南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘
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大量餓死で英霊を増産した皇軍の体質(12)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/30 21:20 投稿番号: [38102 / 41162]
ガダルカナル、ニューギニアなど
太平洋の島々のほかにも、
補給無視で
「英霊」を
増産した作戦として
有名なのは、
1944年に
ビルマ方面軍が強行した
インパール作戦だ。
戦力枯渇が目立つ44年になって、成算のないインド領への
大挙侵攻を実行するなど、無謀というほかない
作戦だった。
じつは、第十五軍司令官の
功名心から
実行されたものだ。
チンドウィン河を渡り、インド・ビルマ国境アラカン山脈を
越え、インド領内に侵入しようという
この作戦の経路には、
密林と
山脈があり、交通機関はなく、第十五軍の3個師団
10万の大軍の
兵站線確保の見込みは
最初からなかった。
すでに制空権は
連合国軍に移り、昼間の行動は
困難であり
道路を構築するための資材も土木機械も
日本軍にはなかった。
道路があっても、制空権がないため
物資を運ぶための
自動車を
走らせることはできず、また
走らせる自動車も、
ガソリンも欠乏していたのだから、土台
無理な計画だった。
なお、このときの
第十五軍
司令官は、盧溝橋事件の際の
支那駐屯歩兵第一聯隊長で、戦争のきっかけを作った人物だ。
軍司令官は、作戦に懸念を表明する補給担当の参謀を一喝し、
像や牛、馬、水牛の収集と
調教を命令した。
これらの動物に荷物を背負わせて運び、用が済んだら殺して
食べるのだといい、この作戦を
義経の「鵯越え」
や、
ハンニバルのアルプス越えに例えて得意になっていたという。
当時、大本営の作戦課長だった真田穣一郎大佐は、報告を受け
「第十五軍ノ案ハ徹底的ト云フヨリ寧ロ無茶苦茶ナ積極案ナリ」
と回想録に書いた。
(引用:『戦史叢書・インパール作戦』)
ところが、この“無茶苦茶な”作戦が、南方軍の認可を受けて
実行に移されてしまった。日本軍には構造的欠陥があったのだ。
3月上旬、携行食糧2週間分を持って、チンドウィン河を渡り、
攻撃を開始した
第十五軍の兵隊たちの運命は、悲惨だった。
左翼の第三十三師団は、3月下旬にインパール平地に達したが
食糧はなくなり、弾薬も不足して
攻撃続行が困難となった。
軍司令官は
これに憤って、師団長の柳田中将を罷免した。
中央を進んだ第十五師団も、インパール間近まで
迫ったが、
三十三師団と同様の状況から
攻撃が頓挫した。軍司令官は
消極的だとして、第十五師団長の山内中将も
罷免した。
右翼を進んだ第三十一師団の佐藤中将は、インパール北方に
進出していたが、「米一粒も補給がない」ため、独断で退却。
この佐藤中将の判断は当然であったが、日本軍という特殊な
組織では
許される行為ではなく、抗命の容疑で罷免のうえ、
軍法会議にかけられ、精神錯乱ということで
片付けられた。
軍司令官は
3人の部下師団長を全員罷免し、強引に攻撃を
督促したが、補給の途絶えた
部隊の状況は
地獄だった。
これは メッセージ 38101 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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大量餓死で英霊を増産した皇軍の体質(11)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/30 21:18 投稿番号: [38101 / 41162]
補給無視の無謀な作戦で
大量の餓死者を出した例として
ガダルカナル戦と
ソロモン群島の戦闘状況を紹介したが、
これらは、大量の「英霊」
増産の
一例に
すぎない。
太平洋戦争の
各戦場で
餓死・戦病死が
多数発生した。
これは、日本軍の
近代軍にあるまじき欠陥に要因があった
無謀な侵攻作戦の例は、ガ島やソロモン群島の他にも数多い。
たとえば、42年の
ポートモレスビー攻略戦。
道なきジャングルを
踏破して、標高4千mの
山脈を越え、
ニューギニア東南岸を攻略するという無謀きわまりない作戦で
結果、日本軍は惨敗・退却したが、敗残兵の多くは補給もなく
餓死者を大量に発生させて
全滅に近い
状態となった。
このときの様子を、歩兵第百四十四聯隊の小岩井第二大隊長が
次のように述べている。
食糧の欠乏は、敵弾以上の徹底的損害を
我が軍に与える
ようになって来た。私の大隊の将兵もみんな飢餓で体力を
消耗しきってしまい、頬は落ち
髪は伸び放題となり、
眼球は深く
凹んで
底に異様な光が残った。
そして顎はとび出し、首は一握りほどに細り、気力なく
足を引きずってよぼよぼと歩き、着ているものは破れ、
跣足で棒のように痩せた腕に飯盒をぶら下げ、草を摘み
水を汲んで歩く姿にはどこにも二、三十才の年齢は見られず
老いさらばえた乞食といった様子だった。
栄養失調の衰弱した体に
一たび下痢が始まりマラリアが
頭を擡げると、血便をくだし、四十度前後の高熱に襲われ
キニーネ等の微温的な投薬では解熱どころか却って下痢を
悪化し、発病までは一粒の米でも貪り食った者が、今度は
戦友の心尽くしの一滴の粥すら
欲しないようになり、水
ばかり飲んで喘いでいるのだった。
(中略)
患者はたいてい一週間も発熱を続けると
脳症を起こして
うわ言を
いい始め、嘘のように脆く、
ちょうど晩秋の落葉のように
飽気なく
死んで行った。
三十才にもなろうかという男が
無意識に
母親の名を
呼び続けて
死んで行くこともあった。
(中略)
この作戦の終ったあとで戦歿者の統計を調べると
三割が
敵の弾による戦死、残る七割は病死だった。
戦場の実態は
このような惨状だったが、大本営はこれを「玉砕」
という
美しく華々しい戦闘死であったかのように
伝えている。
無謀な作戦に駆り出され、補給もないまま
やせ細って
死んだ
多くの犠牲者の無念、苦しみ、悲しみは
すべて覆い隠された。
これは メッセージ 38100 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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大量餓死で英霊を増産した皇軍の体質(10)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/30 20:58 投稿番号: [38100 / 41162]
第十七軍と同じく、タロキナ作戦失敗後の
第六師団が
現地自活に移ってからの
状況の例として、「戦史叢書」は
第六歩兵団司令部
木下西舟少佐の
次の回想を掲げている。
タロキナ作戦終了後の歩兵大隊の兵力は二〇〇〜三〇〇名
であったと思うが、マラリアと栄養失調で
悲惨な状況で
あった。
糧食の補給は
間もなく
全く
なくなった。
現地自活に着手し、一人一畝を
耕作して、これによって
一日
約一キログラムの芋を
収穫することにしたが、
収穫までは
約三カ月かかるので、この間
毎日
ジャングルの中の
野草を捜した。
ひどい時には
飯盒の蓋一杯の
野草が食糧で、
これに
時に澱粉椰子の団子が
加わる程度であった。
塩は海岸で作った。
ようやく
芋が出来始めると、今度は畑を荒す者が出た。
畑を荒す者は
銃殺であった。
人肉を食べた者がある
などという話も
あった。
(引用史料:『戦史叢書・南太平洋陸軍作戦〈5〉』)
タロキナ作戦終了後
4万余の兵力は、方面軍の報告によれば
45年の
敗戦後には
23,053名にまで
減少しており、
「大部分このような事情に基づく戦病死者であると推定される」
と書かれている。
NHKの教育テレビで
「封印――脱走者たちの終戦」という
ドキュメント番組が
放送されたことが
ある。
その内容は、
ブーゲンビル島の第六師団のすさまじい飢餓の状況にかんする
旧日本兵たちの生々しい証言だったが、その中で
食糧を求め
離隊し、終戦後に戻った兵を
逃亡兵として、裁判にもかけず、
銃殺したというもので、終戦後60日もたってから30人もが
「処刑」
された
という証言もあった。
極限の飢餓状態の中で、食糧を求めて
隊を離れた
兵士を
「敵前逃亡」の罪名を被せて、軍法会議にかけずに殺害した
ということが事実であれば、当時の日本軍が
いかに
非人道的な強制を
行なっていたかが
示されている。
食糧は、わずかながら
自給できたとしても、栄養の偏りは
避けられず、将兵の体力は
低下していった。
さらに
補給の途絶によって、医薬品も
底をついた。
44年9月ごろには、マラリアの薬が
なくなり、全部隊の
人員の
じつに95%が
マラリア経験者だった
という。
なんらの戦果も期待できず、戦略的価値を
完全に失った島で
敵からさえも無視されまま、ただ餓死者を増やし続けた皇軍に
残された
唯一の道は、一人でも多くの生命を
救うために、
いさぎよく
敗北を認めて、ただちに
降伏を
すべきだった。
しかし、皇軍には
人権感覚や
近代軍としての
判断力が、
まったく
備わっていなかった。
その無謀な体質の背景には、「死」を
美しく
粉飾し続ける
靖国思想の侵淫が
少なからず存在していたと言えるだろう。
これは メッセージ 38099 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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大量餓死で英霊を増産した皇軍の体質(9)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/30 20:57 投稿番号: [38099 / 41162]
44年1月、日本軍の軍事拠点ラバウルは
完全に孤立した。
ニューギニアとニューブリテン島の間の
ダンピール海峡が
米軍に突破され、さらに
北方の諸島を
占領されたからだ。
44年3月、日本軍は
タロキナの敵陣地への反撃を試みたが、
圧倒的な米軍の火力に阻まれ、戦力をまったく喪失してしまう。
以後、ブーゲンビルの
第十七軍約3万2千、第八艦隊約2万、
計5万の陸海軍将兵は飢餓と戦いつつ敗戦を迎えることになる。
タロキナ作戦失敗後の状況は、第十七軍残務整理部が作成した
「ブーゲンビル島の作戦」
という史料に、記録されている。
タロキナ攻略作戦は全力を傾けて行はれた。
残余の軍需品も戦力を培養する為
無制限に使用されたのは当然である。
そこでこの作戦が失敗に帰したときには
食ふべき何物も
残って居らなかった。
そして銃を捨てると鍬をとった。
作戦間に荒れ果てた耕地はもとより
密林を伐開して開墾につとめた。
(中略)
土民の所有しているものが多くあらう筈がないのに
之も半ば強制的に徴発するものも出て来た。
木の芽、草の根、食べられるものはすべて食した。
海の魚はとりたくても
敵機が絶えず哨戒するし
爆薬は将来の作戦を考へればこんなことに供用は
出来なかった。
小川の魚は
すぐとり尽された。
蛋白質の給源は「トカゲ」であり
蛇であり鼠、
「バッタ」の類に
及ばざるを得なかった。
(中略)
以上のような給養状態であるから負傷したものの傷は
なかなか
癒らないし
病後の恢復は
むつかしく、
マラリアの蔓延は
之を助長した。
かくの如くして「タロキナ」
作戦にもまさる
兵力の損耗を来した。
率直に云ふならば死ぬ前に
一度、たった一度だけで良いから
腹一杯食べたい
と思ったのは
死んでいった戦友だけではなかった。
戦線が
すでに
北太平洋に移行したので、連合軍側は
この無力化した日本軍を無視し、あえて強攻を
加えることなく、
第十七軍は、もっぱら「飢餓」
という強敵とのみ
戦いながら、
おびただしい数の
「戦死者」ならぬ
「餓死者」を出しながら
惨めな敗戦を
迎えることになった。
「英霊」が
大量に増産された背景には、こうした惨状があった。
これは メッセージ 38098 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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大量餓死で英霊を増産した皇軍の体質(8)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/30 20:56 投稿番号: [38098 / 41162]
惨めな
ガダルカナル敗退後の
ソロモン諸島方面の状況は、
その教訓を
生かせず、補給困難な離島に
兵力を送り込み、
「飢餓」大量発生の悲劇を
繰り返すばかりだった。
ガ島撤退の際、ラバウルの第八方面軍は、新来の第六師団を
北部ソロモンの
ブーゲンビル島に送り、第十七軍の収容と
同島の警備に
当たらせた。
また
従来から少数の陸軍部隊を配備していた中部ソロモン
ニュージョージア島ムンダや
サンタイサベル島のレガタに、
海軍陸戦隊を増強した。
陸軍も新たに南東支隊を編成した。
しかし、1943年当時
すでにソロモン群島方面の制空権は
米軍の手中にあり、島々への
補給輸送は
困難をきわめ、
ガ島の
二の舞になることは、必至の状況
となっていた。
米軍の
中部ソロモンへの攻撃は、ガ島撤退から
4ヶ月後、
43年6月30日に
始まった。
7月上旬には飛行場を奪い、
8月中旬には
北部の島にまで
上陸した。
各戦線では
残存部隊が
敵中に取り残され、撤退もできず、
また
降伏することも
許されず、「置き去り」
となった。
北部ソロモンの主島
ブーゲンビルには、各方面から
撤退してきた
部隊が
集まっていたが、11月1日、
米軍は
日本軍の予想をうらぎって
ブーゲンビル島
西海岸の
タロキナ岬に
上陸した。
ブーゲンビル島は
ラバウル防衛のための
要点だった。
海軍は
航空兵力の主力をあげ、タロキナへの反撃を行なった。
この
ブーゲンビル島沖航空戦について、大本営は、戦艦4隻、
航空母艦5隻、巡洋艦10隻撃沈などの
大戦果をあげた――
と
発表したが、これは
例によって、まったくの虚報だった。
第十七軍は、ジャングルを踏破して
タロキナ岬を攻撃したが、
圧倒的な火力の差で
反撃に失敗した。
米軍は、タロキナの橋頭堡と
飛行場を確保した後は、
日本軍を深追いせず、すでに
次の作戦に移っていた。
北部ソロモン群島の戦いが続いている間に、米軍は中部太平洋
方面での攻撃を進展させ、43年11月にはギルバート諸島の
マキン、タラワ両島に
上陸し、海軍守備隊は
全滅した。
44年2月には、マーシャル群島のクェゼリン、ルオット両島で
上陸した米軍に
陸海軍の守備隊が敗北、全滅した。
大本営は、これを
例によって
「玉砕」
と発表した。
同月17日、海軍の根拠地
トラック島が空襲で大損害を被った。
その後、ニューブリテン島はるか北方のアドミラルティー諸島を
占領されたので、ラバウルは完全に敵中に孤立することになった。
この段階で、ブーゲンビル島はもちろん、ラバウルの戦略的価値は
完全に失われた。
にもかかわらず、日本兵は投降できなかった。
撤退も降伏も許されない戦場で、皇軍兵士たちは
敵兵ではなく
より苛酷な
飢餓という
強敵との戦いを
続けることになった。
タロキナ作戦失敗後の
第十七軍の状況については、後述したい。
どのようにして「英霊」が大量増産されたか、実態を知ることで
ヤスクニ神社が美化する
戦争の真実を、明らかにできるだろう。
これは メッセージ 38097 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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大量餓死で英霊を増産した皇軍の体質(7)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/30 20:56 投稿番号: [38097 / 41162]
ガ島奪回作戦は、補給をまったく無視して
部隊を送り込み、
戦死者の3倍もの餓死者を出すという
悲惨な結果を迎えた。
大量の餓死者を出すというこの戦局で、何よりも問題なのは
補給が困難なのがわかっているのに
上陸作戦の強行を命じ、
長期間
撤退させず、持久戦を命じた
大本営の責任だろう。
その伏線は、すでに
ミッドウェー作戦にあった。
連合艦隊が
ミッドウェー作戦を
計画したとき、当初
大本営海軍部は
強行に反対した。
その反対理由のひとつは、
たとえ
ミッドウェーを攻略できたとしても、占領後の防備や
補給輸送が難しい
ということだった。
(参考文献:防衛研究所『戦史叢書・ミッドウェー海戦』)
じつは、陸軍部も当初は反対で、補給が難しかろうというのが
その理由だった。
しかし、海軍主体の
作戦なので、陸軍は
わずか歩兵一大隊主体の
一木支隊を派遣することにしたのだ。
一木支隊の兵力は
歩兵第二十八聯隊長一木清直大佐指揮下の
歩兵一大隊を基幹とする
約3,000名だった。
この
一木支隊が、ガ島の
奪回作戦に
振り向けられた。
制海権が失われていたために
輸送船は使えず、一木支隊は
駆逐艦で
ガ島に送り込まれた。
このため、重火砲などは
運ぶことができず、火砲や戦車をそろえて待ちかまえていた
米軍に
敵うはずはなく、わずか
半日の戦闘で
先遣隊は
全滅し、聯隊長は
自決した。
圧倒的な兵力の差はもちろん、武士道精神と
銃剣突撃で
米軍の弾幕に
対抗できるはずは
なかった。
一木支隊惨敗の後も
大本営は、同じように
川口支隊、
第二師団、第十七軍と、兵力の逐次投入を
繰り返した。
補給は
輸送船が使えず、「鼠輸送」や「蟻輸送」に頼った。
「鼠輸送」とは、本来戦闘用の艦艇である高速の駆逐艦を使い、
「蟻輸送」とは、小型の発動艇を使って昼間は島の陰に隠れて
夜間に
少しずつ行なう
輸送のことだ。
どちらも
兵員や小火器を運ぶのがやっとで、重火砲や戦車を
運ぶことはできず、少人数の補充兵を
送るのがやっとだから、
大軍を支える補給品、弾薬や食糧を運ぶことは無理だったのだ。
そんなところに
陸軍兵力を
次々と送りこんだということは、
圧倒的に優勢な米軍の火力装備に
銃剣で勝てるという妄想を
軍上層部が
抱いていたからでは
ないだろうか。
さらには、
送り込んだ兵力への補給を無視し、持久戦を命じていたことは
精神力で飢餓を克服できると大本営は、本気で考えていたのだ。
歩兵の白兵突撃は、米軍の自動小銃と機関銃の圧倒的な弾幕に
なぎ倒され、ことごとく
全滅した。
ところが
日本軍は、
同じ失敗を、敗戦まで、他の島々でも
繰り返したのだ。
こうして、「玉砕」と称する
悲惨な全滅戦が全域で続けられ、
大量の
「英霊」が
生み出されていくことになった。
これは メッセージ 38096 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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大量餓死で英霊を増産した皇軍の体質(6)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/30 20:55 投稿番号: [38096 / 41162]
補給もなく、飢餓と
栄養欠乏による疾病で、兵士が
次々と
倒れていく
惨状。
にもかかわらず、大本営は
ガ島作戦を
中断せず、11月16日には、持久戦をせよ
と命令した。
第十七軍参謀長
小沼治夫少将は、次のように
書いている。
輸送、補給が続く状況に於ては
持久戦が成立するが、
輸送補給が
途絶し
第一線将兵が飢え
杖をついて
辛うじて歩行して居る「ガダルカナル」の第十七軍が
持久任務を受けて
何時迄持久し得るやの回答は単に
「敵の大攻勢を受ける迄持久し得」
といふに止まる。
予が
大本営から持久任務を受領して
感じたことは
「敵をして
大攻勢をとらしめないように
陣地特に
アウステン山方面の陣地を
強化しつつ
進んで欺瞞、
陽動及局部的積極行動を採り絶えず敵に危惧、圧迫感を
抱かせる」
ことの必要であった。
つまり、補給が途絶えている状況で
持久戦を命じられたが、
見通しは立たず、結局のところ
敵に攻撃されるまで耐える
だけであり、できることとして
考えられるのは、局地的な
ゲリラ戦法等で
敵軍に
不安感、精神的圧迫感を
抱かせ、
攻撃を遅れさせるしかない、ということだ。
さらに
小沼参謀長の手記は
以下のように続く。
第一線陣地の守兵中歩行に堪えない傷病者は
陣地の守備に
任じ(壕内に寝て居り敵が近づいて来ると起き上って射撃し
又は手榴弾を投ずる)。
杖に倚って歩行し得る者は後方の
糧秣運搬及炊事を担任し
比較的元気の者は或は挺進斥候と
なり(出発数日前から飯の配給量を増加し元気を回復させて
出した)敵陣深く潜入して
後方撹乱を行なわせ
或は夜間
敵陣地又は哨所を奇襲して
偉功を樹てる等上下一致、戦友
相励まし終始積極的(局部的なるも)に行動し敵の大攻勢を
遅らせるに役立った。
歩行できない兵士が陣地の守備、杖をついて歩く兵士は後方支援、
「比較的元気」のある者が
夜間奇襲などを
試みていたのだ。
このように
寝たきり状態や
杖を頼りに歩く兵士を抱えて、
ガダルカナル島の持久戦が行われていた。
これでは自滅作戦だ。
防衛省の
公判戦史が、各種資料から推計した
数によると、
陸軍の
ガダルカナル島に上陸した人員は
31,400名、
そのうち、途中病気などで
離島した者は
740名、
撤収作戦で
収容されたのは
約9,800名
であるから、
じつに
20,860名
もの生命が
失われたことになる。
このうち、純戦死が5,000名から
6,000名であり、
残りの
約15,000名が
栄養失調症、マラリア、下痢、
脚気などの悪化による餓死や病死である
とされている。
(参考:防衛研究所『戦史叢書・南太平洋陸軍作戦〈2〉』)
つまり、純然たる戦闘死の
3倍以上が
広義の餓死者なのだ。
このような
悲惨な状況を自ら招いた「皇軍」
には、根本的に
近代軍としては
致命的な欠陥があった
と言えるだろう。
これは メッセージ 38095 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38096.html
大量餓死で英霊を増産した皇軍の体質(5)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/30 20:39 投稿番号: [38095 / 41162]
降伏を許されず、死ぬまで戦うことを義務づけられた兵隊が、
戦うための体力を失い、密林の中で
次々と餓死・病死した。
そうした状況を
生き延びた将兵が
残した手記がある。
以下、小尾靖夫「人間の限界――陣中日記」
より引用する。
12月27日(1942年)
今朝もまた数名が昇天する。
ゴロゴロ転がっている屍体に蝿がぶんぶんたかっている。
どうやら俺たちは
人間の肉体の限界まで
きたらしい。
生き残ったものは全員顔が土色で、頭の毛は産毛のように
薄くぼやぼやになってきた。黒髪が、ウブ毛にいつ変った
のだろう。
体内にはもうウブ毛しか生える力が、養分がなくなったらしい。
(中略)
やせる型の人間は骨までやせ、肥える型の人間はブヨブヨに
ふくらむだけ。
歯でさえも金冠や充填物が外れてしまった
のを見ると、ボロボロに腐ってきたらしい。歯も生きている
ことを初めて知った。
この頃アウステン山に
不思議な生命判断が流行りだした。
限界に近づいた肉体の
生命の日数を、総計の結果から
次のように
わけたのである。
この非科学的であり
非人道的である
生命判断は
決して
外れなかった。
立つことのできる人間は・・・寿命三十日間
身体を起こして坐れる人間は・・・・三週間
寝たきり起きられない人間は・・・・一週間
寝たまま小便をするものは・・・・・三日間
もの言わなくなったものは・・・・・二日間
またたきしなくなったものは
・・・・明日
これが、ガ島の第一線部隊の
食糧欠乏がもたらした
状況だ。
こんな惨状に陥っている第十七軍に対しても、なおも大本営は
11月16日付で、持久戦をせよ
という命令を
下している。
裸の人間を
毒蛇の巣に放り込んでおいて、そこで
耐えろ
と言っているに
等しい。
これでは
まるで、意図的に
靖国の「英霊」を、大量に増産しようとしていたかのようだ。
これは メッセージ 38094 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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大量餓死で英霊を増産した皇軍の体質(4)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/30 20:38 投稿番号: [38094 / 41162]
補給が
不可能ならば、近代戦では
「敗北」
を意味する。
それでも
大本営は、ガダルカナル島奪回作戦を
打ち切る
という決断を下すことができず、前線の指揮官も作戦中止を
言い出すことができず、ずるずると
無謀な戦いが継続した。
この間の
海空の大消耗戦で生じた
艦船、航空機、兵員の
莫大な損害は、取り返しのつかない
戦力喪失となり、
その後の戦況にも
大きな影響を
及ぼすこととなった。
大本営が、やっとのことで
ガ島からの撤退を決めたのは、
42年12月31日に
なってからだった。
撤収作戦そのものは、米軍に
察知されずに
成功したが、
かろうじて救出された者は、上陸した全兵力の
3分の1、
その兵隊たちも
栄養失調で体力を失い、餓死寸前だった。
この
ガ島惨敗の責任は、まったく
大本営の作戦にある。
装備も優秀で
準備万端を整えて上陸してきた
米軍に対し、
情報収集もせずに、わずか1000名で軽装備の一木支隊を
銃剣突撃で飛行場を奪回しようという、およそ戦理に反した
無茶な攻撃を実行させ、その後も
同じ失敗を
繰り返した。
一木支隊先遣隊が、米軍の火力に阻まれ、戦車に蹂躙されて
一瞬にして全滅したのに、何回も同じ戦法を繰り返したのだ。
制海・制空権を失ったために
闇夜の中の鼠輸送しかできず、
重火器も運べず、白兵突撃戦法しか採れない――
これでは、優秀な火力装備に
勝てないことは明らかなのに、
大本営は、装備も補給も軽視して
亡国的怠慢を犯したのだ。
装備が
運べないのだから、食糧も
運べない。
人間は
食糧がなければ
生きて行けない。
ましてや
戦闘に耐えうる
体力維持は
不可能だ。
大本営の作戦当局者たちは、前線に送り込んだ兵隊たちの
食糧補給を、いったい
どう考えていたのだろうか。
南太平洋方面の日本軍の
戦略基地であった
ラバウルと、
ガダルカナル島との間は
1100キロも
離れている。
制海・制空権を
奪われ、補給が困難なことは明白なのに、
3万を超す将兵が、身一つで
この島に送り込まれたのだ。
上陸した兵士たちは、背嚢に背負った
数日分の食料を
食いつくした後は、食糧の補給を
受けられなかった。
空腹に耐えかね、野生の植物を食べて
下痢をおこしたり、
有毒植物に当たる場合も
多かった。
栄養失調で
体力が衰えているため、赤痢や
マラリア、
その他の風土病への抵抗力もなくし、次々と
倒れていった。
そうした記録を
掘り起こしながら、太平洋戦争の実相と
玉砕という愚挙を繰り返した
日本軍の性質を
考えていきたい。
これは メッセージ 38093 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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大量餓死で英霊を増産した皇軍の体質(3)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/30 20:37 投稿番号: [38093 / 41162]
1946年6月5日のミッドウェイの敗北によって、日本海軍は
主力空母
4隻を失い、太平洋戦線における
制海権を
失った。
それなのに、8月7日に
米軍がガダルカナルに上陸すると、
その時の前線基地ラバウルから、600カイリも前方にある
この島に、大本営は
次々と
兵力を送り込んでいったのだ。
米軍の上陸に
慌てふためいた大本営は、その奪回を決意し、
第十七軍を
その作戦に
当てることにしたが、とりあえず
急行させる
兵力としては、ミッドウェイ作戦用の
部隊で、
その中止後
グアムに待機していた一木支隊を送ることにした。
ところが
一木支隊を
急遽派遣するために、輸送船によらず
一木清直大佐以下1000名の先遣隊を駆逐艦6隻に分乗させ
急行させたのだ。
もともと
軽装備だった一木支隊先遣隊は、
駆逐艦輸送のため
重火器は持てず、食糧7日分だけを携行し、
戦車や重砲を持つ米軍から
飛行場を奪う任務を
負わされた。
一木大佐は、白兵突撃で
飛行場を奪回するつもりで、
8月1日夜
ガダルカナル島タイボ岬に上陸し、8月20日、
米軍陣地に突入したが、圧倒的な米軍の砲火によって全滅した。
一木支隊先遣隊の攻撃失敗後、第二梯団や海軍陸戦隊の輸送は、
制空権を握った
米軍機の妨害で
ことごとく
失敗した。
だが、大本営は
あくまでもガダルカナル奪回の意向を変えず、
パラオの川口支隊に続いて、ジャワから第二師団を第十七軍に
増加した。それらは
船団輸送ができず、「鼠輸送」とよばれる
夜陰に乗じての
駆逐艦による輸送に
頼らざるを得なかった。
辛うじてガ島にたどり付いた川口支隊は、9月11日と13日、
飛行場に
総攻撃を行なったが、強力な米軍の
砲爆撃を受け
携行食糧も尽きたため
失敗した。
10月24日、25日に第二師団主力による攻撃を行なったが、
これも
第一次攻撃と同じように
失敗した。
それでも
大本営は、奪回の方針を
変更しなかった。
11月中旬には
さらに 第三十八師団主力をガ島に送った。
こうした兵力輸送のたびことに、輸送に当たった 駆逐艦も、
これを援護する
海軍の航空兵力も 艦艇も
大損害を受け、
とどまることのない
消耗戦の様相を
深めていった。
ガ島における
陸上部隊の状況は、悲惨
の一言だった。
増援兵力を送るのさえ困難をきわめたのだから、補給物資を
送る余裕はなく、駆逐艦が
米などを
ドラム缶やゴム袋に
入れて、海岸の近くに投棄したりして、辛うじて
わずかな
補給をしているだけ
というありさまになっていたのだ。
これは メッセージ 38092 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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大量餓死で英霊を増産した皇軍の体質(2)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/30 20:35 投稿番号: [38092 / 41162]
餓死という言葉で
まず思い浮かぶのは、ガダルカナルでの
餓死者の大量発生であり、ガ島は「餓島」と揶揄されるほど
これは
ひじょうに有名な
事実だ。
1942年8月から43年1月にかけてのガダルカナル戦は、
太平洋戦争での米軍反攻による戦局転換のきっかけになった。
ガダルカナル戦は、この島に日本海軍が建設した航空基地を、
上陸・急襲した
米軍の海兵
一個師団が占領し、
それを奪還しようとする日本軍との間で
戦われた攻防戦だ。
日本軍は、すでに制海・制空権を奪われていたにも係わらず、
飛行場奪回のために、次々と
陸軍の部隊を島に送り込んだ。
兵員・物資の輸送もままならず、かろうじて上陸した部隊も
補給が途絶している上に、利用すべき現地物資も皆無に近く、
餓死者続出の
惨状をもたらした。
半年後、装備を捨てて
生き残った人員だけを
かろうじて
撤退させることになった。
この敗退を
大本営は
国民に
「転進」
と発表したが、日本軍敗退の
第一歩となった。
ガダルカナル撤退を指揮したラバウルの第八方面軍司令官の
今村均大将は、その回顧録に
次のように
記している。
五ヶ月以前、大本営直轄部隊として、ガダルカナル島に
進められた
第十七軍の百武中将以下
約三万の将兵中、
敵兵火により斃れた者は約五千、餓死した者は約一万五千、
約一万のみが、救出されたのだ。
そして、自決して責任をとる
と申し出た百武軍司令官を
押し止めた言葉の中でも、次のように言ったと述べている。
今度のガ島での敗戦は、戦によったのではなく、饑餓の
自滅だったのであります。
この飢えはあなたが作った
ものですか。
そうではありますまい。
日本人の横綱に百日以上も食を与えず草の根だけを口に
させ、毎日たらふく食ってる
かけだしの米人小角力に、
土俵のそとに押しだされるようにしたのは、全くわが
軍部中央部の過誤によったものです。
これは、補給と関連なしに戦略戦術だけを研究し教育
していた陸軍多年の弊風が累をなし、既に
制空権を
失いかけている時機に、祖国からこんなに離れた、
敵地に近い小島に、三万からの第十七軍をつぎこむ
過失を、中央は
犯したものです。
今村大将による
この指摘は、まさにガダルカナル敗戦の原因、
餓死者大量発生の責任を
的確に衝く言葉ということができる。
これは メッセージ 38091 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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大量餓死で英霊を増産した皇軍の体質(1)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/30 20:35 投稿番号: [38091 / 41162]
南京において
日本軍による組織的な虐殺行為があった事実は、
多数の証言や
軍関係資料の記録によって
既に証明されており
現在の日本政府も、公式見解として
その事実を
認めている。
犠牲者数については
諸説あるものの、虐殺事件そのものは
日本国内の一部勢力を除き
世界中が
事実として認識している。
事件があったか、なかったか、などという論議は
過去のものだ。
否定派の多くも、南京事件そのものを
否定できなくなり、
犠牲者数を
極力少なく見積もろうと
必死に
「だったはずだ」
という
主観論を振り回すか、あるいは、
「他国の軍隊にも残虐行為がある」式の
姑息な議論すり替えや
免罪論に頼り、実相から目を背けるほかに手段がなくなっている。
いま
本当に必要なことは、南京事件の原因が
どこにあったか、
なぜ、防げなかったのか、という
検証作業であり、背景を探り、
そこから
いかに
教訓を導き出すかが、より重要である
と思う。
中国大陸に武力侵攻した
日本軍が、南京などで
捕虜にした
多数の中国軍兵士を
組織的に
大量殺害した事件の背景には、
日本軍の補給軽視の体質が
大きな要因だった
と考えられる。
自軍の食料さえも
確保困難な状況で、大量の捕虜が
発生し、
殺害に及んだ
という証言記録が、それを
裏付けている。
日本軍の
補給軽視の戦略的欠点は、捕虜の殺害だけではなく
占領地において
略奪行為などが
多発する事態をも
招いた。
さらに、大戦の全般を通じて
日本軍兵士の
戦死者のうち
直接の戦闘での
死亡者数よりも
餓死者の数が上回るという
およそ
近代軍とは思えないような惨状を
招くものとなった。
第二次世界大戦における
日本人の戦没者は
約310万人。
そのうち、軍人軍属の
死者数は
230万人とされている。
特徴的なことは、その過半数が、餓死や病死であった事実だ。
「英霊」
の多くが、華々しく
戦いに散った
のではなく、
飢餓地獄の中での
惨めな野たれ死に
だったのだ。
栄養学でいえば、飢餓には
食物を
一切摂取しないで起る
完全飢餓と、栄養不足または失調による
不完全飢餓がある。
日本軍の
戦闘状況の特徴は、補給の途絶によって、膨大な
不完全飢餓を発生させ、その結果、完全な餓死だけではなく、
栄養失調のために
病気に対する抵抗力をなくし、マラリア、
アメーバ赤痢、デング熱等よる多数の病死者を出したことだ。
戦死よりも
餓死や
病死者の方が多い――
それが一局面の特徴的な状況ではなく、戦場の全体にわたり
発生したことに、旧日本軍の
特質を
みることができる。
補給もせずに、占領地の死守を命じ、退却も
降伏も許さず、
自軍を次々と
全滅させた大本営は、それを「玉砕」と称し、
美しく粉飾した挙句、餓死者たちを「英霊」
と誉め讃えた。
近代国家間の戦争で、これほど
悲惨な結果を招いたうえに
反省も改革も怠り、自画自賛ばかりを
最後まで繰り返した
軍隊が、はたしてあるだろうか。
近代戦において、補給途絶は
それだけで
敗北を意味する。
大和魂だけで勝てるはずがない。
惨めな敗戦は当然だろう。
大儀なき侵略戦争に駆り出され、無謀な作戦に投入され、
悲惨な死を
強いられた
若者たちの
無念さを思い、
大量餓死や
無謀な玉砕戦法をもたらした
日本軍の責任と
特質を明らかにして、それを
歴史に残す必要がある。
大量の餓死や「玉砕」と称する全滅は、人為的なものであり、
その責任を、死者に代わって
告発しなければならない。
それによって、二度と再び
あの悲劇を繰り返さないように
未来へ伝える「歴史の教訓」
とすることこそが、
先人たちの犠牲を
無駄にしない
唯一の道だろうと思う。
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Re: 馬鹿はおまえだよ 横
投稿者: lovely37821 投稿日時: 2011/12/30 17:31 投稿番号: [38090 / 41162]
>何故なら、実戦では真正面から刺しますよね、すると人間はとっさに引き抜くために銃身をしっかりと握り、前倒しになります。すると刺した方の兵士は銃を落とすまいと力を入れますから、銃身が曲がります。
実戦になれば、真正面から刺すとは限らんな。横からも後ろからも刺す可能性がある。真正面から刺したとしても、刺された方が銃身を握らずそのまま後ろに倒れる場合もあろう。君の想定は単純すぎるよ。
これは メッセージ 38088 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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Re: 馬鹿はおまえだよ 横
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/30 16:25 投稿番号: [38089 / 41162]
概要 [編集]
銃剣術の技は、刺突(突き)、斬撃(斬りつけ)、小銃の銃床(ストック、台尻)部分を利用した打撃が基本であるが、弾倉部分や銃全体での打撃や敵の銃剣攻撃をかわす方法、敵に剣を刺突したままでの発砲や蹴りの反動を利用して引き抜くなどの技術もある。銃剣での刺突時、銃身に極力ストレスを加えないよう、正確にまっすぐ刺突して、より刃先が相手の肉体を貫通するよう十分に荷重をかけることを求められる。ただし、相手を突いた後は、銃身が多少曲がることがあり、それにより銃の狙撃能力が落ちる事がある。
これは メッセージ 38087 (tyankonabejp さん)への返信です.
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Re: 馬鹿はおまえだよ 横
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/30 16:20 投稿番号: [38088 / 41162]
>銃剣というのは直接銃身に装着しませんから、ただ刺すだけは銃身がゆがむことはありえません。
白兵戦のときには、はげしい格闘で銃身にも衝撃が加わり損傷する可能性はありますが、「衝撃で照準器がずれることが多く、照星や照門の微調整をやり直す必要があった」という程度です。銃剣格闘による白兵戦でさえも銃がゆがむほどの衝撃はかかりません。
つまり、捕虜を刺殺する程度では銃本体に影響などは出ないのです。
銃剣の使い方によって「銃身を歪めてしまうことも少なくなかった」という主張が、貴殿のたんなる想像でなければ、ソースを示してみせてください。銃剣を装着したために銃が使えなくなったという記録がありますか?
↑銃身が歪みますから、銃剣練習用の銃は別にしてありますよ。
何故なら、実戦では真正面から刺しますよね、すると人間はとっさに引き抜くために銃身をしっかりと握り、前倒しになります。すると刺した方の兵士は銃を落とすまいと力を入れますから、銃身が曲がります。
此の為に日本軍には鉄工が居て修正をするんですよ。
亦、日本軍の銃身は出来るだけ軽くなる様に作っていますからね、外国製の銃よりは華奢です。
南京では何万人も殺したとありますが、その様な事実は物理的に不可能です。次期出撃準備命令が陥落前から出ていますから、銃弾を使うこと出来ません。
亦当時警備していた部隊にはその様な予備の銃弾がありません、警備兵は銃弾十発しか持っていませんからね。
若し陸軍が最初からその様なことを考えていたとすれば、国産安全委員会の住所は米国の大使館から日本軍に手交されていますから、口封じのために、悉く事故死にしたでしょうね。
簡単ですからね、銃や銃剣などを使わずに、城外から無差別砲撃を加えれば、事故として処理出来ますが、日本軍はしなかった。
これは メッセージ 38087 (tyankonabejp さん)への返信です.
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Re: 馬鹿はおまえだよ 横
投稿者: tyankonabejp 投稿日時: 2011/12/30 13:15 投稿番号: [38087 / 41162]
失礼ですが、貴殿の投降は想像だけで書いているように思いますが。
>これを銃に付けた場合、銃の性能を阻害するだけでなく、銃剣の装着機構によって、使い方が悪いと銃身を歪めてしまうことも少なくなかった。
銃剣というのは直接銃身に装着しませんから、ただ刺すだけは銃身がゆがむことはありえません。
白兵戦のときには、はげしい格闘で銃身にも衝撃が加わり損傷する可能性はありますが、「衝撃で照準器がずれることが多く、照星や照門の微調整をやり直す必要があった」という程度です。銃剣格闘による白兵戦でさえも銃がゆがむほどの衝撃はかかりません。
つまり、捕虜を刺殺する程度では銃本体に影響などは出ないのです。
銃剣の使い方によって「銃身を歪めてしまうことも少なくなかった」という主張が、貴殿のたんなる想像でなければ、ソースを示してみせてください。銃剣を装着したために銃が使えなくなったという記録がありますか?
>銃剣自体の投身も使い方が悪ければ曲がったり歪んだりするし、刃こぼれが酷くなれば本来の突き刺し引き抜く能力も激減する。
「銃剣自体の投身」w(´Д`)
銃剣が自分で身を投げることはありませんし、もし投げたとしても、銃剣は曲がるようなものではありません。
それに、人体に刺した程度では刃こぼれなどしませんよ。もし万が一、刃こぼれしたとしても、銃剣は切ることを目的としたものではなく、突き刺すものですからね。殺傷力は低下しません。
っていうか、日本軍の銃剣には初めから「刃」なんてついてませんから。全長40cmのうち先端から19cmの処迄しか刃が付いていないんです。銃剣は突き刺すための槍として使う刃物であり、日本刀のように切り付けることを目的としていないのでこれでよかったのです。
また、もしも刃こぼれしたとしても、研ぎ直せば刃物の威力は落ちませんから。
>命がけで白兵戦に持ち込んで突破し、敵を制圧するという前線の将兵自身が一番自覚する日本軍の状況下で、その便りとなる銃剣を消耗或いは損傷するような行為を数週間に渡って続けるわけがなかろう。
「その便りとなる銃剣」w(゚∀゚○)
銃剣は「お便り」にはなりませんよ。「頼り」にはなりますが。
仮に3万程度の聯隊で、一人の兵士が平均3、4人を始末しただけで10万人くらいの殺害は可能です。それに、数万人を殺したといわれる南京虐殺では全員を銃剣で殺したわけではなく、小銃や機関銃で射殺したのも多いはずです。また、捕虜の始末は各部隊とも交代でやったでしょうから、何週間も続けて毎日おなじ銃剣を使ったわけがないw
交代の合間に銃の手入れくらいはできたのです。
これは メッセージ 38084 (maximirion さん)への返信です.
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米国を戦争へ導いた馬鹿女
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/30 09:45 投稿番号: [38086 / 41162]
昨年度米国議会に出席して反日的策動に努力せるMrs. Geraidine Townsend Fitchは日本侵略不参加同盟当地支部主催の下に当地に於いて講演する為四月十五日(昭和15年)当地に来れるが新聞記者に対し要旨左の如く語りたる趣なり
米国の対日「エムバーゴー」は強制的なると政府の自由権限に依るものなるとを問わず之が唯一の解決方法なり現在「モラール・エムバーゴー」に依り飛行機の禁輸を行い居れるが日本は依然軍事行動遂行に必須の航空用「ギャソリン」「屑鉄」を獲得し居れり近き将来に関する限り日本は米国にとり何等軍事的脅威にあらず従って日本に「エムバーゴー」を課したりとするも戦争誘発の虞なし
之に反し日本が米国の原料により支那事変に勝利を占むれば米国は対支貿易のみならず対日貿易をも喪失するに至るべく更に日本商品の米国市場進出を見ることとなるべし若し日本が支那の無尽蔵の原料と低廉なる労働を使って生産を始めたならば如何なる関税所障壁を以てするも日本品を防圧するの方法なかるべく右は既に中南米に於ける日本貿易に其の例を見るところなる云々
尚同婦人の夫は支那生まれなるのみならずYMCA書記として多年上海漢口重慶等に居住せしことあり同婦人も亦二十年間支那に滞在せる趣にして四月十四、十八両日は当地教会に於いて講演を為す予定なり
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Re: 南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘
投稿者: singodama 投稿日時: 2011/12/30 03:17 投稿番号: [38085 / 41162]
目撃もない、死体なき殺人。
それでも死体は毎年増える。
だれが信用するの?
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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馬鹿はおまえだよ その3
投稿者: maximirion 投稿日時: 2011/12/30 01:20 投稿番号: [38084 / 41162]
<shoujouji>
銃火器による現代戦において銃剣や軍刀による白兵戦は役に立たないということであり、
おまえは据え物切りがあたかも白兵戦であるかのごとき印象操作をやってるに過ぎない
ということだな。
白兵戦での役に立たないものが、据えもの切りでは数百人どころか数千を超える殺人能力を発揮できると考える根拠を書いたらどうだ。
どの投降にも明確な根拠を示せない、shoujouji にはそんな能力などないか。(笑)
銃剣の場合は、近代戦に於いては白兵戦での得物としての役割を担っていたのだ。
しかし、戦闘で殺傷して突破するのに必要な訓練を受けていた将兵は、日本陸軍ぐらいのものだろう。
現代戦でなくても、欧米では近代戦以降は銃火器の弾薬量とそれを持った兵士の総数で優位に立つことに充填を置いた用兵と訓練をしてきた。
機関銃の性能を上げて大量に投入したのもその一環だ。
だが、最初から軍用物資に限りがあり、多くの点で高性能な兵器の大量生産では欧米列強に引けを取る日本軍は、高性能な銃火器や兵器の使用は少数精鋭に限定せざる得なかった。
日本陸軍の実情としては、飛び交う銃弾の中をかいくぐって白兵戦に持ち込んで制圧するしかないという上京が殆どを占めたのさ。
飛び交う銃弾の中を生き抜くには、前に走り続けてできるだけ止まらずに突破すること。
だから、白兵戦になれば圧倒的に日本兵は優位に立っていたのだよ。
その反面、米軍はますます銃火器と弾薬量の数で圧倒し、銃火器や爆撃の威力を増し、射程距離を伸ばすことで勝利しようと努力したのさ。
つまり、白兵戦に至る前に日本兵を殲滅するか銃口で取り囲んで制圧するかという戦術をとった。
米国は、国力の強みを生かしすことにしたのだね。
銃剣は、突き刺し、引き抜くことに長けた刃物で、斬ることは想定してない刃物。
これを銃に付けた場合、銃の性能を阻害するだけでなく、銃剣の装着機構によって、使い方が悪いと銃身を歪めてしまうことも少なくなかった。
銃剣自体の投身も使い方が悪ければ曲がったり歪んだりするし、刃こぼれが酷くなれば本来の突き刺し引き抜く能力も激減する。
命がけで白兵戦に持ち込んで突破し、敵を制圧するという前線の将兵自身が一番自覚する日本軍の状況下で、その便りとなる銃剣を消耗或いは損傷するような行為を数週間に渡って続けるわけがなかろう。
世の中の多くの人は、shoujouji より遥かに利口で道理を知っているのだよ。
これは メッセージ 38068 (shoujouji さん)への返信です.
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馬鹿はおまえだよ その2
投稿者: maximirion 投稿日時: 2011/12/30 01:09 投稿番号: [38083 / 41162]
<shoujouji>
おまえが長々と講釈を垂れたところの銃剣や軍刀は人を殺すのに何の役にも立たないなる言説は説得力ゼロだと言っている。
文盲くんは、私のどの投降のどの部分に「銃剣や軍刀は人を殺すのに何の役にも立たない」と書いてあるのか、引用して明示しなさい。
私は、銃剣や軍刀での殺傷の仕方を簡単にではあるが説明しているのだよ。
逆に、武器としての限界も書いているに過ぎない。
その結果、銃剣や軍刀が大量殺戮兵器として使うには性能不足だと言う結論がでるだけのこと。
<shoujouji>
銃火器による現代戦において銃剣や軍刀による白兵戦は役に立たないということであり、おまえは据え物切りがあたかも白兵戦であるかのごとき印象操作をやってるに過ぎない。
そうやって、根拠のない書き込みを繰り返すところが、進歩のない馬鹿の証なんだよな。
現代戦に於いても白兵戦の訓練はなされている。
その中に、銃剣の役割も織り込まれているのだよ。
軍刀は、洋の東西を問わず、近代戦以降は殺傷兵器として戦場で使われることを想定していない。
護身用の殺傷能力を最低限持った指揮棒という側面で帯刀されるのだよ。
軍刀の刃物としての能力が、敵兵の接近を阻止するために足などを薙ぎ払い、或いは銃剣などで付いてくる敵の小手を払うなり叩くなりし、あわよくばその手足の筋を断って戦闘不能にする程度の斬撃と、銃剣を払いのけるなどするに刀身が歪まずに耐える強度なのだ。
その刀身とはものによる構造は、突き刺して抜くに易い構造にするため、刀身は短めで反りが少ない。
斬りつけたさいに収縮筋肉から刀身を抜いたり切り裂いたりする能力も、骨を断つ能力も端から備えていない。
据えもの切りなどすれば、すぐに使い物にならないと書いておいたのだよ。
これは メッセージ 38068 (shoujouji さん)への返信です.
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馬鹿はおまえだよ
投稿者: maximirion 投稿日時: 2011/12/30 00:56 投稿番号: [38082 / 41162]
<shoujouji>
まず、現実の南京事件における虐殺は銃撃プラス銃剣や軍刀であり、銃剣や軍刀は補助的な役割であること、すでに戦闘が終わったあとの無抵抗の捕虜の殺害であり、多数の将兵により多数の銃剣や軍刀を使って少なくとも数週間以上の長期間にわたって行われた殺害であるという前提はいいかな?
そう言う前提を否定されてるということが分かってなくてレスをしてる時点で、論外だろ。
銃撃の補助が銃剣や軍刀だと言うのであれば、銃撃何割に対して銃剣や軍刀での補助が何割で、銃撃と補助それぞれの殺人数をどのくらいだと見積もるのか明示したまえ。
戦闘が終わっても次の戦闘があるうえに、銃剣も軍刀も支給品であって、将兵には天皇からの賜りものだといって、その手入れに予断がないよう厳しく躾けられていた。
支給されて平気の手入れが、戦場で自分のみを護るには最重要だと、戦闘経験のある将兵なら誰でも知ることになる。
戦闘が終わった将兵が、まだ尚次の戦闘が待ち構える予断のない状況で、余計なことにその武器を使って手入れの手間を増やしたり修理の必要を発生させるわけもない。
数週間以上も殺害し続けていた場合に、どのくらいの弾薬やその補助の従縁と軍刀を消耗してしまうのか、考えてみる知恵もないのが shoujouji だからな。
これは メッセージ 38068 (shoujouji さん)への返信です.
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馬鹿はおまえだよmaximirion
投稿者: maximirion 投稿日時: 2011/12/30 00:01 投稿番号: [38081 / 41162]
<shoujouji>
まず、現実の南京事件における虐殺は銃撃プラス銃剣や軍刀であり、銃剣や軍刀は補助的な
役割であること、すでに戦闘が終わったあとの無抵抗の捕虜の殺害であり、多数の将兵に
より多数の銃剣や軍刀を使って少なくとも数週間以上の長期間にわたって行われた殺害で
あるという前提はいいかな?
これは メッセージ 38068 (shoujouji さん)への返信です.
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Re: 馬鹿ウヨ理論「日本兵は銃剣を使わない
投稿者: unhoo 投稿日時: 2011/12/29 10:15 投稿番号: [38080 / 41162]
wadatumi_voice21氏へ
日本兵が支那兵を殺した話にはたいへん熱心だが、日本兵が捕虜になったと
き、どのように殺されたかということには全く興味を持たないようだね。
wadatumi_voice21氏の熱心な投稿を読む方は、日本兵の捕虜はどのように殺
されただろうかということも考えるべきである。この方は全く資料が無いの
で、いろいろな想像を掻き立てる。
これは メッセージ 38077 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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Re: 馬鹿ウヨ理論「日本兵は銃剣を使わない
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/28 18:49 投稿番号: [38079 / 41162]
馬鹿サヨは、一番可能性の内困難な方法を考えるが、軍隊はより合理性を求めて考える、つまり一番効率の良い方法のみしか使わない。
銃剣で三十万人とか、馬鹿でも考えつかない。
数万人でも可能性は皆無。
これは メッセージ 38072 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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Re: 馬鹿ウヨ理論「日本兵は銃剣を使わない
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/28 18:47 投稿番号: [38078 / 41162]
馬鹿サヨが考えるに、一般民を殺すに、機関銃を用いるという。
軍人が考えるに、チャンコロは安全区域に集合しているのだから、榴弾砲を撃ち込めば簡単に殺傷出来る。
兵隊が弾薬を持たない上に次期作戦準備の用意する弾薬を、無駄に消費する軍隊は何処にも居ない。
南京攻略以前から次期作戦準備命令が出ているんのだからね。
又南京は南北に警備区域が分かれているので、其の間を勝手に俘虜を引き回せない、之日本軍の常識。
これは メッセージ 38072 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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馬鹿ウヨ理論「日本兵は銃剣を使わない」⑥
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/28 16:31 投稿番号: [38077 / 41162]
ちなみに、自分も
剣道経験者であり、また居合道も
少しだけ
かじったことがあるので、参考に
所見を
付け加えておきたい。
白兵戦ではなく、無抵抗の捕虜を
殺害する際に
刀剣を使用するとすれば、べつに
骨ごと斬る必要はなく、
頚動脈を切るだけで、人の生命を絶つことは
至って容易だ。
日本刀は
刃筋が通らなければ、剣術の有段者であっても
物を切ることができない。
だが、刃筋さえ通れば、
素人であっても
驚くほど切れる。
手練の手にかかると、日本刀ほど切れるものはない、という。
オフレコだが、軍隊経験者から
直接
聞いたことがある。
「自分ではなかったが」
と前おいて、こんな話をされた。
中国戦線で
捕虜にした中国軍兵士の両足に
太さ3センチほどの
真鍮の棒を
紐でくくりつけ、真一文字に
横一閃、真鍮ごと
両足を
両断できたと
いう。
もちろん、死体を立たせるのは
容易ではなかったろうから
生きたまま
立たせて
斬ったのだろう、と思う。
こういう話は、もちろん
自慢話で
するものではないが
ただ、本当にあったであろう話として、鮮明に記憶している。
腕に覚えのある者にとって、戦場は、生きた「据えもの」を
試し斬りできる
貴重な機会であったことは
まちがいない。
ただし、日本刀を所持していたのは
下士官級以上だろう。
多くの場合、やはり
捕虜の殺害には
銃剣が使用された。
日本軍の銃剣は、三十年式と呼ばれるものが
使われた。
外観上の特徴は、日本刀を模した
片刃の刀身であり、
列強諸国が
スパイク状、両刃状の刀身を用いたのと比べて
文化的な差異が現れている。
刀身には
左右に血抜き用の溝が
彫られている。
三十年式銃剣は、当初、東京及び小倉造兵工廠で
生産された。
昭和期以降は
民間委託生産によって、名古屋工廠、松下金属、
光精機、豊田自動織機、金城削岩機、理研鋼材、愛三工業などが
生産に携わった。
ほとんどの日本軍の銃器に装着でき、小銃はもとより機関短銃や
軽機関銃にまで
取りつける事が可能だった。
その名の通り
明治30年に、三十年式歩兵銃と共に日本陸軍に
制式採用されたもので、歩兵銃はその後、三八式、九九式と
移行して行くが、三十年式銃剣は
製造時期から、初期、中期、
後期に
分かれ、外観が多少違うだけで、ほぼ
構造は同じだ。
日本刀の形を模しているが、構造上「斬る」
ことは難しく、
もっぱら「刺す」
ことに
用いられたものだ。
「刺す」ことに限れば、使用する者が
剣道体験のない素人なら、
日本刀を使うよりも
はるかに
使い勝手がよかった
と思う。
南京などで虐殺の現場にいた
中国人被疑者や外国人目撃者の
証言にも、数多くの
銃剣使用による
殺害の記録がある。
「12月15日、私は日本軍につかまりました。いとこも一緒でした。
西善橋で、服をぬがされ銃剣で刺されました。」
「いとこは殺され、私は首のあたりを2ヵ所刺されましたが、
首のまわりの服が厚かったので助かりました。この時、相手の剣を
つかんでしまったので、手にも傷跡があります。」
「あとは気を失ってしまいました。
その後、2ヵ月ぐらい家で
過ごしましたが血がたくさん流れて、なかなか回復しませんでした」
(以上、崔金貴氏の証言)
「入ってきた日本兵は、いきなり父とおばあさんを撃ち殺しました」
「まだ赤ちゃんだった妹は、床にたたきつけられて殺され、母は強姦
されたあと
刺し殺されました。」
「いちばん悲しかったのは、二人の姉さんのことです。15才だった
上の姉はテーブルの上で強姦され殺されました。13才の姉もズボンを
おろされて殺されていました。」
「私もフトンの上からメチャメチャに刺され、気が付いたとき、
9人家族のうち生き残ったのは7才の私と3才の妹だけでした。」
「その後、助けられるまで、鍋の底のおこげを食べ水を飲んで、
家族の死体の中で暮らしたのです。」
「私たちがどうしてこんな目に会わなくてはならないのですか!」
(以上、夏淑琴氏の証言)
これは メッセージ 38076 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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馬鹿ウヨ理論「日本兵は銃剣を使わない」⑤
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/28 15:09 投稿番号: [38076 / 41162]
もうすこし、前述した記録の続きを
引用しておこう。
↓
12月27日。
----
下関の処刑場に近づくと、この日もまた、
域内の方から、
中国人を乗せた無蓋のトラックが、
続々と
やってきて、倉庫地帯に消えていた。
再び、警戒中の哨兵にことわって、門を入ったところ、
前々日と同じような処刑が行なわれていた。
----
「日本刀や銃剣で処刑しているのはなぜか」と質問したところ、
上官から、弾薬を節約するために、そうするように命じられて
いるからです
との答が返ってきた。
このような処刑が、南京占領から二週間近くを経た後の
25日と27日に
手際よく行なわれていた。
もっとも、26日と25日前と27日後に
どのような処刑が
行なわれていたかは
分からなかったが、
二日間のことから察して、それが戦場にありがちな、
一時的な、興奮状態での対敵行動であるとは私には
思われなかった。
この日もまた、一連の処刑が、ある種の統制のとれた
行動であるように
感じた。
以下に引用するのは、第16師団経理部予備主計少尉による
『小原立一日記』の
十二月十四日付の記述だ。
↓
中山門外にて
最前線の兵七名で凡そ三一〇名の正規軍を捕虜にしてきたので
見に行った。色々な奴がいる。
武器を取りあげ服装検査、その間に逃亡を計った奴三名は
直ちに銃殺、間もなく
一人づつ一丁ばかり離れた所へ引き出し
兵隊二百人ばかりで
全部突き殺す
----
-
中に女一名あり、殺して陰部に木片を突っこむ。
外に二千名が逃げていると話していた。
戦友の遺骨を胸にさげながら突き殺す兵がいた
「撃ち殺した」「射殺した」「銃殺」ではなく、
「突き殺す」と記述されている。
つまり
銃剣の使用だ。
馬鹿ウヨ論が正しいか、それとも、この日本兵の証言が正しいか、
かりに、馬鹿ウヨ理論が正しく、日本兵が
ウソつきであるならば、
より「信憑性」を
もたせるために、全員射殺した
と書くはずだ。
銃剣による刺殺については、南京だけでなく、多数記録されている。
友清高志著『狂気―ルソン住民虐殺の真相』(徳間書店)によると、
フィリピンでも日本兵が銃剣を使い現地民を突き殺した記録がある。
1943年2月に第14軍司令官田中静壱中将がパナイ島を視察中に
ゲリラに襲撃された事件がきっかけで、7月から徹底的な粛清作戦が
実施された。
ゲリラ討伐の名目で
実際には子どもから老人まで多数が殺された。
米軍が44年10月にレイテ島、翌年1月にルソン島に上陸してから
特に
マニラと南部ルソンで
大規模な虐殺が次々と起きた。
バタンガス州とラグナ州では
歩兵第17連隊(通称藤兵団)が
「対米戦に先立ち
ゲリラを粛清する」
「住民にしてゲリラに協力するものはゲリラとみなし粛清せよ」
と命令を下した。
バタンガス州リパの虐殺に加わった
兵士の証言によると、
16から60歳の男子を
通行証を渡すという名目で学校に集め、
証明書を渡したうえで
10人ずつ雑木林の奥の崖のそばに連行し、
銃剣で刺して
谷底に突き落としていった。
そうして
一日がかりで
約800人の住民を虐殺した。
フィリピンにおける
日本軍による虐殺の犠牲者は
数十万人にのぼる
と見られ、中国に次いで
多い。
また、英国国立公文書館所蔵の
英軍記録によると、
ビルマ(現・ミャンマー)では、これまで分かっているかぎりで
最大規模の虐殺は
45年7月のカラゴン事件であるとされている。
イギリス軍と抗日ゲリラを支援していたカラゴン村を日本軍が襲い、
女性子どもも含めて、10人くらいずつ
井戸の側に連行し
銃剣で刺殺して井戸に投げ込み、合わせて600人以上を虐殺した。
現場で指揮した大隊長は、戦後、英軍による戦争裁判にかけられ
死刑になるが、裁判のなかで子どもまで殺したことを追及されると、
子どもを助けても孤児になり生きていけないので殺した、と弁明している。
被害者数など規模については別としても、銃剣による住民の刺殺
という事実自体は否定できないものであり、馬鹿馬鹿しい犬猫理論は
完全に破綻する。
これは メッセージ 38075 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38076.html
馬鹿ウヨ理論「日本兵は銃剣を使わない」④
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/28 14:52 投稿番号: [38075 / 41162]
銃剣で
捕虜を刺殺したら
銃が使えなくなりました、
それで、銃剣は
使用されなくなりました――
などという
マヌケな資料は
どこを探しても見つからないが、
捕虜の処刑に銃剣を使った
という証言は
多数存在する。
その一例を
以下に引用してみよう。
↓
(奥宮正武『私の見た南京事件』より「下関の光景」引用
下関にはかなり大規模な停車場と開源碼頭(波止場)があった。
そこで、その付近を見回っているうちに、陸軍部隊が多数の
中国人を
文字通り虐殺している現場を見た。
----
-
構内の広場に入って見ると、両手を後ろ手に縛られた中国人
十数名が、江岸の縁にそって数メートル毎に引き出されて、
軍刀や銃剣で惨殺されたのち、揚子江に投棄されていた。
岸辺に近いところは、かなり深く、目に見えるほどの速さの
流れがあったので、ほとんどの死体は下流の方向に流れ去って
いた。
が、一部の死にきれない者がもがいているうちに、江岸から
少し離れたところにある浅瀬に流れついていたので
付近は
血の川となっていた。
そして、死にきれないものは銃撃によって止めが刺されていた。
この一連の処刑は、流れ作業のように、極めて手順よく
行なわれていた。
大声で指示する人々もいなかった。
そのことから見て、明らかに陸軍の上級者の指示によるもの
であると推察せざるをえなかった。
したがって、部外者である私がロを出す余地はないと感じた
次第であった。
----
-
これは メッセージ 38074 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38075.html
馬鹿ウヨ理論「日本兵は銃剣を使わない」③
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/28 14:41 投稿番号: [38074 / 41162]
銃剣で
捕虜を刺殺すれば、銃身が曲がって使えなくなった
だから、日本兵は
銃剣を使わなかった、という珍説については、
常識から
大きくかけ離れており、実際、そのような記録はない。
テコをきかせれば曲がるべさ
などというマヌケな主張もあるが、
わざわざ
テコをきかせて
小銃を曲げる
馬鹿な兵隊はいない。
それに、もしも
わざと銃身を曲げようとしても、
頑丈な銃床の部分を
握ったままでは、テコがきかないため
腕力が強い人間であっても、銃を曲げることなどは
不可能だ。
当時の日本は、軍需用の物資に豊富に恵まれていたわけではない。
兵器や弾薬の節約に苦心し、ことのほか銃砲などは大切に扱った。
日本軍の武器は、すべて
天皇ヘイカから賜ったもの
であり、
とくに歩兵にとっての銃は
武士の刀のようなものと意識された。
粗末に扱ったり、手入れを怠ることは
許されないことだった。
もしも
馬鹿ウヨの珍説が正しければ、銃剣などを使った場合、
大切な歩兵銃は、次々と曲がって
使用できなくなってしまう。
由々しき事態であり、銃剣の生産と配備は
禁止されただろう。
物資に乏しい
我が皇軍は、ただちに
自軍の兵士に対して
「実戦に於いては、着剣及び使用は
これを厳禁す」だとか
「銃剣を使用したる者は厳罰に処す」という命令を下達しただろう。
もちろん、そのような
馬鹿げた命令や記録は
存在しない。
白兵戦の場合は、全力で突撃して
剣先を突き刺すのみならず、
兵士同士が銃床部も使い、殴る、打つ、払う、といった攻防を交え、
激しく突き合い
殴打し合うため、銃身全体に強力な衝撃を受ける。
したがって、命中精度にも微妙なくるいが生じる可能性はある。
銃剣による捕虜の処刑は、白兵戦などとは
まったくちがい、
小銃を使い物にならなくするような用法では
なかったのだ。
いくら
犬猫と同レベルの輩が
否定しようとしても、
捕虜の処刑に、銃剣が頻繁に使われたことは、動かしがたい事実だ。
兵士の証言の中には、捕虜の殺害には
銃弾を節約するために、
専ら銃剣を使って殺せという指示を受けた
というものもある。
もしも
銃剣で人を刺したぐらいで
銃自体が使用できなくなる
という理論が正しければ、それは
「弾の節約」どころではない。
だが、銃がダメになるから
刺殺をしなかったという記録はなく、
逆に
銃剣を使用したという記録資料は
数多く存在する。
実際
「銃剣」は、戦時中
大量に生産され、
すべての日本軍歩兵に配備され、終戦まで使用され続けた。
特に
三十年式銃剣は、敗戦まで
長年にわたり使用された。
当然、三八式歩兵銃や九九式小銃などにも
装着されていた。
三十年式銃剣は、小銃に装着する場合、柄頭部分を
銃床先端の
着剣留金具に挿入する。
着剣留金具は、銃身ではなく
銃床に
取り付けられており、銃剣の止金体の溝は
銃床の下部に
はめ込むように
できていた。
したがって、銃剣を
真直に突いた場合は、
銃身に
直接
力が
掛かることはない。
もちろん、白兵戦で
激しい打撃が繰り返されれば、
銃全体に衝撃が加わり、照準にも微妙な影響がでる可能性はあった。
しかし、至近距離で、拘束した人間を
真っ直ぐ突き刺すだけで
「銃身が曲がって使用不能になる」ような構造とは
なっていない。
刺殺に使用したことにより 銃が使えなくなったとする記録などが
まったく
見当たらないのは、当然のことだ。
そもそも
戦争物資の確保に苦心していた
日本軍が、
貴重な銃を「使い物にならなく」するような
シロモノを、
自軍の兵士たちに
装備させるわけがない。
常識があれば、容易に考えつきそうなものだ。
いったい、馬鹿ウヨ諸君は、どのような根拠にもとづき
銃身が曲がって使えなくなった
などという珍説を吹聴するのだろう。
ちなみに、三八式銃には
「菊」の紋章が
刻まれている。
これは
つまり「天皇からの恩賜」の武器であることを意味する。
したがって
日本兵は、銃を大切に扱い、手入れを怠らなかった。
もしも、その大事な小銃を「曲がって使い物にならなく」してしまう
とんでもない代物ならば、絶対に装着など
できなかっただろう。
もしも
馬鹿ウヨ理論のとおり、日本兵は銃剣を使わなかったなら、
「南京虐殺のウソ」
を垂れ流す者は、信憑性を高めるために、
捕虜を刺殺したとはせず、みんな射殺していた
と証言するだろう。
これは メッセージ 38073 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38074.html
馬鹿ウヨ理論「日本兵は銃剣を使わない」②
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/28 14:26 投稿番号: [38073 / 41162]
戦争を美化し、軍部を英霊として崇拝する者にとっては、
南京虐殺事件の実相を示されることは、都合の悪いことであり、
すべて
無かったことにしよう
と策動するのは
当然だろう。
しかし、南京事件の実情を語るのは、実際に
その戦場を体験した
人々による
証言や
記録の数々であり、「確かにあったことだ」
「目撃したことだ」という体験に基づいて
具体的に断言している。
一方、否定派は
まず
自分勝手な解釈、憶測を並べ立て、
それを前提として、「なかったはずだ」「事実とは思えない」
という主観で
都合の良い結果を
ひねり出しているにすぎない。
南京において
中国人捕虜を刺殺した
という日本軍の記録を
「ウソ」だと決めつけるために、馬鹿ウヨが
ひねり出した理屈は
その典型だろう。
まず
前提にすえた理屈は、軍用銃の銃剣で
捕虜を刺殺すれば、
銃身が破損してしまい、「使えなくなってしまう」ということだ。
この前提によって、日本兵は
捕虜の殺害に銃剣を使わなかった、
という結論を、無理やり
みちびきだそうとしている。
どうやら、馬鹿ウヨくんは、日本軍の
小銃の設計思想が
射撃性能を重視し、銃身が比較的細身であったため、
白兵戦に用いた場合は
命中精度が落ちる可能性があった
ということを
どこかで聞きかじって、過大に
解釈したか、
あるいは
勝手に歪曲して、ヨタ話を
吹聴しているらしい。
こんな
ヨタ話を前提として
議論しようとするのだから可笑しい。
南京事件否定派の理論の組み立ては、ほとんど
このような構造だ。
過酷な戦場で使われる軍用銃は、かなり
堅固に作られている。
たしかに
肉弾相うつ白兵戦で用いられれば、照準が狂うなどして
精度が落ちることはあったが、銃として使用できなくなるものでは
なかった。
ましてや、捕虜殺害の場合には、拘束した人間を
至近距離から
刺殺したのであり、白兵戦のように
敵と激しく撃剣を交えたり、
渾身の力を込めて突撃して衝き立てる必用などは
まったくなく、
銃身を歪ませるような、激しい衝撃は
かからない。
また、日本軍の銃剣は
小銃に着剣する場合、柄頭の止金具を
銃床の先端部の留具に、はめ込むようにして
装着する。
強く刺突した場合でも、その衝撃の大部分は
銃床に吸収され、
銃身に対しては、直接の力は
かからない。
また、わざわざテコをきかせて
故意に銃身を曲げようとしても、
小銃の銃身は
全体が頑丈な銃床によって
支えられており、
銃把や床尾部を持った状態では、いくら力を加えようと、
腕力が強い人間であっても、銃身を曲げることなど
不可能なのだ。
これは メッセージ 38072 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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馬鹿ウヨ理論「日本兵は銃剣を使わない」①
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/28 14:14 投稿番号: [38072 / 41162]
別トビの書き込みだった
と記憶しているが、だいぶ前に
日本軍兵士が
銃剣を使用して捕虜を殺害した
という記録を、
「ウソ」
と決め付ける根拠として、ある
馬鹿ウヨが、
“銃剣を使用すると
小銃の銃身が曲がって使い物にならなくなる”
“日本軍兵士は銃剣を使わなかった”
だから証言はウソである――
という
理論を展開したことがある。
さすがに
賛同者は
少なく、
もちろん、具体定な根拠となる記録資料も
提示できなかった。
こんな珍論を、いまだに
持ち出してきて
他人を無知よばわりし、
誹謗中傷に血眼になっている馬鹿ウヨの典型が、徘徊している。
『銃剣使用によって
小銃が曲がって使えなくなった』という記録は
いったい
どこに
存在しているのだろうか。
銃剣を使用によって
日本軍の小銃が
使えなくなるのであれば、
弾薬節約どころの話ではない。
軍は
銃剣装備を禁止しただろう。
日本兵が
銃剣による刺殺を
行なった事例は、南京はもちろん、
中国各地、さらには
東南アジアの占領地、そのうえ
沖縄など
国内においてさえ、数々の証言、記録によって
明らかになっている。
「日本の兵隊は銃剣を使わなかった」などという
馬鹿ウヨ理論は、
根拠も示せない
程度の低い
ヨタ話にすぎない。
たとえば
大戦末期に沖縄久米島で発生した「久米島事件」では、
スパイ容疑をかけられた島民が
日本軍兵士の銃剣によって
突き殺されている。事件の首謀者は、戦後のインタビューに答え、
「日本軍人として、指揮官として、当時の処置に間違いがあったとは
ぜんぜん
思っていない」
と述べている。
悪いことをしたと考えていない、良心の呵責もない、とも語った。
武器を持たない島民を
殺害しても、皇軍兵士として当然のこと、
罪は感じていない、と断言できる
軍人の体質ならば、ましてや
敵国の民衆を殺害することに、一片の躊躇いは
なかっただろう。
そのうえ、国際戦時法の適用外である「事変」下であり、上官から
「やっちまえ」
と命じられれば、強い敵愾心に燃えていた兵士が、
残虐な行為に走ったのは
いたって当然だった。
さて、馬鹿ウヨが吹聴した“銃が使えなくなる”論について、
旧日本軍兵士の
証言・記録に照らして
検証してみよう。
山西省日本軍残留問題を題材とするドキュメンタリー映画がある。
この映画の主人公、奥村和一さんは、1944年8月に召集され、
同年11月に入隊、すぐに
中国・山西省に
派遣された。
山西省に駐屯していたのは、北支那派遣軍第一軍、総勢5万9千人。
初年兵教育を経て、その総仕上げとして「刺突訓練」が行なわれた。
それは、この人間は
人を殺すことができるようになったかどうかを
確認することであり、そのための試験が
「肝試し」
であった。
縛りつけられている捕虜の中国人を
銃剣で
刺し殺す訓練だ。
皇軍兵士として戦争を戦い、その現状を
実体験した人の証言と
マヌケすぎる南京虐殺否定派の馬鹿理論とでは、重みが違いすぎる。
もっとも、旧日本兵をウソつき呼ばわりする馬鹿ウヨどもにすれば、
犬猫ごとき者が
まともな「論者」に
見えるらしい。
嘲笑するほかない。
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Re: 馬鹿はおまえだよmaximirion
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/28 06:03 投稿番号: [38071 / 41162]
南京の警護兵の何倍だと思うんだい三十萬人は、脳死君。
これは メッセージ 38068 (shoujouji さん)への返信です.
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よっ♪ダブスタショジョジ
投稿者: nanja3231 投稿日時: 2011/12/27 21:41 投稿番号: [38070 / 41162]
久しぶり♪
お前持論が三十万人虐殺がボロボロに否定され、四万人に変更した挙げ句幕府山の一件で逃亡してたが、幕府山で機関銃掃射で虐殺とかぬかしてたけど、今度は銃剣や軍刀で虐殺か?(嘲笑)
おいおい、お前が自信満々出した日記とやらは、機関銃で殺して銃剣でとどめを差したって書いてあるんだが、あの日記に証拠能力無いって自白か?(大爆笑)
で、今度は軍刀と銃剣だけで殺せたはずって妄想かい♪
だんだんレベルが下がってるな(大爆笑)
南京で何週間も虐殺してたなら、当然観戦武官や外国人記者が銃剣や軍刀で虐殺してる場面の証言が大量にあるはずなんだが、出してみ?
検証してやるから♪
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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fukagawatohei はどうしても嘘つき (笑
投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2011/12/27 21:07 投稿番号: [38069 / 41162]
汗水垂らして投稿を繰返しているが、もう議論で勝てることは永久に無い
(笑
嘘つきだと皆にバレているのだから
(大笑
父親が死んだとまで嘘を書いて、その嘘同士が矛盾を来たしたのだから
(笑
馬鹿だろう
(大笑
本当に父親が死ぬぞ、お前!
日本には”言霊信仰”があって、この手の嘘は「言い当てる」と言って極端に嫌われるんだよ、お前!
「結核が持病である自分の父親が徴兵された」との趣旨の投稿をしたから、「伝染病である結核が持病の人間が徴兵されることはない」と否定されて、次のような苦し紛れの逃げ口上を書いた。
>軍隊に入ってからすぐに広島にある「結核患者を専門に治療していた」
陸軍病院に「入院させられた」という事実から、おいらが親父の
結核は持病だったと表現しただけなんですけどね〜。
「南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘」のトピ
投稿No.24475
投稿者:fukagawatohei
*注意:これが2008/ 7/ 8の記載である
次に「爆心地か近いところにあった陸軍病院で被爆した」と書いて、またまた、「結核専門病院は爆心地の近くにはなかった」事実を突きつけられて、
>おいらの親父が入院したのは爆心地から1〜1.5kmくらいのところに
あった広島陸軍病院だよ。
結核患者が必ずしも、結核専門の病院に入れられるとは限らないんだよ。
「南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘」のトピ
投稿No.24782 投稿者:fukagawatohei
*注意:これは2008/ 7/24 である
と書いた。2週間の間に複数の相手と「嘘のやり取り」をしている内に、その場限りの「嘘」同士が、完全に、矛盾した。
入院したのが「結核専門病院であり」同時に「結核専門病院ではない」ことになってしまった。
両方とも嘘だからこうなった。
オカシカッタのは、この「嘘同士の矛盾」を、何回も突きつけられて、本人がなかなかワカラナカッタことである。
嘘ばっかり書いているから、頭が嘘になってしまったのである
(大笑
それ以来、fukagawatoheiは、嘘が「バレタラバレタ時ノコト」と開き直って投稿するようになった。
だから、新しい相手とやり取りを始めても、直ぐ突っ込まれて行き詰まり、あとは悪口雑言ばっかり、と云うザマになっている。
ここ数年間、ずーっと、その調子である。
嘘がばれる前提で嘘を書き続ける。止められない。
やっぱり、完全に、fukagawatoheは狂人なのである。
これは メッセージ 38059 (fukagawatohei さん)への返信です.
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馬鹿はおまえだよmaximirion
投稿者: shoujouji 投稿日時: 2011/12/27 20:15 投稿番号: [38068 / 41162]
>普通に読めば、弾薬がなくとも銃剣や軍当を使って「数千人
あるいは数万人単位の虐殺は
容易に可能だった」としているのに対して、銃剣と軍刀による殺傷の仕方を解説しながら、
戦闘以外での大量殺傷の限界と戦闘に与えるその影響を説明して否定していることは明白だ。
まず、現実の南京事件における虐殺は銃撃プラス銃剣や軍刀であり、銃剣や軍刀は補助的な
役割であること、すでに戦闘が終わったあとの無抵抗の捕虜の殺害であり、多数の将兵に
より多数の銃剣や軍刀を使って少なくとも数週間以上の長期間にわたって行われた殺害で
あるという前提はいいかな?で、おまえが長々と講釈を垂れたところの銃剣や軍刀は人を
殺すのに何の役にも立たないなる言説は説得力ゼロだと言っている。説得力があるとすれば
銃火器による現代戦において銃剣や軍刀による白兵戦は役に立たないということであり、
おまえは据え物切りがあたかも白兵戦であるかのごとき印象操作をやってるに過ぎない
ということだな。白痴くんよ。
これは メッセージ 38064 (maximirion さん)への返信です.
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Re: 南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘
投稿者: s339sjapaniy56 投稿日時: 2011/12/27 18:42 投稿番号: [38067 / 41162]
死んでも朝鮮人にならん
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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Re: 軍内の連絡の実体 横
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/27 16:53 投稿番号: [38066 / 41162]
昭和十六年十一月二日
連合艦隊機密第六七六番電
本電軍機発令日時二日一七二〇
本文
新高山登れ
一二〇八
之が命令電報だね。
これは メッセージ 38059 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 軍内の連絡の実体 横
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/27 16:30 投稿番号: [38065 / 41162]
君は海軍の命令書の書式を知っているの教え手頂戴な、嘘吐く君。
これは メッセージ 38059 (fukagawatohei さん)への返信です.
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馬鹿は一体誰ですか?(笑)
投稿者: maximirion 投稿日時: 2011/12/27 16:03 投稿番号: [38064 / 41162]
論が立っていないような余所事はいいから、反論してみなさいな、似非老人。(笑)
[ No.38017 / 投稿者 : maximirion]
わざわざ文盲振りを披露しに投降したのかね。(笑)
<shoujouji>
馬鹿か?相手が「銃弾のみならず軍刀や銃剣も使った」と言ってるものを、
「銃剣は訓練しなければ刺せない、軍刀は切れない」と否定して何になる?
銃も銃剣も軍刀も人を殺すのに役に立たないとでも言いたいか。日本軍の
装備はおもちゃかい。その言い草はまさに馬鹿ウヨのステレオタイプで、
他の何ものでもない。おめえは自分が馬鹿ウヨでないと本気で思ってるんかな。
大笑いだぜ。
普通に読めば、弾薬がなくとも銃剣や軍当を使って「数千人
あるいは数万人単位の虐殺は
容易に可能だった」としているのに対して、銃剣と軍刀による殺傷の仕方を解説しながら、戦闘以外での大量殺傷の限界と戦闘に与えるその影響を説明して否定していることは明白だ。
刃物を理解できない白痴な文盲くんがしているのは、投降内容の本質と関係ない「馬鹿ウヨのステレオタイプ」とか「おめえは自分が馬鹿ウヨでないと本気で思ってるんかな。」などのレッテル貼りとそれに基づく罵倒にご熱心なだけのものだな。
レスをするなら、以下の投降内容の本質に付いて指摘なさいな。
能力が足りればの話だが。(笑)
<wadatumi_voice21>
虐殺すべてが
上記のような軍刀や銃剣による殺害ではないが、
組織的に、相当手際よく
数日間にわたって
捕虜の刺殺が
行われたことを考えれば、仮に
弾薬が不足していたとしても
数千人
あるいは数万人単位の虐殺は、容易に
可能だった。
<maximirion>
白痴な頭では、戦闘以外の場面で数十人も銃剣で刺殺すれば、渡された銃が戦闘で銃剣の台座以外の使い道がなくなることも分からないのだろう。
その銃剣自体も手入れをしなければ、満足な殺傷能力を維持できない。
銃剣では、刺す以外の機能は殆どない。
正確にまっすぐ突き刺し、まっすぐ引き抜かなければ、銃剣を支える金具や銃身が歪んだり銃剣の投身が曲がったりしてその機能が著しく低下する。
だから、銃剣術なるものが存在し、その訓練を受けていたわけで、熟練には歳月と実戦経験を擁したのだ。
支給される軍刀では、首を切り落としたりすれば、刃砥ぎに出さないと使い物にならなくなる。
一部の将兵が、伝来の家宝を軍刀に仕立てて携行していた事実はあるが、それでも江戸以降の護身用の太刀である場合、名刀であっても数名の首を切り落とせば、切れ味が格段に落ちる。
それ以前に、刀で人の首を斬り骨を断つには、相応の剣技と斬刀術をみに付けなければ、斬りつけた部位の筋肉収縮や骨で刃が止まり、抜き差しならなくなる。
人の身体に切り込んだ刀の刃を人体から抜くにも切り抜くにも相応の技と術が必要なのだ。
殆どの軍刀は、斬刀目的の構造ではなくて突き殺すための機能を主体にした造りだったのだ。
主に、指揮棒の代わりとして使われた軍刀だが、実践で使用する場合は白兵戦で銃剣の突撃を払い小手や足元を薙ぎ払うことが主体だ。
殺傷する場合には、突き刺すのが基本。
軍刀が片刃で緩やかな反りしか持たない短めの構造をしているのは、素早く突き刺し、素早く引き抜くことを目的としたから。
南京陥落当時、軍刀が所持できた将兵に下士官が含まれていたのだろうかね。
下士官にも至らない戦闘員には、当然銃剣しか支給されないわけだけどね。
これは メッセージ 38022 (oldjiiji さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38064.html
Re: 白痴のmaximirion 横
投稿者: maximirion 投稿日時: 2011/12/27 15:58 投稿番号: [38063 / 41162]
<oldjiiji>
ふむ。
では、日本の南京の件は組織的でない虐殺ということでよろしいのですかな?
つまり軍隊の統制がとれなかったために虐殺が起きたと。
虐殺が起きたと言う前提で幾ら捏ね繰り回しても、虐殺があった論証など出来ないぞ、お馬鹿殿。
これは メッセージ 38033 (oldjiiji さん)への返信です.
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