南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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Re: 南京虐殺なんてないですよ

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/07/12 22:31 投稿番号: [10920 / 41162]
>はい   そうですね   彼等は酷い事をしたのでしょう
>また戦時に戦域を規定して民間人を退去させるのも普通の行為です
>手段に問題があった例はあるかもしれませんし   惨事の可能性は否定しません


そんなもんじゃないよ。
「清野作戦(焦土作戦)」なんて、全くナンセンスだよ。
要するに支那軍は人民のことなんて、全く考えていなかったんだよ。

「清野作戦(焦土作戦)」だけじゃない。
支那軍は、盧溝橋事件の後も、停戦協定を何度も破り、通州事件で日本人居留民約260人を大虐殺し、上海の国際租界の日本人居留区を包囲攻撃し、ホテルやデパートを爆撃して日本軍の仕業に転嫁して宣伝し、細菌をばら撒き、南京に逃げる時も焦土作戦で奪い尽くし焼き尽くし、南京戦でも約1万人が便衣に着替えて避難民の居る安全区に逃げ込み、黄河や揚子江の堤防を決壊させて何十万人もの支那人民を殺し、水害に遭った罹災民を日本軍に救出させておいて日本軍の仕業だと嘘宣伝し、逃げるために毒ガス兵器で住民諸共殺害し、日本軍を悪者に仕立てるために長沙市全域を焼き払い、鉄砲によって食糧などを手当たり次第奪いまくって大量の餓死者を出したんだ。

Re: あった派の論理構造

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/07/12 22:15 投稿番号: [10919 / 41162]
>逃げる敵兵は殺しても良いが   指揮と戦意を失って降伏した者は兵士ではありません
>便衣兵といっても   捉えたのならば手続きに従う(行政的な)べきでした

なんだー。

>>>私は上海から南京に至るまでの間に捕虜の虐殺があった派   です

と言ったのは、支那軍による捕虜殺害の話ではなく、日本軍による捕虜殺害の話だったのか・・・

それはそうと、便衣兵は捕まえたら必ず殺さなければなりません。
便衣兵になっても殺されずに済むなら、支那軍は誰も軍服を着るものが居なくなり、日本軍や支那民間人の犠牲者は増加する一方となります。


>やめようと思えば   日本有利のままに南京でやめられましたよね?
>トラウトマン工作の失敗は大きいですよ

日本は、上海戦の前にも、南京戦の前にも、大幅に譲歩した条件の和平案を提出したんだよ。
蒋介石はそれらを蹴って戦争を続けたのだから、日本としては戦う以外に道はなかった。
南京戦の後の和平案だって、首都を占領したから少しは戦勝国らしい条件にしただけで、別に領土を要求したわけでもなかった。
要するに蒋介石は、何が何でも戦争を続けるつもりだったんだよ。

Re: 虐殺は嘘11 支那人反日撹乱工作隊1

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/07/12 22:00 投稿番号: [10918 / 41162]
>どうして、
>「虐殺は嘘」と繋がるの?

支那3000年の歴史を見ても、支那事変8年の歴史を見ても、支那の歴史は権力者や軍隊や不法者による人民大虐殺の歴史だ。
たとえ殺人事件があったとしても、犯人不明の事件の場合には支那軍・支那人による犯行と考えるべきなのさ。

Re: 南京虐殺なんてないですよ

投稿者: vf88 投稿日時: 2006/07/12 21:56 投稿番号: [10917 / 41162]
はい   そうですね   彼等は酷い事をしたのでしょう
また戦時に戦域を規定して民間人を退去させるのも普通の行為です
手段に問題があった例はあるかもしれませんし   惨事の可能性は否定しません
しかし   それで日本軍のした事の免罪にはりませんよ
文化大革命時の惨事が免罪されないのと同じですよ

Re: あった派の論理構造

投稿者: vf88 投稿日時: 2006/07/12 21:50 投稿番号: [10916 / 41162]
それは難しいと思いますよ   皆無とはいいませんけどね
日本軍は浸透戦術を使っているので   日本軍が攻撃に転じたら
もう主導権は日本軍側のものでした
上海から南京までは並行進撃ですから   敗走する敵兵を追う形になりますね
逃げる敵兵は殺しても良いが   指揮と戦意を失って降伏した者は兵士ではありません
便衣兵といっても   捉えたのならば手続きに従う(行政的な)べきでした
またそれだけでは無く
やめようと思えば   日本有利のままに南京でやめられましたよね?
トラウトマン工作の失敗は大きいですよ
この件に関しては   陸軍以外の閣僚と近衛と米内などはこの辺でも追求されるべきです
二次大戦では独ソ戦も凄惨でしたね
要するに   他国が違法行為をしたからといって   こちらが免罪されるわけではないのです
相手の違法行為には正々堂々と違法であると言えば良い
この点でもトラウトマン工作の失敗は大きいですよ
この時に処理しておかなかったツケは大きかった   という事でしょう

Re: deli君またCNN小林デマ写真でっか

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/07/12 21:49 投稿番号: [10915 / 41162]
>ええ〜っ、おみやげ残虐写真はいかがぁ〜
>1920年代だよ。スイス人撮影じゃあないよっ
>デマの大元は小林よしのりだよっ!

CNNのサイトのニュースの内容には関心を持ったが、写真には殆ど関心がなかった。
おみやげ写真なら、それでも結構。
ただ、支那事変では、支那軍が日本軍投降兵を一人も捕虜としてマトモに保護せず(反戦兵士を除く)、投降した日本兵を全員惨殺していたのは事実だ。

Re: 少しお伺いしたいのだが (横だが)

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/07/12 21:42 投稿番号: [10914 / 41162]
>しかしデリ君らのような虐殺完全否定派が主張するように十件程度の強姦しか実際にはなく、全て取り締まられた(通報された)というのが本当に正しいのであろうか(※以前に、この七件だか十件だかしか強姦事件がなかったという主張は私は論破したのだけれど、それはさておく)。


寝言を言ってんじゃないよ、ったくー・・・
俺が、いつ、mht2040atクンに論破されたのかね?
ん?
言ってみろ。

俺は、【1938年2月9日付「シカゴ・デイリー・ニューズ」が、7件の強姦の犯人が厳しく処罰されたと報じた。】と勘違いしたことはあったが、mhtクンに論破されたことなどあろうはずがない。

結論として、当時の南京において判明していた日本軍による強姦の件数は、厳格な解釈によって取り締まって7件〜10件前後だ。
そして、殺人は0件だ。

もしかして、10件と10人を混同していないか?
―――――――
塚本法務部長は上海派遣軍法務官として、1937年12月から1928年8月まで南京に在勤した。その間に、何件の事件を扱ったのか。サトン検察官から、そう尋問されて、彼は次のように答えた。
  《10件内外であつたかと思います。(略)10件と申しましたのは1人1件ではございません。1件の中には数人を含む場合も相当あります。》
―――――――



>言うまでもなく、外国人らの主張によれば八千件〜二万件であり、甚だしい乖離がある。

アホか?
八千件とか二万件というのは、ベイツとラーベが述べたことであって、ベイツ自身とラーベ自身の言動において決定的な自己矛盾があるのだから出鱈目宣伝であったことは明白。

Re: 虐殺は嘘11 支那人反日撹乱工作隊1

投稿者: pipopipo555jp 投稿日時: 2006/07/12 21:04 投稿番号: [10913 / 41162]
で、デリ君

君はこういうことがあったから、無抵抗な捕虜を後ろ手に縛って、
無条件に大量に処刑したり、
民間人に残虐行為を働くことが許される、
というのかね。

捕まっても、あるいは敗退しても、
反抗の機会を窺うのは敵ながらアッパレじゃあないか。
処刑はやむをえないが。

只それだけのことだよ。
シナ版『大脱走』

どうして、
「虐殺は嘘」と繋がるの?

deli君またCNN小林デマ写真でっか

投稿者: pipopipo555jp 投稿日時: 2006/07/12 20:51 投稿番号: [10912 / 41162]
>1996年、CNNは、1937年に上海付近で、国際法に違反し支那軍が日本人捕虜や日本に協力した支那人たちを殺しまくったことを紹介した。

「デリ君、デリ君、それはデリート」

でり君、小林よしのり御大がなんかゆってるから、聞いてやっておくれ!

「あのなあ、デマというのは、いつまでも垂流しちゃあいけないのよ。
ばれるまでが花。ばれたあとも何時までも垂流しておくと、
いつのまにか、新しいデマの効き目もなくなっちゃうのよ。」
   (デーマニズム宣言)

ええ〜っ、おみやげ残虐写真はいかがぁ〜
1920年代だよ。スイス人撮影じゃあないよっ
デマの大元は小林よしのりだよっ!
http://web.sfc.keio.ac.jp/~gaou/cgi-bin/mondou/html/026291.html
http://web.sfc.keio.ac.jp/~gaou/cgi-bin/mondou/html/026302.html
http://web.sfc.keio.ac.jp/~gaou/cgi-bin/mondou/html/026325.html

デリちゃんのデマの仕込みは古すぎるよ!

Re: アリソン事件か

投稿者: pipopipo555jp 投稿日時: 2006/07/12 09:26 投稿番号: [10911 / 41162]
>「数件アリ」ですとさ。

うん、

>>憲兵ノ報告ノミニテモ<<

と書いてあるな。飯沼の落胆の様子が手にとるように、よくわかる。


それに、軍首脳にても看過できない大問題。
もしかすると。中国側がいっている「6週間」の根拠は、この事件なのかもしれないぜ。根拠は、上海派遣軍参謀長や陸軍省№2の教育総監にあり、だとすると否定するのは容易ではないな。

====
◆畑俊六教育総監は南京の実情に鑑み、将校・兵員の入れ替え、中支那方面軍の最高司令官である松井司令官の更迭を進言したことを1937年1月29日の日記に記しています。

「支那派遣軍も作戦一段落とともに、軍紀風紀ようやく頽廃、掠奪、強姦類のまことに忌まわしき行為も少からざる様なれば、この際召集予后備役者を内地に帰らしめ、また上海方面にある松井大将も現役者をもって代わらしめ、また軍司令官、師団長などの召集者も逐次現役者をもって交代せしめるの必要あり。この意見を大臣に進言いたしおきたる」(「畑俊六日誌」・・・・笠原十九司「南京事件」より)
======

ところで、強姦の代価を軍票で払い、それが露見することを恐れて米国大使館書記官に暴行を働いた天野郷三中尉は、その後どうなったの?   この人物は、部下達に強姦自慢や陸大卒業とか法螺を吹きまくることで、かなり有名だったようだな(笑)。

少しお伺いしたいのだが

投稿者: mht2040at 投稿日時: 2006/07/12 01:09 投稿番号: [10910 / 41162]
>> こういう事案でも買春として片付けずに日本軍は取り締まりを行っていたことを示している。

>   と書いたんだがね?
>   やっぱりpipoクンにも、この事案は買春に見えるようだな。
>   そりゃ、普通に考えれば「金を与えて兵にも姦淫せしめ居れり」は買春だよな。
>   強姦に金を払う奴はいないだろうからな。

「本夕本郷少佐の報告。米人経営の農具店に二十四日夜十一時頃日本兵来り、留守居を銃剣にて脅し女二人を連行強姦の上二時間程して帰れり、依て訴えに依り其強姦されたりと言う家を確かめたるところ天野中隊長及び兵十数名の宿泊せる所なるを以て、其家屋内を調査せんとしたるに米人二名亦入らんとし、天野は兵を武装集合せしめ逆に米人を殴打し追い出せり。其知らせに依り本郷参謀現場に到り、中隊長の部屋に入らんとしたるも容易に入れず、隣室には支那女三、四名在り強て天野の部屋に入れば女と同衾しありしものの如く、女も寝台上より出て来れりと、依て中隊長を尋問したるに中隊長は其権限を以て交る交る女を連れ来り金を与えて兵にも姦淫せしめ居れりとのこと」

確かに、日本軍は取り締まりを行っていなかったわけではなかったし、例えば上のような天野中隊長の逃げ口上を認めるほど甘くもない、ところもあったのであろう。しかしデリ君らのような虐殺完全否定派が主張するように十件程度の強姦しか実際にはなく、全て取り締まられた(通報された)というのが本当に正しいのであろうか(※以前に、この七件だか十件だかしか強姦事件がなかったという主張は私は論破したのだけれど、それはさておく)。

言うまでもなく、外国人らの主張によれば八千件〜二万件であり、甚だしい乖離がある。既にご承知の通り、岡村寧次の手記(岡村寧次大将史料(上))には、
「一、南京攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行があったことは事実である。」
と記載されているし(いくら何でも十件程度を大暴行とは言わないだろう)、「東京裁判」の被告人側弁護士であった瀧川政次郎が自著(新版   東京裁判をさばく(下))で
「南京市民の日本人に対する恐怖の念は、半歳を経た当時においてもなお冷めやらず、南京の婦女子は私がやさしく話しかけても返事もせずに逃げかくれした。私を乗せて走る洋車夫が私に語ったところによると、現在南京市内にいる姑娘(クーニャン)で日本兵の暴行を受けなかった者はひとりもないという。」
などと書いているように、他にも資料はあるが、ともかく、これらの記述を信じると、到底、厳重に取り締まられていたとは言い難い。たとえ個々の取り締まりそのものが厳しいものであったとしても、実態には到底及ばなかった、と言わざるを得なくなる。


・・・と、少々、生真面目に私自身の考えの一端を書いては見たが、実際のところ、nmwgip君は、南京事件において実際にあった強姦事件は何件くらいと考えているんだね?

虐殺は嘘11 支那人反日撹乱工作隊1

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/07/12 00:57 投稿番号: [10909 / 41162]
(1938年1月4日付)
「元支那軍将校が避難民の中に――大佐一味が白状、南京の犯罪を日本軍のせいに」

ニューヨーク・タイムズ
1月3日上海発
  南京の金陵女子大学に、避難民救助委員会の外国人委員として残留しているアメリカ人教授たちは、逃亡中の大佐一名とその部下の将校六名を匿っていたことを発見し、心底から当惑した。実のところ教授たちは、この大佐を避難民キャンプで二番目に権力ある地位につけていたのである。

  この将校たちは、支那軍が南京から退却する際に軍服を脱ぎ捨て、それから女子大の建物に住んでいて発見された。彼らは大学の建物の中に、ライフル六丁とピストル五丁、砲台からはずした機関銃一丁に、弾薬をも隠していたが、それを日本軍の捜索隊に発見されて、自分たちのものであると自白した。

  この元将校たちは、南京で掠奪したことを、ある晩などは避難民キャンプから少女たちを暗闇に引きずり込んで、その翌日には日本兵が襲ったふうにしたことを、アメリカ人や他の外国人たちのいる前で自白した。

  この将校たちは逮捕された。戒厳令に照らして罰せられ、恐らく処刑されるであろう。



(原文)

(January 4, 1938)
EX-CHINESE OFFICERS
AMONG U.S. REFUGEES
Colonel and His Aides Admit Blaming the Japanese for Crimes in Nanking

Wireless to The New York Times.
SHANGHAI, Jan. 3. _ American professors remaining at Ginling College in Nankingas foreign members of
the Refugee Welfare Committee were seriously embarrassed to discover that they had been harboring a deserted Chinese Army colonel and six of his subordinate officers. The professors had, in fact, made the colonel second in authority at therefugee camp.

The officers, who had doffed their uniforms during the Chinese retreat from Nanking, were discovered living in one of the college buildings: They confessed their identity after Japanese Army searchers found they had hidden six ifles, five revolvers, a dismounted machine gun and ammunition in the building.

The ex-Chinese officers in the presence of Americans and other foreigners confessed looting in Nanking and also that one night they dragged girls into the darkness and the next day blamed Japanese soldiers for the attacks.

The ex-officers were arrested and will be punished under martial law and probably executed.

Re: あった派の論理構造

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/07/12 00:35 投稿番号: [10908 / 41162]
>私は上海から南京に至るまでの間に
>捕虜の虐殺があった派   です


1996年、CNNは、1937年に上海付近で、国際法に違反し支那軍が日本人捕虜や日本に協力した支那人たちを殺しまくったことを紹介した。
――――――――
支那軍の蛮行
CNN(September 23, 1996)
(一部抜粋・翻訳)

やつら(支那人)は、それを楽しんでました。 頭が切り落とされるのを待っていて、頭を手に取り、サッカーをしたのです。 ・・・本当に酷いことです。

支那軍は、餓死するまで首吊り状態にして木のおりに入れておくなど、捕虜にさまざまな拷問方法を用いました。

銃で撃たれた者もいました。それらの死体は大量に葬られたために山のように積み重ねられました。
他の者(多くは日本人に協力したとして咎められた支那人)たちは、でっかい刀で首を斬られました。
当時日本人に協力した支那人は漢奸として、日本人よりも酷い目に遭わされました。
――――――――

上海で支那軍は、便衣隊が日本軍を銃撃したり民間人を狙った市街地爆撃をしておいて日本軍の仕業だと宣伝したり細菌戦を行なったり日本兵を一人も捕虜として保護しなかった支那軍に対して、日本軍は十分な報復をしなかったから、支那軍は調子に乗って南京でも大量に便衣兵になったり捕まえた日本兵を惨殺したり反日撹乱工作を行なったりしたのだ。

――――――――
12月13日、光華門城壁を占領   城壁付近で彼我不明の焼死体を発見、まだかすかに息をしていた。これを見た大隊長芳賀少佐は激怒し犯人捜しを命じた。私の部下に犯人はいなかった。検死の結果、焼死体は日本兵と判明。捕虜となった日本兵が、生きたまま焼かれたようだ。
第九師団・山砲第九連隊・第七中隊長   大内義秀氏(要約)
――――――――
12月13日、南京の南方の城門から入ると、彼我の戦死体が転々と散在していた。その中に、一人の日本兵が手足を立ち木に縛られたまま、身に数弾を受けて死んでいた。一見して、捕虜となった日本兵が支那軍によって虐殺されたと感じ、縄を切って降ろした。
第三師団・野砲兵第五連隊・第一大隊観測班長   大杉浩氏
――――――――

支那軍の違法行為に対して、日本軍の報復行動は極めて不十分だったから支那軍は違法行為をエスカレートさせていったのだ。
そして、南京戦後の支那軍の暴虐・悪逆は、質・量ともに更に何倍もエスカレートさせていったのだ。

Re: 南京虐殺なんてないですよ

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/07/12 00:23 投稿番号: [10907 / 41162]
>注目すべき点は上海から南京陥落までの間でしょう


●清野作戦(焦土作戦)

支那軍は敗走時、日本軍が利用できる物を何も与えないようにするため、民衆から食糧などを奪い、民家などを焼き払う「清野作戦」(焦土戦術)を行った。

上海〜南京、また、南京城壁の周囲1〜2キロにある居住区全域と南京城から半径16キロ以内にある道路沿いの村落と民家を強制的に焼き払った。

南京戦の前も、支那軍や支那人盗賊による強奪や放火や殺害が多発した。


(資料)

ラーベ:
11月16日、蘇州では、舞い戻ってきた中国の敗残兵によって、ひどい略奪が行われたという。済南の手前にある鉄橋が中国人の手によって爆破されたという。日本人の進攻を防ぐため。

孫元良:
やがて我々は崑山から蘇州に後退し、ここで一休みできる筈だったが、蘇州は既に秩序が乱れ収拾不能な都市になっており、我々に休む間を与えなかった。

第九師団・第36連隊長・脇坂次郎氏:
上海から南京に進軍中、我が部隊は常に先頭に立ったが、沿道の部落の家屋が焼却され、毀損され、また家屋内が略奪されていたのが相当認められた。
これは支那軍が退却に際し…放火・破壊した、支那軍民の常習たる戦時の略奪によるものであると、支那人民から聞いた。

第九師団・山砲第九連隊・第七中隊長大内義秀氏:
わが部隊は、蘇州へ向けて進撃すべく命をうけ、第一線部隊として進み、蘇州到着までは、ほとんど敵の抵抗を受けなかったが、蘇州に至る間の部落は酷く焼かれ、屋根のある家は少なく、住民もいなかった。
このような破壊は、支那軍が退却に際して行ったものと認める

第三師団・野砲兵第五連隊・第一大隊観測班長大杉浩氏:
上海から南京へ行く途中のある部落で、稲の堆積されたものが、焼き棄ててあるのを見た。
部落民にその理由を尋ねたところ、それは支那軍が退却の際、日本軍に渡さない為、焼却したと説明を受けた。

12月6日
UP特派員のマクダニエルがきょう話してくれたところでは、きのう句容へ行ってみたが、人が住んでいる村はただの一つもなかったそうだ。中国軍は村びとを一人残らず連れ出し、そのあと村を焼き払っているのだ。まったくの「焦土作戦」だ。農民たちは城内に連れてこられるか、そうでなければ浦口経由で北方に追いやられている。
(南京事件の日々)

12月7日
中国軍は南京周辺を徹底的に焼き払い、焼け出された市民が難民となって城内に流入、商品流通が麻痺し食料難が加速、一部では暴動が起こった。支那軍は治安維持のため少しでも怪しいものは手当たり次第に銃殺した。
(再審「南京大虐殺」 )

12月8日
中国軍に自宅から即時立ち退きを命じられ、これに従わなければ、反逆者とみなされて銃殺される。軍の計画を妨害すれば、家が焼き払われる場合もあるそうだ。避難民の多くは南門付近や市の南東部の人たちだ。
(南京事件の日々P40)

12月9日
今夜は南京市の南西隅の空全体を火炎が照らしている。(略)AP特派員のマクダニエルは、中国兵が灯油をかけて家に火をつけているところを目撃したと言っている。
(南京事件の日々P41)

12月10日
なにしろ、この街の運命と20万人の命がかかっているのだ。安全区の道路は、避難する人たちでごったがえしている。(略)残念ながら軍人がまだ大勢、安全区に留まっている。
(ラーベの日記P107)

12月12日
今夜の記者会見で聞いたところによれば、防衛司令官の唐生智には、旗下の部隊に対する統率力が不足ために、城内のほとんどの場所で略奪が行われているそうだ。
(南京事件の日々P47)

Re: 石原都知事の見識 原因は

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/07/12 00:12 投稿番号: [10906 / 41162]
>何故米国を敵に回してしまったのか   から見てみると良いでしょう
>米国を敵に回したのは三国同盟から   というのが定説らしいですが
>蒋介石と戦っている状況で何故三国同盟なのか
>また当時の日本は米国とは   ほとんど懸案らしいものは存在していません


日本とアメリカは、第1次世界大戦後には既にほぼ戦争する運命にあったんだよ。

―――――――
1919年の講和条約は、極東を日英米3大強国の支配に委ねることになった。

(略)

  1919年に残った3大強国のうち、日本は米国と激しい対立状態にあり、それが英国を困難な立場に立たしめた。日英同盟が最初締結された時、英国外務省は、それが他日、英米の友好関係の邪魔になろうとは思っていなかった。日米間の摩擦は、日露戦争後に漸く始まったのだが、1910年の末にはノックス中立案の失敗の後を受けて日米関係が非常に緊迫し、英国の世論は、日本との同盟のために生ずる米国との疎隔を危惧し始めた。或る方面には、期限満了後は日英同盟を廃棄すべしとの要望すらあったが、もしそれをしたならば恐らく日独同盟の出現を見たであろうから、英国にとっては大なる災いであったことだろう。

(略)

それにしても日本は、英国が日英同盟に反米的意義を持たせることを欲しないこと、そして日米戦争の場合、日本のために戦うものではないことは明瞭に看取し得た。

  世界大戦終結の後、日米対立は尖鋭化し、そして日英同盟はもはや1911年の改訂による限定的義務形式においてさえ充分な政治的根拠のないものとなった。

『世界政治と東亜』G・F・ハドソン著
―――――――


1898年、日本の抗議にもかかわらず、米国が謀略によってハワイ王国を併合
1898年、米西戦争、米国がフィリピンとキューバを狙ってスペインと戦争
1899年〜1903年、アメリカ・フィリピン戦争。米国がスペインから独立させたフィリピンを植民地に。
1902年、キューバがスペインから独立
1903年、パナマがコロンビアから独立。米国は独立運動に介入しパナマと運河条約を締結。米国は運河地帯の永久租借権を獲得しパナマを実質的植民地に。
1905年、日露戦争終了。ポーツマス条約締結、南満州の鉄道譲渡など。
1909年、米国は、満鉄の国際管理を提案し満鉄の権益への介入を試みるが、日本の立場を認めた列国の反対で失敗。
1914年、パナマ運河開通
1914年〜1918年、第1次世界大戦
1919年、日本は国際連盟規約宣言の中に人種平等の原則を挿入することを提案し、17票中11票の賛成を得たが、委員長ウィルソン大統領は、「斯かる決議には全員一致を要する」との理由で拒絶。
1922年、アメリカ最高裁が「黄色人種(日本人)の帰化権はない」と判決。すでに帰化した日本人の権利まで剥奪できるとした。
1923年、米国によって日英同盟が解消される
1924年、「絶対的排日移民法」が成立。米国は、ヨーロッパからは毎年何十万人もの移民を入れていた時、日本人移民を一人も入れない法律を作った。



その後も満州などをめぐって日米は対立を続けたんだ。

日本はただ生きる残るためだけに満州に活路を見出したのに対し、米国はそうではなかった。

Re: nmwgip様:市民の証言は事実?

投稿者: histograph 投稿日時: 2006/07/12 00:12 投稿番号: [10905 / 41162]
thirteen_satan さん:>
>「中国の旅」はどう言う経過で書かれたを問われた時に
>「中国市民の証言に基づいて書いた」と述べた事だが。

返信ありがとうございます。

>ちゃんと文章を読んでもらいたいものだ。

しかし、ちゃんと読んでも、本多氏が「市民の証言は事実」といったとしか読めないのですが...市民の証言なら事実だというのも変な話しですよね。
読者に誤解を与えないような書き方で投稿されることをお願いする次第です。

ところで、「中国市民の証言に基づいて書いた」なら、当たり前のことを言っているだけですね(^^)
「ロシア市民の証言に基づいて書いた」はずはありませんから。
当然、証言というものは聞いたままを読者に伝えなければいけません。
でなければ、証言とは言えません。聞き取りした人が、勝手に検証して証言を修正しては改竄ですね。許されるとすれば、脚注にコメントを入れる程度です。それも、やりすぎると読者に対する誘導となるので、そういうことは避けるべきでしょう。

pipoクン、言い逃れは無駄だ

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/07/11 23:59 投稿番号: [10904 / 41162]
> 軍直営第1号の「陸軍慰安所」としては事実。何を粘着絡んでいるんだ?

  君が

> 陸軍慰安所第1号として上海郊外の楊家宅に、兵站司令部の管轄する軍経営の陸軍慰安所が開設されたのが、1938年の2月だときているんだけど。

  なんて見え透いた捏造をするからだろ。
  君はどうも1日経つと自分の発言を忘れてしまうようだから、元の発言を思い出させてあげよう。
  普通なら――1つのHNで、1人で書いているなら――こんな事はあり得ないんだがね。

> deliちゃん、何度も聞くけど、これって誰の丸写しなの?
>
> =======================
> ―― 五島さんはいつまで南京にいましたか。
>
> 「翌年の一月十日頃までいました。
> この間、南京のあちこちに行きましたが、虐殺といわれることは見ていません。
> また、強姦もあったといわれますが、すでに慰安所ができてましたから、戦後いわれていることは嘘です。(後略)」
> =====================
>
> あらあらあら
>
> 南京の慰安所は、いったい何時、何処に、誰が設置したのだろうか?
> 陸軍慰安所第1号として上海郊外の楊家宅に、兵站司令部の管轄する軍経営の陸軍慰安所が開設されたのが、1938年の2月だときているんだけど。
>
> 五島さんのせいでなく、インタビュアーの創作なんじゃないか?  
> あらあらあら

  これがpipoクンの元発言。
  「陸軍慰安所第1号」が「1938年の2月」だから「インタビュアーの創作」だと臆断している。
  「軍直営」というのは私が指摘してあげたことだ。
  これも忘れたのだろうけどな。

> 1月10日までにはおそらく1軒もないだろう。

  せっかく提供してあげた追加資料をまだ読んでいないようだね。
  #10897に答えがあるよ。

> その懸念は、事情を知っている識者がいっている。なぜ、インタビューの対象48人に一般兵士を選ばなかったのか、ってね。

  違うだろ。
  君が言っていたのは「48人はそうは見なかった。当然だ。そういう48人を阿羅こと畠中は選んだのだから。」だ。
  虐殺行為を見なかったと証言する48人を選んでインタビューした、と君は言ったのだよ。
  違うか?

> 見せ掛けではない。充分なる事実史料をあげて疑念を呈している。したがって、中傷ではもとよりない。

  虚偽を元に他人を非難することは十分中傷の範疇だ。
  憶えておきなさい。

> 飯沼日記に書かれている(上村日記に書かれたものと)同じ事件が、

  違うだろ。
  pipoクン、君は前回「君が紹介してくれた上村利道大佐の日記に、6週間後の中隊ごと強姦事件の記録がある」と言ったんだ。
  だから上村日記にはそんな記述はないと再度答えてあげたのさ。
  それから、

> 商取引としての「売買春」であることを弁論して欲しいと言ったが、無視したのは君のほうだよ。

  こういうことは相手の発言を読み終わってからにするんだね。

  さて、はっきりさせようじゃないか。
  五島氏のインタビューを「インタビュアーの創作」だとしたのは、根拠のない臆断であり、誤りだった、と認め給え。

Re: 東中野先生は

投稿者: histograph 投稿日時: 2006/07/11 23:56 投稿番号: [10903 / 41162]
forever_omegatribeさん:>
>東中野先生は夏淑琴さんに対して名誉を毀損するよな行為をしていないと
>自らが訴えているのですよ。自分で喧嘩を売っておきながら、お望みどおり相手が>喧嘩を買ったのに、遁走するなんてださいよね。

東中野が訴えを取り下げたのは「遁走」といえなくもありません。
万一、夏さん側が同意すれば、訴訟にはなりませんからね。
もっとも、夏さん側は引き下がりませんから、取り下げても同じことです。東中野としては、自分は被告だと言いたかったんでしょうね。「原告」とか「反訴被告人」では、おまえが始めたんだろうと、つっこまれかねかません。

ところで、東中野側弁護士の意見書では、マギーのフィルムにある8歳の少女が、夏淑琴とは別人と言っているだけ、というのがこの名誉毀損事件に関する唯一の主張です。
結局、フィルムの少女と夏淑琴の同一性と、東中野の記述に名誉毀損になる部分があるかの二点に争点が絞られるようです。
夏淑琴の証言は嘘だなどと主張すれば、同一性が認められただけで名誉毀損も成立する可能性が高いので、そういう主張は、さすがに東中野もしないようです。

ちなみに、代理人を立てれば、裁判に出る必要はありませんし、高い弁護士費用を払っているのですから、普通はわざわざ裁判に出席しません。相手方と会ってトラブルになることもありますからね。
それから、本多勝一氏が百人斬り競争裁判のときは「変装して」裁判所のどこかに隠れていたとかいう言説が一時投稿されていましたが、笑いました。
いつものかっこうで報告集会を会場のあるビルで待っていただけなのですが(^^)
しかし、本多勝一氏は百人斬り競争訴訟の勝訴にも「あたりまえ」と言うだけで、うんざりしていました。これは、私の受けた印象ですが、百人斬り競争の訴訟には、ほとんど関心がないようにみえました。ただ、訴訟をきっかけとして新しい事実がいくつか分かったのですが、それには関心をもってメモしていました。訴訟のほうは事実上終わりましたが、最近になって、野田氏が使った日本刀の行方などを含めて後日談があることが分かりました。まだ在調査中のようですが、その後日談を糸口として更に新資料の発見があるかもしれません。

やっぱり憲兵に通報するよな…

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/07/11 23:54 投稿番号: [10902 / 41162]
>米国大使館から抗議を受けた上海派遣軍責任者。参謀長飯沼守は青くなって憲兵隊長に詳しい調査と報告を求めたはずだ。


そうだろうな。
ところで、直接関係ない話だが、やっぱり本当に事件があったのなら、現地の憲兵隊に通報するものだよな。(この事件のように憲兵に通報されて日本軍による市民虐殺だと確認された事件ってないんだよな…)



飯沼守日記   二月十二日(『南京戦史』)
『・・・米領事「アリソン」ヨリ一月二十八日以降二月一日迄ノ日本兵ノ非行トシテ掠奪強姦八十九件ヲ抗議シ来レリ。甚タ誇大ナルヘキモ日本兵ノ非行ハ憲兵ノ報告ノミニテモ数件アリ実ニ慨嘆ニ堪ヘス。・・・』



以下は左翼のHPより

――――――
南京安全区国際委員会のメンバーと雖も、日本兵からの暴力と無縁ではありませんでした。

金陵大学のチャールズ・H・リッグス(アメリカ人)と、アメリカ大使館員のジョン・アリソン三等書記官は、日本兵が集団で連日強姦を行なっていた場所に踏み込み、ピンタを喰らってしまいました。


金陵大学内でリッグスが雇っていた二人の中国人女性が日本兵に連行され、リッグスからこの訴えを受けたアメリカ大使館員のジョン・アリソン三等書記官は1938年1月26日、リッグスと共に日本の憲兵の同行の上、連行された場所を突きとめました。しかしそこは天野郷三予備中尉ら十数名の兵士が宿泊していた家屋で、天野は連日あちこちから女性をさらっては部下らと暴行していました。アリソンらが踏み込んだときは、まさに天野が別室で女性を暴行している最中でした。天野の部下はアリソンらに強姦現場を目撃されたくないために「back!back」と叫びながら、アリソンとリッグスに平手打ちを加え、同行の憲兵はただ傍観するのみだったそうです。この事は当然アメリカ側からも抗議されたためタダでは済まなくなり、天野ら12名は軍法会議にかけられ、天野は旅順陸軍刑務所に送られました。戦後は召集前の生業だった弁護士業(!)を再開、1964年まで生きていたそうです。(秦郁彦「南京事件」より引用)


また、上海派遣軍参謀長の飯沼守少将の日記にも天野の事件について記されています。

「一月二六日   晴れ   (省略)

本夕本郷少佐の報告。米人経営の農具店に二十四日夜十一時頃日本兵来り、留守居を銃剣にて脅し女二名を連行強姦の上二時間程して帰れり。依って訴えに依り其強姦されたりと言う家を確かめたるところ天野中隊長及兵十数名の宿舎せる所なるを以て、其家屋内を調査せんとしたる米人二名亦入らんとし、天野は兵を武装集合せしめ逆に米人を殴打し追い出せり。其知らせに依り本郷参謀現場に至り、中隊長の部屋に入らんとしたるも容易に入れず、隣室には支那女三、四在り強いて天野の部屋に入れば女と同衾しありしものの如く、女も寝台上より出て来れりと、依りて中隊長を尋問したるに中隊長は其権限を以て交る交る女を連れ来り金を与へて兵にも姦淫せしめ居れりとのこと。依て憲兵隊長小山中佐及び第二大隊長を呼ひ明朝の出発を延期せしめ大隊長の取調に引き続き憲兵にて調ふることとせり」


「一月二十九日   正午より雪、南京は再び銀世界となる。

小山憲兵隊長来り天野中尉以下の件に就き報告、事件送致に就き軍の意向を聞く。依て中尉以下同宿の者全員を送致すへきを希望し、殿下にも報告せり。(中略)天野中尉出発を差止められ何とか穏便に取計ひをとて来りしも、男らしく処理せよと論して帰す」(後略)


「一月三十日、曇り   天野中尉以下十二名軍法会議に送致」

(「南京戦史資料集」P-242〜243より)
――――――


やっぱり、市民虐殺があったなら、通報しないなんて有り得ないよな…


失礼した。

気にしないでくれ。

Re: 「6週間」は基礎知識だ 300へ〜

投稿者: pipopipo555jp 投稿日時: 2006/07/11 23:17 投稿番号: [10901 / 41162]
(1)
>虐殺否定派の実証的な研究が進むまでは「南京占領後、虐殺・暴行・掠奪・強姦など悪魔の狂宴は6週間にわたって続いた」が所謂「南京大虐殺」だったんだがね。
  阿羅健一氏のインタビューが行われた時点でも、このようなデマがまかり通っていた。
  「戦後言われているようなこと」は「6週間にわたって続いた」こと、なんて、何処に書かれているとか誰が述べているとか以前の基礎的な知識なのだが。

わかったわかった、

「五島証言」とその文章の奇妙さは別として、君の個人の主張は、
「南京占領後4週間の、虐殺・暴行・掠奪・強姦など悪魔の狂宴」は認めるが、
「南京占領後6週間の、虐殺・暴行・掠奪・強姦など悪魔の狂宴」は認めない、
ということなんだね。

それとも、五島さんがそういってる、ということかね。

(2)
まあどうでもいいが他人に粘着する前に、五島証言についての
君個人の読解解釈をきちんとしてくれたまえ


(3)
> 陸軍慰安所【第1号】として上海郊外の楊家宅に、兵站司令部の管轄する軍経営の陸軍慰安所が開設されたのが、1938年の2月だときているんだけど。

軍直営第1号の「陸軍慰安所」としては事実。何を粘着絡んでいるんだ?

わたしは、その前に南京に軍直営の「陸軍慰安所」ができたことを知らないし、
そんな大規模なものが急遽できたとは思わないからこの事実を提出した。
だから疑問を提出した。

軍直営ではなくて「軍認可」の小規模なもの、部隊付きのもの、そうしたものが、1月中にできたのだったら、きちんと教えておくれ。

1937年12月28日に上海派遣軍参謀長が、配下の参謀2課起草の「慰安所設置案」を検討したところまでは、その後確認できたね。
(放置プレイどころか議論は進んでるじゃないか)

その草案が、決定要綱(慰安所規則)となり、娼楼を建設又は改築し、慰安婦を集め、中国に送り、南京に集め、軍医を総動員して梅毒検査をし、・・・開業するまで何日かかるのだろうか?   わたしは、最低1ヶ月は当然かかると思うが、君はどう思うかね。フランクにお尋ねしたい。

1月10日までにはおそらく1軒もないだろう。ないからこそ(あっても兵隊の皆に調達できないからこそ)アリソン事件のようなことが起こったのではないかね。

(4)
>あたかも阿羅氏の取材が不公正なものであったかの如く

その懸念は、事情を知っている識者がいっている。なぜ、インタビューの対象48人に一般兵士を選ばなかったのか、ってね。

>見せ掛けて、氏を中傷

見せ掛けではない。充分なる事実史料をあげて疑念を呈している。したがって、中傷ではもとよりない。君のような事実を事実と認めない弁護を聞いていると、ますます疑惑が深まる。

いい加減な弁論で氏を貶めているのは、むしろ君のほうではないかな?

(5)
>上村日記の中には「強姦事件」なんてないことを

飯沼日記に書かれている(上村日記に書かれたものと)同じ事件が、商取引としての「売買春」であることを弁論して欲しいと言ったが、無視したのは君のほうだよ。

読み直してごらん。

アリソン事件か

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/07/11 22:59 投稿番号: [10900 / 41162]
> 自軍の恥にしては随分詳しい記述だなあ、と思っていたら友人が教えてくれたよ。米人2名にうちの一人が、米国大使館領事アリソン氏だったそうだ。

  ああ、アリソン殴打事件か。
  言われてみれば時期が合うな。
  上村日記には1/27の記述として『今日亦「アメリカ」人ヲ兵カ殴打シ問題ヲ惹起ス。』とあるから、アリソン殴打事件はこちらかと思っていたが、一つ勉強になったよ。
  日本軍の非行が報道された数少ない事件の一つだね。

  だが、「それがどうした?」、というのが正直なところだが。

  一人の不良軍人が強姦容疑で取り調べられたからといって、「南京占領後、虐殺・暴行・掠奪・強姦など悪魔の狂宴は6週間にわたって続いた」証明にはならんし、アリソンを殴ったことと強姦容疑に直接の関係は無いからね。
  ましてや、虐殺派の諸君が言うような強姦殺人が常態化していたという状況は見られないな。

  ではせっかくアリソンの名前が出てきたことだし、関連記事から当時の状況を見てみようか。

飯沼守日記   二月十二日(『南京戦史』)
『・・・米領事「アリソン」ヨリ一月二十八日以降二月一日迄ノ日本兵ノ非行トシテ掠奪強姦八十九件ヲ抗議シ来レリ。甚タ誇大ナルヘキモ日本兵ノ非行ハ憲兵ノ報告ノミニテモ数件アリ実ニ慨嘆ニ堪ヘス。・・・』

  「数件アリ」ですとさ。

Re:題名すら隠したいわけ?どうして?

投稿者: sokutjp 投稿日時: 2006/07/11 22:57 投稿番号: [10899 / 41162]
この   フィルムを掲載したのは
何かの参考になればと思い掲載しました
南京虐殺は本当に   行なわれたのか?行なわれなかったかは?
いろんな資料を調べて自分が信じたい   方向に進みそれを
自分で検証し   信じたい思うことを決めれば良いと思います

僕は参考までに掲載しただけです。

僕は   南京虐殺も慰安婦についても捏造だと思っています
僕は   若年層で学校では   日本はアジアを侵略したと教え
当然   南京   慰安婦も事実のように教えられます
学校で   僕が事実じゃないと言えば周りから   右翼的だと
虐められますが   僕は   南京虐殺はなかったと言います

pipoクン、居直りとは君のことだ

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/07/11 22:48 投稿番号: [10898 / 41162]
> nmwくん
> 君のもう一つの引用と、ドQ〜んな居直り
> ちょっと恥ずかしとおもうんだけど。

  どっちが恥ずかしい居直りなのやら。
  「軍隊ノ非違愈々多キカ如シ」→「南京慰安所ノ開設ニ就テ第二課案ヲ審議ス」なら、その間に全く関係のない「13D参謀長下野大佐明二十九日実施ノ上海ノ慰霊祭ニ飛行機ニテ赴ク途中、天候不良ノ為メ引キ返シ自動車ヲ出スコトトス――本夜夜通シノ行軍ナリ」こんな記述は挿まない。
  それこそ、pipoクンが解釈したとおり

> 部隊の不行跡が多くて対策に翻弄された日。訓諭指導の為の各隊将校招集の手続き。慰安所解説案の審議。何でこんなことで忙殺されなくてはならんのだぁ。

  という順番で書くさ。

  君も全く関係ない事柄が間に挿入されているのはまずいと思ったから、

> 「軍隊の非違愈々多きが如し・・・南京慰安所ノ開設ニ就テ第二課案ヲ審議ス。」

  と中間記述をトリミングしたんだろう?
  だいたい慰安所開設の案件は12/28時点で、突然出た話じゃないっての。
  以前にも引用してあげたよな?

  飯沼守日記
  十二月十九日
  「・・・迅速ニ女郎屋ヲ設ケル件ニ就キ長中佐ニ依頼ス。」
  (南京戦史資料集)

  長中佐は二課の責任者だ。
  12/19の段階で、慰安所の開設は二課の検討案件になっていたんだよ。
  「軍隊の非違愈々多きが如し」と12/28に認識があったから、慌てて12/28から「第二課案ヲ審議」し始めた訳じゃない。
  「軍隊の非違愈々多きが如し」の対策は「各隊将校会報ヲ招集シ参謀長ヨリ厳戒スル」だ。
  そこのところが理解できていないんじゃないか?

  いくら居直ってみたところで、また

> 日記だから、出来事を時刻順に書くのは当たり前だのクラッカー。

  なんて戯言で誤魔化そうとしても、popoクンが「軍隊の非違愈々多きが如し・・・南京慰安所ノ開設ニ就テ第二課案ヲ審議ス。」と中間記述をばっさりトリミングして別々の記述を一続きの記述に見せ掛けようとした事実は消せない。

pipoクン、追加資料を提供してあげよう

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/07/11 22:35 投稿番号: [10897 / 41162]
  強姦か、売春か。
  直接的な証拠ではないが、少し資料を追加してあげよう。

板倉由明著『本当はこうだった南京事件』P215〜P216
『・・・日本軍がその対策として「慰安所」を作ったことは周知の事実である。長勇中佐に命じて、上海の公然たる地下組織・青幇に依頼して売春婦を集め、南京で年初から営業を始めた。・・・
  南京でも金陵女子文理大学の女子収容所から「慰安婦」が募集された。身を呈しても女性を守ろうとする責任者のミス・ミニ・ヴォートリンの面前で、かなりの数の娘たちが志願し、女史を唖然とさせた(十二月二十六日)・・・』

冨澤繁信著『南京事件の核心』P112〜P113
『・・・この残留外国人達の記事は「強姦」を巡る雑多な記事が多く、要件不備で事例にならないような集団強姦の記事や、また、「強姦された女が中絶にやってきた」、「安全区では強姦は殆どなくなった」(一月十三日ヴォー日記)、ラーベの二月初旬の日記にある「ヤラセの事件」の記事、ベイツの「強姦は例外的にしか起こらない。発覚すれば死刑だそうだ」また「売春に走る少女を非難するのを止めた」というような記事である。・・・』

冨澤繁信著『「南京安全地帯の記録」完訳と研究』
第四十五号   現在の情勢に関する覚書   1938年1月17日
『・・・十七日の朝八時ころ、彼らは二台のトラックと二台の車で、将校を二人連れてまたやってきて、養蚕館から男何人かと女性七人を手に入れた。ベイツ博士はそこにいて、その経過を全て目撃し、男女が行くことについて完全に自発的なものであったとみていた。女性一人は若かったが、すすんで出かけて行った。』

竹本忠雄・大原康男著『再審「南京大虐殺」』
『日本兵による強姦事件が全くなかったわけではない。東京裁判において第十軍法務部長の小川関次郎は宣誓口供書で次のように証言している(検察は反対尋問の機会を与えられたが、行わなかった)。
「自分は南京に着くまでの間(一九三七年十一月五日から十二月十四日まで)に約二十件くらいの軍紀及び風紀犯を処罰した。風紀犯の処罰について困難を感じたことは和姦なりや強姦なりや不分明なることであった。
  その理由は中国婦人のある者は日本兵に対して自ら進んで挑発的態度をとることが珍しくなく、和合した結果を夫または他人に発見せらるると婦人の態度は一変して大袈裟に強姦を主張したからである。
  しかし自分は強姦と和姦とを問わず起訴せられたものはそれぞれ事実の軽重により法に照らして処罰した」(「速記録第三一〇号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』二五六頁)』
ttp://www.ne.jp/asahi/unko/tamezou/nankin/alleged/note.html

pipoクン、もしかして真性鳥頭か?

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/07/11 22:33 投稿番号: [10896 / 41162]
> しかし、nmwくんのお陰で証拠が充実してくるね。
> 不利なことは何でも隠す、畠中こと阿羅君とは大違いだ。
> しゃかんしゃかん。感謝かんしゃ。

  もしかして、真性の鳥頭?

> 中隊長を尋問したるに中隊長は其権限を以て交る交る女を連れ来り金を与えて兵にも姦淫せしめ居れりとのこと

  の部分については、pipoクン自身も2006/ 7/10 19:58 No.10821で

> 本夕本郷少佐ノ報告。(中略)中隊長ヲ訊問シタルニ中隊長ハ其権限ヲ以テ交ル交ル女ヲ連レ来リ金ヲ与ヘテ兵ニモ姦淫セシメ居レリトノコト。

  と引用しているんだがね?
  昨日の投稿だぞ?
  それとも、#10821は誰かに書いてもらったのかい?

  それからな、

> これが強姦ではなく、双方自由な意思にもとづく商取引としての売春であることを、天野中隊長に代わって答弁してください

  「双方自由な意思にもとづく商取引としての売春」ってのは誰の主張だ?
  私は

> こういう事案でも買春として片付けずに日本軍は取り締まりを行っていたことを示している。

  と書いたんだがね?
  やっぱりpipoクンにも、この事案は買春に見えるようだな。
  そりゃ、普通に考えれば「金を与えて兵にも姦淫せしめ居れり」は買春だよな。
  強姦に金を払う奴はいないだろうからな。

pipoクン、「6週間」は基礎知識だ

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/07/11 22:31 投稿番号: [10895 / 41162]
> nmwくん
>
> 「戦後言われているようなこと」は「6週間にわたって続いた」ことをさすのかね。そう読み取る材料はどこにある?

  どうやらpipoクンは所謂「南京大虐殺」について「戦後いわれていること」が何なのか知らなかったらしい。
  それとも知らないふりをしているのか。
  虐殺否定派の実証的な研究が進むまでは「南京占領後、虐殺・暴行・掠奪・強姦など悪魔の狂宴は6週間にわたって続いた」が所謂「南京大虐殺」だったんだがね。
  阿羅健一氏のインタビューが行われた時点でも、このようなデマがまかり通っていた。
  「戦後言われているようなこと」は「6週間にわたって続いた」こと、なんて、何処に書かれているとか誰が述べているとか以前の基礎的な知識なのだが。

  それはそうと、話を逸らそうとしても無駄だぞ、pipoクン。

> 陸軍慰安所【第1号】として上海郊外の楊家宅に、兵站司令部の管轄する軍経営の陸軍慰安所が開設されたのが、1938年の2月だときているんだけど。

  と事実を改竄して、五島証言を嘘証に見せかけたことについての釈明は無しか?
  では、虚偽を以て阿羅健一氏の信用失墜を目論んだ、としか解釈できないが、それで構わないな?

  阿羅健一著『「南京事件」日本人48人の証言』には他の資料と矛盾する鈴木二郎記者の虐殺証言が収録されているにも関らず、

> 48人はそうは見なかった。当然だ。そういう48人を阿羅こと畠中は選んだのだから。

  等と、あたかも阿羅氏の取材が不公正なものであったかの如く見せ掛けて、氏を中傷したことも認めるんだな?

  言い訳すらできないようだからな。

> ※ちなみに、君が紹介してくれた上村利道大佐の日記に、6週間後の中隊ごと強姦事件の記録があることを指摘しておいたが

  上村日記の中には「強姦事件」なんてないことを

> 上村日記には「33i第八中隊天野某中尉ノ非行偶々本郷参謀ニヨリテ発見」と簡潔に書かれているのみ。

  と指摘してやったんだが、読まなかったのかね?
  それとも、都合の悪い部分は意識を素通りして行くのか?
  だとしても今更意外感は覚えないが。

Re:題名すら隠したいわけ?どうして?

投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2006/07/11 22:08 投稿番号: [10894 / 41162]
これは失礼。
レスを見ずに投稿してしまい申し訳ない。

Re:題名すら隠したいわけ?どうして?

投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2006/07/11 22:07 投稿番号: [10893 / 41162]
ふむ。
それで都合の悪い質問は無視すると。
相変わらず分かりやすいスタンスだな。

まあ個人攻撃・誹謗に走るのはいつもの事だから気にもならないが。

Re:題名すら隠したいわけ?どうして?

投稿者: richard_cheney_jr 投稿日時: 2006/07/11 22:05 投稿番号: [10892 / 41162]
>マギーフイルムもインチキ捏造写真とでも言いたいのかね。


マギーフィルムは撮影者がはっきりしているもので、比べ物にならない。
マギー牧師に失礼だよ。

Re:題名すら隠したいわけ?どうして?

投稿者: pipopipo555jp 投稿日時: 2006/07/11 22:05 投稿番号: [10891 / 41162]
>自家製のページは著作権者の許諾を取っているのかね。

引用は
出典の明記、著者もページもわかるようにしてあるから、ご心配なく。

Re:題名すら隠したいわけ?どうして?

投稿者: pipopipo555jp 投稿日時: 2006/07/11 21:55 投稿番号: [10890 / 41162]
>しかし、偏執狂に粘着質と言われるとは思わなかったがね。

そういえば、いずこに
「ああいえば上祐」
という男がおったなあ

こんにちは。次期総理候補の安倍捏三です。

投稿者: wakorokiraisine 投稿日時: 2006/07/11 21:43 投稿番号: [10889 / 41162]
こんにちは。安倍捏三です。ホリエモンのような青年実業家が登場したことは、小泉改革の成果にほかならないですが、ホリエモンのような青年実業家を生んでしまったのは、教育基本法の問題であるということはですね、まちがいのない事実なんですね。というわけでですね、ワタクシ達「新しい捏造教科書を作る会」は責任をもって、歴史を正しく捏造していきたいと思います。みなさん、くれぐれもバカなサヨク先生の言う事なんか聞くんじゃありませんよ。天皇陛下万歳!
※ホリエモンのような青年実業家が登場したことは、教育基本法の成果にほかならないですが、ホリエモンのような青年実業家を生んでしまったのは、小泉改革の問題であるということはですね、まちがいのない事実なんですね。
※ホリエモンのような青年実業家が登場したことは、教育基本法と小泉改革の成果にほかならないんですね。
※ホリエモンのような青年実業家を生んでしまったのは、教育基本法と小泉改革の問題であるということはですね、まちがいのない事実なんですね。

シナ人の歴史を見れば、

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2006/07/11 21:41 投稿番号: [10888 / 41162]
且つ民度を推し量れば、彼の民族は捏造を堂々と行って当たり前。

南京大虐殺は、所詮眉唾で見なければならんだろう。

何しろ、日本バッシングで国を纏めざるを得ないのだから。

Re:題名すら隠したいわけ?どうして?

投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2006/07/11 21:39 投稿番号: [10887 / 41162]
マギーフィルムの再登場(再発見)の経緯と重なる話だな。

>つまりそれはインチキ捏造映像である。

中味の検証を抜きにすれば経過が同様だから
マギーフイルムもインチキ捏造写真とでも言いたいのかね。

予断を持って判断するのは愚か者のする事だよ。

Re:題名すら隠したいわけ?どうして?

投稿者: dokudami177 投稿日時: 2006/07/11 21:38 投稿番号: [10886 / 41162]
>そのフィルムを真実だと言い張るものに調べる義務がある。
検証不能ならそれは捏造映像だということ。

誰が決めたの?そんなこと
つうか仮にそうだとしても信者はまったく逆の事やってるんだけど(笑)

Re:題名すら隠したいわけ?どうして?

投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2006/07/11 21:34 投稿番号: [10885 / 41162]
日を追うごとに程度が下がるな。
しかし、偏執狂に粘着質と言われるとは思わなかったがね。

>只見あっせんの証拠になっちまうぞ[No.10796]
わしゃかまわんが、
日本会議の指導部を怒らしたら怖いぞ〜

自家製のページは著作権者の許諾を取っているのかね。

Re:題名すら隠したいわけ?どうして?

投稿者: pipopipo555jp 投稿日時: 2006/07/11 21:22 投稿番号: [10884 / 41162]
おやおや

最初だれがお奨め人だったか忘れてしもうた。
sokuくん、君だったかのう?

必殺粘着人の13魔くんかとおもってしもうた。
わしは粘着に弱うてのう。紛れて霜歌。

=======

ところで
だったら、あのページは闇ページか   のう?
http://www.geocities.jp/nan_king_mame/nanking.html

例の、非違っちゅう奴じゃな。
非法違法っちゅう意味だよ。
上海派遣軍参謀長閣下が南京陥落後6週間目の日記で
いっちょるじゃろうが。
どうしようもない将兵どもだ、って、
カンカンだわな。

http://www.history.gr.jp/~nanking/
ここでは有料で買え、といっちょるんだが?
(いくらか安くなったがね)

只見お断りじゃろう。
よく、紙芝居のおっちゃんに、叱られた紋だよ。

==================

>一緒に日本兵と食事をする姿や   ちゃんと
>保護し生活の保障までしていたのです
>これが   証拠のフィルムです
>http://www.geocities.jp/nan_king_mame/nanking.html

只見あっせんの証拠になっちまうぞ[No.10796]
わしゃかまわんが、
日本会議の指導部を怒らしたら怖いぞ〜

あ、だれだっけ、
sokuくんだっけ

Re:題名すら隠したいわけ?どうして?

投稿者: richard_cheney_jr 投稿日時: 2006/07/11 21:01 投稿番号: [10883 / 41162]
>「平成7(1995)年に、東京大空襲で失われたはずの映像が偶然発見され、再販となりました。」


偶然発見された経緯について何も触れられていないのはおかしい。
誰が、いつ、どのように発見して、どうしてそれが東京大空襲で失われたはずの映像であることがわかるのか?
東京にあったはずの映像は誰が所有していたのか?
何も述べられていない。

つまりそれはインチキ捏造映像である。

Re:題名すら隠したいわけ?どうして?

投稿者: pipopipo555jp 投稿日時: 2006/07/11 21:00 投稿番号: [10882 / 41162]
題名すら隠したいわけは、

(1)「軍特務部指導」でつくられた軍の広報宣伝映画だから?
(2)それとも5千ナンボでお仲間がDVD売っているのを、コソーリ闇でアップしてるのがバレたらまずいから?

軍の検閲基準は,
(12)我が軍に不利なる記事写真
(13)支那兵または支那人逮捕訊問等の記事写真中、虐待の感を与える虞あるもの
(14)惨虐なる写真(ただし支那兵または支那人の惨虐性に関する記事以外)』は掲載不可

だよな。

それとも、スタッフの中に戦後、
虐殺を見たと証言した人が居たから?

Re:題名すら隠したいわけ?どうして?

投稿者: richard_cheney_jr 投稿日時: 2006/07/11 20:55 投稿番号: [10881 / 41162]
>自分で調べるのが検証の第一歩だろう。


そのフィルムを真実だと言い張るものに調べる義務がある。
検証不能ならそれは捏造映像だということ。
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