やっぱり憲兵に通報するよな…
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/07/11 23:54 投稿番号: [10902 / 41162]
>米国大使館から抗議を受けた上海派遣軍責任者。参謀長飯沼守は青くなって憲兵隊長に詳しい調査と報告を求めたはずだ。
そうだろうな。
ところで、直接関係ない話だが、やっぱり本当に事件があったのなら、現地の憲兵隊に通報するものだよな。(この事件のように憲兵に通報されて日本軍による市民虐殺だと確認された事件ってないんだよな…)
飯沼守日記 二月十二日(『南京戦史』)
『・・・米領事「アリソン」ヨリ一月二十八日以降二月一日迄ノ日本兵ノ非行トシテ掠奪強姦八十九件ヲ抗議シ来レリ。甚タ誇大ナルヘキモ日本兵ノ非行ハ憲兵ノ報告ノミニテモ数件アリ実ニ慨嘆ニ堪ヘス。・・・』
以下は左翼のHPより
――――――
南京安全区国際委員会のメンバーと雖も、日本兵からの暴力と無縁ではありませんでした。
金陵大学のチャールズ・H・リッグス(アメリカ人)と、アメリカ大使館員のジョン・アリソン三等書記官は、日本兵が集団で連日強姦を行なっていた場所に踏み込み、ピンタを喰らってしまいました。
金陵大学内でリッグスが雇っていた二人の中国人女性が日本兵に連行され、リッグスからこの訴えを受けたアメリカ大使館員のジョン・アリソン三等書記官は1938年1月26日、リッグスと共に日本の憲兵の同行の上、連行された場所を突きとめました。しかしそこは天野郷三予備中尉ら十数名の兵士が宿泊していた家屋で、天野は連日あちこちから女性をさらっては部下らと暴行していました。アリソンらが踏み込んだときは、まさに天野が別室で女性を暴行している最中でした。天野の部下はアリソンらに強姦現場を目撃されたくないために「back!back」と叫びながら、アリソンとリッグスに平手打ちを加え、同行の憲兵はただ傍観するのみだったそうです。この事は当然アメリカ側からも抗議されたためタダでは済まなくなり、天野ら12名は軍法会議にかけられ、天野は旅順陸軍刑務所に送られました。戦後は召集前の生業だった弁護士業(!)を再開、1964年まで生きていたそうです。(秦郁彦「南京事件」より引用)
また、上海派遣軍参謀長の飯沼守少将の日記にも天野の事件について記されています。
「一月二六日 晴れ (省略)
本夕本郷少佐の報告。米人経営の農具店に二十四日夜十一時頃日本兵来り、留守居を銃剣にて脅し女二名を連行強姦の上二時間程して帰れり。依って訴えに依り其強姦されたりと言う家を確かめたるところ天野中隊長及兵十数名の宿舎せる所なるを以て、其家屋内を調査せんとしたる米人二名亦入らんとし、天野は兵を武装集合せしめ逆に米人を殴打し追い出せり。其知らせに依り本郷参謀現場に至り、中隊長の部屋に入らんとしたるも容易に入れず、隣室には支那女三、四在り強いて天野の部屋に入れば女と同衾しありしものの如く、女も寝台上より出て来れりと、依りて中隊長を尋問したるに中隊長は其権限を以て交る交る女を連れ来り金を与へて兵にも姦淫せしめ居れりとのこと。依て憲兵隊長小山中佐及び第二大隊長を呼ひ明朝の出発を延期せしめ大隊長の取調に引き続き憲兵にて調ふることとせり」
「一月二十九日 正午より雪、南京は再び銀世界となる。
小山憲兵隊長来り天野中尉以下の件に就き報告、事件送致に就き軍の意向を聞く。依て中尉以下同宿の者全員を送致すへきを希望し、殿下にも報告せり。(中略)天野中尉出発を差止められ何とか穏便に取計ひをとて来りしも、男らしく処理せよと論して帰す」(後略)
「一月三十日、曇り 天野中尉以下十二名軍法会議に送致」
(「南京戦史資料集」P-242〜243より)
――――――
やっぱり、市民虐殺があったなら、通報しないなんて有り得ないよな…
失礼した。
気にしないでくれ。
そうだろうな。
ところで、直接関係ない話だが、やっぱり本当に事件があったのなら、現地の憲兵隊に通報するものだよな。(この事件のように憲兵に通報されて日本軍による市民虐殺だと確認された事件ってないんだよな…)
飯沼守日記 二月十二日(『南京戦史』)
『・・・米領事「アリソン」ヨリ一月二十八日以降二月一日迄ノ日本兵ノ非行トシテ掠奪強姦八十九件ヲ抗議シ来レリ。甚タ誇大ナルヘキモ日本兵ノ非行ハ憲兵ノ報告ノミニテモ数件アリ実ニ慨嘆ニ堪ヘス。・・・』
以下は左翼のHPより
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南京安全区国際委員会のメンバーと雖も、日本兵からの暴力と無縁ではありませんでした。
金陵大学のチャールズ・H・リッグス(アメリカ人)と、アメリカ大使館員のジョン・アリソン三等書記官は、日本兵が集団で連日強姦を行なっていた場所に踏み込み、ピンタを喰らってしまいました。
金陵大学内でリッグスが雇っていた二人の中国人女性が日本兵に連行され、リッグスからこの訴えを受けたアメリカ大使館員のジョン・アリソン三等書記官は1938年1月26日、リッグスと共に日本の憲兵の同行の上、連行された場所を突きとめました。しかしそこは天野郷三予備中尉ら十数名の兵士が宿泊していた家屋で、天野は連日あちこちから女性をさらっては部下らと暴行していました。アリソンらが踏み込んだときは、まさに天野が別室で女性を暴行している最中でした。天野の部下はアリソンらに強姦現場を目撃されたくないために「back!back」と叫びながら、アリソンとリッグスに平手打ちを加え、同行の憲兵はただ傍観するのみだったそうです。この事は当然アメリカ側からも抗議されたためタダでは済まなくなり、天野ら12名は軍法会議にかけられ、天野は旅順陸軍刑務所に送られました。戦後は召集前の生業だった弁護士業(!)を再開、1964年まで生きていたそうです。(秦郁彦「南京事件」より引用)
また、上海派遣軍参謀長の飯沼守少将の日記にも天野の事件について記されています。
「一月二六日 晴れ (省略)
本夕本郷少佐の報告。米人経営の農具店に二十四日夜十一時頃日本兵来り、留守居を銃剣にて脅し女二名を連行強姦の上二時間程して帰れり。依って訴えに依り其強姦されたりと言う家を確かめたるところ天野中隊長及兵十数名の宿舎せる所なるを以て、其家屋内を調査せんとしたる米人二名亦入らんとし、天野は兵を武装集合せしめ逆に米人を殴打し追い出せり。其知らせに依り本郷参謀現場に至り、中隊長の部屋に入らんとしたるも容易に入れず、隣室には支那女三、四在り強いて天野の部屋に入れば女と同衾しありしものの如く、女も寝台上より出て来れりと、依りて中隊長を尋問したるに中隊長は其権限を以て交る交る女を連れ来り金を与へて兵にも姦淫せしめ居れりとのこと。依て憲兵隊長小山中佐及び第二大隊長を呼ひ明朝の出発を延期せしめ大隊長の取調に引き続き憲兵にて調ふることとせり」
「一月二十九日 正午より雪、南京は再び銀世界となる。
小山憲兵隊長来り天野中尉以下の件に就き報告、事件送致に就き軍の意向を聞く。依て中尉以下同宿の者全員を送致すへきを希望し、殿下にも報告せり。(中略)天野中尉出発を差止められ何とか穏便に取計ひをとて来りしも、男らしく処理せよと論して帰す」(後略)
「一月三十日、曇り 天野中尉以下十二名軍法会議に送致」
(「南京戦史資料集」P-242〜243より)
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やっぱり、市民虐殺があったなら、通報しないなんて有り得ないよな…
失礼した。
気にしないでくれ。
これは メッセージ 10868 (pipopipo555jp さん)への返信です.