「避難途中の民」について。>ゆうさん
投稿者: go_belfast 投稿日時: 2003/08/03 14:46 投稿番号: [1846 / 41162]
ゆうさん、さすがです。特に論の進め方が。
まさに「太陽と北風」ですね。
私は議論の進め方が単調なので、勉強しなければと思います。
話題が変わりますが、この1年くらいずっと気になるのが、城外の「住民」ではなく「難民」、正確には「避難途中の民」のことです。
もう少し具体的に言うと、対岸に避難しようと、12日までに下関あたりに滞留していた「避難途中の民」、それから陥落直前に城内から脱出を試みた「避難民」、そういった人たちのことです。
南京軍事法廷の認識する「殺された民間人」の多くは、こういった人たちのようです。
(以下ののサイトに大規模殺害地点の石碑文が掲載されていました)
http://www.mmjp.or.jp/nankin1937/atochi.html#SEC7同認識によると、民間人死者のかなりの割合が南京陥落の13日以降ではなく、12日に長江上等で殺害、あるいは12日までに捕捉され後日殺害ということにあります。(逃亡兵と一緒くたに殺害)
そうすると、もし否定派が「人口」をうんぬんするならば、13日ではなく、市内戦が始まる直前の12月10日の時点の「人口」を吟味しなくては、南京軍事法廷への「反論」たりえない、というのが、私の考えです。
※こういう指摘はあまり見受けないのですが、既にどこかで議論されているでしょうか。
私個人は、この「避難途中の民」こそが、命を失った民間人のかなりの割合を占めるという「イメージ」を持っています。
(もちろん、南京軍事法廷のカウントする人数に同意しているわけではありません。人数への判断は保留です)
日本軍の戦闘詳報、「揚子江は哭いている」などがそのイメージの根拠です。笠原氏の「南京事件」にもそのような記述がありますが、史料の出典がないのが残念です。
以上、まとまりのない文ですみません。
これは メッセージ 1841 (yu77799 さん)への返信です.
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