「イメージ」で語る人口論
投稿者: maxell3585 投稿日時: 2003/08/04 22:00 投稿番号: [1848 / 41162]
それではツッコミ入れておきましょうか。しかし南京虐殺肯定派の方がURLを出すのは素晴らしい進歩だと思ったのですが、見れば全部ご自分のHPとは・・・(汗)
>でもそれで終わってもつまりませんので、あえて私の「イメージ」を言いましょう。
>まあ断言はできませんが、5万人から15万人の間と考えれば、そう極端な間違いではないでしょう。
>「残留人数」は、数える人などいようはずもなく、今となっては全く不明です。しかし以上の資料を総合すると、少なくとも「安全区外の城内」を「無人地帯」と断定することはできないようです。(HPから拝借)
「安全区外の城内」を「無人地帯」と断定することはできないと言う控えめな記述の一方では、避難民や城内残留人口等があるからと人口が五万から十五万も増大する(かもしれない)と論じるわけですか。
実に肯定派に都合の良い、かつ大雑把な「イメージ」ですね。
「住民の中には調査員の手の届かぬ所に暮らしていた者もあった」と言う認識の上で人口調査したスマイスでさえ、そんな大雑把な人口修正は行いませんでしたが。
また所々でダーディンの記事を根拠にあげているようですが、国際会議の演説で引用されたにも関わらず、その後は国際会議で完全に無視されて国際問題にすらならなかった程度の信憑性の記事を根拠に語ってるのですか?
南京の人口25万という数字は1月中旬までに行なわれた日本軍の住民登録から推計したもので、南京陥落後の生存人口数と考えてよいでしょう。
この25万には (南京陥落時には存在しなかった)城外からの避難民と城外の住民が含まれているので、 陥落時の人口よりは膨れていると考えられます。結果として最大値として扱うのが妥当であり、実際にスマイスは陥落時の人口の最大値として25万を採用しています。
陥落後の生存人口25万は大規模な人口増減がないという前提であれば、そのまま陥落時の人口として見る事が可能です。
しかしスマイスは、調査報告において生存人口25万を陥落時の人口とはしませんでした。それは何故かというと、1月中旬に推計した25万は日本軍の住民登録からの推計であり、城外の人口も含まれていたから、実際に安全区に収容した人数は25万よりも少なかったということに気がついたのです。このことは戦争被害調査(スマイス調査)で判明したものと思わます。
戦争被害調査の段階でスマイスが調査できた市部人口は22万1150人にすぎませんでした。安全区に25万人を収容していたにしては少ないのですね。若干の人口流出はあったでしょうが、それよりも流入が多く人口は増加したとスマイスは語っています。
調査が行なわれた3月には城門の通行も自由化され城外から帰来した住民も居るはずなので、市部人口の22万はちょっと少ないと考えたのではないでしょうか。それらを考慮して「生存人口25万=陥落時の人口」という記述を避けて、20万〜25万という幅をもった記述にしたものと考えられます。
以上のことから、南京陥落から一貫して、スマイスは史料の上では人口が減少したという認識はなかったことが判明します。仮に「数万市民の大量殺戮」があったとしても、「南京の人口を調査したスマイスは知らなかった」ということになるでしょう。
スマイスの虐殺肯定の発言が「発見された」と言う方もいるようですが、スマイス調査を覆すような調査が行なわれたという資料が無い以上、現状ではスマイス報告の統計資料を明確に否定することは無理なのですよ。
>実際問題として、「スマイス調査」規模の、「6600人」あるいは「1万2000人」、あるいは板倉氏のように「24000人、うち不法殺害8000人から12000人」と
いう規模
スマイス本人が出した数値は6600であり、上記にかかれているそれ以降の数値は、後の研究者が付け足したものですね。
つまりスマイス本人の調査範囲の認識を故意に拡大したのが、現在の肯定派が主張している「南京虐殺の範囲」と言う事になります。
スマイス博士の史料より、自分の「イメージ」の方が正しいって?そうですか(笑)
http://members.tripod.co.jp/NankingMassacre/mondai/nankin.html#smythe02
>でもそれで終わってもつまりませんので、あえて私の「イメージ」を言いましょう。
>まあ断言はできませんが、5万人から15万人の間と考えれば、そう極端な間違いではないでしょう。
>「残留人数」は、数える人などいようはずもなく、今となっては全く不明です。しかし以上の資料を総合すると、少なくとも「安全区外の城内」を「無人地帯」と断定することはできないようです。(HPから拝借)
「安全区外の城内」を「無人地帯」と断定することはできないと言う控えめな記述の一方では、避難民や城内残留人口等があるからと人口が五万から十五万も増大する(かもしれない)と論じるわけですか。
実に肯定派に都合の良い、かつ大雑把な「イメージ」ですね。
「住民の中には調査員の手の届かぬ所に暮らしていた者もあった」と言う認識の上で人口調査したスマイスでさえ、そんな大雑把な人口修正は行いませんでしたが。
また所々でダーディンの記事を根拠にあげているようですが、国際会議の演説で引用されたにも関わらず、その後は国際会議で完全に無視されて国際問題にすらならなかった程度の信憑性の記事を根拠に語ってるのですか?
南京の人口25万という数字は1月中旬までに行なわれた日本軍の住民登録から推計したもので、南京陥落後の生存人口数と考えてよいでしょう。
この25万には (南京陥落時には存在しなかった)城外からの避難民と城外の住民が含まれているので、 陥落時の人口よりは膨れていると考えられます。結果として最大値として扱うのが妥当であり、実際にスマイスは陥落時の人口の最大値として25万を採用しています。
陥落後の生存人口25万は大規模な人口増減がないという前提であれば、そのまま陥落時の人口として見る事が可能です。
しかしスマイスは、調査報告において生存人口25万を陥落時の人口とはしませんでした。それは何故かというと、1月中旬に推計した25万は日本軍の住民登録からの推計であり、城外の人口も含まれていたから、実際に安全区に収容した人数は25万よりも少なかったということに気がついたのです。このことは戦争被害調査(スマイス調査)で判明したものと思わます。
戦争被害調査の段階でスマイスが調査できた市部人口は22万1150人にすぎませんでした。安全区に25万人を収容していたにしては少ないのですね。若干の人口流出はあったでしょうが、それよりも流入が多く人口は増加したとスマイスは語っています。
調査が行なわれた3月には城門の通行も自由化され城外から帰来した住民も居るはずなので、市部人口の22万はちょっと少ないと考えたのではないでしょうか。それらを考慮して「生存人口25万=陥落時の人口」という記述を避けて、20万〜25万という幅をもった記述にしたものと考えられます。
以上のことから、南京陥落から一貫して、スマイスは史料の上では人口が減少したという認識はなかったことが判明します。仮に「数万市民の大量殺戮」があったとしても、「南京の人口を調査したスマイスは知らなかった」ということになるでしょう。
スマイスの虐殺肯定の発言が「発見された」と言う方もいるようですが、スマイス調査を覆すような調査が行なわれたという資料が無い以上、現状ではスマイス報告の統計資料を明確に否定することは無理なのですよ。
>実際問題として、「スマイス調査」規模の、「6600人」あるいは「1万2000人」、あるいは板倉氏のように「24000人、うち不法殺害8000人から12000人」と
いう規模
スマイス本人が出した数値は6600であり、上記にかかれているそれ以降の数値は、後の研究者が付け足したものですね。
つまりスマイス本人の調査範囲の認識を故意に拡大したのが、現在の肯定派が主張している「南京虐殺の範囲」と言う事になります。
スマイス博士の史料より、自分の「イメージ」の方が正しいって?そうですか(笑)
http://members.tripod.co.jp/NankingMassacre/mondai/nankin.html#smythe02
これは メッセージ 1841 (yu77799 さん)への返信です.