石原莞爾(関東軍参謀)の講義1928年
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/05/17 19:16 投稿番号: [5658 / 41162]
石原莞爾(関東軍参謀)陸軍大学校において行った講義の内容
「我国情は殆ど、行詰り、人口糧食その他の重要問題、皆解決の道無きが如し、唯一の道は満蒙開発の断行にあるは輿論の認むる所なり、而るに、満蒙問題の解決に対しては支那軍閥は極力その妨害を試むるのみならず、列強の嫉視を招く覚悟せざるべからざるのみならず、国内にもまた之を侵略的帝国主義として反対する一派あり。
**満蒙は漢民族の領土に非ずして、むしろその関係、わが国と密接なるものあり、民族自決を口にせんとする者は、満蒙は満州および蒙古人のものにして、満州、蒙古人は漢民族よりもむしろ大和民族に近きことを認めざるべからず。
現在の住民は漢人種を最大とするも、その経済的関係または支那本部に比しわが国は遥かに密接なり。
これらの歴史的関係および経済的関係を度外視するも、日本の力によりて開発せられたる満蒙は日本の勢力による治安維持によりてのみ其の急激なる発達を続くものなり、もし、万が一
我勢力にして減退すること有らんか、
目下における支那人唯一の安住地たる満州また支那本部と選ぶ無きに至るべし、而も米英の前には、我外交の力を看破せる支那人は、いまやことごとにわが国の施設を妨害せんとしつつあり、わが国の正当なる既得権擁護のため、かつは支那民衆の為、ついに断固たる処置を強制せらるる日あることを覚悟すべく、
其の決心は単に支那のみならず、欧米諸国を共に敵とするものと思はざるべからず」
昭和3年(1928年)陸軍大学校においての講義「現在および将来における国防」と題して、、
昭和恐慌による不況の深刻化、労農運動、左翼化の高揚、社会不安の高まりは中堅青年将校たちを触発した。
また、中国においては、二一ヶ条事件、山東出兵、満州某重大事件を契機として日本帝国主義反対運動の高まり、昭和6年6月中村大尉事件(関東軍の中村大尉が部下一名を連れて極秘に特殊任務を遂行中に興安嶺の奥地で中国地方隊によって射殺された)同じく7月万宝山事件(朝鮮人移民と中国側警察、農民との衝突事件)は関東軍が満州において軍事行動を開始する絶好の契機として利用され。
之がやがて、同年9月の柳条溝事件へと続く。
満州事変の勃発と、その後における満州全面占領、そして満州国の建設は陸軍、特に関東軍の中堅青年将校の多年の宿望を実現させたものである。
単に一部中堅青年将校のみの構想ではなく、
政友、民政などの既成政党、財界などを含めた日本支配者層にとっての多年に渡る共通の宿願であったのであ〜る。侵略が国策となっていったのであ〜る。「満蒙即時占領計画」
随分と勝手な論理で侵略戦争が始まったのである(笑)
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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