Re: あった派の論理構造
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/07/12 00:35 投稿番号: [10908 / 41162]
>私は上海から南京に至るまでの間に
>捕虜の虐殺があった派
です
1996年、CNNは、1937年に上海付近で、国際法に違反し支那軍が日本人捕虜や日本に協力した支那人たちを殺しまくったことを紹介した。
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支那軍の蛮行
CNN(September 23, 1996)
(一部抜粋・翻訳)
やつら(支那人)は、それを楽しんでました。 頭が切り落とされるのを待っていて、頭を手に取り、サッカーをしたのです。 ・・・本当に酷いことです。
支那軍は、餓死するまで首吊り状態にして木のおりに入れておくなど、捕虜にさまざまな拷問方法を用いました。
銃で撃たれた者もいました。それらの死体は大量に葬られたために山のように積み重ねられました。
他の者(多くは日本人に協力したとして咎められた支那人)たちは、でっかい刀で首を斬られました。
当時日本人に協力した支那人は漢奸として、日本人よりも酷い目に遭わされました。
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上海で支那軍は、便衣隊が日本軍を銃撃したり民間人を狙った市街地爆撃をしておいて日本軍の仕業だと宣伝したり細菌戦を行なったり日本兵を一人も捕虜として保護しなかった支那軍に対して、日本軍は十分な報復をしなかったから、支那軍は調子に乗って南京でも大量に便衣兵になったり捕まえた日本兵を惨殺したり反日撹乱工作を行なったりしたのだ。
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12月13日、光華門城壁を占領
城壁付近で彼我不明の焼死体を発見、まだかすかに息をしていた。これを見た大隊長芳賀少佐は激怒し犯人捜しを命じた。私の部下に犯人はいなかった。検死の結果、焼死体は日本兵と判明。捕虜となった日本兵が、生きたまま焼かれたようだ。
第九師団・山砲第九連隊・第七中隊長
大内義秀氏(要約)
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12月13日、南京の南方の城門から入ると、彼我の戦死体が転々と散在していた。その中に、一人の日本兵が手足を立ち木に縛られたまま、身に数弾を受けて死んでいた。一見して、捕虜となった日本兵が支那軍によって虐殺されたと感じ、縄を切って降ろした。
第三師団・野砲兵第五連隊・第一大隊観測班長
大杉浩氏
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支那軍の違法行為に対して、日本軍の報復行動は極めて不十分だったから支那軍は違法行為をエスカレートさせていったのだ。
そして、南京戦後の支那軍の暴虐・悪逆は、質・量ともに更に何倍もエスカレートさせていったのだ。
これは メッセージ 10876 (vf88 さん)への返信です.
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