日中関係

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Re: 埒外の身分

投稿者: nihao_aq_jp 投稿日時: 2011/02/08 12:06 投稿番号: [186532 / 196466]
>あんた、神道がどんなに穢れを嫌うか、知ってる?
神事にかかかるからこそ不可触の賤民???
何寝言いってんだか。
祓いたまえ清めたまえ・・。
これが神道における祝詞の頻出フレーズ。<

思考が未熟なんだな。本質を見極める習慣がないから、こう云う常識的なことしか言えない。

神社の神職の日々のお勤めは、言うまでもなく、朝に祓い、夕に清めることである。祓い清めるのが神社のお勤め。
それでは、何故、かくも必死になって日夜、祓い清めねばならないか?

それは世の中も自然も、全ての人間が穢(けが)れに穢れ、汚れに汚れているからなのだ。
何をしなくても、ただ歳月が過ぎただけでも物は古び、穢れが生じ、汚れが積もり積もるのだ。

それら穢れ多き者どもが、どどっと神社に押し寄せる。
「穢れを祓い清めてくださいな」とお願いしに来るのだな。
つまり、神社は「汚れ、穢れ」が大集合するところなのだ。
神様も神職も大変だ。こやつら、とことん汚れ穢(けが)れた多数の輩(やから)を相手にして、祓(はら)い清めてやらねばならない。
それなのに、お賽銭はワンコイン(百円)しか出さないのだから、ずうずうしいにも程がある。

もっと、わかり易く言うならば・・だ、
例えば病院をご覧なさい。ここは病気を治療するところだけれど、その前に、ここには病気が大集合するところなのだ。
病院にやって来るのは病人ばかり。健康なら病院に用はないし、医者もいらない。
病院に集まるのは病人ばかりであり、ここではインフルエンザのウイルスも濃密に舞い飛んでいる。
医者は病原菌にまみれながら病気を治療しているが、反面、病気を嫌わず、恐れない。

神社も同じなのだ。祓い清めているのは、その前に十分に穢れ汚れているからなのだ。
もとより、それが勤めであるから神社は穢れを嫌わないし、汚れを恐れない。

キミは神社の神様、神職の皆様に感謝しなさい。
お賽銭も万札を出しなさい。

言葉の定義

投稿者: riseidekanngaeru 投稿日時: 2011/02/08 11:12 投稿番号: [186531 / 196466]
について垢狼が何をほざこうと、別に検討する意味がないのは、このゴキブリの言葉自体がゴキブリの魂を吐露しているからだ。

言葉によって人を判断すべきではないと考えられる方もいるようだが、その言葉の定義は、それをはき出す者の在り方により真反対の者になる。

「馬鹿だなぁ」という一言でも、恋人の甘いささやきと特亜が日本人をののしる場合では全く意味合いもニュアンスも違うのであり、いちいち定義を確認する必要もない。

およそ、日本語をすさまじいまでに毀損している垢狼の言葉が、たまにまともを装ってはき出されても、いっさい検討の対象にならないのはそのためである。何しろ魂が腐りきって腐臭を放っているのだ。

わたしがニーハオ君に答えるのは、彼がそこまで日本語を毀損していないからだ。中国に取り込まれているとはいえ、彼が日本人であるだろうことは私は信じている。そのうえで、ニーハオ君は最初ニコのテーマが出されたMsg.186476で:

「歌舞伎役者は言うまでもなく、相撲取りも一般の芸能人も、さらに言うならスポーツ選手も同様に、極端な言い方をすれば、これらは全て「この世の泡(あぶく)」みたいな存在なのだ。

彼ら芸能人は人間社会の秩序の外、身分制度の埒外(らちがい)に置かれた存在であり、言葉は悪いが、その出自は「賤民階級」なのだ。
それは日本に限らず世界の何処でも、芸を売って銭(ぜに)を稼ぐ所謂(いわゆる)芸能人は特殊の階級であった。」

と相撲取りを賤民階級だと定義をしている。それでおしまい。議論の余地もない。

ゴキブリのがさごそ音など、無関係だ。

Re: 読書ガイド nihao流の「賤」とは

投稿者: red_northwestwolf 投稿日時: 2011/02/08 10:43 投稿番号: [186530 / 196466]
訂正:

×そうでなければ、煎餅屋の看板に「食べる煎餅」って注を付けなければなりません。


○そうでなければ、饅頭屋の看板に「食べる饅頭」って注を付けなければなりません。

Re: 読書ガイド nihao流の「賤」とは

投稿者: red_northwestwolf 投稿日時: 2011/02/08 10:33 投稿番号: [186529 / 196466]
>言葉にはその言葉の定義というのがあるわよね。<

だから、「お饅頭」の定義はなんですかね。
お前がお饅頭が痛いと言ったら、ああ、装填が欲しいものが壊れていると絶対瓦せんべいと間違えられないでしょう。
括弧付きの「河原乞食」以外に、いろいろ書いているから、片言隻句で文章の主旨からずれた議論はもともと無意味で成立しない議論です。

そうでなければ、煎餅屋の看板に「食べる煎餅」って注を付けなければなりません。

血が上るような議論はほどほどにしなさい。

Re: 読書ガイド nihao流の「賤」とは

投稿者: soutennohoshi 投稿日時: 2011/02/08 07:58 投稿番号: [186528 / 196466]
言葉にはその言葉の定義というのがあるわよね。

例えば、私が「お饅頭」という言葉を使ってパブリックに論じていて、みんながその論議に参加しているのに、
後から、実は私が「お饅頭」と言っているのは「ケーキ」と同様の意味で言っていたのだとか言い出したら、論議なんてなりたたないわよね。

エロ赤狼くんが言っていることは、そういうことよ。

にーはおのバカははっきりと河原者、賤民と言っているわ。
身分制度の賤ではないなど一言も言っていないでしょ。
言ってもいないことを、あなたが翻訳するのはやめてください。

読書ガイド nihao流の「賤」とは

投稿者: red_northwestwolf 投稿日時: 2011/02/08 03:41 投稿番号: [186527 / 196466]
確か、数年前にnihaoさんは自分がこの板で歌舞伎座の常連であるというようなことを仰っていた。
多分、各場所の千秋楽の日に指を咥えてテレビの前で優勝の瞬間を楽しみにしていただろう。
残酷なことに、現実は彼の中の威風堂々の力士像とはあまりにもかけ離れており、かなり落胆していると思う。

氏が言うように、相撲取りは常に「河原乞食」、「賤民」であること自覚しながら芸一筋に精進しなければ取るに足りない存在になってしまう。
賤民であるだのでないだの皆様が熱論を交わしているが、nihaoさんのお話の中心は、それではないようだ。

「君が代」の君は国王かそれとも国民かという問題と同じように、聖域の土俵に視線を向けている神も観客も渾然一体となっているのだ。
そんな聖なる存在を前に、穢れがなく美しい姿を見せなければならない。
そういう意味で、憚りながらこのわたくしでも相撲道の精髄を披露させていただくという敬虔な心持が必要である。誰もそんなことを強要しないけれど。。。

「モノづくり」立国が唱えられている現在、日本人特有の職人気質がすこぶる貴重なものである。
精密機械から、一本の箒にまで、随所に職人特有の丹念さが感じられている。
自分が直面する対象にそのような敬虔な念を抱いて臨まないと、世界から称賛されるmade in japanが誕生できなかったはずだ。
自分も周りの中国の同胞に日本人の職人気質が実に恐ろしいものだ、中国人もそれを会得できれば、中国製品も世界中に喜ばれるに違いないと言っている。

nihaoさんがいう「賤」とは身分制のそれと違って、自分が人生のすべて(金は別の話)をかけたものを尊敬し、いろいろな面でまだまだ不適格者だという自覚を持つことであろう。
もし、そんな心構えがなければ、神も民も眼中になく、邪道に入ってしまうだろう。

八百長サッカーを賭博対称にする支那人

投稿者: dame_china_nante 投稿日時: 2011/02/08 03:05 投稿番号: [186526 / 196466]
中国のサッカーでは八百長は常識だ。

中国のサッカーでは賭博も常識だ。

八百長のサッカーに熱狂する中国人は、八百長による事前の取り決めどおりに勝敗が決しなかったら、賭博で賭けたお金を損すると言って憤る。

それが支那のサッカーの支那人観客の常識です。

ちゃんころ支那助満州人jpjptmd2004

投稿者: dame_china_nante 投稿日時: 2011/02/08 03:00 投稿番号: [186525 / 196466]
日本の文化のイロハも理解していないjpjptmd2004よ、ちゃんころ支那助満州人の恥を晒す投稿を繰り返すなよ。

Re: 埒外の身分

投稿者: jpjptmd2004 投稿日時: 2011/02/08 01:11 投稿番号: [186524 / 196466]
>つまり、日本の国技は他人を騙すこと<<<

逆に考えると、「メール通りの勝敗」で他人をよ〜騙すから、どう持ち上げようとも、八百長を洗浄排除しようとも、言うとおりの、期待通りの国技にはなれていない。笑。


所詮、相撲取りの土壌は猿楽や能と同じだ。

「新田さんの説によれば,相撲節によって一定の様式化をはたした相撲は,やがて庶民の娯楽として普及するところとなり,相撲人の系譜につらなる人たちは社寺の祭礼相撲へと転じ,次第に芸能化していった,という。しかも,その土壌は猿楽や能と同じで,地方の社寺を巡回する芸能集団を形成して相撲人の命脈を保った,という。したがって身分もきわめて低く,猿楽などと同様,賤民あつかいをされながら,地方の社寺の祭礼を彩る芸能の一つとして相撲が演じられていた,というのである。」

http://inamasa.blogspot.com/2010/09/blog-post_28.html

どう宇宙エレベーターへ持ち上げて打ち上げても、このままではな、
プロレスの試合後に、神事を行わせて、神事にしたほうがよっぽと面白い、ような。

猫騙し!

Re: 埒外の身分

投稿者: riseidekanngaeru 投稿日時: 2011/02/08 01:01 投稿番号: [186523 / 196466]
>riseidekanngaeruさん、もう口をさしはさんではダメよ☆
そのことは、あなたならわかるでしょお?

あ、ちょっと一足遅かったです。レスしてしまいました。まあ、ニーハオ君と論争は意味もないのでもうしませんが、ちょっと夢更紗さんの見解に興味があったものですから。

そういやぁ、だぼハゼが合間に食いついてますね。刻んでこませにします。

Re: 埒外の身分

投稿者: riseidekanngaeru 投稿日時: 2011/02/08 00:58 投稿番号: [186522 / 196466]
>「正業」とはなんでしょうか、「賤業」とは何でしょうか。

私の言う正業とは、いわば本業と同じ、副業に対するものとお考えください。辞書では社会で認められているまともな職業という意味ですが、売春も役者にとっては社会に認められている仕事の内だ、という意味です。賤業とは、文字通り賤しい職業であり、時代によって定義が変わります。

今は売春は賤業でしょうが、私の言っている時代では正業です。ディックミネの時代でも正業だったということです。ただし、社会が変わっても、ディックミネの意識は変わっていなかったと言うことですが。しかし、今は芸能界でも賤業と意識されているから、それをおおっぴらには言いませんね。

>しかしその記述によって、誰もがそういったことを容認し
>歓迎していたと受け取ることは早計だと思います。

誰でも、の範疇が明らかではありませんが、当時の社会常識では別にふつうのことだったようですよ。ただし、娘を売る行為自体がやむを得ずしたのであって、誰もがふつうに行ったわけではないでしょう。賤業だからではなく、過酷な環境に娘を追いやることにためらいがあったわけで、それは小さな子供を丁稚奉公に出すのと同じような感覚だったと思われます。

ご存じのことでしょうが、江戸時代は女日照りで、町人の男はなかなか結婚できなかったのが実情です。だから吉原が必要だったのですが、それと女性が習い事をしてどこかの旦那に囲われることは別に珍しいことでもなく、結局只でさえ少ない女性が金持ちや武士のものになってしまったから、ますます江戸の女日照りが深刻になったといわれています。

>それは役者の世界という特殊な世界で当たり前のことであって、
>世間一般では当たり前のことではないですから、
>ニーハオさんのご指摘のように「賤」なのではありませんか。
>ニーハオさんも同じ趣旨の発言をしておられますよ。

ここで、賤の定義ですが、本来賤民とは賤しい身分に生まれついた者を言います。賤しい行為をする者が賤民なのではありません。現在の芸能界について言えば、賤しい行為が一般社会とは別の基準で正当化されているのは事実でしょうが、それは芸能人が賤しい身分に生まれているからではありません。

>まあ現在の日本では、中学生・高校生までも援助交際とかいう言葉で実態を
>ぼかし売春をやっているのですから、普通と賤の境界もなくなりつつあります。
>嘆かわしいことだとわたしは思いますが。

嘆かわしいですね。つまり、売春のみが賤しいとも思いませんし、政治家実業家などにも賤しいことをする人間は多々居ります。

>差別という言葉にもともと悪い意味はなかったと思われます。

差別とは悪い意味ですね。つまり人間の上下を言いますから。ただし、区別には悪い意味はありませんね。

>だから、ニーハオさんは「賤」と定義なさったのではないかと推測します。

推測しても仕方がありませんが、そうであれば明らかに間違いです。

>歴史的にみて、芸能が賤業とされていたことは間違いありません。

つまり、武士がたしなんだ能や舞も賤しいと言うことでしょうか。武士の教養として大いに発展したはずだし、世阿弥などは公家と同等に取り立てられ(まあ非難はあったとのことですけれど)ています。芸能が賤しいと思われていたわけではなく、そのようなことを行う者がいたと言うこと。ただし、売春をしていたから賤しいというわけではないでしょうね。

水戸光圀に切られた藤井紋太夫も一説には能役者だったといわれていますが、家老職だったはず。芸能にも様々ありひっくるめて芸能が賤しいと決めつけるのは間違いです。

>やっていることは「賤」の部類に入り、その仲間になれば、もともと
>「賤」でない人でも「賤業」に就いたということになるのではないですか。

それはあなたの分類分けですね。賤しいことをする連中が今の芸能界には確かに多いですよ。

>芸能界とはこういうところです。昨夜のぶんにプラス。

>「賤」といわずして何を「賤」というのでしょうか。

これらの行為は賤で間違いないでしょうね。でもアメノウズメノミコトの時代から一貫して賤だったかどうかは別の話だし、賤を行う輩は芸能界の他にもたくさんいますよ。芸能界には賤が多いでしょうが、彼らが生まれつき賤しい身分に生まれついたと言うことではないでしょうね。

>「人を以て、言を廃せず」といいますよ。

ええ、でも言霊とは発する人間の魂が口から出てくるということです。だから、軽々と発してはならないとされているのではありませんか。

Re: 埒外の身分

投稿者: riseidekanngaeru 投稿日時: 2011/02/08 00:57 投稿番号: [186521 / 196466]
いろいろご丁寧に回答いただき恐縮です。

とりあえず、要点のみ感想を述べさせていただきます。必ずしも反論ではありませんが、すこし焦点がずれていると思いましたもので。

>相撲の起源は、――釈迦に説法・班面弄斧かと思いますが――

>ここには、どう見ても「賤」の要素はありません。

相撲の発祥伝説については存じておりますし、ここに賤の要素は全くありません。ただ、賤の定義については後述します。

この発端はあくまでニーハオ君が相撲は選民の業としたことに対する指摘であり、それ似たいし、彼が話題をずらしてきたことが問題と言うことです。ですから、芸能については、あらかたあなたに同意しますが、2,3気になるところはあります。したがって、ニーハオ君の相撲選民論はすでに論破したと言うことで、芸能に対する認識を少し述べさせていただきたい。

>>>2)芸能の始祖は巫女など、神事に関わっていた<<
>>これは一例でしかなく、芸能がすべて神事に関わっていたわけではない。<

>日本における、記録された芸能の始祖は、るんるんさんだったと思いますが、
>レスされていたとおり、天の岩戸の故事の天鈿女命(あめのうずめのみこと)
>であろうと思います。

るんるんさんのご指摘は知りませんが、私も指摘しております。いわば常識であろう事柄ですから。

>ニーハオさんのように、巫女も芸能の範疇に入れるかどうかはちょっと・・
>というところですが、
>白拍子は巫女のなりをして歌と踊りと春を売っていました。

存じておりますが、これも彼ら彼女らの正業の内だったということであり、賤しいからと憂いことでもなかったと思われます。名前ばかりのことですが、比丘尼という売春婦もおりましたしね。

>専業と余技とは違います。

むろん違いますが、芸能という行為が賤しく見られていたわけではないということです。

>一座を入れてくれない農村もあった、ということでしょう。
>理由は「賤」のほかにもあると思います。

私もそう書いているつもりですが。すなわち賤民として排除されたのではなく他の理由があったのだろうし、なにしろ小説の中のこと、川端康成の分身、「私」と踊り子の世界の遠さを表現したものだと解釈したのですが、むろん、川端君に聞いてみなくては分かりませんね。事実を書いたかどうかも含めて。
>
>人はどの民族であれ、基本的に芸能を好みます。
>おっしゃるとおり、一座を作って農閑期に出稼ぎに行ったり、
>個人でお正月などに漫才をして歩いたり、胡弓や三味線で
>かどづけをしたり。ただ、これらはあくまで副業です。
>収穫後のお祭りに演じられる地域の村芝居を担っていたのは、
>そこの土地の農民でした。

ええ、副業でしょうが、観る側からすれば芸能を行う一団ですよ。また専業の旅役者や踊り子の一団も全国を行き来していて、観る方がそれを副業専業で区別していたと思いますか。上手か大根かで投げ銭も変わったでしょうけれど。

>「賤」というのは実は「貴」と表裏一体の関係にあります。
>以下は中国の例ですが、
>流れ者の盲人芸能者が、神格化されていると描写された作品があります。
>日本も同様の意識があった場合もあった(笑)と思われます。

世界中でありますよ。ミストレルは当時は唯一のニュースソースでしたしね。

>>さらに売春が正業の一種と考えられていた時代、
>売春=賤しいものとの決めつけはできません<

つづく

Re: 埒外の身分

投稿者: jm_s1960 投稿日時: 2011/02/08 00:15 投稿番号: [186520 / 196466]
>日本文化の象徴とも言える相撲に目をつけたのもそれが目的でしょうね。<

「日本文化の象徴」=「相撲」?

なるほど!

しかし、爬虫類は2011/ 2/ 7 8:05 [ No.186499 ]にこう書いた:

>相撲の八百長など昔から半ば常識で、楽しくだまされる面もあることも考える必要があるでしょうね。あれが純粋なスポーツになってしまったらつまらないですよ。 <

よく日本人から聞いた:「相撲は日本の国技です。」

「相撲の八百長など昔から半ば常識」なら、日本の国技は馴れ合いもの、ぐるになってお客様、視聴者、日本国民を馬鹿にする、他人を騙すこと。

つまり、日本の国技は他人を騙すこと、日本の文化は売春だけではなく、他人を騙すこと。



納得!



Re: 埒外の身分

投稿者: soutennohoshi 投稿日時: 2011/02/08 00:14 投稿番号: [186519 / 196466]
>『日本書紀』の該当箇所ですが「俳優(わざおぎ・はいゆう)」という言葉が
登場しています。
「ものまねをしたり、おかしなことを言う」という意味です。
だから、まともな句は「和歌」であり、おかしな句は「俳句」といいます。
「俳優」がこのように古い言葉だということは驚きです。<

(ノ゜⊿゜)ノびっくり!!
すごい勉強になります。

Re: 埒外の身分

投稿者: soutennohoshi 投稿日時: 2011/02/08 00:11 投稿番号: [186518 / 196466]
riseidekanngaeruさん、もう口をさしはさんではダメよ☆
そのことは、あなたならわかるでしょお?
お二人の間の学術的なお話しを見守りましょう。

つかぁ、あたしには専門的過ぎてついていけないけどぉ

それに、やっぱりあたしにとっては、にーはおはただのバカなんだけどねー

(〃^∇^)o_彡☆あははははっ

Re: 埒外の身分

投稿者: yume_sarasa1211 投稿日時: 2011/02/07 23:52 投稿番号: [186517 / 196466]
芸能界とはこういうところです。昨夜のぶんにプラス。

★ A という女性歌手。
「A を慰めにいかせましょうか」と事務所に売られていた。

★ H という女優。
清純派で売っていたが、スポンサーがいることを暴露され、テレビ・映画に
出演することができなくなり、ほそぼそと舞台女優をしている。
演技派ならモンダイなかったかも。

★ N という女性歌手。
売れないとき、売れない漫画家と同棲していた。
ホステスのアルバイトをしていてスポンサーを見つけ、
漫画家を捨てて売り出した。
後に漫画家も有名になり、そのいきさつを実名で漫画に描いた。

★未成年をグループで売り出すことが得意のプロダクション。
社長と少年たちとのスキャンダルが発覚。

★ M という男優。
知人がこの男優の所属する劇団の支援をしていた。
知人が聞いたその男優の言葉。
「この世界はめちゃくちゃなんだ」
「僕たちはもう汚れきっていて、普通の人とは結婚できない」
そして東京に出てそこそこ有名になったが、新人女優をどうこうしたという
女性スキャンダルでほとんど出てこなくなった。

★ 有名老女優と不自然な関係の若い歌手。好かれたら断れない。

★国民的大歌手(女性)。
自宅御殿に若い男優を寄宿させ話題になった。断れない。

★ H という男性歌手。妻がテレビで暴露した。
H が新人のとき、ある歌手に「そこにすわれ」と命令され、
すわったら頭の上から放尿された。

★シンスケが「言葉遣いが悪い」と事務職員を殴って告訴されたのは有名。


少数例ですが、これが芸能界です。一般社会ではありえません。
現在の芸能界は最早「賤業」ではなくなったかもしれませんが、
実際に行われていることを
「賤」といわずして何を「賤」というのでしょうか。


>あなたも、阿呆達がこれに食いついて来ても
相手にされない方がいいと思います。<


「人を以て、言を廃せず」といいますよ。

.

Re: 埒外の身分

投稿者: yume_sarasa1211 投稿日時: 2011/02/07 23:51 投稿番号: [186516 / 196466]
差別という言葉にもともと悪い意味はなかったと思われます。

また「不可触」という言葉の意味するものに二通りあったと思います。
一般の者が触れてはならないものは「貴」と「賤」であり、
これはまた「不可知」なものです。
同類と異類、同質と異質を区別するものであり、
内と外とを区別するものであり、
定住者と漂白者を区別するものであり、
生産する者と生産しない者を区別する概念が含まれています。
その後者に述べたもののうち「貴」を除いた者が「賤」なのです。
そこで相撲について考えてみますと、後者に該当するが「貴」とは思えない。
だから、ニーハオさんは「賤」と定義なさったのではないかと推測します。

また「不可触」「不可知」には「差別と憧憬」「賤視と畏敬」
「汚穢と神聖」が混沌と入り混じっているように思います。

「祝」「葬」「屠」はどれも同じく「はふり」と読みます。
「祝」は神に奉仕することを意味し神聖であり、
「葬」「屠」は不浄(穢れ)であって、
まったく相反する概念を持つ字であるにもかかわらず、です。
「葬」は、草むらのなかに死体があることを表現している字です。
草むらに死体を捨てに行く「賤」の仕事をしていた人がいました。
中国もついこのあいだまで、幼児が死ぬと死体処理業者にまかせました。
業者はむしろで死体をくるんで、どこかに捨てに行きました。
ただし、「祝」には「のろう」意味もありますが。

こういったところに今われわれが議論をしている原因があるように思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

相撲が「賤」であるとは思っておりませんが、
芸能界で多く行われていることは、間違いなく「賤」であると思います。
「賤」を行う仕事、あるいは「賤」を必要とされる仕事が
「賤業」であることは自明の理ではありませんか。
どのように言を左右しようとも。

ただし、全員とは言っておりませんので念のため。

歴史的にみて、芸能が賤業とされていたことは間違いありません。
現在、そういう意識は薄れてきており、実態も昔とは変化していますが
やっていることは「賤」の部類に入り、その仲間になれば、もともと
「賤」でない人でも「賤業」に就いたということになるのではないですか。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

つづく

Re: 埒外の身分

投稿者: yume_sarasa1211 投稿日時: 2011/02/07 23:47 投稿番号: [186515 / 196466]
>>3)伊豆の踊子一行は農村で入るなと言われた。<<
>それならなぜ旅役者や旅回りの舞踊団が成り立つのか。
旅回りの芸人は農村で受けれらていたから。
また、農民が、農閑期に芸能一座を作って全国を回る例もあった。<


専業と余技とは違います。

一座を入れてくれない農村もあった、ということでしょう。
理由は「賤」のほかにもあると思います。
自分たち農民とは異質の世界に棲息している、ちゃらちゃらしたどこの
馬の骨ともわからない若い男に娘がたぶらかされたらたまらん、
とか、以前にやってきた一座が盗みを働いたとか・・。

人はどの民族であれ、基本的に芸能を好みます。
おっしゃるとおり、一座を作って農閑期に出稼ぎに行ったり、
個人でお正月などに漫才をして歩いたり、胡弓や三味線で
かどづけをしたり。ただ、これらはあくまで副業です。
収穫後のお祭りに演じられる地域の村芝居を担っていたのは、
そこの土地の農民でした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

「賤」というのは実は「貴」と表裏一体の関係にあります。
以下は中国の例ですが、
流れ者の盲人芸能者が、神格化されていると描写された作品があります。
日本も同様の意識があった場合もあった(笑)と思われます。

URL を貼りませんが、興味があったら「鹿鳴」No.5229のロムを。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

>さらに売春が正業の一種と考えられていた時代、
売春=賤しいものとの決めつけはできません<


「正業」とはなんでしょうか、「賤業」とは何でしょうか。

たしかに女性史の本を読むと、江戸時代に貧しい農村の娘が都市に
売春の出稼ぎに出て、お金がたまると村に帰って結婚する、
ということは書いてありました。
しかしその記述によって、誰もがそういったことを容認し
歓迎していたと受け取ることは早計だと思います。


>ディックミネが女性関係でスキャンダルを書き立てられた時、
フアンサービスをして何が悪いんだ、ときょとんとしていたとか。
贔屓に対し体でサービスするのは役者の当たり前の仕事だった面もあります。<


それは役者の世界という特殊な世界で当たり前のことであって、
世間一般では当たり前のことではないですから、
ニーハオさんのご指摘のように「賤」なのではありませんか。
ニーハオさんも同じ趣旨の発言をしておられますよ。

まあ現在の日本では、中学生・高校生までも援助交際とかいう言葉で実態を
ぼかし売春をやっているのですから、普通と賤の境界もなくなりつつあります。
嘆かわしいことだとわたしは思いますが。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

つづく

Re: 埒外の身分

投稿者: yume_sarasa1211 投稿日時: 2011/02/07 23:41 投稿番号: [186514 / 196466]
>>2)芸能の始祖は巫女など、神事に関わっていた<<
>これは一例でしかなく、芸能がすべて神事に関わっていたわけではない。<

日本における、記録された芸能の始祖は、るんるんさんだったと思いますが、
レスされていたとおり、天の岩戸の故事の天鈿女命(あめのうずめのみこと)
であろうと思います。

又&#29480;女君遠祖。天鈿女命。則手持茅纏之&#30687;。立於天石窟戸之前。
巧作★★★俳優★★★。亦以天香山之眞坂樹爲鬘。以蘿。〔羅。此云比舸碇。〕
爲手繦。〔注釈 : 手繦。此云多須枳〕。而火處焼。覆槽置。
〔注釈 : 槽。此云于該〕顯神明之憑談。是時天照大神。聞之而曰。
吾比閉居石窟。謂當豐葦原中國。必爲長夜。云何天鈿女命。&#22129;樂如此者乎。
乃以御手。細開磐戸窺之。時手力雄神。則奉承天照大神之手。引而奉出。

又&#29480;女君(さるめのきみ)の遠祖、天鈿女命(あめのうずめのみこと)、則ち手に
茅纏(ちまき)の&#30687;(ほこ)を持ち、天石窟戸(あまのいわやと)の前に立ち、
巧みに★★★俳優(わざおぎ)★★★を作す。
亦た天香山の眞坂樹(まさかき)を以て鬘(まんorかつら)に爲し、
蘿を以て〔羅。此に比舸碇(ひかけ)と云う。〕手繦(たすき)と爲し
〔注釈 : 手繦。此に多須枳(たすき)と云う。〕火處(ほところ)に焼き、
槽(うけ)を覆(かぶ)せ置く。〔注釈 : 槽。此に于該(うけ)と云う〕。
神明の憑談(ひょうだん)を顯(あきらか)にす。
是の時天照大神、これを聞きて曰く、吾れ比(このごろ)石窟(いわや)に閉居
(へいきょorこもりおり)す。謂(おも)うに當に豐葦原の中國(なかつくに)
は必ず長夜(とこやみ)爲(た)るべし。
云何(いかんぞ)天鈿女命、&#22129;樂(ぎゃくらく)すること此(か)くの如しや。
乃ち御手(みて)を以て、磐戸を細く開きてこれを窺う。
時に手力雄神、則ち天照大神の手を奉承(ほうしょう)して、
引き出で奉(たてまつ)る。


『日本書紀』の該当箇所ですが「俳優(わざおぎ・はいゆう)」という言葉が
登場しています。
「ものまねをしたり、おかしなことを言う」という意味です。
だから、まともな句は「和歌」であり、おかしな句は「俳句」といいます。
「俳優」がこのように古い言葉だということは驚きです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ニーハオさんのように、巫女も芸能の範疇に入れるかどうかはちょっと・・
というところですが、
白拍子は巫女のなりをして歌と踊りと春を売っていました。

芸能がすべて神事にかかわっていたのではない、とはおっしゃるとおりなの
でしょうが、いろいろ書かれているように農事とは結びついていましたね。
農事と暦と神事には深い結びつきがあります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

つづく

Re: 埒外の身分

投稿者: yume_sarasa1211 投稿日時: 2011/02/07 23:40 投稿番号: [186513 / 196466]
こんばんは。

>>1)相撲も芸能界も同じ賤しい存在だ<<
>これは全くの嘘<


相撲の起源は、――釈迦に説法・班面弄斧かと思いますが――
古代における野見宿禰(のみのすくね)と當麻蹶速(たいまのけはや)の
御前試合です。
この野見さんが菅原道真のご先祖とされています。
ここには、どう見ても「賤」の要素はありません。

わたしは、相撲に関しては、ニーハオさんのいわれるような
「賤」ではないと考えております。
これまでわたしが読んだ本、学んだことのなかのどこにも「相撲は
賤である」と書かれたものに遭遇したことは一度もありません。

先のレスの冒頭で「・・・思います。」という表現にしたのは、
ニーハオさんの説が珍説であるので、
その由来を知りたいという気持ちがあったからです。
どこからその根拠を持ってきたのか、或いは誰の何という本に書いてあるのか。
しかしまた、はっきりとそれを尋ねても、ニーハオさんの提示された本を
取り寄せ、すぐに読む時間がとれるかどうか・・
そういう迷いがあって「思う」という曖昧な表現にしたのです。

わたしの人生経験も、読書量もたかが知れています。
自分の脳内にあることが世界のすべてではないとよく承知しています。
だからこそ、ニーハオさんの相撲が賤である、という説に少し興味を
持ったのです。頭から否定してしまえば、そこで終わりですから。

その根拠をよくよくうかがってみるのも一興かと。
何か面白い話があるかもしれないし。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

つづく

jpjpちゃん。

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2011/02/07 23:01 投稿番号: [186512 / 196466]
お前何で日本国に棲息するんや〜。

遣日使として日本国に来て、散々反日して、偉大なる華夷秩序を叫んでいるのかね〜。

孔建がテレビに出ていたが、孔子の子孫で論語を振りまいていたな〜。
ま、地下の孔子とはもう何の関係もないのが、おまえらシナ人の民度そのものよの〜。

Re: 回答

投稿者: soutennohoshi 投稿日時: 2011/02/07 20:04 投稿番号: [186511 / 196466]
なに誤魔化そうとしてるのよ?

それで、トピずれは?

どうせニーハオに向かって言えないとは確信していたけどさぁ

おまえ、だらしがない男なのね。

ダブスタチャイニーズなんて、もともと信用力ゼロなんだけどさぁ、おまえほどでたらめだと何を言っても誰も信じないのよね。

豚の鳴き声程度にしか感じなくなっているわけ。

Re: 埒外の身分

投稿者: riseidekanngaeru 投稿日時: 2011/02/07 19:18 投稿番号: [186510 / 196466]
ニーハオに対する分析としてはおっしゃるとおりなんでしょうね。でも馬鹿ほど、自分が馬鹿であることを知りません。だから、言ってるそばからでたらめだと見抜かれていることももちろん知りません。もともと馬鹿なのか、中国に取り込まれて馬鹿になったのか・・・おそらく両方だと思います。


案の定売春ネタに食いつくだぼハゼ馬鹿も本当にわかりやすい馬鹿、でも自分では馬鹿だと知らない馬鹿。

ま、本当に論ずる意味はないんですが、夢更紗さんが引っかかったようなので、この方は非常に真摯な方ですから、まさかこれほどの馬鹿がいるとの認識をもしかしたらお持ちではないのかと、ついお節介を焼いてしまいました。

しかし、日本をおとしめるためならどんな嘘でもためらい無く口にする連中だとは日々認識を新たにしています。日本文化の象徴とも言える相撲に目をつけたのもそれが目的でしょうね。

Re: 回答

投稿者: dame_china_nante 投稿日時: 2011/02/07 19:05 投稿番号: [186509 / 196466]
>国技なら、外国には受け入れてもらえる。
>単に神事としたら、受け入れてもらえないことも起きる。


jpjptmd2004はどうしようもない馬鹿だな。
相撲は神事だからそれが理解できないで受け入れられない国には受け入れられなくて良いんだよ。
そんな国には行くだけ無駄。
相撲の意味すらわかっていないjpjptmd2004が日本に留学したと自慢しているなんて、jpjptmd2004は何のために日本に留学したのか。
日本文化の真髄すら理解できないなら、日本に留学する意味はない。
jpjptmd2004は新宿歌舞伎町で密航してきて日本で売春する中国人売春婦と遊びたかっただけなのか。

中国が外交樹立で日本に送りこんだのは

投稿者: dame_china_nante 投稿日時: 2011/02/07 18:59 投稿番号: [186508 / 196466]
>日本の大相撲は、外交樹立当時、30周年の祝いとして、中国の表舞台に出たからな。

中国が外交樹立で日本に送りこんだのは売春婦と泥棒と密入国者だろう。

jpjptmd2004もコンテナに隠れて日本にやってきた密入国者の一人じゃないのか。
中国への帰国は強制送還を利用してタダで帰国したんだろう。
中国人は厚かましいわな。

ろくに何も知らないjpjptmd2004が、アホか

投稿者: dame_china_nante 投稿日時: 2011/02/07 18:53 投稿番号: [186507 / 196466]
>売春は日本の文化でもあるが、日本の憲法や法律で認められている職業ではないだわな。

中国の売春婦の数は世界一だわな。
中国では中学生ぐらいの少女も金目当てに売春を持ちかけてくるわな。
売春は中国の貧しい人たちの伝統的職業だわな。
それでも中国では売春婦を市中引き回して人権侵害を行っているわな。


>相撲取りは、半裸になって踏ん張って芸を売ってこそ飯が食える業である。
>いまのように思われるほどの神事ではなかったから、
>いまにいたっては、散々「迫害」受けてきたのではなかろうか。

アホか。
jpjptmd2004の日本留学はもぐりだわな。
相撲というものはもともと神の前で行う神事が出発点だ。
興行として相撲が行われるようになったのは、ごく最近のことだ。
jpjptmd2004はその程度の知識しか持ち合わせていないくせに偉そうにしたり顔で投稿したらいけないわな。


>国技館で行われているからって、大相撲は、一種のスポーツ競技にすぎず、国技ではない。

日本文化のイロハも知らないちゃんころ支那助満州人のjpjptmd2004が決めることではないわな。


>神事だの、神事だのと、精々神事を行う多くの行為のひとつに過ぎず、そんなに高尚なものではない。

神すら散在しない野蛮人のチャンころ支那助満州人のjpjptmd2004には、相撲が神事が最も大切なメインであり興行は付属物に過ぎないということすら理解できないんだわな。


>確かに初めて大相撲を観た時、珍しがって喜んでいた。

珍しがることぐらいしか相撲に関心がもてないjpjptmd2004には相撲と神事と日本文化のつながりすら理解できないわな、アホ。

Re: 回答

投稿者: jpjptmd2004 投稿日時: 2011/02/07 18:37 投稿番号: [186506 / 196466]
くそ便と同じく走婆も脳の皺寄せない。

国技なら、外国には受け入れてもらえる。
単に神事としたら、受け入れてもらえないことも起きる。

わかったか。

Re: 回答

投稿者: soutennohoshi 投稿日時: 2011/02/07 18:31 投稿番号: [186505 / 196466]
笑わせるわね

トピずれはどうしたの?

逃げるんじゃないわよ☆

Re: 埒外の身分

投稿者: soutennohoshi 投稿日時: 2011/02/07 18:30 投稿番号: [186504 / 196466]
ニーハオというバカの今回の最初の投稿はNo.186476で、そのテーゼは


"役者も相撲取りも「河原乞食」の賤民であることを自覚し、そのことが芸能の命なのだ。"

というものでした。

大した知識などなくても、まっとうな日本人でしたら直感的にバカバカしいと感じます。
ですから、その後に百万言を費やそうと、こんなバカバカしいテーゼなど論ずるに値しません。

それに、芸能関係の人が河原者とされていたことなど、多くの日本人は知っています。
神様関係の人達がセンミンとされたなど、普通にはあり得ないことも知っています。

常識がどうのこうののレベルじゃありません。

意図的という疑いもありますが、長年この物体を見ていると、ただのバカなんだと思います。
知性が低いくせに、俺様俺様と目立ちたがる結果だと思います。

たぶん今回も、相撲の不祥事から芸能人を、そして河原者、センミンと連想して、思いつきのままにそのバカバカしさにも
気が付かずに書き散らかしたのではないかと思います。

まあ、バカをバカとあえて言わないと、騙されてしまう人がいるかもしれませんけど。。

Re: 回答

投稿者: jpjptmd2004 投稿日時: 2011/02/07 18:20 投稿番号: [186503 / 196466]
あほか、

日本の大相撲は、外交樹立当時、30周年の祝いとして、中国の表舞台に出たからな。

少しでも勉強しろや。

争点が、自分のことを、どの政党に尻尾を振るか、
日々、迷いにまよって走り迷う狗と思っているようだ。
どう走り迷っても、行き着くところはアメリカの走狗だろう。

Re: 回答

投稿者: soutennohoshi 投稿日時: 2011/02/07 18:10 投稿番号: [186502 / 196466]
カスのjpjptmdじゃん。
ほら、ニーハオにトピずれは他でやれって言ってごらん。
いえるわけないわよねぇ
ダブスタご都合主義のCCPの狗だもんねぇ。

Re: 回答

投稿者: jpjptmd2004 投稿日時: 2011/02/07 18:05 投稿番号: [186501 / 196466]
くそ便じゃないか。

>這篇文章強調<<<

常識でも態々強調し話を進めたら、話にならんわな。

>職業無分貴賤,即使妓女也要在床上盡情討好客人,對不對?:)<<<

売春は日本の文化でもあるが、日本の憲法や法律で認められている職業ではないだわな。

くそ便は元々臭いから、いくら偉そうにいってもな、
法律においては、「職業無分貴賤」ではあるが、
職業に対して認識の差があるからな。


相撲取りは、半裸になって踏ん張って芸を売ってこそ飯が食える業である。
いまのように思われるほどの神事ではなかったから、
いまにいたっては、散々「迫害」受けてきたのではなかろうか。

国技館で行われているからって、大相撲は、一種のスポーツ競技にすぎず、国技ではない。

神事だの、神事だのと、精々神事を行う多くの行為のひとつに過ぎず、そんなに高尚なものではない。

相撲協会には、日本国からも資金を注ぎ、洗脳されて期待する日本国民も大いにいるようだが、どうも、歴史的にはチンピラなどの係わりもあってこそ発展してきた。
賎しいところがあったからこそ、時々禁止もされ、
日本の国民が外国人に自慢できるような競技へ、日本国民の期待を裏切らないように、賎しくやらんようにな。笑

確かに初めて大相撲を観た時、珍しがって喜んでいた。

Re: 埒外の身分

投稿者: riseidekanngaeru 投稿日時: 2011/02/07 08:05 投稿番号: [186499 / 196466]
芸能界についてはおっしゃるとおりですし、だから、私ももし自分の子供が行きたいと言えば反対すると言っています。幸いそんなことはありませんでしたがね。

ニーハオ君の勘違いは

1)相撲も芸能界も同じ賤しい存在だ

これは全くの嘘

2)芸能の始祖は巫女など、神事に関わっていた

これは一例でしかなく、芸能がすべて神事に関わっていたわけではない。

3)伊豆の踊子一行は農村で入るなと言われた。

それならなぜ旅役者や旅回りの舞踊団が成り立つのか。旅回りの芸人は農村で受けれらていたから。また、農民が、農閑期に芸能一座を作って全国を回る例もあった。

ただし、私も認めているように、河原乞食といわれていたのは事実であり、売春と結びついていた面があったのも事実。しかしすべてではなく、さらに売春が正業の一種と考えられていた時代、売春=賤しいものとの決めつけはできません。

ディックミネが女性関係でスキャンダルを書き立てられた時、フアンサービスをして何が悪いんだ、ときょとんとしていたとか。贔屓に対し体でサービスするのは役者の当たり前の仕事だった面もあります。

ゆえに、あなたの指摘はあまり意味がありません。売春をしていたから賤しい身分というわけではなかったからです。まあ、例の馬鹿が飛びついてくる話題ですが、今から予想も付くので反応するつもりはありませんが。あなたも、阿呆達がこれに食いついて来ても相手にされない方がいいと思います。

河原乞食とは現代では芸能人に対する差別用語で、むしろ新しい言葉ですが、実際に昔彼らが賤民であったかどうかは確定していません。ただ、あなたも指摘されているように、昔から芸能界にはいかがわしいものが多く、現代でも子供があこがれることに危機感を持つ親がふつうでしょう。覚醒剤やしまりのない男女関係、元ちんぴら、ズベ公、暴力団との関係などなどたしかに軽蔑されても仕方のない状態も多くあります。もちろん、そうでない場合もありますがね。

芸能界の乱れは事実でも、ニーハオ君がそれをことさら強調し、相撲取りが同じだと言うこと自体が間違っていると言うことです。自分が不利になると黙るか話題をずらし、ずらした方で賛同を得ることで、もともとの自分のごまかしをあたかもそれも含めて賛同を得たかのようにしてしまう、中国論法を駆使するのが問題なんです。

趣旨をご理解ください。ニーハオ君は多分知っていての話題ずらしですから。

ちょっとずれますが、相撲は神事であり、そこから発展した興業であり、オリンピックのようなスポーツとは同じではありませんね。各地の神社などで、豊作を占う行事などがありますが、ほとんど豊作になるめでたしめでたしという八百長です。それが当たり前で、凶作になるという結果など出したりしたらもめますから。

相撲の八百長など昔から半ば常識で、楽しくだまされる面もあることも考える必要があるでしょうね。あれが純粋なスポーツになってしまったらつまらないですよ。

Re: 埒外の身分

投稿者: yume_sarasa1211 投稿日時: 2011/02/07 02:47 投稿番号: [186496 / 196466]
ニーハオさんの説について、相撲は違うんじゃないかと思いますが、
芸能に関しては、ほぼ正しいと思います。

江戸時代の中ごろまで、
歌舞伎は非人頭浅草弾左衛門の支配下におかれていました。
ここから抜け出せたとき、歌舞伎界は狂喜乱舞したといいます。

出雲の阿国の昔から、否、それ以前から、
こういう芸能に必ずつきものなのが売春です。
これは現在の芸能界にもあてはまります。韓国でも問題になりました。

売れなくなった若い歌手・タレントが、テレビ局関係者と温泉に行く。
週刊誌にバラされて叩かれ、芸能生活が危くなる。
恋愛じゃなく仕事を得るためですよね。

枕営業を強要された歌手が自殺する。

ミス○○という人が芸能界に入るが、まともな人はほぼ一年前後でやめる。
枕営業の強要があるからでしょうね。そうした証言もありました。

男性でも同じです。
「オヤジ、涅槃で待っている」と言って自殺した俳優がいたそうですね。

ある有名な男性歌手は、若い頃、男色のスポンサーがいたということは
有名です。

芸能界は特殊な世界です。全部とはいいませんが、芸能界というところは
ソー○とドー○とザイ○○ばかりだ、というのが多くの人の認識です。

嘗て、わたしの親戚の中学生の女の子にも、芸能プロダクションから
勧誘がありました。
両親は烈火のごとく怒り、言った言葉が
「バカにするな。まだ、そこまでおちぶれていない」でした。

うちでもタレント志望の子をテレビなどで見ると、
「よく、親がやらすなあ」です。

よほど才能があって、自力で売れるシンガーソングライターみたいな
人なら例外かもしれません。事務所が非常に強くしっかりしているとか。

まあ、若い人たちの見方は、わたしのような中年とは異なるのかもしれません。

~~~~~~~~~~~~

相撲の四股とシコメがどうとかのウィキの記述の紹介がありましたが、
はじめて聞く説です。

歌舞伎の、花道で六方を踏むことと四股との間には関係があるように思います。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835006&tid=bcafld&sid=1835006&mid=326#under-deli

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835006&tid=bcafld&sid=1835006&mid=327#under-deli

.

Re: 埒外の身分

投稿者: riseidekanngaeru 投稿日時: 2011/02/07 02:11 投稿番号: [186495 / 196466]
>もちろん、時代が違うと言うなら、その通りなんだが。

もちろん、これも言えるが、相撲取りが賤しい身分という話からずれているな。相撲が芸能ではなく、また賤しくもなく、相撲取りが賤民でもないことは確認したのかね。

で、暇だからちょっとつきあってやろう。

子供がタレントにあこがれると反対する親は今も多いよ。あたしも同じ立場なら反対するだろうな。だが、それはタレントが賤しいからではなく、日の目を見るタレントは100人に一人も居なくて、しかも実力で必ずのし上がれるわけではないからだ。

それに、芸能界すべてがそうとは言えないだろうが、ろくに実力も経験もないのに売れる社会が正常とは言い難い。確かに子供を入れたいような環境の社会ではないからな。ちんぴらでもズベ公でも売れればなんぼという世界に入れたいとは思わないだろう。とにかく、その手のスキャンダルが多すぎる。

とはいえ、いちいちそんな目でタレントを見ているわけではないがね。本当にそれだけの理由や才能で輝いているタレントも確かにいるし、他の社会でも実力だけで完全にのし上がれるわけではないだろうからね。ま、子供のタレント志望を許すか許さないかは、人それぞれだな。

だが、そんな芸能界と、能、歌舞伎などの伝統芸能と一緒くたにしても意味はないぞ。君の屁理屈も意味がない。

伊豆の踊子の話がどうであれ、たとえば昔から各地に農民芸能が盛んにあり、農民歌舞伎などは文化遺産になっている。別に芸能や芸能をするものが差別されていたわけではない。

伊豆の踊子の例はあくまでよそ者排除であり、実際に彼らが旅をしながら農村を回って生活ができたのは多くの農村で受け入れらていた証だろう。結局、川端君の描写は、本人をモデルにした「私」と踊り子の距離を表現したにすぎない。この身分の違いをこんな形で描写する川端君もあるいみ鼻持ちならないがね。

>伝統とはそう云うところから発祥しているのだ。

あほぬかせ。そんなことを言い出したら、日本の芸能の祖はアメノウズメノミコトだ。巫女やそれから発生したと言われる白拍子も芸能の祖かもしれないが、農民達が自然に集まって舞い踊った田楽、猿楽が能に発展した。つまり、何が芸能の祖だと絞れるものではない。大名お抱えの御伽衆が落語や講談のはじめだとも言われている。

したがって、偉そうに

>芸能史を学ぶなら、これらのこと、基礎の基礎、基本の基本だぞ。
古代、神社で神に仕える「巫女(みこ)」などは当然処女であり、その美しさも、その若さも神にささげられた「生贄(いけにえ)であり、すでにしてこの世の人ではなかったのだ。
伝統とはそう云うところから発祥しているのだ。

と言っても説得力は全くない。

芸能など世界中で自然発生的なものだ。神と関係もその一つにすぎない。

だが、今の芸能人(一般に言うタレント)と力士を同一だとこじつける理由は全くない。今の相撲取りがタレント化しているから連想したのか?

Re: 埒外の身分

投稿者: riseidekanngaeru 投稿日時: 2011/02/07 01:51 投稿番号: [186494 / 196466]
>もちろん、時代が違うと言うなら、その通りなんだが。

もちろん、これも言えるが、相撲取りが賤しい身分という話からずれているな。

子供がタレントにあこがれると反対する親は今も多いよ。あたしも同じ立場なら反対するだろうな。だが、それはタレントが賤しいからではなく、日の目を見るタレントは100人に一人も居なくて、しかも実力で必ずのし上がれるわけではないからだ。

それに、芸能界すべてがそうとは言えないだろうが、ろくに実力も経験もないのに売れる社会が正常とは言い難い。確かに子供を入れたいような環境の社会ではないからな。ちんぴらでもズベ公でも売れればなんぼという世界に入れたいとは思わないだろう。

とはいえ、いちいちそんな目でタレントを見ているわけではないがね。本当にそれだけの理由や才能で輝いているタレントも確かにいるしね。ま、子供のタレント志望を許すか許さないかは、人それぞれだな。

だが、そんな芸能界と、能、歌舞伎などの伝統芸能と一緒くたにしても意味はないぞ。君の屁理屈も意味がない。

伊豆の踊子の話がどうであれ、たとえば昔から各地に農民芸能が盛んにあり、農民歌舞伎などは文化遺産になっている。別に芸能や芸能をするものが差別されていたわけではない。

伊豆の踊子の例はあくまでよそ者排除であり、実際に彼らが旅をしながら農村を回って生活ができたのは多くの農村で受け入れらていた証だろう。結局、川端君の描写は、本人をモデルにした「私」と踊り子の距離を表現したにすぎない。この身分の違いをこんな形で描写する川端君もあるいみ鼻持ちならないがね。

まして、相撲取りが賤民だ等とまだ言い張るつもりか?つまらん意地はるな。

>伝統とはそう云うところから発祥しているのだ。

あほぬかせ。巫女やそれから発生したと言われる白拍子も芸能の祖かもしれないが、農民達が自然に集まって舞い踊った田楽、猿楽が能に発展した。つまり、芸能の祖は君が言うだけのものではない。

>芸能史を学ぶなら、これらのこと、基礎の基礎、基本の基本だぞ。
古代、神社で神に仕える「巫女(みこ)」などは当然処女であり、その美しさも、その若さも神にささげられた「生贄(いけにえ)であり、すでにしてこの世の人ではなかったのだ。
伝統とはそう云うところから発祥しているのだ。

で、そこから発生した芸能人は賤民か?支離滅裂な男だな。今のタレントは巫女の子孫か。

芸能など世界中で自然発生的なものだ。神と関係もその一つにすぎない。

だが、今の芸能人(一般に言うタレント)と力士を同一だと論ずるでたらめさなど、まったく何を考えてのことやら。

Re: 埒外の身分

投稿者: nihao_aq_jp 投稿日時: 2011/02/07 01:12 投稿番号: [186493 / 196466]
>たしかに役者などはかつて河原乞食といわれていたかもしれないが、そんな時代からも庶民のあこがれであり、そして現代も役者(タレント)を賤民だどとさげすんでいる意識は日本では無いな。役者や相撲取りが日本文化に与えた豊かさは言い尽くせないほどだ。<

キミは分かってないね。
川端康成の代表作は「伊豆の踊子」
主人公が踊り子たち旅芸人の家族と知り合い、伊豆の山を越えるお話。
当時、旅芸人などは身分的に差別されており、村の境界に「旅芸人、立ち入るな」と書いてあったりする。

これが芸人のリアルな姿なのだ。
歌舞伎座の大舞台に上がるような役者はエリート中のエリートなのであり、その数は少ない。
多くは諸国を旅してまわる旅役者であり、役者も相撲取りも寺や神社の祭りに呼ばれて舞台をつとめ、土俵に上がっていた。

人別帳にも載らないような埒外の身分でも、それを卑下する以前に一芸を磨いて稼いでいたのだ。
伝統芸能と言うからには、伝統の何たるかを自覚せねばならない。

芸能史を学ぶなら、これらのこと、基礎の基礎、基本の基本だぞ。
古代、神社で神に仕える「巫女(みこ)」などは当然処女であり、その美しさも、その若さも神にささげられた「生贄(いけにえ)であり、すでにしてこの世の人ではなかったのだ。
伝統とはそう云うところから発祥しているのだ。

わしはあくまで本質を語っているのであり、細かい歴史は言うまでもなく知り尽くしている。
数十年前まで、女の子が「私は女優になる、歌手になる」などと言ったら親は半狂乱になって反対した。
芸能界などはヤクザの世界であり、良家の子女が安易に踏み込む世界ではなかったのだ。

もちろん、時代が違うと言うなら、その通りなんだが。

埒外の身分・・芸能人

投稿者: nihao_aq_jp 投稿日時: 2011/02/07 00:05 投稿番号: [186492 / 196466]
>然し、硬直化した思惟あるの老人は今の俳優と歌手の地位を昔の傳統的な價値觀で評論して話題の内容を摩り替えるつもりです。<

芸能、それも「伝統芸能」とか称して、その「伝統」を強調するつもりなら、当然、芸能本来の精神を自覚しなければならない。
一芸を頼りに生きている、その身の程を知れ・・と言うのだ。
そう云う話なのだ。

伝統を意識しない現代の役者は、ただの「タレント」。
「タレント」がどうあろうと、それは知ったこっちゃない。
それにしても、最近、お笑い芸人の数が多すぎる。芸にもならぬ芸を芸と称して、やたら番組に顔を出す。のさばり過ぎだな。
その数、十分の一ぐらいに淘汰してもいいと思う。

Re: 埒外の身分

投稿者: riseidekanngaeru 投稿日時: 2011/02/06 23:53 投稿番号: [186491 / 196466]
>人間、常識に縛られると、ここまでバカになるか・・と云う話だ。

そりゃ君だね。ここまで馬鹿を主張する理由は何かと考える・・・意味もないか。

まず相撲取りは昔は各藩大名のお抱えであり、士農工商でも武士に近い身分と認識されていた。だから帯刀も認められていた。力士が賤民だったことは全くない。

ちなみに、士農工商という身分は、現実には後生の認識であり、僧侶、神官、医者などなどどれにも当てはまらない階層があり、僧侶などはどのような階層からもなれたし、修行次第では大名をも礼儀を尽くさせる身分だった。相撲取りも同じことが言える。

たしかに役者などはかつて河原乞食といわれていたかもしれないが、そんな時代からも庶民のあこがれであり、そして現代も役者(タレント)を賤民だどとさげすんでいる意識は日本では無いな。役者や相撲取りが日本文化に与えた豊かさは言い尽くせないほどだ。むしろ、士農工商とは、身分制度と言うより、カテゴリーの違いくらいの意味しかなかったから、大名でも豪商に逆らえなかったり、武士の切り捨てごめんも実際はその正当性が証明されない限り、家を取りつぶされたり、腹を切らされたりしたから、滅多に起きたことはない。つまり、昔から役者を身分的にさげすむようなことはなかった。まして、力士は尊敬の対象であっても賤しいなどと考えることなど無かったよ。横綱谷風などは、その人格の高さから、当時の人々の尊敬を一身に集めていた。

  それと、役者や相撲取りがいなくなっても全く痛痒はないという意識を本当に持っているなら、脳みそがすっかり文革のときにやられたんだろうな。中国では多くの芸能があの時期、生産性のない堕落した存在として駆逐されてしまった。

  たしかに、芸術やスポーツは直接の生産には関わっていないかもしれないが、(それらに関わる産業はきわめて大きいが)それらが全くなくなったら、人間は極論すれば生きている意味がないのだよ。生きている喜びが満たされるから人間は働くし文化をはぐくんできた。寒くなければいいと人民服だけを着、食えて栄養分があれば良いとペット同様かりかりだけを食べ、雨露、寒さ暑さがしのげればよいとコンテナに住む生活に意味があるか。
 
  精一杯働いて、余暇には芸術やスポーツで楽しむ。極言すれば人間の生活はそのような楽しみがあるから意味があるのだ。文化はこのような部分で発展してきたのだよ。人間の生活は100パーセント遊びだと言って過言ではないな。
 
  それを敵視したのが文革であり、中国人の心を今に至るまで荒廃させている元凶の一つだ。まあ、君も荒廃したのだろうなぁ。というより、もともと潤いがなかったのか。
 

Re: 優秀なる相撲醜聞と野球醜聞の映畫につ

投稿者: run_run72 投稿日時: 2011/02/06 23:43 投稿番号: [186490 / 196466]
>僕は智慧あるの老人・年寄りを非常に尊敬しています。(家有一老,如有一寶・家には一つの年寄りがいるなら、一つの寶蔵があるらしいです)

ああ、実にいい言葉ですね。
素敵な言葉をありがとう。

おやすみなさい。
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