馬鹿ウヨ理論「日本兵は銃剣を使わない」①
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/28 14:14 投稿番号: [38072 / 41162]
別トビの書き込みだった
と記憶しているが、だいぶ前に
日本軍兵士が 銃剣を使用して捕虜を殺害した という記録を、
「ウソ」 と決め付ける根拠として、ある 馬鹿ウヨが、
“銃剣を使用すると 小銃の銃身が曲がって使い物にならなくなる”
“日本軍兵士は銃剣を使わなかった” だから証言はウソである――
という 理論を展開したことがある。 さすがに 賛同者は 少なく、
もちろん、具体定な根拠となる記録資料も 提示できなかった。
こんな珍論を、いまだに 持ち出してきて 他人を無知よばわりし、
誹謗中傷に血眼になっている馬鹿ウヨの典型が、徘徊している。
『銃剣使用によって 小銃が曲がって使えなくなった』という記録は
いったい どこに 存在しているのだろうか。
銃剣を使用によって 日本軍の小銃が 使えなくなるのであれば、
弾薬節約どころの話ではない。 軍は 銃剣装備を禁止しただろう。
日本兵が 銃剣による刺殺を 行なった事例は、南京はもちろん、
中国各地、さらには 東南アジアの占領地、そのうえ 沖縄など
国内においてさえ、数々の証言、記録によって 明らかになっている。
「日本の兵隊は銃剣を使わなかった」などという 馬鹿ウヨ理論は、
根拠も示せない 程度の低い ヨタ話にすぎない。
たとえば 大戦末期に沖縄久米島で発生した「久米島事件」では、
スパイ容疑をかけられた島民が 日本軍兵士の銃剣によって
突き殺されている。事件の首謀者は、戦後のインタビューに答え、
「日本軍人として、指揮官として、当時の処置に間違いがあったとは
ぜんぜん 思っていない」 と述べている。
悪いことをしたと考えていない、良心の呵責もない、とも語った。
武器を持たない島民を 殺害しても、皇軍兵士として当然のこと、
罪は感じていない、と断言できる 軍人の体質ならば、ましてや
敵国の民衆を殺害することに、一片の躊躇いは なかっただろう。
そのうえ、国際戦時法の適用外である「事変」下であり、上官から
「やっちまえ」 と命じられれば、強い敵愾心に燃えていた兵士が、
残虐な行為に走ったのは いたって当然だった。
さて、馬鹿ウヨが吹聴した“銃が使えなくなる”論について、
旧日本軍兵士の 証言・記録に照らして 検証してみよう。
山西省日本軍残留問題を題材とするドキュメンタリー映画がある。
この映画の主人公、奥村和一さんは、1944年8月に召集され、
同年11月に入隊、すぐに 中国・山西省に 派遣された。
山西省に駐屯していたのは、北支那派遣軍第一軍、総勢5万9千人。
初年兵教育を経て、その総仕上げとして「刺突訓練」が行なわれた。
それは、この人間は 人を殺すことができるようになったかどうかを
確認することであり、そのための試験が 「肝試し」 であった。
縛りつけられている捕虜の中国人を 銃剣で 刺し殺す訓練だ。
皇軍兵士として戦争を戦い、その現状を 実体験した人の証言と
マヌケすぎる南京虐殺否定派の馬鹿理論とでは、重みが違いすぎる。
もっとも、旧日本兵をウソつき呼ばわりする馬鹿ウヨどもにすれば、
犬猫ごとき者が まともな「論者」に 見えるらしい。
嘲笑するほかない。
日本軍兵士が 銃剣を使用して捕虜を殺害した という記録を、
「ウソ」 と決め付ける根拠として、ある 馬鹿ウヨが、
“銃剣を使用すると 小銃の銃身が曲がって使い物にならなくなる”
“日本軍兵士は銃剣を使わなかった” だから証言はウソである――
という 理論を展開したことがある。 さすがに 賛同者は 少なく、
もちろん、具体定な根拠となる記録資料も 提示できなかった。
こんな珍論を、いまだに 持ち出してきて 他人を無知よばわりし、
誹謗中傷に血眼になっている馬鹿ウヨの典型が、徘徊している。
『銃剣使用によって 小銃が曲がって使えなくなった』という記録は
いったい どこに 存在しているのだろうか。
銃剣を使用によって 日本軍の小銃が 使えなくなるのであれば、
弾薬節約どころの話ではない。 軍は 銃剣装備を禁止しただろう。
日本兵が 銃剣による刺殺を 行なった事例は、南京はもちろん、
中国各地、さらには 東南アジアの占領地、そのうえ 沖縄など
国内においてさえ、数々の証言、記録によって 明らかになっている。
「日本の兵隊は銃剣を使わなかった」などという 馬鹿ウヨ理論は、
根拠も示せない 程度の低い ヨタ話にすぎない。
たとえば 大戦末期に沖縄久米島で発生した「久米島事件」では、
スパイ容疑をかけられた島民が 日本軍兵士の銃剣によって
突き殺されている。事件の首謀者は、戦後のインタビューに答え、
「日本軍人として、指揮官として、当時の処置に間違いがあったとは
ぜんぜん 思っていない」 と述べている。
悪いことをしたと考えていない、良心の呵責もない、とも語った。
武器を持たない島民を 殺害しても、皇軍兵士として当然のこと、
罪は感じていない、と断言できる 軍人の体質ならば、ましてや
敵国の民衆を殺害することに、一片の躊躇いは なかっただろう。
そのうえ、国際戦時法の適用外である「事変」下であり、上官から
「やっちまえ」 と命じられれば、強い敵愾心に燃えていた兵士が、
残虐な行為に走ったのは いたって当然だった。
さて、馬鹿ウヨが吹聴した“銃が使えなくなる”論について、
旧日本軍兵士の 証言・記録に照らして 検証してみよう。
山西省日本軍残留問題を題材とするドキュメンタリー映画がある。
この映画の主人公、奥村和一さんは、1944年8月に召集され、
同年11月に入隊、すぐに 中国・山西省に 派遣された。
山西省に駐屯していたのは、北支那派遣軍第一軍、総勢5万9千人。
初年兵教育を経て、その総仕上げとして「刺突訓練」が行なわれた。
それは、この人間は 人を殺すことができるようになったかどうかを
確認することであり、そのための試験が 「肝試し」 であった。
縛りつけられている捕虜の中国人を 銃剣で 刺し殺す訓練だ。
皇軍兵士として戦争を戦い、その現状を 実体験した人の証言と
マヌケすぎる南京虐殺否定派の馬鹿理論とでは、重みが違いすぎる。
もっとも、旧日本兵をウソつき呼ばわりする馬鹿ウヨどもにすれば、
犬猫ごとき者が まともな「論者」に 見えるらしい。
嘲笑するほかない。