Re: 石原都知事の見識 原因は
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/07/12 00:12 投稿番号: [10906 / 41162]
>何故米国を敵に回してしまったのか
から見てみると良いでしょう
>米国を敵に回したのは三国同盟から というのが定説らしいですが
>蒋介石と戦っている状況で何故三国同盟なのか
>また当時の日本は米国とは ほとんど懸案らしいものは存在していません
日本とアメリカは、第1次世界大戦後には既にほぼ戦争する運命にあったんだよ。
―――――――
1919年の講和条約は、極東を日英米3大強国の支配に委ねることになった。
(略)
1919年に残った3大強国のうち、日本は米国と激しい対立状態にあり、それが英国を困難な立場に立たしめた。日英同盟が最初締結された時、英国外務省は、それが他日、英米の友好関係の邪魔になろうとは思っていなかった。日米間の摩擦は、日露戦争後に漸く始まったのだが、1910年の末にはノックス中立案の失敗の後を受けて日米関係が非常に緊迫し、英国の世論は、日本との同盟のために生ずる米国との疎隔を危惧し始めた。或る方面には、期限満了後は日英同盟を廃棄すべしとの要望すらあったが、もしそれをしたならば恐らく日独同盟の出現を見たであろうから、英国にとっては大なる災いであったことだろう。
(略)
それにしても日本は、英国が日英同盟に反米的意義を持たせることを欲しないこと、そして日米戦争の場合、日本のために戦うものではないことは明瞭に看取し得た。
世界大戦終結の後、日米対立は尖鋭化し、そして日英同盟はもはや1911年の改訂による限定的義務形式においてさえ充分な政治的根拠のないものとなった。
『世界政治と東亜』G・F・ハドソン著
―――――――
1898年、日本の抗議にもかかわらず、米国が謀略によってハワイ王国を併合
1898年、米西戦争、米国がフィリピンとキューバを狙ってスペインと戦争
1899年〜1903年、アメリカ・フィリピン戦争。米国がスペインから独立させたフィリピンを植民地に。
1902年、キューバがスペインから独立
1903年、パナマがコロンビアから独立。米国は独立運動に介入しパナマと運河条約を締結。米国は運河地帯の永久租借権を獲得しパナマを実質的植民地に。
1905年、日露戦争終了。ポーツマス条約締結、南満州の鉄道譲渡など。
1909年、米国は、満鉄の国際管理を提案し満鉄の権益への介入を試みるが、日本の立場を認めた列国の反対で失敗。
1914年、パナマ運河開通
1914年〜1918年、第1次世界大戦
1919年、日本は国際連盟規約宣言の中に人種平等の原則を挿入することを提案し、17票中11票の賛成を得たが、委員長ウィルソン大統領は、「斯かる決議には全員一致を要する」との理由で拒絶。
1922年、アメリカ最高裁が「黄色人種(日本人)の帰化権はない」と判決。すでに帰化した日本人の権利まで剥奪できるとした。
1923年、米国によって日英同盟が解消される
1924年、「絶対的排日移民法」が成立。米国は、ヨーロッパからは毎年何十万人もの移民を入れていた時、日本人移民を一人も入れない法律を作った。
その後も満州などをめぐって日米は対立を続けたんだ。
日本はただ生きる残るためだけに満州に活路を見出したのに対し、米国はそうではなかった。
>米国を敵に回したのは三国同盟から というのが定説らしいですが
>蒋介石と戦っている状況で何故三国同盟なのか
>また当時の日本は米国とは ほとんど懸案らしいものは存在していません
日本とアメリカは、第1次世界大戦後には既にほぼ戦争する運命にあったんだよ。
―――――――
1919年の講和条約は、極東を日英米3大強国の支配に委ねることになった。
(略)
1919年に残った3大強国のうち、日本は米国と激しい対立状態にあり、それが英国を困難な立場に立たしめた。日英同盟が最初締結された時、英国外務省は、それが他日、英米の友好関係の邪魔になろうとは思っていなかった。日米間の摩擦は、日露戦争後に漸く始まったのだが、1910年の末にはノックス中立案の失敗の後を受けて日米関係が非常に緊迫し、英国の世論は、日本との同盟のために生ずる米国との疎隔を危惧し始めた。或る方面には、期限満了後は日英同盟を廃棄すべしとの要望すらあったが、もしそれをしたならば恐らく日独同盟の出現を見たであろうから、英国にとっては大なる災いであったことだろう。
(略)
それにしても日本は、英国が日英同盟に反米的意義を持たせることを欲しないこと、そして日米戦争の場合、日本のために戦うものではないことは明瞭に看取し得た。
世界大戦終結の後、日米対立は尖鋭化し、そして日英同盟はもはや1911年の改訂による限定的義務形式においてさえ充分な政治的根拠のないものとなった。
『世界政治と東亜』G・F・ハドソン著
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1898年、日本の抗議にもかかわらず、米国が謀略によってハワイ王国を併合
1898年、米西戦争、米国がフィリピンとキューバを狙ってスペインと戦争
1899年〜1903年、アメリカ・フィリピン戦争。米国がスペインから独立させたフィリピンを植民地に。
1902年、キューバがスペインから独立
1903年、パナマがコロンビアから独立。米国は独立運動に介入しパナマと運河条約を締結。米国は運河地帯の永久租借権を獲得しパナマを実質的植民地に。
1905年、日露戦争終了。ポーツマス条約締結、南満州の鉄道譲渡など。
1909年、米国は、満鉄の国際管理を提案し満鉄の権益への介入を試みるが、日本の立場を認めた列国の反対で失敗。
1914年、パナマ運河開通
1914年〜1918年、第1次世界大戦
1919年、日本は国際連盟規約宣言の中に人種平等の原則を挿入することを提案し、17票中11票の賛成を得たが、委員長ウィルソン大統領は、「斯かる決議には全員一致を要する」との理由で拒絶。
1922年、アメリカ最高裁が「黄色人種(日本人)の帰化権はない」と判決。すでに帰化した日本人の権利まで剥奪できるとした。
1923年、米国によって日英同盟が解消される
1924年、「絶対的排日移民法」が成立。米国は、ヨーロッパからは毎年何十万人もの移民を入れていた時、日本人移民を一人も入れない法律を作った。
その後も満州などをめぐって日米は対立を続けたんだ。
日本はただ生きる残るためだけに満州に活路を見出したのに対し、米国はそうではなかった。
これは メッセージ 10869 (vf88 さん)への返信です.