南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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re:マギー証言

投稿者: ndaybreak 投稿日時: 2003/08/04 22:37 投稿番号: [1850 / 41162]
>ブルックス弁護人は、あえて「体験談」でないことを浮き彫りにして、
>証言が法廷に巻き起こした大きなショックを薄めようとする「法廷戦術」を
>使いました。それだけの話です。

ブルックス弁護人が反対尋問したところ、

『それが大きなショックを薄めようとする「法廷戦術」』であったと、
ありますが、貴方はどのようにしてそのことを検証されたのか失礼ながら、
教えてください。

>マギー証言

投稿者: maxell3585 投稿日時: 2003/08/04 22:08 投稿番号: [1849 / 41162]
>以上のものを読んだ上での私の印象は、マギーという方は大変真面目な人物である、ということです。引用部分でも、マギーは何も嘘を言っていません。証言自体も、「聞いた話」なのか「体験談」なのかは、読めばはっきりわかります。

日本軍の「虐殺」を訴える為に映画まで撮っていたマギーが、何千何万と言われる「虐殺」を自分で実際に見たのは一件だけだったのですね?

その一件も、南京市内に便衣兵がまぎれている状況下での、日本兵に呼び止められた中国人男性が突如として逃げ出し、それを日本兵が撃ったというものだそうですが。

>ブルックス弁護人は、あえて「体験談」でないことを浮き彫りにして、証言が法廷に巻き起こした大きなショックを薄めようとする「法廷戦術」を使いました。それだけの話です。

↑これも「史料を総合した上でのイメージ」なのでしょうか?

>余談になりますが、「南京事件」論議では、「伝聞」であることを材料に証言・記録の信頼性を否定しようとする議論をよく見かけます。

コピペで失礼。

「マギーの息子がメディアと会見したときのビデオテープを改めてみてみると、そこにはいろいろな作為が残っていました。まず、彼の示した映写機と映像であるが、この中には虐殺された市民とはっきり言える死体は一つもありません。キャプション上は日本軍が残虐行為を働いたことにはなっているが、このフィルムでは、生きている人間が映ってはいても、例えば日本軍が捕虜を殺害する瞬間が載っていないとか、大量虐殺されたはずの死体と言われるものがあまり映っていないとか、どうも肝心でないものばかりでお茶を濁しているようです。

しかもそのマギー一家の証言の後に出てくる中国人女性の証言は、これまたいい加減なものです。李秀英という女性は開口一番、こう言っている。

「奴らの一人が叫んだんです。ここに女がいるぞーって。」

  彼女は一体、どこで日本語を学んだのか。当然、その日本兵は、日本語で言ったはずだが、南京には日本の租界はなかった。ところが彼女の証言は全部中国語で行われているし、日本語
と英語の同時通訳が付けられている点も興味を引く。本来日本語を話すことができない人が、何と
日本語を聞いて理解できたと言う。」

少なくても、俺はこんなマギー史料に信頼性は認められないのですが。

http://f1.aaacafe.ne.jp/~iserlohn/IrisChang.htm

>その信頼性は、証言の状況、証言者の資質、証言内容などで総合的に判断されるべきものであり、「伝聞」であることのみを理由に「信頼できない」かのように扱う議論は、あまりに一方的なものでしょう。

歴史学研究の方法論では、史料の信頼性を6段階に分けます。第一次史料とは、ある事件が発生した時に、その場所で、当事者が残した史料を言い。第二次史料とは、当事者が、異なる時間か、場所で残した史料。

第三次史料とは、一、二次史料を基にして、編集・公表したものです。以上の3つを根本史料といい、歴史学研究はここまでの史料に基づかねばなりません。

第四時史料とは、史料作成の時・所・作成者が定かではない記録、第五時史料とは、史料作成者がいかなる方針で調整したか分からない史料、第六時史料とは、それ以外の記録です。これらは単なる参考史料と呼ばれ、それだけでは何の証拠にもなりません。

出所について、何の記載もない様なものは四等以下の史料に過ぎません。これだけを山のように積み重ねても、「大虐殺」の証明にはならないのです。

事件の当事者が出廷して証言をすれば、二等史料となります。それを反対尋問という形で、弁護側に検証の機会を与えるのが、裁判の常識です。

出廷もさせず、反対尋問の機会も与えられない、どこの誰だか分からない人間の証言とは、まさに五等史料に過ぎません。

マギーの場合は、延々と日本兵による殺人や強姦の事例を証言しましたが、ブルックス弁護人が「実際に自分で見たのは、そのうちの何件か?」と反対尋問したところ、マギーは一件を除いて、すべて中国人からの伝聞に過ぎないことを明らかにしたのです。

反対尋問により、マギーの証言は四等史料以下である事が明らかになったわけですが、その上でマギー証言は大筋では信頼性の高いものである、というのが貴方の判断なのですね。

「原文にあたってないなら議論なんて無しだっ」ってのが、いつものパターンかな。

「イメージ」で語る人口論

投稿者: maxell3585 投稿日時: 2003/08/04 22:00 投稿番号: [1848 / 41162]
それではツッコミ入れておきましょうか。しかし南京虐殺肯定派の方がURLを出すのは素晴らしい進歩だと思ったのですが、見れば全部ご自分のHPとは・・・(汗)

>でもそれで終わってもつまりませんので、あえて私の「イメージ」を言いましょう。

>まあ断言はできませんが、5万人から15万人の間と考えれば、そう極端な間違いではないでしょう。

>「残留人数」は、数える人などいようはずもなく、今となっては全く不明です。しかし以上の資料を総合すると、少なくとも「安全区外の城内」を「無人地帯」と断定することはできないようです。(HPから拝借)

「安全区外の城内」を「無人地帯」と断定することはできないと言う控えめな記述の一方では、避難民や城内残留人口等があるからと人口が五万から十五万も増大する(かもしれない)と論じるわけですか。

実に肯定派に都合の良い、かつ大雑把な「イメージ」ですね。

「住民の中には調査員の手の届かぬ所に暮らしていた者もあった」と言う認識の上で人口調査したスマイスでさえ、そんな大雑把な人口修正は行いませんでしたが。

また所々でダーディンの記事を根拠にあげているようですが、国際会議の演説で引用されたにも関わらず、その後は国際会議で完全に無視されて国際問題にすらならなかった程度の信憑性の記事を根拠に語ってるのですか?

南京の人口25万という数字は1月中旬までに行なわれた日本軍の住民登録から推計したもので、南京陥落後の生存人口数と考えてよいでしょう。

この25万には (南京陥落時には存在しなかった)城外からの避難民と城外の住民が含まれているので、 陥落時の人口よりは膨れていると考えられます。結果として最大値として扱うのが妥当であり、実際にスマイスは陥落時の人口の最大値として25万を採用しています。

陥落後の生存人口25万は大規模な人口増減がないという前提であれば、そのまま陥落時の人口として見る事が可能です。

しかしスマイスは、調査報告において生存人口25万を陥落時の人口とはしませんでした。それは何故かというと、1月中旬に推計した25万は日本軍の住民登録からの推計であり、城外の人口も含まれていたから、実際に安全区に収容した人数は25万よりも少なかったということに気がついたのです。このことは戦争被害調査(スマイス調査)で判明したものと思わます。

戦争被害調査の段階でスマイスが調査できた市部人口は22万1150人にすぎませんでした。安全区に25万人を収容していたにしては少ないのですね。若干の人口流出はあったでしょうが、それよりも流入が多く人口は増加したとスマイスは語っています。

調査が行なわれた3月には城門の通行も自由化され城外から帰来した住民も居るはずなので、市部人口の22万はちょっと少ないと考えたのではないでしょうか。それらを考慮して「生存人口25万=陥落時の人口」という記述を避けて、20万〜25万という幅をもった記述にしたものと考えられます。

以上のことから、南京陥落から一貫して、スマイスは史料の上では人口が減少したという認識はなかったことが判明します。仮に「数万市民の大量殺戮」があったとしても、「南京の人口を調査したスマイスは知らなかった」ということになるでしょう。

スマイスの虐殺肯定の発言が「発見された」と言う方もいるようですが、スマイス調査を覆すような調査が行なわれたという資料が無い以上、現状ではスマイス報告の統計資料を明確に否定することは無理なのですよ。

>実際問題として、「スマイス調査」規模の、「6600人」あるいは「1万2000人」、あるいは板倉氏のように「24000人、うち不法殺害8000人から12000人」と
いう規模

スマイス本人が出した数値は6600であり、上記にかかれているそれ以降の数値は、後の研究者が付け足したものですね。

つまりスマイス本人の調査範囲の認識を故意に拡大したのが、現在の肯定派が主張している「南京虐殺の範囲」と言う事になります。

スマイス博士の史料より、自分の「イメージ」の方が正しいって?そうですか(笑)

http://members.tripod.co.jp/NankingMassacre/mondai/nankin.html#smythe02

msg1821は撤回ですか?

投稿者: go_belfast 投稿日時: 2003/08/03 14:57 投稿番号: [1847 / 41162]
>yu77799さんの言うとおり、安全区外が無人だとするのは無理があるのではないでしょうか。

ということは、msg1821の発言は全面撤回ということでよろしいでしょうか。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=114358k2&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9 oa29ta4n13&sid=1143582&mid=1821

そうすると、私のmsg1819に戻る。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143582&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9 oa29ta4n13&sid=1143582&mid=1819

このmsg1819の主張に追い打ちをかけると、実は「城内が平和」だったか疑わしい文献は、いっぱいあるよ。松尾一郎氏のサイトに載っていないというだけで。

「避難途中の民」について。>ゆうさん

投稿者: go_belfast 投稿日時: 2003/08/03 14:46 投稿番号: [1846 / 41162]
ゆうさん、さすがです。特に論の進め方が。
まさに「太陽と北風」ですね。
私は議論の進め方が単調なので、勉強しなければと思います。

話題が変わりますが、この1年くらいずっと気になるのが、城外の「住民」ではなく「難民」、正確には「避難途中の民」のことです。

もう少し具体的に言うと、対岸に避難しようと、12日までに下関あたりに滞留していた「避難途中の民」、それから陥落直前に城内から脱出を試みた「避難民」、そういった人たちのことです。

南京軍事法廷の認識する「殺された民間人」の多くは、こういった人たちのようです。
(以下ののサイトに大規模殺害地点の石碑文が掲載されていました)
http://www.mmjp.or.jp/nankin1937/atochi.html#SEC7

同認識によると、民間人死者のかなりの割合が南京陥落の13日以降ではなく、12日に長江上等で殺害、あるいは12日までに捕捉され後日殺害ということにあります。(逃亡兵と一緒くたに殺害)

そうすると、もし否定派が「人口」をうんぬんするならば、13日ではなく、市内戦が始まる直前の12月10日の時点の「人口」を吟味しなくては、南京軍事法廷への「反論」たりえない、というのが、私の考えです。
※こういう指摘はあまり見受けないのですが、既にどこかで議論されているでしょうか。

私個人は、この「避難途中の民」こそが、命を失った民間人のかなりの割合を占めるという「イメージ」を持っています。
(もちろん、南京軍事法廷のカウントする人数に同意しているわけではありません。人数への判断は保留です)
日本軍の戦闘詳報、「揚子江は哭いている」などがそのイメージの根拠です。笠原氏の「南京事件」にもそのような記述がありますが、史料の出典がないのが残念です。

以上、まとまりのない文ですみません。

スミス記者もいますよ。

投稿者: go_belfast 投稿日時: 2003/08/03 13:38 投稿番号: [1845 / 41162]
donchiさん、「ドイツ外交官〜」には、ロイター通信のスミス記者の報告の抜粋が掲載されていますよ。

話変わりますが、「ドイツ外交官〜」の初版は2001年3月です。つまり2年以上前に、顧演説の存在が日本でも明らかになっていたわけですが、にもかかわらず松尾一郎氏のHPは2年間も修正を怠っていることになります。

あと素朴な疑問なのですが、田中氏の言う「120人」のうち、外国人特派員は何人なのか内訳がまったく不明ですね。
日本の従軍特派員は、1937年7月の新聞紙法27条ですべて陸軍の事前検閲が法的に義務付けられているから、報道の自由が保証されていません。したがって、外国人特派員が何人居たかが重要ですが、私にもはっきりした数は判断つきません。

マギー証言

投稿者: yu77799 投稿日時: 2003/08/03 07:39 投稿番号: [1844 / 41162]
最初にご注意申し上げますが、田中正明氏、東中野修道氏あたりの議論は、私には到底真面目なものと思われません。彼らが根拠として出してきた「一次資料」を並べて、間違いの多さに大笑いしながら読む、というのが、正しい読み方だと思います(^^)。

同じ「否定派」でも、板倉氏や「南京戦史」グループあたりの議論は結構真面目なものなのですが、このお二人には十分注意された方がよろしいかと・・・。


さて、「マギー証言の信憑性」に話が移りましたので、一言、申し上げます。

おそらくmaxell3585さんは、極東軍事裁判における「マギー証言」(「南京大残虐事件資料集1   P86以下)、及びマギーの日記(「目撃者の南京事件」所収。ただし省略が多いので、”EYEWITNESSES TO MASSACRE"で原文に当たった方が無難)を、まだお読みではないと思います。

手に入れるのが大変でしたら、例えば山崎豊子さんの「二つの祖国」(中)P431(新潮文庫)以下に、マギーが証言するシーンが出てきます。証言の引用は結構正確ですので、これでも一応の事は足りるでしょう。


以上のものを読んだ上での私の印象は、マギーという方は大変真面目な人物である、ということです。引用部分でも、マギーは何も嘘を言っていません。証言自体も、「聞いた話」なのか「体験談」なのかは、読めばはっきりわかります。

ブルックス弁護人は、あえて「体験談」でないことを浮き彫りにして、証言が法廷に巻き起こした大きなショックを薄めようとする「法廷戦術」を使いました。それだけの話です。


「伝聞」ということに対する私の一般的な認識は、ここに書いておきました。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8503/vautrin.html

>余談になりますが、「南京事件」論議では、「伝聞」であることを材料に証言・記録の信頼性を否定しようとする議論をよく見かけます。

>その信頼性は、証言の状況、証言者の資質、証言内容などで総合的に判断されるべきものであり、「伝聞」であることのみを理由に「信頼できない」かのように扱う議論は、あまりに一方的なものでしょう。


マギー証言の内容に関して言えば、マギーあるいは他の外国人が、被害者またはその関係者から直接に聴取したことが中心です。

細かいところでの間違いはあるでしょうが、大筋では信頼性の高いものである、というのが私の判断です。



繰り返しますが、くれぐれも、田中正明氏の書いたものは、そのまま鵜呑みにせず、必ず原典を当たって自分の目で確認することをお勧めします。

(120人云々もそうですが、面倒なので省きます。彼らが実際に何を証言しているのか、確認してから投稿した方がいいと思いますよ)

丁寧な書き込みですね

投稿者: maxell3585 投稿日時: 2003/08/03 07:08 投稿番号: [1843 / 41162]
>そして、「マギー牧師の解説書」に見られる通り

マギー牧師とは、東京裁判でサントン検察官の直接訊問に答え、二日間に亘って日本軍の不法行為などを証言したが、ブルックス弁護人の反対訊問で、殺人一件、強姦二件、強盗一件を除いては、すべて伝聞証言であった事が明らかになった、お方ですね。

そのマギー証言を根拠にしておられるわけですか・・・

>さて、今度はmaxell3585さんの番ですね。もし、東中野氏のように「安全区外は無人地帯」である、と主張するのであれば、そのことを証明してみて下さい。無理でしょうけど(^^)。

yu77799さんの言うとおり、安全区外が無人だとするのは無理があるのではないでしょうか。

読みやすく説得力のある投稿ですね。

最後が切れました

投稿者: yu77799 投稿日時: 2003/08/03 06:41 投稿番号: [1842 / 41162]
*実際問題として、「スマイス調査」規模の、「6600人」あるいは「1万2000人」、あるいは板倉氏のように「24000人、うち不法殺害8000人から12000人」という規模の「民間人虐殺」を想定するのであれば、「人口論」など、問題になりません。ほとんど「誤差の範囲」での議論ですから。

私の「民間人虐殺数」の認識については、正直に「わからない」と申し上げておきます(^^)

安全区外の居住住民

投稿者: yu77799 投稿日時: 2003/08/03 06:31 投稿番号: [1841 / 41162]
まず確認しておきますが、「人口論」は、「否定」側が、「南京の人口は20万人だからこれ以上の虐殺はありえない」として持ち出してきたものです。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8503/jinkou.html

従って、「肯定」側は、「南京市の人口が何人であったか」を証明する必要はありません。「南京の人口は20万人だったとは言えない。安全区外、城外に、それなりの人口が存在しなかったとは言えない」ということを説明できれば、それで必要十分です。なお、「20万人ということはないが、何人だったかはよくわからん」というのが、私の考えです。



でもそれで終わってもつまりませんので、あえて私の「イメージ」を言いましょう。

南京陥落時の「安全区」人口が20万から25万の間であったことは、かなりの確度を持っていえると思います。問題は「安全区外」の「人口」ですが、「郷区」人口が戦前15万人だったこと、南京城内からの避難民の存在、城内残留人口等を考慮すれば、まあ断言はできませんが、5万人から15万人の間と考えれば、そう極端な間違いではないでしょう。(「虐殺数」の議論は、また別の問題です)


「安全区外の住民」証言は、「宝塔街」の8000人〜2万人規模の「キャンプ」以外にも、外国人側、日本側とも、結構存在します。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8503/anzentitaigai.html

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8503/nousonbu.html


そして、「マギー牧師の解説書」に見られる通り、「城内南部」での被害証言も少なからず存在します。これはマギーが被害者から直接聴取したものであり、細部の間違いはあるとしても、概ねのところでは信頼性の高いものであると考えられます。(今日アップのコンテンツです(^^))

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8503/anzentitaigai2.html


さて東中野氏は、上記データを無視して、「安全区外は無人地帯」と断言しました。どれだけアホなことを言っているかは、次をご覧下さい。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8503/higasinakano92.html


中国側証言などを見ると、どうやら、南京陥落後に「城外」や「城内」から「安全区」に移った難民が多数存在していたようです(ソースは「この事実を・・・」ですので、もしご関心があれば一読を)。ラーベなどの認識も、その事実を裏付けます。

(なお余談になりますが、南京陥落から一定期間経過後は、「虐殺」と「生き残りの安全区流入」により、少なくとも「城内」に関する限り、安全区外は「事実上の無人地帯」となっていた可能性が高い、というのが、私の考えです)


なお、私の認識である最低の「5万人」というのは、「掴み」のものであるに過ぎません。ただし、スマイスの認識による民間人犠牲者1万2000人あるいは6600人(これは「城内」とその周辺」に限った最低限のものです。「南京市」の被害者数は、おそらくもっと多い)、下関のキャンプに残留した8000人から20000人、その他浦口や下関に残留した人数(金丸軍曹の手記にも出てきますね)、安全区へ流入した人数を考えると、「最低5万人」というのは、そう間違った認識ではない、と思っています。



さて、今度はmaxell3585さんの番ですね。もし、東中野氏のように「安全区外は無人地帯」である、と主張するのであれば、そのことを証明してみて下さい。無理でしょうけど(^^)。

念のためですが、最初に書いた通り、「安全区外にかなりの人口が存在したとは断言できない。従って安全区外は無人地帯である」という論法では、ダメですよ。最低でも、「郷区」人口15万人がそこにはほとんど残留していなかったこと、安全区外に「避難民」が存在していなかったことの「証明」が必要です。「証明責任」は、「否定側」にあるのですから。


・・・できれば私のHPをご覧いただいた上で発言していただけませんか?   私もいちいち説明するのが面倒ですので(^^)


*実際問題として、「スマイス調査」規模の、「6600人」あるいは「1万2000人」、あるいは板倉氏のように「24000人、うち不法殺害8000人から12000人」という規模

根拠無き虐殺

投稿者: maxell3585 投稿日時: 2003/08/03 03:14 投稿番号: [1840 / 41162]
>判りません。「いる」ことを示す史料も、「いない」ことを示す史料もみたことがありません。

確かに特派員は119人だったかもしれないし、121人だったかもしれまんせん。

しかし南京大虐殺などというような記事が、ダーディンら以外の特派員から流布された事実はあるでしょうか?

身元のわからない捏造写真は、山ほど出回っているらしいですけどね。

特派員から虐殺を示す写真が出されたことは?南京虐殺が国際問題になったことは?

それらの疑問を裏付ける、URLを出しておきましょう。

「人権にやかましい欧米の政府やマスコミが、何10万の大虐殺を見逃すはずがない。当時、国際連盟は「対支援助小委員会」までつくり日本の軍事行動を監視したが、当時、南京・広東等の戦闘で、日本軍が絨毯爆撃をしたと非難決議したが、南京虐殺事件などは話題にものぼっていない。わずか2人の記者が日本軍の暴行を記事にしたが、各国の大新聞が、南京でおこったはずの「大虐殺」を報じ、非難した形跡が全く残されていないのはどういうわけであろうか。

言うまでもなく、当時日本軍と戦ったのは、蒋介石率いる国民党政府とその軍隊である。この軍司令官兼軍事委員長の何応欽(カオウウキン)上将がまとめた軍事報告書がるが、これは実に詳細を極めており、南京戦での死傷者は将校・下士官兵に分けて10の単位まで些細に戦闘状況を記録した第一級の公的史料である。
  しかしここでは、「(12月)12日…ついに南京放棄を下命した。敵は13日我が南京城を占領した」と報告があるだけで、虐殺やそれを匂わす記述は一切ない。
  では、当時の中共軍や中国共産党の記録はどうか。当時の中共の『軍事雑誌』1938年6月20日刊行第109に初めて南京の戦闘記録がでてくるが、こでは、蒋介石や何応欽が部下を置き去りにして南京を放棄したことを非難しているだけ。
  もし大虐殺が行われていたら、これこそ絶好の抗日宣伝の材料として戦闘を煽ったであろうが、南京虐殺にはなにも触れていない」

http://www.kokusairinri.org/database/27.html

大虐殺があったと言うのなら、その根拠を示しましょう。

言い直すそのわけは

投稿者: maxell3585 投稿日時: 2003/08/03 02:03 投稿番号: [1839 / 41162]
>あれ?論点そのものが変わっていないのなら、何で「言い直す」のですか?

1776でも指摘されていますが、あなたは身の無い揚げ足取りのみに執着する、有名な方ですね。

>そういう状態では、同意も反論もできないではありませんか。

くだらない揚げ足取りと言う認識が間違っているのなら、あなたの質問が、御自分で立証できる有用な議論の必然性である証拠を示して下さい。

ダーディンを含む二名の特派員の他に、虐殺を目撃した特派員はいるのかどうかは答えられますか?

>>冷静になってください

投稿者: donchikochi 投稿日時: 2003/08/03 01:56 投稿番号: [1838 / 41162]
>それで、ダーディンを含む二名の特派員の他に、虐殺を目撃した特派員はいるのかどうかは答えられますか?

判りません。
「いる」ことを示す史料も、「いない」
ことを示す史料もみたことがありません。

そもそも、ダーディンら2名以外に、何人の特派員が居たのか、私には判りません。
それが判るような「史料」を読んだことがないので。

じゃあ、何で「言い直す」の?

投稿者: donchikochi 投稿日時: 2003/08/03 01:49 投稿番号: [1837 / 41162]
>>>ダーディンを含む二名の特派員の他に、虐殺を目撃した特派員はいるのですか?

>>あれ?何で言い直すのですか?なぜ、言い直す理由をはっきり書かないのですか?

>論点そのものは変わっていませんが、不都合でも?

あれ?論点そのものが変わっていないのなら、何で「言い直す」のですか?

言い直す必要を感じたから、書き直したのでしょ?
言い直した理由を、述べてください。



>>120人という田中氏の認識の「ソース」を提示できない、ということでしょ?

>120人いたと言う記述のソースは提示しましたが、

私が提示を求めたのは、『田中氏が「120人」と述べる根拠となった史料』。#1826を見てね。

それに対しあなたが提示したのは「田中氏の記述」。
でも、私が提示を求めているのは「田中氏の記述の根拠(となる史料)」。
だから、あなたは「ソース」を提示していないの。

いま私は、田中氏の言っていること(120人)の信憑性を検証しようとしているの。
で、彼が「何を根拠に」言っているのか不明では、その信頼性を検討しようがないですか。
そういう状態では、同意も反論もできないではありませんか。

>冷静になってください

投稿者: maxell3585 投稿日時: 2003/08/03 01:46 投稿番号: [1836 / 41162]
>それに、私は同演説は先に紹介した本で読みました。私は、それが転載されているHPのURLは知りません。知らないからURLを紹介することなどできません。

それもそうですね、失礼。

でもこれで「被害者だ、こんなの相手にしてられん!」ってキレないで下さいよ?

これも肯定派の常套手段ですので。

それで、ダーディンを含む二名の特派員の他に、虐殺を目撃した特派員はいるのかどうかは答えられますか?

冷静になってください

投稿者: donchikochi 投稿日時: 2003/08/03 01:12 投稿番号: [1835 / 41162]
>ネット上で提示できる文献ならば、どうしてここで提示できないのでしょうか?

go氏に聞いてください。
私は提示しましたが。

>意図的に史料を隠蔽しながら紹介したのだとしたら、それは議論に対する貴方や彼の姿勢を明確に表しているといえますね。

go氏はともかく、なぜ私の姿勢が表れるのでしょう。
私が顧代表演説の問題で発言したのは#1827「非難演説の出典」が最初です。最初から出典を紹介しています。
演説の内容は既にgo氏が#1813で紹介しており、重複して掲載する必要ないでしょ?

それに、私は同演説は先に紹介した本で読みました。私は、それが転載されているHPのURLは知りません。知らないからURLを紹介することなどできません。

冷静になってください。

このトピ

投稿者: toku_teku_muda_tate_chan 投稿日時: 2003/08/03 01:01 投稿番号: [1834 / 41162]
「南京」と「従軍」は分けて議論した方がいいんじゃない?

南京は今、2チャンでやってるよ

肯定派論法

投稿者: maxell3585 投稿日時: 2003/08/03 00:34 投稿番号: [1833 / 41162]
>そして、全ての文献の内容がHPに転載されているわけではありません。

確かにそうですね。

>歴史学の議論では文献史料の出典を提示することがソースの提示であり、HPのURLを出すことがソースの提示ではありません。

↓しかし彼はこう発言しているのですよ。

「どうせだから、有名な否定派・鳩さんのサイトから転載してあげよう」

ネット上で提示できる文献ならば、どうしてここで提示できないのでしょうか?

意図的に史料を隠蔽しながら紹介したのだとしたら、それは議論に対する貴方や彼の姿勢を明確に表しているといえますね。

>>ダーディンを含む二名の特派員の他に、虐殺を目撃した特派員はいるのですか?

>あれ?何で言い直すのですか?なぜ、言い直す理由をはっきり書かないのですか?

論点そのものは変わっていませんが、不都合でも?

>120人という田中氏の認識の「ソース」を提示できない、ということでしょ?

120人いたと言う記述のソースは提示しましたが、それに異論があるなら是非反論して下さい。

>「max氏は「120人」のソースを提示できない」異論はありますか?

donchikochiさんは、120人いたとする記述そのものに反論するソースを提示できない。

異論はありますか?

>論点をコロコロ変えないで、一つ一つ決着させたほうがいいと思いますが。

田中氏の主張への明確な反論で、是非決着させて下さい。それと南京虐殺は、国際問題になったのですか?(これも一連の重要な論点ですね)

>歴史学とは無関係に「ソース」を定義するのなら、ご勝手に。ただし、誰にも相手にされないと思いますが。

自分から言っておきながら、主張を裏付けるURLが出せないから逃げてしまうのは、南京虐殺肯定派の方の常套手段なのですよ。

結局「ソース」提示できないの?

投稿者: donchikochi 投稿日時: 2003/08/03 00:09 投稿番号: [1832 / 41162]
>>>120人の特派員がいながら、なぜダーディンを含む二人しか虐殺を目撃していないんだ?

>>120人の特派員が居た、という「ソース」は自分で提示しないの?

>それでは言い直しましょうか。

>ダーディンを含む二名の特派員の他に、虐殺を目撃した特派員はいるのですか?

あれ?何で言い直すのですか?
なぜ、言い直す理由をはっきり書かないのですか?

つまり、120人という田中氏の認識の「ソース」を提示できない、ということでしょ?

「max氏は「120人」のソースを提示できない」
異論はありますか?

論点をコロコロ変えないで、一つ一つ決着させたほうがいいと思いますが。

ソースとはHPのこと?

投稿者: donchikochi 投稿日時: 2003/08/03 00:00 投稿番号: [1831 / 41162]
>ちゃんと閲覧者にも見れる、まともなHPのURLを一つでも彼は出しましたか?

あなたの言う「ソース」とは、HPのことですか?

>それが無ければ、あなたの「顧・中華民国代表の演説は「ドイツ外交官の見た南京事件」(石田勇治翻訳・編集)の資料40に掲載されていますよ」の書き込みも、彼の口先だけと「同レベル」なのです。

あなたが「同レベル」と認識するのは、勝手です。

しかし、歴史の議論においてはHPが「ソース」ではありません。「ソース」とは、第一義的には文献史料です。
そして、全ての文献の内容がHPに転載されているわけではありません。

したがって、歴史学の議論では文献史料の出典を提示することがソースの提示であり、HPのURLを出すことがソースの提示ではありません。

歴史学とは無関係に「ソース」を定義するのなら、ご勝手に。
ただし、誰にも相手にされないと思いますが。

分かってないようですが

投稿者: maxell3585 投稿日時: 2003/08/02 23:16 投稿番号: [1830 / 41162]
>ところでgo氏は、「ドイツ外交資料」と書いていますから、不完全とはいえmax氏よりはまともな「ソースの提示」という考え方もあるでしょう。

随分苦しい言い訳で(笑)

それでは言い直しましょうか。

ちゃんと閲覧者にも見れる、まともなHPのURLを一つでも彼は出しましたか?

それが無ければ、あなたの「顧・中華民国代表の演説は「ドイツ外交官の見た南京事件」(石田勇治翻訳・編集)の資料40に掲載されていますよ」の書き込みも、彼の口先だけと「同レベル」なのですよ。

>>120人の特派員がいながら、なぜダーディンを含む二人しか虐殺を目撃していないんだ?

>120人の特派員が居た、という「ソース」は自分で提示しないの?

それでは言い直しましょうか。

ダーディンを含む二名の特派員の他に、虐殺を目撃した特派員はいるのですか?

当時の南京にいた特派員は二人だけですか?

「12月13日の陥落と同時に入城した新聞・雑誌社の特派員やカメラマン(外人記者5人を含む)は約120人もいた。そのほか占領直後に入城した大宅壮一、西條八十、草野心平、小林秀雄、石川達三、林芙美子といった著名は評論家、詩人、作家など10数名が取材に当たっているが、誰一人として死体の山も血の河も集団殺人場面も見ていない。   現在の教科書では「国民には知らされなかった」とあるが、当時の軍も政府も、箝口令(カンコウレイ)などひいてはいない。記事も写真も自由だった」

↑つまり、なんでもいいからこの記事を信じたくないだけなのですね?

その割に、田中正明の主張そのものに対する反論もなされていませんね。

>ちなみに、「田中正明がそう述べていた」というのは、ソースとは言わないと思いますよ。

>田中氏が「120人」と述べる根拠となった史料(一次だか二次だかはわかりませんが)のことを、ソースと言うのではないでしょうか。

それなら顧・中華民国代表の演説したというだけで、ニューヨークタイムズの記者の記事も正しいとは言えませんね。

そのURLは未だ出されていませんが。

>人のことをどうこう言う前に。「ソース」を提示しましょう。

俺もあなたに対して同じ事を考えていますよ。

>>ご自分のソースの提示は?

投稿者: donchikochi 投稿日時: 2003/08/02 22:25 投稿番号: [1829 / 41162]
>まともなソースを一つも出せない誰かさんにも、出来るものなら同じ質問をしてあげなさい(笑)

だから、120人居たということを示すソース(史料)は?
maxさんも、「ソース」は提示していないのですよ。人のことをどうこう言う前に。
「ソース」を提示しましょう。

ところでgo氏は、「ドイツ外交資料」と書いていますから、不完全とはいえmax氏よりはまともな「ソースの提示」という考え方もあるでしょう。

>ご自分のソースの提示は?

投稿者: maxell3585 投稿日時: 2003/08/02 22:12 投稿番号: [1828 / 41162]
まともなソースを一つも出せない誰かさんにも、出来るものなら同じ質問をしてあげなさい(笑)

非難演説の出典

投稿者: donchikochi 投稿日時: 2003/08/02 22:11 投稿番号: [1827 / 41162]
顧・中華民国代表の演説は「ドイツ外交官の見た南京事件」(石田勇治翻訳・編集)の資料40に掲載されていますよ。

ということは、
「南京大虐殺に関係する事例は全く存在しなかった」という田中正明の認識は誤りだった、ということのようですね。

go氏は怒るかもしれないけど、「ソース」にこだわっていてもしょうがないでしょう。

ご自分のソースの提示は?

投稿者: donchikochi 投稿日時: 2003/08/02 21:54 投稿番号: [1826 / 41162]
>120人の特派員がいながら、なぜダーディンを含む二人しか虐殺を目撃していないんだ?

ソースという言葉がお好きのようですが。
120人の特派員が居た、という「ソース」は自分で提示しないの?

ちなみに、「田中正明がそう述べていた」というのは、ソースとは言わないと思いますよ。

田中氏が「120人」と述べる根拠となった史料(一次だか二次だかはわかりませんが)のことを、ソースと言うのではないでしょうか。

訂正ついでに

投稿者: maxell3585 投稿日時: 2003/08/02 21:35 投稿番号: [1825 / 41162]
>120人の特派員がいながら、なぜダーディンしか虐殺を目撃していないんだ?

120人の特派員がいながら、なぜダーディンを含む二人しか虐殺を目撃していないんだ?に訂正。

>ところがmaxさんのほうは、「城外無人論」を持ち出してきて、「城内は平和=南京は平和」というロジックを出してきました。

論点を拡散させるより、やるべき事があるんじゃないのかな?(笑)

ま、出来なきゃ出来ないでもいいしね。

>新しいコンテンツを明朝アップ予定ですので、それからお答えすることにしましょう。

ソース付で是非是非♪

知ってて聞いていませんか(笑)

投稿者: yu77799 投稿日時: 2003/08/02 20:39 投稿番号: [1824 / 41162]
>ゆうさんは「城外無人論」に対してはどのように対処されていますか?


新しいコンテンツを明朝アップ予定ですので、それからお答えすることにしましょう。

いや実は、今日は既に、缶ビール1本、ワイン2杯、ウイスキーダブルで2杯、缶チュウハイ1杯が入っておりまして(飲み過ぎだ(^^; )、ちょっと投稿できる状態にありませんので・・・。

ゆうさんへ(付け足し)

投稿者: go_belfast 投稿日時: 2003/08/02 20:23 投稿番号: [1823 / 41162]
というわけで、Fさんの相手に辟易したら、このトピにも顔を出してください、と勝手なお願いをするのでありました(笑)

ゆうさん、お久しぶりです。

投稿者: go_belfast 投稿日時: 2003/08/02 20:20 投稿番号: [1822 / 41162]
ゆうさん、お久しぶりです。
具体的な面積データ、ありがとうございます。

>「面積」についての「議論」は終わったようですが

ところがmaxさんのほうは、「城外無人論」を持ち出してきて、「城内は平和=南京は平和」というロジックを出してきました。
この論点、私にとってはFさんとの議論でさんざやった論点ですが、正直言って飽きました(苦笑)。

普段の私ですと、このトピでもtakashiさんやらmaxさんが論拠にしてくる松尾一郎氏のHPに、宝塔橋街の住民・難民の存在が記載されているということを論拠に、ラーベらの「城外無人論」は正しくない、という論を述べるのですが、ゆうさんは「城外無人論」に対してはどのように対処されていますか?

>反論してみな。

投稿者: maxell3585 投稿日時: 2003/08/02 12:06 投稿番号: [1821 / 41162]
>中国側のいう事件の範囲は、南京市全域。

>写真を根拠に「平和」だとされるのが、南京市の一部の城内。(面積にして10%以下)

>城内だけ平和と主張してもあまり意味がない。

陥落5日前、全城門が閉ざされ、南京防衛軍司令官唐生智は城内の全市民にたいして安全地帯に避難するように命じた。こうして安全地帯は「寿司詰め」となった。安全地帯の外は、ラーベやティンパーリや日本軍が記すように、「無人地帯」となった。つまり、安全地帯の人口が陥落直前の南京の人口と言ってよかった。

では陥落直前の人口と陥落後の人口はどうであったのか。陥落半月前11月28日、「ここ南京には未だ20万人が住んでいる」(ラーベ日記69頁)と王固磐警察庁々長が発表していた。陥落後、5日目のこと、国際委員会の9号文書(P17)は食料不足のため「20万人市民の多くを如何に餓死から守るか困難だ」と記していた。陥落10日後の24日から住民登録が開始され、ラーベ委員長は12月27日付けの26号文書に「20万人市民」と明記し、署名していた。
  つまり「将来は20万」という予測が、陥落後も、多くの人に追認されていた。大量殺害が生じれば人口は当然減る。ところが陥落直前の人口と、陥落後の人口に、変動はなかったのである。

http://www8.ocn.ne.jp/~senden97/nankinjiken1.html

口先だけの馬鹿が相手だと、やりやすい。

議論も出来ない馬鹿。

投稿者: maxell3585 投稿日時: 2003/08/02 11:34 投稿番号: [1820 / 41162]
>ほらほら、自分で2月1日演説を探して、全文を読むことからとからやり直しな。

ソースを提示出来ない以上、お前の投稿は「口先だけ」なんだがな。

そんな中途半端な投稿を、なんでワザワザ俺がソースを探して補足してやらにゃならん?

馬鹿だからか?

「中国国民党の蒋介石政府は、国際連盟第18回総会(昭和12年8月13日〜10月6日)に北支事変を提訴している。ついで、第100回国際連盟理事会(昭和13年1月26日より)・第101回国際連盟理事会(同年5月9日より)が開催された。この折りにもさまざまな我が軍の軍事行動についての非難を訴えている。しかし、「南京大虐殺」に関係する事例は全く存在しなかった。   支那政府が提訴しなかった理由は、軍政部長何応欽将軍の全国代表者会議への「軍事報告」(昭和12年7月より13年2月まで)の中にも「南京大虐殺」に関係する記述が皆無であることよりみても納得できるところであると、田中正明著『南京事件の総括』(謙光社刊)が詳記している」
  http://www.history.gr.jp/nanking/uesugi.html#03

ソースも出せない口先馬鹿と、実在するソース。どちらを信用すればいいのかね?

>バカ。それは顧代表の演説の一部だよ。彼が記事を引用してるのであって、まぎれもなく演説の一部だ。ちなみに鳩さんはちゃんとそう読みとっている。

じゃあ、言い直してやろうか。

顧代表とやらは、なんでこの回のみの演説でしか、南京虐殺に触れなかったんだ?

その代表がダーディンの記事を引用し。実際に何千何万と民間人の死傷者が出たのなら、なんで南京虐殺は国際問題にさえなってない?

120人の特派員がいながら、なぜダーディンしか虐殺を目撃していないんだ?

>城内だけ平和と主張してもあまり意味がない。

虐殺は全部、城外で行われたってか?(笑)

そういえば、清野作戦で南京周辺を焼き払ったのは中国軍だったっけなぁ?

反論してみな。

投稿者: go_belfast 投稿日時: 2003/08/02 11:02 投稿番号: [1819 / 41162]
で、写真のことは理解できたのか。

中国側のいう事件の範囲は、南京市全域。

写真を根拠に「平和」だとされるのが、南京市の一部の城内。(面積にして10%以下)

城内だけ平和と主張してもあまり意味がない。

史料を読めないバカ。

投稿者: go_belfast 投稿日時: 2003/08/02 10:58 投稿番号: [1818 / 41162]
バカ。それは顧代表の演説の一部だよ。彼が記事を引用してるのであって、まぎれもなく演説の一部だ。
ちなみに鳩さんはちゃんとそう読みとっている。

顧代表の演説の中で、ニューヨークタイムズが引用されている、ということも読みとれないバカが、一人いるようです。

※ほらほら、自分で2月1日演説を探して、全文を読むことからとからやり直しな。

参考までに

投稿者: yu77799 投稿日時: 2003/08/02 09:25 投稿番号: [1817 / 41162]
「面積」についての「議論」は終わったようですが、今後も必要となる数字かもしれませんので、一応案内しておきます。


世田谷区の面積   58.08k㎡   (世田谷区のHPより)

「南京市」(郷区を含む)   474.61k㎡   (市来「南京」P10)

「南京城内」   約35k㎡   (「南京戦史」P33)

「安全区」   3.86k㎡   (「南京戦史」P36)


「南関東ほどにも広大な」「南京特別市」については、すぐに資料が見つかりませんでしたので、もう少し探してみます。

しかし「世田谷区」って、二十三区では最大の面積で、感覚的には結構広かったと思いますよ。「南京城内」が「世田谷区より狭い」ことを「南京が狭かった」ことの「説明」に使うのは、かえって逆効果のような気がします。

有害論者

投稿者: maxell3585 投稿日時: 2003/08/02 07:06 投稿番号: [1816 / 41162]
投稿者の意図をねじまげた上で、全く的外れな揚げ足取り。

さらに「反論」出来るといいながら、それが自分に不利な情報だから情報隠蔽。

そして最後は火病発病。

事実を明らかにしようとする論者としては「最悪」だな。

>ほらほら、教えてやるよ。

投稿者: maxell3585 投稿日時: 2003/08/02 05:58 投稿番号: [1815 / 41162]
>ソースを提示する必要もないということさ。

だろうね(笑)

>『ニューヨークタイムズ』紙特派員の記事を紹介すれば十分でしょう

↑これって、もしかしてダーディンのことか?

スマイス報告で少なくても民間人被害者が2400人と記されていると言う、ダーディン記者が新聞で米国に報じた南京虐殺。

反日プロパガンタを最大限に利用していた中国共産党も、それに強く影響されていた国際連盟の決議も、蒋介石も再三   日本を厳しく非難しているのにも関わらず。

南京虐殺について全く言及していなかったのは何故か?

と、前もって言ってるんだけどな?

ダーディンがこの記事を書きながら、なんで南京虐殺は国際問題にさえなってない?

これじゃソースを提示できないわけだ・・・。

>事件の範囲は、ほぼ南京市全域。

>空間範囲を知らないバカが、一人(二人?)いました。

日本軍による虐殺があったかどうかを、日本軍による虐殺があったという前提で論じてる馬鹿もいたけどな。

>※2月1日の演説を読んだこともないのに「非難は存在しない」と断言するバカが一人いました。

投稿の意味も分からずダーディンの記事を根拠にしたなら、ダブル馬鹿か。

故意にやってるのなら、トリプル馬鹿だな。

まとめ。本日のバカ・無知。

投稿者: go_belfast 投稿日時: 2003/08/02 05:33 投稿番号: [1814 / 41162]
写真の件。
(中国側のいうところの)事件の範囲は、ほぼ南京市全域。
その一部(城内)の写真を見せても、反論にはならない。

※空間範囲を知らないバカが、一人(二人?)いました。

演説の件。
顧維均は南京に言及しているねぇ。

※2月1日の演説を読んだこともないのに「非難は存在しない」と断言するバカが一人いました。


このようなバカは、良心的な否定派・小虐殺派の人間にとっては、さぞ迷惑でしょう。

ほらほら、教えてやるよ。

投稿者: go_belfast 投稿日時: 2003/08/02 05:23 投稿番号: [1813 / 41162]
>どうせ国際連盟総会で「南京虐殺を非難している」というソースも出せないだろ?

君のように「自分で読みもせずに断定する」バカには、ソースを提示する必要もないということさ。

でも教えたろ、「ドイツ外交資料」と。
一部だけ紹介してやるよ。バカにも判るように。
どうせだから、有名な否定派・鳩さんのサイトから転載してあげよう。

…引用始め…
「さらに、高い軍紀を誇りにしてきた日本兵が占領地で繰り広げる残虐で野蛮な行為は、
戦火に打ちひしがれた民衆の艱難辛苦をさらにいっそう増大させ、礼節と人道に衝撃を与えています。
あまりに多くの事件が中立国の目撃者によって報告され、外国の新聞で報道されているので、
ここでいちいち証拠をあげるには及ばないでしょう。
ただ、その一端を物語るものとして、日本軍の南京占領に続いて起こった恐怖の光景にかんする
『ニューヨークタイムズ』紙特派員の記事を紹介すれば十分でしょう
[中略]大がかりな略奪、強姦される女性、市民の殺害…」
(国際連盟理事会第6回議事録   1938年2月1日   顧維均中華民国代表の演説)
…引用終わり…

さあ、これが本当に2月1日の演説の一部なのかどうかは、自分で確かめなさい。ガンバってね(笑)
でも、あのHPの内容は全く無批判に受け入れるmaxelさんのことだ、この引用も全く無批判に受け入れるに違いない(笑

少し訂正

投稿者: go_belfast 投稿日時: 2003/08/02 05:06 投稿番号: [1812 / 41162]
>>南京軍事法廷で虐殺が行われた範囲は以下のリンク参照。

ごめん。
「南京軍事法廷で虐殺が行われたと認識された範囲は以下のリンク参照」。

に訂正。
いずれにしても、南京事件は南京市全域で行われたというのが1947年時点での中華民国の認識だから、それに対して「城内は平和だった」という証拠をいくら積んでも、反論になってないのだよ。

世田谷区が平和だったという証拠をいくら積み上げても、新宿区や墨田区や江東区が平和だったという証拠になるわけない。

もういいよ

投稿者: maxell3585 投稿日時: 2003/08/02 04:58 投稿番号: [1811 / 41162]
どうせ国際連盟総会で「南京虐殺を非難している」というソースも出せないだろ?

口先だけってことだ。

>当時の南京は世田谷区よりも狭く、城門を閉ざされると逃げ場もありませんでした。

これを読めば論じてる範囲は城門内の南京市内なのは一目瞭然だが、なんで範囲を城外まで勝手に拡大して文句をいっている?

>南京軍事法廷で虐殺が行われた範囲は以下のリンク参照。

虐殺の範囲?虐殺があったかどうかが問題なのに、なんで虐殺があったという前提で話をしてるんだ?

馬鹿か?
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