとまず置いておく。それを解明するのはこのトピの目的ではない。
平頂山事件と呼ばれる出来事は、その背景の真偽は別にして、また被害者数が誇張されているにしても、確かにあった。
そしてこの事件は、リットン調査団の調査結果を審議していた国際連盟理事会に提議されている。
南京に比べれば遙かに片田舎である炭鉱村で、当時中国側の主張では700名の被害者の事件ですらこうして国際連盟に提議されているのに、一国の首都で、万単位の住民虐殺があったはずの南京戦が何故国際連盟に提訴されなかったのか。
南京が決して情報封鎖されていた訳ではないことは、何人もの論者によって述べられている。
万単位の住民虐殺があったなら、国際連盟の関係者がそれを知らないはずはない。
それなのに何故、審議すらされなかったのか?
答えは自ずと明らかだろう。
国際連盟から非難を受けるような出来事は、南京では存在しなかったのだ。

南京虐殺は嘘41 支那固有の残虐性3

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/05/16 22:57 投稿番号: [5646 / 41162]
●日本軍が南京などで行ったことだとして虐殺が捏造されるとき、虐殺行為が日本人の発想にはない方法であることが多い。

そこで、支那人の特異性と残虐性について裏付けとなる資料を参考までに紹介しておく。



ユク神父の記録に残る、残虐極まりない話

(略)
  その中に実態を表す話がある。ある日、通りを通る車から聞きなれない声がしたので、何事かと行ってみると車数台に生身の人間が積まれていた。近寄ってよく見ると手の甲を釘で突き刺され、車に打ち付けられているではないか。警備の役人に訳を尋ねたところ、「ある村で盗みがあり、全員捕まえたらその中に犯人がいるだろうと思って、連行して来た」そうである。それを聞いてユク神父は、「いくらなんでも全員の手を釘付けするのは酷かろう」と抗議をした。警備隊長が答えて曰く「たまたま捕り方が手錠を忘れたのです。こういう時はこれが一番ですよ」。そこで、「無罪の者を引き渡してくれないか」と頼んだ。隊長曰く、「承知いたしました。潔白が証明され次第釈放します」。恐ろしいことに、この件で驚いているのは外国人のユク神父だけで、周りで見ていた中国人は誰も驚いていない。静謐な天子の国と言われる国で、手の甲を釘で打ち抜いても、誰もそれを不自然だと思わなかったのである。

  人の性格は、その人の善悪の判断基準でわかるものだが、このユク神父の話は忘れてはならない。

  ユク神父によれば、賭け事もまた異常である。万里の長城に程近い、冬の寒さの厳しい、とある町の賭博場でのこと。運悪く、負けが込むと、金目のものを次から次へと賭け、最後には着てるものだけになる。それでもツキが回ってこないと、それこそ身ぐるみ剥がされ、雪の中にたたき出される。勝った者はどうするか。たたき出された者が雪の中を転げまわり、最後には海老のように丸くなって凍え死ぬ様をじっくり堪能してから、また博打にもどるそうである。賭博場には「斧とまな板と熱い油」が用意されている。何のためか。賭けるものがなくなり「指を賭ける」客人のためである。勝者が掟に従って指を切り取る。この指切りを見ようと大勢押し寄せるから「有料のショー」となる。熱い油は切り口を焼いて麻痺させるためである。


残虐な死刑や拷問

  有名な話だが、つい最近まで、有罪者に対する拷問は合法だった。「細切れの刑」がよく行われた。即死しない部分を細かく切り取る刑である。「くじ引きの刑」というものもある。籠の中に体の部分を書いた札を付けたナイフがたくさん入っている。これを目隠しして引く。札に耳と書いてあれば耳、鼻と書いてあれば鼻を切り取る。死ぬまで延々と続く。もちろん受刑者の身内が「袖の下」を使えば、不思議と致命的部位を書いたナイフが当たる。

  今はこのような残虐な刑はないが、僻地では今でも役人の好き勝手に行われている。止むを得ないのかも知れない。というのは、頑迷で凶暴な民衆が相手では仮借のない法が必要だからである。アメリカでは近年、凶悪犯に厳罰で臨まなくなったが、これは明らかに失敗であるが、中国においてそうするのはもっと馬鹿馬鹿しいことだ。しかし、中国役人の残酷さというものは伝統的な法さえ無視して、公務にかこつけて私的なたくらみを執行することにある。

  去年(ママ)、福州から約65キロにある私の最後の任地の福清の話をしよう。代官が例に漏れず、住民を脅迫し、誤魔化し、搾取した。ある金持ちを「資産隠し」の容疑で逮捕し、両手の親指を縛って吊るし上げた。逮捕状も何もあったものじゃない。しかし、役人相手では、残った家族はどうすることもできない。ここは地獄の沙汰も金次第である。親戚一同で金を集めて、釈放してもらうしかなかった。効果は絶大。この一件で「金持ち」連中が一斉に震え上がり、毎日、大枚をはたいて免罪符を買った。私が中国を出たこの
春、この悪代官はアモイから遠くない新任地で優雅な生活を送っていた。これくらいでは、政府高官に睨まれ、失職するということはない。

  これはほんの一例に過ぎない。挙げようと思えば、実名も日時も上げることができる。赴任する前に「親指の掟」を何度も聞いたことがある。「何かの比喩かな」くらいに思っていたが、まさか拷問だとは知らなかった。
(P67〜69)

『暗黒大陸中国の真実』ラルフ・タウンゼント著(1933年)

南京虐殺は嘘40 支那固有の残虐性2

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/05/16 22:22 投稿番号: [5645 / 41162]
●日本軍が南京などで行ったことだとして虐殺が捏造されるとき、虐殺行為が日本人の発想にはない方法であることが多い。

そこで、支那人の特異性と残虐性について裏付けとなる資料を参考までに紹介しておく。



中国人の特異性と残虐性

  長年、中国で活躍し、去年(1932年)カリフォルニアで亡くなったアーサー・スミスの本によれば、長く住めば住むほど分かってくることがあるそうである。「他人を信用する中国人はいない。なぜなら、自分が相手の立場に立ったら自分を信用できないと思っているからである」。
(中略)

  中国人の残虐性に話を戻す。いくつか例を挙げよう。例えば家族や仲間の連れがなく一人で舟に乗って落ちたらまず誰も助けてくれない。元来中国人は軽率だから船から落ちるということは稀なことではない。数メートル離れた所で人が溺れても、ただ見ているだけである。よくあることである。

  あるアメリカ人領事が目撃した話である。任地の揚子江上流でのことで、西洋人には信じられないことだが、中国人にはたいした事件ではないそうである。豚と中国人を満載したサンパンが岸近くで波に呑まれ転覆し、豚も人も川に投げ出された。岸で見ていた者は直ちに現場に漕ぎ出し、我先に豚を引き上げた。舟に泳ぎ着いた人間は、頭をかち割って殺し、天の恵み、とばかり新鮮な豚肉を手にして、意気揚揚と引き揚げ、後は何事もなかったかのようにいつもの暮らしが続いたという。

  ある晩のこと、夕食会に招かれた。来賓の中には中国の「精鋭軍」のお偉方も列席されていた。日本に留学した者も二、三人いた。つい最近まで日本が知識階級の教育の場であったのである。私の中国語は覚束ないので英語で説明してくれる者もいた。その話によれば、最近のある戦闘で捕まえた敵方の将校の一団をどう殺そうかと議論になった。そして、ばらばらの釘を飲ませてやろうということになった。飲ませてから、効果観察のため整列させた。約2時間後に死亡したそうである。

  次は、今年(1933年)中国を去る前に避難してきた宣教師たちから聞いた話だが、残酷すぎて我々には聞くに堪えない話である。南部の内陸地で人里離れた山岳地方の村から宣教師が数人戻ってきた。60人ほどの村が盗賊に襲われた。例の如く村の長老連中が呼び出され、金目のものをすっかり寄越せと言われた。「出し渋った」と見るや、この盗賊のお頭は聞いたこともない奇策に出た。手下に「野郎ども、かまわねえからこいつらの足をたたっ切れ。女子供も遠慮するんじゃねえ」。命令はそのまま執行された。この盗賊は同じ手であちこちの村を襲った。危険が高まったので宣教師たちは避難して来たそうである。だから「足なし一家の話」はその後は聞けなかった。人里離れた山中で何人が生き延びたか。力尽き、隣村に襲われて「餌食」となったか。それとも義足を付けて飛び跳ねているのか、知りたかったのだが。

  女にも容赦はしない。私の友人がいた村でのこと。ある時、その村の軍隊に荷物運びが緊急に必要となった。兵隊は自分では荷物運びはしない。銃剣で脅して荷物運びができそうな者を探し回る。適当な男がいなかったので、女を捕まえ棍棒でたたいて軍に組み入れた。これが民に対する「友軍」の実態である。もちろん「敵軍」の手にかかったら、ごく稀に寛大な処置をされることもあるが、これだけでは済まされない。

  生まれ故郷から数百キロはなれたところまで荷物運びをさせられ、一文も手当てを貰えず捨てられる苦力(女も含めて)の運命は実に過酷である。アメリカのようにヒッチハイクで帰ることもままならない。文無しはどこでも冷たくされ、田舎では物乞いをしようと近づいただけで、石を投げられ、犬に吠えられ追い出される。食い物の切れ端も落ちていない。食べられるものを捨てる人などいるわけがない。浮浪者に施しなど誰もしない。可哀相な話を誰も聞かない。ましてや、びた一文恵んでくれる者なぞいるわけがない。洪水や飢饉を逃れた者が見知らぬ土地へ入ると、追い出され、殺された話を一度ならず聞かされる。自暴自棄になった貧乏人は何をしでかすかわからない。芽のうちにつんでおこうというわけである。
(P64〜66)

『暗黒大陸中国の真実』ラルフ・タウンゼント著(1933年)

>タウンゼント

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/05/16 22:01 投稿番号: [5644 / 41162]
>「どうして、云々」と「何の不思議もない」には飛躍があると思います。要するに私には説得性がない。


そうですか。
困りました。

では、やはり、kintakunte2002さんやn_o_i_s_e_m_a_nさんも言うように、まず、asdll58さんが、タウンゼントの捏造を指摘してください。
例えば、私も#5323で、夏淑琴事件に関する「マギー牧師の解説書」に対して7つくらいの問題点を指摘しました(#5395)。
また、yominokuni56の#5637(平頂山事件)に対しても、ハッキリと嘘・出鱈目を指摘しました。
いったい、タウンゼントのどこが嘘・出鱈目なのですか?
仮に百万歩譲って、タウンゼントがプロパガンダをしたとして、始まったのが1937年の訪日後なのだから、1933年出版の『暗黒大陸中国の真実』は、プロパガンダとは関係のない公正中立な著書なのです。



>信念の人であり、敢然とアメリカ政府を批判できる人間なら、最後まで自己の無実を主張すべきでした。冤罪だと。


言論の自由がなかった状況下で無実を主張したところで、何の意味もありません。
北朝鮮で「金正日は暴君だ」と正論を主張して殺されても、それは犬死にでしょ。
当時のアメリカでは、たとえ親米的な主張をした者であっても、親日的な主張もしていたら逮捕されたのです。

(ご参考)

河上清〜嵐に立ち向かった国際言論人
米国の指導的な言論人として、河上清は日米戦を避けるために必死のペンを振るった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog210.html

上記のサイトの
■6.アメリカを敵とすべきではない■
と、
■7.「アジア人のアジア」■
の部分に参考になる記述があります。



>>何しろ、相手は無理矢理日本に真珠湾を攻撃をさせて、世界中を戦禍に巻き込み、最後は日本の和平案を無視して原爆投下を強行したアメリカだったのですから。

>そう見ない人もたくさんいるようです。

そのような人たちは勉強不足なのです。
1945年の上下両院合同査問会の公式な報告で結論が出ているのですよ。
その上さらに、1948年に歴史学の権威チャールズ・ビアード博士が米の公式資料に基づいて「日米戦争は好戦大統領の周到な準備で日本を挑発し、仕掛けた謀略、つまり米の侵略戦争である」と著書(日本語訳は発禁)で告発しました。
公式資料に基づかずに、そう見ない人がたくさんいても、そいつらの怠慢に過ぎません。
 


>当時プロパガンダをしない国はほとんどなかったのでは?おそらく日本はそれが下手だっただけでは?

それは、そのとおりです。

前出のサイトの
■5.「日本は発言する・日中危機の中で」■
の部分にもそのようなことが述べられています。

先生次は北京大虐殺捏造です>yaminokuni56

投稿者: new_yominokuni56 投稿日時: 2005/05/16 21:31 投稿番号: [5643 / 41162]
何せ60年前に作った捏造話ですからね;
これだけ科学技術が進んではごまかせきれませんー;
中国から工作員が応援にきてるのですが、言葉は変ですし、
H.Nが単語の繰り返しばかりなんで、中国人まるだしで、
ばればれです;;−
しょうがないから、今度は北京大虐殺を大至急捏造しましょうー!
先生、油売ってないで早くでっち上げましょうー;

>平頂山事件 ●嘘っぱちの出鱈目だらけ 

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/05/16 20:34 投稿番号: [5642 / 41162]
>これによって、約400世帯、約3000人が住んでいたと言われる平頂山が消滅し、住民の大部分が虐殺され、その場から逃げ出した者は極僅かに過ぎなかった。
>虐殺の被害者が全て一般住民であると言うこと。


嘘っぱちの出鱈目だらけである。

【平頂山事件の真実】
匪賊が撫順炭坑を襲撃したので、日本の撫順独立守備隊との間で戦闘が起こった。
日本側の11名を含む双方に死傷者が出た。
匪賊の襲撃から数時間後、撫順独立守備隊は平頂山に調査に行くことを決定した。
井上中尉が約40名を率いて平頂山を調査したところ、前夜の襲撃現場からの盗品が続々と見つかり、平頂山の住民が匪賊(ゲリラ)と行動を共にしていたことが明確になった。

1932年10月2日付満州日報には、「匪賊の再襲来や焼討ち事件のため、撫順付近の中国人の3分の1が撫順を離れ、郷里の山東方面へ避難」との記事が掲載されている。
1932年10月15日付満州日報に、「匪賊の被害者に撫順県公署が救済開始」との記事が掲載されており、その記事には、平頂山村の人口が1369人であったこと、うち死者400人であったことが記載されている。
ジュネーブでの国際連盟理事会に公表した支那側の被害者は死者700、重傷6〜70、軽傷者約130名となっている。

yominokuni56たちは、「平頂山村の住民約3000人が皆殺しになった」と言うが、平頂山の住民が匪賊(ゲリラ)と行動を共にしていたことには一切触れず、さらに共産支那が言った「白髪三千丈」の人数を朝日の本多勝一がそのまま真実であるかのように報道した。
こういうことするから、支那人や朝日新聞やyominokuni56たちは信用をなくす。
【400人〜700人と言われる犠牲者には、匪賊(ゲリラ)と関係のない住民も含まれていたと考えられる】でも十分に撫順独立守備隊を非難できるのに、どうしてありのままを述べて非難しないのだろうか。



>「中国人戦争被害者の要求を支える会」は平頂山事件から奇跡的に生き残った方々3名が、1996年8月14日に日本政府に対し損害賠償請求訴訟を提起し現在係争中の他、数多くの訴訟を支えております。

1971年6月、本多勝一「中国の旅」が平頂山事件をとりあげ、日本国内に衝撃を与える。
1971年11月、平頂山殉難同胞遺骨館建設決定
1996年8月14日、3人の支那人が日本政府に対し損害賠償請求訴訟
どうして、この3人の支那人(当時4−9歳)は、1932年の事件を1996年になってから裁判を起こしたのだろうか?
まあ、大体、想像がつくからどうでも良いけどね。

6.本文からの抜粋

投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2005/05/16 13:41 投稿番号: [5641 / 41162]
>この中で「これは中国人を曲解している」あるいは「一般的な中国人には当てはまらない」と思うような記述がありますか?

リンク先の「6.本文からの抜粋」をお読み下さい
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | [ メッセージ # オフセット ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)